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2012年12月11日
「女優ふたたび 」
クソジジイが嫌で家を出た。10年前のことだ。
あのころあたしは12の小娘に過ぎず、格式の鎖に束縛され尽くしたデュイル流演劇の世界に唾する生意気なガキに過ぎず、見たこともない外の世界にただ無邪気に憧れる無知で無能な恥知らずに過ぎなかった。
一体何が悪かったのか? 腕が悪かった。客が悪かった。ついでに生まれが悪かった。女になんか生まれなきゃよかった。
演士の家に生まれたあたしは、物心つく前から父の舞台を見続けて育った。父は素晴らしい喜劇俳優だった。彼の飛ばすギャグは悉く客席を沸かせ、あたしは意味も分からず舞台袖で笑っていた。父はあたしの憧れだった。そして、ごく当たり前に自分がその跡を継ぐものだと思い込んでいた。それが途方もない大間違いであることに気付いたのは、ある女優の本性を見たときだった。
当時、イベーラ最大の劇団に、当代最高と評される女優がいた。なんたる美貌であったことか。腕、足、腰、胸はおろか、服の裾一つ、髪の一本に至るまで、まるで意志を持つ生命のごとく振る舞う。あらゆる動きが、あらゆる立ち姿が、ゆったりと流れる小川のように涼やかに、獲物を狙う豹のように艶めかしく、燃え上がる焔のように蠢き、全ての男と女を耐え難い熱情に駆り立てる。彼女が舞台に立つ夜、劇場の周りの朝餉宿の客入りが目に見えてよくなるのだという。朝餉宿というのは、その名の通り朝食を饗す料理屋なのだが、夜に店に入り、注文を受け、それから調理を始めから待ってくれ、という名目で客を朝まで部屋に泊まらせる。客、すなわちゆっくりと色々なことをやりたがっている男女をだ――
その女優と話す機会を得た。
その時あたしは、初めて知ったのだ。女優が実は、他でもない、このあたしの祖父であるということに。
祖父は、女形の達人であったのだ。
演劇は、男がするもの。女は舞台に立てない。それがデュイル流の掟。何故そんな掟があるのか、誰も知らない。いや、知っているものはいるのかもしれない。ただ、掟が作られた時代は遙か遠く、現代においてはその妥当性はとっくに失われていたのだ。あたしはごねた。わがまま放題に育てられたあたしだ。泣きつけばなんとかなると思っていた。だが、祖父は――
女の衣装を纏った、あまりにも美しい祖父は、あたしの頭を悲しい顔して撫でたのだった。
そんなクソジジイが嫌で家を出た。あれから10年。
あたしは新しい舞台を探し、はるか南東の島国、ベンズバレンにやってきた。デュワ王国に比べればずっと歴史が浅く、なにより新興の貿易都市を有していた。儲かればなんでもいい。面白ければなんでもいい。そんな自由な街であり、同時に、無能にはあまりにも厳しい街でもあった。
あたしは、手段を選ばず――秘したるが華――劇団に潜り込み、下働きをこなしながら、苦しい生活の中で腕を磨いた。やがて二十歳になったあたしは、ついに主役の座を射止めた。女が主役。女のあたしが主役。
全てはただ、あの堅苦しいだけだった故郷を、見返したくて。
そして何より、あの美しすぎる祖父を、越えて見せたくて――
手紙を、送った。
最近は便利なもので、金さえ積めばメッセージを遠方の街まであっというまに送ってくれる。宛先は実家で、内容はこうだ。『当方、主役の座を射止めたり。悔しかったら見に来やがれ。不肖の娘にして孫娘より』
何ヶ月かして、家族がベンズバレンにやってきた。
父と母と、兄弟たちが。
祖父の姿は、そこにはなかった。
あたしの手の中には、あの日見た、あの美しい女優の衣装が横たわっている。祖父はこれを着て、何を思い、舞台に立ったのだろうか。祖父は飛び出したあたしの無事を祈りながら、何を思い、何を伝えんとしていたのか。
真相は全て、《時》の彼方。
知るはただ、《死》の女王さまのみ。
憧れていたあの女優の衣装に、袖を通す。
「――さあ、見てろよクソジジイ」
そしてあたしは、風のように舞台に躍り出た。
THE END.
※この作品は、「即興小説トレーニング」http://webken.info/live_writing/にて書いたものです。
お題:美しい祖父 必須要素:ギャグ 制限時間:30分
投稿者 darkcrow : 2012年12月11日 02:41
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