ARMORED CORE 炎-FEUER-
3 帰ってきた剽軽者 -The Funny Fellow is
Back-
『おーっ! こりゃまた派手にやったなあ!』
いきなり聞こえてきたのは脳天気な男の声だった。
フォイエは眉をひそめてコンソールをいじる。紛れ込んできた通信は、正面に対峙するあの緑の機体――オーメル軍の切り札、ネクスト「ラ・イール」から送られてきた物である。しかしこの、敵リンクスの軽いこと。辺りの惨状、それも味方ばかりの残骸が連なるさまを、物珍しそうに見回している。まるで他人事である。
『お前一人でやったのか? そーだよなー、そっち味方いないだろーしなー。大したもんだ、やるねえあんた』
「そりゃどーも」
と、思わず声を返したのが間違いだった。
『うおおおおっ!? 女の子じゃねーかー! ねっ、ねっ、名前は? 名前教えて! 歳は? 顔の映像送ってくんないっ!?』
「んがー! やかましーわいっ! やる気あんのかお前はっ!」
『やる気? なんの?』
「せ・ん・と・う!」
『ふっ』
わさり、と髪の毛を掻き上げる音が聞こえた。
『あるわけねーだろ!』
「ないのかよ!?」
『本社の都合なんざ知ったことかい。俺は俺の幸せのために生きるんだいっ。ね、デートしよーおよー、奢っちゃうよ俺〜』
なんだこのリンクスは。リンクスになるには先天的AMS適正が必須であり、そのため、リンクスには奇人変人や女子供が比較的多い。AMS適正以外の要素で選別できるほど、リンクス候補となりうる人材が多くないからだ。
それにしてもこれはないだろう。こんなちゃらんぽらんで、よく企業のリンクスが勤まるものである。思わずフォイエは額に手を当て、沈痛な溜息を吐――
――瞬間。
《敵影消失》
「!?」
思うよりも条件反射。
フォイエは咄嗟にコンソールを叩き、慌てる暇すらなくその場を飛び退いた。と、次の瞬間ペンユウの背を何かがかすめる。背筋を襲う漆黒の冷気。すんでのところで銃弾をかわし、ペンユウは足を引きずりながら急旋回、冷気の根源に視線を向ける。
緑のネクスト。
ラ・イール!
背筋でチリついていた寒気が、一気にフォイエの全身を駆けめぐった。目など放していない。呆れるような軽い会話のさなかも、フォイエはずっとラ・イールを睨んでいた。そのつもりだった。
だのになぜ。
一体いつの間に、敵は背後に回り込んだのだ!?
『……いけねーな。戦闘中に、コンソールから手を放しちゃあよ』
慌てて後退するペンユウをひたと見据え、ラ・イールのパイロットは低い声を挙げた。
無造作なその姿勢。とても戦闘態勢にあるとは言えない。なのにフォイエは全身の筋肉が硬直するのを感じていた。体が動かない。いや動けない。自分の勝利をイメージできない。どう動こうと裏を取られる。そんな確信が脳の奥にある。
そして一瞬遅れて、フォイエは敵の言葉の意味に気が付いた。敵には見えていたのだ。コックピットの中のフォイエが、コンソールから手を放して額を押さえた、あの一瞬が。
読まれている。全て。
「なんなの……あんた」
フォイエの額を流れ落ちる汗。
問いながら自ら答えは知っていた。
こいつは……
『そうだな、女の子に名前を聞くにはまず名乗らなきゃ。
俺はリッキー・パルメット……』
こいつは、
『リンクスナンバー・1stだ』
こいつは桁違いの敵だ。
とはいえ、それは互いに同じこと。
パルメットは全身の汗が音を立てて引いていくのを感じていた。コンソールに触れるぬめり一つない手のひら。緊張に身を引き締める皮膚の細胞。それらがはっきり証明している。
目の前の紅いネクストが、半端な覚悟ではぶつかれない恐るべき相手であるということを。
「へ……避けるかよ、今のをよ」
言ってパルメットは口の端を釣り上げた。
本当のところを言えば、パルメットはさっきの一撃で勝負を決めるつもりだったのである。速度も威力も必要充分。回避できるはずはなく、生き残れるはずはない。そんな必殺の一撃だったのだ。
なのに奴は避けた。多少の驚きこそ見えたものの……いとも、あっさりと。
「こいつぁ、なりふり構っちゃらんねーな」
通信にも乗らない小さな呟きと共に、パルメットの指がコンソールを走る。
「何をやっているんだ、あれは?」
双眼鏡を降ろしながら、デューイは怪訝そうに眉をひそめた。
ペンユウと対峙する緑のネクストが、次々とコネクタを開放し、武器を捨て始めたのである。両手に抱えたガトリング砲が、続けて肩に背負ったカノン砲が、重い音を立てて地面に積み重なっていく。
そればかりではない。小さく空気の破裂するような音がしたかと思うと、緑色の分厚い装甲が内側から吹き飛ぶ。一枚、また一枚、装甲板がネクストのボディから剥ぎ取られ、内側から真っ黒な内部機械(インナーメック)が姿を現した。
「パルメットは本来、軽量機使いだからね……」
カジュが眼を細めた。
「戦いやすいように、いらないものを捨てて軽くしてるんだよ……」
「本気ってことか」
重苦しい声で言うと、デューイは首からぶら下げた通信機に、何気なく手を添えた。
もしフォイエが敗れたら、その時はすぐに連絡を飛ばさねばならない。コロニードームのゲートを閉じるように。このドームだって、いちおうNBC防御を施したしろものだ。長くは保たないが、そう簡単に破れるものでもない。立て籠もり、反撃の機会を窺う。
もちろん、外にいるフォイエを見捨てることにはなるが……
「……仕方ないか」
「何が……?」
うっかり声に出していたと気付くと、デューイは冷静に、こう続けた。
「いや。敵が本気になるのも仕方ない、ってことさ」
けたたましい金属音、もうもうたる砂煙、それらが風に吹き散らされて、後に残ったのは、装甲すら失った黒い裸の巨人。あちこちで稼働するアクチュエータが蠢く不気味な姿には、緑に身を包んだ陽気なネクストの面影はない。
しかし……一回り小柄になったはずの機体が放つ、この圧倒的重圧。
腹に響くその感覚を押し返そうと、フォイエは平静を装い声を出した。
「そういうやり方もあるのね。知らなかったわ」
『マネはしない方がいーぜ。重量バランスが崩れるからな、普通は動けねえ。
さーてと、こっちの準備はいいぜ! 律儀に待ってくれてありがとよ!』
「不意打ちで勝ったって自慢になんないからね。それに、準備の途中を狙われても対処する自信はあったんでしょ?」
『まーな』
面白がるようなパルメットの声と同時に、数千の羽虫が一斉に飛び立つかのような音が響いた。ラ・イールの左腕に内蔵された、予備のレーザーブレードが光を放つ。黄色く輝く光の剣が地面をかすめ、砂を一瞬で蒸発させた。
誘っているのだ。剣一本での肉弾戦を。
フォイエは、右腕のエナジーバズーカを放り捨て、左腕のブレードを発振した。誘いに乗ってやろう。こういう戦いも面白そうだし、それに……恐らく銃は、役に立たない。重量級のブースター出力と、軽量級の自重を併せ持つ、今のラ・イール相手では。
音が次第に薄れていく。
地面を踏みしめ、二体の巨人が対峙した。風。ブレードから迸る電磁波。遠くで響く何かの駆動音。始めはそれらの些末なものに、いちいちAMSが寓意をくれた。注意を、行動を、促すように。だが二人は動かさない。指一本。髪一本。細胞の一つすら。
やがてシステムも諦めたのか――AMSの寓意すら静まりかえる。
辺りの風景が消失した。敵の姿ももはや見えない。
あるのはただ、砂。静止した巨人の上に、降り積もっていく白い砂。
静寂に包まれた無限の時間。
と――
砂が、
――弾ける!
