2013年02月04日
「俺と結婚してください!!」
ふかぶか下げた少年の上半身は、地面に対してぴたり平行。いちばん上まできっちり閉じた学ランの金ボタン。常に持ち歩いているらしい胸ポケットの生徒手帳。律儀、誠実、真面目か。すばらしくまっすぐだ。そして、まっすぐ的を外れている。
少女は溜息交じりに頭を掻いた。制服のチェック柄スカートがひらりと揺れて、太股が半ばくらいまで露わになる。
「あのね。わたしゃ16だからいーけどさ。キミは16だからダメっしょ」
男性の結婚は18歳から。常識だ。
ところが彼はこれまた大まじめに、
「結婚を前提にお付き合いしてくださいっ!!」
「あ、そ……」
どうしたものか。少女は頭を捻る。朝、登校してきて、校門をくぐったと思ったらこれだ。冷やかす周囲の目線は、まあどうでもいいとして、遅刻してしまうのは大変まずい。早くなんとかしないと。色々考えた結果、少女が導き出した結論はこうだった。
「んー。ちょっと聞きたいんだけど」
「はい」
「キミと付き合って、わたしにメリットある?」
「それは……ないかも」
「こう言っちゃなんだけど、キミ成績悪いじゃない」
「うん……」
「部活でめざましい結果を出してるでもなし」
「まあ……」
「社交性があって交友関係広い、てこともない」
「おっしゃるとおり……」
少年がどんどんしぼんでいく。なんだか可哀想になってくるが、少女は心を鬼にして先を続けた。
「申し訳ないけど先行き不安。で! さっきの三つのうち、どれか一つ選んでよ。頑張ったらできそうなやつ」
「その三つの中なら……まあ、勉強かな?」
「根拠は?」
「いちばん簡単そうかなって……」
「人生ナメとんなー。まーいいや。言ったからにはやってよね」
「?」
「できたらつきあってあげるし、なんでも好きなことさせたげる」
「なに?」
「東大合格でしょ」
ぴしゃりと少女は言うと、そのままヒラヒラ手を振って、彼の横をすれちがった。彼はと言えば、一体何を言われたのか理解するのに時間がかかり、ただ茫然と少女の背中を見送って――
しばしの後、突如気が狂ったかのように絶望の叫びを挙げたのだった。
「無理だーっ! そんなの無理だぁーっ!!」
休み時間、糸の切れた人形のように、少年は体を投げ出した。数少ない友人たちは、この一大事件を聞きつけて集まったが、何か有効なアドバイスがしてやれるでもなし、といって、まだダメと決まったわけではないので慰めるというのも妙な気がして、ただ、机の周りをうろうろと取り囲むばかりであった。
それを教室の隅で早弁しながら少女は眺める。友人が寄ってきて、隣の席にどっかと腰を下ろした。
「うまいことあしらったねー」
「そうでもないかもよ?」
少女が言うと、友人は眉をひそめる。少女はスプーンを口にくわえ、得意気にぴっこぴっこと上下させながら、
「つか、そうでもないこと期待……かな?」
少年は、無能である。怠惰である。人間のくずである。なんといっても、彼自身がいちばんそれを理解している。
それでも人並みに性欲はある。独占欲もある。ついでにいえば、愛にも飢えている。ただそれを手に入れるだけの力がない。気力がない。機会があっても、勇気がない。
そんな彼にとって、高嶺の花の美人なクラスメイトに、ああして交際を申し込むことが、どれほど強い覚悟を要する大冒険であったことか。
彼は挑み、そして砕けた。
その日、家に帰った少年は、普段なら鞄から出しもしない数研出版を何冊も開いた。青い教科書。黄色い参考書。そして真っ白なノート。慣れないことはするものではない。勉強しようといったって、教科書に書いてあることさえ理解できないのではどうしようもない。きっと授業のどこかで習ったに違いないが、習ったから覚えているというのなら学校なんか必要ないのだ。そして、習っても覚えられないのなら学校はもっと必要ない。
彼は15分悩み、全てを投げ出し、自分の体もベッドに投げ出した。
もういい。このまま寝てしまおう。眠って、何もかも忘れよう。
一体どれほど、そうして無為に過ごしただろうか。
胸の奥が痛い。
いてもたってもいられない。
昨晩、告白を決意したときの胸の高鳴り。胃袋がねじ切れそうなほどの重圧。それを乗り越え、そして今の空白。
これでいいのか。
僕は本当に、このままでいいのか。
翌日。
少女は通学して机に鞄をなげるなり、あの少年が教科書開いている姿を目にした。
小さく微笑む彼女。
それから彼らがどうなったか、誰も知らない。
THE END.
※この作品は、「即興小説トレーニング」http://webken.info/live_writing/にて書いたものです。
お題:少女の結婚 必須要素:大学受験 制限時間:30分
投稿者 darkcrow : 2013年02月04日 02:42
トラックバック
このエントリーのトラックバックURL: