警部補ガーランドの最期 2、3
千里中央(センチュー)の夜空に爆発の華。シーファは爆風に吹き飛ばされて、彗星のように落下していく。消し飛びかける意識の中で、シーファの意地が燃え上がる。耐えろ。戦え。
《飛べっ!》
気迫がそのままコマンドとなり、フロートドレスを突き動かした。腰に装着した鞘のようなバーニアが、重金属プラズマを噴射する。墜落寸前のシーファが空へ跳ね上がり、小さな胸に加速度のハンマーが振り下ろされる。
かはっ。
苦しげに喘ぎながら、それでもシーファは網膜投影HUDを睨んだ。レーダーに感。敵を示す光の点が、瞬きながら接近してくる。
『よく頑張った。でもこれで終わりだ!』
「ガーランド!」
空機最強のフロートドレス・パイロット。シーファの上司、先輩、憧れの人。でも今は、
敵だ!
急速反転、シーファはガーランドを正面に捉え、一直線に前進する。
瞬間ガーランドのミサイルポッドが無数の白糸が発射した。優しい指のように包み込んでくるミサイルの束。距離を取って回避すべき状況。だがそれではガーランドの思う壺だ。接近戦特化のシーファを寄せ付けないための、彼の戦術なのだ。
だったら敢えて前に行く!
――避けろよ、シーファっ!
自分に言い聞かせ、
「《アクティヴ》!」
シーファは背中の増加推進器に火を付けた。迸る光が翼となって、シーファを瞬時に120m毎秒まで加速する。体が引き裂かれそうなほどの衝撃に耐え、シーファはそのままミサイルの網に突っ込んだ。四方から噛みついてくる蜘蛛の糸の中を縫い進み、その追跡を振り切ってガーランドの目前へと接近する。
『避けたのか!』
「すごいっ!?」
『自分で!?』
思わず突っ込みを入れながら、ガーランドは慌てて後退した。だがシーファのトップスピードから逃げられるドレスは存在しない。瞬き一つするより早く、シーファはガーランドの懐に飛び込み、右の拳を叩き込む。
フロートドレスは人間の体重を千分の一に縮小する。だからただのパンチでも、千倍の力で殴られたに等しい衝撃を受けるのである。ガーランドは矢のように吹き飛ばされて、ビルの外壁に強く背中を打ち付けた。
――行ける!
シーファの背筋に予感が走る。バーニア全開、拳を振り上げながらガーランドを追い、一瞬動きを止めたガーランドの胸に必殺の一撃を叩きつける。
「《インパクト》っ!」
手甲に内蔵された電磁ピストンが、ガーランドの胸をまともに貫いた……
かに思われた瞬間、目の前にあったガーランドの姿が忽然と掻き消えた。瞬時に危険を察してシーファは体を捻る。しかし後一歩の所で間に合わず、背後から打ち込まれた銃弾がシーファを真っ直ぐに貫いた。
ずぐん、と、体内に低い響きだけを残して。
そこでシーファの意識は暗転した。
「ぷはっ!」
シーファはヘルメットを脱ぐなり、破裂するように息を吐いた。全身汗でびしょぬれだ。暗くて狭い、訓練用フロートドレス・シミュレータのシートの上、シーファは荒い息を吐く。首の後ろのニューロリンク・コネクタから端子を引き抜くのも忘れ、ぼうっとヘルメットに視線を落とす。
「くっそお……」
脳神経が痛む。猛烈な頭痛と吐き気に、シーファは脂汗を垂らして耐えていた。乗り物酔いの酷い時のような感覚である。
このフロートドレス・シミュレータは、神経リンクで五感までシミュレートするという代物だ。それだけに、致命傷を受けた時のフィードバックをそのまま受ければ、使用者の死にも繋がりかねない。そこで、シミュレータ内で「戦死」した時には、寸前で神経リンクを強制切断するという、安全装置が組み込まれている。
しかし準備もなく突然神経リンクを切断することは、人間の脳神経に多大な負担をかける。その結果がこれである。