一瞬ぶれる真紅の巨体。敵の目前へ肉薄し、音速突破の衝撃波ごと横薙ぎの剣を叩き込む。だが僅かに遅い。ミリ秒単位の条件反射でラ・イールの剣がそれを受け止め、力の全てを受け流す。
逸れた衝撃が空を裂き、足下の大地を両断した。
揺らぐ足場。フォイエは反射的に地面を踏みしめ、その場に辛うじて踏みとどまる。しかしそれが命取り。最大限まで伸びきったアクチュエータは柔軟性を失い硬直する。
それを見逃すパルメットではない。
『おォッ!』
腹から吐き出す雄叫びと共に、ラ・イールの蹴りがペンユウを捉えた。胸に鋼鉄の塊をぶち込まれ、真紅の巨人がたたらを踏む。
すかさず繰り出すラ・イールの突きが、ペンユウの胸を貫き通す――
かに思えた瞬間、弾かれたようにペンユウがクイック。不安定な体勢から一気に後ろへ飛び退いた。必殺の突きはまたしても虚空を貫き、虚しい振動音だけを辺りにばらまく。
フォイエは空中で小刻みにブースターを噴かし、瞬時に体勢を立て直した。
だがその顔に余裕はない。AMSモニタは機体各部の疲労を必死に訴えている。敵の機動に対抗するため、アクチュエータに無理をさせすぎた。
「マズいわね……あと一回が限界、か……」
呟きながら呼吸を整え、額を流れ落ちる汗を拭った。
呼吸を読まれている。たぶんそれは間違いない。
最初の打ち込みへの反応にしろ、アクチュエータが伸びきった瞬間を狙う蹴りにしろ、こっちの行動タイミング、言わば呼吸を完全に把握しなければできない芸当だ。一体どういう理屈なのかは知らないが。
一体どうする? どう戦う? そして……どう勝つ?
「落ち着け、落ち着け、落ち着け……」
静かに、小さく、何度も唱え、心の内でフォイエは自問した。いや、それは問いなどではない。感じ取るということ。直感でフォイエは感じていた。こちらの行動タイミング全てを読む相手に勝つ方法は一つしかない。
敵に先手を打たせ、それを迎撃する。
言うほど簡単なことではない。ネクストの機動性を考えれば、敵が動き始めてから数十ミリ秒以内には勝負が決まる。そのあまりにも短い時間に、針の穴を通す正確さで、カウンターをぶち込まねばならない。
難しい。紙のように薄い勝算だ。
しかし。
「やるしかない……いや」
小さく一度、首を振り、
「やれるっ!」
体震わす雄叫びで、フォイエは不安を吹き飛ばした。
甘い。
一瞬の攻防が嘘だったかのように、ひたりと静止したペンユウを見つめ、パルメットはほくそ笑んでいた。
動かなくなったということは、悟ったということだ。こちらの能力。相手の脳内電流を読み取る能力のことを。
人体が常に微弱な電磁波を放っていることはよく知られている。この電磁波は血液中の鉄分が高速で流れることによって発生するものなので、当然、血流量の微妙な変化に応じて、人体が発する電磁波は常に変動し続けることになる。
パルメットは脳内に埋め込まれた特殊な計測器によって、他者の脳が発するこうした電磁波を読み取ることができるのである。電磁波は嘘を吐かない。脳の興奮、緊張、安堵、その他もろもろの感覚が、手に取るようにパルメットには分かる。
これを応用すれば、攻撃を仕掛けるタイミングを読むことなど造作もない。この力が、パルメットをリンクスナンバー・1stにまで押し上げた要因でもあるのだ。
そしてフォイエは誤解しているようだが……自ら仕掛けるのをやめ、攻撃タイミングを読ませまいとしても、それは全くの無駄である。
人の集中力には波がある。どれほど目の前の相手を注目しているつもりでも、実際には、集中の途切れる瞬間が断続的に訪れているものなのである。パルメットはその瞬間を狙うだけでいい。それは数ミリ秒に過ぎない僅かな時間だが、ネクスト同士の戦闘においては永遠にも等しい時間だ。
「見えるぜ、姉ちゃん……」
口許を釣り上げながら、パルメットが呟いた。
今この瞬間も、フォイエの集中が途切れた。フォイエの集中力は凄まじい。一点を見つめているときの彼女の電磁波は、まるで鋭く研ぎ澄まされた剣のように、パルメットの脳に突き刺さる。
だがそれだけに、電磁波が欠損する瞬間も見えやすい。
次だ。
次にフォイエが気を緩めた、その瞬間。
「勝負を決めてやる……」
そして再び静寂。
きんと冷えた氷のように、時間は静かに結晶し――
電波の欠損!
音が爆発し静寂の氷を吹き飛ばした。クイック・ブースト。各部ブースターのタイミングを合わせ、一斉に一瞬の最大噴射を行う技術。そのときネクストは音速の数倍にまで到達し、至近距離でのその機動力は、まるで瞬間移動でもしているかのような錯覚を引き起こすという。
ラ・イールが、ペンユウの背後に出現した。
タイミングは完璧。速度も最高。加えてこの至近距離。避けられる理由は一つもない。敵の注意が途切れた瞬間、ラ・イールの剣が振り下ろされる。真っ直ぐ一文字の斬撃が、冷え切った空間を両断した。
冷え切った……虚しく広がる空間だけを。
「なっ!?」
思わずパルメットは悲鳴にすら似た声を出す。
真紅の巨人がいない!
つい一瞬前まで目の前にいた、目の醒めるような真紅の装甲が忽然とその場から消え去った。瞬間、パルメットの背筋を悪寒が駆ける。爆発のように膨れあがった猛烈な熱気を感じ取って。
一瞬。致命的なまでに長い一瞬。一瞬遅れてAMSが寓意を放つ。
《肩部損傷!》
「うおおおおあああああ!?」
コックピットを揺るがす衝撃にパルメットが悲鳴を挙げる。
一体いつからそこにいたのか。背後から繰り出された月光色のレーザーブレードが、ラ・イールの右肩を半ばまで引き裂いた。
ラ・イールの背後。カメラアイを不気味に光らす真紅の巨人。
ペンユウ。
――俺と同じ見切りを!?
