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2013年06月18日
先日、戸土野正内郎作「イレブンソウル」が完結しました。(マックガーデン刊、全15巻)
戸土野先生をデビュー作の頃からずっと追っかけている者としては、これにきちんと感想を付けないわけにはいきますまい。というわけで、「イレブンソウル」完結後の感想であります!
注1)詳細な感想を述べるため、ネタバレには一切配慮しておりません。未読でネタバレを避けたい方は、ここから先の閲覧はご遠慮いただくようお願いします。
注2)なお、以下の感想において敬称略としております。
●好きなところ
非常に好きなキャラが何人か。いおりん(魔法使いポジションの腹黒電脳系お姉さん)とか大好きです。きっと戸土野先生もお気に入りだったのでしょう。あとは寿司屋の息子(へたれ先輩ポジション)も好きだったんですが、後半は出番が少なくって悲しかったですね。
戦闘作画は、「悪魔狩り」からどんどん進歩していて、特に第十五巻での最終決戦はまさに圧巻の一言。刀に降り積もる雪で静けさを表現するというのは、確か吉川英治の「宮本武蔵」だったっけ……よい風情でした。
他にも巨大怪獣との戦いになった第十巻、地平線まで埋め尽くす敵をたったひとりで待ち受ける第七巻など、見所は多いです。
●結論
さて。
結論から先に述べますと、俺は「イレブンソウル」にいい印象を持っていません。
一言で言ってしまえば「つまらなかった」のであり、「読みたいマンガではなかった」うえに、「今まで読みたいと思ってなかったけどこういうのもいいな!」と思うこともできなかった、というところです。
ですが、その中に、「これは捨てがたい」という面白みが少なからず存在していたことも事実。
だからこそ単行本は全部買いそろえているし、こうして感想をまとめようという気にもなったし、感想まとめる前に「いい加減じゃダメだ!!」と思い立って、1巻から通して読み返したりもしたわけです。
以下では、一体何故全体として「つまらない」作品になってしまったのか、そして何処が「捨てがたかった」のかを考えていこうと思います。
●ケーキ屋に並ぶカツ丼
戸土野正内郎は「重い」作品を好む作家です。
前作「悪魔狩り」においては、まず主人公が暗い。描写がグロい。絵柄も流行の萌え路線・ライト路線から大きく外れ、ディフォルメの度合いが低く、非常に線の多いものを好みます。掲載紙が「少年ガンガン」「コミックブレイド」という「軽い」雑誌であるにもかかわらず、です。
ぶっちゃけ、洋ゲーのファンタジーが大好きでそういうものを描きたいと思っている作者が、「ベルセルク」や「無限の住人」や「MONSTER」を参考にしてそのまんまマンガを描けば、そりゃあガンガン系の本道からは外れるに決まっております。
そのミスマッチっぷりは、担当編集者をして「ケーキ屋に並ぶカツ丼」と評させました(「悪魔狩り~寂滅の聖頌歌篇~(2)」の著者後書より)。
これはまことに的確な表現であり、言われた作者もずいぶん気にしているように見受けられます。それが証拠に、「イレブンソウル(6)」の著者近影は「モンブランやプリンが並ぶ食卓の真ん中にででーんと居座るカツ丼」の絵になっておりました。
で。
この「ケーキ屋に並ぶカツ丼」という言葉こそが、「イレブンソウル」のあらゆる良さとダメさの礎となったのではないかと考えます。
●ストーリー 本筋はどうであったか?
