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2006年03月28日

 ■ モニタと俺

 明日の酉年生まれは……「年長者の意見をきくべし」か。
 俺は産経新聞の夕刊を開きながら、事務所の灯りをともした。さっきから降りしきる雨は、時折雪やあられへと姿を変え、忙しく窓を叩いている。俺はシェルターに隠れ込んだような気分で、満足げに事務所の中を見渡す。
 今日はまだ、朝から誰も来ていないらしい。新聞受けには、朝刊と夕刊がごっちゃになって突っ込まれ、机の上は散らかったまま、パソコンの液晶モニタは真っ黒に沈黙し続けている。
 ふと、俺は重大な事に気付いた。
 ……なんで新聞取り込んでるんだ、俺。
 事務所に来たとき、一番最初にする仕事が、郵便物と新聞を取り込むことだったのだ。それからパソコンの電源を入れて、電話の転送設定を解除して……
 そんなこと、する必要ないのに。俺はもう、ここのスタッフじゃないんだから。
 俺は大きく溜息を吐くと、まるで汚いものを振り払うように、新聞の束をスキャナの上に放った。液晶モニタが、じっと押し黙って俺を見つめている。俺は液晶モニタを睨み返し、心の中でこう呟いた。
 お前の電源なんか入れないぞ。
 少しモニタがしょんぼりしたように見えた。
 雨の中を原付で走ってきて、体はもう冷え切っている。震えながらストーブのスイッチを入れ、俺はデスクの椅子に腰を下ろした。ふと、時計を見上げる。確かに、午後3時。
 なんだよ。28日の3時って約束したじゃないか……
 俺は、仕事を辞めた。俺の勤務は、3月度の終了、すなわち23日までだったのだ。五日ぶりに事務所へ顔をだしたのは、会社から借りていた色々な物品を返却するため。ケータイだとか、原付だとか、マニュアルだとか、教室の鍵だとか。
 最後の勤務を終えた後、上司と約束しておいたのだ。今日、この時間に顔を合わせて返却すると。
 ……まったく。
 椅子の背もたれに背を投げ出して、俺はぼうっと天井を見上げた。敷き詰められた白いタイルが、今ではよそよそしく見える。チカチカと音を立て、看板の灯りが点いた。3時に点くようにタイマーがセットされているのだ。そして、放り投げた朝刊と夕刊。
 誰もいなくても、この事務所は時を刻んでる。
 何となく、大きなコルク貼りの掲示板に目を遣った。見慣れた掲示物やメモ書きの中に、俺の知らない企画書が混じっていた。パソコン教室? そんなことまで? どうなることやらな。
 でもそれも、今となっては他人事。
 俺は身を起こした。
 何しんみりしてるんだ。前へ進むために辞めるって決めたんだろう?
 俺はひょろ長い腕を伸ばして、液晶モニタを撫でてやった。液晶モニタは少し首を曲げて、俺の手のひらに頭を押しつけてきた。可愛い奴だ。セットアップも、LANの構築も、ウィルス対策も、スパイウェア予防策も、全部俺がやってやったんだ。な……
「長い間、お世話になりました」
 ポツリと呟くと、液晶モニタと掲示板とデスクと椅子と新聞の束が、微かに微笑んだような気がした。

投稿者 darkcrow : 2006年03月28日 23:16

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