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サンダーバード 3

 ざわめきが――吸い込まれていく。
 超音速の亜空間に飛び込んだのでもない。それはどころか、まだスタートさえしていない。なのに、周囲はこぢんまりとした、しかし堅牢なシェルターに包まれていた。圧縮され、減衰し、ついには虚無の中へと潰え去る、ありとあらゆる音。
 この静寂の中に、奴とただ二人。
「よぉ。相変わらず愛想のねえ奴だな、カメラに手くらい振ってやれよ」
「遅い者には何の価値もない。価値のない者に気を遣う義理もない」
 サンダーバードの軽口に、八咫鴉は淡々と応えた。
「私にとって価値があるのは……サンダーバード。貴様だけだ」
 ふっ、とサンダーバードは鼻で笑う。これじゃあまるで愛の告白じゃないか。しかしよくよく考えてみれば、自分も似たようなものかもしれない。八咫鴉の眼は、この勝負に勝つこと以外の何にも向くことがない。そう、自分と同じだ。自分はただ……八咫鴉よりちょっとばかり人間が好きというだけのこと。
 お互いに。
 この時のためだけに、生まれてきたのだ。
「嬉しくって涙が出らァ」
 心底嬉しそうに言いながら、サンダーバードはスタート・ポールの上に立ち上がった。
「今日こそてめえに勝つ!」
「私の台詞だ!」
 瞬間、音が弾けて二人だけの世界は砕け散った。蘇ったざわめきに身を晒し、二人の戦士は真っ直ぐ前だけを見つめて立ち尽くす。出走準備は一通り終わったようだ。目の前のビルの中で、赤い光の眼が爛々とこちらを睨んでいる。あれが緑に変わったとき、勝負の幕が切って落とされるのだ。
『それではレッドライドを開始します! 発進3秒前……』
 ひぃん……
 無数のCIエンジンが、美しい旋律を奏でる。ジェットブースターに火が点り、脚部のフロートシャフトが唸りを上げ、オートマトンたちの放つ熱気が陽炎の中に景色を融かす。
『2……』
 サンダーバードは身を屈め、八咫鴉は大きく翼を開き、
『1……!』
 大空へ、
『GO!!』
 どごがぁぁああん!!
 いきなり爆発するスタート地点。
「うおわあああああ!?」
「ぬええええええっ!?」
 情けない悲鳴を挙げながら、その場にいた全てのオートマトンが爆風に吹き飛ばされて、地面やらビルやらに叩きつけられる。サンダーバードも鼻先から思いっきり地面に墜落し、しばらく痙攣しながら悶えていたが、やがてがばっと体を起こした。
「なっ……なんだ!?」
 ……と。
『ゴォールッ! 優勝は、ゼッケン3番ワームウッドさんでーすっ!!』
 ……………。
 しばし呆然と虚空を見上げていたが、ようやくサンダーバードはアナウンスの意味を理解した。
「なっ!?」
「何だとおぉぉぉぉっ!?」
 サンダーバードを押し退けながら絶叫したのは、他でもない八咫鴉である。奴もサンダーバードと同じく吹っ飛ばされたらしく、全身泥だらけの満身創痍。無理に軽量化したボディにあの爆発は効いたのか、サンダーバードの肩を掴んだその腕が、耳を塞ぎたくなるような嫌ーな音と共にもげてしまった。
「うお!? 八咫鴉お前、腕! 腕!」
「そんなことはどーでもいい! 一体コレは……」
『タイムは3秒47!』
「うそつけえっ!? それワープかなんかしてんじゃねーのか!?」
『瞬間最高時速はマッハ15! いやー凄いですねワームウッドさん、今のご気分は?』
『最高です!』
 ……最悪だ。
 サンダーバードは、まるでCIエンジンが止まってしまったかのように、力なくその場にへたり込んだ。もう立っていることはおろか、指一本動かすことも、瞬き一つすることさえもできそうになかった。
「わ……わ……私が……」
 サンダーバードの隣で生ける屍と化した八咫鴉が、かすれた声を挙げる。
「私が今で全てを捧げてきたのは……何だったんだあーっ……」
 ぴしっ。
 ……またしても、嫌な音。
 八咫鴉の全身に稲妻のようなひび割れが走り、次の瞬間彼のボディはガラガラと音を立てて砕け散った。やばい! と思うが早いか、サンダーバードは残った力の全てを使い、八咫鴉の頭部をキャッチする。
 ま……気持ちは分かる。今は好きなだけ砕けさせておいてやろう……どうせ、電脳さえ生きていればボディはどうとでもなるのだ。
 今度こそ全ての力を使い果たしたサンダーバードは、お腹に憎たらしい八咫鴉の頭を抱え、ばたりと仰向けに倒れ込んだのだった。

 正座して話を聞いていた椎也は、顔中からダラダラと汗を垂れ流していた。ボディ内部の冷却循環系だけでは電脳の加熱を処理しきれず、ついに外にまで冷却液を放出し始めたのである。
 いかん。まづい。どうする。
 どうするもこうするもない!
 椎也はやおらがばりと土下座した。
「し、知らぬこととはいえ、その節はなんとも失礼を……」
「あー。いーっていーって。別にお前を責めたってしょーがねえだろうが」
 半分うんざりした口調で言いながら、サンダーバードはパタパタ手を振った。……まあ、鬼のシゴキをやってるときの半分くらいは「テメーあの時はよくも!」とか思っていたのも事実だが、それはナイショにしておいて。
 そんなサンダーバードの心情も知らず、恐る恐る顔を上げながら、恐る恐る椎也は聞いた。
「あの……それから、どうなったんですか?」
「アホらしくなったわい!」
 サンダーバードは腕を組み、コンクリートの壁に背中を預けると、
「ワームウッドのヤロウは、それまでの最高タイムを30分の1に縮めちまったんだ。散々苦労してコンマ何秒を競うなんざ、もう馬鹿馬鹿しくってやってられねえよ。
 ……ま、でもな。悪いことばかりでもないんだぜ」
 と言うと、サンダーバードは左腕を動かして見せた。彼の左腕は異形のハイパワーアーム……人間に似せることを無視した代わりに、通常の腕部とは比較にならないパワーを出すことが出来る腕である。
「おかげで俺は速さ以外のことにも目が向くようになった。ひたすらピーキーに速さを高めていくんじゃなく、今持っている速さをもっと有効に使うにはどうすりゃいいか、ってことに考えが回るようになったのさ」
「それが……その腕なんですか」
「おうよ。軍でも災害救助でも警察でも、早く現場に駆けつけりゃいいってもんでもない。助けなきゃいけない人が瓦礫の下にいたら? 道が塞がれてたら? 役に立ちそうだろ。
 他にも色々やったぜ。視力上げてみたり、慣れねえ勉強やってみたり……そういう意味じゃあ」
 サンダーバードの左手が椎也の頭を撫でた。その肌触りは固い。だが……
「感謝してるって言ってもいい」
 やけに温かかった。

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