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2007年01月27日

 ■ 本当の敵

「終わりと思えば、それが始まり」
 一体何を言い出すのか。イャディズはうんざりしていた。しかし、彼に出来た意思表示は、息をほんの少し長く吐くことだけ。草一本生えぬ荒野の真ん中、腐臭も血臭も麻痺した鼻には届かず、築き上げられた骨の壁に力なく背中を預け、うずくまり、僅かな握力すら残らない手から、傷だらけの槍の柄がこぼれ落ちる。
 ああ、槍よ。刃こぼれ著しく、血糊のような錆汚れも痛々しく、お前は戦う力の全てを使い果たして、そこに転がっている。どこの戦場でも一心同体だったボロ槍よ……
 なのにヤツは、蛙頭のケロは、ヌメヌメした目を輝かせながら、その手の吸盤で骨の壁に器用に貼り付いていた。兜の奥に隠れた緑色の頭が、そっと、壁の向こうをのぞき見る。
「負けたと思えば、それが戦い」
「何を言ってんだ隊長」
「分からん?」
 ゲッゲッ、とケロは笑い、ぴょんっ、と骨の壁から飛び降りた。そして自分の、これまたイャディズの物と大差ないか、それ以上に傷ついた槍を、後生大事に両手で抱え込んだ。装備はあんな槍一本、味方はついに二人きり、敵は精兵、その数百。この状況で、なぜケロは、あんなに楽しそうに笑える?
「ケロは、とてもとても戦った」
 たどたどしく言葉を紡ぎながら、蛙族の戦士は眼を細めた。本来、蛙族なんて、魔族や人間に奴隷として使われるような種族である。頭は弱い。そのケロが小隊長だ、と聞かされたとき、イャディズも同僚たちも、一斉に顔をしかめたものだった。
 どうせ、勝算がないことにすら気付いていないのだ。バカな蛙族の小隊長殿は。
「とーてーもーたーたーかーたー」
「ああ分かってる! 聞いてるって! あんまり顔近づけるな隊長!」
「それで思ったのことがある」
 ケロの瞼が、下からニュッと閉まり、そして開く。
「強い敵とは誰か?」
「決まってらあ、そんなもん……」
 イャディズは、はあっ、と溜息を吐いた。
「まず、岩族だろ。それから巨人族。魔族が出てきた時も厄介だな……それに比べりゃまだマシとはいえ、蛇族とも戦いたくねえ……あー、なんで俺、人間なんかに生まれちまったかなぁ」
 ゲッゲッゲッ!
 ぺたしぺたし。間の抜けた音を響かせて、ケロが膝を叩く。一体何が面白いのか、全く蛙族の考えることは分からん! と、イャディズは面白くない気分でいた。思わず体の疲れも忘れ、膝を胸のそばまで抱き寄せる。
「……なんだよ」
「うむ。ケロもそう思ってた」
「じゃあ教えてくれよ。本当の強い敵ってのは、一体誰だ?」
「うん」
 ……ひた。
 ケロの白い手のひらが、小さな胸の甲冑に、優しく触れた。
「ケロは今、負けたと思ってる」
「……なに?」
 意外な言葉に、イャディズは眉をひそめた。
「ケロは今、もう終わりと思ってる」
「じゃあもう諦めようぜ、隊長……」
「本当に、強いのは」
 はっとした。イャディズは自分の手許に視線を落とす。緑色の、ヌメヌメした……しかし確かな体温を持った手が、イャディズのそれを握りしめていた。意外なほど力強いケロの手から、腕へ、肩へ、そして顔へと、少しずつ辿っていく。最後に見た彼の目が、どれほど鋭い光を放っていたか。いじけたイャディズを、どれほど打ちのめしたことか。
「諦める自分の心」
 諦めのない瞳で、ケロはイャディズを射抜いた。
「それよりは、岩族も強くない」
「百人の敵もか?」
「どってことない。だから」
 すっく、とケロは立ち上がった。その手に槍を握りしめて。さっきまでの、ヌメヌメ光っていた目に、獲物を駆る獣の光を湛えて。
「終わりと思えば、それが始まり。
 負けたと思えば、それが戦い」
 しばらく、イャディズは何も言えず、ケロを見上げていた。だがやがて、ケロが物言いたげに視線を送ってくるのに気付いて、慌てて立ち上がる。どうかしていた。この音。この臭い。麻痺していた感覚が戻ってくる。
 蹄の音、獣の臭いだ。敵。とうとう、総攻撃をかけてきた。
「……勝てるかな」
 ゲッゲッ。
 ケロは笑う。嬉しそうに。
「うん。がんばろう」
 ニヤリ、とイャディズは笑い、ボロボロになった自分の槍を拾い上げた。

 この戦いで、蛙族の戦士ケロ・ゲーロは百人の敵を斬り、後退する味方を守りきった。後、その功績を認め、魔導帝国始皇帝はケロに「緑騎士」の称号を贈ったという。

投稿者 darkcrow : 2007年01月27日 02:07

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