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2006年06月22日
AD1802年――
「なんじゃこの家は……」
「ほのー」
『霧の都』の郊外の外れのそのまた裏手の片隅に、その妙な家はでんと構えていた。
魔導革命後のここ20年でがらりと姿を変えた(らしい。ニコルが生まれる前の話なのでよく分からないが)霧の都は、世界一ヘンな街として名高い。
道という道は全て石畳に覆われて、土の見える隙間さえない。家という家はみんなキテレツな鋼鉄製。フクザツに配管やら電線やらが絡まり合った謎のエンチャント機械が街中に溢れかえり、常に何かの仕事に従事しつつ、時折ブシューッと蒸気を噴き出す。
霧の都という名前だって、エンチャント機械から出る蒸気でいつも空気が淀んでいるからだというからお笑いだ。
魔導革命のもたらした成果がいかに便利であるとはいえ、ここまで徹底した街の改造はいくらなんでもやりすぎだ……と、やっと人々が思い始めた今日このごろ。
これから先の時代に延々と続くことになる、「便利さ」と「それ以外の何か」のせめぎ合い。それが今まさに産声を上げたのだ。
つまりこの街は、時代の最先端を行く世界で最も混沌とした街なのである。
にもかかわらず。
ニコルと炎(ほの)の目の前にあるこの家は、この霧の都にあって、ヘンさに関しては頭一つ飛び抜けていた。
とりあえず、玄関がない。
「……………」
霧の都では珍しい、広い空き地の真ん中に、周囲をぐるりと壁でかこんだその家はあった。どうみても家全体が斜めに傾いていたり、まるで木の枝のようにゴチャゴチャとパイプが突き出ていたりと、見るからに作りが異常。おまけに、庭に散乱した謎のエンチャント機械に四苦八苦しながら一周してみた限りでは、この家にドアや窓らしいものは一つとして存在しない。
――どーやって出入りするんだ、一体!?
ニコルの16年の人生でも、こんな家を訪問するのは初めての経験である。普通はそうだ。
「……う、うーん……ほの、どうしたらいいと思う?」
腰まで伸びたストレートの赤毛が可愛い隣の女の子に、ニコルは意見を聞いてみた。
「ほのは、家に入ればいいと思います!」
聞いてみたのがバカだった。
さすがの天才少年ニコルもお手上げである。腕組みして首を傾げつつ、
「まてまて……よく考えろ僕。たとえばどっかに隠し扉を開けるスイッチがあるとか……」
「たあ!」
ばこっ。
「あるいは地下に抜ける隠し階段があってそこから家の中に入れるとか……とにかく入口がないわけないんだ。必ず何か秘密が」
「はい、ますたー。入口できました!」
「え?」
ほのが自信たっぷりにこやかに指し示す先には、人一人が余裕で通れるほどの大穴があいた家の壁。ほのの怪力を持ってすれば、煉瓦造りの壁の一枚や二枚、パンチ一発で穴を空けるくらい朝飯前である。
「……って冷静に分析してる場合じゃねー! 勝手に家壊しちゃダメだろ、ほの!」
「ほの?」
ほのは唇に人差し指あてつつ首を傾げ、しばし「んー」と唸りながら何事か考えていたが、やがてにぱっと笑みを浮かべた。
「ほの、がんばりました! ほめて」
「人の話を聞け。」
ニコルは思わずがっくり肩を落としたのだった。
ともかく、ほのがぶち抜いた穴から家の中に入ったニコルたちであったが、家の中はこれまた外を上回るおかしさだった。床は散乱した機械で足の踏み場もなく、何故か知らないが風呂場のお湯は流しっぱなし、台所ではホムンクルスがまな板に空手チョップを繰り返し、全身から毛糸を生やした子犬くらいの大きさの機械が、床や壁を蜘蛛のようにはいずり回って消えていく。
――き、気持ち悪うぅぅぅ!
