警部補ガーランドの最期 1
アンタイトルド ヤオヨロズ・エピソーズ
西暦2035年10月27日。この日、屍鴉(キャリオンクロウ)同士の抗争に巻き込まれ、教会が運営する菊花学園の女子生徒が殺傷されるという事件が発生した。
この事件を契機に、極度の緊張状態にあった株式暴力団(アンダーグラウンド)と大阪真正教会は、全面戦争に突入した。両者の争いに乗じて、これまで水面下で蠢くのみだった企業連合、および大阪戦略軍が活動を開始。日本国は軍事介入の機を虎視眈々と狙い、東京城の公家たちは聖浄火騎士団(エンピリアルガード)の本隊を大阪に投入する。日々悪化していく情勢を改善すべく、国防軍と警察局は必死の対応を行っていく。
かくしてこの時期より、大阪国は新局面を迎えることとなる。やがてこの流れは、「大阪冬の陣」「聖ハリストス戦役」「第三次梅田会戦」などと呼ばれる最終決戦へと収束するのだが……
今は、この日。後に大阪国を救う一人の男の、決断の時について述べるに留めたい。
16:26 1st Nov AD2035
大阪国大阪市梅田丙十
「また勝手をやってくれたもんだな、ガーランド・フィリップス!」
裏返った安藤の声が、梅田城丙十に響き渡った。予想していたことではある。
ガーランドは腰の後ろで手を組んで、ぼんやりと安藤のお説教を聞き流していた。
さっき131分隊が取り逃がした、蠍(シィエ)という名のキャリオンクロウ……奴は、公安部が威信を賭けて追い続けてきた、筋金入りの危険人物である。ニュースなどでもおなじみだろう。梅花学園の女の子を殺害し、アンタイトルド・オーサカのパワーバランスを崩壊へと導いた、その張本人なのだ。
その蠍が、とうとうアンダーグラウンドからも見捨てられ、一介のテロリストに身をやつした。逃げ場を失い、追いつめられた男が、一体どんな行動に出るか……想像に難くない。安藤の焦りも、ガーランドには理解できる。
「なぜあそこで追わなかった?」
だがガーランドは、先の戦闘で蠍と遭遇していながら、見逃してしまったのだ。こうなることは、帰還する前から覚悟していた。
だからガーランドは、ただ静かに目を伏し、首を横に振った。
「人質を助けるためだ」
「奴を取り逃がせば、明日数百人が死ぬかもしれない!」
「ぼくには、人の命を秤にかけることはできないよ
ふうっ。
安藤は、広い管理官室いっぱいに響き渡るほど、大きく溜息を吐いた。そのまま黒い革の椅子にどっかりと腰を下ろし、下からすくい上げるようにガーランドを睨みつける。窓から昼下がりの陽射しが差し込み、安藤のシルエットを黒く浮かび上がらせる。椅子と、机と、この部屋そのものと一体化した、真っ黒な安藤が身じろぎする。
やがて安藤は、低く呟いた。
「……らちがあかん」
――全くだ。
無言で同意するガーランドに、安藤は疲れた声を挙げる。
「こんな押し問答を、この一年だけで一体何回繰り返した?」
「数え切れないほどです」
「です、であるか! 都合で同期と部下を切り替えやがって、そういう所が嫌いなんだ!
まったくっ、なんで俺は、蹴落としてやったはずのお前が……」
そこで言葉に詰まり、黙りこくる安藤を、ガーランドはじっと見つめていた。
――ぼくだって。
心の中で、ガーランドは呟く。
――ぼくだって、本当はお前が……
エピソード in 11/03
警部補ガーランドの最期
警察局の廊下は、クロム貼りの冷たい光沢を放っている。肩で風を切っていく警官たちと時折すれ違い、ガーランドは今の自分のみすぼらしさを浮き彫りにされる気がして、僅かによろめいた。
目の前で死のうとしている人を見殺しにはできない。それは正義だ。今のガーランドには、はっきりとそう思える。腹は痛まなかった。
しかし一方で、安藤の言うこともまた正論なのだと思う自分もいる。
蠍を取り逃がしたために、遠くない未来、誰かが傷つくかもしれない。
それを防ぐのが、安藤のような警察幹部の仕事だ。大勢の捜査員を手足のように操って、テロリストを追いつめていくのが。
それは、ガーランドのやる仕事でも、できる仕事でもない。良くも悪くも、あずかり知らない世界の話だ。安藤によってエリートコースから叩き落とされ二度と這い上がれなくなったガーランドには、その世界に踏み込む術すらない。
気にするようなことではないかもしれない。無関係な話かもしれない。そうかもしれないが、でも同時に、
「それが……今のぼくの限界なんだ」
ぽつり、とガーランドは呟いた。
ふと、ガーランドは、吸い込まれるように廊下の窓を見つめた。梅田城の上から眺め降ろす大阪の街は、昼下がりから夕暮れ時へと姿を変えて、まるでシーファのほっぺたのように、可愛らしい朱色に染まっていく。
ガーランドの手のひらが、窓に切り取られた街の風景を包み込もうとした。しかし。
この高さから見下ろしてさえ、大阪の街は、指からこぼれ落ちるほど大きい。
この街を守れるのか? 今の自分のままで……あの、バロン・アンタイトルドから。
ガーランドの脳裏に、無菌フロートドレスを纏った少年、バロン・アンタイトルドの姿が浮かんだ。バイザー越しに覗く、人を……いや、自分以外の全てを見下したかのような、あのにやついた顔。
姉さんも、シャオも、奴のために死んだ。
なのに、奴はいつだって、権力という分厚い壁の向こうにいる。
握りしめた拳の中に、腹立たしい幻影は潰れて消えた。
ここ二週間ほどで、131分隊室は急に賑やかになった。
情勢の悪化に危機感を憶えた警察上層部が、空機の戦力増強を図ったのだ。優秀なFDパイロットをあっちこっちから引き抜いて、万年人材不足の空機に取り込み始めたのである。
さすがに、突然分隊員が倍増した時には、かなりの混乱があった。が、それから時間も流れ、今となっては……
「ね。あたしたち、友達ってコトにしよ……」
「う、うん!」
おおむね、良い人間関係が築かれているようだった。
いかにも女の子然とした甲高い声で、シーファとマーガレットの二人は、キャッキャとじゃれあっていた。それを遠目に眺めつつ、隅のソファに腰を下ろして、ルイスは大あくびを垂れる。
「前からずーっと疑問だったんだよな……」
「にゃにがー?」
ひょこん、とソファの後ろから頭が生えてくる。言わずとしれたエミリィ・ガブリエルズ。131分隊を支える縁の下の力持ちだ。彼女は、オペレータならではの耳聡さで、部屋中のぼやき声を一つもらさず聞きつけてくる。
「よお、丁度いいや。教えてくれよエミリィ。女ってなァ、なんで『友達になる』って『決めて』友達づきあいするんだ?」
「おせーてルイスー、なんで男の子はうやむやでくっついたり離れたりするのー?」
肩をすくめるルイスの向かい側に腰を下ろし、一人の男がタバコをくわえた。その視線はやけに鋭く、常に人を刺すように睨む。その鋭い分析眼は、自分の本心を鎧で覆っているような人間にとっては、剣そのものと思えるに違いない。幸い、ルイスは全然そんな感じを抱かないが。
「男には男の、女には女の理がある。生涯それを理解できない者も多いがね」
タバコを燻らせながら、ミュートはにやりと笑って言った。
「男と女ったって、同じ人間だろうによ」
「確かに。だが、『人間』などという枠は、個体の性質を論じるにしては、少々おおざっぱすぎるのさ」
「おれァ、人間なんざ、どいつも似たり寄ったりと思うがね……」
ルイスはミュートの言葉を聞き流しながら、自分もタバコに火を付けた。肺いっぱいに不健康な煙を吸い込み、細く長くそれを吐き出す。
そのとき、更衣室から赤毛の少年が現れた。丁度いい。ルイスはその袖口を引っ掴むと、ぐいと自分の方に引き寄せる。
「よぉウェイン、お前ちょっと証明してこい」
「は? な、なんすか?」
いきなり話に引きずり込まれて、ウェインは素っ頓狂な声を挙げた。
「男と女はな、理解しあえる。愛し合えるさ。そう思わねえか、ウェイン?」
「理解ったって……?」
天井に視線を逸らすウェインの頭に、つい先日袂を分かったばかりのユイリェンの顔が浮かんだ。
……理解しあえる……かなあ?
首を捻るウェインであったが、次の瞬間、激怒したユイリェンの顔が、脳裏を埋め尽くした。能面のように表情は動かないが、一緒に暮らしてきたウェインには、その微妙な感情の違いがよく分かる。全身から放つオーラを見る、というか。ともかくユイリェンは、懐疑的になっているウェインに、冷たくこう言い放つのである。
――そう。あなた、私が理解できないのね。
やばい。怖い。いかにも言いそうだ。それで、その後たっぷり一週間は、半径3m以内にすら近寄らせて貰えないのである。ぶるり、とウェインは身震いすると、背筋を伸ばしてこう言った。
「やっぱ、女の子とだって分かり合えるもんっすよ! そうじゃなきゃ!」
「よぉーし、よく言った。それでこそ男だ。じゃ、ちょっとそれを証明してこい」
「……は?」
「だから。あそこでキャッピキャッピと愉快なお話をしている女の子二人にだな、突撃してくるんだよ。今晩お食事でも行きませんか、ってな」
「はいい!?」
ルイスが指さす先には、もちろん、シーファとマーガレットの姿がある。女の子ばかりのバトル・アリーナにいたマーガレットはともかく、シーファは空機に入ってからというもの、同年代の女の子には餓えている。恐らく、研修の頃以来の友達である。テレビに俳優に化粧品、なんだかよく分からない謎のキャラクター商品に至るまで、SMGの掃射よろしく途切れぬ言葉を交わす二人。ウェインは、思わず後ずさった。
「なんでそうなるんすか!? だいたい、あんな二人に踏み込めるわけ……」
ぐいいっ。
ルイスはウェインの首根っこを引っ掴み、その頭を自分の頭のそばに引き寄せた。
「なあウェイン。お前、新入りだからおれが奢ってやるよ」
「な、何を?」
ひそひそと、ウェインの耳元で何事か呟くルイス。
次の瞬間、ウェインは男らしく立ち上がった。
「行ってきますッ!!」
鼻息荒く、ずんずんとシーファたちの方へ向かっていくゼンマイ玩具……もとい、ウェイン・ルーベックの背を見送って、ルイスはにやりと笑みを浮かべる。エミリィは不思議そうに首を傾げ、
「なにおごったげるの?」
向かい側で、ミュートの漏らした笑いが、それに応えた。
「愚かだな、男というものは……」
「ああ」
なるほどなっとく、と頭を掻くエミリィ。
ルイスはにやつきを抑えることもできず、ウェインの様子をじっと見つめながら言った。
「人間、未知の領域ってやつが怖くもあるが、踏み込んでみたくもあるんだよなァ。
たまには、『踏み込んでみたい』が、『ヒロイックな気分』ってとこまで膨らんじまってな」
「そして、現状への満足は、そういうときには関係なくなってしまうのだ」
ルイスの言葉を引き継いで、ミュートもぐるりと頭を巡らせ、ウェインの様子をうかがった。おっさんおばちゃん三人組が、どきどきしながら見守る先で、ウェインががっくり肩を落とす。
「ぎょくさーい」
エミリィが至極どうでも良さそうに、オペレータの仕事を全うした。