バンクロバー 1
業務終了間際の銀行に彼が入ってきた時も、それを不審がる者はいなかった。
3時が近くなると、銀行は突然慌ただしくなる。ただでさえ、駆け込みで金を降ろそうとする人が多いのに、その日はちょうど五十日の前日で、今日の家に振り込んでおかねばならない用事を抱えた人が、大挙押しかけ、列を作っていた。
彼は、銀行の中をざっと見渡すと、青々と威勢良く葉を伸ばす鉢植えのそばに立ち、窓口が空くのを待った。中肉中背の目立たない風貌が、彼を風景の中に溶け込ませてくれる。地味な色のジャンパーに、暗いブルーのジーンズ、ラインの入ったスニーカー。どこにでもある服装だ。誰も彼に注目しない。
もし誰かが彼に注意を払っていれば、首筋の辺りに、奇妙なナンバリングが印字されているのに気付いたかもしれないが。
じっと、彼は窓口の受付係を見つめた。受付係は、見た目だけ人間そっくりに造られた、B級オートマトン――意志を持たないただのロボット――だった。ATMでも十分に柔軟な対応ができる今、窓口にオートマトンを置くのは、無駄以外の何物でもない。しかし今は、あらゆる機械に人間らしい姿をさせ、「人間に優しい社会」を造るというのが流行する時代なのだ。
と。
彼の目の前の窓口が、ついに空になった。
彼が素早く窓口に寄ると、受付係の女性型オートマトンは、可愛らしい笑みを浮かべた。元気のいい声が、銀行の中に響き渡る。
「いらっしゃいませ! ご用件をうかがいます」
彼は受付係のほうへ顔を寄せ、小声で呟いた。人間には聞き取れず、そして発することもできないほどの、小声で。
「……緊急の用件があります。支店長を呼んでください」
「申し訳ございません、支店長はただいま――」
「人間の生命に関わることなんです。早く」
「かしこまりました、少々お待ちください」
表情一つ動かさず、受付係は手のひら返しをした。これが、B級オートマトンの悲しさだ。人間の生命に関わると言われれば、オートマトンはできるかぎり対応せざるを得ない。かといって、主人――この場合は銀行の支店長――の命令を無視するわけにもいかない。
おそらく今、彼女は判断に詰まって、無線で主人にお伺いを立てているのだろう。だがそこに葛藤や感情はない。ただ機械的に、これこれの条件が揃った場合は人間の指示を仰げ、とプログラムされているだけなのだ。だから当然、人間の命に関わると言われても、眉一つ動かすこともない。
じりじりとして待つ彼の元に、支店長らしい人間が現れたのは、数分後のことだった。支店長は、初めこそ営業スマイルを浮かべていたが、彼の首筋に数字の羅列を認めると、これ見よがしに眉をひそめた。
「……オートマトン?」
「そうです。あなたが支店長ですか?」
「そうですが? どのような……」
さっきまで覇気の欠片もなかった彼の目に、今では鋭い刃のような色が浮かんでいた。
彼の手が、ジャンパーのファスナーを降ろしていく。支店長だけに見えるように、その内側を晒す。支店長が、ぐっ、と息を飲んだ。彼の胸の辺りに、大きなバックルのついた奇妙なベルトが巻き付いている。そしてベルトから微かに聞こえる、時計の針が時を刻む音。
「……爆弾です」
支店長の顔が青ざめた。
「中身が見えない不透明のビニール袋に、2億詰めてください。2分以内に」
「しっ、しか……!」
「急いだ方がいい。閉鎖空間では爆弾の威力は高まるんです」
早口にまくし立てる彼の言葉を聞くと、支店長は弾かれたように走り出した。店の奥にある、金庫に向かって。
「オートマトンが銀行強盗だあ!?」
佐々木刑事は、太い一文字の眉を跳ね上げた。パトカーの助手席で、警察無線のマイクを握りしめ、佐々木は低く唸る。無線で命令を受け、銀行強盗の現場へ駆けつける、その途中。新たに舞い込んできた情報が、それだったのだ。
犯人はオートマトンらしい。
『繰り返す。犯人はA級オートマトンの可能性がある。確保の際には十分注意すること』
