「死」
※この作品は習作として長編のうちの1シーンを書いたものであり、他の日記小説との関連性はありません※
「痛み」らしい入力はなかった。
椎也はただ、体内で反響する振動に体の自由を奪われ、驚愕で曇った視線を左腕に向けた。切り落とされている。頼みの綱のワームウッドが、腕ごと、二の腕のあたりから、ばっさりと。
反射プログラムが回路の切断と左腕パージをコマンドするのを感じながら、椎也は視線を敵に向ける。為す術もなく地面へ向かって落下する自分を、風のように追ってくる黒い影。漆黒の翼を広げ、まるで本物の鴉のように鋭い目をしたそいつは、
「……クロウ!」
椎也の叫びに、クロウは笑いながら、ブレードを振り下ろした。この体勢で、武器(ワームウッド)を失って、クロウの一撃を避ける術はない。だが、それでもあきらめるわけにはいかない!
椎也は全身のギアを唸らせ、残る右腕に渾身の力を込めた。
この拳だけでも叩き込む!
が、しかし。
「っはははははははは!!」
ぞんっ!
五体が引き裂かれるかのような衝撃が走る。
次の瞬間、椎也の右腕は両断され、切断面から汚れたマシン・オイルが飛び散った。
「っか……!」
本当に?
ぬらりと輝く刃が、再び椎也の上に振り上げられ、
「余計なもの(スクラップ)は――」
クロウの、声。
「要らないのでね!」
本当に、僕は死ぬの?
刃が、椎也の首目がけて
瞬時に事態を把握したユンは、闇御津羽のエネルギーを、一気に最大まで引き上げる。スピードが命だ。エネルギーがどうとか、傍受されるとか、そんなことを気にして居られない。極限まで周波数を高めた超高密度の情報波を、はるか空中の椎也目がけて投げかける。
一瞬でユンの電脳は、圧縮された電子的時間空間に飛び込んだ。ミリ秒単位で進行していく世界の中で、ユンは椎也に呼びかける。
『椎也くんっ! 応えて、椎也くん!』
『ユン……先……輩……?』
『いい? クロウには好きにやらせるのよ! それより、いますぐ侵入防壁(ファイヤーウォール)を解除してっ!』
椎也の思考が、3ミリ秒だけ停止した。
『えっ……』
『私がリードしてあげる……さあ、私の体内(なか)に入って。来て、椎也くんっ!』
『はい……先輩!』
椎也は恐る恐る手を伸ばし――
ユンの核(コア)に、触れた。
振り下ろされた。
美しい放物線を描き、椎也の頭部は宙を舞い、落ちる。
「はははははは……あーっははははは! ついに!」
後には、両足くらいしか付属物のなくなった、椎也のボディだけが残された。クロウは狂ったように笑いながら、両手でそれを、優しく抱き留める。
「ついに手に入れたぞ、オリジナル・オートマトン……」
その手つきは愛おしい物を愛撫するかのように柔らかで、求め続けた宝をついに手にしたかのように、力強い。
「ディー・ディラック・ザ・ダーク!! ふはははははは撤退だーっ!」
その一声を聞いて、ラッカーのオートマトンたちが、一斉に踵を返した。波のように鮮やかに引いていく敵の背を見送り、満身創痍のサンダーバードは、ゆっくりと地上に降り立った。足が震えている。腕からは断線したコードが、骨のようにはみ出している。だからどうした? 壊れたからなんだ? こんなものは直せば直る、だが椎也は!
「ちっくしょおっ!」
渾身の力を込めて地面に投げつけたスタンロッドが、コンクリートの上を跳ね回り、甲高い悲鳴を挙げた。
「説明してくれよ……これは一体なんなんだ?」
サンダーバードは膝を抱え、ベッドの上に丸まっていた。だがその鋭い目は、相変わらず六間博士の白髪頭を射抜いている。六間博士はその刺すような目を意にも介さず、淡々と作業を進めていく。
裸にしたユンのボディに、何本ものNLCケーブルを差し込んでいく。
「一つになったんじゃ。椎也と……この子はな」
「一つ?」
「椎也が機能停止する直前、この子は闇御津羽で椎也の電脳にアクセス、その基幹プログラムを自分の中にダウンロードした」
「なっ!?」
サンダーバードは自分の故障も忘れ、弾かれたように起きあがった。途端に、さっき仮止めしたばかりの肩関節が外れ、バランスを崩したサンダーバードは、そのまま床へ転げ落ちる。
だがそんなことは気にならなかった。腕が外れようと、動けないわけではない。うつぶせのまま、首と背中の力だけで、六間博士の顔を見上げた。
「じゃあ助かるのか!? いや……どういうことだ?」
「危険ってこった!
