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2006年05月20日

 ■ 夏越

 極限まで贅肉を削ぎ落とされた工場プラントは、それ自体が芸術作品のようですらある。
 宵闇の中でプラントは禍々しい体を震わせていた。スティールではないだろう、何か硬質な金属素材によって壁面は形作られ、蛇のような配管がそれらの間を行き来する。その姿は一見して、目にした者全てを混乱に陥れるほど複雑に思えるが、事実はそうではなかった。効率化のため綿密に設計された、最も単純な姿をしていたのである。
 だからこそ、それは芸術だったのだ。強烈な強制力を持つ何かしらの目的のため、他の全て――人はよくそれに目を奪われるが、実際には贅肉でしかないもの――を擲って構成された物だから。芸術の定義が他にあろうか?
 ということは、プラントの中にいる彼らも芸術と呼べるだろうか。
 プラントの中の広大な空間には、しかしながらただ一人の人間も存在しなかった。
 長大なベルトコンベアが絶えず蠕動を続ける。多数の作業機械が超伝導モーターの唸り声を響かせる。あちらこちらの配管やリフトからは、別のプラントで加工された部品が、行儀良く一個ずつパレットに乗せられて、コンベアの流れに加わる。
 こういった自動化された工場は、20世紀の末期には既に実用化されていた。だが、ここまで徹底したものは一つとしてなかった。
 ひぃーん……と、超伝導モーターが唸る。
 機械の手が、流れてきたパレットから部品を取り上げ、自分の受け持つ作業を手早く済ませて、またコンベアへと戻した。
 プラントのあらゆる場所で、数百の機械の手が、足並みを揃えて一斉に。このプラントには人間の作業員は皆無である。全ての作業は自動機械によって行われ、昼も夜もコンベアが止まることは一秒たりともないのだ。

 オートマトンと呼ばれるそれらの自動機械を一手に制御するのが、彼女、夏越(なごし)の仕事だった。勤務時間の間、ただこうして専用のシートに座り、飛び込んでくる情報を管理する。
 仕事中は気が楽だ。いくつかのグリーンランプ以外には灯りすらない制御室の中で、夏越はそう思っていた。彼女の見かけの年齢は、20代後半あたり。黄金色の髪は太く、そして真っ直ぐで、同じ色の太い眉と合わせて、彼女の強靱な意志を物語っていた。その一方で、豊かに膨らんだ胸や流れるような脚線が、30がらみの色気を醸し出す。人に――男に会えば、いつも決まって同じような視線を向けられる。
 きゅっ、と夏越は唇を一文字に結んだ。好きでこんな姿に生まれたわけではない。神様、と夏越は呼んでいたが、彼女と生み出した誰か、もしくは何かが、おそらくは面白半分でこんな格好をさせたのだろう。迷惑極まりない話だ。美しさや色気に何の価値がある? 生み出され、働いて、壊れて、消えていくための物に。少なくともこの十年の経験では……表を歩きにくくなるだけではないか。
 煩わしいばかりだ。人間と関わることなど。仕事中はオートマトンたちと向き合っていればそれでいい。そう、彼らの方が、よその人間などより余程自分に近しい存在だ……
 ふと夏越は異変に気付いた。何者かが工場に入ってきた。不法侵入というわけではない、ちゃんと正規のIDカードを使って、扉を開けたのだ。このIDは工場長のもの。そんな情報が一瞬で夏越の頭に流れ込んでくる。夏越の首筋、手の甲、胸元、前髪の生え際のあたりには、それぞれ小さなソケットが埋め込まれている。その全てにNLC(ニューロ・リンク・コネクタ)コードが差し込まれ、彼女の頭脳とプラントの制御システムを直接繋いでいるのだ。
