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2015年08月12日
■ 「永久の懊悩」

お題:出来損ないの父 必須要素:生理痛 制限時間:30分


永久の懊悩


 できそこないだ。
 その確信が頭に過ぎるや、わたしは父を叩き壊した。超高硬度鋼の工具を力の限りぶちこめば、父の頭はざくろのように弾けとぶ。決して破壊が目的ではない。これは単なる事後処理だ。であるにもかかわらず、わたしは暗い快感を味わっていた。壊すこと。存在を奪うこと。何かを支配しているとして、これ以上の象徴的な儀式があろうか。
 衝動の波はすぐにおさまり、狭い設計室は再び孤独な静けさに包まれた。わたしは荒く息を吐く。
「わたしのことを分かってもくれない」
 生理痛からくる苛つきを隠しもせず、わたしは父の残骸に吐き棄てる。
「おまえなんか、できそこないだ」
 それは間接的に、父を作ったわたし自身の技量不足をもなじる言葉だったが――わたしは、それに気づかぬふりをした。

 わたしはひとりだ。
 これは奇妙なことである。生まれたその瞬間からひとりであり、わたし以外の生命が何一つ存在しないこの世界において、ひとりであるという概念を持つこと自体が異様であるし、もっといえば、完全に間違ってすらいる。
 わたしの居場所は、小さな小屋ひとつきり。小さい? これまた奇妙だ。この世界には、わたしの小屋と大きさを比べるものなど何一つありはしないというのに。
 小屋の中にはあらゆる工具が揃っている。材料も、望めば無限に現れる。その気になればなんでも作れるだろう。そう、もしその気になれば、だ。
 わたしは突然小屋の中に出現し、世界は小屋一つきりで、それなのに、わたしは凡てを知っていた。この世界が本来もっともっとひろいはずであることを。小屋はちいさなもので、もっと大きな家や、屋敷や、お城だってあるはずだということを。さらには、この世にいのちはたった一つではなく……たくさん……いろいろ……気味が悪かったりおぞましかったり、時にはちょっとだけ美しかったりする生き物たちが、たくさんいるはずだったということを。
 なぜそれを知っているのか。わたしの知っていることが何なのか。そもそもわたしは何者なのか。それだけはわたしにも分からなかった。
 わたしは寄る辺なく大河を漂う浮き草のようなものなのだ……大河? なんだそれは? 浮き草? 草とは? 自分で言っておいて、初めて自分の知識を認識する。認識すれば憧れずにはいられない。こんな小さな小屋に閉じ込められていながらだ。気が狂いそうになる!
 この理不尽に対抗すべく、わたしはわたしのルーツを求めた。わたしは誰かに生み出されたのだ。わたしを生み出した存在があるべきだ。そこでわたしは工具にとりくんだ。工作室に入り浸り、ひたすら、わたしは作り続けた。わたしの父を――父であるべき存在を、だ。
 だが、わたしが月に一度(月? 月とは一体……きりがないので以下省略)、女として避けようもない痛みにのたうつのを、わたしが作った父はぼんやりと眺めているばかりだった。父は何もしてくれない。口も利かない。生きてはいない……

 わたしは工作室から逃げ出して、二階のベッドに飛び込んだ。ここに横たわっていれば、どんな心配事も消えてしまう。もし心配事なんてものが存在すればだが。
 わたしは静かな眠りについた。眠りの中で夢を見た。夢の中でわたしは、求めたものを得られず、ただ、ひとりで膝を抱えて泣いている小さな少女だった。だれかがそばに来た。そしてわたしのそばに跪き、優しく肩を撫でて、こう囁いたのだった。
「きみの求めるものは存在し得ないだろう」
「どうして?」
「それが問いと答えだからだ。両立はできないものだ。両立した瞬間、この世界は存在の基盤を失い、瓦解する。だが、もし――」
 わたしの涙を、そのひとの指が拭う。
「もしきみに、永久の懊悩を受け入れるつもりがあるのなら。
 よんでごらん。きみの、望まないものを」

 目が覚めた。
 私の涙は、止まっていた。
 わたしは――呼んだ。あのひとの言うとおりに、一声。
「光あれ」

THE END.

