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蒼星のワームウッド

※この作品は習作として長編のうちの1シーンを書いたものであり、他の日記小説との関連性はありません※

「あきらめちゃダメ!」
 頭二つ分も背の低い女の子に言われて、椎也は、為す術もなくこくこく頷いた。
 ホールの舞台袖には、張り詰めた気配が広がっていた。観客席のざわめきが、緞帳の内側にまで聞こえてくる。学園祭の演劇は、開演まで間もないのである。舞台袖で出番を待つ出演者たちが緊張してしまうのも、無理はない。
 平々凡々とした青年である椎也には、名も無き兵士Aの役が、妙にハマっていた。小道具の青い鎧がどことなく頼りなくて、実にいい感じを出している。
 ……が。ただ一つ問題なのは、演技を通り越して、正真正銘ほんとーに頼りないことである。
 椎也は、ありやなしやの台詞すら、覚え切れているかどうか不安なのだそうである。それをこの土壇場になって、二つ年上のユン先輩に打ち明けたのだ。
 ユン先輩はお姫様の役だった。真っ白な、レースふりふりのドレスを纏い、手には白いシルクの手袋まではめている。自慢の長い髪は、いつもの野暮ったいお提げではなく、流れるようなストレートにあしらった。小柄で少しぽっちゃりしたユン先輩は、なるほど、明るく快活な田舎のお姫様という雰囲気がよく出ていた。
 要するにヒロインなのである。ユン先輩は。
 本来、人の心配までしていられるような立場でもないのだが、そこはそれ。「息子」の椎也が困っていたら、手をさしのべるのが「母親」であるユンの役目だ。
 というわけで、
「あきらめちゃダメよ、絶対っ」
 軽く背伸びしながら椎也の肩に手を置いて、ユンは力強くそう言った。
「舞台の上で、台詞忘れちゃうことも、あるかもしれないけど……それでも、あきらめちゃダメ。なんとか適当に取り繕って、お芝居を止めないこと!
 ……分かった? 椎也くん」
 再び椎也は、こくこくと言われるままに頷いた。
「はははははははははいっ。がんばりますっ」
「よしえらい! 頑張ったら、後でごほうびあげるね」
「ういっ」
 ぺちん、と椎也は自分の頬を叩いた。気合いを入れて、覚悟を決める。
 丁度その時、タイミング良く、開演のブザーが鳴り響いた……

 劇は進んで序盤の山場。巨大な緑のドラゴンは、小脇に姫様を抱えて、ステージの上を闊歩していた。これから、姫様が悪いドラゴンにさらわれようかというシーンである。
 と、そこへ、威勢のいい声が響き渡った。
「待てー! ドラゴンめ!」
 剣を抜き放ち、颯爽とステージ上に登場したのは、言わずと知れた椎也である。
 ユン先輩扮するお姫様を助けるべく、ドラゴンに立ち向かう身の程知らずの兵士の役。椎也は胸一杯に息を吸い込み、剣の切っ先をドラゴンへと突きつけた。
「姫様を返せ! とりゃー!」
 椎也は腹の底から雄叫びをあげつつ、ドラゴンへとひと思いに斬り掛かった。が、ドラゴンの両目がぎらりと輝く。
 ……ぎらり?
 ユン先輩の脳裏に嫌な予感が走った時にはもう遅い。ドラゴンは重そうな体をものともせずに、軽快なステップで間合いを詰めると、
「必殺! ドラゴン旋風脚ぅ!」
 なぜか回し蹴りを繰り出した。
 まともに蹴りを食らった椎也は、派手に吹き飛ばされて、顔面からステージに落下する。観客から巻き起こる笑いと拍手。しかしステージ上のユンはそれどころではない。抱きかかえられたまま、カカトでドラゴンをけっ飛ばしつつ、激しい剣幕かつ小声で、ドラゴンにまくし立てた。
「ちょっとっ! サンダーバード、何やってんのやりすぎよっ!」
「だーいじょうぶだって。こんなもんで死にゃしねーよ」
 ユンよりさらに一つ上のサンダーバードが、ドラゴンの着ぐるみの中でニヤニヤしていた。
「だいたいホラ、演劇のリアリティってのは本気さから出るもんだ。観客を騙すにはまず役者から、ってな」
「でも動かないわよあの子。まだ台詞あるのに」
「……………」
 サンダーバードは軽く咳払いして、舞台の上で大見得を切った。
「ふはははは! あきらめろ、脆弱な人間どもよ! 姫は頂いていくぞぉー!」
 間髪入れず、不気味なナレーションが鳴り響く。
『かくして、か弱い姫は、邪悪なドラゴンの手に渡ってしまったのだった……』

