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2006年05月27日
『電脳シスデータリンク実験 日曜日にやります
実験凍空いたヨ ラッキー!! byきょうじゅ』
……教授だな、これ書いたの……
由美子はボリボリと頭を掻きながら、研究室のコルクボードに貼られたメモ書きを剥ぎ取った。実験機材と各種機械、そして無数の本や書類に埋め尽くされたデスクを掻き分ける。ようやくできた猫の額のような隙間で、由美子はメモ書きの修正にとりかかった。
凍じゃない。棟だ。
教授にまで上り詰めるとなると、これはもう並大抵の才能ではないわけで……そういう人は、どこか別の部分が致命的に欠けているもんなのだろうか。宮田教授の場合には、それが文章能力であるらしい。
画鋲で修正したメモを貼り付けていると、ポケットの中で電話がけたたましく鳴り響いた。手早く画鋲を突き刺してしまうと、由美子は嫌そうに通話ボタンを押した。彼女は実のところ、電話が好きではない。理由は……説明せずとも分かる人には分かるだろうし、分からない人には説明したところで理解できまい。
「もしもし?」
『あ、ユーミー? あたしあたし、洋子よーん。今いい?』
「うん、いいけど」
『よかったー。今度の日曜なんだけどさー、コンパやんのよ。最近顔見てないしー、女の子たんないしー、良かったらどーおー?』
「あ、うん! 行こっかな……」
研究室勤めになってからすっかり疎遠になってしまった、大学時代の友人。由美子は電話が嫌いなことも忘れて、胸を弾ませながら前髪を指でクルクルと回転させていた。が、ふと、さっき自分で貼ったばかりのメモ書きが目に入る。
「……って、ダメじゃん……ごめん、日曜、実験だわ」
『えマージー? 日曜なのにサーイーアークー。大変ねー、ユーミー』
確かにその通り、大変だ。でも、先手を打ってこう言われてしまうと、自分の中にあった不満が流し清められていくのだ。洋子はそういう不思議な才能を持った子だった。人の怒り、悲しみ、嫉妬や不満、といったドロドロした感情を、綺麗に洗い流してしまう特別な才能。
由美子は、たっぷりと他愛もない話に興じてから、名残惜しそうに電話を切った。
大学の研究員なんていうのは、友人と会うことも出来ない、昼夜逆転のヤクザな仕事である。しかし今度の実験は、自分だって待望していた、画期的なものだ。自分の望みを叶えるためにどうしても必要な実験。
がんばるぞ、由美子。
気合いを入れ直すと、由美子は急に声を張り上げた。
「ウィル、起きてる?」
やがて研究室の奥の方で、ヴヴン……という、ブラウン管が起動するときのような低い音が響いた。どうやら起きていたらしい。由美子は思わず笑顔を浮かべながら、音のした衝立の後ろを覗き込んだ。
『おはようございます、由美子さん。あ、時間的にはもう夕方かな』
美しい――
夕日に横顔を照らす青年を見つめ、由美子は呼吸さえ忘れた。中性的なほっそりした顔つき。知性煌めく瞳。唇は薄く、微かに震えているのは、何事か伝えようとしているのか、あるいは由美子を誘っているのか……
由美子ははっとして、急に自分の身なりを顧みた。ヨレヨレのトレーナーの上から、シミのある白衣を羽織り、もう夕方で髪のセットも乱れがちになり、お化粧に至っては……ああ、顔面崩壊。
『いいんですよ、由美子さん。乱れた姿は、一日頑張って働いたという、勲章のようなものです。僕は好きです』
「お世辞言って!」
『本心です』
頭の中を見透かしたかのように青年が――ウィルが言う。かあっと顔が熱くなり、由美子は嬉しさを押し隠そうと努力しながら、デスクの上に腰を下ろした。無性にウィルに触れたかった。由美子の手がそっと伸びて――
ウィルの体を、僅かな抵抗すらなく突き抜けた。
途端に現実が由美子を襲う。そう。美しい恋人は幻。何もない虚空が現実……
ウィルは人間ではない。オートマトン……もっと正確に言えば、一個の電脳、電子頭脳である。だから、由美子の目の前にいる彼は実在のボディではない。ホログラフとして自分のイメージを投影しているに過ぎないのだ。
『ね……シスリンクの実験、日曜に出来るんでしょう?』
「そうみたい。今晩は徹夜かもね。教授と打ち合わせで」
『そっか……そうなんだ! 由美子さん、実験が成功したら、僕……!』
ゆっくりと、だが確信を込めて、由美子は首を縦に振った。
「うん。きっと……有機ボディを作ることができるよ」
有機ボディ。それこそが、この研究室が十数年に渡って研究し続けてきた、最大のテーマなのだった。
通常のオートマトンは機械の延長であり、ボディの素材は基本的に金属。有機プラスティックや結晶などは、部分的に用いられるに過ぎない。だがこの研究室が作ろうとしているのは、その常識を覆す全く新型のボディ。人間と全く同じ、タンパク質を主構成要素とする有機体のボディを持つオートマトンなのである。
ウィルはその為に作られた実験電脳だった。有機体のボディにリンクする前提で作られたため、通常のオートマトンのボディとは接続できず、ずっと頭脳だけの状態にされていたのだ。
『そっかあ……ようやく僕も感じられるんだ。みんなが見ているという世界……聞いているという音……太陽の温もり、風の手触り、人の肌の繊細さ……
どんな感じなんだろう。きっと、僕が機械の眼や耳で感じた感覚とは、全然違うんでしょうね? 「リアル」って、すごく暖かいもののような気がするんです!』
ホログラフの眼をきらきらと輝かせて、ウィルは言った。彼の胸の中に……いや、頭の中にはどれだけの憧れが詰まっているのだろう。開発の過程で、ウィルは自分自身の終着点……研究のゴールについて、何度となく聞かされてきたはずだ。教授や助教授たちが、自分の情熱を込めて語ったに違いない。
その反動なのか、ウィルは機械の自分が感じているものは全て「幻想」で、生身の体で感じるものだけが「現実」だと信じ込んでいる。その盲信は、ひょっとしたら、近い将来、五月病に似た大きな失望感を彼に与えるかもしれない。そのことだけが由美子は気がかりだった。
しかし……それよりも、今は。
「絶対、あたしがボディを作ってあげるから。ね、ウィル」
『お願いします、由美子さん!
それでその、僕……』
「ん?」
ウィルは僅かにはにかんで、
『僕、ボディを手に入れたら、一番最初に由美子さんに触りたいんです。触らせてください』
率直な、あまりにも率直な気持ちを言葉にして、幻想の恋人は由美子に擦り寄った。由美子はたまらなくなって、瞼を閉じながら大きく腕を広げた。由美子には分かる。自分の胸の中に、ウィルが飛び込んでくるのが。ウィルの腕が、華奢な外見には似合わない力強さで、自分を抱いているのが。
心が通じ合えば、幻想さえ現実になる……
「うん……触ってね、ウィル」
夕日の差し込む研究室の片隅で、二人は心ゆくまで互いの温もりを味わっていた。
(終)
投稿者 darkcrow : 2006年05月27日 02:23
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