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2012年11月29日

 ■ 「夢中の旅路」

※以下はツイッターで書いた短編を、ふつうの小説に書き直したものです。
 投稿サイトでは公開してたのですが、こっちに載せるのを忘れてたのでブログ記事としてあげてみます。手軽でいいなーこれーっ。


「夢中の旅路」


1:出立

 深く入り組んだ水路の奥に、彼の入り江はあった。左右と背後を見上げるような断崖に守られ、四角く切り取られた空はどこまでも青く、小鳥の鳴き声と木々の葉擦れはあまりにも遠い。隔絶された彼の王国を訪れる客といえば、寄せては返す穏やかな波の飛沫のみ。
 明るい日差し、緩やかに流れ行く午後。彼は浜に酒瓶、グラス、塩を振った炒り豆を載せたテーブルを据え、その横に折りたたみの寝椅子を広げて、長身を安らかなまどろみの中に沈めていた。時折、手探りで酒や豆を取り、もぐもぐやりながら空を流れる雲を見る。規則正しい波のリズムを聴く。彼は安堵の息を吐く。ここは安息の地。夢の国だ……文字通り。
 と、脳を突き刺すような音が彼の安息を引き裂いた。アラーム。無意識に彼は手を伸ばす。この世界の外へと。おぼろげな意識の中でも、辛うじて自分の立場はわきまえていた――この楽園は、ベッドに横たわる疲れたサラリーマンの見る夢に過ぎぬと。ケータイアラームがうんざりするような朝の訪れを告げていると。
 起きねば、と、まずは思った。それは十年余りも真面目でありつづけた男の悲しい習い性だ。が、起きてどうなる? 目覚めて、慌ただしく着替え、ろくに食事も取れず、犬に追いたてられる羊のように従順に満員列車という鋼鉄の檻に押し込められ、気の乗らぬ仕事をやっつけにいくのか? 考えれば考えるほどうんざりだった。もう御免だ。親指が手探りだけでアラーム解除をやり遂げた。
 彼は夢の世界の日光浴に戻り、満足した。それでいいのか? と問われれば、良くはない、としか答えられぬ。だが分かり切ったつまらない現実と、目の前にある素晴らしい夢とをかけられた天秤が、果たしてどちらに傾くか――
 彼は結論した。いいさ、現実など。夢さえあれば。
 その時突然、ばさりと大きな羽音が頭上に響いた。彼は夢の中で薄目を開く。
【よう相棒】
 なんと、空から舞い降りた梟が語りかけてきたではないか。彼は驚き、
「おい、フロイトによると、梟はどんな性的倒錯の象徴なんだ?」
【知らんね。それより世界がヤバいぜ、僕の知る限りじゃ】
 驚きは冬場の窓硝子に吹きかけた白い息のように消え去り、次いで、夢ならではの奇妙な落ち着きが彼を支配した。喋る梟などという荒唐無稽なファンタジーが、早くも彼の中ではあたりまえの現実として受け入れられてしまったのだった。今思えば、この梟は確かに長年連れ添った相棒だったような気がする。気がすればそれは現実。梟がヤバいと言うなら、確かにヤバいに違いない。
 彼は上体だけ起こすと、テーブルの上にちょこんと留まった梟の方に、親身になって身を乗り出した。
「何がヤバいって?」
【世界】
「どの世界?」
【世界は世界】
 梟は片方の翼を広げ、海岸の方を指した。
【見なよ、海のずっと向こうまで橋がかかってるだろ】
「ないぜ」
【なに、すぐ出来る。ほらね】
 見れば、いつの間にか梟の言う通りになっていた。
 白い砂と濁った緑の水、左右を切り立った崖に挟まれた水路。その向こうには、遠く緩やかな弧を描く水平線が見える。ほんの数秒前までただそれだけだったはずの風景に、今、木組みの橋がかかっていたのだった。ずっとずっと、遥か先、水平線のさらに向こうまで……
 確か水平線というのは、遠くに見えて実はけっこう近いんだっけ、と彼は思い出した。確か4キロとか5キロとか、そのくらいしかないはずだ。とすると、この橋は最低でも4、5キロは続いていることになる。そんなどうでもいい知識が頭の中を塗り潰し、どうして突如橋が出現したのかという大きな疑問は、目に付かない脳の隅の方に追いやられてしまった。
 一度消えてしまった問いかけは、もう二度と思い出せない。何か考えねばならないことがあった――あったはずだ――そんな、どうにもならない痛痒感だけを置き去りに。
 背中を嫌な虫が這い回っているような感覚に彼は身を捩る。梟の声は、彼を慰めるかのように親しげだ。
【橋の向こうの魔女をやっつけなよ。でないと世の中は掃除してない排水口みたいになる】
「なんで俺が」
【呆れたもんだ】
 梟は眉をひそめた――もし眉というものがあれば。
【夢を見るなら責任持って見て欲しいね。見られる夢の身にもなってくれよ】
 なるほど。これが俺の夢なら、主役も俺か。彼は納得した。どうやら、不本意ながら梟の言うとおりするしかないようだった。楽園が排水口になっては困る。彼も困るし、梟もきっと困るのだろうし、他の住人たち――存在するのか?――も困るに違いない。
 彼は頷き、寝椅子から砂浜に降り立った。
 だらだら呑み続けて、ずいぶん強かに酔っていたはずなのに、もう彼の足取りはしっかりしたものだったのだ。