 そのころ、椎也は朦朧とした意識の中にいた。
 えーと……台詞、なんだったっけ? なんだか全部、頭の中から消えてしまった。まだ言わなきゃいけないことが、あったような気がする。でももういいか。頭がぼうっとしてきたし……なんか、蹴られたし……
 と。
 ブラックアウトしかけた意識の中に、閃光のように、ユンの顔が蘇った。
 ――あきらめちゃダメ!
 あきらめる?
 ――ふはははは! あきらめろ、脆弱な人間どもよ……
 あきらめる?
 脳の中を、思考ルーチンが駆けめぐる。あきらめちゃダメ。ユン先輩に教わったその一言が、他人から与えられた命令が、椎也の最大の行動原理となる。
 最優先命令! あきらめるな!

 ぎんっ!
 椎也の目に光が灯る。
「あきらめないぞ……」
「……へっ?」
 突如立ち上がった椎也に、サンダーバードはぎょっとして、素っ頓狂な声を挙げた。
「僕は絶対に、あきらめないっ!」
「いや、ちょっと待てっ! お前の出番終わっ……おい、何やってんだ?」
 椎也は大道具の舞台背景に手をかけて、
「うおおおおおおおっ!」
 ひと思いにそれを持ち上げた。馬鹿でかい書き割りを頭の上に抱え、椎也はぎらりとドラゴンを、サンダーバードを睨め付ける。ああもうだめだ。サンダーバードは確信した。もうこいつ、相手の見境ついてない。
「そおおおりゃあああああ!」
「ぬおわああああ!?」
「きゃあああああっ!?」
 盛大な埃を巻き上げながら、ドラゴンは姫さまもろとも、書き割りの下敷きとなった。慌てて舞台袖から他の役者たちが飛び出してきて、椎也を取り押さえようとする。だが暴走状態の椎也は、飛びかかってくる連中を片っ端から投げ飛ばしていく。
「あーあ……あのバカ……」
 そのころ、ナレーターの半太郎は、放送席で頭を抱えていた。どーしたもんか、この状況。しばし考えたのち、半太郎はにやりと笑ってマイクのスイッチを入れる。
『ドラゴンに姫様がさらわれる……かと思われたそのとき! 立ちはだかったのは一人の兵士。屈強の男はドラゴンを圧倒し、続いて群がるドラゴンの手下どもを千切っては投げ千切ってはァー投げェー! パンチだキックだ危ないそこだ! 伝家の宝刀黄金の左!』
 書き割りの下からようやく這いだしたユンは、暴走しはじめたナレーションを聞いて、
「ったくもー……よくまああんだけペラペラ口が回るわね」
 はあっ、と大きく溜息を吐く。
 周りに動くものがいなくなったころ、ようやく椎也の暴走は収まった。嵐のような拍手を浴びて、椎也は目を瞬かせている。不安げに辺りをきょろきょろ見回して、埃だらけのユンを見つけると、犬のように駆けよってくる。
「先輩っ! 僕、あきらめませんでした! ほめて」
「うんうん、偉いねー椎也くん……」
 と、椎也の頭を撫でるユンの表情が、みるみる鬼の形相へと変わっていく。
「……って、んなわけあるかーっ!! 劇をめちゃくちゃにしてぇー!!」
「わー」
 思いっきりぶん投げられた椎也の体は、綺麗な放物線を描きながら、騒然とする観客席へ埋もれていったのだった……

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