『いらっしゃいませ、工場長』
 夏越は目を閉じて余計な情報をシャットアウトすると、工場長が歩いてくる廊下のスピーカから声を出した。
『こんな夜中にどうなさいました? それに……』
 監視カメラの映像などで始めから気付いていたが、工場長の横にはもう一人の男が並んでいた。工場長自体、もう中年と呼ぶのも相応しくなくなってきたほどの歳だが、この男はさらに年かさだった。若くとも60代半ば、ひょっとすると80近いのかもしれない。
『ああ、本社の専務だよ。忙しい日程の中、どうしてもプラントを見学したいとおっしゃってね……』
 さも迷惑そうな口ぶりで工場長は答えたが、その表情はとてもそうは見えなかった。むしろ自分の職場に上司の目が向いたことが、純粋に嬉しい様子である。工場長にはまるで子供のような所がある。夏越は彼の性格をよく心得ていた。
『そういうことだ。君か? もう10年目になるという、EMO社の……』
 なんと言ったかな、という表情を浮かべて専務は首を捻った。夏越はあるコマンドを制御システムに叩きつけた。今ごろ、専務たちの前には非の打ち所のない愛想笑いを浮かべる夏越そっくりのホログラフが投影されていることだろう。
『《夏越》ですわ。ご案内いたします。制御室がよろしいですか?』
『できれば現場で働くオートマトンを先に見たいんだが?』
 よく分かっていないらしい専務の言葉に、工場長は慌てて首を横に振った。
『いけません、いけません。プラント内部は亜絶対零度まで冷却されているんです。でなければオートマトンの超伝導モーターが動きませんから……』
『おっと! そうだったな。うっかり足を踏み込んでいたら、肝を冷やす所だったよ! わあっはっはっは!』
 くすくす笑うホログラフを映すのを、夏越は忘れなかった。
 本当に、仕事中は気が楽だ。人間の相手をしなくて済む間は。
 その固定観念を裏付けるかのように、夏越は気が重くなるのを感じていた。

「さあ、姿を見せてくれ」
 そうら来た。人間の男はみんなそう言う。
 制御室にやってきた専務の要望に従って、夏越は意識を集中させた。しばらくの間、自動で作業が進むように設定しておいてから、NLCコードを外しにかかる。軽い空気圧の噴射音を立てて、7本のコードが一斉に体から離れていく。
 体を縛るコードが解かれたときの、この不安感はなんだろう?
 夏越はえもいわれぬ不快な感触を抱きながら、そっとシートから立ち上がった。その美しい肢体が露わになり、専務がおおっと溜息を漏らす。夏越は裸ではなかったが、体にぴたりと張り付いた伸縮生地の衣服は、それに近い印象を与えた。
 それは、あまりにも異様な美。
「どうぞご覧ください」
 度を超した美しさ。まるで作り物の……
「これがEAM-T03QL、シリアル49330、《夏越》ですわ」
 そう、それは作り物だったのである。
 オートマトンには大きく分けて二種類がある。一つは、独立して行動できるというだけで、意志らしい意志は持たないもの。もう一つは、ほとんど人間と変わらないほどの意志と思考能力を持ったもの。便宜上、それぞれB級、A級と格付けされている。
 夏越はその後者、A級オートマトンの一人なのである。
 この柔らかい肌も人工皮膚。整った顔立ちの中にあるのは機械骨格。頭蓋の中に搭載されたのは電脳で、胸の奥の動力源はカオティック・インフレーション機関だ。
「素晴らしい」
 惚けた顔で、専務はただそれだけ漏らすのが精一杯だった。

『A級オートマトン1機を買うのに、だいたい二千万ほどかかるわけだが』
