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戦闘練習

※この作品は習作として長編のうちの1シーンを書いたものであり、他の日記小説との関連性はありません※

「椎也……くん……」
 消えていく。
 あまりにも弱々しい、ユン先輩の声。椎也は生まれて初めて、自分の皮膚で体感した。死ぬということ。消えるということ。存在そのものがなくなってしまうということ。身震いが椎也を襲った。恐れが椎也を震わせた。消える。死んでしまう。二度と会えなくなる。本当に、もう二度と、どんなに会いたいと思っても、二度と会うことはできなくなる。
 ユン先輩に。
「椎也くん……逃げて……」
 最後の力を振り絞るかのように、そう呟いて――ユンは、動かなくなった。
「次は、あなたの番でございますわよ。六間椎也どの」
 靴音。奴の声が近づいてくる。
 縦ロールの髪の中に、獰猛に輝く獣の目を潜ませた女。ベラドンナ。挑発的な唇や、子供の頭ほどもある豊満な胸を、魅力的だと思ったこともあった。でも、今は……
 椎也は、そっとユンを床に寝かせて、音もなく立ち上がる。伏したその目が、弾かれたように起きあがり、ベラドンナを真正面から射抜く。
 ……敵だ!!
「素敵でしてよ」
 にぃ、とベラドンナは壮絶な笑みを浮かべる。
「そういう男の目、嫌いじゃありませんわ」
 空を流れる雲のように、二人はしばし睨み合い……
 どこかで小石が、崩れた。
 瞬間二人は地を蹴り、ドックに停泊した船の上を縦横無尽に飛び回った。人間には、姿を追うことすら難しいスピード。だがそれは、飽くまでもアウトマットとして最低限の、基礎身体能力に過ぎない。純粋戦闘型のベラドンナなら、これに数倍するスピードだって出せるはず。
(一瞬の不意をつく他に勝ち目はない!)
 そう悟った椎也は、ベラドンナが飛びかかりながら放った様子見の拳を、辛うじて交わして飛び退った。距離を取り、左腕のワームウッドを彼女に向けて構える。
「吐き出すだけならできるんだ!」
(何が入ってるか分からないけどっ!)
 心の中で付け足しながら、椎也はワームウッドの中身をぶちまけた。黒々とした時空間ゲートから飛び出した物体が、一直線にベラドンナを襲う。ベラドンナは慌てることもなく、それをひょいと避ける……が、ふと気付いて、飛んできた物体を軽々とつまみ取った。
「なんですの、これ。……取り説?」
「あれ?」
 ワームウッドの中から飛び出したのは、どう見ても紙切れ一枚。ワームウッドの取り扱い説明書である。
 ……………。
 二人の間に気まずい沈黙が流れた。
「あ、そっかー」
 やおら、椎也はぽんと手を打った。
「そういえば、学園に来るとき、先生が言ってた! なくさないように、説明書を亜空間に入れといたんだ。いやあ、すっかり忘れてました」
「あー、引っ越しの時によくやりますわね、それ。
 冷蔵庫の中に入れたりとかー、電源コードを纏めてガムテープで貼り付けといたりとかー」
「ですよねーっ。いやあ、はっはっは」
 ……………。
「って和やかに談笑してる場合かぁー!」
「そ、そうですよねー!」
 怒りの形相貼り付けて、ベラドンナが椎也に迫る。椎也は慌てて踵を返し、一目散に逃げ出した。どうしよう! 椎也の思考がぐるぐる回る。頼みの綱のワームウッドの中には、取り説一枚しか入っていなかった。かといって、「吸い込む」使い方はまだできない。せっかくの正式装備も、手が暑苦しいだけ迷惑である。
(えーい、いつまでも逃げ回っても仕方ない!)
 椎也は覚悟を決めて足を止めた。船の貨物コンテナに背中を預けた形になる。これなら、少なくともベラドンナに後ろを取られることはない。
 と思った次の瞬間には、もうベラドンナは鼻が触れあうほどに肉薄していた。椎也は慌てて右のパンチを繰り出す。だが、所詮は非戦闘型が間に合わせで繰り出した攻撃である。ベラドンナは薄笑いを浮かべて身をかわし、お返しとばかりに裏拳を椎也の頬に叩き込んだ。
「うぺっ!」
 情けない声を挙げて吹き飛ぶ椎也。為す術もなく倒れ伏す彼に、ベラドンナは飛び上がりながら、追い打ちの拳を振り下ろした。
(やばっ!)
 背筋にぞくりとするものを感じて、椎也は地面を転がった。ベラドンナのパンチは、椎也の頭をかすめて船の甲板を叩き、そのままそれをぶち抜いた。
(……って、ぶち抜いた!?)
 冗談ではない。鋼鉄製の船である。甲板を多う鉄板が、厚さ何ミリあると思っているのだ。あんなものを頭に喰らっていたら、今ごろ……。椎也は青ざめ、ガサガサとゴキブリのように這って、ベラドンナから距離を取る。
 ベラドンナは椎也の様子を見下しながら、大きな胸の下で腕を組み、自分の胸を挟んで持ち上げながら、静かに言った。
「ふふん。ま、非戦闘用にしては、まともに動ける方……ってところですかしら?」
「あ、どうも。褒められちゃった!」
 椎也はコロっと表情を変えて、心底嬉しそうに照れ笑いを浮かべる。さっきまでの青ざめた顔はどこへ行ったんだ。
(な……なんか、ペース崩れる子ねー……)
 予想外の反応を喰らって、ベラドンナはポリポリ後ろ頭を掻く。が、戸惑いは所詮一瞬のもの。次の瞬間には余裕の笑みを浮かべ、
「でも!」
 ベラドンナの姿が掻き消えた。
「えっ!?」
 かと思うと、その姿が椎也の背後に現れる。椎也の顔から照れ笑いが消えた。かわりに浮かぶ絶望の表情。これが純粋戦闘型のスピード。腐ってもアウトマットたる椎也に、動いた事すら気付かせないほどの。
「遅いのでございますわ!」
 背後から繰り出される拳の強打。椎也は慌てて身を捻ろうとするが、間に合わない。
 その背に、鉛のように重い一撃が、まともに食い込んだ。

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