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2013年11月06日
お題:官能的な床 必須要素:悲劇 制限時間:30分
「片道」
昔の女と久しぶりに会って、楽しく飯を食い、いまふたりはベッドの中にいる。やるべきこともやり終えて、他愛もない寝物語に笑う。
彼女が時計を見るためにいじったスマホの画面がちらりと目に入り、必然、彼女と頬を寄せ合った男の顔も俺の視界を過ぎった。不思議と俺の心は動かなかった――驚くほど、だ。昔の、そう、別れる前の俺なら、全身から怒りの気配を発し、それを察した彼女が慌てて消火に気を揉んだことだろう。だが俺は左手を少し動かしただけだった。彼女の剥き出しの背中を、官能的に指でいじる。
彼女が慎ましげな乳房を寄せてきた。それで、動揺しているのは向こうの方だと悟った。俺は義務感に動かされて訊ねる。
「今、彼氏、いるの?」
「えっと」
言い淀んで、彼女は顔を背けながら呟いた。
「……いる」
「ふうん」
「でも、いいひとなんだけど、長く付き合うカンジじゃないっていうか……」
「別に怒ってるわけじゃないよ。分かるだろ」
脇の辺りに、もぞりと動く重みを感じた。彼女が頷いたのだ。
「変だなあ。俺、嫉妬もしてない」
「……わたしのこと、好きじゃないんだよ」
その言葉は、俺の心臓に突き刺さるようだった。昔から勘の鋭い女だった。頭は悪い。論理性はない。なのに俺の一挙一動から、声の調子、喋り方、視線の流れ一つから、俺自身すら気付いていないことをぴたりと言い当ててくれる奴だった。好きじゃない。もう好きじゃない。深く深く剣のように突き立ったその言葉は、俺の中に内省の光を閃かせるのには充分すぎた。
そうだ。俺は多分、そうなんだ。
「なんか、さみしい」
お前がその口で言うか? いささか俺は腹を立てる。かつて余所で男を作り、一方的に去っていったお前が、今ここでそれを言うのか?
しかし怒りは、別の潮流に巻き込まれ、すぐに溶けて消え去った。なんだか彼女が可哀想になり、俺は彼女を抱き寄せ撫でた。
たぶんそれは高慢な哀れみだったし、きっとそのことは分かっていただろうが、それでも彼女は嫌がるそぶりひとつ見せはしなかった。
ホテルを出て、彼女を送り、なんとなくこのまま帰るのも馬鹿らしくて……俺は国道に車を走らせた。車通りも少なくなった深夜の広い田舎道。10分も行くと橋がある。橋の下に流れる川は、この暗闇の中ではまるで地獄の深淵まで通じる大穴のよう。俺はぞっとする。思わずブレーキを踏む。背後のトラックがクラクションを鳴らす。追い立てられるように、俺は橋に飛び込む。
黒々と蟠る闇の上を、俺はただ、無目的に走る――
かつてもこうして、この橋を渡ったものだ。その時助手席には彼女がいた。目当てはこの先の山の上、知る人ぞ知る夜景のスポットで、そこへ行くたび、彼女の発する甘い香りが車の中を満たした。
行ってみるか、久しぶりに。
橋を渡りきると、脇道に逸れた。街灯一つ無い急な上り坂、両脇を固める木々の間を、俺の車は唸りながら上っていく。頂上までほんの少しの道のり。難なく辿り着き、道の脇に車を止める。
俺は寒空の下に出た。
遠く、視界を埋める満天の星。地上と、空に――
あまりに巨大なそれに、俺は圧倒され。
本当にここから戻れるのだろうか?
漠然とした不安に苛まれ、じっと立ち尽くす。
THE END.
投稿者 darkcrow : 2013年11月06日 01:49
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