2015年08月08日
■ 「毒虫」

お題:生きている抜け毛 必須要素:ゲロ 制限時間:30分


毒虫


「5%」
 その女は言った。愚かにもこのぼくが慰めを求めようとした女だ。ちょっとした辛いことに出くわしたぼくは、彼女の部屋に逃げ込んだ。愚かで弱弱しい自分を曝け出し、母親が息子にするような甘やかしを要求した。それで彼女は嫌な笑みを浮かべた――嘲りと侮りがいっぱいに籠められた笑みだ。
「ひとの体は原子からできている。C、H、O、N、その他諸々。生命を形作る四つの元素。それらは摂食によって体内に入り、私たちを構成する部品となる。でも有機物は脆い。時間経過によって常に劣化し、それゆえ人体は自分自身の替えパーツを片時も休むことなく製造しつづける……」
「何を言っているんだ」
「今、あなたを構成している原子のうち、3年後にあなたの体に残っているものの割合は、5%らしいよ。残り95%は消えてしまう。二酸化炭素となって吐き出され、アンモニアを経由して尿素となって排出され、あるいは垢が――」
「そんなことはどうでもいい!」
 ぼくは絶叫した。テレビ台の上にのぼり、大きなプラズマディスプレイにしがみついて。
 ぼくの周りを囲んでいたのは、無数の毒虫どもだ。抜け毛の一本一本が百足にかわり、汗の一滴一滴が蛙に変わり、吐息のひとはきが虻になる。彼女はキッチンでそれを冷ややかに見つめ、いつものようにたとえようもなく魅力的な立ち姿を押し出している。
「これは一体どういうことなんだ!」
 彼女は何も言わない。

 ぼくが彼女に泣きついた、その言葉のどれかが癇に障ったということらしい。ぼくはただ、こう言っただけだ。上司は何も分かってない、と。ぼくを歯車のように切り捨てようとしているのだ、と。すると彼女はこう言った。あなたが何も切り捨てていないとでも?
 次の瞬間だ。ぼくの体から、どうしようもない生理的作用というものによって、切り捨てられたものどもが、いっせいに毒虫へと姿を変えて蠢き始めたのは。今や、フローリングには数十匹の黒い40本脚が這いずり回り、赤い背中にブルージーンズを履いたみたいないかにもヤバい色合いの蛙がゲロゲロ言っている。虻はぶんぶんと飛びまわり、すきあらばぼくを突き刺そうと狙っている。
「ぼくが何をしたっていうんだ」
「しいて言えば、何もしなかった」
 彼女は玄関で煙草に火をつけている。
「主に思いやりなどをね」
「でも、どうすればよかったんだ? 髪の毛が抜けるのだって、汗をかくのだって、ぼくにどうこうできる話じゃない。体が勝手にすることなんだ。ぼくという意識は無関係だ。それなのにぼくが罰を受けなきゃいけないのか」
「じゃなくて」
 少し考え込み、単語を選んで、
「復讐」
「なんの……」
「あなたであり続けられなかったことへの」
 そんなの無茶だ。
 いま、彼女自身が言ったことではないか。有機物は脆い。体は、細胞は、自分自身のコピーを四六時中つくりつづけ、それで過去の自分を置き換え続けることによって、生物というシステムを維持している。そうでなければぼくという人間は死ぬ。なのに、ぼくを生かすために切り捨てられた細胞たちが、そのことをうらんで復讐するというのなら、どのみち誰もしあわせになんてなれはしないじゃないか。
「そうよ」
 ぼくの考えを読み取ったかのように、彼女は答えた。
「そういうこと。悲しいよね。でも、わかる? あなたは息を吐く。大量の二酸化炭素が呼気には含まれている。あなたの体細胞だった炭素の成れの果てよ。それはもちろん植物に吸われ、光合成によって、再び有機物にかわる。考えてもごらんなさい、そのとき、あなたはどこにいるの?」

「あなたがいるのは、あなたが立っているそこ?」
「緑の葉を持つ、みずみずしい植物の懐?」
「でなければ……この星を覆う、遍く大気に?」
 ぼくは答えた。
「少なくとも、此処でないどこかがいい」
 彼女は言った。
「それは、無理なことだよ」

THE END.

