警部補ガーランドの最期 2(ボツ)
数日後。131分隊の休日がやってきた。
シーファは新しい友達、マーガレットと買い物に出かけた。エミリィとルイスは昼間から飲み屋。ウェインはというと、ミュートに訓練をつけてもらっている。ユイリェンという大きな壁にぶつかって、今ウェインの向上心は最高潮のようだ。ミュートはミュートで、人に物を教えるのが何より好きな性格である。いいコンビだ。
みんな、仲良くやっている。131分隊は、きっと上手くやっていける。
――これなら、安心して……
一瞬心に浮かんだ考えを、ガーランドは反射的に嫌悪した。拭いがたい後ろめたさがガーランドを苦しめていた。自分はみんなを見捨てようとしているのではないか? 責任も、信頼も、全て投げだそうとしているのでは?
「……ちょっと、聞いてる?」
シーファに話しかけられたような気がして、ガーランドはびくつきながら顔を上げた。
梅田城そばの喫茶店は、平日の昼間だというのに大繁盛だった。学校をサボったらしい制服姿の女の子、熱心に打ち合わせを進めるサラリーマン、ただぼうっと窓の外を見つめるヒマそうな若者。喧噪を切り裂いて、ウェイトレスが風のように駆け回る。
周囲の騒がしさが返ってガーランドを落ち着かせてくれた。ガーランドはゆっくり深呼吸すると、向かいに座る少女を見据える。少女の髪は黒く艶やかで、瞳は見る者を吸い込みそうなほど深い。シーファと瓜二つの美しい少女だった。
彼女は大阪国防軍一尉タオ・リンファ。警察局幹部の道警視正の娘。シーファの双子の姉である。
怪訝そうに見つめてくるリンファに、ガーランドはどぎまぎしながら答えた。
「ああ、うん。聞いてたよ」
「どーだか。あんた、迷ってんでしょ」
じゅるる、とリンファはソーダフロートの残りを飲み干した。姿こそ同じだが、彼女はシーファとは決定的に違う。シーファはコーヒーをブラックで飲んで大人ぶるような子だが、リンファは音を立ててソーダフロートを啜りながら臆面もない。
「でもま、そのあんたがこんな事切り出すんだから……よっぽどなんでしょ」
「……ああ」
こんな事。
ガーランドは椅子に背を投げ出して、ぼうっと喫茶店の天井を見上げた。
「とにかく、上の話じゃ……」
リンファは、あだっぽい声で言いながら、一枚のICカードをテーブルの上に滑らせた。コーヒーのソーサーにぶつかったカードが、コツンと音を立てる。ガーランドは目を細める。
このカードが、未来への扉を開く魔法の鍵。
国防軍のIDカードである。
「最初から一尉の待遇は保証するそうよ。それから、働き次第では佐官クラスへの登用もやぶさかじゃないって」
「……そっか」
気のない返事をしながら、ガーランドはそっと手を伸ばした。
指先がカードに触れ……ためらい、離れる。
このカードを受けとれば、自分はもう、131分隊のフィリップス警部補ではなくなる。国防軍のフィリップス一尉……さらには、フィリップス三佐。二佐。いつか将官クラスまで上り詰めることも、不可能ではない。
道が開ける。
自分が歩みたかった道。
上へと、ひたすら昇り続ける道。
なのに覚悟が決まらない。
このカードに触ることが、全ての絆を断ち切るような、今までの自分を否定するような、そんな気がして。進めない。かといって戻ることもできない。ガーランドの視線が泳ぐ。どこか遠くへと流れていく――
「念のため言っとくけど」
そのガーランドを、陸へ……いや、多少なりとも流れの弱い方へ引き寄せたのは、やはりリンファだった。
「それを受けとったから即採用、ってわけじゃないから」
「え?」
「それ、ウチの端末で処理しないと使えないのよ。一応渡してはおくけど、その気になったら軍まで来てちょーだい。つまりね……」
リンファは椅子の上で足を組み、タイトスカートの内から艶めかしい脚線を覗かせた。
「そのくらい迷うような奴でもなきゃ、ウチには要らないってことよ。
このご時世、人材不足はどこも一緒でしょ。好条件に吊られてホイホイついてくような奴は信用ならない、ってことね」
安堵の溜息を吐いて、ガーランドはカードを拾い上げた。手の中でひっくり返し、窓から差し込む太陽光を反射させ、ひとしきり弄ぶ。やがてガーランドは無理をして、リンファに微笑みかけた。
「ありがとう。君が知り合いでよかった。こうして紹介もしてもらえたし……」
「こーんな可愛い子と、楽しくお茶もできたしね」
リンファは自信たっぷりに言いながら、ウィンクをしてみせた。ガーランドは思わずどきりとして、目をそらす。シーファなら、絶対にこんな台詞は言えない。言うにしても、照れて真っ赤になりながら、半分やけっぱちで吐き捨てるのが関の山だ。同じ顔で二種類の個性を魅せられると、一人の人間の二面性を見ているような気がして、不思議な快感を覚えてしまう。
