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2012年12月17日
「別れの挨拶」
――さっむいなァ。でもこのへんだったはずなんだ。
少女は制服の上から着込んだぶかぶかパーカの襟元を、震えながら両手で閉めた。首筋から容赦なく滑り込んできていた寒気はなんとか遮断できたが、それでも体が温まったわけではない。冬の風は吹き荒れ、拳ほどもあるメガジップをちゃらんちゃらん鳴らしている。物音と言えばそれだけだ――ろくに手入れもされていないアスファルトの細道には、車一台、人一人通ってはいなかった。
これが、この街のメインストリートだというから驚きだ。かつては相応の賑わいも見せていたのだろうか。魚屋と肉屋と酒屋は門戸を固く閉ざし、ガラス戸の枠には数年分の埃が堆積している。ようやく開いている店を見つけたが、その八百屋の商品棚は三分の一も埋まってはいなかった。何気なく覗き込めば、偏屈そうな爺さんが奥のパイプ椅子に座り、ストーブの熱風を直接足に浴びながら、じっとテレビの古い時代劇を見つめていた。
見覚えは、ない。街にも、店にも、爺さんにも。
それでもここは故郷のはずだ。少女の不動産は、この街のどこかにあるはずなのだ――たぶん。
日本史の教科書なら一行分にも満たない程度の時間だが、20年にも満たない少女の人生にとってみればそれは太古に等しい昔のこと。少女はこの街に住んでいた。今では見る影もなく寂れたこの街だが、かつてはもう少しはマシだったはず。心安まる田舎の片隅に、少女の両親は家を買い、そこで彼女は幼少期を過ごした。おそらく、4歳とか、5歳とか、そのくらいまで。
ここを出たきっかけは、母親の死であった。父親は思い出に満ちた家を出て、少女を連れて都会へ逃げ出した。そこでまた5年あまりを過ごしたある日、少女の父親は突如として失踪した。行方は杳として知れない。少女は祖父母に預けられることになり、人生で二度目の引っ越しを経験。三度目の引っ越しは、大学受験終了後ということになるだろう。
そんなわけで、少女は母親の顔を覚えていない。父親は――正直に言おう、最近記憶があやふやになってきた。少女がしっかり記憶している過去は、もっぱら祖父母の家に来てからのものだ。だから基本的に、彼女は自分が大人に愛されて、幸せに育ってきたと自覚している。特に不満はない。母親を恋しがる気持ちも、父親を怨む気持ちも。
ただ――
ただ、やっぱり、父親の死の知らせは、少なからず彼女を動揺させた。
報告をくれたのは、女性だった。その女性は父親の遺品を届けてくれた。最期がどうであったかも、簡単に教えてくれた。気のないそぶりをして、祖父母同席のもとで話を聞きながら、少女はぼんやりと悟っていた。ああ、そういうんだ。親父は、自分より娘の方に歳が近いような女と、一緒に楽しくやってたんだ、と。
父の愛人――ひょっとして結婚もしていたのだろうか?――が去っていくとき、少女は頭を下げて礼を言った。ありがとう、わざわざ教えに来てくれて、と。父の恋人は微笑んだ。かわいい笑顔だった。なんとなく、父の気持ちも分かる気がする。
ともあれ、そういう事情で、少女のもとにいきなり父の遺産が転がり込んできた。
やれやれ。女子高生にして、家持ちの身分になってしまったというわけだ。
祖父は、不動産の処分を勧めた。
それでいいと少女も思う。片田舎に引きこもるつもりはさらさらなかったし、利用するつもりのない家と土地に税金を払い続けるのもアホらしい。二つ返事で少女は同意した。売って作った金を祖父母が管理することにも異議は唱えなかった。成人した暁には正式に少女の財産となる。それまでに使い込んでしまうようなしみったれた祖父母でもない。
ただ、一つ。
一つだけ、やっておきたいことがあったのだ。
八百屋の爺さんに尋ね、ようやく手掛かりを得て、歩くこと20分。足が棒のようになったころ、長い長い坂道の先に、ようやくその家は見えてきた。
かつて少女自身が住んでいたはずの、懐かしい我が家が。
少女は朽ちかけた門を押し開け、狭い庭に踏み込んだ。夏には雑草が覆い繁っていたであろう庭は、今の季節は枯れ果てて茶色く染まっている。その奥のガラスをはめ込まれた玄関。ガラスは長い年月の中で、風に飛ばされた石にでもやられたのだろうか、大きくひび割れていた。
鍵を差し込み、捻り、開く。
あっさりと家は少女を迎え入れた。
中には何もなかった。何も。少女の求めるものは、何も――
それでも家は、ずっと少女を待っていたのだ。
少女は門を出て、家を後にした。
ただ、その際に足を止め、一言。
「バイバイ」
※この作品は、「即興小説トレーニング」http://webken.info/live_writing/にて書いたものです。
お題:少女の不動産 必須要素:パーカー 制限時間:30分
投稿者 darkcrow : 2012年12月17日 01:00
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