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警部補ガーランドの最期 4

 2027年。初夏のことだった。
 ガーランドはまだ17歳の高校三年生だった。
 強盗殺人なんて、珍しいものじゃなかった。ニュースでは毎日のようにその手の事件が報じられていた。どこにでもあること。殺された人も、ただ運が悪かっただけ。そんな風にガーランドは思っていた。誰だってそうだ。ニュースで報じられることなんて、所詮は対岸の火事だもの。メディアという薄皮一枚、あるいは分厚い鉄壁を挟んで、向こう側の世界のことだもの。
 その火に自分の肌が焼かれるまでは。
 ガーランドは、何もできず、ただ、家の前の歩道の隅に、膝を抱えてうずくまっていた。やがて誰かがふらつきながら近寄ってきて、ガーランドの隣に腰を下ろした。ガーランドは顔を上げなかった。誰が来たのかなんて、気配だけで分かった。そいつが、ゆっくりとタバコに火を付けた。
「兄さん……」
 この頃のガーランドは、まだルイスのことを兄さんと呼んでいたのだ。
「姉さんは……?」
 ルイスは何も応えなかった。
 警察官たちが、慌ただしく辺りを駆け回り、ガーランドたちの住んでいたマンションに、出たり入ったりを繰り返していた。その足音をどこか遠くに聞きながら、ガーランドは、ちらりと見た姉の姿を思い出す。姉は、お気に入りの、いつものワンピースを着ていた。あの上からエプロンを着て、料理をするのが好きだった。腹の立つ人だった。いなくなればいいと思ったことだって、一度や二度じゃない。でも本当は好きだった。この世でたった二人だけの姉弟だった。優しかった。姉の側だと優しくなれた。
 真紅に染まったワンピースを纏い、身動き一つしなくなった姉は、担架で救急車に運び込まれ、けたたましいサイレンと共に去っていたのだ。
 その後のことをルイスに尋ねても、彼は何も応えない。それが全ての答えだった。
 本当に、強盗殺人なんて遠い世界のことだと思っていたんだ。
 二人は並んで、ずっと歩道の上に座り込んでいた。
 姉を亡くした男と。
 恋人を亡くした男と。
 長い間兄弟同然に過ごしてきた二人が。
 と、重い足音が近づいてきた。誰かが、自分たちの顔をのぞき込んでいるような気配がした。
「山城、大丈夫か」
 低い、男の声がそう言った。
「平気です……とは言えませんがね」
 ルイスの深い溜息が聞こえた。
「仕事はやります。刑事の女に手出したことを、後悔させてやりますよ」
 静かな怒りと共に、ルイスは立ち上がった。上司らしい刑事が、ルイスの肩にぽんと手を置いた。そして刑事は、今だ顔すら上げられずにいるガーランドの側に、しゃがみ込んだ。
 ルイスのことだ。上司や同僚には、普段から何度も語っていただろう。ガーランドや姉のことを、おもしろおかしく。だから刑事は、ガーランドに親近感を持っていたのかも知れない。少なくとも、赤の他人以上には感情移入していたかもしれない。
 刑事はガーランドの肩を撫で、低く、優しい声でこう言った。
「元気出せ。お姉さんを殺した奴は、オレたちが必ず捕まえる。絶対に逃がしゃしねえよ」
「刑事さんって……警察の人でしょ……」
 やっとガーランドは、かすれた声を挙げた。刑事は戸惑い、生返事を返す。
「おう」
「なら……」
 突然、ガーランドは獣のように飛び上がり、刑事の胸ぐらに掴みかかった。怒りが体の中で渦巻いていた。中年刑事を押し倒し、その襟首を握りしめ、指が痛くなるほど握りしめ、それでも止まらない激情を、ガーランドは言葉にならない言葉で吐き出した。
「なんで姉さんを護ってくれなかったんですかっ!」
 はっとしたルイスが、ガーランドの体を乱暴に引きはがした。だがそれでもガーランドは止まらない。もう訳も分からなくなって、叫ぶより他なくなって、
「犯人捕まえて何になるんですか!? 姉さんは生き返るんですか!? 姉さんは」
「ガーランド」
「姉さんは一人しかいないんですよ!」
「ガーランド、やめろ! どうしようもなかったんだ!」
 今度は、ルイスを睨みつける。頭一つ分背の高い、ルイスの目を睨みつける。悲しみと怒りの視線が交差して、やりきれなさが爆発する。
「どうしようもないなら、何で警察なんかあるんだよ!!」
 その一言で、辺りはしんと静まりかえった。
 硬直していた。殺人現場に詰めかけていた、全ての警察官たちが。
 一瞬で硬直から抜け出した者。数秒続いた者。立ち直るのに何十秒もかかった者。程度の違いはあれ、さすがにプロの警察官たちだった。一分以上動けなくなる者は一人としていなかった。何度も考え、悩み、そして解決できぬまま、前に進むしかない。彼らは、そんな経験を繰り返してきた、大人達だった。
 そう、それは……たぶん誰もが抱いている、壁。
 限界と言う名の。
 ガーランドは力の全てを使い果たして、その場に座り込んだ。しばらくして、若い警察官が運転するパトカーで、警察局に連れて行かれた。そこで、落ち着くまでたっぷり休ませてもらってから、事情聴取を受けた。ガーランドは質問の全てに、機械的に答えた。体をオートマティックに任せておいて、頭の中では別のことを、ずっと考えていた。
 数日後、ガーランドは高校のクラス担任に、進路を変えたいと申し出た。
 工学部を受験する予定だったところを、法学部に変更した。理系クラスから文系クラスに移動した。猛勉強が始まった。得意の数学理科を捨て、苦手の国語社会を頭に叩き込んだ。時間はなかった。受験までのあと数ヶ月で、今まで学んだことすらない科目を、百戦錬磨のライバルたちと同じ……いや、それ以上のレベルにまで持ち上げなければならなかった。
 ガーランドを、一つの想いが突き動かしていた。
 姉さんの仇を討つ。
 それは殺人犯を捕まえてやるとか、そういうことではない。もっと大きな物をガーランドは見据えていた。姉さんを殺したもの。自分から姉さんを奪ったもの。それは一人の犯罪者などではなく……
 この世界そのものだ。
 なら、世界を討つ。
 警察の頂点に立って、この世の全てを変えてやる。
 それだけが、姉の死に報いる道のような気がしていた。

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