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ちょっとお茶しに金星まで!

※この作品は習作として長編のうちの1シーンを書いたものであり、他の日記小説との関連性はありません※
※ロボットの通称を、「アウトマット」から「オートマトン」に変更しました。


「えええええええええええええっ!?」
 いきなり椎也は絶叫した。
 学園の寮には、クラスタ室と呼ばれる部屋が無数に存在する。クラスタとは、各学年から一人ずつを集めて作った縦割りグループのことで、そのクラスタごとに一つずつ、狭いながらも部屋があてがわれているわけだ。
 4階の一番西南のクラスタ室で、ユンは、てきぱきと手荷物なんぞ纏めていた。彼女の背の後ろには、硬直して立ち尽くす椎也くんの姿。いやまったく、彼の反応は、絶叫の長さ1ミリ秒、周波数1ヘルツの誤差もなく、予想通りだった。
 こう来るだろうと思っていたのだ。こういうことを頼めば。
「う……運転……ですか」
「そ、車の運転。ポートの事務局に行かなきゃいけない用事があるの。サンダーバード先輩は先に行って待ってんだから」
「いや、その……僕、運転はチョット……」
 椎也は思わず顔を引きつらせた。
 実を言うと、椎也は車の運転をしたことがない。もちろんそこはオートマトンのことである。電脳の中に、車の運転プログラムくらいは標準搭載されている。ついでにいえば、運転免許だって持っている。建前上、A級オートマトンなら、車の運転くらいできて当たり前というわけだ。
 が、しかし。実というと、椎也は教習所なんかに通ったことは、一度もない。それどころか、実際に自動車を運転した経験すら、ほとんどないのである。運転免許を持っているのは飽くまでも「運転プログラム」であって、椎也自身ではないのだ。
 つまり。
 ペーパードライバーなのである。A級オートマトンというものは。
 運転プログラムが搭載されていれば運転できるというものではない。プログラム通りに体を動かすには、それなりの慣れが必要。ユンが敢えて椎也に運転させようとしているのも、経験を積ませるためというわけだ。
 それは薄々察してはいたが、かといって椎也の恐がりが治るわけでもない。椎也はパタパタと意味もなく手を振りながら、早口にまくしたてた。
「なんと言いますか、車に乗ると周りがよく見えなくなって嫌と言いますか、体が急に大きくなった気がして位置が掴めないと申しますか、ええつまり、僕は運転には向いていないんじゃないかと思う次第でございまして」
「もうっ! なーにビビってんのよ!」
 ユンは荷物いっぱいのハンドバッグを抱えて立ち上がり、ずずい、と椎也に詰め寄った。指先でチョンと胸を突いてやるだけで、椎也はタジタジと後ずさっていく。
「いい? 社会に出たら運転くらいできなきゃダメなの。だーいーたーいー、女の子だったら、デートの時は助手席にのせてもらってー、あっちこっち連れ回されたぁーいっ! ……て思うでしょーが?」
「デートの時はバスか電車を使うことにしましょう! オウ、ナーイス・アイディーア。ね? ね?」
「やーよ。車じゃなきゃデートしてあげない」
「そこをなんとか!」
 とうとう合掌して拝み始めた椎也に、ユンは眉毛をぴくぴく震わせる。
 ユンは両手を腰にあて、胸一杯に息を吸い込むと、甲高い声でぴしゃりと言い放った。
「つべこべ言わずにやんなさいっ!」
「は、はいいっ!」
 反射的に背筋を伸ばしてしまうのが、椎也の悲しさである。