ようやくパルメットが気付いた直後、心臓を鷲づかみにするような重低音が、彼の体を突き抜けた。
ラ・イールのコックピットが蒸発する直前、最後にモニタに映った物。
それは、空中に放物線を描く、ラ・イール自身の右腕だった。
そこで映像は途切れ、スクリーンにはプロジェクタの待機画面が表示された。駆動音の残響も部屋の暗闇に吸い込まれ、後に残るのは数名の男達が放つ微かな溜息のみ。誰かが思い出したようにスイッチに手を伸ばした。
と、天上の照明が憎たらしいくらいの真っ白な光を放ち、広い会議室を照らし出した。
決して高級感があるとはいえない、合板の長机。クッションの悪い安物のパイプ椅子。そして部屋の真ん中にドンと置かれた機械の塊、プロジェクタ。徹底的にコストダウンが計られた会議室の中にあって、プロジェクタのテクノロジーだけが異様に浮いていた。
オーメル・サイエンス・テクノロジー本社の幹部会議室である。オーメル社ほどの大企業となれば、会議室もまるで宮殿のような凝った造り……と思いがちだが、意外にもそうではない。オーメル社は、会議室なんぞに金をかけることが如何に無駄であるかよく知っている。大企業や、お金を持っている人間ほど、金に対してはシビアな感覚を持っているものである。
若手幹部の一人がプロジェクタのスイッチを止めつつ、重苦しい声で言った。
「映像はここまでです。この後はもう散々で……残存部隊は陣地に逃げ込むのがやっとだったようです」
「パルメットはどうなったんだ?」
老練な幹部が腕組みして踏ん反り返ると、若手幹部は首を横に振り、
「機体の損傷からして即死でしょう」
どこからともなく零れた溜息の中、議長が重苦しい声を挙げた。
「事態は最悪の方向に動きつつあるようだ。聞けば、デューイ・オーディーンは独立国家の建設を目論んでいるという。このリンクスが奴の手駒となることだけは、何としても防がねばならん。
企業を上回る戦力を持った国家……決して存在してはならない」
しばらく誰も何も言わなかった。議長の言うことに反対するものは一人もいない。誰もが同じ意見だった。だが問題は、
「一体、どうやって……」
一人の言葉に、全員が溜息を吐いた。素行に問題はあったが、パルメットはオーメル社最強のリンクスである。彼に合わない機体だったとはいえ、ラ・イールも性能的にはトップクラスと言っていい。それすら打ち破った敵を相手に、一体どうすればいいのか。
「常識的には、大勢のリンクスで一気に攻め掛かりたいところだな」
「だがそれができるだけの余裕があるか? ナンバーレスのリンクス候補では、何人いても足手まといになるだけ。といって、ナンバー持ちがうちに何人残っている?」
「彼がいるじゃないですか。王小龍が……せっかくBFFから転がり込んできたことですし」
「奴は今、入院中だ」
「え? なんで?」
「痔が悪化してな……」
数名の幹部が額を押さえた。
「ま、まあ……リンクスは座りっぱなしですからね……」
「それに、オリジナルとはいえ王はもう歳だ」
「では、ローゼンタールにリンクスを借りるという手は? ミヒャエルなら……」
「すんなり貸してくれるかな。ふっかけられるのがオチだぞ」
「そもそも、今回の強行市場開拓はローゼンタールの影響下から抜け出すためにやったことだろう。それじゃ本末転倒だ」
「奴らなら、『手を貸した見返りに』とか言って、せっかく占領したキャルビンの支配権を根こそぎ持って行きかねんからな……」
そして全員が一斉に溜息を吐く。
見かねた議長は重い口を開いた。このまま放っておいたら、会議が何時間経っても終わらない。
「まあ、こういうことになるだろうと思っていた。そこで諸君には申し訳ないが、私の独断であの男を呼び寄せておいた」
「あの男?」
若手幹部がオウム返しにして……
やおら、椅子を蹴って立ち上がる。そのただならぬ形相を見て、他の幹部たちもようやく事態を理解した。あの男。議長が呼び寄せたという男が一体誰なのか、みなが一斉に悟ったのである。
「まさか、議長!」
「それはミイラ取りがミイラになるというやつです!」
「危険ですよ!」
「だが他にどうしようがある?」
有無を言わせぬ議長の口調に、幹部達はみな息を飲んだ。確かに議長の言うとおりだ。あの男なら、キャルビンのリンクスにも勝てるだろう。だがそれはあまりにも大きなリスクを孕んでいる。あの男は――
と。
こつん。
乾いた靴音が瞬時に全てを凍て付かせた。
会議室の外で響いた靴音。何のことはない小さな靴音。そのはずなのに。
その音一つが世界の全てを支配していた。幹部達はもう何も考えられなくなっていた。たった一つのことを除いては。
来たのだ。あの男が。
こつん。
靴音が、再び。
こつん。
さっきよりも、確実に近く。
誰かが息をすることを思い出した。こつん。途端に心臓が脈打ち始めた。羨望。侮蔑。なにより、恐怖。誰一人身動きできない異常なまでの重圧。こつん。靴音は更に近づく。こつん。もはやすぐ側にある。
こ。
あの薄皮のような黒い防音ドア向こう。
静寂が奔り、そして――
ばんっ!!
「アローハー! お久しぶりです、オーメル社重役ご一同さま」
素っ頓狂な男の声に、幹部達は椅子からずり落ちた。
誰一人楽しそうな顔をしている幹部はいなかった。無理もない。あれだけ緊張させといて、会議室に飛び込んできた「あの男」……オーメルマン・ソーコンは、自分だけニコニコ楽しそうに笑顔を振りまき、
「どうぞこれ、マカダミアナッツです。ビールと一緒にやるとなかなかです」
お土産の箱を配って回りやがるのである。
「おや? みなさん表情が暗いですな。お嫌いですか、マカダミアナッツ」
「お、お前は……」
たまりかねた幹部の一人が安っぽい木目の長机に両手を叩きつけ、
「一体どういうつもりだっ!?」
「は?」
オーメルマンは心からきょとんとした顔をした。その格好でもない。真っ黒に日焼けした肌。服装はド派手な真っ赤のアロハシャツに、なぜか足下は黒の革靴。何を考えているのか、頭の上には麦わら帽子までかぶり、その上に南国の大きな花が一輪、ちょんと可愛らしく差してある。
「どうもこうも、太平洋中央支店に左遷されていたんです」
「それは知っとるっ」
「そしてこれはお土産です」
「それも分かっとるっ! この非常時にふざけた……だいたい、もう少しちゃんとした格好ができんのか!」
「太平洋中央支店(あっち)ではこれが正装ですよ。社員五人しかいませんけどね」
言って一人で馬鹿笑い。もう幹部たちは何も言わなかった。この男には何を言っても無駄だ。
ただ、面白くもなさそうに、議長は例の重苦しい声を挙げた。
「オーメルマン」
「はい。なんでしょう、議長」
「事情は聞いているな?」
「少しだけなら。傍受の危険があるので詳細は教えて貰えませんでしたがね。まあ……」
言いながら、オーメルマンは麦わら帽子のつばに手を添え、ゆっくりと、金色に輝く帽子を持ち上げた。
「だいたい想像はついています」
オーメルマンの間近にいた数人の幹部が息を飲む。帽子の後ろに、彼の瞳が隠れたその瞬間。僅か一瞬だけ、確かに見えた漆黒の輝き。まるで魂の中心を射抜くかのような、恐るべき鋭さを秘めた視線。
だがオーメルマンが帽子を胸元に抱え、パイプ椅子に腰を下ろした時には、既に彼の瞳からその輝きは消え失せていた。ただ、さっきまでと同じ、無邪気な子供のような、楽しそうな目が残るのみ。