「イレブンソウル」のストーリーは、以下のようにまとめられます。
「弱かった少年が先輩の指導を受けながら立派に成長し、その後変節して敵に回った先輩に打ち勝つ話」
この流れ自体はしっかりしていますし、必要な描写もしっかり積み重ねられています。こうした基礎があることが、「イレブンソウル」を最後まで読ませるマンガにしているのだろうと思います。
……が、しかし。
●衣をつけて揚げたホヤを醤油と豆板醤と赤ワインで煮込み、たっぷりの生クリームとフルーツを添えてどんぶりにした。
このメインストーリーの合間合間に、色々と違う要素が挟み込まれます。
・ヒロインとの恋愛
・「幸せってなんだろう?」「心ってなんだろう?」と思春期みたいなどうでもいい質問を定期的に繰り返す主人公
・微妙なエロネタ
・エロというより親父のセクハラ発言みたいなの
・萌え描写らしきもの
・特に笑いどころのないギャグ
・勢いのないドタバタ
・無駄なグロ
・無駄に長い背景設定の説明
・無駄に多いキャラ
等々……
こうして挙げていくときりがありませんが、主要なものはこんなところでしょうか。
要するに、これらはすべて「カツ丼をケーキに近づけようとした努力」のなれのはてなのです。(まあ、グロや長台詞は作者の趣味が迸っただけだと思いますが……)
ところがおおもとが重たいフライ料理であるところに、調味料だけ色んな味を付けようとぶち込みまくった結果、できあがったのは、もはやカツ丼ともケーキとも付かない、訳の分からない何か。
しかもタチの悪いことに、おそらく作者自身が、これらのエロや萌えやドタバタやギャグについて本気で面白いと思っていない。「俺はこんなのが描きたいんじゃないんだ!」「こうじゃなきゃいけないんだろ!?」という作者の慟哭が紙面からありありと伝わってきて、なんだか読んでいて同情を禁じ得なくなってきます。
そういえば、作中で、元気がないヒロインを励まそうと、主人公がヒロインの故郷の料理を作るというシーンが有りましたが……ヒロインは青森と大阪にゆかりがあるので、作った物は「りんごの入ったタコ焼き(生焼け)」……なんか、作品全体を象徴するようで……
ともあれ、これらの「余計な」描写のために、ページ数は膨らみ、流れは悪くなり、作品の良い部分まで殺してしまっているように見えたのでした。
もちろん、「重さ」を際だたせるための「軽さ」という考え方はありますし、実際そうした効果も出ているのですが、そのためだけにやるにしては分量を割きすぎましたね。もっと短く、効果的なライト描写を練るべきだった、と言えましょう。
事実、中には「これはいいな」というシーンもあるのですよ……だからこそ、大部分を占める「つまらない」シーンが残念というか……
●ストーリーと描写のズレ
という「とにかく思いつく限りネタをぶち込んだ」感は、肝心のメインストーリーの方にも影響を与えています。
たとえば、非常に重要なところでは
・主人公が強くなっていく理由が「素質があったから」の一言だけで片付けられており、カタルシスに欠ける。
・主人公は「暴虐な闘争本能」を精神の内側に隠しているという設定だったが、キャラクターの1人がずっとそういうことに言及しているものの、具体的に「どのへんが闘争本能なのか」を示すシーンが存在しない。
・主人公が最終決戦の前に悩み、蘇るのですが、その内容が
課題:親友が自分の体のスペアパーツとなって死んでしまった
きっかけ:親友は自ら望んで体を捧げたのだった
解決:ずっと恐れていた自分の闘争本能を解き放つ
課題と解決噛み合ってねぇーーーーー!!!
これをやるなら、「自分の闘争本能のせいで親友が死んでしまった」という形にしないとダメだと思うんですが……ううむ。
など。
ストーリーは「課題」に対する「解決」の連鎖で進んでいくものですが、その二つの描写がぴったり噛み合わないといけない。どちらが欠けても(説明だけではダメで、当然ながら描写レベルで)読者にはちぐはぐな印象になってしまう。
●まとめ
部分的には非常に好きな部分があるものの、全体のちぐはぐさがそれを完全に殺してしまっていた作品と言えます。
繰り返しになりますが、冒頭で挙げた電脳お姉さんや寿司屋の息子は本当に好きですし、熱の籠もった戦闘描写は文句の付けようもありません。
だがそれ以上に、頭数だけいるキャラたちと、評価しようもない余計な描写の数々が、良さを薄めていってしまうのです。
書き手としては「自分で信じられないものは書くな!!」という、とても大切な教訓を得られた作品でもありました。
是非、戸土野先生には自分の好きなものを描いていただきたい。周りのケーキなんか気にせず、思う存分カツ丼を作っていただきたい。
「甘党にも食べられるカツ丼」と、「ケーキに近づけたカツ丼」は、全く違うのです!!
と言いたくなるほど、ウルスラグナ戦や最終決戦を描いてるときのトドたんは輝いてたよ!! 少なくとも、単行本のページは輝いてたよ!!!
こんなところで、「イレブンソウル」感想を終わります。
投稿者 darkcrow : 2013年06月18日 12:57
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