2015年08月06日
■ 「ひとつ」

お題:ぐちゃぐちゃの姉妹 必須要素:右の上履き 制限時間:30


ひとつ

 彼女らは、理屈の上では別々の人間であったはずだが、今となってはそれすらあやしいものだ。
 双子として生まれた姉妹は、満足するということを知らなかった。先に生まれた妹と、後から生まれた姉。それがまずお互い気に入らなかった。妹は身体壮健にして活発な性格、運動をさせれば誰にも負けはしない。一方の姉は物静かな情熱家、文才があり詩と戯曲に才能を発揮した。妹が学園の女子たちの憧れの的となれば、姉はひとまわりも年上の男と大人の恋をする。さながら太陽と月。常に対照的な、それぞれに恵まれた人生を歩み続けたふたりは、しかし、自分の持つものに決して満足はしなかったのだ。
 すぐそばに、自分の持ってないものばかりを備えた、双子の姉妹がいたからだ。
 姉は、妹の輝くような魅力をうらやんだ。
 妹は、姉のあふれ出る知性を欲しがった。
 にもかかわらず、相手は、自分と同じ顔、同じからだをしているのだ。あまりにも似すぎているがために、かえってその差が浮き彫りになるようであった。
 時に彼女らは、互いの持ち物をこっそりと盗み、我が物とした。そうすることで、相手のちからを自分のものとできるような気がした。たあいもないおまじない、呪術というにも幼稚なやりようではあったが、その行為が多少なりともふたりの心を慰めたのは間違いない。左に自分の、右に相手の上履きをはき、そのことに自分と姉妹以外だれも気づかない、そんなちょっとした秘密を持つことも、思春期の浅はかな自尊心を満たす役にはたった。
「お姉ちゃんとわたし、混ぜてはんぶんこできればよかったのにね」
 と、妹が彼女らしい無邪気さで言うと、姉は微笑する。
「半分なのよ。あなたが表。わたしが裏」

 あるとき、彼女は目覚めた。
 目覚めた場所はおぼろに白い角ばった部屋の中央で――ちらかった意識を手繰り寄せるように整理していくと、徐々にその場の異様な光景が理解できるようになっていった。青白く輝くライト。彼女を義務的に乗せる頼りないベッド。自分のからだからのびた何十本もの管。突然鳴き始める謎の計測機械、不思議なダークグリーンのグラフ映像……
「目覚めましたね」
 と、声をかけてきたのは医者だった。彼女が視線をやると、マスクとぼうしの隙間から、医者は嬉しそうに目だけで笑ってみせる。
「びょういん……」
「はい。もうだいじょうぶ」
「わたし、死んだの」
「九死に一生でした。つまり生きています。ただ問題もあって」
 医者は一瞬、言葉につまり、
「あなたが誰だか分からない」
 その一言で、彼女の意識は一気に呼び覚まされた。
 そうだ。あの日。姉妹そろってでかけ。ショッピングモールで事故に巻き込まれた。崩落する天井。押し潰されるからだ。姉妹の悲鳴が、お互いを励ましあう声が、耳の奥に今も残る。やがてその声すらか細く潰え……
「顔も同じ。血液型も。DNAだっていっしょだ。これは医療の限界です。あなたをあなたと規定する物質的要件は、残念ながら、我々には観測できかねます。頼りはあなたの記憶……」
「わたしはだれ」
「肉体的には、ふたりともです。かけてしまった臓器を、互いのパーツで補い……」
「わたしはだれ!!」
 答えるものは、もう誰も無い。

 彼女たちは、ひとつとなった。
 それが誰だかは、これから誰かが決めることだ。

THE END.