 さて、寮の駐車場である。
 寮の駐車場には、立派な自動車が何台も用意されている。それはもちろん、広い学園島を移動するための物であり、そして同時に、生徒たちが運転の練習をするための物、というわけである。
 並んだ白い軽自動車の一つに、椎也とユンの姿があった。運転席の椎也は、シートベルトをガチガチに絞め、体中の機械筋肉を強ばらせていた。唇をきゅっと結んで、一直線に前を睨むその姿からは、あたりの空気まで固まってしまいそうなほどの緊張が迸っている。
(……早まったかな)
 助手席でシートベルトを締めながら、ユンはそこはかとない不安に駆られた。まあ、言い出したのは自分だし、実際問題練習させなきゃ椎也のためにならないし、ここは覚悟を決めて教官役をやるしかないだろう。そう、半ば自分に言い聞かせるように覚悟を決める。
「ほら、椎也くん。固まってないで、NLCNLC」
「あ、は、はいっ」
 実にぎこちない動きで、椎也は自動車のコンソールからケーブルを引っ張り出すと、自分の手首のコネクタに接続した。ニューロ・リンク・コネクタ、略してNLCといって、オートマトンと各種機械を接続し、電脳で直接制御するためのものである。これがあれば、ハンドルやペダルの操作は必要なくなる。それより遥かに正確かつ迅速な制御ができる、便利な機能だ。
 もちろん世の中の全ての自動車がNLCを装備しているわけではないから、いずれはハンドルを使った運転も練習せねばならないだろう。ともかく今は、運転そのものの感覚を掴むことが先決だ。
 椎也はNLCから流れ込んでくる情報、コマンド要求の波に身を浸し、大きく深呼吸した。電脳の中で、運転プログラムを呼び出し、その中身を一度おさらいする。大丈夫。運転のやり方は全部知っているじゃないか。落ち着いてやれば大丈夫!
「じゃあ……先輩、僕、行きます」
「うん、頑張れ!」
「ういっ」
 元気よく椎也は返事して、
 ごがだんっ!
 次の瞬間、車がエンストした。
 ブスブス言っている車の中で、エンストの衝撃でシートベルトに締め付けられたユンは、苦しそうに首を回した。隣の席では、車から流れ込んできたエラーコードの嵐にやられたか、椎也が目を回して、座席からずり落ちそうになっている。
「は、はうああー?」
「あ、あのね、椎也くん……」
「はい……なんでしょう先輩……」
「アクセルはサイドブレーキ外してから踏めーっ!!」
「うひー! ごめんなさーい!!」

 椎也は想像を絶するくらいへたっぴだった。
 止まろうとすれば交差点の真ん中まで飛び出す。直線路では怖がってスピードを落とすくせに、曲がるときはスピードを殺し切れずに横転しかける。信号に気を取られて前の車に追突しかける。後ろから追い抜こうとしてくる車に気付かず車線変更する。ウィンカー出そうとしてピューッと窓の洗剤を噴射する。極めつけがアクセルとブレーキを間違える!
(……どーなっとんのじゃ、一体っ!)
 ユンが訝しがるのも無理はない。だいたい、NLCを通して電脳で制御しているというのに、アクセルとブレーキを間違えるなんてアナログなミス、一体どうやってやらかすんだ。
 ともかく万事が万事この調子なので、目的地のポート事務局にたどり着いたときには、ユンの方が疲れ果ててグロッキー状態になってしまっていたのだった。
 と、ポート事務局の前で待っていたサンダーバードが、ひょいと助手席の窓から覗き込んできた。
「あ、先輩。こんにちは!」
「よっ。なんだ、椎也が運転してきたのか? ……おいユン、どったの」
「い……生きた心地がしない……」
 サンダーバードは、運転席でガチガチに緊張している椎也を見て、苦笑いしながら肩をすくめた。
「ま、誰でも最初はそんなもんだ。よお、椎也?」
「はい?」
「俺とユンは、ちょっと用事で時間かかるからよ。お前、ひとっ走り、職員村までレポート届けてきてくれよ」
「はあ、レポートですか?」
 首を傾げる椎也に、サンダーバードは懐から取り出したくちゃくちゃの封筒を手渡した。青ざめたユンの前を封筒が横切る。
「そのレポート、提出昨日までだったんだけどな。うっかり出し忘れちまってたのさ」
「ああ、なるほど。昨日夜遅くまで頑張ってたのはこれですね」
「ま、そゆこと。頼むわ、自分じゃ持って行きにくくってな」
「はい、分かりました」
「んじゃユン、俺らは行こうぜ」
「うー……? えー……?」
 半ば引きずり出されるようにして、ユンは車を降りた。と、外の風を浴びて意識がはっきりしたのか、突然ユンは、がばっと助手席ドアにへばりついた。
「ちょ、ちょっと椎也くんっ!」
「はい?」
「一人で運転……大丈夫?」
「ええ、多分」
 多分かよ。と思わないでもないが、ユンは恐る恐る、ドアから体を離した。果てしなく不安である。椎也一人に運転させるのは。だが、いずれは一人で運転できるようにならねばならないのだ。
「いい、椎也くん? 落ち着いてやるのよ? アクセル、ブレーキはゆっくり。前より後ろをこまめに確認。ね? 体の力抜いてね? ハンカチ持った? ティッシュは? 予備電池は?」
「大丈夫、全部揃ってます。じゃ、ちょっと行ってきまーす」
 まだ顔を曇らせたままのユンを残して、椎也の車は行ってしまった。その姿が建物の影に見えなくなるまで、ユンはじっと車の後ろ姿を見つめていた。彼女の隣では、サンダーバードがにやにや笑っている。
「な、ユン先輩」
「なに?」
「そぉーんなに心配だったら、隣に乗ってってあげたら?」
 むむっ。
 ユンは困ったような表情をして、ぷい、と顔を背けた。
「……別に、心配じゃないもん。椎也くんなら大丈夫よ」
「素直なこって!」