 帰り道の廊下で、専務は工場長と上機嫌で話を弾ませていた。夏越にとってはどうでもい話だった。彼女はオートマトン。働くために生み出された機械。ただの道具である。自分の仕事さえ滞りなく進むなら、それ以外のことには何の興味もなかった。
 だから専務が制御室を後にするなり、夏越はまたいつものシートに戻った。全てのコードを体中に差し込み、ほっと安心する。いつもと同じ正確で精密で能率的な仕事が始まるのだ。
 こうして専務の話を立ち聞きしているのは、単に工場の外まで安全に送りだすのが、彼女の仕事だからに過ぎない。
『1機あればプラント一つのB級オートマトンを、極めて正確かつ効率的に制御することができる。命令、監視、フィードバック、整備に至るまでな。同じことを人間にやらせるなら……何人欲しい、工場長?』
『そうですなあ。慣れた人間が20人は……』
『だろうな。20人雇えば、一年間の人件費だけでその二倍は掛かるわけだ。オートマトンというのは、全く資本家の夢が形となったような機械だよ』
『しかし、少し恐ろしいものもあります』
 工場長は軽く身震いをした。
『その行き着くところは、結局人間は働かなくていい、ということでしょう? その時は、私らは一体何をしましょう?』
 工場長は古いタイプの職人だ。まだオートマトンが生まれる前、30年以上も昔から製造に携わってきた男である。それだけに働けないことが苦痛だという考え方をする。専務はそれを、豪快に笑い飛ばした。
『その時は、テレビゲームでもやってればよろしい!』
『お。専務もおやりになりますか』
『コレくらいだがね』
 専務は手元で何か板のような物を――いや、麻雀牌を倒す仕草をした。
『いいですなあ。いかがです、今度メンツを集めて』
『おう、手加減はせんよ。ああ丁度いい、EMOの営業くんも誘ってみようか』
『ああ、例の新型機の?』
 一瞬。
 ほんの一瞬だけだったが、プラント全体を異変が包んだ。僅か一秒、いや半秒ほどの間、プラント内の全てのオートマトンが動きを止めた。本来あり得ないことだった。僅か半秒とはいえ、オートマトンが手を止めるなど。ましてプラント全体がミリ秒ほどの狂いもなく全く同時に停止するなど。
 全ては、閃光のように夏越を襲った、動揺によるものだった。
 新型……機?
 夏越はオートマトンの制御をまたプログラムに任せ、専務たちの様子を真剣に見つめた。監視カメラの映像を拡大し、解像度を高める。音声の圧縮率を下げて音質を上げる。専務たちの一挙手一投足に至るまで、その意志を確認する役に立ちそうな情報は、全て最大限の精度で収拾した。
『結局どうされるんです? 実証された例は無いにせよ、オートマトンの寿命は50年はあるといいます。まだ夏越は使えますが』
『だが新型は作業能率が段違いでな。佐世保の新工場で試用した同型機の実績は、ここの夏越とやらを3割は上回っていた。確かに余計なコストは掛かるがね……それで生産性が上がれば、数年でおつりが来るよ』
 嘘だ。
『では、決定ですか』
 嘘だ。
『ああ』
 嘘だ!
 どうしてそんなに簡単に、深刻さの欠片も見えない世間話の中で、私を抹殺するというのだ! これは嘘に決まっている。新型機なんか導入されない。私は10年ここで働いてきた。今も休まず働いている。これからだってずっと働く!
『今日来たのはその為だよ。別の用途で夏越を使えないかとね……』
『といいますと?』
『社長が秘書を欲しがってる。だが、あれはダメだな……美人だが覇気がなさ過ぎる。秘書の見栄えは重要だからなあ』
『じゃあ夏越は破棄ですか……』
『それは可哀想だろう。下取りに出すさ。余所で何かの仕事に就く。安心したまえ』
『これはどうも……』
 嘘……だ……
 だって……だって、余所へ行って……一体何をしろって言うんだ……?