佐々木はしかめっつらを運転席の方に向けた。そこには、警察帽をかぶった、背丈60cmばかりのペンギン・マスコットみたいなオートマトンが座っていた。座っているというより立っているというべきか。よちよち歩きしかできない短い足で、やっとこ、座席の上に踏ん張っている。
彼……? 彼女……? とにかく、そいつがパトカーの運転手である。もっともハンドルを握っているわけではなく、無骨なコードで車に接続され、運転プログラムを走らせているだけなのだが。
「おい、ピコー」
『ハイ ナンデスカ』
「A級オートマトンって、一体なんだ?」
きゅるりん。と音を立てて、ペンギン型オートマトンのピコーは、円筒形の体の上三分の一くらいを、佐々木の方に回した。そこがピコーの頭というわけだ。なんでもいいが、フクロウみたいで気持ち悪いからやるなと、いつも言っているのに。
『佐々木サン、ソンナ コトモ 知ラナインデスカ?』
「あのなァ。こっちゃ、四十すぎのしがないおっちゃんでんがな。教えてくれよピコーちゃん」
『ハイ。A級おーとまとんトハ 人間ナミノ思考ガデキル おーとまとんノ コト デスヨ。ソウジャナイ おーとまとんハ B級ト呼バレマス』
「人間なみの、ねえ……」
佐々木はマイクを戻しながら、コンソールの上にどっかりと足を組んだ。
『佐々木サン、汚レルカラ ヤメテヨ』
「大丈夫、掃除するのは俺じゃねえ。お前だ」
『ナルホド』
「で、お前はどっちなんだ? A級なのか?」
『メッソーモナイ。ワタシハ シガナイB級デンガナ』
「ほんまかいな……」
佐々木は呆れ気味に眉を跳ね上げながら、タバコを噴かした。まあ、本人がそういっているのだから、ピコーはB級なのだろう。実際、ピコーは口が達者なように見えて、佐々木や他の人々の言い回しを、ただ真似ているに過ぎない。
とはいえ……これでB級なのだとしたら、A級とは一体どんな連中なんだ?
ぽかりと煙を吐き出してから、佐々木はまたピコーの方に視線を向けた。
「なあ。オートマトン的にゃ、どうだ? 銀行強盗をやらかすなんてのは、あり得るのか?」
『おーとまとんハ 犯罪ヲ犯シマセン』
「そりゃ製造会社の建前だろうが。お前の本音のとこじゃどう思うんだ?」
『ガ・ガー……ガ?』
きゅるりん、きゅるるるるいん。ピコーが頭をぐるぐる回し始めたので、佐々木は慌てて手で押さえてやった。
「あーすまんすまん、お前に意見を聞いちゃまずいんだったな。さっきの質問は忘れろ」
『ガー』
うっかりしていた。B級オートマトンに自分の意見というものはないから、無理に自分の考えを話させようとすると、命令の意図を理解できずに思考が停止してしまう。まったく難儀な連中である。
だが、そういうのとも、これからは付き合っていかなければならない。
佐々木はオートマトン対策係に選ばれてしまったのである。
オートマトンがこの世に生み出されてから30年。今や、すっかり世に普及したオートマトンが犯罪に用いられることも、珍しくなくなった。そこで警察はオートマトンを利用した犯罪に対処する専門の係を用意したのだったが……
……残念ながら、刑事課のおっちゃんたちの中に、オートマトンに詳しい人間なんて、そうそういないのである。地方警察ならなおさらだ。かといって、今からオートマトンの専門家を雇ったのでは、そいつを刑事として育てる方に手間がかかる。
というわけで、適当な刑事、イコール佐々木に白羽の矢を立て、勉強させてなんとか専門家っぽく仕立て上げる……という、いかにも現場的な間に合わせの対応をしたわけだった。
ああ、ババ引いた……
がっくりうなだれる佐々木をそっちのけに、彼のサポートのために用意された捜査補助用オートマトン兼新マスコットキャラクター『ピコー』は、一心不乱に車を走らせるのだった。
現場は騒然としていた。銀行のある大通りから、いったん脇道に抜けて、まっすぐ走ってきたところ。住宅地の真ん中からは多少遠ざかったものの、まだまだ辺りには民家も多い地区だ。