「叩き潰して欲しいリンクスがいる」
単刀直入な議長の言葉に、オーメルマンはにこりと笑う。
「そうこなくっちゃ」
「あー」
もー何も考えたくない。
海流に揺らめくワカメのように、フォイエの頭がゆらゆら揺れた。倉庫の隅のコンテナに腰掛け、フォイエは半分眠っている。
目の前では、さっきまでトンネルや旧市街を守っていたMTたちが、広いトタン貼りの倉庫の中を忙しそうに駆け回っていた。あるものは大きな機械部品を運搬し、またあるものは壊れかけたMTを修理する足場に使われている。この倉庫、業者が倒産して放置されていたのだが、鹵獲機を収容するため、デューイの一声で急遽ガレージとして再利用することに決まったのだ
しかし、その戦利品をもたらした当の本人、フォイエはというと、上の空でそれをぼーっと眺めるばかり。
ネクストの操縦は、肉体的にはそれほど重労働ではない。だがその操縦に要する集中力は、想像を絶する。僅か1時間足らずの戦闘でも、フォイエを体の芯から疲れ果てさせるには充分すぎた。
「ばー」
ボンヤリした奇声を挙げるフォイエの目は、今にも融けてしまいそうだった。
なら早く寝ろ、というものだが、今のフォイエにはベッドに行って寝ることすら思いつかない。普段ならカジュがそのあたり的確に突っ込んでくれるのだが、今、彼女はペンユウの後処理にかかりきりである。PAを使わずとも起動するだけで汚染されるネクストだけに、手入れは楽ではない。
「あべー」
そんなわけで、フォイエは左右にフラフラと揺れながら、賑やかな倉庫の光景を眺め続けているのだった。
「なんだ? 死にそうな顔してるな」
と、フォイエの頭上から響く声。フォイエがゆっくり上に目を遣ると、そこにはキャットウォークの手すりから身を乗り出した、一人の男の姿があった。デューイ。手には書類のファイルを抱え、そこに戦利品の数と種類をメモしているようだった。もう片手には冷たく冷えた水のボトル。それを見ただけで、乾ききったフォイエの喉がごくりと鳴った。
「あー……まーね、ちょっと疲れて……」
「だろうな。よくやってくれたよ」
ほっ、と腹から息を吐き、デューイは手すりを飛び越えフォイエの隣へ降りてきた。ほいっ、と水のボトルを投げ渡す。フォイエは危うくボトルを取り落としそうになって、慌ててボトルを握りしめた。ひんやりした水の感触が手のひら越しに伝わってくる。たまらずフォイエはフタをネジ開け、中身を一気に流し込んだ。
水にむしゃぶりつくフォイエを横目に見ながら、デューイは倉庫の中を手で指し示した。
「見ろ、この鹵獲機の数。おかげでリストアップが大変だ」
「どんだけあった?」
問われてデューイはフォイエの横に座り込み、手書きのリストをめくる。そのリストに一瞬目を遣り、ああ、とフォイエはすぐさま視線を逸らした。びっしりと書き込まれた文字の羅列、見ているだけで疲れた頭がくらくらする。
「すぐに使えるものだけでも10機は下らん。少し手を加えればもう10機はいけるだろう。今までの戦力を考えれば大変な量だよ」
「20機かぁ……なんか、もっとぶっ飛ばしたよーな……」
「あのなあ」
寝ぼけ眼を天上に向けながら腕組みするフォイエに、デューイは呆れ顔を向けた。
「何ぼけたこと言ってんだ。半分以上は、お前にぶっ飛ばされて鉄屑同然だよ」
「あ、そっか……そりゃそーだわ」
「とはいえ、壊れた奴も残さず回収しないとな。
パーツ取りに使えるのもあるし、これからはただの鉄屑だって粗末にはできん。企業から独立する俺たちにとっては大事な資源だ」
「企業から独立、か……」
フォイエの頭から、眠気の雲がちょっとだけ引いていった。
そういえば、このコロニーに来た時も、住人たちに向かってデューイははっきり言っていた。ここに新しい国を造ると。
あの時は立腹が先に立って、あまり深くも考えなかった。しかし今思えば、デューイは凄いことを言っている。単にオーメルの侵略から身を守ろうというだけではない。どこの企業の援助も受けず、企業と対等に渡り合えるだけの国家を、ここに造ろうとしているのだ。
それがどれほど困難か。同じ事を考えているフォイエには、よく分かる。
「本気なの?」
「本気だよ。その為に長い間下準備をしてきたんだ。
信用できる仲間を集め、少しずつ戦力を増強し、住民の世論を誘導して……」
「オーメルの侵略にかこつけて、街からGAを追い出して、と」
「人聞きの悪いことを言うな」
デューイは眉間に皺を寄せた。
元々、この地域を支配していたのは、現在の世界で最大の勢力を持つ超巨大企業、GA社である。キャルビンが独立するためには、このGA社の影響下から抜け出すことが絶対に必要不可欠だった。
「俺がやったのは、敵戦力をちょっぴり大げさに報告したことだけさ。あとはGAが勝手に支配権を放棄したんだ」
「ほう。どのくらいちょっぴり?」
「地球総人口に比べれば、ちょっぴり」
ほらこれだ。
フォイエは露骨に嫌悪の視線を向けて、
「この悪党……」
「いやぁ」
「なんでそこで照れるのよ!」
デューイは堪えかねたように、カラカラとよく響く声で笑い出した。一体何が面白いのやら。フォイエはちっとも面白くない。つまんなそうに、胡座を掻いた自分の膝に頬杖を突き、反対の指で髪の毛の端をクルクル回すばかりである。
ふと、フォイエは気が付いた。
隣に座ったデューイが、じっとこちらを見つめている。彼独特の、人の心の中まで見透かしたような、悪戯な瞳で。半ば反射的にフォイエは目を逸らし、思い出したかのように水を口に含んだ。
どだい、フォイエはこういうタイプが嫌いなのである。よく頭が回って、後先のことを何でもかんでも予想していて、あれこれ策を巡らすような奴が。何か成し遂げたいことがあるなら、真っ直ぐやればいい。脇道からチョロチョロ行くようなのは趣味じゃない。そういう性格のフォイエだけに、こういう男は天敵中の天敵だ。
それに、背丈があるのはまあ悪くないにしても、やせっぽちで頼りないのはいただけない。男はもっとこう、モリモリっとしてムキッっていう感じに限る。限るのである。
と、特に関係のない人物批評で頭をいっぱいにしながら、フォイエはぼそりと呟いた。
「……な、何見てんのよ」
「お前が欲しい」
ぶぼわっ!
思わずフォイエは噴水になった。
「……汚い奴だな。水を吐くな、水を」
「げほっ、べ、うべべっ! な、な、ななな!?」
「とにかくな、鹵獲機でいくらか増強できたとはいえ、企業に対抗するには戦力が少なすぎるんだ。ネクストとリンクスの力が欲しい。ここに留まって、俺たちに力を貸してくれないか?」
フォイエは胸を撫で下ろした。口許の水を拭いながら、
「なんだ、そーゆー意味か……」
「ん? どーゆー意味だと思ってたんだ?」
「別にっ!!」
「そうか。まあ、そんなことはいい……」
意味ありげにデューイは間を取り、たっぷりとフォイエに例の視線を浴びせた。フォイエは水を飲むのに熱心な振りをして、辛うじてその視線をかわそうとした。だが甘かった。ボトルはすぐに空になってしまって、もう、逃避の言い訳には使えない。
恐る恐る隣に視線を向けると、デューイの顔は、さっきよりずっと近くにある。吐く息が互いに触れあうほど――
「……で、どういう意味だと思ってたのかな?」
「……あんた、分かってからかってるでしょ?」
「当たり前だ」
い……嫌な奴うっ!!
