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警部補ガーランドの最期 3(ボツ)

 ほっといても笑いが込み上げてしまう。
 分隊室の自分のデスクについたシーファは、さっきからニヤニヤしっぱなしなのだった。意味もなく勢いを付け、椅子をくるくる回転させる。目が回る。でも目が回るのすら気持ちいい。今だったら頭はたかれたって快感になりそうだ。
「まさか、お前がガーランドに勝っちまうなんてなァ。よっ、シーファ先生! 日本一!」
 奥のソファにどっかり腰掛けたルイス・山城が、ソファの背もたれによっかかりながら言った。彼はガーランドの昔なじみで、本物の兄弟のように過ごした間柄だ。それだけに、今回の「事件」に対しては内心複雑なものがあっただろう。
 しかし彼はそんな感情をおくびにも出さず、景気よくシーファをおだてて見せた。頭の軽いルイスではあるが、面倒見のいい兄貴分でもあるのだ。
「しーちゃん、やるぅー! エミリィ、好きになっちゃいそ~」
 書類の束を抱えてスリッパをぺたぺた鳴らすのは、オペレータ兼事務員のエミリィ。普段はへらへらしてばかりの彼女だが、意外にも、人を褒めることは滅多にない。常に鋭い批判の目で他人を見ているような女なのだ。
 そういう人に褒められると、余計に嬉しくもなってくる。
「やめろよ、ふったりとも! たかが1回勝っただけでさぁ~」
 などと言いながら、シーファの顔はもう融けそうである。正直な性格だ。
 シーファは椅子の回転を止めて、大きく背伸びをした。胸の中にあったもやもやしたものが、急に一つの形を作り始める。シーファの手が、滑るようにデスクの引き出しに差し込まれた。指先に触れる固い感触
 ここに、一通の封筒がある。
 封はまだ閉じていない。シーファはこの封筒の中身を、今まで何度となく書き直してきた。書いた瞬間は満足できても、少し間をおいてから読み返すと、次から次へと際限なく修正点が見えてくるのだ。その都度、シーファは心ゆくまで書き直した。その時々の最善を尽くした手紙。
 手渡すその瞬間まで、シーファは決して封筒を閉じないことに決めていた。ギリギリまで、直し続けていたかったから。
 でも、ついに来たかもしれない。
 封を閉じるとき。彼に手渡す時が。
 ガーランドに勝った今こそ。
 そう、この手紙は、自分の思いの丈を綴った、ガーランドへのラブレターだったのだ。
 彼に勝つまで渡すまいと決めていた。ガーランドが好きだったから。好きで好きで仕方がなかったから。だから、彼に勝ちたかった。ガーランドに勝つことだけが、自分を彼に釣り合う女に昇華させてくれる。シーファにはそう思えた。
 だから、今。
 渡そう。この手紙を。
 とろける瞳で、シーファは天井を見つめた。その姿を遠目に見ながら、苦笑するルイスとエミリィ。そう、筒抜けである。シーファの気持ちはもちろん、彼女がラブレターをずっと隠し持っていたことも、ガーランドに勝つまで渡さないと決意していたことも、気付かない二人ではなかった。
 本当なら、「本番」に向けて気合いの入ったシーファに、応援の一つもしてやりたいところだ。だが、ルイスたちは敢えて黙って見守っていた。余計なことを言ったら、ヘンに意識して動けなくなってしまう。それがシーファだ。
 ――頑張れよ、未来の義妹っ。
 ――上手くいくといいね、しーちゃん!
 二人の声は、シーファの耳には届かなかった。
 でも、それで十分だったのだ。

 翌日。131分隊の休日がやってきた。
 シーファは買い物に出かけた。何か予定があって、そのために新しい服を用意したいんだとか。エミリィとルイスは昼間から飲み屋。まあ、いつものことだ。
 そう。いつもと変わらない日常。
 予感があった。確信と言うべきだろうか。この日常の中に、自分は……ガーランド・フィリップスは、必ずしもいる存在ではない。居る存在でも。要る存在でも。
 今までに、出張だの病気だので部隊を離れたことは何度もある。そんな時でも、部隊は問題なく動き続けた。日常は停まることなく流れ続けた。そんなものなのだ。それが日常というものの残酷さ……人間というものの強かさだ。
 突然何かが欠けてしまっても、人は案外、冷静に対処できる。
 ましてそれが、百戦錬磨の戦士達ならなおさらだ。
 自分がいなくても、131分隊は大丈夫。あいつらなら、やっていける。
 そういう予感と確信があった。
 ――だから、安心して……
 一瞬心に浮かんだ考えを、ガーランドは反射的に嫌悪した。拭いがたい後ろめたさがガーランドを苦しめていた。自分はみんなを見捨てようとしているのではないか? 責任も、信頼も、全て投げだそうとしているのでは?
