2013年01月07日
こんな朝早くの寒い時間帯に、わざわざ立ちこめてきた空気の読めない霧を罵るべきか。こんな霧の立ちこめる早朝の寒冷地獄に、わざわざ巣穴から這いだしてきた愚かな自分を嗤うべきか。
片側二車線のメインロード沿いには、はげ上がった街路樹が立ち並んでいて、私はその幹をぼんやりと見つめながら、歩道の脇のコンクリート塀にお尻を乗せている。歩道とスーパーの駐車場を隔てるこの塀が、ちょうどお尻くらいの高さで、実に具合がよいのだ。制服のスカート、その上に着込んだモコモコのコートを通してもなお、痺れるほど冷たいことを除いては……
全く、何をやっているのやら。こんな寒い思いをしてまで。
私がこんなところで白い息を吐いているのには、無論事情がある。やむにやまれぬどうでもいい事情だ。私の右手はコートのポケットに突っこまれ、人差し指がその中のプラスティック・カヴァーを撫でている。安物の生徒手帳に、丁寧にかけられたカヴァーをだ。
私の、ではない。生徒手帳なんて益体もないものを持ち歩く趣味はない。拾ったのだ。先週、ここで、この時間に。拾った私は、まあ持ち主に返してやろうか、などと柄にもない親切心を発揮した。それが大きな間違いだったのだ。手帳にはきちんと名前が書いてあった。持ち主はすぐ見つかるだろうと思われた。ところが誰に聞いても、そんな名前は知らないという。そんな馬鹿な。一学年に200人以上が属しているとはいえ、その中の適当な十人に聞いてみて、誰もその人物の名前を知らないなどということがありえようか?
だいぶめんどくさいことに首を突っ込んでしまったと気付いたのは、そのときだった。だが、いまさら手帳をそこらに放り捨てて、知らなかったことにするのも気が引ける。
今度は先生に聞いてみた。返答はあっさりと帰ってきた。眉間に皺を寄せた難しい表情で。ああ、あの子。先生は痛がゆい腫れ物に触れるかのように言う。
その子、もう一年も学校に来てないのよ。
成る程、と私は得心した。そりゃあ、知られてなくても無理はない。というより、忘れ去られてしまったのか。届けておいてあげる、という先生の親切な申し出を、しかし私は断った。自分で渡すと。責任感などではない。ただ――先生にだけは、この手帳は見せられなかったのだ。
ああもう。めんどくさいったら。
私はその生徒の住所を聞き、とぼとぼとそこへ向かった。だが、なんたる無礼者。呼び鈴を何度鳴らしても、誰も応対しようとしない。留守? いやいや。家の電気がついたり消えたりするのを、私は確かに目撃した。どころか、微かにテレビの音声まで聞こえてくるのだ。むかついて、私はボタンを連打した。連打した。連打した。
沈黙。
こうなったら、もう意地だ。
それで私は、結局今、ここにいる。
そして彼は、真っ白な霧の中から這い出すように、私の前に現れた。
どうやら、この道が朝の散歩コースであるらしかった。
読みがドンピシャだ。彼が本当に引きこもって家から出てこないなら、この手帳を落とせたはずがない。つまり彼は、ここを通ったのだ。それもおそらく、人が出歩かないような時間に。となると深夜か、でなければ早朝。
私は自慢のつり目で彼をじっと見据えた。なんということのない、ちょっと痩せただけの普通の男。もっと酷い外見を想像していた。ただ挙動はあまりにも不審で、私の視線に気付いても目を合わせようとはせず、足早に私の前を通り過ぎようとする。
「ねえ」
私は呼び止めた。
「これ、返すよ」
彼が足を止めた。
「あのさ。こんなとこに書かなくっても、話なら、聞いてあげないこともないからね」
彼は。
そして、私は。
THE END.
※この作品は、「即興小説トレーニング」http://webken.info/live_writing/にて書いたものです。
お題:早い霧 必須要素:手帳 制限時間:30分
投稿者 darkcrow : 2013年01月07日 01:16
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