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2012年12月12日

 ■ 「恋の湖」

「恋の湖」

「……暑い!」
 神殿騎士は神の徒として、邪を祓うが役目。彼もまたその例に漏れぬ。信仰の証として特別に与えられた三ツ楔紋入りの甲冑と、大司祭手ずから聖別を施した白銀の剣。何とも誇らしい聖騎士のいでたち! 騎士は子供の頃からこの職に憧れ、敬虔な信徒としてふるまい、一方で剣術にも磨きをかけ、18の若さで騎士に任じられたのだ。なんたる光栄。なんたる名誉。
 しかし名誉も光栄も、ついでに言えば神のご威光も、鬱蒼とした森林のうだるような暑さ、襲い来る毒虫羽虫、耐え難い空腹と疲労を、防いでくれはしないのだ。
 また一振り、剣でばさりと目の前の藪を切り開き、騎士はたまらず溜息を吐いた。とうとう暑気に耐えきれなくなり、兜を脱いだ。
「イメージしてたのとなんか違うなァ……ま、これも神の与えたもうた試練」
 騎士に与えられたのは、森林の奥にあるという怪異の調査任務であった。ここらは木こりや炭焼きでも滅多に足を踏み入れないような原生林である。ある時、この森に迷い込んだ木こりの青年が、満々と水を湛える美しい湖を発見した。暑さに参っていた彼は、一も二もなく湖のふちに跪き、浴びるように水を飲んだ。
 その時、彼は見たのだという。湖の上に立つ、この世の者とは思えぬ少女を。
 少女は髪も衣も青白く、肌はなお白く、湖の中央、水面の上に事も無げに立ち、木こりをじっと見つめていたのだという。木こりはこの怪異に恐れおののき、まろびながら村へ逃げ帰った。そこで村中にこの話をふれまわったあと、なぜか再び森へ踏み込み――
 そして、二度と戻らなかった。
 ま、良くある都市伝説の類。
 こういう流説が広まると、教会は動かざるを得ない。たいがいは怪異でもなんでもなく、見間違いであるとか、事故死であるとかするわけだが、その真相を確かめ、解決するのが信仰を司るものの役目にして本分。
 しかし、どうやら今回の「怪異」は、単なる噂話、ホラ話の域を出そうにない。
 そんなわけで、新人騎士の彼がたったひとり、貧乏くじを引かされたわけであった。

 さて、聞かされていた通りに森を進むこと丸一日。翌日になって、ようやく騎士は目的の湖にたどり着いた。その美しい風景に、騎士は疲れも忘れ感嘆の声を挙げる。朝靄に包まれた水面は鏡のごと、水際の砂は更紗さながらに繊細、岩に貼り付いた苔は可愛らしい小さな桃色の花を付け、ふかふかと絨毯のようにざわめいている。
「いいところじゃないか。道さえあれば、避暑地に丁度いいくらいだ」
 騎士は鎧をがちゃつかせ、水際に腰を下ろした。湖から吹き寄せる風は何とも涼やか。靄の肌に触れる感触も心地よく、その白い視界の奥には美しい少女もいて、まるでこの世の楽園、神々の園とはこのようなものであろうか――
 ――美しい少女!?
「うっ!?」
 騎士は飛び上がった。湖の中央を凝視する。少女がそこに立っていて、そして、じわじわと、確実に、騎士の方に歩み寄ってくる――支えも何もない水面の上をだ! よもや本当に怪異が現れるとは。騎士は慌てて剣を抜こうとした。あまりに慌てて、うまく鞘から剣が引き抜けない。
 もたついている間に、少女はもう水際にまで迫っていた。
「おっ、おの、おの……」
「あのっ……」
 少女が喋った。
 呆気にとられる騎士の前で、少女はじっと伏せていた目を星のように輝かせ、騎士に子犬のような視線を向けた。
「おきゃくさま! あなたも遊びに来てくれたの?」
 その声色は、まさしく無邪気な村娘のそれであった。

 水の精――
 騎士は、そう名乗った少女と水辺に並んで腰掛け、甲冑の指先でごりごりと頭を掻いた。どうやらこの少女、正真正銘の怪異ではある――が、困ったことに何も害がなさそうなのである。彼女はこの湖を守る精霊なのだそうだが、かつて付近にあった村が滅びて後、森に近づくものも無くなり、以来ずっと一人寂しく暮らしていたらしい。ところがある日、木こりがこの湖を訪れ――
 なんのことはない。木こりの青年、美しい水の精にぞっこんやられて、また逢い引きに来て、そのまま長逗留というわけだ。色ボケめ。
「ね! あなたも、も少しここにいて?」
 膝をかかえて腰掛けた水の精が、小首を傾げながら甘えてくる。やれやれ、木こりもこれにやられたものだろうか。
「そうはいかん」
「えー……」
「俺にも立場ってものがあるからなあ。とりあえずだ、神殿には何も居なかったと報告しといてやるよ……どうもだめだ。人間じゃないとはいえ、女の子を斬るってのは」
「そう……でもいい。ありがとう。あなた親切」
 ま、少女に甘えられて、悪い気がするものではないし。
「ところで木こりは?」
「食べ物を探しに、森。まだ帰ってないよ」
「そうか。まあそいつも連れて帰れば解決……」
「――ね」
 甘い声に、騎士はぎょっとする。見れば、少女が先程よりほんの少し、騎士に近づいているのだった。その細い腕が、青白い幻想的な髪が、沿うように、さぐるように、騎士に触れる。
「遊ぼうよ。ちょっとだけ――」
 瞬間、騎士の中で信仰と理性と本能がせめぎ合い――

 しばらくして、別の調査隊が湖の側でひからびた死体を発見した。
 死体は湖に溺れ、しかし全ての体液を吸われていたという。

THE END.


※この作品は、「即興小説トレーニング」http://webken.info/live_writing/にて書いたものです。
お題:奇妙な湖 必須要素:信仰 制限時間:30分

投稿者 darkcrow : 2012年12月12日 23:24

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