2006年04月29日
夜の草原に、微かな赤い炎が燃え上がっていた。
三人は、焚き火を囲んで寝転がっている。マントを草の上に敷き、毛布にくるまって寝ている所を見ると、ずいぶん旅慣れた旅人のようだった。マントを敷き布団代わりに使うというのは荷物を減らす工夫だし、寝心地の良い寝袋やテントではなく敢えて毛布を使うのは、不意の襲撃に対応するため。薪に使っている松の木の皮は、松ヤニのおかげで、長く火が保つ。
旅人の一人は、若い……というか、まだ半分少年のような男。もう一人は、精悍な顔立ちの――女だ。そして最後の一人は、最も異様な姿だった。全身をすっぽりと灰色のフードで覆い、手には手袋を、口元にはマスクをして、厳重に肌を隠しているのだ。
その三人が、焚き火を囲み、何やらヒソヒソと話し合っているのである。
「これは……もう、五年も前のことになるんだが」
フードで体を隠した、男とも女とも知れない者――ドドが、頬杖を突きながら、奇妙にくぐもった声で言った。ドドは魔物である。醜い魔物の姿を隠すために、こんな格好をしているのだ。だから声も人間離れした響きではあったが……かなり気分が高揚していることは、声色で明らかだった。
少年、ソールは、毛布の中でぎゅっと体を縮め、目をぎらぎらさせて耳を傾ける。
一方の女、デクスタは、興味なさそうに寝転がっている。
魔王と倒すため、一緒に旅をしている三人の戦士たち。
その戦士たちが、今。
恋愛の思い出話に花を咲かせているのだった。
五年ほど前……私の住んでいた街に、サーカス団の巡業がやってきたんだ。
(へー。魔物の世界にもサーカスってあるんだ?)
まあな……とにかく、サーカスの子供が、巡業の間だけ、街の寺子屋に通っていたんだ。当時は私も寺子屋で勉強していて、その子を案内してやったんだ。
その子は、勉強は全然できなかったが、私の知らない外の世界のことを、驚くほどよく知っていた。私はそれに憧れたのかもしれない……
半月ほどの間に、私はすっかり、その子と仲良くなった。なんていうか……分かるだろ?
(先生、分かりません!)
……お前なあ。
うん、その……ほら、寺子屋から家に帰るときに、手を……繋いで帰ったり……した。
(うわーーーーーーー!)
うるさーいっ! 茶化すなら、もう話さないぞ!
(ごめんなさい。その子、好きだったんだ?)
……ああ。本当に、好きだったな。一緒に帰るとき、わざとゆっくり歩いたりしていた。分かれ道にさしかかると、決まってそこで長話して……
……はあ。
(どしたの?)
いや……
あの時の帰り道、もっと長かったらよかったのにな……
「うひゃーーーーーーーーー!」
ソールは絶叫しながらのたうち回った。顔色こそ見えないが、ドドは恥ずかしさの余り、頭まで毛布を被って隠れてしまった。
「私の話は終わりだ!」
「えーっ? せめて最後どうなったか教えてよ」
ソールが、毛布の上からドドを突っつきながら言う。ドドは毛布の中から、ようやくモゴモゴ声を挙げた。
「……サーカスだからな。一ヶ月ほどで、次の巡業地に行ってしまった」
「そっか。仕方がないけど、辛いね……」
「ああ……辛かった。だが、一夏の恋とはそういうものだ……」
毛布にくるまったドドの背を、ソールはポンと叩いてやった。
その途端、ドドがひょっこり顔を出し、
「で、ソール、お前は?」
「う、うん。えーと……僕のは、そんな昔じゃないんだ。去年だったかなあ……」
魔法学園だと、演習で森に行くことがけっこうあるんだ。その日も森で演習があって、それが終わって学園に帰ってきたら……鞄の中に手紙が入ってた。
(おっ……それは……あれか?)
う、うん……女の子の字でさ! 好きです、どこそこで待ってます、って!
(おお! どうしたんだ? その場所に行ってみたのか?)
行ったよ! 飛んでった。だってもー、僕、ら、ラブレターとか貰うの、生まれて初めてだったんだもん……嬉しくってもう、舞い上がっちゃってさ。それで待ち合わせの場所に行って、ずーっと待ってたんだけど……
誰も来ないんだよ。
日が暮れるまでは待ってたんだけど……
(日が暮れるまでって……)
半日くらいかなあ?
(そういうところは、根性あるんだな……それで?)
結局、誰も現れなくて。それから何日かして、分かったんだけど……いたずらだったんだ、その手紙。同級生が、僕をからかおうとして……
「ふ……ふびんな奴……」
ドドは、心の底から哀れみの表情を浮かべ、ソールを慰めてやった。が、慰められれば慰められるほど、ソールが落ち込んでいくように見えるのは気のせいだろうか。かえって傷口を抉ってしまったかもしれない。悪いことをした。
「ううっ……」
がっくりとうなだれるソールの背を撫でながら、ドドが赤い目をデクスタに向けた。
「さて、最後はデクスタか?」
「うっ!?」
デクスタは思わず毛布を跳ね上げて、ずるずると這うように後ずさった。そのリアクションを見て、ドドはとっさに悟った。こいつ、自分だけ話さないで誤魔化す気だ。
「さあデクスタ。話して貰おうか?」
「好きな人とかいたの?」
ずずいっ、と二人がデクスタに迫る。デクスタはたじろいで後ろに下がるが、その分二人は間合いを詰める。逃げてもどうにもならないと悟ると、デクスタは耳まで真っ赤にしながら、ぱたぱた手を振り回した。
「バカ、あたしは別に……ガキの頃から剣の道一筋でさ?」
「嘘つけ。」
「嘘じゃ……!」
と言いかけたデクスタを見つめながら、ドドは隣のソールの耳元で、何事か囁いた。
「なあ、ソール。思わないか?」
「なに?」
「こういう時、自分だけ恥ずかしがって喋らない奴がいると……冷めるよな」
「冷める冷める」
ドドの言葉にこくこく頷くソール。デクスタは二人分の責めるような視線に苛まれ、しばらくは汗だくで耐えていたが、とうとう折れた。というよりも、恥ずかしいのが半分、聞いて欲しいのが半分だったのだ、元々。
「分かったわよっ! 言えばいーんでしょうが、言えばっ」
かくして。
夜空の下、デクスタの壮絶なのろけ話が始まった――
デクスタは、なぜか三人の中で最も長くしゃべり続け、他の二人を心底ウンザリさせたのだった。
投稿者 darkcrow : 2006年04月29日 03:10
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