シーファはしばらくシートに背中を預けて、苦しげに深呼吸を繰り返していた。喉の奥に何かが詰まっているような、真綿で首を絞められているような、気持ち悪さ。詰まっている物を吐き出してしまいたい。だがその気持ち悪さはただの錯覚だ。実際は、喉には何も詰まってはいないし、当然吐いた所で楽にはならない。吐くだけ損である。
何度も経験して知っているシーファは、深呼吸で込み上げるものを抑えているのだった。
――風、当たりたい……
丁度そう思ったとき、シミュレータのハッチが開き、気持ちいい空気が吹き込んできた。
「あっ……」
その冷たさに頬を撫でられ、シーファは身震いするような快感を味わった。思わず吐息が漏れてしまうほどに。ほんの一瞬とはいえ、酷い吐き気がすうっと引いていく。頭がまっしろになって、何も考えられなくなるほどの清々しさ。
「ごめん、シーファ。大丈夫?」
ハッチの向こうから心配そうに覗き込む男が、優しい声で言った。
ガーランドである。
「ん……気持ちわる……」
シーファは正直に言った。毎度のことである。
訓練のため、ガーランドやルイス、あるいは他の分隊と演習を行うことは多い。だがその中で、一度たりとも勝ったことがないのはガーランドを相手にしたときだけだ。正直言って悔しい。いつか勝ちたい、とシーファは思っている。FDを着れば誰にも負けないというシーファの自負を、定期的に木っ端微塵にしてくれるガーランド。いつか一泡吹かせてやりたい。
が……しかし。
ガーランドはそっと手を伸ばし、シーファの背中を優しく撫でてくれた。ただそれだけで、シーファは背筋がゾクゾクするのを感じるのだ。興奮して赤くなった顔を見られないよう、シミュレータ内の闇に顔を背ける。
毎度のことである。
負けたシーファが接続酔いになると、決まってガーランドが背中を撫でてくれる。半分それが楽しみで演習をやってるなんて言えない。間違っても言えない。
これがまた、ガーランドが、こと吐き気と胃痛に関してはプロフェッショナルで、どうすれば吐き気が軽くなるかということを良く心得ているのである。ただ背中を撫でるのでも、ルイスが乱暴にやるのとは手つきが違う。そして気持ち悪さが引いていったときの、喘いでしまうほどの快感を、シーファはもう知ってしまった。
……変態か、私は?
そんなふうに思うと、なんとなく決まりが悪くて、遠慮してしまう。
「ありがと……ちょっと、治まった」
「そっか」
ガーランドはにこりと笑うと、シーファの額にまだ脂汗が残っているのを見て、そのまま手を動かし続けた。遠慮もお見通しか。こういう風に優しくされると弱いのだ、シーファは。
「今日は凄かったね。危ないところだった」
「そーだろうそーだろう」
多少気分の良くなったシーファは、こくりこくりと頷いて見せた。
「いくらなんでも、あそこでミサイルはないぞ、ガーランド。あれは私をナメ過ぎだ」
「悪かったよ。でも、MAF最大傾斜からの急加速中に、全部避けるなんて思わないじゃないか」
「お前ならできるだろ?」
「まあね」
「ほらナメてかかってる。私だって、いつまでも新人じゃないんだ」
話しているうちに、すっかり吐き気も消えたようだった。ガーランドはシーファの手を引いて、彼女をシミュレータの外へエスコートした。こうして外に並んで立つと、まるで大人と子供のような身長差である。が、そんなものを物ともせず、シーファは目の前にある胸板に、とん、と拳を押し当てた。
「次は絶対勝つからな!」
にやっ、と笑うシーファに、ガーランドは……
一瞬、寂しそうな表情を浮かべた。
だがシーファがそれに気付くよりも早く、顔に出た色をさっと消してしまったのだった。