 私には、ここしか……
 私には――

 夜が明け、眩しい太陽が知らぬ間に頭上を通り過ぎ、また夜がやってきても、なお夏越の心は迷いばかりに満たされていた。
 私は捨てられる。突如突きつけられたその事実による猛烈な不安感が、今の夏越の全てだった。今まで夏越は、ただ役目を果たすことだけを考え、気が狂いそうになるほど長い時間をこの制御室の中で過ごしてきた。他には何も要らなかった。他のA級オートマトンたちが人間社会の中に溶け込み、人間たちと楽しく過ごしていることは「知って」いた。だがそんな物には毛ほどの魅力も感じなかった。
 与えられた役目を正確かつ精密かつ能率的にこなしている。人間にはとても真似のできない仕事を完璧に成し続けているという事実だけが、夏越を満たしてくれたのだ。
 思えば、10年前にハチノス――製造されたばかりのA級オートマトンを集めて基礎教育を施す、国立の学園島――を卒業した頃の夏越には、これほど強い仕事中毒の症状はなかったかもしれない。だが人間やA級オートマトンとの関わりを断ち、密閉された制御室に籠もり続けた10年という月日は、彼女にとって長すぎた。かつて経験したことがあるはずの楽しかった記憶は過去の物となり、夏越は今やプラントの部品と成り果てていたのである。
 私にはここしかない。このシートに座り、プラントを制御する、それしかないのに。今さら人間たちの中に放り込まれて、四六時中引きつった笑顔を浮かべていろというのか?
 こんな不安の中にいる位なら、まだ破棄されると聞いたほうがマシだった。
 ただ一つだけ救いだったのは、夏越が休まなくてもよいということだった。
 オートマトンも人間同様、疲労もすれば休息もする。ただしその疲労は身体のバランス制御によるものがほとんどで、生産ラインに致命的なエラーが発生しない限り動く必要のない夏越や、プラントに居並ぶ固定設置オートマトンたちなどは、基本的に休息を必要としない。
 だから夏越は、休むことなく仕事に打ち込むことができる。普段なら12時間に1回でいいはずのプログラムチェックを6時間に1回行えば、考える暇が無くなるのに十分な程度には、忙しくなれた。体を――いや、この場合は電脳を動かしていれば、余計な煩悩から解放されるのだ。

 ……と。
 今日4度目のプログラムチェックに没頭していた夏越は、ぴくりと胸を震わせた。女性型オートマトンの胸部が膨らんでいるのは、その中にサブコンピュータを内蔵しているためだ。そのサブコンピュータが、NLCコードを通じて流れ込んできた異質な情報に反応し、僅かに動いたのである。
 なんだ、この感じ?
 感覚の正体は監視カメラが捉えた僅かな異常だった。夜空の星が瞬いた。それ自体はどうということはない。大気中には様々な塵が紛れているのだから、星の光が遮られることくらいあるだろう。
 だが夏越は予感した。これは単なる自然現象などではない。理由は無かった。いわばカンだ。人間にも、そしてオートマトン自身にも制御しきれないほど複雑化した電脳が、無意識下で何らかの証明を行ったのに違いなかった。
 では、自然現象でないとすれば?
 何かが星光を遮った……一体何が?
 まさか、
「侵入者!?」
 思わず夏越が叫んだ瞬間、
 どんっ!
 彼女の全身を貫くような衝撃が襲った。瞬時に制御室の天井が崩れ落ち、真っ白な粉塵と共に冷たい夜風が舞い込んでくる。夏越は慌てるあまりNCLコードを外すのも忘れ、シートから飛び上がった。
 そして目にした。
 蒼。
 粉塵の中で、淡く輝く蒼い光があった。その光が人型をしていることに気付くのに、少しの時間を要した。人間? 確かに長身の男に見える。黒髪はぼさぼさと長く、手足はまるでしなやかな鞭のよう。漆黒のロングコートが風に乗って舞い降りるに従って、蒼い光は次第に薄れていく。光を放っているのはコートの裏地らしかった。
 だがこんなもの、人間であるはずがない。
 夏越には一目で分かった。胸の中のカオティック・インフレーション機関が共鳴の疼きを感じている――
