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2013年04月22日
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一度だけ、弟が本気で殴りかかってきたことがある。
俺はその時、ただびっくりするばかりで――反撃しようなんて気すら起こらず、ただ、叩きつけられる拳を防ぐのに精一杯だった。防ぐと言ったって、腹や顔に当たろうとするのを、なんとか腕で受け止めるだけのこと。一撃ごとに俺の腕は痛み、と同時に、戸惑いがいや増していく。
親が異様な物音に気付いて、止めに入ってくれるまでの短い時間。それは十数秒だったのか、あるいは数分だったのか。俺にはよく分からない。時間感覚すら麻痺した非日常の世界で、俺は、奴の必死の形相に、ただ圧倒されていたのだ。
一つ実験をしてみると面白い。漫画でもテレビ番組でもゲームでも玩具でも、なんでもいい。小学生から高校生の子供がたしなみそうなものについて、俺と弟の二人に、それぞれ個別に質問をしてみるといい。
俺たちの答えに挙がる作品ラインナップは驚くほど同じで、それにまつわる思い出も不自然なほど共通で、でも、それに対する感想だけは何故か全く異なっているから。
全てが俺たち二人にとっては共有物だった。本もテレビも玩具も空間も。ベッドも二段ベッドの上と下。学校も部活も――これは、半分以上は弟に責任がある。奴がわざわざ、俺と同じ学校、同じ部活に入ってきたのだ。何を好きこのんで、兄と比較されざるを得ない状況に飛び込もうとするのやら。
子供にとって、大人から下されるほとんど唯一の客観的評価は、学校の成績というやつだ。高いからどうだ、低いからどうだというわけでもない。だが弟を見た教師たちは、ほとんどが、俺のことを知っていた。正確には、俺が取った点数を、だ。そしてその瞬間、弟の評価基準は俺になる。俺よりも良いか悪いか、意識的に無意識的に、大人たちはそうやって弟を評価してきた。
そう――親でさえも、だ。表には出さなかったが、そういう風に俺たち二人を比べていることに、子供なら気付かないとでも思ったのだろうか?
果たしてあの頃、弟はどんな気分で俺を見ていたのか――
それから、10年。
祖父が、ひょっとしたら危ないかも知れない、という連絡を受けたのは、ある日の夕暮れのことだった。俺は祖父の入院先に向かった。衝撃はなかった。落ち着いたものだった。こういう連絡を受けるのは、1度や2度ではなかったから。祖父は、余命幾ばくもないと宣告されてから、既に1年あまり、凄まじいまでの精神力と生命力で生き抜いていたのだ。
だが、いつものように病室に入り、眠る祖父の顔を見た瞬間――
予感が、した。
俺は親を病室の外に引っ張り出した。
「あいつには伝えた?」
「いや、まだ。どうなるかわからんし、わざわざ東京から戻ってこさせるのも……」
それは理屈。でも俺は、そこに別の何かを感じ取った。
たぶん……弟への、両親の、遠慮。
「伝えなきゃだめだ」
俺の言葉に、親は眉をひそめている。
何故俺が、こんなに強く主張するのか、分かっていないというふうに。
「言いにくいなら俺が電話する」
翌日のことだ。
俺は喪服に身を包み、ソファに身を沈めて、じっとしていた。
隣に誰かが来る。俺はそちらを見もしない。だが、同じように黒服を纏った弟が、隣に腰を下ろすのが感じられた。俺は何も言わない。弟も。茶を啜る。ただ時だけが、深く深く淀んで、あの頃に戻っていくように、懐かしい匂いに包まれていく。
「最期に、なぜか大きく一声、叫んで」
俺はぽつりと言った。
「それっきり――笑ってるように見えたよ」
弟は、一言。
「あ……そう」
結局、葬儀が済み、弟が帰るまで、これ以上の言葉は交わさなかった。
でも、他に何が要ると言うんだ?
お題:苦い兄弟 必須要素:ゴム 制限時間:30分
投稿者 darkcrow : 2013年04月22日 01:22
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