ニコルは虫が苦手だった。
「ますたー、この女の人の形した機械面白いです! ボタンを二つ同時に押すと『あはーん』て言います!」
「そ、そーゆー物に触っちゃイケマセンッ!!」
ニコルは赤面しながら、ほのをイケナイ機械から引っぺがした。そのままほのの手を引いて、ずんずん奥に進んでいく。
「い、一体ここの人は何考えてるんですか! いないんですか? 出てきてくださいよーっ!」
「はぁい」
ごばっ!
いきなり、ニコルの足下の機械の山から、くたびれたじじいの頭が生えた。
驚いたニコルは足下のじじいを見下ろし、冷や汗をだらだら流しつつ、
「……ロクマー博士?」
「いかにも」
「何やってんすかそんな所で」
「埋まっておる」
……………。
頭が痛い。
調べ物に行き詰まったニコルに、学園が紹介してくれたのが、このロクマー博士である。なんでもエンチャント機関の開発にも携わった、その道の第一人者なんだそうだが……
ほんとに大丈夫か。こいつ。
「ところで少年、わしを引っ張り出してもらえると嬉しいんだが」
ニコルは沈痛な面持ちで首を振ると、
「……ほの、その人を掘り出してあげて」
「はい、ますたー!」
元気よく返事したほのの手によって、がらくたの山はみるみるうちに崩されていったのだった。
「ふーやれやれ! 全く、死ぬかと思ったわい」
ロクマー博士は、凝った首をコキコキ鳴らしながら、研究室の作業台に向かった。そこには人間に似た何かが一つ、仰向けに横たわっていた。人間に似た、とは言ってもそれは全体のフォルムくらいのもの。全身の皮膚は真っ白でつるつるしたゴムのような素材でできていて、肩から指先に掛けてと、足の側面に、黒いラインが真っ直ぐ走っている。顔には目も鼻も口も耳も、髪の毛一本すらもなく、起伏らしい起伏もなく、まるで卵である。
人間ではない。これは、ホムンクルスというものだ。
魔導革命の成果として一番世間になじんでいるのは、なんといっても動力機関を内蔵した移動機械である。だが、専門家の間で魔導革命一番の功績と言われているのは、このホムンクルスなのだ。
簡単に言えば、人の手によって作られた人造人間だ。人間といっても、普通の人間よりも頑丈な素材で作られていて、知能もそこそこ高く、単純な作業なら人間より巧くやることすらある。今のところ単純作業くらいしかまともにこなせず、その割には製造にコストがかかりすぎるため、実用化はされていない。しかし将来的には人間の仕事のほとんどをホムンクルスに肩代わりしてもらえるようになる、と言われている。
ニコルの研究対象も、このホムンクルス。そしてロクマー博士もまた、ホムンクルスの研究者なのだ。
「一体なんであんな所に埋まってたんです?」
ニコルがウンザリしながら聞くと、ロクマー博士がカカカッと笑った。
「いや実は、壁の修理のために作った機械が、間違って玄関塞いじまってのう」
――それでどこにもドアがなかったのか……
「自動で壁の穴を探すように作ったんだが、穴とドアの区別がつかんかったらしい! 慌てて機械を止めようとしたときに、間違ってがらくたの山を倒しちまって……頼みの綱のこいつもちょーどオーバーホール中でなあ!」
と、ロクマー博士は作業台の上で眠るホムンクルスを叩く。
――笑って言うな、笑って……
「ま、それは置いておいて、だ。お嬢ちゃん、たしか、ほのとか言ったな……」
「ほの?」
ロクマー博士は、流れるようにほのに近寄ると、その顔にじっと見入った。さっきまでのふざけた目とは一線を画す、鋭く輝く目。その迫力に、ほのでさえ思わず後ずさるほど。
「お前さん、ホムンクルスじゃな」
「!」
ニコルは全身が粟立つのを感じた。
「どうしてそれが……」
