2012年12月18日
「チェンジ! ウィングセッター!!」
「お願いしますよウィングセッターさん、お願いします」
私が喫茶店の席に着くなり、待ちかねていた荒木さんはそう切り出した。私は無言で唸るばかり。近寄ってきたウェイトレスに紅茶を注文する。その間、荒木さんは頭を下げっぱなしだ。一体あのウェイトレスにどんな目で見られていたことやら。
荒木さんと知り合ったのは、もう二十年近くも昔。まだ私が現役のヒーローをやっていた頃のことだ。
ヒーローは様々な悪と戦う。宇宙人、怪人、地底人、古代人、等々。むろん武器も必要なら移動手段も必要で、何より、ヒーローだって飯も食うし服も着る。
つまるところ、ヒーローをやるには先立つものがいる。
毎日命がけの戦いをやりながら、一方で会社勤めをするのは、ほとんど不可能に近い。いつなんどき敵が現れて、変身して飛び出していかねばならないような社員を、一体どこの会社が雇ってくれるというのだ? そう言うわけで、ヒーローには後援者が不可欠なのだ。スポンサーである。ところがスポンサー探しもこれまた難題。そこで、ヒーローを後援企業やらなにやらに紹介・斡旋する業者が生まれる。荒木さんは、そんな斡旋業者の大手に勤める人だ。昔私の担当であったころは、まだ駆け出しだった――それが今では、立派な中堅。じきに幹部の椅子も見えてくる立場。
いいトシの、立場もある大人が、ひれ伏すように頭を下げる。公衆の面前で。これは、相応に重みのある行為である。
「やめてくださいよ、荒木さん。お願いされたってねえ……」
「いや本当に、身動き取れんのです。ウィングセッターさんが現役だったころは良かったですよ。みんな正義に一直線でね、真面目で勤勉で、これぞヒーロー! って感じでね」
ようやく荒木さんは顔を上げた。冷めたコーヒーを啜り、渋い顔をする。
「最近のコは、もうほんと、なんていうか……ゆとりっていうんですか、ああいうの。ファッション感覚っていうか……新しい武器をもらってもロクに練習しないし。いざってときに女の子や友達と出かけちゃって連絡つかないし。平然と『明日休みますー』なんてねェ……
いや、色々とこっちも、頑張って合わせていってるんですよ。制度とかね。ワークシェアの仕組み整えて。普段は本業ほかに持ってて、週に何回か、合計10時間、とかだけのヒーローなんか、最近多いですよ。それがかえってプロ意識を削いでるってとこもあるんでしょうか。ほんとこう、小粒なんですよ……ヒーローたちが」
「人材不足はどこも一緒でしょう」
「でもヒーローですよ。換えが効かないんですよ。本当に! でも悪は待ってくれない。ご存じでしょ? ほんと、次の敵、ほんとシャレにならないんですよ。戦力が要るんです」
私は溜息を吐いた。
つまり彼はこう言っているのだ。現役を退いて十数年になるこの私に……引退して、田舎で実家の後を継いだ、穏やかな暮らしの私に……もう一度、ヒーローになれと。
だが私はかぶりを振った。
「あのね、荒木さん。私はもう、戻る気はないんです。桃の木をいじる生活、これで楽しくってね。最近、傷の入った商品にならない桃を、ネット通販で希望者に安く売るっていうの、はじめてね。これがけっこう当たって」
「ウィングセッターさん……」
「もう嫌なんですよ……戦ったりとか、殺したり殺されたりとか……だってほら、倒しちゃった敵にだって、家族はいるかもしれんでしょう……」
結局、私は最後まで首を縦にふろうとせず、荒木さんも諦めきれず。気が変わったら連絡してくれと、最後まで腰を折る荒木さんと私は別れた。すっかり日が暮れた暗い道。私はとぼとぼ歩く。駅への短い裏路地。華やかな街の灯火とは無縁の、一本はずれた寂れた路を。
――いいんだ。これが私の生き方なんだ。
と、そのとき。
私は奇妙な気配を感じて、振り返った。後ろには塾か何かの帰り道だろうか、制服姿の女の子が一人歩いているばかり。気のせいか――
と思った次の瞬間。
耳を劈く轟音が空から響き、そして、空が割れた。
暗闇を引き裂いて光が迸る。その光の中から、無数の化け物が現れる。翼を持ったグロテスクな怪物。それぞれが身長2mはあろうか。その数実に、数百万。空を埋め尽くすほどの数。
その内の一匹が、少女目がけて飛来する。
――いかん!
思うが早いか、私は……
「チェンジ! ウィングセッター!!」
15年ぶりの変身ポーズ。私はまだ、忘れてはいなかったらしい。
※この作品は、「即興小説トレーニング」http://webken.info/live_writing/にて書いたものです。
お題:穏やかなヒーロー 必須要素:一人称 制限時間:30分
投稿者 darkcrow : 2012年12月18日 01:58
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