「……ちょっと、聞いてる?」
 シーファに話しかけられたような気がして、ガーランドはびくつきながら顔を上げた。
 梅田城そばの喫茶店は、平日の昼間だというのに大繁盛だった。学校をサボったらしい制服姿の女の子、熱心に打ち合わせを進めるサラリーマン、ただぼうっと窓の外を見つめるヒマそうな若者。喧噪を切り裂いて、ウェイトレスが風のように駆け回る。
 周囲の騒がしさが返ってガーランドを落ち着かせてくれた。ガーランドはゆっくり深呼吸すると、向かいに座る少女を見据える。少女の髪は黒く艶やかで、瞳は見る者を吸い込みそうなほど深い。シーファと瓜二つの美しい少女だった。
 彼女は大阪国防軍一尉タオ・リンファ。警察局幹部の道警視正の娘。シーファの双子の姉である。
 怪訝そうに見つめてくるリンファに、ガーランドはどぎまぎしながら答えた。
「ああ、うん。聞いてたよ」
「どーだか。あんた、迷ってんでしょ」
 じゅるる、とリンファはソーダフロートの残りを飲み干した。姿こそ同じだが、彼女はシーファとは決定的に違う。シーファはコーヒーをブラックで飲んで大人ぶるような子だが、リンファは音を立ててソーダフロートを啜りながら臆面もない。
「でもま、そのあんたがこんな事切り出すんだから……よっぽどなんでしょ」
「……ああ」
 こんな事。
 ガーランドは椅子に背を投げ出して、ぼうっと喫茶店の天井を見上げた。
「とにかく、上の話じゃ……」
 リンファは、あだっぽい声で言いながら、一枚のICカードをテーブルの上に滑らせた。コーヒーのソーサーにぶつかったカードが、コツンと音を立てる。ガーランドは目を細める。
 このカードが、未来への扉を開く魔法の鍵。
 国防軍のIDカードである。
「最初から一尉の待遇は保証するそうよ。それから、働き次第では佐官クラスへの登用もやぶさかじゃないって」
「……そっか」
 気のない返事をしながら、ガーランドはそっと手を伸ばした。
 指先がカードに触れ……ためらい、離れる。
 このカードを受けとれば、自分はもう、131分隊のフィリップス警部補ではなくなる。国防軍のフィリップス一尉……さらには、フィリップス三佐。二佐。いつか将官クラスまで上り詰めることも、不可能ではない。
 道が開ける。
 自分が歩みたかった道。
 上へと、ひたすら昇り続ける道。
 なのに覚悟が決まらない。
 このカードに触ることが、全ての絆を断ち切るような、今までの自分を否定するような、そんな気がして。進めない。かといって戻ることもできない。ガーランドの視線が泳ぐ。どこか遠くへと流れていく――
「念のため言っとくけど」
 そのガーランドを、陸へ……いや、多少なりとも流れの弱い方へ引き寄せたのは、やはりリンファだった。
「それを受けとったから即採用、ってわけじゃないから」
「え?」
「それ、ウチの端末で処理しないと使えないのよ。一応渡してはおくけど、その気になったら軍まで来てちょーだい。つまりね……」
 リンファは椅子の上で足を組み、タイトスカートの内から艶めかしい脚線を覗かせた。
「そのくらい迷うような奴でもなきゃ、ウチには要らないってことよ。
 このご時世、人材不足はどこも一緒でしょ。好条件に吊られてホイホイついてくような奴は信用ならない、ってことね」
 安堵の溜息を吐いて、ガーランドはカードを拾い上げた。手の中でひっくり返し、窓から差し込む太陽光を反射させ、ひとしきり弄ぶ。やがてガーランドは無理をして、リンファに微笑みかけた。
「ありがとう。君が知り合いでよかった。こうして紹介もしてもらえたし……」
「こーんな可愛い子と、楽しくお茶もできたしね」
 リンファは自信たっぷりに言いながら、ウィンクをしてみせた。ガーランドは思わずどきりとして、目をそらす。シーファなら、絶対にこんな台詞は言えない。言うにしても、照れて真っ赤になりながら、半分やけっぱちで吐き捨てるのが関の山だ。同じ顔で二種類の個性を魅せられると、一人の人間の二面性を見ているような気がして、不思議な快感を覚えてしまう。