「わしを舐めるなよ、若造。骨格を見れば一目瞭然だ。しかし、わしとてここまで精巧な……姿形のみならず、精神まで人間そっくりのホムンクルスなど、見たことも聞いたこともない」
ロクマー博士の目が、今度はニコルを捉えた。
「何か聞きたいことがあって来たんだろうが……それは、お前が話すべき事を話してから、だ」
隠していても仕方がない。ニコルは洗いざらい打ち明けた。
実家に帰ったとき、父の蔵書の中に、あの伝説の魔道書「エメラルド・タブレット」の写本を見つけたこと。神の手によって書かれたというその書物を研究し、人間そっくりのホムンクルスの製法を編み出し、「火のエリクシール」を用いてそれを実行したこと。
結果生まれた火のホムンクルス、炎(ほの)。それ以来、ニコルとほのを狙う組織が現れるようになった。そいつらにエメラルド・タブレットと「地のエリクシール」を奪われ、敵はとうとう地のホムンクルスを製造し……
圧倒的な力を持つ地のホムンクルスに、ほのは為す術もなく敗れた。
「僕は……勝ちたいんです。やられっぱなしなんて御免です。だから、何か知っていたら教えてください。地のホムンクルスを上回る方法、その手がかりを!」
話を聞き終えたロクマー博士は、ふんっ、と鼻息を吹き出した。
「なるほどのう」
ふいにロクマー博士は、作業台の上のホムンクルスに寄っていった。なにやらチューブのような物をホムンクルスのあちこちに接続し、液体を注入している。ニコルには、博士が何をしているのか手に取るように分かった。ホムンクルスのエネルギー源を注いでいるのだ。
「つかぬことを聞くが……お前、その子を一体どうしたい?」
「はい! ほのは、ますたーと一緒にいたいです!」
「……ちょっと静かにしてて、ほの……」
びしっ、と右手を挙げて堪えるほのに、ニコルは溜息を吐いた。
「どうしたいって、どういうことです、博士?」
「その子に何をやらせたいのか。その子を使って何をなしとげたいのか。ま、ありていに言えば製造目的だな」
「別に……僕はそういうの興味ないです。ほのを物みたいに扱う気もないし……ただ僕は、エメラルド・タブレットの記述を実現したかっただけ。作るときに目的なんて考えませんでしたよ」
「なるほど……な。負けるわけだ。たぶん、その子になら、わしのこいつでも勝てるだろうさ」
かちんっ。
自分のホムンクルスを撫でながら、さも当たり前のように言うロクマー博士に、さすがにニコルはかちんときた。はっきり言って、ほののスペックは並のホムンクルスを圧倒的に凌駕している。パワーもスピードも演算能力も、勝負にならないほど優れているのだ。オマケにロクマー博士が撫でているホムンクルスは、二世代ほど前の旧型である。
「……それは聞き捨てならないですね」
「そうかそうか。じゃあ、表に出て一勝負と行くかね? わしゃぜーんぜん構わんぞ」
「いいでしょう。ほのの力を見せてやりますよ。さあほの、行くぞ!」
「ほの?」
ぼーっと首を傾げるほの。ニコルは肩を落とした。
「……話、聞いてた?」
「えへ♪」
「えへ♪ じゃねー!! いいか、あのじーさんのホムンクルスと勝負するの! バトルだ、バトル! 分かった?」
「えー……」
勝負と聞いて、ほのがふっと表情を曇らせた。彼女は地のホムンクルスに敗れてから、勝負を怖がっているようだった。気持ちはニコルにも分かる。こてんぱんに……それこそ命が危ういほどぼろぼろにやられて、命からがら逃げ出して……あんな経験したら、怖がってしまっても仕方がない。
でも。
「ほの……いつまでも怖がっているわけにもいかないだろ? 奴は必ずまた来るんだよ。今度は勝てるようになっとかなきゃ……」
「んー……」
「それに僕は、強いほのが好きだ!」
「ん」