フォイエが頭に血を上らせていると、デューイはまた、あのよく通る笑い声を響かせた。
と、戦闘の後でシャワーも浴びずぼうっとしていたのが悪かったのか、フォイエの体を寒気が駆け抜けた。ぶるり、と小さく身震いして、フォイエはくしゃみを一つ。鼻をぐずぐず言わせながら、自分の腕で自分の体を抱き擦る。
「うー。寒……」
「ほら」
ふわりとフォイエの肩に温かい感触が舞い降りた。青い、デューイのジャケット。ぎくりとして身を固くするフォイエを、ジャケットに染み付いた男の臭いが包み込む。寒気に震える体にデューイがかけてくれたのだ。
「えっ!? ちょ……」
「シャワーでも浴びて寝てしまえ。まだ敵は一次撤退しただけだ、お前に風邪を引かれちゃ困る」
「待ってよ、これ……」
慌ててジャケットを突き返そうとするフォイエに、デューイはその暇を与えなかった。ひょいっ、とコンテナから飛び降りて、そのままごみごみした倉庫の中に消えていく。結局フォイエは、青いジャケットを肩に羽織ったまま、取り残されてしまった。
男にジャケットを貸して貰うなんて。
フォイエはむっつりと顔をしかめて、
「不覚……」
「とか言いながら、わりかしゴキゲンだよね……」
「どうわあっ!?」
いきなり背後から聞こえた声に、フォイエは1メートル以上も飛び上がった。気配すらなく後ろに忍び寄っていたのは、言うまでもなくカジュである。鶏の檻を消毒するときに使う防護服を、コジマ防護服の代用品にしたらしく、ぶかぶかの白いポリエステルの服から頭だけを覗かせている。
いつものぼーっとしたカジュの目が、いつものそれに見えないのは、フォイエが舞い上がっているせいなのか。あるいは、実際いつもと違っているのか。それは誰にも分からない。
「や、やーカジュ……ペンユウの片付け終わったんだ?」
「うん……」
「で、そ、そのー……いつからそこに?」
しかしカジュは、その問いには答えず、遠い目をして天上を見上げた。
「青春、かあ……」
「ちょっとお!? 何なのよその反応はー!?」
フォイエの裏返った声は、広い倉庫の中に虚しく響き渡ったのだった。
「――眠れない。
何度目とも知れない寝返りを、フォイエは打った。
あてがわれた部屋は充分に快適だった。高級品ではないがちゃんとしたベッドが二つ。丸いテーブルが一つ。冷蔵庫には飲み物のボトルが何本か。無性に喉の渇きを覚えて炭酸水を一本空けたが、落ち着くどころかかえって意識が冴えていく。この如才ない部屋の調度品を見る度に、その準備を命じたであろう男の顔が頭に浮かぶ。
デューイ・オーディーン。
思い出す度に興奮するのが自分でも分かった。それが苛立たしかった。なんであんな男に。
だいたい理由の想像は付いている。元々フォイエは、恋愛だのなんだのとは縁のない人生を送ってきた女である。友達が男の話で盛り上がっている時、フォイエは一人頬杖付いてあくびをしていた。そういう彼女だけに、男に対する免疫は皆無に等しいと言えた。
そんなフォイエに、まあそこそこ顔のいい、年上の手慣れた男が、思わせぶりなそぶりを見せる。
これで何も感じるなという方が無理である。要するに……ただそれだけだ。少なくともフォイエはそう自己分析していた。男に不慣れだったところに、ちょっと声を掛けられて、なんとなく無視できずにいるだけだ。
それが分かっていても、自分の呼吸や鼓動が制御できるわけもない。
せめて息だけでも落ち着かせようと、フォイエは深く溜息を吐き、仰向けになった。天井の模様が作る格子目を、1つずつ数えていく。デューイの顔が薄れていくにつれて、フォイエの頭の中には別の問題が浮かび上がってきた。さっきからずっと、棘のように心に刺さった小さな問題。
フォイエはいい加減うんざりしながらこう思った。
――勝手に人の心理描写をするな」
「分かってんならやるなあぁぁぁぁっ!?」
フォイエは赤面しながら隣のベッドに飛びかかり、カジュにヘッドロックを掛けた。
「だいたいあんたはねぇっ! なんでこー正確に人の考えてること読むかなあ!?」
「だってフォイエちゃん単純……あばばばばぎぶぎぶぎぶ!」
カジュが説明した通りのベッドの上で、二人は心ゆくまでプロレスごっこに興じると、やがて疲れ果ててもつれ合いながら倒れ込んだ。カジュは乱れたシーツや自分のパジャマを直しながら、いつものぼうっとした目で相棒を見つめる。対照的にフォイエは、だらしない下着姿で大の字になっていた。
思わず溜息が漏れる。
「実際フォイエちゃん、気になってんでしょ、市長のこと……そーいう意味じゃなくてさ……」
「……まーね」
この子に隠し事などできはしない。フォイエは観念すると、よっ、と掛け声一つ。起きあがってベッドの上に胡座を掻いた。
「あたしが欲しい、とまで言ってくれるのよね、あいつ。ま、ムカつく奴だけど、それはちょっと、なんつーか、その、うん」
「嬉しいわけだ……」
照れてフォイエがそっぽを向くと、カジュは大げさに肩をすくめた。
「ほんと単純だね、フォイエちゃん……」
「うっさいわねぇ! いーじゃないのよ、褒められたら嬉しい! それが人間ってもんよ!」
「否定はしないよ……それにフォイエちゃんのそーいうとこ、ボクけっこー好きだしね……」
沈黙。
と、
「どりゃあ」
「おべっ!?」
いきなりカジュのドロップキックがフォイエの背中にめり込んだ。カエルが潰れたみたいな声を挙げてベッドに頭から突っ込むフォイエの後ろで、カジュはそそくさとシーツに潜り込んだ。フォイエが背中をさすりつつ振り返り、
「な、何すんのよいきなりっ!」
文句を垂れると、白いイモ虫みたいなのがモゾモゾした。
「ばかー……女の子にこんなこと言わせるなー……」
「あのー、あたしも女なんですけど……」
「ボクは説得力のないことは信じないようにしてるんだ……」
――こ、こいつは……
眉毛をぴくぴくさせながらも、フォイエは一方で嬉しさも覚えていた。笑みを零して、そっとイモ虫の隣に潜り込む。まだ蠢いているイモ虫を、軽く胸に抱き寄せて、柔らかなベッドに体重を預ける。力を抜けば、重力が優しく引っ張っているのが確かに感じられた。
肩の力が抜けたのだろうか。ようやく眠気が鼻先でひらつき始めた。