そんなガーランドの心中を知ってか知らずか、リンファはずずい、と身を乗り出して、ガーランドの顔をすくい上げるように見つめた。
「あとさ、もう一個」
「え?」
「シーファとどーなってんの、あんた?」
「どうって、別に……」
「あんたまさか、まだちゅーの一つもしてないんじゃモガガ!」
「こっ、声が大きい!」
ガーランドは慌ててリンファの口を塞ぎ、辺りの様子をうかがった。近く席で数人がくすくす笑っている。聞かれたらしい。そりゃそうだ。あの大声である。
ガーランドは溜息を吐いた。以前に一度、押し倒そうとして、シーファにけっ飛ばされてしまったことがある……それが引け目で、ガーランドは未だに一歩も踏み出せないでいたのである。
「ったく……見ててイライラすんのよ。お互いガキじゃないんだから、ちゃっちゃとやることやって、さっぱりしちゃいなさいよ!」
「……君たち、本当に双子?」
「文句ある?」
「いや……別に……」
コーヒーを啜るガーランドは、気付かなかった。
それまで近くの席にいた女性が、隠れるように、店から出て行ったことに。
梅田の街をとぼとぼと歩きながら、シーファは空を見上げた。青い、青い空。
こんな気分の良い日に、あんなことを聞くハメになるなんて。
「ちょっとっ」
ロリータ・ファッションに身を包んだマーガレットが、不釣り合いな買い物袋をがさりと揺らした。一緒に遊びに来たというのに、自分をそっちのけで考え事にふけられては、誰だって気分がよいものではないのだ。
「どうしたの……。喫茶店、入るなり飛び出してさ。やな知り合いか、なんか……」
「いや……」
シーファは口を濁した。
マーガレットは気付かなかったのだ。さっきの喫茶店にガーランドがいたことにも、リンファと話していたことにも。気付かなくてよかった。何しろリンファの顔はシーファと瓜二つである。マーガレットのことだ、その顔を見れば物珍しさに大騒ぎするだろう。
そうなったら、あの話を聞いてしまったことがガーランドに知れる所だった。
あのガーランドが、警察を辞める?
そんなこと、考えたこともなかった。
なんとなく、ガーランドはずっと自分の上司でいてくれるような気がしていた。いつまでも、色んなことを教えてくれる、優しい先輩でいてくれるように思っていた。だがそれは、都合のいい妄想だったのだ。ガーランドはシーファの付属物ではない、一人の人間だ。彼には彼の道があり、それがシーファの道と離れることは、いつだってあり得たことなのだ。
じゃあ、どうすればいいだろう?
かつてガーランドは、ライバルによって不祥事を捏造され、出世の道を閉ざされた。彼はずっとそのことで悩み続けてきた。自分はこんなところで何を燻っているだろうか、と。上へ上り詰めたいという想いと、現実に対する諦めが、ガーランドの中でごちゃまぜになっていた。
そしてそこへ、奴が現れた。
バロン・アンタイトルド。
リンファ姉さんが追い続けてきた敵。ガーランドの仇敵。そして、この世界全てを危機に陥れようとしている者。
公家相手に一警察官ができることは、何もない。バロンは権力という厚い壁に護られている。フロートドレスでどれほど華麗に空を舞おうと、決して奴に届くことはない。水一滴漏らさぬ、光一条零さぬ、鉄壁だ。
ガーランドは、そんな物に立ち向かおうとしている。
なら、彼のために私は一体何ができる?
本当は、辞めて欲しくない。側にいて欲しい。
でも、前に進もうとしているガーランドを、自分で道を切り開こうとしているガーランドを、止めてしまいたくない。
私は、どうすれば?
「あたし、帰る」
びっくりして、シーファは思わず飛び上がった。隣を歩いていたマーガレットが、踵を返して梅田城の方向へ遠ざかっていく。シーファは慌てて駆けよって、マーガレットの腕をそっと掴んだ。
「ごっ、ごめん! ちょっと、考え事を……」
「あのさ」
マーガレットが振り返り、シーファのおでこに人差し指を押し当てる。
「あたしたち、友達ってコトにしなかったっけ……」
「した」
「よね。ならこの状態を利用しない手はないのよ、あんた」
何が言いたいのか分からなくて呆然としているシーファに、マーガレットはマシンガンのようにまくし立てた。いつもの色っぽい声でだ。
「悩みがあんなら、相談くらいしろよう」
シーファの顔がみるみる明るく染まって、
「うんっ!」
子犬みたいに可愛い声を挙げながら、シーファは思いっきり、マーガレットを抱きしめた。