それを聞くなり、ほのの表情にぱっと光が差した。
「ますたー、ほのが勝ったらうれしい?」
「うれしい!」
「ん!」
◆ほの思考中◆ほの思考中◆ほの思考中◆ほの思考中◆ほの思考中◆ほの思考中◆
戦う
→勝つ
→勝つとますたーはうれしい
→ますたーはうれしさのあまり、ほのに恋をする
→ますたーはうれしさのあまり、ほのに恋をして、なおかつほのとケッコンする。
◆ほの思考終わり◆ほの思考終わり◆ほの思考終わり◆ほの思考終わり◆ほの思考終わり◆
「わかりました……」
ほのは、ぐっと拳を握りしめ、
「ほのは、お嫁に参ります!!」
「え? 何が?」
やっぱりよく分かってないのであった。
ほのが空けた穴をくぐって表に出て、ロクマー博士が導くままに歩き続けること少々……いや、かなり。インドア派のニコルは、もう太股が痛くてたまらなかった。日頃の運動不足がこういうときに効いてくる。
一人で汗を掻いているニコルの顔を、ほのがひょいと覗き込み、
「ますたー、おんぶいるー?」
「い、いらないっ! いいよ、大丈夫だから」
気遣ってくれるのは嬉しいが、大の男が歩き疲れて女の子におんぶされるだなんて、いくらなんでも格好悪すぎる。ニコルは気力を振り絞って、無理矢理背筋をしゃきんと伸ばした。
「ところでロクマー博士、一体どこまで行くんです?」
「もう少しだ、もう少し」
前を行くロクマー博士と、そのホムンクルス「イト」の足はいつまでたっても止まらなかった。だいたい、戦闘するのなら博士の家の周りがうってつけの場所だったのだ。周りには広い空き地が広がっていて、ほのが本気で暴れても街に被害は出なさそうだし。それをわざわざ移動するというのが、少し引っかかる。
住宅街をくぐり抜け、新興のプラントが立ち並ぶ工業地帯に入り、さらにその外れまで辿り着いたところで、ようやくロクマー博士は足を止めた。
「ほれ、ここだ!」
「ここって……」
「ほのー」
目の前に現れた巨大な建造物を、ニコルとほのは、口をぽかんと開いて見上げた。
建造物といっても、ほとんど鉄骨の骨組みしか残っていない。とはいえその高さはちょっとした山ほどもあり、複雑に絡まり合う赤茶けた鉄骨の隙間からは、あっちこっち破損してタダのガラクタと化したパイプが手足のように突き出している。
魔導革命初期の工業プラント跡だ。何しろ新技術が今日一つ、明日一つ、というペースで発明されていた時期なので、建てたばかりのプラントが翌日には時代遅れの代物になる、なんていう事態もままあった。オマケに技術の黎明期だけあって施設構造も実験的かつ未成熟。取り壊しのノウハウさえ確立されておらず、役に立たなくなったプラントはそのまま放置されることが少なくないのだ。
この廃プラントも、そんなうちの一つだろう。確かに、暴れても文句が来なさそうな場所ではある。
「でも、なんでわざわざこんな遠くまで……」
「家を壊されちゃたまらんからな。ほれ、イト! 戦闘準備だ」
『了解』
何か釈然としないものを残しつつも、ニコルはほのに視線を送り、
「よし。ほの、がんばれ!」
「はい、ますたー!」
ほのは、てててっ、と小走りに走っていくと、待ちかまえていたイトと対峙した。
(勝ったらお嫁さん勝ったらお嫁さん勝ったらたったらたらりらら!)
ぶふー! と鼻息も荒く、ほのの構えは気合い十分。腰を低く落としていつでも飛び出せる体勢である。それに対して、のっぺりとして表情の読めないイトは、ただぼうっと突っ立っているだけ。
ニコルの心中に嫌な予感が走る。この無防備さはおかしい。
(一体何考えてるんだ、このじいさん?)
ニコルが向けた疑いの視線をものともせずに、ロクマー博士はびしっと腕を振り上げた。
「二人とも準備はいいなっ? はじめぇーっ!」
だんっ!
