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2014年05月29日

 ■ 『半径11m』

※この作品は「書き出し.me」で執筆しました。


『半径11m』

「30°の斜面と聞いて、どのくらいか想像できるだろうか」
 問われて記者は眉をひそめた。取材対象の公務員は、煙たそうに目を細めながらタバコに火をつける。あんな顔をするくらいならタバコなんて吸わなきゃいいのに。こんな暗い声を出すくらいなら、恐怖刑の執行なんかしなけりゃいいのに。記者にとっては何もかもが不可解だ。
「三角定規のシュッとしたほうでしょう。たいしたことない」
「誰もがそう思う。だが、実際斜面の上に立ってみれば……ためしに、そうだね、ちょっと外に出てみようか」
 公務員に促され、記者は刑務所の敷地に出る。この刑務所には壁がない。牢もなければ見張りもいない。あるのはジェットコースターみたいにチャチな合金製のリニアレール。そして丘のてっぺんに造成された手狭なグラウンド。それのみ。
「ここは丘の上だから……ほら、そのあたりに立って崖の下を見てごらん」
 言って、公務員は崖っぷちから3mほど手前を指差した。記者は言われるままにそこに立つ。眼下には密集する住宅地の屋根。なんとも壮観だ。空もすっきりと晴れ渡り、景色を眺めるには絶好のひより。しかし――崖の下に視線を向けるのはぞっとしない。なにしろ先述のとおり壁もなければフェンスも手すりもない。一歩間違えば崖の下へまっさかさまだ。
「怖いですね」
「それが30°だ」
 記者は目を丸くした。
「こんなに急なんですか?」
「絶壁と言ってもいいくらいだろう? 横から見るとそうでもないんだがね。まあ、感覚の問題だよ。
 仮に君の身長が180cmくらいだとして、目の位置は地面から1.7m。傾斜30°の斜面では、崖際から3mの距離まで近づいても、まだ斜面が視界に入らない。
 もう一歩前に出てごらん? ほら、斜面が見えてきただろう」
「見えるには見えましたが、これはなんとも、ぞっとします」
「そうだろうね。だが、仮に転げ落ちたところで大したことはない。この程度の斜面ならすぐに止まる……ちょっとすりむく程度のことだ。怖がることはない」
「はあ」
「実害はないのだよ」
 公務員は念を押した。
 害はない。全く害はない。肉体を傷つけることは一切ないのだと。

 リニアレールは一種の投射装置だ。化学ロケットよりもはるかに効率的に、低質量のコンテナを重力井戸の上まで持ち上げることができる。その軌道はたくみに計算され尽くしており、ぴったり15分後には目的地に到達する。そこでコンテナは一つの人工衛星と相対速度を合わせる。それから自動でハッチを開き――中身を衛星にめがけて射出する。
 こうして彼は、その場所にやってきた。
 11m。半径11mの球体。まるで惑星のミニチュアのよう。人工芝で覆われた表面に、小さな家が一つ。
 彼はこの小惑星に放り出され、しばらく、ただ呆然と人工芝のうえにへたりこんでいた。

 彼は死刑囚である。
 どのような罪を犯したのか、それはここでは言及しない。残酷きわまる殺人鬼だったかもしれない。数百人を破滅に導いたテロリストやも。あるいは全くの無実で、司法と警察の能力不足によって冤罪を押し付けられただけの人間なのかもしれない。
 ただ確かなのは、彼は死刑を免れたということである。
 背景には、昨今いやます死刑反対の声がある。死刑は残酷である。残酷は人のなす所業ではない。弁護士は法廷で、あるいはメディアで、死刑反対を声高に訴えた。より人間的な刑を課すべきである、と。それでこそ償いにもなるのだ、と。この意見は一定数の賛同を集め、各政党にもこの問題についての立場を明らかにすることが求められた。早い話、選挙の争点となった。
 結果、死刑廃止を訴えた政党が勝ち、刑法は大きく書き換えられることになった。
 一度は死刑判決を受けたこの囚人も、控訴審では新たな刑法に基づいて裁かれることになった。
 彼は、死を免れたのだ。

 そして死刑囚は、ここに送り込まれた。
 11m。半径11mの監獄。
 彼は――小さく、震えだした。
 右を見た。
 左を見た。
 どこを見ても、恐怖しかなかった。
 立ち上がる? とんでもない。立てば恐怖が増すだけだ。彼は一歩も動けない。
 なぜなら。
 周囲360度どこを見ても全て断崖絶壁であり、彼は高所恐怖症だったからである。

「30°だ。たった30°に過ぎないのだ」
 公務員はタバコをふかした。
「半径11mの小惑星に、身長180cmの人間が立つ。その目から小惑星に接線を引くと、その傾きは30°の崖にほぼ等しい。高いところが苦手なものには、耐え難い恐怖だろうよ。
 そして彼は二度とその高さから逃れられない。なぜなら――球体のどこに立とうと、視える角度は全く同じだからだ」
 記者は口をつぐんだ。汗が額を流れ落ちる。
「しかし実害は全くないのだ。重力は小惑星の中心に向かって働いているから、どんなに斜面が急に見えても落ちることはない。
 どうかな? 全く残酷とは無縁な、これが、新時代の刑罰だよ」

THE END.

投稿者 darkcrow : 2014年05月29日 22:26

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