 そんなガーランドの心中を知ってか知らずか、リンファはずずい、と身を乗り出して、ガーランドの顔をすくい上げるように見つめた。
「あとさ、もう一個」
「え?」
「シーファとどーなってんの、あんた?」
「どうって、別に……」
「あんたまさか、まだちゅーの一つもしてないんじゃモガガ!」
「こっ、声が大きい!」
 ガーランドは慌ててリンファの口を塞ぎ、辺りの様子をうかがった。近く席で数人がくすくす笑っている。聞かれたらしい。そりゃそうだ。あの大声である。
 ガーランドは溜息を吐いた。以前に一度、押し倒そうとして、シーファにけっ飛ばされてしまったことがある……それが引け目で、ガーランドは未だに一歩も踏み出せないでいたのである。
「ったく……見ててイライラすんのよ。お互いガキじゃないんだから、ちゃっちゃとやることやって、さっぱりしちゃいなさいよ!」
「……君たち、本当に双子?」
「文句ある?」
「いや……別に……」
 コーヒーを啜るガーランドは、気付かなかった。
 それまで近くの席にいた女性が、隠れるように、店から出て行ったことに。

 梅田の街をとぼとぼと歩きながら、シーファは空を見上げた。青い、青い空。
 右手に提げた紙袋が重い。
 あの喫茶店に入ったのは、ただの偶然である。シーファは今日、ガーランドに最後の勝負を仕掛けるための服を買うために、一人梅田の街へ降りてきたのだ。とびきり可愛いのを見つけて、それを着た自分がガーランドに告白するさまを空想して、どきどきしながらポケットの中の手紙にそっと指を這わせて……
 なのに、どうして?
 あのガーランドが、警察を辞める?
 そんなこと、考えたこともなかった。
 なんとなく、ガーランドはずっと自分の上司でいてくれるような気がしていた。いつまでも、色んなことを教えてくれる、優しい先輩でいてくれるように思っていた。だがそれは、都合のいい妄想だったのだ。ガーランドはシーファの付属物ではない、一人の人間だ。彼には彼の道があり、それがシーファの道と離れることは、いつだってあり得たことなのだ。
 かつてガーランドは、ライバルによって不祥事を捏造され、出世の道を閉ざされた。彼はずっとそのことで悩み続けてきた。自分はこんなところで何を燻っているだろうか、と。上へ上り詰めたいという想いと、現実に対する諦めが、ガーランドの中でごちゃまぜになっていた。
 そしてそこへ、奴が現れた。
 バロン・アンタイトルド。
 リンファ姉さんが追い続けてきた敵。ガーランドの仇敵。そして、この世界全てを危機に陥れようとしている者。
 公家相手に一警察官ができることは、何もない。バロンは権力という厚い壁に護られている。フロートドレスでどれほど華麗に空を舞おうと、決して奴に届くことはない。水一滴漏らさぬ、光一条零さぬ、鉄壁だ。
 ガーランドは、そんな物に立ち向かおうとしている。
「はあ……」
 いつの間にか駅前のロータリーにやってきていたシーファは、植え込みのそばのベンチにそっと腰を下ろした。懐かしいベンチ。あれはもう八ヶ月も前……2月のこと。ガーランドを初めてデートに誘った時、待ち合わせ場所にしたのが、このベンチだった。
 あの時は、デート中に爆弾テロに巻き込まれて、大変な目に遭ったっけ。でもガーランドはちゃんと守ってくれた。命がけで助けてくれたんだ……
 じわり、と涙がにじんだ。
 辞めて欲しくない。ずっと側にいて欲しい。
 でも、前に進もうとしているガーランドを、自分で道を切り開こうとしているガーランドを、止めてしまいたくない。
 シーファは握り拳で涙を拭った。泣いている場合じゃなかった。
 さあ、どうする?
 私は彼のために何をしてあげられる?
「……あ」
 ふと気付いて、シーファは立ち上がった。
 その前に、確かめなければならないことが一つある。そのことに気付いたのだった。

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