ほっといても笑いが込み上げてしまう。
「ふっふっふ……悪いなルイス! ガーランドに勝つのは私が先みたいだなー?」
分隊室の自分のデスクについたシーファは、さっきからニヤニヤしっぱなしなのだった。意味もなく勢いを付け、椅子をくるくる回転させる。目が回る。でも目が回るのすら気持ちいい。今だったら頭はたかれたって快感になりそうだ。
「あー、はいはい……ったく、まだ勝ってもいないのに浮かれやがって」
奥のソファにだらしなく寝そべったルイス・山城が、ソファの背もたれによっかかりながら呆れた声を挙げた。せっかくアイロンを当ててもらった制服を、くちゃくちゃに着崩してしまっている。頭も寝癖のまま。事務仕事も最大限サボって、あのとおり。
「だいたいな、勝負なんてなァ時の運なんだ。誰かが勝てば誰かが負ける……」
「何の歌?」
「……とにかくだ。お前みたいに油断してると、あっという所で裏をかかれるモンなんだよ」
「そんなこと言って。じゃあルイス、一度でもガーランドに攻撃かすらせたこと、あるのか?」
ぴたりとルイスの声が止まった。ないらしい。
が、一瞬の沈黙の後で、軽い声が聞こえてきた。
「俺はいーんだよ。勝ち負けだの、世俗のことからは足洗ったんでね」
「負け惜しみ!」
「うるせえや」
不貞寝を始めたルイスに苦笑して、シーファはそっと、デスクの引き出しに手をかけた。
ちらり、ちらり、と辺りの様子を伺いながら、音を立てないようにゆっくり引き出しを開いていく。大丈夫、いま分隊室には自分とルイスしかいない。誰にも見られることはないはずだ。
シーファの手が、滑るように引き出しの中に吸い込まれた。指先に触れる固い感触
ここに、一通の封筒がある。真っ白な封筒にかわいらしい花柄の縁取りがしてあって、封はハート型……は、さすがに恥ずかしかったので、赤い星型のシールで閉じられている。
何を隠そう、ガーランドへのラブレターである。
……中学生みたいと言うなかれ。シーファなりに、色々考えた末の結論である。面と向かってはとても言えそうにないし、酒に酔った勢いで打ち明けようにも、シーファは未成年。手紙を書く以外に方法が見当たらなかったのだ。
すぐ後ろにルイスがいる状態で、あえてシーファはラブレターの存在を確かめた。ルイスが何かの気まぐれで起きたりしたら、あっけなくこの恥ずかしい手紙のことがバレるかもしれない。
恥ずかしい。でも……見られたい、かもしれない。見つかっちゃいけない。でも見つかって、思いっきりからかわれてみたい。そんな相反する気持ちに挟まれて、なぜかシーファはどきどきしていた。お腹の下のあたりから突き上げてくるようなスリルに、胸が震えそうになる。自分の気持ちの全てを込めた手紙を、そっと指で撫で擦る。
……と。
「うにゃー? なにそれー?」
突然シーファの横から頭が生えた。
「え!? エミリィ!?」
がたん、と椅子を蹴ってシーファは立ち上がった。一体いつからそこにいたのか。音もなく背後に忍び寄っていたエミリィ・ガブリエルズ……131分隊のオペレータが、ニタァーと悪魔のような笑みを浮かべている。
「アラー? アララー? しーちゃんそれはナンデショネー?」
「なっ……なんでもない! エミリィには関係ない!」
慌てて叫びながら手紙を隠すが、それが裏目だった。うとうとしかけていたルイスまでもが、トラブルの匂いを嗅ぎ付けて、冬眠明けのクマのように、のそのそとソファから這い出してくる。
「あんだ? どした」
「いやっ……なんでも……」
「ちょっときーてよルイスぅー。しーちゃんね、ガーちゃんに、ら・ぶ・れ・た・あを書いてるんでゴザイマスのよー!」
シーファの顔から血の気が引いた。
なんでエミリィが知ってるんだ!?