「ねえ、カジュ……」
「ん……」
「真面目な話、あたし、このコロニーに留まろうと思うのよ。ここなら、あたしの進みたい道に進めるかも知れない、って」
「武士は己を知る者の為に死す」
イモ虫はフォイエにきゅっと抱きついて、
「そういう気持ちになれたなら……それが正解、だと思うよ……」
――あたしもそう思う。
声にならない返事を最後に、波のように押し寄せた睡魔がフォイエを心地よい眠りの世界へ導いた。
遠くの空にぽつんと見えていた黒い影は見る間に大きくなっていった。機体側面と前面に大きく塗装された黄色いマーク、オーメルの社章。一足早く陣地のヘリポートに佇み、飛来する高速ヘリをじっと見つめながら、コードウェル部長は内心の不安を必死に押し隠していた。
隣にはホセがいる。彼に、おたおたした姿を見せるわけにはいかなかった。彼は今、指揮官なのだ。そう、今は、まだ。
「通信じゃなく、わざわざ人を送ってくるなんて……本社はどういうつもりなんでしょうか?」
「私は更迭されるかもしれん」
他の兵たちに聞こえないよう小声で言ったコードウェル部長に、ホセはびくりと肩を震わせた。
「まさか!」
「まさか、なものか。それだけの失敗はした。その時はホセ、お前がしっかりするんだぞ。あのヘリに乗ってる後任の部長は、この部隊になじみがないだろうからな」
「そんな……」
超然とした姿を見せてはいたが、もちろん、コードウェル部長の胸の中は、失意と無念さで一杯だった。長年積み上げてきた今の地位も、この一度の失敗で瓦解するかもしれない。今までの活躍がどうであろうと、本社は容赦しない。会社の不利益になるとみなせば、何の躊躇いもなく切り捨てる。
本社の対応の早さが全てを物語っていた。戦闘開始が昨夜半。一時間強で戦闘は終了し、本社にありのままを報告したのがその直後。おそらくはそれから、緊急の幹部会議が招集され、何らかの決定がなされ、それはすぐさま行動に移された。本社からの連絡員を載せた高速ヘリが到着するまで、僅か8時間ばかり。本社とこの陣地には5時間の時差がある……それほど距離が離れていることを考えれば、これは驚異的な早業である。
よほど本社は事態を重く見たということだ。それもそのはず。一個師団級の戦力の、およそ7割が壊滅し、ネクストはリンクスごと敵に奪われた。たかが人口数万人のコロニー1つを相手に、である。
恐らく、本社はこの戦場にこれ以上戦力を投入するのは無駄と判断したのだ。新任の部長の指揮の下、安全に撤退する算段がなされることだろう。そしてコードウェルは……
どんなことになるやら、想像も付かない。
溜息を吐いたコードウェル部長のジャケットを、ヘリのローターが起こす猛烈な旋風がはためかせた。着陸した高速ヘリは、ゆっくりとローターを止めていく。すっかり風も収まった頃、思い出したかのようにヘリのドアがスライドし、中から一人の男が姿を現した。
「ほお。左右は山、足下には道路。地の利を生かしたいい陣地だ」
見覚えのあるその顔に、コードウェルが目を見開いた。
「お前か!? オーメルマン・ソーコン!」
「どうもお久しぶりです、コードウェル課長……おっと、今は部長でしたか」
にこやかな笑みを浮かべながら降りてきたのは、ダーク・グレーのスーツに身を包んだオーメルマンだった。陣地の様子を物珍しそうに眺めながらコードウェル部長に歩み寄り、流れるように右手を差し出す。が、コードウェル部長は握手するそぶりすら見せなかった。
「まさか、お前が来るとはな……」
その露骨な嫌悪の視線に、気付いているのかいないのか。オーメルマンは手を引っ込めながらも、上機嫌に笑うばかりだった。
「お知り合いなんですか?」
横から口を挟むホセに、オーメルマンは大きく頷いた。
「戦友だよ、解体戦争のときのね。君もよろしく、ホセ部長補佐」
――戦友? どの口で。
白々しく言ってホセと握手するオーメルマンを、コードウェル部長は苦々しげに睨むばかりだった。確かにかつての部下、同僚ではある。しかし正直に言って、オーメルマンに対して友情と呼べるようなものを感じたことは、ただの一度もない。あるのはただ嫌悪。不気味さ。そしてなにより……
恐怖。
忌々しい過去の記憶を打ち払うように、コードウェル部長は強い口調で問いかけた。
「お前が後任というわけか……やはり私は更迭されるんだな」
「更迭? それは違いますね……」
何気ない。
全く何気ない口調で答え――
オーメルマンは銃を取り出した。
「処分、ですよ」
銃声。
しばらくの間、誰も何も言えずにいた。
案外軽い破裂音が、どこまでも木霊していく。減衰しながら、潰えながらも、決して消え去ることのない音の残響。それはその場にいた全員の心の中に、決して消えることのない波紋を描いた。じわじわと広がり、消えることなく増幅され、やがて心の全てを支配する、波紋。
「と、いうわけで」
平然としているのはただ一人。
「諸君はたった今から私の指揮下に入る。よろしく頼むよ、オーメル社強行市場開拓部のお歴々」
「ち……ちょっと待ってくださいよ!」
銃をしまいながら涼やかに言うオーメルマンに、真っ先に異議を唱えたのはホセだった。声が震える。足が動かない。それでもホセは叫ばずにいられなかった。足下には一つの亡骸。急速に体温を失っていくコードウェル部長の死骸。
口うるさいが、ホセにとっては熱心な教師でもあった。その事実が恐怖を押しのける。
「滅茶苦茶だ! どうして部長が殺されなきゃいけないんですかっ!? だいたいあなた……本当に本社の辞令を受けてるんですかっ!? いくらなんでも、本社がこんな命令を出すとは思えませんっ!」
その吠えるような一声で、辺りを取り巻き完全に凍り付いていた兵士たちが、思い出したかのようにざわつき始めた。険悪な雰囲気が膨れあがっていく。中には警戒し、ライフルの安全装置を解除し始める兵すらいる。その敵意の視線を一身に集めながら、それでもオーメルマンは芝居がかった調子で頷くばかり。
「なるほど、うんうん。君の言い分はもっともだ。しかし異議があるというのなら、私ではなく――」
その指が。
音もなく、頭上の空を指さした。
「あれに向かって言ってくれるかな?」
瞬間、
ごうっ!!