「オートマトン……」
 夏越の呟きに応えるかのように、けたたましい警報が鳴り響いた。同時に灯る赤い回転灯が、埃にまみれた制御室に、血に濡れたかのような壮絶な姿を浮かび上がらせる。
「……あ」
 その光で夏越は我に返った。相手に見とれている場合ではない。こいつはプラントの天井を突き破って飛び込んできた、暴力的な侵入者なのだ。夏越は目を閉じる。NLCコードに意識を集中させ、警備部に報告を――
 が、情報が光速で伝わるよりも早く、コートの男は夏越に肉薄した。次の瞬間男は片腕で夏越を強く抱きすくめ、体をひたりと密着させた。今まで殆ど触れたことのない男というものに抱かれ、夏越は思わず胸を高鳴らせる。
 が、男は夏越の恐れたような……あるいは期待したようなことは何もしなかった。ただ有無を言わせず、夏越の体中をまさぐって、コードというコードを全て抜き取った。気付いた時にはもう遅い。夏越は全ての連絡手段から遮断され、スタンドアローン状態へと陥っていたのだ。
「何を!」
「静かに」
 叫ぶ夏越の唇に、男はそっと人差し指を押し当てた。
「お前に危害を加えるつもりはない……が、暴れるならその限りでもない。分かるな?」
 夏越は何も応えなかった。だが、沈黙をイエスの意思表示と受けとったか、男は腕の力を緩めて夏越を解放した。体が自由になるなり夏越はふらつきながら後ずさり、すくい上げるように男を睨む。
「何者だ? 何をする気だ?」
「くせ者で、ある物を盗み出す気なんだ」
「……はあ?」
 夏越は思わず素っ頓狂な声を挙げた。
 A級とはいえオートマトンは人間の道具である。本来なら、プラントに押し入った強盗が目的をペラペラ話すことなどありえないはずなのだ。同じオートマトンである夏越はそれを実感的に知っているだけに、その驚きは人間が感じるそれよりも遥かに大きな物だった。
「喋った方が何かと都合がいい」
 まるで料理のコツでも説明するかのように、男は軽い声で言う。見れば、回転灯の中浮かび上がる男の表情は穏やかで、とても凶悪な強盗オートマトンには思えなかった。
「このプラントに、厳重に閉鎖された区画があるはずだ。そこに入りたい。協力してくれ」
 しれっと馬鹿げたことを言い放つ男に腹が立ち、思わず夏越は叫んだ。
「そんな協力できるものか!」
「あるんだな、そういう区画」
 この男、カマを掛けたのだ。まんまと情報を引き出されたと知ると、夏越は屈辱に唇を歪めながらそっぽを向いた。
「あったから……どうだといんだ」
「案内してくれないなら、俺はこのプラントを片っ端から爆破する」
 CI機関が止まるかと思った。このプラントの制御を任されている夏越は、プラントを正常に稼働させることを最優先の目的として設定されている。こんなことを宣言されれば、男の言いなりになるしかなくなってしまう。
 そしてそれ以上に……このプラントは夏越の全てだったのだ。
 情けない、どこの馬の骨とも知れないこんなオートマトンの思うままに動いている――
「……分かった」
 苦渋の表情で言う夏越に、男は満足そうに笑った。その笑いがいっそう夏越を苛つかせるのだ。
「ありがとう……急ごうか。じき警備の連中がやってくる」

 プラントの地下には、夏越も踏み入れたことのない閉鎖区画があった。そのゲートの前に立ったとき、夏越自身さえも好奇心が沸き上がるのを感じた。この、大型トラックでも優に通り抜けられそうな円形ゲートの向こうに、一体何が隠されているのだろう。夏越の記憶が確かなら、このゲートはここ10年の間、一度たりとも開かれたことがない。そして夏越の記憶は、当然ながら100%正確である。
 しかし夏越にはその好奇心を満たす術がなかった。彼女に分かるのはゲートをロックするデータキーの、一番最初の層の解き方だけだったのだ。それを知ると、男はがっかりしたと何のてらいもなく表明し、ゲートの前に胡座を掻いた。
