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2006年04月21日

「死」

※この作品は習作として長編のうちの1シーンを書いたものであり、他の日記小説との関連性はありません※

 「痛み」らしい入力はなかった。
 椎也はただ、体内で反響する振動に体の自由を奪われ、驚愕で曇った視線を左腕に向けた。切り落とされている。頼みの綱のワームウッドが、腕ごと、二の腕のあたりから、ばっさりと。
 反射プログラムが回路の切断と左腕パージをコマンドするのを感じながら、椎也は視線を敵に向ける。為す術もなく地面へ向かって落下する自分を、風のように追ってくる黒い影。漆黒の翼を広げ、まるで本物の鴉のように鋭い目をしたそいつは、
「……クロウ!」
 椎也の叫びに、クロウは笑いながら、ブレードを振り下ろした。この体勢で、武器(ワームウッド)を失って、クロウの一撃を避ける術はない。だが、それでもあきらめるわけにはいかない!
 椎也は全身のギアを唸らせ、残る右腕に渾身の力を込めた。
 この拳だけでも叩き込む!
 が、しかし。
「っはははははははは!!」
 ぞんっ!
 五体が引き裂かれるかのような衝撃が走る。
 次の瞬間、椎也の右腕は両断され、切断面から汚れたマシン・オイルが飛び散った。
「っか……!」
 本当に?
 ぬらりと輝く刃が、再び椎也の上に振り上げられ、
「余計なもの(スクラップ)は――」
 クロウの、声。
「要らないのでね!」
 本当に、僕は死ぬの?
 刃が、椎也の首目がけて

 瞬時に事態を把握したユンは、闇御津羽のエネルギーを、一気に最大まで引き上げる。スピードが命だ。エネルギーがどうとか、傍受されるとか、そんなことを気にして居られない。極限まで周波数を高めた超高密度の情報波を、はるか空中の椎也目がけて投げかける。
 一瞬でユンの電脳は、圧縮された電子的時間空間に飛び込んだ。ミリ秒単位で進行していく世界の中で、ユンは椎也に呼びかける。
『椎也くんっ! 応えて、椎也くん!』
『ユン……先……輩……?』
『いい? クロウには好きにやらせるのよ! それより、いますぐ侵入防壁(ファイヤーウォール)を解除してっ!』
 椎也の思考が、3ミリ秒だけ停止した。
『えっ……』
『私がリードしてあげる……さあ、私の体内(なか)に入って。来て、椎也くんっ!』
『はい……先輩!』
 椎也は恐る恐る手を伸ばし――
 ユンの核(コア)に、触れた。

 振り下ろされた。
 美しい放物線を描き、椎也の頭部は宙を舞い、落ちる。
「はははははは……あーっははははは! ついに!」
 後には、両足くらいしか付属物のなくなった、椎也のボディだけが残された。クロウは狂ったように笑いながら、両手でそれを、優しく抱き留める。
「ついに手に入れたぞ、オリジナル・オートマトン……」
 その手つきは愛おしい物を愛撫するかのように柔らかで、求め続けた宝をついに手にしたかのように、力強い。
「ディー・ディラック・ザ・ダーク!! ふはははははは撤退だーっ!」
 その一声を聞いて、ラッカーのオートマトンたちが、一斉に踵を返した。波のように鮮やかに引いていく敵の背を見送り、満身創痍のサンダーバードは、ゆっくりと地上に降り立った。足が震えている。腕からは断線したコードが、骨のようにはみ出している。だからどうした? 壊れたからなんだ? こんなものは直せば直る、だが椎也は!
「ちっくしょおっ!」
 渾身の力を込めて地面に投げつけたスタンロッドが、コンクリートの上を跳ね回り、甲高い悲鳴を挙げた。

「説明してくれよ……これは一体なんなんだ?」
 サンダーバードは膝を抱え、ベッドの上に丸まっていた。だがその鋭い目は、相変わらず六間博士の白髪頭を射抜いている。六間博士はその刺すような目を意にも介さず、淡々と作業を進めていく。
 裸にしたユンのボディに、何本ものNLCケーブルを差し込んでいく。
「一つになったんじゃ。椎也と……この子はな」
「一つ?」
「椎也が機能停止する直前、この子は闇御津羽で椎也の電脳にアクセス、その基幹プログラムを自分の中にダウンロードした」
「なっ!?」
 サンダーバードは自分の故障も忘れ、弾かれたように起きあがった。途端に、さっき仮止めしたばかりの肩関節が外れ、バランスを崩したサンダーバードは、そのまま床へ転げ落ちる。
 だがそんなことは気にならなかった。腕が外れようと、動けないわけではない。うつぶせのまま、首と背中の力だけで、六間博士の顔を見上げた。
「じゃあ助かるのか!? いや……どういうことだ?」
「危険ってこった!
 全く、無茶をするわい、いまのユンの状態は、区分け(パーティション)されていないHDD(ハードディスク)に、無理矢理二種類のOSをインストールしたようなもんじゃ。この子の基幹プログラムと、椎也の基幹プログラムが、互いのライブラリを自分流に更新し続けておる。このままじゃ、どちらも身動き一つ取れなくなるまで、基幹プログラムを食い潰しあって終わる」
「つまり、あんたのやってるのは……」
 ようやくサンダーバードは、無数のNLCケーブルの用途に思い当たった。ケーブルを繋ぎ終わった博士は、研究室の一番奥の巨大な金庫を開き、中から青く色づいた何かを引きずり出していく。
「ユンの中から、椎也だけを取りだそうってことか」
「そして、それをこいつに流し込む!」
 どずっ。
 博士が、引きずり出したそれをベッドに寝かせると、重々しい音が響き渡った。
 人型をした、人でないもの。
 オートマットのボディ。
 しかも、とサンダーバードは目を見張った。床からではベッドの上の様子は見えないが、博士が運ぶときにちらりと見えたその顔は、椎也とうり二つだったのだ。
「……ボディの予備か?」
「そういうことじゃ……さあて! 始めるとしようかの!」

 目の前に、真っ白な格子模様の天井があった。
 ユンは、まだぼやけた意識の中で、周囲の様子を探ろうとした。まだ、首も動かない。目の焦点すら、うまく合わせられない。ただ、全身の触覚センサーが感じている情報や、耳から入ってくる音などから、ここが研究室の中だと、辛うじて悟るに至った。
「あ……」
 声もまだ、上手く出せない。
 が、次の瞬間、ユンの意識は、氷水の中にぶち込まれたかのように、一気に鮮明化した。
「椎也くんっ!?」
 そう。
 にゅっ、と、視界の横から椎也の顔が生えてきたのだ。
 ようやくユンは、自分が置かれている状況を正確に把握した。研究室の寝台に寝かされた自分を、上から椎也が覗き込んでいるのだ。
「はい、椎也です、先輩」
 椎也は微笑みながら、すっとぼけた返事をする。
 ユンの顔がくしゃくしゃに緩んだ。泣けるものなら泣きたいところだった。椎也が生きている。なら、ユンのしたことは無駄ではなかった。自分の身の危険は承知で、無理矢理椎也をダウンロードした、その甲斐があったのだ。
「椎也くん……無事だったんだね、よかった……」
「はい。博士が、先輩から取り出した僕を、予備のボディに移植してくれたんです」
「うん……うんっ!」
 椎也が、その力強い腕で、ユンの体を抱き起こしてくれた。ユンは全体重を椎也の腕に預けて、不思議な快感を味わっていた。自分では起きることもできなくなってしまった。でも、その体を彼に預けることが、こんなにも心地よい。
「……あ、そうだ。飛び出さないうちに釘刺しとくけど」
「はい?」
「ザ・ダークのことは、仕方がないわ。一人で勝手にクロウの所へ行ったりしちゃ、だめよ?」
「はい、分かってます。勝ち目のない戦いは、しても仕方がないですから」
 ――え?
 違和感があった。初めはそれがなんなのか、ユン自身にも分からなかった。突然表情を曇らせたユンを見て、椎也は困ったような顔をする。いつもの椎也くんだ。でも、何かが違う。ユンの中で違和感が膨らんでいく。
「よおっ! ユン、目が覚めたか!」
 研究室に入ってきたサンダーバードが、歓喜の声を挙げながら、ユンに飛びついてきた。だがユンは上の空で愛想笑いだけして、サンダーバードと他愛もない話に興じる、椎也の横顔を見上げた。
 違う。
 これは、椎也くんじゃない。
 理由すら定かではないのに、確信だけが、ユンの胸の奥にこびりついた。

2006年04月19日

ちょっとお茶しに金星まで!

※この作品は習作として長編のうちの1シーンを書いたものであり、他の日記小説との関連性はありません※
※ロボットの通称を、「アウトマット」から「オートマトン」に変更しました。


「えええええええええええええっ!?」
 いきなり椎也は絶叫した。
 学園の寮には、クラスタ室と呼ばれる部屋が無数に存在する。クラスタとは、各学年から一人ずつを集めて作った縦割りグループのことで、そのクラスタごとに一つずつ、狭いながらも部屋があてがわれているわけだ。
 4階の一番西南のクラスタ室で、ユンは、てきぱきと手荷物なんぞ纏めていた。彼女の背の後ろには、硬直して立ち尽くす椎也くんの姿。いやまったく、彼の反応は、絶叫の長さ1ミリ秒、周波数1ヘルツの誤差もなく、予想通りだった。
 こう来るだろうと思っていたのだ。こういうことを頼めば。
「う……運転……ですか」
「そ、車の運転。ポートの事務局に行かなきゃいけない用事があるの。サンダーバード先輩は先に行って待ってんだから」
「いや、その……僕、運転はチョット……」
 椎也は思わず顔を引きつらせた。
 実を言うと、椎也は車の運転をしたことがない。もちろんそこはオートマトンのことである。電脳の中に、車の運転プログラムくらいは標準搭載されている。ついでにいえば、運転免許だって持っている。建前上、A級オートマトンなら、車の運転くらいできて当たり前というわけだ。
 が、しかし。実というと、椎也は教習所なんかに通ったことは、一度もない。それどころか、実際に自動車を運転した経験すら、ほとんどないのである。運転免許を持っているのは飽くまでも「運転プログラム」であって、椎也自身ではないのだ。
 つまり。
 ペーパードライバーなのである。A級オートマトンというものは。
 運転プログラムが搭載されていれば運転できるというものではない。プログラム通りに体を動かすには、それなりの慣れが必要。ユンが敢えて椎也に運転させようとしているのも、経験を積ませるためというわけだ。
 それは薄々察してはいたが、かといって椎也の恐がりが治るわけでもない。椎也はパタパタと意味もなく手を振りながら、早口にまくしたてた。
「なんと言いますか、車に乗ると周りがよく見えなくなって嫌と言いますか、体が急に大きくなった気がして位置が掴めないと申しますか、ええつまり、僕は運転には向いていないんじゃないかと思う次第でございまして」
「もうっ! なーにビビってんのよ!」
 ユンは荷物いっぱいのハンドバッグを抱えて立ち上がり、ずずい、と椎也に詰め寄った。指先でチョンと胸を突いてやるだけで、椎也はタジタジと後ずさっていく。
「いい? 社会に出たら運転くらいできなきゃダメなの。だーいーたーいー、女の子だったら、デートの時は助手席にのせてもらってー、あっちこっち連れ回されたぁーいっ! ……て思うでしょーが?」
「デートの時はバスか電車を使うことにしましょう! オウ、ナーイス・アイディーア。ね? ね?」
「やーよ。車じゃなきゃデートしてあげない」
「そこをなんとか!」
 とうとう合掌して拝み始めた椎也に、ユンは眉毛をぴくぴく震わせる。
 ユンは両手を腰にあて、胸一杯に息を吸い込むと、甲高い声でぴしゃりと言い放った。
「つべこべ言わずにやんなさいっ!」
「は、はいいっ!」
 反射的に背筋を伸ばしてしまうのが、椎也の悲しさである。

 さて、寮の駐車場である。
 寮の駐車場には、立派な自動車が何台も用意されている。それはもちろん、広い学園島を移動するための物であり、そして同時に、生徒たちが運転の練習をするための物、というわけである。
 並んだ白い軽自動車の一つに、椎也とユンの姿があった。運転席の椎也は、シートベルトをガチガチに絞め、体中の機械筋肉を強ばらせていた。唇をきゅっと結んで、一直線に前を睨むその姿からは、あたりの空気まで固まってしまいそうなほどの緊張が迸っている。
(……早まったかな)
 助手席でシートベルトを締めながら、ユンはそこはかとない不安に駆られた。まあ、言い出したのは自分だし、実際問題練習させなきゃ椎也のためにならないし、ここは覚悟を決めて教官役をやるしかないだろう。そう、半ば自分に言い聞かせるように覚悟を決める。
「ほら、椎也くん。固まってないで、NLCNLC」
「あ、は、はいっ」
 実にぎこちない動きで、椎也は自動車のコンソールからケーブルを引っ張り出すと、自分の手首のコネクタに接続した。ニューロ・リンク・コネクタ、略してNLCといって、オートマトンと各種機械を接続し、電脳で直接制御するためのものである。これがあれば、ハンドルやペダルの操作は必要なくなる。それより遥かに正確かつ迅速な制御ができる、便利な機能だ。
 もちろん世の中の全ての自動車がNLCを装備しているわけではないから、いずれはハンドルを使った運転も練習せねばならないだろう。ともかく今は、運転そのものの感覚を掴むことが先決だ。
 椎也はNLCから流れ込んでくる情報、コマンド要求の波に身を浸し、大きく深呼吸した。電脳の中で、運転プログラムを呼び出し、その中身を一度おさらいする。大丈夫。運転のやり方は全部知っているじゃないか。落ち着いてやれば大丈夫!
「じゃあ……先輩、僕、行きます」
「うん、頑張れ!」
「ういっ」
 元気よく椎也は返事して、
 ごがだんっ!
 次の瞬間、車がエンストした。
 ブスブス言っている車の中で、エンストの衝撃でシートベルトに締め付けられたユンは、苦しそうに首を回した。隣の席では、車から流れ込んできたエラーコードの嵐にやられたか、椎也が目を回して、座席からずり落ちそうになっている。
「は、はうああー?」
「あ、あのね、椎也くん……」
「はい……なんでしょう先輩……」
「アクセルはサイドブレーキ外してから踏めーっ!!」
「うひー! ごめんなさーい!!」

 椎也は想像を絶するくらいへたっぴだった。
 止まろうとすれば交差点の真ん中まで飛び出す。直線路では怖がってスピードを落とすくせに、曲がるときはスピードを殺し切れずに横転しかける。信号に気を取られて前の車に追突しかける。後ろから追い抜こうとしてくる車に気付かず車線変更する。ウィンカー出そうとしてピューッと窓の洗剤を噴射する。極めつけがアクセルとブレーキを間違える!
(……どーなっとんのじゃ、一体っ!)
 ユンが訝しがるのも無理はない。だいたい、NLCを通して電脳で制御しているというのに、アクセルとブレーキを間違えるなんてアナログなミス、一体どうやってやらかすんだ。
 ともかく万事が万事この調子なので、目的地のポート事務局にたどり着いたときには、ユンの方が疲れ果ててグロッキー状態になってしまっていたのだった。
 と、ポート事務局の前で待っていたサンダーバードが、ひょいと助手席の窓から覗き込んできた。
「あ、先輩。こんにちは!」
「よっ。なんだ、椎也が運転してきたのか? ……おいユン、どったの」
「い……生きた心地がしない……」
 サンダーバードは、運転席でガチガチに緊張している椎也を見て、苦笑いしながら肩をすくめた。
「ま、誰でも最初はそんなもんだ。よお、椎也?」
「はい?」
「俺とユンは、ちょっと用事で時間かかるからよ。お前、ひとっ走り、職員村までレポート届けてきてくれよ」
「はあ、レポートですか?」
 首を傾げる椎也に、サンダーバードは懐から取り出したくちゃくちゃの封筒を手渡した。青ざめたユンの前を封筒が横切る。
「そのレポート、提出昨日までだったんだけどな。うっかり出し忘れちまってたのさ」
「ああ、なるほど。昨日夜遅くまで頑張ってたのはこれですね」
「ま、そゆこと。頼むわ、自分じゃ持って行きにくくってな」
「はい、分かりました」
「んじゃユン、俺らは行こうぜ」
「うー……? えー……?」
 半ば引きずり出されるようにして、ユンは車を降りた。と、外の風を浴びて意識がはっきりしたのか、突然ユンは、がばっと助手席ドアにへばりついた。
「ちょ、ちょっと椎也くんっ!」
「はい?」
「一人で運転……大丈夫?」
「ええ、多分」
 多分かよ。と思わないでもないが、ユンは恐る恐る、ドアから体を離した。果てしなく不安である。椎也一人に運転させるのは。だが、いずれは一人で運転できるようにならねばならないのだ。
「いい、椎也くん? 落ち着いてやるのよ? アクセル、ブレーキはゆっくり。前より後ろをこまめに確認。ね? 体の力抜いてね? ハンカチ持った? ティッシュは? 予備電池は?」
「大丈夫、全部揃ってます。じゃ、ちょっと行ってきまーす」
 まだ顔を曇らせたままのユンを残して、椎也の車は行ってしまった。その姿が建物の影に見えなくなるまで、ユンはじっと車の後ろ姿を見つめていた。彼女の隣では、サンダーバードがにやにや笑っている。
「な、ユン先輩」
「なに?」
「そぉーんなに心配だったら、隣に乗ってってあげたら?」
 むむっ。
 ユンは困ったような表情をして、ぷい、と顔を背けた。
「……別に、心配じゃないもん。椎也くんなら大丈夫よ」
「素直なこって!」

 職員村への道を辿りながら、椎也は妙に落ち着いた気分で、車を運転していた。
 何故だろう。さっきまではあれほど緊張していたのに、一人になってじっくり運転に取り組むと、案外難しくない。一つ一つ手順を踏んでいけばいいのだ。もし一つ二つミスしたとしても、後から十分フォローができる。
(なあんだ。怖がることなかったじゃないか)
 とにかく椎也は、少しずつ運転を楽しむようになり始めていた。アクセルをかけた瞬間、体を後ろに引っ張る加速度。飴のように溶けて流れていく景色。燦々と降り注ぐ太陽だけが窓硝子から差し込み、冷たそうな外の風は、ここまでは届かない。まるで車の中は自分の城。小さな、移動式シェルター。奇妙な快感が椎也を染める。
 南国小笠原の人工島の上、椎也は一陣の風となって駆け抜けた。

「おっそいなぁ……」
 用事も全部つつがなく終了し、ポート事務局の前で、二人は椎也の車を待ち続けていた。サンダーバードは電柱に寄りかかって大あくびを垂れ、ユンはちょこんとしゃがみ込み、膝に頬杖ついている。
「何やってんだろ、椎也くん? 職員村まで往復するだけなら、15分もかからないはずなのに……」
「さーてね。こりゃ、作戦がハマったかな?」
 変なことを言い出すサンダーバードの顔を、ユンは不思議そうに見上げる。
「作戦って?」
「お前さんを助手席から降ろすことさ。隣でやいのやいの言われてたんじゃ、肩に力だって入るだろ」
「むー……」
 ユンはぶうたれた。サンダーバードは、いつものにやにや笑いのまま、
「ま、そうむくれんなよ。アイツを運転席に座らせたまでは、お前のお手柄だ。椎也のやつも、ドライブを楽しんで、そろそろ……ほら」
 と、サンダーバードが指さす先に、椎也の運転する白い軽自動車の姿があった。

 帰り道も椎也の運転。椎也は、驚くほど上達していた。僅か十分二十分程度の練習で、である。
 落ち着いているし、怖がってもいない。冷静に周りを見て、的確に判断している。ユンは助手席にちょこんと座り、なんだか少し頼もしくなった椎也の横顔を、にやつきながら見つめた。時々椎也が、サイドミラーを見ようとこちらに目を向け、慌ててユンは視線を逸らす。
「……ね、椎也くん」
「はい?」
「上手になったね!」
「そうですか? 良かったあ」
「これなら、今度デートしたげても、いいかな?」
 びくっ。
 椎也は顔を真っ赤にして震え上がった。体中を軋ませながらユンの方を振り向くと、ほとんどしがみつくようにして、その手を握りしめる。
「ほ、ほほほほんとですかっ!?」
「う、うん、ホントホント」
「ぼっ!? ぼくぼくぼくぼくぼぼぼぼぼ!?」
「て、おい!? 椎也、前見ろ前っ!」
 後部座席から身を乗り出して、サンダーバードが二人の絆を叩っ切った。なんて言っている場合ではない。椎也は弾かれたように前を向き、目の前に電信柱が
 電信柱?

 ごしゃあん。

 見事に潰れた車の中から、三人はやっとの思いで這いだした。車は大破。三人そろって、服も髪も砂埃と煤だらけ。オートマトンでなかったら、100%間違いなく死んでいた所である。
「はうあ~……」
 完全に目を回し、ぱたりと倒れ伏す椎也。その上に覆い被さるように倒れたユンは、気を失う寸前に、やっと一言、叫びを残した。
「前言撤回っ! 明日も特訓よーっ!」
(……前途多難だねえ、いろいろ)
 一人空を見上げるサンダーバードの視線の先で、今日も太陽はまぶしく輝いていた。

2006年04月18日

ただいま修行中!

※この作品は習作として長編のうちの1シーンを書いたものであり、他の日記小説との関連性はありません※

 ぷちん。
 と音を立てるわけもないのだが、指先にそういう感覚を残して、エビの背わたは切れてしまった。
 見たところ、二十歳前後だろうか。若い男が、右手に爪楊枝、左手にブラックタイガーを握りしめ、呆然と手元を見下ろしていた。背丈は並だが、線が細いために、ちょっとだけ背が高く見える。さらさらの黒髪の下からは、純朴な童顔が覗いている。学生服の上から纏った白いレースのエプロンが、気持ち悪いくらい似合っていた。
 彼は、名を六間椎也という。
「ありゃ」
 しばしの沈黙の後、椎也は声を挙げた。殻と殻の隙間に爪楊枝を差して、上に引っ張れば、背わた……エビの腸にあたる部分を、抜き取ることができる。そう教わってその通りやったのに、背わたは引っ張り抜く途中で切れてしまったのである。
「だーめーよ。もっと丁寧にやらなきゃ」
 言いながら、椎也の隣で器用に背わたを引き抜いて見せるのは、椎也より頭二つ分は背の低い少女である。セーラー服におさげ髪、ぷっくら膨らんだうす桃色の頬。田舎の中学生という感じだが、大きなポケットがついた綿の丈夫なエプロンは、既におばちゃんの風格すら漂わせている。
 どう見ても椎也より年下の彼女だが、実は、二年も上の先輩である。名前を、「雲」と書いて、ユンと言う。
「いい? 背わたは風味が悪いから、ちゃんと取ってから茹でるの。そしたら、おいしいんだから!」
「へー。先輩、食べたことあるんですか?」
 鼻先に持ち上げたエビをまじまじ見つめ、椎也が問う。
 ユンはしばし手を止め考えると、
「……ないっ」
 きっぱり答えた。
「ないのに、おいしいんですか?」
「そーゆーことになってるの! それに……食べた人だって……おいしいって言うし、たぶん……」
「なーるほど。……えいっ! ありゃ」
 椎也はまた失敗したらしい。
 椎也の手の中でこねくりまわされたエビは、もう背わたがブチブチに切れてしまっていて、爪楊枝で取るのは不可能である。これ以上頑張っても、エビに穴を空けるだけだ。料理に関してはシロウト、「これからの時代、男も料理できなきゃダメなのよっ!」と主張するユン先輩に引っ張られ、言われるままに調理場に立っただけの椎也にも、そのくらいは分かる。
 しばし瞬きしていたが、椎也はやがて気合い一閃。
「とうっ!」
 エビを三角コーナーに投げ込んだ。
「うわ!? 何してんの、椎也くん!」
「捨てました!」
「捨てましたじゃなーいっ!」
 ユンが慌てて三角コーナーをのぞき込む。哀れ、エビちゃんは既に生ゴミの中。いくらなんでも、アレを人に食べさせるわけにはいかない……勿体ない限りである。
 はあっ、と深い溜息ついて、ユンは椎也の胸板に、人差し指を突きつけた。背丈が違うので、椎也の顔を見ようとすると、ずいぶん上の方を見上げなければならない。それでも、ユンの鋭い視線は、椎也を圧倒する。
「椎也くんっ! もったいないおばけが出るわよ!」
「ええっ!? ホントですか!?」
「うそよ!」
「なあんだ」
 心底ほっとした顔で胸を撫で下ろす椎也に、ユンはがっくり肩を落とした。なあんだじゃないだろ、なあんだじゃ。
「あのねえ……どうして捨てちゃったの?」
「背わた取れなくなっちゃったので、もうだめだと思いました」
「もうっ! そんなのはね……」
 丸いほっぺたをますます丸く膨らませ、ユンは包丁とエビを手に取った。包丁で、エビの背に浅く切り込みを入れていく。その切れ目に指を入れれば、あっけなく背わたがほじくり出される。
「ね? こうすれば取れるのよ」
「おおー」
 椎也は目を丸くして、歓声を挙げた。
「一つのやり方でできなくっても、簡単にあきらめちゃダメよ! 色々考えて、試してみなきゃ」
「なーるほど! 僕やってみます!」
「よっしゃ! その意気だ!」
「ういっ」
 気合いを入れ直して、椎也はエビとの格闘を再開した。ユンは彼の横顔を見上げながら、料理と直接は関係ない、もっと根本的な問題を、椎也の中に感じていた。
(この子は、あきらめが早すぎるのね……)
 と考えたとき、ユンの中で何かがひらめいた。

2006年04月16日

ラス戦前

※この作品は習作として長編のうちの1シーンを書いたものであり、他の日記小説との関連性はありません※

「椎也くん、聞いてる?」
 ユンに声をかけられても、椎也はぼうっと、何か考え込むばかりだった。
 ようやく逃げ込んだ六間博士の研究所でも、ユン先輩の特別授業は、欠かされることがなかった。今日も今日とて、研究所の一室を借りて、ユンと椎也はマンツーマンで授業をしていたのである。
 だが、椎也がこれでは。
「椎也くんっ」
 ユンが責めるように大声を張り上げると、やっと椎也は気が付いた。
「あっ? え? う?」
「はーっ……聞いてた?」
「あ、え、えーと……ごめんなさい」
 しょんぼりとうなだれて、椎也は謝った。せっかくのユンの授業も、このところ、ずっと上の空だったのである。だが、本当にしょんぼりしたいのはユンの方だった。
 ユンはショックだった。ユンは、母親として、あるいは教師、先輩として、椎也の信頼を勝ち得ているつもりだった。だが学園島を抜け出してからというもの、椎也の関心は少しずつ移ってしまっていたのだ。サンダーバードに。敵に。戦うことに――
 椎也はちゃんと成長している。だからこそ、ユンの教えたものを吸収してしまったからこそ、ユンへの関心が薄れたということもあるのだろう。それは分かっているつもりだ。しかし、それでもなお、ユンのショックは変わらなかった。椎也がユンを必要としなくなり始めていることに、ユンは強く打ちのめされていた。
 自然と溜息が出てしまう。
(自然と……なんて。人間でもないのに、へんなの)
 漠然とそう思いながら、ユンは無理に笑いかけた。
「……うん。もういいわ、椎也くん。今日の授業はこれでおしまい!」
「えっ?」
 椎也の顔が曇った。彼のことだ。自分の態度のせいでユンが怒ったのかと、不安がっていることだろう。
「あの、僕……ごめんなさい」
「いいの。そういうことじゃないのよ。学ぶことがなくなったら、授業をする意味なんてないでしょ?」
「そんな、学ぶことは、まだ……」
「無理しなくていいってば。興味をなくした態度が答えよ。
 そうね、私の授業も、今日で最後にしよ!」
「え!? え、えー!?」
 思いっきり椎也は慌てふためいた。
「そっ、そんな、あの……」
「気にしないの! 今では戦い方を勉強する方が大事、でしょ?
 そりゃ、ちょっとは寂しいけどさ……しょうがないよね」
 そそくさと、逃げるように、ユンは部屋から飛び出していった。椎也はその場に腰を浮かせて、ただ立ち尽くして、彼女の背中を見送るしかできなかった。さっきはとっさに、ユンをなんとか傷つけまいとして、言い訳をしようとした。だが、よくよく考えてみれば……
 確かに、ユン先輩の授業に興味を無くしている自分がいるのだった。
 それは分かった。仕方がないことも理解できた。しかし……
「ユン先輩……あんなこと、口で言うなんて……」

 研究所のドームには、展望台もある。椎也は手すりの前に体育座りをして、遥か遠く、夕焼けに染まった真紅の街を眺めていた。風がゆったりと流れていく。気持ちいい感じがする。夕焼けは、たとえようもないほど綺麗だ。そして胸の中には、寂しい気持ちが溢れている……
 やっと分かったのだ。気持ち。綺麗。寂しい。何もかも。ユン先輩に教わって――
「よお? どーした、椎也?」
 気が付いたら、後ろにサンダーバードが立っていた。上半身はだかで、異形のハイパワーアームを腰にあて、不思議そうな目でこっちを見下ろしている。椎也は後ろにのけぞって、上下逆さまに、サンダーバードの顔を見上げた。
「あ、先輩……あのー」
「なんだなんだ」
「話、してもいいですか?」
「ばっか、俺ァ先輩だぞ!」
「はあ」
「いいも悪いもねえだろ! 後輩の相談にはどーんと乗るのが男ってもんだ」
 どーん、とサンダーバードは自分の胸を叩いた。その途端、椎也は目をきらきらさせて跳ね上がり、くるりと空中で反転すると、サンダーバードに向かってきちんと正座しながら着地した。
「ありがとうございますっ!」
「よっしゃ。話してみ」
「はいっ」
 まさに膝を交えるという感じで、目の前にあぐらを掻いたサンダーバードに、椎也は話した。ユン先輩のこと。授業のこと。そして、自分が感じたこと。
 椎也にとって、ユンは特別すぎた。
 ユンは、いつだって椎也の上にいた。椎也を優しく見守り、時に厳しく叱り、導いてくれた。ユンの授業で教わったことは、それこそ数え切れない。喜怒哀楽の感情、愛情なんていう意味不明のものから、憧れ、拗ねること、嫉妬、何もかも、ユンが椎也にくれたのだ。
 ユンは椎也の目標であり、いつか乗り越えるべき壁だった。
 ある意味では、神さまみたいに思ってしまっていたのだ。
「でも……ユン先輩、寂しそうで……哀しそうで……」
 椎也の声は、次第にか細くなっていった。
「ユン先輩が、あんなこと言うなんて……弱音なんか絶対吐かない人だって、なんとなく思ってた……
 でも違ったのかもしれません。ユン先輩も、一人のアウトマットで……僕と同じ、弱い心を持つアウトマットで……」
 サンダーバードは、押し黙って、椎也の話をじっと聞いていた。口を挟むことはしなかった。椎也が自分の言葉で語っている。それこそ、椎也が心を成長させたということ。アウトマットとして前へ進んだことの証だ。それを邪魔しては、ならない。
「僕なんかのことで、ユン先輩が動揺しているのが、さっきは信じられなかった……
 でも、僕……考え違ってたのかも。僕にとってユン先輩が特別なのと同じように、ユン先輩にとっても僕は特別だったんじゃないかって。そう思って、それで……」
「それで」
 ようやくサンダーバードは口を開いた。
「どうする?」
 椎也は、静かに、だが真正面からサンダーバードの目を見て、答えた。
「僕、ユン先輩が好きです。だから僕、ユン先輩に勝ちたいです!」
 にやり、とサンダーバードは笑った。
「上出来だ」
 と、その時だった。展望台から見渡す街の上空に、黒い影が二つ、三つ。サンダーバードは弾かれたように立ち上がる。そのただならぬ気配を感じて、椎也もまた立ち上がり、空を睨んだ。
 来た! ルーディ・ラッカーの追っ手だ!
「よお、椎也」
 サンダーバードは戦闘準備を整えながら、椎也の背中を叩く。
「お前は勝つって言ったけどな。勝つってのは、何も真っ正面からケンカしてぶちのめすことだけじゃないんだぜ」
「はあ。じゃ、どういうんです?」
「護るってこともあるのさ! なんたって、惚れた女を護るのは男の仕事だからな!」
 椎也はこくりと頷いた。力強く。男の顔で。
「はいっ!」

2006年04月15日

戦闘練習

※この作品は習作として長編のうちの1シーンを書いたものであり、他の日記小説との関連性はありません※

「椎也……くん……」
 消えていく。
 あまりにも弱々しい、ユン先輩の声。椎也は生まれて初めて、自分の皮膚で体感した。死ぬということ。消えるということ。存在そのものがなくなってしまうということ。身震いが椎也を襲った。恐れが椎也を震わせた。消える。死んでしまう。二度と会えなくなる。本当に、もう二度と、どんなに会いたいと思っても、二度と会うことはできなくなる。
 ユン先輩に。
「椎也くん……逃げて……」
 最後の力を振り絞るかのように、そう呟いて――ユンは、動かなくなった。
「次は、あなたの番でございますわよ。六間椎也どの」
 靴音。奴の声が近づいてくる。
 縦ロールの髪の中に、獰猛に輝く獣の目を潜ませた女。ベラドンナ。挑発的な唇や、子供の頭ほどもある豊満な胸を、魅力的だと思ったこともあった。でも、今は……
 椎也は、そっとユンを床に寝かせて、音もなく立ち上がる。伏したその目が、弾かれたように起きあがり、ベラドンナを真正面から射抜く。
 ……敵だ!!
「素敵でしてよ」
 にぃ、とベラドンナは壮絶な笑みを浮かべる。
「そういう男の目、嫌いじゃありませんわ」
 空を流れる雲のように、二人はしばし睨み合い……
 どこかで小石が、崩れた。
 瞬間二人は地を蹴り、ドックに停泊した船の上を縦横無尽に飛び回った。人間には、姿を追うことすら難しいスピード。だがそれは、飽くまでもアウトマットとして最低限の、基礎身体能力に過ぎない。純粋戦闘型のベラドンナなら、これに数倍するスピードだって出せるはず。
(一瞬の不意をつく他に勝ち目はない!)
 そう悟った椎也は、ベラドンナが飛びかかりながら放った様子見の拳を、辛うじて交わして飛び退った。距離を取り、左腕のワームウッドを彼女に向けて構える。
「吐き出すだけならできるんだ!」
(何が入ってるか分からないけどっ!)
 心の中で付け足しながら、椎也はワームウッドの中身をぶちまけた。黒々とした時空間ゲートから飛び出した物体が、一直線にベラドンナを襲う。ベラドンナは慌てることもなく、それをひょいと避ける……が、ふと気付いて、飛んできた物体を軽々とつまみ取った。
「なんですの、これ。……取り説?」
「あれ?」
 ワームウッドの中から飛び出したのは、どう見ても紙切れ一枚。ワームウッドの取り扱い説明書である。
 ……………。
 二人の間に気まずい沈黙が流れた。
「あ、そっかー」
 やおら、椎也はぽんと手を打った。
「そういえば、学園に来るとき、先生が言ってた! なくさないように、説明書を亜空間に入れといたんだ。いやあ、すっかり忘れてました」
「あー、引っ越しの時によくやりますわね、それ。
 冷蔵庫の中に入れたりとかー、電源コードを纏めてガムテープで貼り付けといたりとかー」
「ですよねーっ。いやあ、はっはっは」
 ……………。
「って和やかに談笑してる場合かぁー!」
「そ、そうですよねー!」
 怒りの形相貼り付けて、ベラドンナが椎也に迫る。椎也は慌てて踵を返し、一目散に逃げ出した。どうしよう! 椎也の思考がぐるぐる回る。頼みの綱のワームウッドの中には、取り説一枚しか入っていなかった。かといって、「吸い込む」使い方はまだできない。せっかくの正式装備も、手が暑苦しいだけ迷惑である。
(えーい、いつまでも逃げ回っても仕方ない!)
 椎也は覚悟を決めて足を止めた。船の貨物コンテナに背中を預けた形になる。これなら、少なくともベラドンナに後ろを取られることはない。
 と思った次の瞬間には、もうベラドンナは鼻が触れあうほどに肉薄していた。椎也は慌てて右のパンチを繰り出す。だが、所詮は非戦闘型が間に合わせで繰り出した攻撃である。ベラドンナは薄笑いを浮かべて身をかわし、お返しとばかりに裏拳を椎也の頬に叩き込んだ。
「うぺっ!」
 情けない声を挙げて吹き飛ぶ椎也。為す術もなく倒れ伏す彼に、ベラドンナは飛び上がりながら、追い打ちの拳を振り下ろした。
(やばっ!)
 背筋にぞくりとするものを感じて、椎也は地面を転がった。ベラドンナのパンチは、椎也の頭をかすめて船の甲板を叩き、そのままそれをぶち抜いた。
(……って、ぶち抜いた!?)
 冗談ではない。鋼鉄製の船である。甲板を多う鉄板が、厚さ何ミリあると思っているのだ。あんなものを頭に喰らっていたら、今ごろ……。椎也は青ざめ、ガサガサとゴキブリのように這って、ベラドンナから距離を取る。
 ベラドンナは椎也の様子を見下しながら、大きな胸の下で腕を組み、自分の胸を挟んで持ち上げながら、静かに言った。
「ふふん。ま、非戦闘用にしては、まともに動ける方……ってところですかしら?」
「あ、どうも。褒められちゃった!」
 椎也はコロっと表情を変えて、心底嬉しそうに照れ笑いを浮かべる。さっきまでの青ざめた顔はどこへ行ったんだ。
(な……なんか、ペース崩れる子ねー……)
 予想外の反応を喰らって、ベラドンナはポリポリ後ろ頭を掻く。が、戸惑いは所詮一瞬のもの。次の瞬間には余裕の笑みを浮かべ、
「でも!」
 ベラドンナの姿が掻き消えた。
「えっ!?」
 かと思うと、その姿が椎也の背後に現れる。椎也の顔から照れ笑いが消えた。かわりに浮かぶ絶望の表情。これが純粋戦闘型のスピード。腐ってもアウトマットたる椎也に、動いた事すら気付かせないほどの。
「遅いのでございますわ!」
 背後から繰り出される拳の強打。椎也は慌てて身を捻ろうとするが、間に合わない。
 その背に、鉛のように重い一撃が、まともに食い込んだ。