突風と轟音とが、その場の全員を薙ぎ倒した。
上空の遥か高みから、突如飛来した一つの影。純白。直視できないほどの純白。全長10mはあろうかという巨大な白い塊が、バーニアから青白い炎を迸らせて、ゆっくりと地上に降りてくる。その足下に両腕を掲げ、オーメルマンはうっとりと立ち尽くす。
「美しい――」
思わず零れたその呟きが、ホセの痺れた耳に辛うじて届いた。
もはや誰もが悟っていた。地に倒れ伏し、起きあがることもできぬまま。力こそ全て。武力こそ権力。ならば、何千、何万、いや何億の人間が集まろうと、決して打ち勝つことのできぬ力があれば――それはもはや、神にも等しい。
ネクスト。純白の。
「さあ諸君。聞こうか、君たちの言い分を!」
誰も何も言えなかった。言えるはずがなかった。いようはずもない。目の前にネクストの姿を見せつけられて、逆らうことが出来る者など。
白々しく辺りを見回し、おやおや、なんて呟くオーメルマンだって、そんなことは百も承知のはずだ。異論一つなく静まりかえった周囲の様子に、彼は満足そうに頷くと、やがてひれ伏すホセのそばにゆっくりとしゃがみ込んだ。
「ま、そうカリカリするものじゃない。こう考えてみたらどうかね? 上の席が一つ空いた分、自分の出世が早くなったんだ……とね」
ホセは拳を握りしめ……
しかし、それ以上何もできなかった。
「ふふ……これで私も、口うるさいのに煩わされず、存分にゲームをエンジョイできるというものだ。
楽しみだなあ? ははははは……ッハハハハハハ!」
身動きする者すらいない陣地の中に、豪快な、しかし狂気を孕んだオーメルマンの笑い声だけが、途切れることなく響き渡った。
髪を梳かすのに使う時間がいつもより3分長い。エレベータの「閉」ボタンを無意味に三回連打した。窓に映った自分の姿にちらりと目を遣り、毛先をちょちょいと直してた。
フォイエの後ろをチョコチョコついて周りながら、カジュはじっくり観察していた。朝から彼女はうろうろそわそわ、落ち着かないことこの上ない。昨夜ああして決意したはいいものの、やっぱりデューイ本人にその気持ちを伝えるのは気恥ずかしいらしい。いやはや、普段あれほど女らしさの欠片もないフォイエだというのに、人間というものはなかなか分からないものだ。
もはや気分は珍獣の観察である。カジュは腕組みして一人満足げに頷いた。
「ま、これも一種の社会勉強だよね……」
「何か言った?」
「司令室、通り過ぎたよ……」
「う」
冷静なカジュの指摘に、フォイエはぴたりと足を止め、ぎこちない動きでUターンした。
「なんですぐ言わないのよぉ」
「何事にも予習は大事かなと思って……」
「……へ?」
「ううん、こっちの話……
多分何の役にも立たないと思うけど、とりあえず応援はしてるから……上手くいくといいね」
「なっ……!?」
別に何をとも言ってないのに、フォイエは一人でまともに顔を赤くした。
「何勘違いしてんのよっ!? あたしは別に!」
「勘違い……? ボクはただ、今後の仕事が上手くいくといいねって言っただけだよ……」
「え、あそ、そお。いやまあ、どーでもいいけどさー」
「あ、デュ……」
とカジュが言いかけると、フォイエは弾かれたようにカジュの視線の先に振り向き、そこにあった壁のでっぱりに思いっきりおでこを激突させた。
沈黙し、頭をさすりながら座り込むフォイエの隣に、カジュはちょこんとしゃがむ。
「……デュレイクっていうローゼンタールのノーマルは実に名機だよね……」
「何の話じゃああああああ!?」
「世間話……」
ツバを飛ばしてフォイエは絶叫した。その慌てっぷりというか、動揺っぷりに、カジュは思わず僅かに顔をほころばせる。
――からかい甲斐があるなあ……
と、その時。
突如、地が裂けるかのような振動が、足下からフォイエたちを突き上げた。
「単騎で突撃!? 冗談じゃないぞ!」
中央塔への道を黒のワゴンで疾走しながら、デューイは声を荒げた。電話の向こうで報告している部下だって同じ心情だったろう。
状況は混乱していた。突如の振動。一撃でドームの一部を粉砕した閃光。もたらされたネクスト襲来の一報が、コロニー中を駆けめぐる。こうなると心配なのは住人たちの反応だった。デューイは右手でハンドルを、左手で電話を、それぞれ器用に操りながら、大通りの様子をめざとく窺っている。
幸い、街にパニックらしいパニックは起こっていない。すれ違う人も車も、緊張こそすれ平静を保ち、それぞれ与えられた役目へと、日常の延長線上にある戦争へと向かっている。
昨日の戦闘の最大の成果がこれだった。フォイエの戦いが住民の意識を変えてしまったのだ。企業の一個師団も、破壊の化身たるネクストも、もはや抗えぬ脅威ではない。少なくとも一方的な殺戮に甘んじることはない。自分を守ってくれる軍事力に対する信頼が、今の住人たちにはある。
「……分かった、とにかく静と中央塔に向かってる。フォイエは? もう出た? くれぐれも深入りするなと伝えろ、気をつけるんだ」
自分の言葉の節々に、苛立ちの色を感じ取りながら、デューイはストレスを電話のボタンにぶつけた。苛立ち……いや、焦り。デューイには分かっていた。
なぜだろう。住民たちに混乱もなく、戦力も充実し、戦いに望むには万全なはずの今。
不安が、消えない。
「ずいぶん慎重ですね」
助手席に乗っていた女性幹部が眉をひそめた。デューイの秘書のようなことをしている女性で、名前は北条静という。
「妙だと思わないか? なぜたった一機で来た? オーメルはナンバーワン・リンクスを失ったんだぜ。普通に考えたら次は数で押してくるはずだろう」
「その余裕がないんじゃないですか?」
静があっけらかんとした意見を述べる。確かにそれは考えた。ネクストといえば、たとえ企業の莫大な資産をもってしても高級品である。おいそれと動かせるものではない。急なことで、フォイエに対抗しうるだけの数を集められなかった、というのはあり得ることだ。
「それならそれで、この場は時間稼ぎの策を打ち、充分な準備が整うのを待つ手もある。少なくとも俺ならそうする。
時間が足りないからといって戦力を逐次投入するなんて、下策も下策だよ。負けると分かっているのに運任せでギャンブルを続けるようなもんだ」
「そこまで考えていなかったとか」
「どうかな……あれほど費用対効果に敏感な企業がか?」
もし……もし、企業が何らかの意図を持って単騎突入という愚行にも取れる戦術を採ったのだとすれば?