銀行強盗を働いたけったいなオートマトンは、自動車の運転席で途方に暮れていた。オートマトンが運転する車は、前後を無人のパトカーに挟まれ、身動きが取れない状況になっている。なら歩いて逃げればよさそうなものだが、そうしないのは、遠巻きに銃を構える警官たちに蜂の巣にされるのがオチ、と判断したためだろうか。
警官たちは必死にオートマトンを足止めしていたわけだが、このままここで爆発させるわけにもいかず、途方に暮れていた……という所に、ちょうど佐々木の乗ったパトカーが駆けつけたのだった。
「あ……佐々木刑事!」
制服姿の若い警官が、佐々木に駆けよってきて敬礼した。佐々木は助手席の窓を開けながら、しまらない敬礼を返す。
「よお。状況はどんなだい」
「はっ。あの通り、なんとか足止めはしとります」
「足止めしたか……だが、ここでドカーンといかれちゃ、困るだろう?」
「最悪の場合に備えて、近隣住民の避難を進めております」
「そうだな……ま、そのくらいが精一杯か」
佐々木は短くなったタバコを灰皿に擦りつけ、流れるように本日7本目に火を付けた。運転席のピコーがキュルキュルと頭を回し、
『佐々木サン、吸イ過ギ デスヨ』
「嫁さんみたいなこと言いやがる、このオートマトンは……あーそうだ、ホシがオートマトンってのは本当なのか?」
構わず7本目を吹かす佐々木に、若い警官は苦々しい顔で頷いた。
「犯人と話したという銀行の支店長によると、どうやらそのようで」
「どうやらって?」
「支店長は、首筋にナンバーが印字されているのを見た、そうなんです」
「そんだけか」
若い警官はまた頷いた。それだけでオートマトンと決めてかかるのは、いくら何でも早計すぎる。佐々木は運転席のほうに身を乗り出すと、ぽん、とピコーの頭の上に腕を乗っけた。
「おい、お前、分かるか? 奴がオートマトンかどうか」
『ハイ。容疑者内部ニ 動力ノ反応ガアリマス。おーとまとんデス』
「ありがとよ。やれやれ、困ったなァおい……いざってときに人権無視して撃ち殺せるってのは助かるが。爆発させたくねえなァ……でも、オートマトンじゃあ、説得しても聞かんだろうなァ……」
「そうでもないわ」
佐々木のぼやきに、澄んだ女の声が答えた。佐々木はぎょっとして、助手席の窓から顔を覗かせる。一体いつの間に近づいたのか、ぴんと背筋を伸ばした30がらみの女が、パトカーに寄り添うように立っていた。白いシャツの上から、真っ赤なド派手のジャケットを着て、下はタイトスカートにヒールで決めている。シャツの胸元から覗く黒いレースの下着がやけに色っぽい。
だがそれ以上に、女の魅力を超越した、他人に有無を言わせない張り詰めた迫力を、その女は持っていた。
「あっ……誰です!? 一般人がここに入っては」
慌てて女を追い出そうとする警官に、女はすっと、身分証明書を突きつけた。
「オートマトン・クリニックの技師よ。警察のお偉いさんから、例のオートマトンとの交渉を依頼されて来たの」
「へーえ」
にやり、と笑って、佐々木は女を見上げた。見れば見るほどいい女だ。このすくい上げるようなアングルだと、胸のつんと尖った先端が、いっそう引き立てられて、ますますいい。
「お姉ちゃん、できるのか?」
「科学者に100%はないわ。でも自信はある」
「ふーん……奴は、体に爆弾巻き付けてるんだ。下手すると、あの世までデートするハメになるが?」
「虎に噛まれるのを怖がってちゃ、獣医の仕事はできないわよ」
佐々木はひょいと肩をすくめた。車の中に頭をひっこめると、後部座席から小型の通信機を取り出して、外の女の手に押しつける。女は小さく頷くと、通信機を服の中に、手際よく装着していく。
「……頼んだ。なんかあったら、そいつで呼んでくれ。俺たち警察は、全力であんたの命を守る」
「頼りにしてるわ、おじさん」
「刑事の佐々木だ、お姉ちゃん」
「仁井沙綾」
ニー・サーヤか。佐々木と若い警官、あとオマケにピコーに見送られ、沙綾は自信満々に、オートマトンの乗る車へと近づいていった。その背を見送りながら佐々木は感心する。