 職員村への道を辿りながら、椎也は妙に落ち着いた気分で、車を運転していた。
 何故だろう。さっきまではあれほど緊張していたのに、一人になってじっくり運転に取り組むと、案外難しくない。一つ一つ手順を踏んでいけばいいのだ。もし一つ二つミスしたとしても、後から十分フォローができる。
(なあんだ。怖がることなかったじゃないか)
 とにかく椎也は、少しずつ運転を楽しむようになり始めていた。アクセルをかけた瞬間、体を後ろに引っ張る加速度。飴のように溶けて流れていく景色。燦々と降り注ぐ太陽だけが窓硝子から差し込み、冷たそうな外の風は、ここまでは届かない。まるで車の中は自分の城。小さな、移動式シェルター。奇妙な快感が椎也を染める。
 南国小笠原の人工島の上、椎也は一陣の風となって駆け抜けた。

「おっそいなぁ……」
 用事も全部つつがなく終了し、ポート事務局の前で、二人は椎也の車を待ち続けていた。サンダーバードは電柱に寄りかかって大あくびを垂れ、ユンはちょこんとしゃがみ込み、膝に頬杖ついている。
「何やってんだろ、椎也くん? 職員村まで往復するだけなら、15分もかからないはずなのに……」
「さーてね。こりゃ、作戦がハマったかな?」
 変なことを言い出すサンダーバードの顔を、ユンは不思議そうに見上げる。
「作戦って?」
「お前さんを助手席から降ろすことさ。隣でやいのやいの言われてたんじゃ、肩に力だって入るだろ」
「むー……」
 ユンはぶうたれた。サンダーバードは、いつものにやにや笑いのまま、
「ま、そうむくれんなよ。アイツを運転席に座らせたまでは、お前のお手柄だ。椎也のやつも、ドライブを楽しんで、そろそろ……ほら」
 と、サンダーバードが指さす先に、椎也の運転する白い軽自動車の姿があった。

 帰り道も椎也の運転。椎也は、驚くほど上達していた。僅か十分二十分程度の練習で、である。
 落ち着いているし、怖がってもいない。冷静に周りを見て、的確に判断している。ユンは助手席にちょこんと座り、なんだか少し頼もしくなった椎也の横顔を、にやつきながら見つめた。時々椎也が、サイドミラーを見ようとこちらに目を向け、慌ててユンは視線を逸らす。
「……ね、椎也くん」
「はい?」
「上手になったね!」
「そうですか? 良かったあ」
「これなら、今度デートしたげても、いいかな?」
 びくっ。
 椎也は顔を真っ赤にして震え上がった。体中を軋ませながらユンの方を振り向くと、ほとんどしがみつくようにして、その手を握りしめる。
「ほ、ほほほほんとですかっ!?」
「う、うん、ホントホント」
「ぼっ!? ぼくぼくぼくぼくぼぼぼぼぼ!?」
「て、おい!? 椎也、前見ろ前っ!」
 後部座席から身を乗り出して、サンダーバードが二人の絆を叩っ切った。なんて言っている場合ではない。椎也は弾かれたように前を向き、目の前に電信柱が
 電信柱?

 ごしゃあん。

 見事に潰れた車の中から、三人はやっとの思いで這いだした。車は大破。三人そろって、服も髪も砂埃と煤だらけ。オートマトンでなかったら、100%間違いなく死んでいた所である。
「はうあ~……」
 完全に目を回し、ぱたりと倒れ伏す椎也。その上に覆い被さるように倒れたユンは、気を失う寸前に、やっと一言、叫びを残した。
「前言撤回っ! 明日も特訓よーっ!」
(……前途多難だねえ、いろいろ)
 一人空を見上げるサンダーバードの視線の先で、今日も太陽はまぶしく輝いていた。

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