全く、無茶をするわい、いまのユンの状態は、区分け(パーティション)されていないHDD(ハードディスク)に、無理矢理二種類のOSをインストールしたようなもんじゃ。この子の基幹プログラムと、椎也の基幹プログラムが、互いのライブラリを自分流に更新し続けておる。このままじゃ、どちらも身動き一つ取れなくなるまで、基幹プログラムを食い潰しあって終わる」
「つまり、あんたのやってるのは……」
ようやくサンダーバードは、無数のNLCケーブルの用途に思い当たった。ケーブルを繋ぎ終わった博士は、研究室の一番奥の巨大な金庫を開き、中から青く色づいた何かを引きずり出していく。
「ユンの中から、椎也だけを取りだそうってことか」
「そして、それをこいつに流し込む!」
どずっ。
博士が、引きずり出したそれをベッドに寝かせると、重々しい音が響き渡った。
人型をした、人でないもの。
オートマットのボディ。
しかも、とサンダーバードは目を見張った。床からではベッドの上の様子は見えないが、博士が運ぶときにちらりと見えたその顔は、椎也とうり二つだったのだ。
「……ボディの予備か?」
「そういうことじゃ……さあて! 始めるとしようかの!」
目の前に、真っ白な格子模様の天井があった。
ユンは、まだぼやけた意識の中で、周囲の様子を探ろうとした。まだ、首も動かない。目の焦点すら、うまく合わせられない。ただ、全身の触覚センサーが感じている情報や、耳から入ってくる音などから、ここが研究室の中だと、辛うじて悟るに至った。
「あ……」
声もまだ、上手く出せない。
が、次の瞬間、ユンの意識は、氷水の中にぶち込まれたかのように、一気に鮮明化した。
「椎也くんっ!?」
そう。
にゅっ、と、視界の横から椎也の顔が生えてきたのだ。
ようやくユンは、自分が置かれている状況を正確に把握した。研究室の寝台に寝かされた自分を、上から椎也が覗き込んでいるのだ。
「はい、椎也です、先輩」
椎也は微笑みながら、すっとぼけた返事をする。
ユンの顔がくしゃくしゃに緩んだ。泣けるものなら泣きたいところだった。椎也が生きている。なら、ユンのしたことは無駄ではなかった。自分の身の危険は承知で、無理矢理椎也をダウンロードした、その甲斐があったのだ。
「椎也くん……無事だったんだね、よかった……」
「はい。博士が、先輩から取り出した僕を、予備のボディに移植してくれたんです」
「うん……うんっ!」
椎也が、その力強い腕で、ユンの体を抱き起こしてくれた。ユンは全体重を椎也の腕に預けて、不思議な快感を味わっていた。自分では起きることもできなくなってしまった。でも、その体を彼に預けることが、こんなにも心地よい。
「……あ、そうだ。飛び出さないうちに釘刺しとくけど」
「はい?」
「ザ・ダークのことは、仕方がないわ。一人で勝手にクロウの所へ行ったりしちゃ、だめよ?」
「はい、分かってます。勝ち目のない戦いは、しても仕方がないですから」
――え?
違和感があった。初めはそれがなんなのか、ユン自身にも分からなかった。突然表情を曇らせたユンを見て、椎也は困ったような顔をする。いつもの椎也くんだ。でも、何かが違う。ユンの中で違和感が膨らんでいく。
「よおっ! ユン、目が覚めたか!」
研究室に入ってきたサンダーバードが、歓喜の声を挙げながら、ユンに飛びついてきた。だがユンは上の空で愛想笑いだけして、サンダーバードと他愛もない話に興じる、椎也の横顔を見上げた。
違う。
これは、椎也くんじゃない。
理由すら定かではないのに、確信だけが、ユンの胸の奥にこびりついた。