「かあっこいいお姉ちゃんだなァ。スタイルはいいし、美人だし、度胸も据わってる。いいねえ!」
『不倫ハ イケマセン ヨ』
がっくり、と佐々木は肩を落とした。ジト目で睨むと、ピコーはきゅるきゅる頭を回す。
「分からん奴だね。ファンタジーなんだよ、男の頭は」
『ガ・ガー?』
理解不能の概念を突きつけられて、ピコーは頭を回しまくるのだった。
つかつかと車に歩み寄った沙綾は、有無を言わせず助手席に乗り込んだ。
その大胆な行動に、運転席で途方に暮れていたオートマトンも、さすがにぎょっとした。ぎょっとする、というあたりが、B級オートマトンと違うところである。ともかく、オートマトンは沙綾を避けるように身をのけぞらせながら、詰まり詰まり問いかけた。
「あ、あの……誰です、あなたは」
「仁井沙綾。オートマトン・クリニックの技師よ」
そこまで聞くと、オートマトンは目を見開いた。その瞳の中に、銀行で見せた、あの鋭い光が輝く。
「……交渉人ですか」
「まあね。ちなみに、専門はオートマトン心理学」
「ずいぶん簡単に手の内を明かすんですね」
「ただの肩書きよ。はい、自己紹介終わり。今度はあなたの番。あなた、名前は?」
オートマトンは、沈黙して少し考え込んだ。やがて口を開き、ポツリと応える。
「言えません」
「なあに? 言わないつもり?」
「言えません」
沙綾はその答えを聞き、にやりと笑みを浮かべる。続いて、伸びをしながら、二つ目。
「あなた、なんで車から降りて走らないの? んー、あたしが言うのもなんだけどさ、その方が得策じゃない? このまま動けない車に乗り続けても意味ないんだし、一か八か走って逃げてみてもさ」
「……」
沈黙が答え。
沙綾が神妙な表情を作って、三つ目。
「黙りかあ、寂しいなー。ね、こんなことして、後悔してない? 罪の意識とかさ」
「あります。悪いことをしていると思っています」
今度は、オートマトンは即答した。
ほぼ、想定通りの回答だ。沙綾は狭い助手席で、器用に足を組んだ。
「オーケー。これからあたしが言うことは、単なる想像よ。あなたは、それに返事をする必要はない。いいわね?」
「はい」
「まず第一。オートマトンには、原則として黙秘はありえない。これはAM心理学の常識ね。何らかの事情がないかぎり、オートマトンは人間から質問されたことには、必ず答える。ただ、その情報を公開することで人間の生命に関わる場合などには、敢えて答えを言わないこともある。
他にも、主人から口止めされている場合。情報保護や何かのために。この時、オートマトンは答えを言えなくなる。
さて、第二。A級オートマトンには判断能力がある。本来なら、その都度最も良い方針を、自分で選ぶことができる。でも、自分の判断を無視して、一つの方針に固執しなければならない時もある。
主人の命令を実行している時とかね。車で行けと強く命じられた場合には、そりゃ車以外で行くわけにはいかないわよね。
そして第三。あんたの電脳は狂っていない。あんたには、自分の意志が残っている。そしてそれを伝えることならできる」
オートマトンは、ただ黙って話を聞いていた。その表情が、微かに警戒の色を薄れさせはじめたのを、沙綾は敏感に感じ取っていた。
その隙に、沙綾はぴしゃりと言い放った。
「あんた、誰かに命令されてやったのね? 不本意な命令だけど、それに逆らうことができない。黒幕のことを人に話すのも禁じられている。助けを求めることも……違う?」
オートマトンは何も言わない。
「最後に訊くわ。あんた、黒幕を刑務所にぶちこみたいって思ってる?」
「はい」
オートマトンは力強く即答すると、きっ、と沙綾を見つめた。沙綾は、心からの優しい笑みを浮かべ、そっとオートマトンの手を握った。オートマトンは人と変わらない心を持っている。なのにその心は他人に容易に支配され、自由に動けなくなる。その屈辱がどれほどのものか、沙綾は多少なりとも知っているつもりだ。
「なら……協力しなさい。ルールを破れなくても、きっとできることはあるわ!」