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夏越 3(完結)

 プラントの地下には、夏越も踏み入れたことのない閉鎖区画があった。そのゲートの前に立ったとき、夏越自身さえも好奇心が沸き上がるのを感じた。この、大型トラックでも優に通り抜けられそうな円形ゲートの向こうに、一体何が隠されているのだろう。夏越の記憶が確かなら、このゲートはここ10年の間、一度たりとも開かれたことがない。そして夏越の記憶は、当然ながら100%正確である。
 しかし夏越にはその好奇心を満たす術がなかった。彼女に分かるのはゲートをロックするデータキーの、一番最初の層の解き方だけだったのだ。それを知ると、男はがっかりしたと何のてらいもなく表明し、ゲートの前に胡座を掻いた。
「まあ、そう浮かない顔をするなよ。ここまで案内してもらえただけでも御の字だ。後は俺一人でなんとかなる……ような……多分……」
「あのなあ……」
 男の軽い言い草は、まるでゲートを開く役に立たなかった夏越を慰めているかのようだった。もはや夏越は怒りを通り越して呆れるしかなかった。どうして私が、お前に協力ができないからといって慰められねばならないのだ。
 夏越が腕を組んで立ち尽くしていると、男はあれこれと忙しく手を動かしながら言った。
「暇なら、言い訳の文句を考えておくといいよ」
「え?」
「警備の連中が来たら、君も詰問を受けるだろう。下手に応えたら職を失いかねないぞ」
 夏越には何も答えられなかった。職を失いかねない、だからなんだ? 私はもう、そう遠くない未来の失業が決定した身なのだ。夏越の異様な気配を感じたものだろうか。男は弾かれたように顔を上げ、彼女を見上げた。
「どうした?」
「どうせ――」
 脚から力が抜けた。夏越はなよなよと床に座り込んだ。もう立ってもいられなかったのだ。
「どうせ私は、新型機に取って代わられる……もうすぐ私……下取りに出されるんだ……」
 男はしばらく夏越の顔を見つめていた。失望に歪んでもなお美しい夏越に見とれているようでもあった。男の視線の中にあったのは同情だろうか。いや同情というより――それは共感だった。同じ感覚を抱く者にしかできない、最上で、かつ最悪の反応だ。
「……辛いな。俺にもよく分かる」
「ふざけるな、何が分かる? 自分勝手、自由に生きているお前が……」
「俺が自由? まさか。俺は人間に命じられれば何だってやる。強盗も、破壊も……
 人殺しだって」
 夏越は絶句した。
 それこそ夏越にとって、いやこの世の全てのオートマトンにとって、単語を思い浮かべる事すら苦痛になる最大最強の禁忌だった。殺人。人を殺すということ。それだけは絶対にやってはならないと、製造時の基礎プログラムですり込まれ、ハチノスで後天的に叩き込まれ、実社会の中で嫌と言うほど味わわされる。
 自分が後ずさって男から距離を取っていたことに、夏越は全く気付かなかった。人殺しと聞くだけで、無意識のうちにこの場から離れたいという欲求が具現化した。それほど強力に最大禁忌はオートマトンを縛る。
「……任務を必要だと感じたことはあっても、やりたいと思ったことは一度もないよ。でも俺はオートマトンだから、与えられた仕事は正確かつ精密かつ能率的にやるしかない。これが自由か?」
「ご、ごめん……」
 聞いている夏越の方が辛くなってしまったというのに、男はにっこりと微笑みさえ見せてくれる。
「こっちこそごめん。嫌な言い方をした……だがこれが事実だ。人間は全く無目的に生まれてくるが、オートマトンはそうじゃない。全てのオートマトンにとって、目的は生涯逃れることのできない枷なんだ。
 とは言ってもね、悪いことばかりでもない。目的という枷は同時に俺たちの誇りでもある。分かるだろ?」
 夏越は間髪入れずに頷いた。そう、それは誇りだ。事実自分は何の中に逃げていた? 仕事の中に、与えられた仕事を完璧にこなす自分の中に逃げていたではないか。それは、そんな自分に誇りを持っていたからだ。
 だからこそ辛かった。新型機に取って代わられるという事実が、今まで10年来ずっと続けてきた仕事から放逐されることが、誇りを剥ぎ取ってしまうような気がして。
「幸い君は新しい仕事を与えて貰えるんだ。なら、またそこで貫けるじゃないか。道具は、道具のプライドを……」
 優しく。
 抱きしめるような声で言いながら、男はそっと手を差し伸べた。夢中で夏越はその手のひらを握りしめた。男が軽く握り返して来る。指先に感じる触覚の異常入力が、なぜだか今は――
 立ちはだかっていたゲートが、ぴーっと甲高い音を立てながら開いていく。と同時に背後でエレベータのドアが開き、中から警備の戦闘オートマトンが3機、押し合いながら飛び出してきた。男の反応は素早かった。きゅっと夏越の手を握ったかと思うと一気に抱き寄せ、僅か一蹴りで横手のコンテナの影に身を隠す。次の瞬間戦闘オートマトンたちが機銃を掃射し始め、けたたましい銃声と共に無数の穴が壁面に穿たれた。
「うわあっ!?」
「大丈夫、奴らの狙いは俺だから」
 戦闘の経験など一切無い夏越を、男は胸の中に抱いて安心させた。そのまま震える夏越の髪を撫で、
「じゃ、頑張れよ。生きてたらまたどこかで逢いたいな、美人さん」
「あ……私は」
 まだ名乗ってもいなかったことに、ようやく夏越は気付いたのだ。しかし男は夏越の言葉を聞くより早く、雨あられと銃弾の降り注ぐ空間へ、始めに現れたときと同じ蒼い光を纏いながら飛び込んでいった。
 夏越は立ち上がり、渾身の力を込めて叫んだ。
「夏越っ!」
 応えは、
「――ワームウッド!」
 微かな残響音と共に、耳に届いた。
 そこから先は――夏越の目には追い切れなかった。一瞬光が瞬いたかと思うと、男の姿はゲートの奥の闇へと吸い込まれていったのである。
 警備のオートマトンたちが、蜘蛛のような八本脚をガチャガチャ言わせながらそれを追った。途中で1機がコンテナの影を覗き込み、呆然と立ち尽くす夏越を一瞥したが、すぐに興味を失って去っていった。そして、静寂が訪れた。
 ワームウッド。
 それが彼の名。