瞬間、ほのの姿が掻き消えた。
人間の目には軌跡が捉えられないほどのスピード。ただ、ほのが蹴った地面が赤い火花を迸らせる。一瞬でイトの懐に飛び込んだほのは、そのまま全体重全速度を拳に載せて、
「たあーっ!」
イトの腹部に強烈なパンチを叩き込んだ。
最初の棒立ちから動く姿勢さえ見せなかったイトは、その威力に弾き飛ばされ為す術もなく放物線を描く。……いや、違う! ニコルの背筋に悪寒が走る。あれは何も出来なかったんじゃない、しなかったんだ!
「気をつけろ、ほの! 何か企んでる!」
追い打ちを掛けようとイトに追いすがっていたほのが、ぴくりと耳を震わせた。空チュのイトが両手を掲げ、その先端から何かを発射する。ほのは慌てて横っ飛び。彼女の横をかすめて過ぎた何かが、その背後にあったプラント二階の鉄骨に絡みつく。
「ほの!?」
「ワイヤーだ!」
気付いたときにはもう遅い。イトはキュルキュルとウィンチの音を響かせて、吸い寄せられるように二階へ飛び上がる。そのまま今度は真上目がけてワイヤーを発射。十数階上の鉄骨にそれを巻き付け、一瞬にして遥か頭上へと移動する。
「何なんだ、アレ!」
「イトは高所作業用に創ったホムンクルスでな」
沈黙を保っていたロクマー博士がにやりと笑った。
「空間的な移動はお手の物ってわけだ」
「ほのを舐めないでくださいよ! ほの、跳ぶんだっ!」
「はい、ますたー!」
威勢のいい返事と同時に、ほのが力強く地面を蹴った。一瞬で彼女の体は弾丸のように加速され、真っ直ぐ真上目がけて飛び上がる。見る見るうちにイトとの距離を詰めていくほのを眺めて、ニコルは会心の笑みを浮かべた。
「どうです? 100mやそこら、ほのにとっては高いうちに入らないんですよ」
「なるほど大したもんだ。しかし……」
きゅるっ!
ウィンチ音。イトが、ワイヤーを伸ばして蜘蛛のように滑り降りる。
飛び上がってきたほのを、何もない虚空で待ち受けるために。
「空中で体を支えられるかね?」
ごっ!
「わあああああああっ!」
「ほのっ!」
鈍い音が響き、イトの蹴りがほのに食い込んだ。いくらほのが怪力とはいえ、支えるものもない空中では蹴りに耐える術はない。まるで流星のように墜落し、盛大な砂埃を巻き上げる。
「ほの、大丈夫かほのっ……!?」
慌てて駆けよろうとしたニコルの腕を、横手からロクマー博士が掴んだ。
「――まだ勝負は終わっとらんよ、少年」
「……あんた、これを見越してこの場所を選んだな!? 卑怯だぞ!」
「ひぃーきょぉーうぅ~?」
小馬鹿にしたような声を挙げ、ロクマー博士は鼻を鳴らす。その間にするすると滑り降りてきたイトが、砂埃の中心目がけてワイヤーを放った。聞こえてくる甲高いほのの悲鳴……
「勝負に卑怯もクソもあるもんか。ただ、明確な意図を持ち、全てをそれに特化させた者が勝つ。そんだけのことだ」
「意図……?」
「そうとも。おまえさんの創ったほのは、確かにとんでもない力を持ってるだろうさ。だが、だだっぴろい平地の上では、どんな爆発も大した威力にはならん。ただ、鋼鉄の筒に込められて指向性を得た瞬間……」
風で砂埃が吹き飛ばされた後に、全身をワイヤーで縛られたほのの姿が現れる。
「エネルギーは城をも崩す砲となる」
ぎちっ……
「くぅっ……!」
締め付けるワイヤーの軋む音と、苦しそうなほのの呻きが、同時にニコルの耳に入った。ほのは、自由になる片手でなんとかワイヤーを引きちぎろうと藻掻く。しかし異様に頑丈なワイヤーは、ほのの怪力にもびくともしない。
「無駄無駄、そいつは大型重機をビルの上に引っ張り上げるのにも使うワイヤーだ。いくらお嬢ちゃんでも片手で切れるもんか」
ニコルは奥歯を噛みしめた。悔しくてたまらなかった。地のホムンクルスにならともかく……こんな旧式のホムンクルスに、ほのが圧倒されるなんて。
だが、それよりも、何よりも。
痛みに耐えるほのの顔を、もうこれ以上見ていられなかった。ニコルは獣のように絶叫した。
「もういい、ほの! 僕らの負けだ、勝負はついたんだ!」
「ほのは……」
しかしその時ほのを満たしていたのは、痛みでも、苦しみでもない。
勝ったらお嫁さん。
「ほのは、絶対……」
勝ったらお嫁さん勝ったらお嫁さん勝ったらたったらたらりらら!