「なにぃ? らぶれたあだと……そいつぁ……」
ルイスは難しい顔で腕組みすると、
「ほっとけねえなあ!」
実に楽しそうに、エミリィそっくりに笑った。
「そんでね、しーちゃん、ガーちゃんに勝つまでこの手紙は渡さないって決めてたんだって! だかんね、もーちょいで勝てそーで、チョー嬉しーのー!」
腕組みしまま、ルイスは神妙に頷いて、
「そりゃまた、女みたいで可愛いじゃねえか」
「私は女だ!」
思わずツッコミ入れたシーファに、二人は並んでパタパタ手を振る。
「まったまた。」
「ご冗談を。」
「貴様らーっ!!」
シーファは怒り狂って猿のように掴み掛かったが、敵もさるもの。ルイスもエミリィも華麗な身のこなしでシーファの腕を潜り抜ける。こんなとき、体が小さいのが不便である。腕が短くて逃げるルイスに届かない。
「あーもう! だいたい、なんでエミリィがそこまで知ってるんだよ! 私、そんなこと誰にも言ったこと……」
と言いかけたところで、シーファは気づいた。
ルイスとエミリィが物言いたげに、にやついている。
「あ……」
カマをかけられた。
「ああーっ!?」
まんまと二人にしてやられたと悟ると、シーファは身もだえしながらデスクの椅子に寄りかかった。エミリィは適当にでっちあげて喋っただけだったのだ。なのにわざわざ、自分からそれを肯定するようなことを言って……
「うわああああああー! もうだめだあああああ!!」
「うーん、からかい甲斐のある奴……」
シーファを眺めながら、半ば呆れ気味にルイスは呟いた。シーファがガーランドに惚れていることは、ほとんど周知の事実であるし、いまさらラブレター一通見つかったくらいで何がどうなる……と思うのは回りの勝手な感想だろうか。
まあ、あまりからかいすぎるのも良くない。
二人はすり足にシーファの側へ忍び寄り、ポンと彼女の背中を叩いた。
「マーマー、しーちゃん。うまくいくといーねえ」
「まあ、頑張れや」
「……うおお」
二人に励まされながら、シーファは唸りとも返事ともつかない声を挙げたのだった。
翌日。131分隊の休日がやってきた。
シーファは買い物に出かけた。何か予定があって、そのために新しい服を用意したいんだとか。エミリィとルイスは昼間から飲み屋。まあ、いつものことだ。
そう。いつもと変わらない日常。
予感があった。確信と言うべきだろうか。この日常の中に、自分は……ガーランド・フィリップスは、必ずしもいる存在ではない。居る存在でも。要る存在でも。
今までに、出張だの病気だので部隊を離れたことは何度もある。そんな時でも、部隊は問題なく動き続けた。日常は停まることなく流れ続けた。そんなものなのだ。それが日常というものの残酷さ……人間というものの強かさだ。
突然何かが欠けてしまっても、人は案外、冷静に対処できる。
ましてそれが、百戦錬磨の戦士達ならなおさらだ。
自分がいなくても、131分隊は大丈夫。あいつらなら、やっていける。
そういう予感と確信があった。
――だから、安心して……
一瞬心に浮かんだ考えを、ガーランドは反射的に嫌悪した。拭いがたい後ろめたさがガーランドを苦しめていた。自分はみんなを見捨てようとしているのではないか? 責任も、信頼も、全て投げだそうとしているのでは?
