ARMORED CORE EPISODE 4
ディープ・クリア・ラップ
黒い空。
あんなどろどろした色をしているのは、雨雲のせいだけではないだろう。永い時をかけて汚染された自然環境は、五十余年前の大戦争『大破壊』によって止めを刺された。極度に汚染された大気。多くの有害な化学物質は酸性雨に混じって降り注ぐ。少々浴びる程度ならどうということはないが、決して飲料水や各種用水に使えるレヴェルではない。
そんな地上を、三つの影が駆け抜けていく。赤い巨人、青い蜘蛛、そして一台の大型トラック。彼らは雨から逃げるように歩みを進めていた。
赤い巨人――二足AC『ペンユウ』のコックピットの中で、一人の女性が舌打ちをした。瞳と髪の色は漆黒。やや幼さが残るが、アジア系の美女である。
リンファ、といえば地下都市アイザックシティでは名の知れたレイヴンだ。
舌打ちをした理由はただ一つ。こんなに雨に濡れてしまうと、ACが金属疲労をおこしてしまうのである。帰ったらメンテナンスをしなければならない。
『あっめあっめやっめやっめそうこうがぁ〜』
通信機を通じて脳天気な歌が流れてきた。いまトラックを運転している、リンファの専属メカニック、エリィの声だ。
『とろけてどろどろかなしいなぁ〜』
「別に溶けはしないでしょ」
全く、今日はついていない。希少鉱物の鉱山を制圧する依頼を受けて、知り合いのレイヴンを誘って出撃したはいいものの、いきなり雨が降り始めたのである。
このご時世、雨もばかにならない。長時間うたれ続けると、金属疲労どころか体にも良くない。と、いうわけで日をあらためることにしたのである。
『笑い事じゃないかもな』
今度の通信は青い蜘蛛、四足AC『ワームウッド』からのものだった。昔とある事件で知り合った、リンファの同業者ヨシュアである。
『このままじゃ帰り着く前に溶けちまう』
「脅かさないでよ……」
『とけますとけます。あはははは』
リンファは溜息をつくと、この周辺の地形図をモニターに表示させた。どこか雨宿りできる場所を探さないと、本当に洒落にならないかもしれない。
そのとき、リンファの視界の隅におぼろげながら黒い影が映った。
「……ヨシュア、北北西……距離約2キロ」
『なんだ?』
ペンユウの足が止まった。黒い影が見えた方に向き直り、その映像を拡大する。
「なんだろ、あれ」
『大きいな……工場施設か?
……マップに載ってないな』
確かに拡大映像では巨大な直方体のように見える。雨のせいではっきりとは見えないが。
いずれにせよ、しばらく雨露をふせぐことはできそうだった。
「ほぉ……これはこれは」
ワームウッドから降りるなり、ヨシュアは感嘆の声をあげた。
彼の言うとおり、この建造物は巨大な工場のようだった。中はACが楽に活動できるほど広い造りになっている。薄暗く、端まで見通すこともできない。この広大な部屋でも、まだこの施設の一割に満たないだろう。
入ってくる時に破壊したシャッターから雨粒が入り込んでくる。三人は機体を奥までしまいこんだ。
「随分広いわね」
「大破壊以前の施設だな」
ヨシュアは近くで埃をかぶっていた作業用MTを手でさすった。埃が落ちて機種とシリアルナンバーが顔を見せる。思った通り、見たことも聞いたこともない型だ。
「りんふぁちゃ〜ん、おへやがありますよぉ〜」
遠くでエリィの声がした。振り返ると、部屋の隅のドアの前で彼女が手を振っていた。どうやら、作業員の休憩所か事務室のようだ。
「たんけんたんけん。あはははは」
「ちょっと、エリィ」
リンファの制止も聞かず、エリィはドアを開けて中に飛び込んだ。ここがどんな施設なのか、危険なのか安全なのかすらもはっきりとはわからないというのに。
仕方なくリンファは彼女の後を追っていった。その背を見送ってから、ヨシュアは床に目を遣る。
油を吸った埃が黒々と床を覆っている。靴底にべとべとと張り付く感触が気色悪い。その分だけ足形が残り、自分たちが歩いた道がはっきりと見て取れた。
ヨシュアは数歩前に出た。その足下には一つの足形。靴の大きさからしてリンファのものだろうが……問題なのはその隣にある奇妙な帯だった。
一メートル強の幅で、埃が帯状に拭い去られていた。そして、数メートル離れて同じ帯がもう一本平行に走っている。
――これは、まさか。ヨシュアは眉間にしわを寄せた。神経が獣のように研ぎ澄まされていく。
ヨシュアはコートの中に手を差し入れ、拳銃を取りだした。
「エリィ?」
ドアの中は、やはり事務室のような場所になっていた。デスクが二つと、その上に備え付けられた古くさい型のコンピューター。簡素で古いがとりあえず必要な物はそろっている。
「エリィ、どこ?」
リンファはもう一度相棒の名を呼んだ。返事は……ない。辺りを見回してもどこにも人の姿はない。ここにはいないのだろうか。 奥にもう一つドアがある。どうやらそこからさらに奥に行ったようである。迷わずリンファはドアをくぐった。
彼女が出ていったのを確認すると、エリィは隠れ場所から這い出た。別に特別な隠れかたをしていたわけではない。リンファが入ってきたドアのすぐ側で身をかがめていただけである。それでも開いたドアの影になって、完璧に隠れおおせたようだ。
「ごめんね、リンファ」
エリィは落ち着いた調子で呟くと、デスクのコンピューターを起動した。スイッチを押すとすぐさまハードディスクがキリキリと音を立てる。古いが一応動くようである。しかも電源も生きている。
指で眼鏡を直してからエリィはキーボードを叩き始めた。その目はいつものエリィのものとは違う。普段垂れ下がっている目尻はやや吊り上がり、瞳には冷たい光が浮かんでいる。
滅多に見せるものではないが、これがエリィの科学者としての顔である。まるで精神分裂症のように、突然真剣になることがあるのだ。
コンピューターはエリィの操作に素早く応えていく。思った通り古いのはみかけだけで中身は最新のものである。エリィの表情が一層険しくなった。
ピッ。
小さな電子音。画面にはパスワードの入力を求める文章が映し出された。字数の指定すらないが、エリィの指は軽やかに踊る。
>Tesla Dudley
Your access was refused.
>Murakumo Millennium
Your access was refused.
エリィの手が止まった。もう一つ、パスワードの心当たりはある。しかしエリィはそれを入力するのをためらわざるを得なかった。
覚悟を決め、キーを叩く。
>Ellen Gabriela
Checking Password...OK,your access was accepted.
エリィは背筋が凍るような思いだった。タチの悪い学者ジョークだ。しかも笑えない。
ともかくエリィは表示された一覧表に目を通した。専門用語の羅列……学生時代に習ったが、半分忘れかけていた単語が脳裏をよぎる。知識というものは不思議なもので、それだけを思い出すことはできないらしい。必ずそれを身につけたときの思い出が一緒に蘇ってくる。
エリィはリストの中にある項目を見つけた。それは彼女の思い出にはない項目だった。
ファイルを開く。画面いっぱいに表示されるデータ。文章とグラフ、そして実写映像やイメージCGが混ざり合い、論文形式になっている。
びっしり書き込まれた文章を読む気はおきなかった。適当に読み飛ばし、ページをめくる。
最後のページを見たとき、エリィは凍り付いた。
一枚の設計図……ナノメートル単位で刻まれた、極めて精密な図である。
――逃げなければ。エリィは漠然と思った。しかし次の瞬間、別のことにも気が付いた。
「逃げ場なんて、何処にあるの――」
「そう、逃げ場はない」
エリィは弾かれたよう振り返った。一体いつの間に近付いてきたのか、彼女の背後には一つの人影があった。
「リ……!」
がっ!
人影は、エリィの口を左手で塞ぐと、もう片方の手で彼女の首を掴み、デスクに押しつけた。
エリィは淡い恐怖を感じながら、人影を凝視した。少し彫りの深い北欧風の顔立ち。黒髪と青い瞳が奇妙な美しさをも感じさせる。男とも女ともつかない、まるで両性具有のような美しさだった。
「利用させてもらうぞ。お前の体をな」
そいつは、口の端を吊り上げて笑みを浮かべた。まるで輝く氷のような、冷たい笑みだった。
ぎぃっ……
軋みながらドアが開いていく。ヨシュアはその隙間から向こう側の様子をうかがった。
最初の部屋の隅に見つけたドアとシャッター……おそらくは物資を搬入するための通路だろう。鍵はかかっていなかった。
向こうはやや狭い部屋になっているようだった。それでもかなりの広さなのだが。
ヨシュアはドアを蹴り開けると、銃を構えながら中に飛び込んだ。隙なく辺りを見回す。動くものはない。とりあえず安心していいようである。
この部屋は各部屋のジャンクションといったところか。ターンテーブルが床の中央にあり、壁にはこの施設の案内図がかかっている。積み重ねられたいくつものコンテナや箱。上を見上げると、壁には鉄製の足場が備え付けられていた。
ヨシュアは案内図に歩み寄り、手でそこの埃を払った。最初に入った部屋の大きさを考えると……広い。想像以上に広大な施設だ。しかも、部屋に付けられた名前を見る限りでは、工場と言うよりは研究施設らしい。それもAC……いや、大破壊当時にACは存在しなかったはずだから、MTの開発研究を行う施設だろう。
――悪寒。
ヨシュアの神経が突然ざわめいた。ふり返りざまに銃を構える。
ガタッ……
遠くに積まれていた箱が音を立てて崩れた。その影から這い出す一つの影……猫である。一匹の黒猫が、両目を不気味に光らせてヨシュアをにらみ付けていた。
「脅かすな……」
ヨシュアは銃を降ろした。猫の気配を殺気と取り違えるとは、まだまだ自分も詰めが甘い。ヨシュアは溜息をついて――
――猫!?
ダンッ!
頭上から降り注いだ銃弾が、コンクリートの床に食い込む。ほんの一瞬前までヨシュアが立っていた位置である。気付くのが少しでも遅れていれば、彼の命はなかっただろう。
ヨシュアは銃を頭上に向けた。壁に付いた通路、その上で何かが蠢いた。ゆっくりと立ち上がる。人影だった。
ヨシュアは眉をひそめた。男……だろうか。妙に中性的な人間が通路からこちらを見下ろしていた。黒い髪、青い瞳、彫りの深い顔立ち。そいつは、畏怖にも近い感情をヨシュアに植え付けた。
「流石だなァ……殺(と)ったと思ったが」
声は少し低い。男のようである。ヨシュアは目を細めた。
いるはずがないのだ。汚染された地上に、猫など。もしいるとすれば、それは誰かが連れてきた、ということに他ならない。油断させるための囮としては文句なしだろう。
さっきの黒猫が箱を蹴って上の足場に飛び乗った。爪とさびた鉄が触れ合ってがちがちと音を立てる。やがて猫は、男の足元まで来て体をすり寄せた。
男の目が猫に向いた。まるで感情がないかのような冷たい瞳である。
「ミーア」
男は猫を抱き上げた。やはりこの男の飼い猫だったようである。普通猫は抱かれるのを嫌がるものだが、こいつはよほど馴れているのか、暴れる素振りも見せない。男は猫の顔を自分の目の位置まで持ち上げた。
「邪魔だ」
ブンッ!
突然、男が猫を投げ捨てた! 下にいるヨシュアに向かって。
予想外のことに驚き、拳銃を握ったヨシュアの手が一瞬止まる。 ダンッ!
男の拳銃が火を噴き、弾丸が猫を貫いた!
そのまま貫通した弾丸は、間一髪かわしたヨシュアの足下に突き刺さった。男が拳銃を連射する。ヨシュアは弾幕から逃れるようにしてコンテナの影に飛び込んだ。
「なんて奴だ、自分の猫を……」
思わず、ヨシュアの口からそんな言葉が吹き出した。
猫を撃ち抜いた瞬間見えた男の表情……笑っていた。冷笑や微笑などではない。本当に楽しそうな、玩具を得た子供のような笑いだった。
今まで動物を飼っている者は何人も見てきた。それぞれいろんな動物をいろんな方法で飼っていたが……自分の猫を嬉々として撃ち殺すような奴は初めてである。
「そういやァ、まだ名乗ってなかったな」
コンテナの影になって見えないが、おそらく男は笑っているのだろう。さっきと同じ、狂喜に満ちた表情で。
「俺の名は……」
「エリィ、どこ?」
リンファの声は、部屋の中にこだました。反響音が減衰しながら響き渡る。しかし、他には返事も微かな物音もない。
溜息をつきながらリンファは部屋を見回した。多分この部屋は作業や運搬に使う重機のガレージだろう。時代遅れのMTやらクレーンらしきものが、等しく埃をかぶっている。それも、油を吸い込んだ黒い埃である。臭いもする。はやくエリィを見つけて、こんな所からは退散したかった。
それにしても、大分奥まで来たはずだが、全く端にたどり着いた気配がない。一体どれほど広い施設なのだろうか。スペースが限られている地下都市ではとても考えられない造りである。
おまけに機材や重機が点在していて、かくれんぼには最適な空間かもしれない。きっと、見つける前に鬼が飽きてしまうだろうが……今の自分のように。
「エリィ? ……ったく、どこまで行っちゃったのよ……」
愚痴りながらもリンファはMTの影を一つ一つ見て回った。しかし、散々歩き回って見つけたのはドア一つだけである。
リンファは渋い顔をしてドアノブに手をかけた。
「よう、嬢ちゃん。お暇かな?」
声は突然、後ろからかかった。慌てて服の内側から拳銃を取りだし、背後に突きつける。
そこでは見たこともない人間がにやにやと笑いながらこっちを見つめていた。妙にミスマッチな黒い髪と青い瞳……顔の彫りが深いのは北欧系の血だろうか。アジア人のリンファにとってはヨーロッパ系の人間の顔はあまり区別が付かないが、ヨシュアとは少し違うタイプだということぐらいはわかる。しかも、ヨシュアより断然美形である――性別がわからないほどに。
内心の動揺を抑え、リンファは軽口を返した。
「あいにくと、今取り込み中なの」
「そうかい、そりゃ残念」
そいつは肩をすくめてみせた。声や態度からすると、どうやら男らしい。
「なら仕方ない。無理矢理付き合わせるしかないな。
……地獄の入口までのドライヴにな」
リンファはもう少しで吹き出すところだった。全く、文芸センスのない奴である。もっとましな文句がなかったものか。
などと考えている暇は、ないようである。
男が走る!
手にはアーミーナイフ……男はそれを、リンファの眉間めがけて突きだした。寸前でかわしたものの、自慢の黒髪が数本切り落とされる。
リンファは青ざめた。普通、ナイフで攻撃するときは腰に重心をおいて構え、最も大きな的……つまりは相手の胴体を狙って突き刺すのがセオリーである。そうでなければ、たとえ当たっても服を貫くことさえできないのである。
しかしこの男は、大きくナイフを振り回していながら、狙いが正確で力も乗っている。いや、そもそも相手に自分から襲いかかるのに、拳銃ではなくナイフを使ってくるという時点で、そいつが銃よりもナイフを使った方が強い、ということの証明なのである。
決して侮ってはかかれない。
男の攻撃をかわしざまに、リンファは肘打ちを繰り出した。狙いは男の顎。しかし男は避けもせず、左手を持ち上げた。
もう一本のナイフが、顎の前で煌めいた。
慌ててリンファは腕を止めた。このまま攻撃していたら、あの刃が腕に食い込んでいただろう。
仕方なくリンファは体勢を崩しながら男の胴を蹴った。直接のダメージはないだろうが、反動で地面を転がり、距離を離す。
リンファは顔をしかめた。服が埃だらけである。
「いい腕してるじゃない……おかげで埃まみれよ」
「かわいい顔が台無しだな」
この期に及んで、まだ男はおどけて見せた。どうも嫌いなタイプである。
気を取り直してリンファは低い声で言った。
「あんた、何者?」
「あんただって、聞いたことくらいあるだろ。俺の名は……」
男は口の端を吊り上げ、にやっと笑った。
「エアハルト」
ヨシュアはその場に凍り付いた。
「どォした? 青ざめてンのか?
どうやら、俺の名を知っていたようだな」
コンテナ越しに男……エアハルトの声が聞こえる。奴はこっちの驚きや恐怖を楽しんでいるようだった。
『多相のエアハルト』。知らないわけがない。
エーアスト、ハスラーワン、ナポレオン……そして、ワームウッド。その強さ故に伝説と化したレイヴンは多くいる。しかし伝説であるが故に、またその寿命も短い。高名なレイヴンは名をあげようとするレイヴン達の標的となり、やがては戦いに疲れて去っていくか、命を落とすかするのである。
そんな中で、今なお生きた伝説となっているレイヴンがいる。その名は……『多相のエアハルト』。未だかつて任務に失敗したことは一度たりともなく、過去のアリーナ戦でも無敗。マスターアリーナに昇格――つまりは事実上の殿堂入りを果たす日も近い、と噂されている。
エアハルトの一番の特徴は、いくつものACを使い分けること。現れるごとに機体が異なり、それと同時に性格も全く変わってしまうらしい。まるで多重人格症か何かのように。
「エアハルト……一体僕たちに何の用だ」
「決まってンだろ。依頼だ。お前らを殺せ、ってな」
ヨシュアは心の中で舌打ちした。
さっきまで、彼の頭の中には三つの選択肢があった。一つは、なんとか逃げ出すこと。二つ目は交渉によって平和的に解決すること。
しかし、今のエアハルトの言葉でこの二つは消えた。そう簡単に逃げさせてくれるわけがないし、交渉など問題外だ。残る選択肢はただ一つ。目の前にいるこの男をぶちのめすことである。
とにかく、リンファやエリィと合流しなければ話にならない。
ヨシュアは手近に転がっていた箱をひっつかんだ。それをコンテナの右側に放り投げ、自分は逆方向に飛び出す。どの程度役に立つかは疑問だが、とりあえずの目くらましである。
ドアに向かって一直線に走りながら、エアハルトがいるとおぼしき方向に銃を乱射する。弾丸は鉄の柵に当たって弾かれ、エアハルトまでは届かず床に転がった。
エアハルトが身を伏せている間に、ヨシュアはドアを開けた。半分転がるようにしてその向こうに駆け込む。
やたらとだだっ広い部屋……最初に三人が入ってきた部屋である。
「エアハルト?」
リンファは首を傾げた。聞いたことがあるような、ないような。普通レイヴンなら知っていて当然の名前だが、あまり他人のことに興味がないリンファは、たとえ聞いたことがあっても忘れてしまっていた。
「知らないのか……結構俺も有名だと思ってたんだがな。
まあ、いいさ。あんた達を殺せって依頼を受けた。悪いが死んでもらうぜ」
げ。リンファは顔をしかめた。てっきり侵入者を排除しようとしているのだとばかり思っていたが……どうやら自分たちを最初から狙っていたようである。
厄介なことになった。とりあえずヨシュアやエリィと合流しないと危険だ。
……と、その時、リンファの脳裏にある考えが浮かんだ。
「ってことは……まさか!」
それを確かめる暇もなく、エアハルトが走る。
間合いを詰められると不利だ。とりあえずリンファは後ろのドアを開け、その中に飛び込んだ。
ここも重機の倉庫らしい。とにかく全力疾走し、近くのMTの影に身を隠す。奴が追って部屋に入ってきたところを狙撃するつもりだった。
がちゃっ。
金属音がする。そして微かな靴音。テンポは遅い。どうやら向こうも、警戒しながら探しているようである。リンファは気配のする方にゆっくりと忍び寄り、銃を構えた。おそらく、このMTの向こうに奴はいる。
――瞬間!
気配は、背後にいきなり現れた!
ふり返っている暇もない! リンファは横に飛んで、背中の方から迫る銃弾をなんとかかわしきった。
慌てて別のMTの影に隠れ、神経を研ぎ澄ます。気配は今や、完全に消え去っていた。今さらながら、相手の腕前は凄まじい。気合いを入れてかからないと、冗談ではなく命が危ない。
そういえばさっきの攻撃は銃だった。ナイフの他にもちゃんと銃も持っていたらしい。備えはいいが、逆に何故最初から使わなかったのか、という疑問も頭をかすめた。
注意深くリンファは辺りを見回す。すぐ近くに、ここに入ってきたときのドアがある。あそこから道なりに戻ればペンユウを置いてある部屋まで戻れるはずである……道に迷いさえしなければ。
そのドアにたどり着くにはMTの影から出なければならない。少々……いや、かなり危険だ。
しかし、やるしかない!
リンファはMTの横から目だけを覗かせ、死角の様子を窺った。とりあえず、動くものは何も見えない。
――やっぱ、怖いなぁ……
さすがのリンファも一瞬怖じ気づくが、次の瞬間には表情を引き締めた。
そう。死など、とうの昔に覚悟したことなのだ。
覚悟を決め、リンファは駆けだした。ドアに向かって一直線に走る。
ダンッ!
銃声が響く。弾は僅かにリンファをかすめて飛び去った。冷や冷やしながら爆音の響いた方に腕を伸ばし、適当に銃を乱射する。
遠目に、慌ててMTの影に隠れる男の姿が見えた。瞳の色まではわからないが、あの黒髪や服装は間違いなくエアハルトである。
ともかく、相手が隠れているうちに逃げてしまうにかぎる。リンファはドアを開け、その中に飛び込んだ。
[戦闘モード、起動]
コンピューターの声がコックピットに響く。長年ともに戦ってきた愛機『ワームウッド』の操縦席に身を埋め、ヨシュアは淡々と起動作業をこなしていった。
エアハルトもレイヴンだ。ならば、おそらくACで出撃してくる。
本番はここから、である。
その時、彼の耳に聞き慣れた声が飛び込んできた。
『ヨシュア、聞こえる?』
リンファからの通信である。ヨシュアはモニター越しに、ペンユウの方を見遣った。赤い巨人の足下で、端末を手にして喋っている女が一人。
「早く起動しろ。非常事態だ」
『こっちもよ。エアハルトとかいう変な奴に襲われちゃって』
「……! お前もか?
……まあいい、とりあえずペンユウを動かせ。話はその後だ」
リンファは手に持っている端末のボタンを押した。すぐさま、コックピットのドアが開き、ワイヤーでできた梯子が垂らされる。
彼女が持っている端末は、ACに乗るときやACのコンピューターを外部から起動するときに使うものである。レイヴンの必需品の一つだ。
やがて、リンファから改めて通信が入った。
『お前も、ってどういうこと?』
「僕も襲われた。追ってこないと思ったら、そっちに行ってたんだな」
『ふぅん……ところでさ、あいつ何者なわけ? 確かエアハルトとか名乗ってたけど』
一瞬、ヨシュアは絶句した。まさかエアハルトの名を知らないようなレイヴンがいたとは。もぐりにもほどがある。
「四つの人格を持つ一流レイヴンだ。気を付けろ、現れるたびに違う機体を使うらしいから対策の立てようもない」
簡単に説明してからヨシュアはふと思い立った。そういえば、エリィがいない。見つけられなかったのだろうか。
「ところでエリィは?」
『……見つかんなかった。もしかしたら、エアハルトに……』
どうやらこれは……一刻の猶予もないようである。
――と、その時。
ゴバァアッ!
部屋の天井が音を立てて崩れ去った! そこから真っ白なACがブースターを噴かせながら降りてくる。随分と、派手な登場である。
[敵機確認。ランカーAC『アブソルート』]
その声が、戦いの引き金となった。
「つかまっちゃいましたぁ。えへへ〜」
この工場の一番奥に、小さな部屋がある。他と同じく壁や床はコンクリートで固められているが、比較的掃除は行き届き、最新型のパソコンがデスクに載っている。工場の全機能を司る制御室である。
その部屋の中で、後ろ手に手錠をかけられたまま、エリィはへらへらと笑みを浮かべた。床に頬ずりをしてその冷たい感触を楽しむ。いつのまにか、彼女はいつもの『へなへなえりぃ』に戻っていた。
エアハルトはその様子を見下ろしながら、半分呆れたような表情を浮かべていた。本物の多重人格、というのはこいつのようなものを言うのだろうか。
エアハルトの指がパソコンのキーボードを叩く。画面に表示されるいくつかの光点。工場のいたるところに取り付けられた監視装置の情報は、全てこのコンピューターに集められている。侵入者の位置など、手に取るようにわかる。
「あの連中はあんたの相棒だそうだな」
エアハルトはエリィに目を遣った。背筋の力だけで上体を起こし、エリィは真っ直ぐな視線をエアハルトに向ける。
「そーでぇす。りんふぁちゃんはえりぃのあいぼうでぇす」
とろとろとした口調で、エリィは応えた。エアハルトが頭を掻く。どうも、こういうタイプは苦手だ。会話のペースに、逆の意味でついていけない。
「なら、人質としては十分だな」
「勘違いしないで」
突然、エリィの口調と目つきが変わった。どうやら、また『真面目エリィ』になってしまったようである。
「リンファはともかく、ヨシュアはわたしを人質にとったくらいで怖じ気づくような奴じゃないわ」
「リンファと……ヨシュア、か」
エアハルトはデスクの上にある端末を手に取った。レイヴンが使う、ACに乗るためのものである。口振りからすると、どうやら二人の名前も知らなかったようだ。
端末を持つのと逆の手でエリィの腕をひっつかみ、強引に立ち上がらせた。
「来い。人質になるかどうか、試してみようじゃないか」
「『アブソルート』!?」
リンファはコンピューターの報告をオウムのように繰り返した。モニターには、ペンユウ、ワームウッドとにらみ合う一機のACが映っている。全身が真っ白な、逆間接タイプのACである。右手にはレーザーライフル、そして大きなミサイルを両肩に背負っている。
慌ててリンファはネストの登録情報に照合した。『アブソルート』……確かに、エアハルトのACとして登録されている。
『へへ……見つけたぜぇ……』
通信……アブソルートからのものである。
「エリィはどこ!?」
『エリィ? ああ、あの女か。俺を殺したらその後でゆっくりと探しな……先にてめぇらが死んでなければなッ!』
アブソルートが地を蹴った。ブースターの補助を受けて空中に舞い上がる。そのまま、地上へとレーザーライフルを乱射する。
ワームウッドとペンユウは正反対の方向へ地を滑った。二機の中間を光の槍が貫く。ばらばらになれば、少なくとも二人同時に攻撃される心配はない。
「手加減はしないわよっ!」
ペンユウのマシンガンが弾丸を撒き散らす。アブソルートはブースターを止め、自由落下を始めた。その頭上を空しく弾丸が通り過ぎる。
がぃんっ!
アブソルートが着地すると同時に、甲高い音がけたたましく鳴り響いた。衝撃で、一瞬だけアブソルートの動きが止まった。
そこを狙って、すかさずワームウッドのレーザーキャノンが火を噴いた。高エネルギーの光が束となってアブソルートに迫る。タイミング、狙い、共に完璧。避けられるような状況ではない!
ドグォアアァァッ!
キャノンの弾はアブソルートに着弾し、爆発を起こした。風に吹き飛ばされ、その白い巨体が空中に舞い上がる。
……真っ直ぐペンユウのいる方向へ!
まさか、吹き飛ばされる方向を計算に入れていたというのか。確かに、二対一という不利な条件を打破するためにはとにかく一体を片づける必要があるのだが……自ら体当たりを仕掛けるとは。
『リンファ、避けろ!』
――言われるまでもないっ!
ヨシュアの悲痛な叫びがリンファの耳に届いた。彼も予想外だったのだろう。完璧のはずの自分の攻撃が、逆にリンファを危険に追い込むことになるなど。
ペンユウのブースターが限界出力で炎を吹き出す。しかし、いかに高出力ブースターといえども完全には避けきれず、ペンユウの左肩にアブソルートの背中がぶち当たった。
衝撃ではじき飛ばされ、床に転がるペンユウ。一方のアブソルートは、あらかじめ準備していたらしく、ブースターを噴かして足から着地した。
ペンユウのコックピットの中でレッドランプが光った。操縦桿を起こしてペンユウを立ち上がらせながら、被害状況を確認する。当たったのが左肩で良かった。もし右だったら、マシンガンを取り落としていたかもしれない。
ペンユウが上体を起こし、ついで膝立ちになった。いまだ立ち上がっていないその隙に、アブソルートの肩からミサイルが飛び出した。合計六発の同時発射!
ガガガガッ!
すかさずワームウッドのガトリングガンがその全てを撃ち落とした。軽い爆風が埃を巻き上げる。
再び、ガトリングガンの弾丸が空を切り裂く。埃を吹き飛ばしながらアブソルートに迫る!
アブソルートは慌ててブースターを噴かした。しかし、避けきれない! 高速の弾丸がアブソルートの白い装甲板を削り、その衝撃で動きが一瞬とまる。
『終わりだっ!』
その隙を見逃すヨシュアではなかった。肩のレーザーキャノンを構え、アブソルートに向かって連射する!
ゴガァァァッ!
今度こそ――光の弾は、アブソルートの胸板をを狙い違わず撃ち抜いていた。
「リンファ、無事か?」
ワームウッドをペンユウのそばに寄せ、ヨシュアは通信を開いた。それに応えるように、ペンユウがゆっくりと立ち上がる。どうやらそれほどダメージはないようである。
『なんとかね……それより、エリィを探そう』
ペンユウがマシンガンを放ち、部屋の奥にあるシャッターを破壊した。そのまま全身をきしませながら歩き始める。
……その時。
[敵機確認]
――!?
瞬間、ヨシュアとリンファは操縦桿をなぎ倒した。二機が逃げた軌道を追って、数発の銃弾が飛来する。
二機は地を滑りながら180度方向転換し、適当に銃弾をばらまいた。しかし、当然ながら手応えはない。
[ランカーAC『アブソルート』]
「……なんだとっ!?」
『どういうことよ!? さっき確かに……』
ヨシュアはモニターを確認した。まず目に付いたのは、床に転がる白い逆間接ACの残骸。そして――その側で、一体のACが仁王立ちしていた。赤い中量二足AC。手にライフルを持ち、肩には二連装のレーザーキャノンを背負っている。一見してペンユウと似たタイプである。
呆然とするヨシュアの耳に、再度コンピューターの声が届いた。
[敵機急速接近中。機数二。ランカーAC『アブソルート』、ランカーAC『アブソルート』]
あと二機!?
ヨシュアは後部のモニターに目を移した。さっきペンユウが破壊した扉から入り込んでくる黒い戦車タイプのACが一機。そして再び前に目を遣ると、そこでは外に通じる穴をくぐる青い四足ACの姿があった。
『アブソルートが……全部で四機……?』
「なるほどな……そういうことかよ」
ヨシュアの額には、冷や汗が玉となって輝いていた。おかしいと思っていたのだ。妙に同時性が強かったエアハルトの行動。不可解にも二対一で戦いを挑んだ無謀さ。
「エアハルトは四つの人格を持つのではなく……元々四人だったんだ」
電波を介してヨシュアの言葉を聞き、赤い二足ACに乗っているエアハルトは笑みを浮かべた。彼の名はキール=エアハルト。四つ子のエアハルト兄弟の長兄である。その愛機の名はアブソルート・アインズ。機動性よりも装甲と攻撃力を重視したタイプの中量二足ACだ。
戦車タイプのAC、アブソルート・フィールに乗っているのは、末弟のガイル。そして、四脚ACのアブソルート・ドゥライのパイロットは長女のシェリルである。
キールは通信を開き、敵に向かって言葉を投げかけた。
「やってくれるじゃねぇか。まさか、アルベルトが殺されるとはな」
口ではそう言っていても、キールは次男アルベルトに対して同情など全くしていなかった。兄弟として共に生きてきた。それは確かだった。しかし、弟のサイコさ加減にについていけなかったのもまた確かである。
キールはモニターの端に映っているアルベルトの愛機、アブソルート・ツヴァイに目をやった。誰にも見せることはないが、その胸の内には黒々とした感情がわだかまっていた。彼の愛猫ミーアを殺したのは、彼の実の弟なのだ。
「だが、それもここまでだ。シェリル!」
キールが名を呼ぶと、四足ACアブソルート・ドゥライが滑るように進み出た。武器腕のレーザーキャノン、肩に背負った散弾砲とロケット砲……なかなかの重武装である。
その武器腕からワイヤーが垂れ下がっている。そしてワイヤーで縛られ、ぶら下がっているのは……
「エリィ!」
ペンユウのコックピットの中で、思わずリンファは叫び声をあげていた。へにゃへにゃした笑い、三つ編みにした赤毛。間違いなく、リンファ専属メカニックのエリィである。
一体何を考えているのか、自分で体をゆすり、振り子のような動きを楽しんでいる。
「エリィ、大丈夫!?」
ペンユウの外部スピーカーからリンファの声が響き渡る。エリィは楽しそうに弾んだ声で応えた。
「つかまっちゃったぁ。あはははは」
リンファはこめかみを押さえた。一体どこをどうすれば、捕まってぶら下げられた状態のまま笑っていられるのだろうか。
『リンファとヨシュア、だったな』
声は電波に乗って届いた。発信者は青い四足AC、アブソルート・ドゥライである。声は低く澄んでいる。しかし、これは明らかに、女が声を押し殺しているときの低さだ。
『私たちが受けた依頼は、お前ら二人を始末することだ。大人しく機体を棄てて投降すれば、この女は殺さずにおいてやろう』
回りくどい言い方をしているが、要するにこういうことだ。
――逆らえば、人質を殺す。
使い古されたやり方ではあるが、リンファの動きを止めるには十分だった。三年も相棒として世間を渡り歩いてきたエリィを見捨てられるほど、リンファは割り切れてはいなかった。
しかし、ヨシュアは違った。
『笑わせるな』
ヨシュアの声だ。公開周波数で会話しているので、実際の通信相手ではないリンファにも声は伝わってくる。
『そいつがどうなろうが、僕には何の関係もないな』
「ヨシュア! エリィを見捨てる気なの!?」
『自分の命を危険にさらしてまで助ける義理はない』
「……っ!」
リンファは奥歯を噛みしめた。そう、今まで忘れていたが、本質的にヨシュアは敵なのである。ただ利害関係が一致するから協力しているだけだ。
もしかしたら、忘れたかったのかもしれない。闇に覆われた世界の中で、人を疑うということを。
見遣ると、エリィも動きを止めていた。遠くてよく見えないが、やはりリンファと同じように呆然としているのだろう。
『僕に――俺に喧嘩を売ったことを』
ヨシュアの声が、再び響き渡った。
『後悔させてやるっ!』
ばぎんっ!
その瞬間、エリィを縛り付けていたワイヤーが、音を立てて千切れ飛んだ! エリィはアブソルート・ドゥライの足に飛び移り、そのまま床まで滑り降りる。
『リンファちゃんっ!』
エリィの手には、通信用の端末とワイヤーを切るためのカッターが握られていた。敵に捕まっている状態でどうやって手に入れたのだろうか。何かと隠し技の多い人である。
そして、彼女の瞳はいつものエリィのものではなかった。三年間一緒に暮らしてきたリンファでさえ片手で数えるほどしか見たことのない、科学者としての表情である。
『遠慮はいらないわ! 大暴れしちゃいなさい!』
「……了解ッ!」
ようやくリンファは理解した。ヨシュアはこれを待っていたのだ。エリィがワイヤーを切ろうとしていることに気付いて時間稼ぎをしていたのである。リンファは一瞬でもヨシュアに失望してしまったことを後悔した。
エリィさえ解放されればもう遠慮はいらない。リンファは思いっきり操縦桿をなぎ倒した。ブースターから炎が吹き出し、ペンユウの巨体が地を滑る!
『チィッ!』
回線を開きっぱなしのアブソルート・ドゥライから声が舞い込んでくる。それに呼応するように、アブソルート三機が動き出した。ドゥライはペンユウの正面に滑り込み、散弾砲を構えた。同時に車両型のフィールがペンユウの背後にライフルの狙いをさだめ、二足のアインズはジャンプでペンユウの側面に回り込む。
その時、ワームウッドがペンユウの背後を守るように立ちはだかった。
『登録された機体名は……『アブソルート・アインズ』及び『アブソルート・フィール』だな』
背後のワームウッドの中で不敵な笑みを浮かべているヨシュアの姿が、リンファの脳裏にありありと浮かんだ。
『二人まとめて相手になるぜ』
エリィは半分転がるようにしてドゥライの足下から逃げ出した。ドゥライが追ってくる様子はない。それよりは目の前のペンユウに備える方がよほど大事だ。
走りながら、通信機と樹脂製のカッターを服のポケットにしまい込んだ。隙を見てエアハルトの長女シェリルからすり盗ったものである。
肩越しにエリィはふり返った。リンファの駆るペンユウがドゥライと対峙している。さらに遠くではワームウッドがAC二機と同時に戦闘を繰り広げている。
――負けないで……絶対に。
心の底で、エリィは祈っていた。今負けてはならない。奴に対抗できるのは、彼女の知る限りあの二人しかいないのだ。
エリィはここに来て最初に入ったドアに向かった。ここにはあるはずだ。この場を切り抜けるための何かが。
『ヨシュア……確か、伝説のレイヴン『ワームウッド』の息子だったな』
ワームウッドのコックピットに声が届いた。二足ACのアブソルート・アインズからである。
ヨシュアは眉をひそめた。どうやら相当こちらの背後関係を調べているようだ。いや、他の連中が妙に計画性がない攻めをしていたところを見ると……おそらく、このアインズに乗っている男がエアハルトのリーダーなのだろう。そして、情報はほとんどこの男一人が握っているのだ。
『だがな、俺達二人を同時に相手するってのは、ちょっと自信過剰なんじゃねぇのか?』
「うるさい……蝿だ」
ヨシュアは手元のスイッチを押した。モニターに映る敵機の姿が拡大される。アインズは中量二足AC。武装は右手のアサルトライフルと両肩に背負ったレーザーキャノン。新型の、カッター状のレーザー光を発射するタイプだ。結構資金は豊富らしい。
対してフィールは戦車型の超重量AC。頭の、真っ直ぐ天空へ向けて立った角が特徴的だ。腕の武装はレーザータイプのスナイパーライフル。肩には強力なグレネードランチャーと、変わり種の機雷投下機である。内蔵ブースターで空中を浮遊し、周囲に物体が近付くと爆発する。凶悪な兵器である。
ヨシュアは口の端を吊り上げると、操縦桿をねじ倒した。ワームウッドがそれに呼応して四本の足を曲げ、地を蹴った。巨体がフィールの頭上に舞い上がる。それと同時に武器腕のガトリングガンが銃弾をばらまいた。
フィールは……避けない! 左腕を盾代わりにして弾丸を受け止め、かろうじてコアへの致命傷を防いだ。
ヨシュアは小さく舌打ちをした。確かに機動性のない機体で弾速の速い兵器から身を守るには最適な方法なのだが、だからといって迷うことなく片腕を棄てるというのも並大抵な根性ではできないことである。
おまけに、アインズがレーザーキャノンの狙いを定めている。空中のワームウッドへ向かって、光の刃が飛来する!
ヨシュアは操縦桿から手を放した。すぐさまブースターから炎が消える。推力を失ったワームウッドは、高速で落下を始めた。その頭上を光の刃が通り過ぎた。
再びヨシュアは操縦桿を握り、手前に倒した。ワームウッドがブースターを噴かし、アブソルート達と距離を取る。
そのとき、モニターの端に映ったフィールの姿が目についた。肩のグレネードランチャーを構えている! ヨシュアは慌ててワームウッドを地上に降ろし、レーザーキャノンの標準を合わせた。
ドシュッ!
低い音がして、グレネード弾が発射された! あんなものの直撃を受けたらひとたまりもない!
ヨシュアの額に汗が浮かぶ。正確に狙いをさだめ、トリガーを引いた。
ヴァシュッ!
レーザーキャノンの光の弾丸が、真っ直ぐにグレネード弾に向かって放たれた。狙い違わず弾丸が衝突し、誘爆して炎を撒き散らす!
ヨシュアは内心胸をなで下ろした。グレネードの弾丸はそれほど大きくない。本当に撃ち落とせるかどうか不安だったのだ。
こいつは、早くかたをつけないと危ないようである。ワームウッドはアインズのライフル乱射をかわしながら、フィールへと近付いていく。
フィールの機雷投下機が稼働した。ワームウッドの進行方向に、数個の機雷がばらまかれた。器用な操縦でそのすきまをすり抜け、フィールに正面から突っ込んでいく。
後ろから追ってきているアインズの攻撃が止まった。この位置で攻撃して、もし機雷が誘爆でもしようものなら自分まで巻き込まれかねない。
ここまではヨシュアの計画通り。ここからが勝負である。
目の前のフィールが、今度は腕のスナイパーライフルを構えた。これも新型の、凶悪な破壊力を持った兵器である。食らうわけにはいかない。
ヨシュアは真上に標準を合わせると、レーザーキャノンを発射した。天井が音を立てて崩れ、瓦礫がワームウッドとフィールの間に降り注ぐ。
フィールのライフル弾は瓦礫に飲み込まれ、ワームウッドは全くの無傷である。おまけに視界も塞がれ、相手はこっちの姿が見えていないはず。
ヨシュアは操縦桿を捻った。ワームウッドは180度方向転換し、さっき来た方向へ砂煙を切り裂いて戻っていく。
「飛んで火に入る……」
視界に動くものを認め、ヨシュアは叫んだ。計画通り、機雷の隙間をようやくくぐり抜けたアブソルート・アインズの姿がそこにはあった。
一瞬アインズの動きが止まる。まさか、追いかけていた相手が自分の方に戻ってくるなどとは思いもよらなかったのだろう。
「夏の虫ってやつだッ!」
ヨシュアは戸惑うアイネに銃弾を浴びせる……こともなく、その脇を高速で通り抜けた。そのままもう一度機雷の網をすりぬけ、最初の位置に舞い戻る。
そして、その背後に迫る一発のグレネード弾……フィールがレーダーだけを頼りに発射したものである。弾丸はアインズの横を通り抜け、大爆発を起こした!
――機雷の網の中心で!
爆風は次々と機雷を誘爆させ、その炎がアインズを巻き込む! 高温の渦がアイネの装甲を融かしていく。かろうじて機体は人の形を留めているが、おそらく中に乗っている人間は……
おまけにワームウッドはそのスピードを生かして逃げていたせいで、全く被害を受けていない。
「まずは一人!」
ヨシュアは叫びながら、爆風で舞い上がる埃の中へワームウッドを突っ込ませた。レーダーを頼りにガトリングガンを掃射する。 手応えはない。巧く回避されたか、あるいは狙いが甘かったのか。ともかく相手を視界に捕らえなければ当たるものも当たらない。
埃を突っ切って、ワームウッドの青いボディが光の元へ飛び出した。すぐ側には、グレネードを構えたフィールの姿。
視界にワームウッドが現れるのをじっと待っていたのだろうが、甘い!
グレネードは再装填に時間がかかる。その隙にワームウッドのキャノンが火を噴いた。狙いはフィールの足下の地面!
ゴウァアァァアアッッ!
閃光を伴って爆風が巻き起こる。圧倒的圧力の風はフィールの足下をすくった。キャタピラが少しだけ、床を離れて浮き上がる。
そこへ再びレーザーキャノンが炸裂した! キャタピラの腹を突き抜けて、光の弾丸はコアの内部を焼き尽くした。
フィールが轟音を立てて床に崩れ落ちた。もはやパイロットは生きてはいまい。
「大口を叩いたのはそっちだったな」
ヨシュアはそう言うと、満足げに唇の端を吊り上げた。
彼は、必死に走っていた。
誰も知らない地下道の奥深く。隠しておいたものがそこにある。依頼主に借りたものである。他の兄弟達は、そのことは全く知らない。なぜ依頼主が彼を選んだのか――理由はわからなかったが、それこそどうでもいいことだった。
アレは素晴らしい。アレを見ていると……そしてアレを使うことを想像すると、背筋を言いようのない快感が突き抜けていった。今までこんな感覚はなかった。初めて女と身を重ねた時も、初めて人を殺したときも、これほどまでに恍惚とはしなかった。
やがて地下道は終点に達した。そこに一枚のドアが付いている。彼は横のパネルを操作して、ドアを開けた。
彼はその部屋へ足を踏み入れた。そこでは二体の巨人が仁王立ちして彼を見下ろしていた。
どちらも黄燈色で全身を塗り固められている。全体が太く、流線型で覆われているために、どことなく肥った男のようにも見えた。
そして片方の巨人には『H―1』、もう一方には『H―2』の記号が、それぞれ肩に彫り込まれている。
彼は、満足げに笑みを浮かべた。
ついにこれに乗れる。きっと……いや絶対に、今まで以上の快感を与えてくれるだろう。
欲望。彼の心は、ただそれだけが支配していた。
ペンユウが奔る!
アブソルート・ドゥライの真っ正面に突っ込みながら、マシンガンを掃射する。狙いもいい加減で、当たるとは思っていなかったが、やっぱり当たらない。
逆に機動力を生かして左側に回り込まれた。このままでは、恰好の的になるのがオチだ。
「なめるなッ!」
ペンユウのブースターがこれでもかと炎を噴き出す。ドゥライの散弾は、かろうじてペンユウの背後を通り抜けていった。すぐさま方向転換し、マシンガンを掃射する。
しかしこれも、ドゥライの装甲をかすめるだけに終わった。
そして、互いに銃口を向け合って対峙する。
『いい腕をしているな』
「お陰様で」
ドゥライのパイロット、シェリルの声は高くうわずっている。戦闘に興奮して、殺していた地声が出ているのだろう。
ついこの間まではリンファも女の声を殺していたが、最近では普通に話すようにしている。わざわざ自分が女であることを隠して侮られないようにするのも、なんだか馬鹿馬鹿しくなってしまったのだ。
「あんた、名前は?」
『……シェリル=エアハルト』
「一つ、聞いていい?」
シェリルの声は返ってこなかった。しかし、有無を言わせず攻撃をしたりはしないところを見ると、興味はあるようである。
意を決して、リンファはかねてからの疑問を口にした。
「あたし達を殺すように依頼を受けたって言ったよね。
でも、あたし達は別の依頼でたまたまここを通りがかって、たまたまこの工場に雨宿りしに来たのよ。一体どうして待ち伏せなんかができたわけ?」
答えは……ない。
答える義理はない、ということか。或いはこいつも知らないのかもしれない。
『教える必要は……ない』
しばらくの沈黙の後に、声が返ってきた。やはり、口調からすると後者……つまり自分でもわかっていない、ということのようである。
リンファは舌打ち一つして、操縦桿を横に倒した。ペンユウが地を蹴り、敵のキャノン砲弾を避ける。
ドゥライは武器碗のレーザーキャノン、散弾砲、ロケット砲と重火器を力の限り組み込んだ重武装である。正面からの撃ち合いでは圧倒的に不利。
となれば、機動力で圧倒するしかない!
リンファは右手で、コックピットの壁から突き出たレバーをねじ倒した。以前にエリィが付けてくれたオリジナル機能、ダイレクトレスポンスモードである。火器制御機能の操縦補助をなくし、リンファの指先の動きが無修正でペンユウの動作に反映される。並のレイヴンでは満足に歩くことすらできなくなるが、巧く扱えれば本来では不可能な動作も可能になる。
しかし、この状況では少々のリスクなど気にしていられない。本気を出してかからなければ、死ぬのはこっちである。
ペンユウが肩のレーザーキャノンを構えた。本来、ペンユウのような二足タイプのACがキャノン砲を撃つには、安定性の問題上、片膝をついて構えなければならない。しかしダイレクトレスポンスモードなら、立ったまま……あるいは空中でも撃てないことはない!
『馬鹿な!? 立ったままキャノンだと!?』
「なめるなって言ったでしょーが!」
エリィが改造したこのレーザーキャノンは、無理な改造が祟って五発も撃つとオーバーヒートしてしまう。その五発の内にカタを付ける!
ペンユウが地を蹴った。空中に飛び上がり、とりあえずキャノンを一発放つ!
ゴゥアァァアッッ!!
光の砲弾は床に着弾し、辺りに無差別に爆風を撒き散らした。間一髪ドゥライは床を滑って難を逃れる。さすがに四足AC、スピードにかけては他の及ぶところではない。
しかし、逆に安定性は乏しい。ドゥライを爆風が襲い、一瞬そのバランスが崩れる!
「終わりだっ!」
その隙を狙って、空中に浮いたまま再度キャノンを発射する。しかし次の瞬間、ドゥライのロケット砲も火を噴いた。砲弾は光の弾丸と衝突し、ドゥライに届く前に誘爆する。
さすがにいい腕をしている。伝説は伊達ではないようである。
だが、それでもリンファの方が一歩上手だった。
「な……!?」
シェリルは我が目を疑った。
アブソルート・ドゥライのモニターを凝視する。右の端から左の端までもう一度、ゆっくりと目を皿のようにして確認した。
やはり……いない。
どこにも、さっきまで正面にいたはずのペンユウの姿がないのである。慌ててレーダーを確認する。しかし、それもレーザーキャノンの爆発によって生じた電磁波の影響で、一時的に使用不可能になっている。
「どこだ!? どこにいる!?」
半分錯乱しながらシェリルは叫んだ。ふと思いついて機体を回転させて見たが、自分の真後ろにもペンユウの赤いボディはない。
その時。シェリルの耳に、女の声が届いた。
『ここよ!』
そして次の瞬間――
ドゥライの青いコアは、真上から飛来したペンユウのレーザーブレードによって貫かれていた。
『リンファ、無事か?』
ヨシュアは本日二度目の言葉をリンファに投げかけた。ペンユウもワームウッドも、機体にはほとんど傷はない。圧勝とは言えないが、それでも比較的余裕のある勝利である。
――それにしても。リンファは背筋が凍るような思いだった。間違いなくエアハルトの腕前は一流である。それを二対一であしらってしまうとは……味方であるヨシュアに対して、リンファは漠然と恐怖を感じずにはいられなかった。
「なんとかね……疲れたけど」
『お前にしては上出来だ……そういえば、エリィはどこだ?』
少し気になる言い草だが、とりあえずリンファは見逃すことにした。それよりはエリィの無事を確認するのが先決である。まさかさっきの戦闘に巻き込まれてはいないだろうが、なにせエリィのことである。一抹の不安が残る。
…… ……
リンファは眉をひそめた。
「ねえ、何か聞こえなかった?」
『……?』
…… ……
「やっぱり!」
リンファの表情が曇った。まるで地の底で野獣が唸っているかのようなこの音……まさかこれは、リフトが上昇する音!?
『まだ何かあるってのか』
次第に音は大きくなっていく。もうここまでくれば疑う余地はない。何かが、この工場の地下からリフトで搬出されてきているのである。
おそらくはACかMTのような兵器が――
ヴンッ。
低い駆動音が響き、丁度ペンユウとワームウッドが立っている辺りの床が真っ二つに割れ、その奥に闇が姿を見せた。慌てて二機はその場を離れた。
二機はそれぞれ、武器を構えた。リフト音はますます大きくなってくる。もう敵は近い。
そして、そいつは姿を現した。地下から上ってきたリフトの床が、穴をぴったりと塞ぐ。その上に仁王立ちになる、一体の巨大なロボット。
[敵機確認。機体情報無登録。詳細不明]
コンピューターは無機的な声を繰り返し発した。当たり前だ。リンファもヨシュアも、あんなものは見たことがなかった。
赤黒い塗装で統一された、人間型二足のロボット。サイズはACよりやや大きく、だいたい全長が10メートルといったところか。
コアパーツを中心として腕部や脚部などのパーツが接続されているところを見ると、おそらくACなのだろう。しかし、レイヴンズ・ネストの規格からは大きく外れている。かといって、大企業の自社規格品でもない。見たこともないタイプである。
外見はやや太く、肥った男のようにも見える。装甲を重視した重装タイプといったところか。しかし、その割には両手にも肩にも、何一つ兵器を搭載していないようだが。
そして、肩には「H―1」と番号が刻まれている。
『ふ……ふへへへへ……』
突如、電波を介した声が二人の耳に届いた。聞き覚えがある。最初に戦ったエアハルトの次男、アルベルトである。まさかあのぼろぼろになったACの中で、生きていたとは……
『どォだ……こいつが新世代のAC……「H―1」だ』
やはりACらしい。しかし、武装もしていないACで一体何をする気なのだろうか? リンファは眉をひそめた。
『そンじゃ早速で悪ィが……死ね』
ばがんっ!
音を立てて、H―1の装甲がめくれ上がった! 全身に無数の穴が空き、その奥にとがったものがのぞく……百近い数のミサイルである!
「なっ!?」
『冗談じゃねぇ!』
ヴァシュッ!
その全てが一気に発射される! あんなものをまともに食らっては、それこそ燃えかす一つ残らない!
二機は慌てて後退しながら、構えていた武器を発射した。リンファのレーザーキャノンの爆風がミサイルを吹き散らし、ヨシュアのガトリングガンがそれを撃ち落とす。
……が、次の瞬間には後続のミサイルが爆炎を切り裂いて飛来する!
キュゴガガガガガガガッ!
無数のミサイルが二機の装甲に食い込んでいく。かなりの量を打ち落とせたが、それでも数十発は間違いなく食らっている。爆炎が吹き荒れ、視界を遮る。
それが収まったとき姿を現したのは……全身ボロボロで、ぴくりとも動かないペンユウとワームウッドの姿だった。
『ヨ……ヨシュア……ぁ』
リンファの声は無事を確認するためのものでも、作戦を練るためのものでもなかった。ただ、圧倒的な恐怖と重圧から逃げようと、必死で助けを請う一人の少女の声だった。
それを聞きながらヨシュアは薄れる意識を必死で呼び覚ました。モニターで被害状況を確認する。機関部がやられていて、もはや一歩も動けないだろう。おまけに全ての兵器が、接続を失って使い物にならなくなっている。おそらくペンユウも似たような状況なのだろう。
「化け物め……」
ヨシュアは額に冷や汗を浮かべて毒づいた。まさか、全身にミサイルを埋め込んでいるとは……発想と技術が尋常ではない。
敵は……H―1は、ゆっくりと歩みを進めた。一歩一歩、自分の重みを確認するかのように、動くことのできない二機に近付いていく。
『ヨシュア……ヨシュアぁ……怖いよ……
助けて……ねぇ、助けてよ!』
「落ち着け!」
その言葉は自分に言い聞かせているようでもあった。
「俺が護ってやる! だから取り乱すな!」
その一瞬後で、ヨシュアは自分が口走ったことにはっとなった。生まれてこのかた、他人を護るなんてことは考えたこともなかった。なのにどうして、こんなことを言ってしまったのか。
多分、リンファをなだめるためのでまかせなんだろう。彼はそんな風に自分を納得させた。
……終わりだな。ヨシュアは漠然と感じた。こんな風に、余計なことをあれこれ考えるのは、どうしようもない証拠だ。もはや生き残る道は残されてはいない。
ヨシュアは手元のキーをいじり回した。モニターに文字が表示される。自爆機能の安全装置が解除される。おそらく、相手が至近距離まで近付いたところで自爆すれば、いくら相手の装甲が硬くても仕留められるだろう。
不思議と恐怖はなかった。隣で動けなくなっているペンユウに目をやる。距離は離れているから、自爆の影響は受けないだろう。
「リンファ」
ヨシュアは優しく声をかけた。
「声、聞かせてくれ」
しばらくの沈黙の後で、リンファの声がした。
『ねえ、死んだらどうなんだろう?
寒いのかな? 痛いのかな?』
リンファの声はさっきより落ち着いた調子だった。ヨシュアのでまかせが効を奏したらしい。
「どうだろうと」
ヨシュアの額を汗が流れ落ちた。
「死んだ後だから平気だろうさ」
…… ……
ヨシュアは、自爆スイッチにかけていた指を放した。何か音が聞こえる。発煙筒を焚いたときのような、しゅうしゅうという音が地面を伝わって耳に届いてくる。
H―1の動きが止まった。回転して辺りの様子を確かめている。奴にも聞こえているらしい。
音は次第に大きくなっていった。
「何だ……この音は?」
『! もしかして!』
リンファが叫ぶ。それと同時にヨシュアも気付いた。ACに乗るときにいつも聞いていた音。つまり……
『ブースター音!』
ゴバガァァアアアァッ!
突如、床が弾けた! 何かが地下から飛び上がり、工場の床をぶち抜いて現れる!
それは床を破った勢いのまま空中に飛び上がり、やがてH―1から少し離れたところに着地した。
二足タイプの巨大ロボット。H―1にそっくりなデザインだが、所々角張っている。そして肩には……「H―2」の文字!
最悪だ。ヨシュアは目を瞑った。よりにもよって、あんな化け物がもう一機でてくるとは。これではもう、自分たちが助かる見込みは……ない。
しかし、次に聞こえてきた声が二人を驚愕させた。
『やっほー! りんふぁちゃん、だいじょぉぶぅ?』
H―2から届いた脳天気な声……これは!
「エリィ!?」
エリィは計器の状況を一つ一つ確認した。普通のACとはまるで違う操作系統だが、わからないことはない。
それにしても驚くべき性能である。レーダーもモニターもひたすら感度が良く、なんと数十メートル先の埃の一粒が見えるほどに拡大できる。装甲も分厚そうだし、機動力も文句ない。
さすがは奴の作品……といったところか。
驚き半分、遊び心半分でいろいろといじくり回しながら、エリィはリンファ達に通信を送った。
「あー、ぺんゆうぼろぼろだぁ。なおさなきゃ〜」
『それよりエリィ! ンなもん何処で手に入れたのよ!?』
『てめぇ……地下に入りやがったな!』
突然アルベルトの声が乱入してきた。確かに、このAC「H―2」は地下の隠しガレージから拝借したものである。ガレージにはもう一機分空きがあったし、そもそもこいつが二号機だったので、おそらく一号機がそのあたりにいるだろうとタカをくくっていたが……どうやら目の前のこいつがそれのようである。
それにしても、あのボロボロになったアブソルート・ツヴァイの中でよくも生きていたものである。その生命力だけにはエリィは感心した。
『ブッ殺す!』
罵声と同時に、H―1の装甲がめくれ上がった! その奥から飛び出す無数のミサイルたち!
――まだ残ってたのか!?
『逃げて、エリィ! はやくっ!』
まるで蜘蛛の糸のように煙をたなびかせて、百近い数のミサイルがH―2に迫る!
しかし――エリィは避けようともしない!?
ギュゴガガガガガガゴウンッ!
案の定、全てのミサイルがH―2に直撃する! 嵐の如く炎が吹き荒れ、爆炎を巻き上げる!
『そいつは俺のだ! 返してもらうぜっ!』
いくらなんでもあれだけの攻撃を受けては……今頃機体がどうなっているか、想像に難くない。
やがて煙は薄れ、散乱していった。そして、その奥に巨大な人影が姿をあらわした!
無傷で佇む、H―2の姿!
「やだ」
よく見ると、ミサイルは一発も直撃していない。すべてH―2のボディから逸れ、近くの床や壁に着弾している。
『誘導結界(デコイフィールド)……!』
ヨシュアは惚けたように呟いた。誘導結界(デコイフィールド)……おそらく、機体の周囲に強力な磁界か電界を発生させ、それでミサイルの軌道をそらしたのだろう。と、言うのは簡単だが、実行するのはほとんど不可能に近いはずである――そうでなければ、とうの昔にどこかの企業が実用化している。
「えへへ〜、えりぃ、いっきま〜す!」
H―2が走る!
しかしH―2はH―1と同じく何の武装も施されていない。やはり同じようにミサイルか何かが隠されているのだろうか?
H―2は驚異的なスピードで一気に間合いをつめ、そして……
「えりぃぱ〜んち!」
ごばぁっ!
『……………は?』
リンファの目が点になった。
つまり……H―2が、近付くや否やパンチをぶちかましたのである。それも素手で。
確かに、接近戦において格闘戦を得意とするMTは存在する。しかし、これは威力の面ではるかにそれを超越していた。
貫いたのである。分厚い装甲に護られたH―1のコアを。たったの一撃で。
『ぱーんち! ぱーんち! ぱーんち!』
ごしゅっ! がひょっ! ぐきょっ!
次々繰り出されるパンチに、H―1の機体は見る間に解体されていったのだった。
「邪魔するぜ」
ヨシュアはドアを開けるなり声を投げかけた。
薄暗い倉庫の中。女の住処とは思えないほど汚れまくり、おまけに倉庫の半分近くは青いビニールシートを被せられた巨人――ペンユウの巨体で埋まっている。
ここは、地下都市アイザックシティのスラム街、通称『スクラップ地区』の一角。リンファとエリィが三年前から住処として使っている、古い倉庫である。
パソコンとにらめっこしていたエリィが顔を上げた。おそらく夜を徹してACの修理をしていたのだろう。目の下にはクマができている。
ヨシュアは少し罪の意識にかられた。それというのも、ヨシュアの愛機ワームウッドも彼女の世話になっているのである。倉庫の中には入らないので、今は修理しかけのまま外に放置してある。
「リンファは?」
エリィは倉庫の奥の方をあごで指した。そこには薄汚れた布をシーツ代わりに引いて、寝息を立てているリンファの姿があった。
溜息をつき、歩み寄る。一瞬蹴り飛ばそうかとも思ったが、後でどんな反撃をされるかわかったものではない。素直にヨシュアはリンファの肩を揺すった。
まだあどけなさの残る寝顔が歪み、大きなあくびがこぼれる。細くリンファの目が開いた。
「あ……よしゅあ……」
「起きろよ。情報交換といこうぜ」
「んー、一応調べてみたわ。オムニシャンス・インダストリーのこと」
まだ寝ぼけているのだろうか。椅子代わりの木箱に腰掛けたまま、リンファは頭を揺らした。机をはさんで向かい側に座ったヨシュアとエリィが心配そうに様子を見守る……もちろん、情報の信頼性について心配しているのである。
オムニシャンス・インダストリー……今回、リンファにレアメタル鉱山の制圧任務を依頼した企業である。
「えーと、企業として成立したのが三年前。丁度あのころはクロームとムラクモ・ミレニアムが滅亡して混乱してたから、そのどさくさに紛れてシェアを掴んだみたい」
ムラクモ、の名を聞いてエリィの耳がぴくりと動いた。リンファの話に出た企業は、どちらも数年前までアイザックシティを……いや、世界を牛耳っていた超巨大企業である。世界を二分してほとんど戦争に近い抗争を繰り返していた。一応クローム社が抗争には勝利したのだが、疲弊したクロームも結局は別の新興企業に滅ぼされてしまった。
「でも、特に怪しいところはないわ。時々、妙に高性能な製品を発表して世間をさわがすぐらいで」
「しかし、今回の襲撃……誰かに仕組まれていたことは間違いない。そして、その企業が一枚噛んでいるってことも」
そう。偶然依頼を受け、偶然雨が降り、偶然あの工場に逃げ込んだわけではないのだ。このご時世、天気予報の的中率は百%近いし、あの工場の近くを通るコースを設定しておけばまず間違いなく雨宿りをしようとするだろう。
仕組まれていたのだ。全て。
「俺の方でも調べてみた。とりあえずあの工場の再調査に行ったんだが……驚くなよ」
ヨシュアはコートの内ポケットから、一枚の写真を取りだした。それをテーブルに投げる。
一体どこなのかはわからないが、荒野の真ん中に巨大なクレーターが空いている。写真なので正確には大きさがわからないが、それでも半径が数qくらいはあるだろう。
「なに、これ? 隕石でも落ちたの?」
「あの工場だ」
リンファは言葉を失った。
「昨日再調査に行ってきた……なくなっていたよ。なにもかも。
原因不明の爆発によって、周囲30qにわたってふきとんでいた」
今度こそ、全員が完全に沈黙した。一体、どこをどうすればこんな爆発が起こるというのだろうか。大破壊以前の戦略級兵器、核爆弾ならこういうことも可能だろうが……
エリィは険しい表情で立ち上がった。そのまま、倉庫のドアをくぐって外に出ていく。
「どうしたんだ、あいつは?」
「さあ……あ、確かオムニシャンス社ができた三年前って、あたしとエリィが出会った頃よね。その前はどこかの企業にいたらしいけど」
企業……ヨシュアはぴくりと眉を動かした。しかし、何事もなかったかのように立ち上がった。
「ともかく……気を付けろ。起こっているぞ、何かが」
リンファには、ヨシュアの言葉にただ頷くことしかできなかった。
エリィは倉庫の外で、地下都市の天井を見上げた。今はまだ、話すべきときではない。しかしいつか……そう遠くない未来に、あの二人の力を借りなければならない時がやってくるのだ。
その時、彼女の後ろで音がした。ヨシュアがドアを開けて出てきたのである。
エリィは明るく装って言葉を投げかけた。
「おかえりですかぁ〜」
「ああ。だが、その前に聞きたいことがある」
ヨシュアは上からエリィを見下ろした。エリィの額には冷や汗が浮かんでいる。
「H―1、H―2、三年前……」
ヨシュアの言葉は重く、鋭くエリィに突き刺さった。
「ムラクモ・ミレニアム」
気付いたのだ。彼もまた。背後の何かの存在に。
「何があった」
THE END