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2006年03月27日

 ■ スーパー・マーケット

 女の子が生えてきた。
 ……そうとしか言いようがないんだから仕方ないだろう。
 レジで精算を終えて、滑りやすい買い物袋と格闘していたときの事だった。スーパーのガラス窓には、昼下がりの街並みが切り取られている。ごちゃごちゃと並べられた自転車、細いリードを引きずりながら歩くダックスフント、人、人、人、そして子供。なんでもないそんな風景の中に、突如その女の子は生えてきたのだった。
 俺は、豚バラのパックを袋に詰める手を止めて、目を丸くした。
 見たところ、三歳くらいだろうか? 肩の辺りまで伸びたさらさらの髪が、穏やかな風に揺れている。あごの尖った美人顔ではあるものの、幼さゆえに丸っこく見える。そんな女の子が、窓のそばにあったベンチの上に立ち、背もたれに両手をついて、にゅーっと首を伸ばしていたのだった。
 ……亀みたい。
 そう思った瞬間、窓からスーパーの中をのぞき込んでいた女の子と、目が合った。女の子があまりに俺を凝視しているので、俺は、そっと微笑みかけてやった。
 と。女の子が、弾かれたようにしゃがみ込む。その姿は窓の下に隠れてしまった。
 俺は眉間に皺を寄せた。ああ、そうとも。身長183センチの巨体ですよ。子供や動物には、たいてい怖がられる。俺は手早く残りの荷物を袋にまとめ、むすっとした顔で、踵を返した。
 こんな所に一秒だっていてやるもんか、なんて気分にもなっていた。だが、ふと何か気配のようなものを感じて、俺は振り返った。
 にゅー。
 窓の外で、あの女の子が再び首を伸ばし、俺の方を見つめていた。
 そして、にたあ、と笑みを浮かべる。
 どきりとした。
 全身から汗が噴き出すような感覚。よせよ、俺。いつもの調子で俺は自分に言い聞かせた。これじゃまるで、恋してるみたいじゃないか。
 半ば呆然としたまま、俺が立ち尽くしていると……女の子はまたしても、スッと首を引っ込めた。俺はもう、窓から目が離せなくなった。また、あの子が顔を出すんじゃないのか? 俺の方を見つめて、にたあ、と笑うんじゃないのか? 期待が胸の中で膨らんで、俺の心臓はいつになく高鳴っていた。
 そしてみたび。
 女の子が生えてきた。
 思わず笑うってのは、こんな感じなんだろう。俺はもう、頬が緩むのを制御できないままに、右手で軽く手を振ってみた。女の子が、にたあ、と笑って、腕を伸ばした。小さな小さな手のひらの先に、小さな小さな爪が生えていて、それがコツコツと窓ガラスを叩いた。その間も彼女の視線は、すくい上げるように、じっと俺を貫いていた。
 一瞬の静寂。
 突如、彼女はベンチから飛び降りると、奇声を発しながら、はるか彼方へ走り去っていった。ベンチに座っていた母親らしき女性が、慌ててその後を追った。
 行ってしまった。
 だが俺は、残念という気にすらならなかった。彼女の真っ直ぐな視線が、瞼の奥に焼き付いていた。緩んだ頬は、ちょっとやそっとで治りそうもなかった。
 俺は大きく、深呼吸する。
 そして、軽い足取りでスーパーを後にした。

投稿者 darkcrow : 2006年03月27日 23:54

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