「……ちょっと、聞いてる?」
シーファに話しかけられたような気がして、ガーランドはびくつきながら顔を上げた。
梅田城そばの喫茶店は、平日の昼間だというのに大繁盛だった。学校をサボったらしい制服姿の女の子、熱心に打ち合わせを進めるサラリーマン、ただぼうっと窓の外を見つめるヒマそうな若者。喧噪を切り裂いて、ウェイトレスが風のように駆け回る。
周囲の騒がしさが返ってガーランドを落ち着かせてくれた。ガーランドはゆっくり深呼吸すると、向かいに座る少女を見据える。少女の髪は黒く艶やかで、瞳は見る者を吸い込みそうなほど深い。シーファと瓜二つの美しい少女だった。
彼女は大阪国防軍一尉タオ・リンファ。警察局幹部の道警視正の娘。シーファの双子の姉である。
怪訝そうに見つめてくるリンファに、ガーランドはどぎまぎしながら答えた。
「ああ、うん。聞いてたよ」
「どーだか。あんた、迷ってんでしょ」
じゅるる、とリンファはソーダフロートの残りを飲み干した。姿こそ同じだが、彼女はシーファとは決定的に違う。シーファはコーヒーをブラックで飲んで大人ぶるような子だが、リンファは音を立ててソーダフロートを啜りながら臆面もない。
「でもま、そのあんたがこんな事切り出すんだから……よっぽどなんでしょ」
「……ああ」
こんな事。
ガーランドは椅子に背を投げ出して、ぼうっと喫茶店の天井を見上げた。
「とにかく、上の話じゃ……」
リンファは、あだっぽい声で言いながら、一枚のICカードをテーブルの上に滑らせた。コーヒーのソーサーにぶつかったカードが、コツンと音を立てる。ガーランドは目を細める。
このカードが、未来への扉を開く魔法の鍵。
国防軍のIDカードである。
「最初から一尉の待遇は保証するそうよ。それから、働き次第では佐官クラスへの登用もやぶさかじゃないって」
「……そっか」
気のない返事をしながら、ガーランドはそっと手を伸ばした。
指先がカードに触れ……ためらい、離れる。
このカードを受けとれば、自分はもう、131分隊のフィリップス警部補ではなくなる。国防軍のフィリップス一尉……さらには、フィリップス三佐。二佐。いつか将官クラスまで上り詰めることも、不可能ではない。
道が開ける。
自分が歩みたかった道。
上へと、ひたすら昇り続ける道。
なのに覚悟が決まらない。
このカードに触ることが、全ての絆を断ち切るような、今までの自分を否定するような、そんな気がして。進めない。かといって戻ることもできない。ガーランドの視線が泳ぐ。どこか遠くへと流れていく――
「念のため言っとくけど」
そのガーランドを、陸へ……いや、多少なりとも流れの弱い方へ引き寄せたのは、やはりリンファだった。
「それを受けとったから即採用、ってわけじゃないから」
「え?」
「それ、ウチの端末で処理しないと使えないのよ。一応渡してはおくけど、その気になったら軍まで来てちょーだい。つまりね……」
リンファは椅子の上で足を組み、タイトスカートの内から艶めかしい脚線を覗かせた。
「そのくらい迷うような奴でもなきゃ、ウチには要らないってことよ。
このご時世、人材不足はどこも一緒でしょ。好条件に吊られてホイホイついてくような奴は信用ならない、ってことね」
安堵の溜息を吐いて、ガーランドはカードを拾い上げた。手の中でひっくり返し、窓から差し込む太陽光を反射させ、ひとしきり弄ぶ。やがてガーランドは無理をして、リンファに微笑みかけた。
「ありがとう。君が知り合いでよかった。こうして紹介もしてもらえたし……」
「こーんな可愛い子と、楽しくお茶もできたしね」
リンファは自信たっぷりに言いながら、ウィンクをしてみせた。ガーランドは思わずどきりとして、目をそらす。シーファなら、絶対にこんな台詞は言えない。言うにしても、照れて真っ赤になりながら、半分やけっぱちで吐き捨てるのが関の山だ。同じ顔で二種類の個性を魅せられると、一人の人間の二面性を見ているような気がして、不思議な快感を覚えてしまう。