 嬉しかった――それだけだったのかもしれない。
 結局、ワームウッドの言葉は夏越に簡単な一つの事実を気付かせたに過ぎない。つまり、彼女はオートマトンである、という事実をだ。
 道具には道具のプライドがある。
 道具だからこそ、命令には忠実に従う。道具だからこそ、理不尽に捨てられることもある。それこそが価値の証明ではないか。たとえ廃棄されることになろうとも、それは変わらないし、どんなに苦手な仕事を任されようとも、正確かつ精密かつ能率的にそれをこなすのが、オートマトンというものだ。
 ああそうだとも。たとえこれほど苦手な仕事であろうとも。
「やめんか! 馬鹿もんがーっ!」
 夏越は絶叫しながら二人の生徒を引っぺがした。
 見たところ中学生くらいの男子二名は、とっくみあいの喧嘩の末に全身ズタボロになっていた。ちょっとやそっとの傷ではない。顔の皮膚はめくれて骨格が剥き出しになり、腕は折れ、足の指が潰れ、胸板を太いパイプが貫いている。
 それでいて、夏越に首根っこを引っ掴まれたまま元気よく暴れているのだ。無論、人間の男の子であるはずがない。A級オートマトンたちの喧嘩なのである。
「でも先生、あいつが!」
「うっるせー! てめこのーっ」
 ああ。これほど苦手な仕事であろうとも。
 夏越は深く溜息を吐いた。オートマトンの夏越に呼吸など必要ないが、こうした所作には自分の感情を他者に知らせるという効果もある。この二人の悪たれが、悲痛な溜息を聞いて少しでも大人しくなってくれればと期待したのだが、どうやら期待するだけ愚かだったらしい。
 そう、夏越は政府に買い取られ、10年という比較的長い社会経験を買われて、ハチノスの教師に任命されたのだった。
 よりにもよって、コミュニケーションばかりの仕事。しかも相手はまだ自我すら確かに芽生えてもいない生まれたばかりのオートマトンたち。精力的にはいずり回る赤ん坊のような奴もいれば、反抗期にさしかかった奴、卒業後の人生に悩む奴、ずるい奴真面目な奴頭の軽い奴重い奴、有象無象の厄介者と付き合わねばならないのだ。これからずっと。
 電脳が痛むのもむべなるかな。
 でも、その痛みの半分が、早くも楽しさに変わりはじめて……
「畜生、腕届かねえ……こーなったらコレだ! 喰らえペッペッ」
「うわ! き、きったねー! プルトニウムペレット(はなくそ)飛ばすなよっ」
「あーうるさーい!」
 余計なことを考える暇もない。
 工場に勤めていた頃と全く同じように、夏越の新たな戦いが始まった。

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