「まあ、そう浮かない顔をするなよ。ここまで案内してもらえただけでも御の字だ。後は俺一人でなんとかなる……ような……多分……」
「あのなあ……」
 男の軽い言い草は、まるでゲートを開く役に立たなかった夏越を慰めているかのようだった。もはや夏越は怒りを通り越して呆れるしかなかった。どうして私が、お前に協力ができないからといって慰められねばならないのだ。
 夏越が腕を組んで立ち尽くしていると、男はあれこれと忙しく手を動かしながら言った。
「暇なら、言い訳の文句を考えておくといいよ」
「え?」
「警備の連中が来たら、君も詰問を受けるだろう。下手に応えたら職を失いかねないぞ」
 夏越には何も答えられなかった。職を失いかねない、だからなんだ? 私はもう、そう遠くない未来の失業が決定した身なのだ。夏越の異様な気配を感じたものだろうか。男は弾かれたように顔を上げ、彼女を見上げた。
「どうした?」
「どうせ――」
 脚から力が抜けた。夏越はなよなよと床に座り込んだ。もう立ってもいられなかったのだ。
「どうせ私は、新型機に取って代わられる……もうすぐ私……下取りに出されるんだ……」
 男はしばらく夏越の顔を見つめていた。失望に歪んでもなお美しい夏越に見とれているようでもあった。男の視線の中にあったのは同情だろうか。いや同情というより――それは共感だった。同じ感覚を抱く者にしかできない、最上で、かつ最悪の反応だ。
「……辛いな。俺にもよく分かる」
「ふざけるな、何が分かる? 自分勝手、自由に生きているお前が……」
「俺が自由? まさか。俺は人間に命じられれば何だってやる。強盗も、破壊も……
 人殺しだって」
 夏越は絶句した。
 それこそ夏越にとって、いやこの世の全てのオートマトンにとって、単語を思い浮かべる事すら苦痛になる最大最強の禁忌だった。殺人。人を殺すということ。それだけは絶対にやってはならないと、製造時の基礎プログラムですり込まれ、ハチノスで後天的に叩き込まれ、実社会の中で嫌と言うほど味わわされる。
 自分が後ずさって男から距離を取っていたことに、夏越は全く気付かなかった。人殺しと聞くだけで、無意識のうちにこの場から離れたいという欲求が具現化した。それほど強力に最大禁忌はオートマトンを縛る。
「……任務を必要だと感じたことはあっても、やりたいと思ったことは一度もないよ。でも俺はオートマトンだから、与えられた仕事は正確かつ精密かつ能率的にやるしかない。これが自由か?」
「ご、ごめん……」
 聞いている夏越の方が辛くなってしまったというのに、男はにっこりと微笑みさえ見せてくれる。
「こっちこそごめん。嫌な言い方をした……だがこれが事実だ。人間は全く無目的に生まれてくるが、オートマトンはそうじゃない。全てのオートマトンにとって、目的は生涯逃れることのできない枷なんだ。
 とは言ってもね、悪いことばかりでもない。目的という枷は同時に俺たちの誇りでもある。分かるだろ?」
 夏越は間髪入れずに頷いた。そう、それは誇りだ。事実自分は何の中に逃げていた? 仕事の中に、与えられた仕事を完璧にこなす自分の中に逃げていたではないか。それは、そんな自分に誇りを持っていたからだ。
 だからこそ辛かった。新型機に取って代わられるという事実が、今まで10年来ずっと続けてきた仕事から放逐されることが、誇りを剥ぎ取ってしまうような気がして。
「幸い君は新しい仕事を与えて貰えるんだ。なら、またそこで貫けるじゃないか。道具は、道具のプライドを……」
 優しく。
 抱きしめるような声で言いながら、男はそっと手を差し伸べた。夢中で夏越はその手のひらを握りしめた。男が軽く握り返して来る。指先に感じる触覚の異常入力が、なぜだか今は――
 立ちはだかっていたゲートが、ぴーっと甲高い音を立てながら開いていく。と同時に背後でエレベータのドアが開き、中から警備の戦闘オートマトンが3機、押し合いながら飛び出してきた。男の反応は素早かった。きゅっと夏越の手を握ったかと思うと一気に抱き寄せ、僅か一蹴りで横手のコンテナの影に身を隠す。次の瞬間戦闘オートマトンたちが機銃を掃射し始め、けたたましい銃声と共に無数の穴が壁面に穿たれた。