そんなガーランドの心中を知ってか知らずか、リンファはずずい、と身を乗り出して、ガーランドの顔をすくい上げるように見つめた。
「あとさ、もう一個」
「え?」
「シーファとどーなってんの、あんた?」
「どうって、別に……」
「あんたまさか、まだちゅーの一つもしてないんじゃモガガ!」
「こっ、声が大きい!」
ガーランドは慌ててリンファの口を塞ぎ、辺りの様子をうかがった。近く席で数人がくすくす笑っている。聞かれたらしい。そりゃそうだ。あの大声である。
ガーランドは溜息を吐いた。以前に一度、押し倒そうとして、シーファにけっ飛ばされてしまったことがある……それが引け目で、ガーランドは未だに一歩も踏み出せないでいたのである。
「ったく……見ててイライラすんのよ。お互いガキじゃないんだから、ちゃっちゃとやることやって、さっぱりしちゃいなさいよ!」
「……君たち、本当に双子?」
「文句ある?」
「いや……別に……」
コーヒーを啜るガーランドは、気付かなかった。
それまで近くの席にいた女性が、隠れるように、店から出て行ったことに。
梅田の街をとぼとぼと歩きながら、シーファは空を見上げた。青い、青い空。
右手に提げた紙袋が重い。
あの喫茶店に入ったのは、ただの偶然である。シーファは今日、ガーランドに最後の勝負を仕掛けるための服を買うために、一人梅田の街へ降りてきたのだ。とびきり可愛いのを見つけて、それを着た自分がガーランドに告白するさまを空想して、どきどきしながらポケットの中の手紙にそっと指を這わせて……
なのに、どうして?
あのガーランドが、警察を辞める?
そんなこと、考えたこともなかった。
なんとなく、ガーランドはずっと自分の上司でいてくれるような気がしていた。いつまでも、色んなことを教えてくれる、優しい先輩でいてくれるように思っていた。だがそれは、都合のいい妄想だったのだ。ガーランドはシーファの付属物ではない、一人の人間だ。彼には彼の道があり、それがシーファの道と離れることは、いつだってあり得たことなのだ。
かつてガーランドは、ライバルによって不祥事を捏造され、出世の道を閉ざされた。彼はずっとそのことで悩み続けてきた。自分はこんなところで何を燻っているだろうか、と。上へ上り詰めたいという想いと、現実に対する諦めが、ガーランドの中でごちゃまぜになっていた。
そしてそこへ、奴が現れた。
バロン・アンタイトルド。
リンファ姉さんが追い続けてきた敵。ガーランドの仇敵。そして、この世界全てを危機に陥れようとしている者。
公家相手に一警察官ができることは、何もない。バロンは権力という厚い壁に護られている。フロートドレスでどれほど華麗に空を舞おうと、決して奴に届くことはない。水一滴漏らさぬ、光一条零さぬ、鉄壁だ。
ガーランドは、そんな物に立ち向かおうとしている。
「はあ……」
いつの間にか駅前のロータリーにやってきていたシーファは、植え込みのそばのベンチにそっと腰を下ろした。懐かしいベンチ。あれはもう八ヶ月も前……2月のこと。ガーランドを初めてデートに誘った時、待ち合わせ場所にしたのが、このベンチだった。
あの時は、デート中に爆弾テロに巻き込まれて、大変な目に遭ったっけ。でもガーランドはちゃんと守ってくれた。命がけで助けてくれたんだ……
じわり、と涙がにじんだ。
辞めて欲しくない。ずっと側にいて欲しい。
でも、前に進もうとしているガーランドを、自分で道を切り開こうとしているガーランドを、止めてしまいたくない。
シーファは握り拳で涙を拭った。泣いている場合じゃなかった。
さあ、どうする?
私は彼のために何をしてあげられる?