2:通過

 彼は梟と連れだって、橋の上を歩き始めた。橋は緩やかにうねりながら入り江を抜け、大海原へと出て、あとはただひたすら、空の青と海の碧の間をまっすぐに世界の果てまで伸びているようであった。不思議と疲れはない。うんざりする感じもない。むしろあるのは、奇妙に胸の躍る感触。歩けば彼の楽園であった島が遠ざかる。水平線の向こうに隠れていた新たな世界が見えてくる。仮に見えてくるそれが、代わり映えのない青と碧と一本橋だけの風景であったとしても。
 あるいは、橋がまだ途切れずそこにあるという単純な事実が、彼をこんなに突き動かすのか。
 確かに寂しくはあった。飽き飽きとはしていた。しかしそれでも、梟だけは少なくとも肩の上に留まっていてくれたわけだし。
 道々、彼は梟に、魔女のことを尋ねた。これから戦おうという敵のことは、把握しておかねばなるまい。せめて対策くらいは立てたいところだ。何しろ彼には戦闘能力らしきものは何一つありはしないのだ。もともと運動は苦手な方だし。中学高校のころはずっと文化系の部活だったし。
 こんな時のための当然の備えとして、剣道あたり習っておくべきだっただろうか。なにしろ、いつファンタジー世界に召喚されるか分かったものではないのだから……しかし、30を過ぎた今になってお呼びがかかるとは、思いもよらなかったのだ。
 彼は藁にもすがる思いだったのだが、梟は首を傾げるだけだ。
【魔女か。凄い女だよ。女は皆そうだけど】
「勝てるかな?」
【僕は正直者でね】
 それっきり、梟は黙り込んだ。
 そこで彼は、諦めてひたすら歩き続けた。一体どれほどの間、脚を動かし続けただろうか――橋の果てに城が見えはじめた時には、彼は飛び上がって歓声を挙げた。梟も翼をばたつかせて同意した。足早に近づいてみる。すると巨大で黒々とした城の存在感が、徐々に胸の中に押し寄せてくるようだ。
 錆びた車や、画面の割れたテレビや、扉のとれた冷蔵庫、脆くなったプラスティックの玩具に、濡れてガビガビになった本の山。様々なガラクタが波に打ち寄せられてできたゴミの島の上に、城は建っていた。
 城というより、鉄鋼と木材と打ちっぱなしコンクリートの前衛芸術か。直線と曲線の建材がデタラメに組み合わされ、あっちこっちからトゲのように付きだし、まるで敵を威嚇しているかのよう。さらには、とても耐震基準を満たしているとは言い難い骨組みを、灰色のコンクリートがぐちゃぐちゃに練り固めている。なんという素人普請だ。
 呆れ果てている彼の目に、巨大な――高さ20mはあろうかという――門が見えてきた。少なくとも、門らしきものではあった。ばかでかい鉄板が2枚、やる気なく壁にもたれかかっているだけのように見えたが。
 門(らしきもの)の前には門番がいた。これまた、身長が1800cmには達しようかという巨人であった。金色の縁取りのある飾り鎧を身に纏い、国旗掲揚塔のような槍を片手に構え、ただじっと門の前に突っ立っている。彼と梟が近寄っても、誰何の声一つかけてはこなかった。
 彼はやむなく、自分から巨人に切り出した。
「あのう、魔女さんいますか」
《居らぬ》
【相棒、なんて切り込みかただい】
 梟が不満げに囁いた。
「話し合いで解決したいんだ」
 梟は呆れ返って、肩から頭の上に飛び移り、もうどうにでもなれ、という具合に目を閉じた。 彼は気を取り直して巨人に向き合い、
「魔女に会いたい」
《居らぬ》
「一緒に話そう」
《何を?》
 巨人が僅かに興味を示した。ここぞと彼は畳み掛けた。
「仕事、趣味、夕べの晩御飯」
《下らぬ》
 巨人は嘆息した。
《だが通れ》
 扉が開いた――というより、鉄板が完全にやる気を失って、門から剥がれ、ばたんと横にぶっ倒れたのであった。

【凄いぞ相棒、魔女の城に入ったのは君が初めてだ】
 城の中を歩む間、梟は上機嫌だった。彼の頭の上で、しきりに翼をばたつかせ、頭をクルクルと前後左右に回転させ、物珍しそうに城の中を見物しているのだった。確かに珍しい。見たこともないものがたくさんある。白い物や黒い物、鉄のようなものと花のようなもの。それが何に使われるのか想像も付かない、おぼろげで実体の掴めないものが、あっちこっちに散乱しているのだった。
 じっくり観察したいところであったが、今は魔女が優先だ。
「前に挑戦者は?」
【これは君が見てる夢だからね】
 身も蓋もない奴。
「じゃあ、魔女の居場所も分からないのか?」
【城の主は、高いところの広間にいると相場が決まってる】
 なるほど。納得して螺旋階段を探し、見つけ、上へ上へと彼は登った。しばらく登り続けると、他とは明らかに装飾の美しさが異なる大扉の前にたどり着いた。どうやらこの扉の奥に目的の魔女がいるように思えるが、さてどのように入ったものか。
 彼は考えた末、まず声を掛けた。返事はない。扉の縁取りにそっと指を這わせてみた。まるで真っ白な紙のようにさらさらだ。扉が僅かに震えたように感じたが、それ以上の抵抗はなかった。そこで彼は指に力を籠め、扉をゆっくりと押し開いた。
 中には、広間があった。尾籠度のカーテンに包まれた部屋の最奥に、鋼鉄の玉座があった。なんと寒々しい椅子であったことか。鋼の骨組みが剥き出しで、この城そのものと同じようにあちこちからトゲが付きだし、ところどころが無様にリベット留めされている。座っているだけで体温を根こそぎ持って行かれそうに見えた。事実その通りであったのだろう。玉座の上にピンク色の丸いざぶとんを敷き、脚を組んで、魔女はそこに座っていた。
 彼は息を飲んだ。魔女の視線に貫かれて。魔女は黒い毛皮のケープを肩にかけていたが、そのふわりとした膨らみでも隠すことはできない。躰に吸い付くような衣服が、彼女のすらりと細い肢体を闇の中に浮かび上がらせる。目は切れ長で槍のように鋭く。態度は溜まらなく刺々しく。ドンピシャ好みだった。
 魔女は深い溜息の後、氷のような声で言った。
『すぐ死ぬかおもむろに死ぬか、どちらが良い?』
 その声だけで死んでしまいそうだ。彼は思わず一歩踏み出した。
「君が看取ってくれる?」
『余が殺すのだから当然であろ』
「なら死ぬのも悪くないな」
 魔女が細い眉を片方だけ跳ね上げた。
「けど、少し話してからにしたい」
『話し相手は柱と壁、どちらが?』
「君が」
『図々しい』
「君は刺々しい。何食べたらそうなるんだ?」
『変な物は喰うておらぬわ。秋刀魚と南京の煮付けと』
「料理するんだ? 煮付け難しいよね、荷崩れて」
『時間測っておるか? ちゃんと……一体何を話しておるのじゃ、余は!』
 魔女が立ち上がり、猛烈な熱風が吹き寄せてきた。驚くほどの熱さだ。つい先程まで凍て付くような冷気に満ちていた広間が、一挙に火山の溶岩だまりと化したかのようであった。彼は後ずさりそうになるのを必死で堪え、再び、一歩奥へと踏み込む。
『ああ!』
 憎々しげに、苦しげに、しかし不思議な情熱を込めて、魔女は喘いだ。
 と、ずっと黙っていた梟がいきなり羽ばたく。
【相棒、君の勝ちだ。世界は救われた】
「何でだよ」
【何でもそうなのさ、夢だからな。魔女様、目覚まし鳴ってるぜ】
 魔女は梟に指摘されると、可愛らしく慌てた。あの魔女っぷりが嘘のようだ。
『いっけない!』
 閃光と共に魔女は姿を消した。その途端、足下から突き上げるような衝撃が彼を襲った。地震か。いや、これは、このパターンは、主を無くした城が崩壊しようとしているに違いない。城というのはそういうものだ。堅固で巨大に見える物が、支えの一点を失った瞬間、脆くも瓦解する。それは、世の中にままあること。
 だが、どうしろというのだ。
 消えてしまった魔女の残り香に、取り残された彼は、いつまでも未練たらしく引き留められていた。見かねた梟が優しく言う。
【さあ帰ろう】


3:帰還

 崩れ落ちる城を飛び出し、割れた門を踏み越え、見送る巨人に別れを告げて、彼は走った。来た道を真っ直ぐ逆に。木組みの一本橋の上を、彼は走る。走る。走る。
「一体これはなんなんだ」
 梟は隣を滑空しながら、
【夢さ、知っての通り。だが夢は認識の一側面に過ぎない。現実と不可分。否定も逃避もちゃんちゃら可笑しいのさ】
「俺はどうなる?」
【君は君】
 梟は微笑んだ――微笑みという表情があったなら。
 梟の励ましを最後に、夢は終わった。

 気付けば見慣れた自分のアパート。30分遅れの起床。
 彼は大慌てで仕事に出た。梟のように素早く。だがあまりにも急ぎすぎていたせいで、駅の改札を出た所で、女性とぶつかってしまった。派手に荷物を散らかして、彼と女性はお互いに尻餅を付く。反射的に謝り、相手の荷物を優先して掻き集めて、彼は初めて女性の顔を見た。初めて? 切れ長の目、細い躰、可愛らしい大慌て。
「煮付けのコツをご存知?」
 思わず尋ねた彼への視線は、たまらなく刺々しい。

(完)

投稿者 darkcrow : 2012年11月29日 16:09

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