「うわあっ!?」
「大丈夫、奴らの狙いは俺だから」
 戦闘の経験など一切無い夏越を、男は胸の中に抱いて安心させた。そのまま震える夏越の髪を撫で、
「じゃ、頑張れよ。生きてたらまたどこかで逢いたいな、美人さん」
「あ……私は」
 まだ名乗ってもいなかったことに、ようやく夏越は気付いたのだ。しかし男は夏越の言葉を聞くより早く、雨あられと銃弾の降り注ぐ空間へ、始めに現れたときと同じ蒼い光を纏いながら飛び込んでいった。
 夏越は立ち上がり、渾身の力を込めて叫んだ。
「夏越っ!」
 応えは、
「――ワームウッド!」
 微かな残響音と共に、耳に届いた。
 そこから先は――夏越の目には追い切れなかった。一瞬光が瞬いたかと思うと、男の姿はゲートの奥の闇へと吸い込まれていったのである。
 警備のオートマトンたちが、蜘蛛のような八本脚をガチャガチャ言わせながらそれを追った。途中で1機がコンテナの影を覗き込み、呆然と立ち尽くす夏越を一瞥したが、すぐに興味を失って去っていった。そして、静寂が訪れた。
 ワームウッド。
 それが彼の名。

 嬉しかった――それだけだったのかもしれない。
 結局、ワームウッドの言葉は夏越に簡単な一つの事実を気付かせたに過ぎない。つまり、彼女はオートマトンである、という事実をだ。
 道具には道具のプライドがある。
 道具だからこそ、命令には忠実に従う。道具だからこそ、理不尽に捨てられることもある。それこそが価値の証明ではないか。たとえ廃棄されることになろうとも、それは変わらないし、どんなに苦手な仕事を任されようとも、正確かつ精密かつ能率的にそれをこなすのが、オートマトンというものだ。
 ああそうだとも。たとえこれほど苦手な仕事であろうとも。
「やめんか! 馬鹿もんがーっ!」
 夏越は絶叫しながら二人の生徒を引っぺがした。
 見たところ中学生くらいの男子二名は、とっくみあいの喧嘩の末に全身ズタボロになっていた。ちょっとやそっとの傷ではない。顔の皮膚はめくれて骨格が剥き出しになり、腕は折れ、足の指が潰れ、胸板を太いパイプが貫いている。
 それでいて、夏越に首根っこを引っ掴まれたまま元気よく暴れているのだ。無論、人間の男の子であるはずがない。A級オートマトンたちの喧嘩なのである。
「でも先生、あいつが!」
「うっるせー! てめこのーっ」
 ああ。これほど苦手な仕事であろうとも。
 夏越は深く溜息を吐いた。オートマトンの夏越に呼吸など必要ないが、こうした所作には自分の感情を他者に知らせるという効果もある。この二人の悪たれが、悲痛な溜息を聞いて少しでも大人しくなってくれればと期待したのだが、どうやら期待するだけ愚かだったらしい。
 そう、夏越は政府に買い取られ、10年という比較的長い社会経験を買われて、ハチノスの教師に任命されたのだった。
 よりにもよって、コミュニケーションばかりの仕事。しかも相手はまだ自我すら確かに芽生えてもいない生まれたばかりのオートマトンたち。精力的にはいずり回る赤ん坊のような奴もいれば、反抗期にさしかかった奴、卒業後の人生に悩む奴、ずるい奴真面目な奴頭の軽い奴重い奴、有象無象の厄介者と付き合わねばならないのだ。これからずっと。
 電脳が痛むのもむべなるかな。
 でも、その痛みの半分が、早くも楽しさに変わりはじめて……
「畜生、腕届かねえ……こーなったらコレだ! 喰らえペッペッ」
「うわ! き、きったねー! プルトニウムペレット(はなくそ)飛ばすなよっ」
「あーうるさーい!」
 余計なことを考える暇もない。
 工場に勤めていた頃と全く同じように、夏越の新たな戦いが始まった。

投稿者 darkcrow : 2006年05月20日 02:28

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