――フォイエ、突っ走らなければいいが……
はっ、とデューイは顔を上げた。いつの間にか視線はアスファルトに吸い込まれるかのように俯き、頭上の信号機のことなど全く見てはいなかった。赤信号を思いっきりぶっちぎってしまったことに気付いて、思わず後ろを振り返る。幸い横からくる車はいなかったようだ。それに、隣の静も別段気にした様子は見せていない。
自分でも信じられないことだ。いや、別にあの女を心配していたわけではない。彼女の力は失うには惜しい。それだけだ。
都市の上空を一息に飛び抜け、ペンユウは南ゲートへと突入した。目の前に真っ直ぐ開けた闇の道を、一直線に進んでいく。フォイエの類い希な動体視力が途中で手を振る整備の男達の姿を捉える。返事をする術はなかったが。
「ありがと! 頑張るわ!」
『何……?』
「応援されちゃった」
嬉しそうに顔をほころばせるフォイエに、モニタの向こうでカジュが肩をすくめる。良かったね、とその目が言っている。フォイエ以外にはいつものぼーっとした半目にしか見えないだろうが。
『ボクもノーマルで援護に出るよ……しばらく保たせてね……』
「オッケー。でも間に合わないかもよ」
『……油断しないで。一機で来るって普通じゃないよ……何かあるかも』
「そんときゃそんとき! システムエンゲージ! ペンユウ出るわよ!」
と叫んだ瞬間、トンネルの闇が一気に弾けた。キャルビンのNBC防御ドームの切れ間から、真紅の巨体が矢のように飛び出す。ペンユウは空中で制動をかけ、レーダーに映る敵の影を真っ正面に捉えつつ、荒野の真ん中に降り立った。敵ネクストが放つ敵意の視線から、キャルビンのドームを庇うかのように。
「さあっ! ケンカ売ったのはあんたか! ……って」
コンソールに手を添えて、フォイエは思わず眉をひそめた。数百メートル先、ネクストにとっては既に戦闘距離だが、そこに立っている白い影。その異様ないでたちが朝日を浴びて銀に煌めく。
恐らく二足歩行なのだろう。巨人型とも呼ばれるヒロイックな体型に、鋭く尖った頭部のバランサー。大きく張り出した肩からは、左右一対の衣のようなものが広がっている。それが白いネクストを包むように、幾重にもヒダを作って絡まっていた。
いや、違う。
ヒダに見えるのは小さな薄片の積層構造。
やがて巨人が気だるげに身じろぎすると、白の衣が胸元からはだけ、遥か天空へと羽ばたいた。
そう――衣などではない。
ネクストの背に生えた、天使の如き純白の翼。
「……なんじゃありゃあ」
フォイエは眉を跳ね上げた。翼。翼を持つネクスト。恐らくあの翼も単なる飾りではなく、何らかの効果を持つパーツなのだろうが、それにしたって無駄にも程がある。
『美しいだろう? 私のネクストは』
翼のネクストからの通信。フォイエは溜息交じりに答えた。
「どういうセンスしてんのよ……」
『なんだ、分からないのか? 君があの時のレイヴンなんだよな? 本当に強いのかね、幹部どもが言っていたほど』
「さあね。試してみれば?」
『なるほど。それは名案だ』
言って――
翼のネクストが一歩踏み込む。
フォイエは口の端に笑みを浮かべた。カジュは心配して援護に出るとか言っていたが、その必要などありはしない。遅い。敵の動きが手に取るように分かる。自分の反応速度が敵のそれを上回っている証拠。
――一撃で片が付く!
意識の芯を研ぎ澄まし、フォイエがコンソールに指を踊らせ――
荒野の瓦礫が僅かに動き、小石がころりと転がり落ちた。
そして再び沈黙。ややあって、渾身の力を込められた腕が、下から瓦礫を押し退けた。墓穴から這い出すゾンビのように、よたよたと姿を現す真っ白な人影。全身にこびりついたコンクリートの欠片やら砂粒やらを、鬱陶しそうに手で払いのけ、大きく咳き込み、深呼吸する。
滅茶苦茶な色に染め分けた髪も、今では埃まみれの白一色だ。
「どぁーっ! 死ぬかと思った!」
リッキー・パルメットは叫びながら瓦礫の上にへたり込んだ。全く間一髪だった。フォイエが繰り出したレーザーブレードの一撃に、コックピットが蒸発させられる直前、偶然にもラ・イールの脱出装置が働いたのである。そのまま外に放り出されたパルメットは、数メートルの高さから地面に転がり落ち、あえなく気絶。さらにその上には、ラ・イールが倒れたとき飛び散った大小さまざまの瓦礫が積み重なり、コロニー住民たちの捜索から隠してくれたのだ。
よくこれで生き残れたものである。
「奇跡ってやつかなあ……一生に一度もんだぜ、こりゃ。今後の人生は大事にしよっと」
と、空を見上げながらボンヤリ呟いたパルメットの耳に、聞き慣れた高音が聞こえてきた。弾かれたように音のした方に目を向ける。聞き間違えるはずもない。子犬が啼くようなこの音は、コジマジェネレータの駆動音。ネクストが近くで稼働している。
パルメットは疲れた体に鞭打って、すぐそばにあった大きな瓦礫の上によじ登った。状況を確かめなければ。たった今、今後の人生を大切に生きようと決めたばかりである。ネクストが戦っているなら、状況をよく見て、上手く立ち回らないと死に直結する。
瓦礫の上にひょっこり顔を出し、パルメットは――
もう少しで滑り落ちる所だった。
「な……!」
体中から血の気が引いていった。ウソだろ、という言葉が頭の中を駆けめぐる。あれが。あんなものが。あんなものがここにいる。
パルメットの視線の先には、対峙する二機のネクストの姿があった。
紅のペンユウ。
そして――
羽ばたく、純白の翼。
「何考えてんだ!? 社長か!? 議長か!? あんた世界を滅ぼす気かよ!!」
冗談ではない。本社はあんなものまで……あんな人まで持ち出してきた。世界を滅ぼす。思わず口を吐いた言葉。決して誇張などではない。十年前、解体戦争が勃発したまさにその日。パルメットはそこにいた。あの白い翼のそばにいた。
と。
白い翼のネクストが、打ち込みをかけるそぶりを見せる。
それに素早く反応し、紅のペンユウがカウンターをかけた。申し分ない速度。目にも留まらぬ機動。完璧なタイミングで繰り出される左腕のレーザーブレード。だがそんなもの。あの白い翼の手にかかったら!
「やめろっ! そいつはヤバいんだ!!」
悲痛な叫びも届かない。
《黒》。どこまでも《黒》。
ネクストがこの世に生を受けて、はや11年が過ぎた。ネクストには欠かせない制御システム、AMSだって改良を重ねられ、今では第三世代に到達している。ファンタジックな寓意。広がる《お花畑》。飛び交う小さな《アブ》。それが第三世代のほのぼのしたAMS。
だがこいつは違う。
あるのはただ《黒》。そして時折混ざる《青》。
懐かしい第一世代AMSの調子を見ながら、男は不機嫌にコンソールをタッチした。色とりどりのヘクスパネルが不思議な幾何学模様を描く。最後にここに座ってから、もう何年になるだろうか。解体記念日が十年前だから、そう、十年間……
「懐かしいなあ。覚えているか? 十年前のあの日、二人で戦場を駆け抜けた……」
これが、有無を言わさず上司を銃殺する男の声だろうか。
まるで恋人に語りかけるかのごとく、優しく、柔らかく、男は囁いて、AMSモニタを撫で回す。指の腹を触れるか触れないかの瀬戸際に留めて。尖った爪の先をフレームの角に這わせて。黒ずんだ淫欲すら込めて、彼は愛機を愛撫する。
「綺麗だよ、お前……」
とろけるような声で愛を囁く。
やがて男は、背筋を伸ばしてモニタに目を遣った。
『フォイエちゃん!? 返事して! フォイエちゃんっ!』
少女の声が通信に紛れ込んでくる。聞き覚えのある声だ。カジュ・ジブリィルか。そしてフォイエ。このレイヴン……いや、リンクスの名はフォイエ。
「やれやれ。せっかくお前に乗れたっていうのに、これじゃあ余りに……」
つまらなそうに。
心の底からつまらなそうに。
愉快と退屈以外の判断基準を持たない男が、翼のネクストの腕を振るわせる。
ただそれだけで。
その腕に頭を引っ掴まれていた真紅の巨人が、ガラクタのように転がった。
――一撃で片が付く。
片は付いた――予想通りに。
『フォイエちゃんっ! フォイエちゃん……やだ……フォイエちゃん!!』
叫びも虚しく。
オーメルマンは、ぼそりと呟いた。
「これじゃあ余りにつまらなすぎる。
なあ? 私の可愛い『シーザリオン』よ」
(続く)