「絶対、がんばるんだ!!」
ほのの手が、自分を縛めるワイヤーを握りしめる。
「てやああああああああっ!」
そのままほのは回転した。イトとワイヤーで繋がったまま回転すれば、パワーで劣るイトのほうが振り回されることになる。イトは遠心力で宙に浮かび上がらされ、為す術もなく小さな竜巻に巻き込まれていく。
「うおおっ!? なんてパワーだ、嬢ちゃん!」
「ほの……投げる気なのか?」
「砲丸投げの要領か! いや、しかしな……」
砲丸投げは紐を放すから砲丸だけ飛んでいくのである。ワイヤーでがんじがらめにされたこの状況で同じことをやれば……
さっとニコルの顔が青ざめる。
「だ、だめだ! ほの止め……」
だがもう遅い。
遠心力が臨界に達したその瞬間、イトは遥か彼方めがけて吹っ飛んでいった。
「わー。」
……ワイヤーで繋がれた、ほのと一緒に。
ほのとイトは、数百メートルも吹き飛ばされて、遠くの空き地に落着していた。慌てて駆けつけたニコルは、ワイヤーと絡まり合って伸びているほのに駆けより、その体をそっと抱き起こした。
「ほのっ!」
「……あ、ますたー。ごめんなさい……ほの、負けちゃった?」
ニコルは抱き上げたときの異様な感覚に、ちゃんと気付いていた。骨が何本か折れている。意識を保っているのが不思議なくらいだ。
「いいんだ、そんなことは……ほのが生きてるなら……研究室に戻って、すぐに修理しような」
「はい、ますたー!」
一方では、呆れ顔のロクマー博士が、倒れたイトを担ぎ上げていた。向こうの傷は、ほのよりさらに深そうだった。やはりボディの素力の差が顕著に出ているのだ。それは間違いない。ほのが秘めているキャパシティの高さは、絶対に間違いがないはずだ。
「あーあ……全く、こんなにしちまいやがって。まーたオーバーホールしなきゃ……」
「あの、ロクマー博士……」
「んー。なんか見つかったか?」
地のホムンクルスに勝つ方法……
少なくとも、その手がかりは。
「はい」
「そいつぁよかった」
ひょい、とイトを背中にしょうと、ロクマー博士はひょこひょこ歩き出した。彼も研究室に戻ってイトの修理だろう。ニコルも彼と同じように、自分のホムンクルスを……ほのを、背中にそっとおんぶして、立ち上がった。
「帰ろっか、ほの」
「はーい!」
重いほのを背負い、それでも力強く歩くニコル。ほのは彼の首に腕を回し、ぎゅっと体を押しつけていた。
「ねー、ますたー」
「ん?」
「ほの、今度また怪我します!」
「はぁ? 何言ってんの、怪我しないようにしなさい!」
「えー。だって」
怪我したら、またおんぶしてもらえるし。
お嫁さんになれなかったのは残念だけど、それでもほのは幸せいっぱい、ニコルの背中にいつまでもしがみついていた。
(終わり)
投稿者 darkcrow : 2006年06月22日 03:01
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