ARMORED CORE V - 形骸-

      1

「発掘ってのは面白い作業でさ」
 ほざくのはベイズで、奴は茜色の空の下、土埃色カーキの掘削メクを操っている。その操腕テクときたら惚れ惚れするようだ――二年前までシティで高精密市庁舎の組立に従事していただけの事はある。マイクロフレッチャの孔を通す動作精度が発掘という偉大で粗雑な作業に必要かは別として。
「このごろはやれ露天掘りだ、Ra:VENの縄張り争いだ、企業論理だ」
「みんな生きるのに四苦八苦なんだよ。システムの複雑化は維持管理の困難を生んで――」
「維持したいかい……。維持したいようにすればできるかい……」
「できると思うよ」
「なら、おいらとお前は価値観が違うな。例えばよ、発掘だ」
 ぼくは無言で作業の続きに取りかかった。ベイズが掘り散らかした土砂を、邪魔にならないよう避けておく大切な仕事だ。これをする者がなければ、彼は遠からず自分が積み上げた土と岩とに埋もれてしまう。
 無言になったのは、何百回と聞いた耳タコのたわごとをうやむやの内に聞かずに済まそうとして、物の見事に失敗したからだ。どんなに腕が良かろうと、ベイズにはこの衒学癖があるから、組もうという人間はぼくしかいない。
「流行の露天掘りなんぞせず、こうして縦に縦に掘っていく。と、層が見えてくる。歴史の層、技術の層、地球の表面グローバルコーテックスを覆う層状レイヤード教訓」
「昔は良かったってんだろう」
「精神論じゃねえや。見ろや小僧、これ何に見える……。アクチュエイタ、だぜ。ちっぽけな歯車のようにしか見えまい。このサイズのアクチュエイタを、何万と組み合わせる。人型にする。あら不思議、超弩級メクのできあがり、さ。アクチュエイタ複雑系ACS、とおれっちは呼んでいる」
「今の技術じゃ組立できないから――できても動かせるだけのエネルギィがないから――」
「まっこと、そのとおり。それほどにビッとしてパッとしてたご先祖様方が、どうなった……。素晴らしくきれいさっぱり自滅して、土の下。これがほんとの墓穴を掘る」
 ケラケラとベイズは一人で笑うが、ぼくはさっぱり面白くない。土砂のより分け作業がはかどった。
「そ れも一代だけじゃないんだ。層は下に行くほど高度技術になる。逆に言や、上に行くほどヘボい技術が積もっていく。人類てえやつは、沢山の文明を悪い意味で 過去の物に変えながら、滅びて、なんとか生き繋いで、その繰り返し。挙げ句が地表面の9割6分を汚染されたこのざまさ。だがね、小僧。どう思う……。ご先 祖様が、自分たちの技術を、文明を、命を、維持したがらなかったと思うかい……」
「そんなこと言って虚無的だから、市長に目を付けられるんだよ」
「違うな。おれは、維持するなって言ったんじゃない」
 ベイズの声にはどこか、寂しげというか、戸惑いというか――違う。恐怖とか、そういうものが入っているように聞こえた。
「維持するまでもなく、実はもう、全部終わってんじゃないか、って言ったのさ」


      2

 ぼくとベイズは仕事を終えてコンドミニアムに戻ると、自家用のホーヴァに着替えて街に繰り出した。紋章通りクレストの片隅にあるバー《ウエソ》は、名実相応を地でいっている。杭状階ピロティにホーヴァを停めると、上からぶら下がる白骨さながらのケーブルが天井に直結する。
「おつかれさん、くそったれども」
 そのとたん、トリッガァの低音が歌のように聞こえてきた。彼は同時制御は大したもので、作業機械なら同時に2つ、マシンアーム程度なら十以上を容易く扱ってみせる。で、ついたあだ名がダブル。ダブル・トリッガァ。
「どうだった……。稼ぎは良好……。我が店に落とす金は唸ってるかね……」
「変な物を見つけてさ。ACアーマードコアに似てるんだけど」
 とぼくは言い、バーボン構成体ストラクチャをダブルで注文する。酩酊の頭脳に入り込んでくることといったら、倒木の奥深くまで菌糸を伸ばす茸のようだ。ところがぼく以上に素早く酔っぱらったベイズが、またも一人で笑い、
「うねうね」
「黙っててよベイズ、話してるんだから」
「ACなもんかあ。U.S.なんちゃら」
「何の略……」
 と、トリッガァが不思議そうに訊くのも無理はない。
「分からないんだ。ただ、黒くてACに似たものだったんだけど、肩のあたりにエンブレムがあった。大半は削れてたけど、分かったのは、鷲のマークと、それから」
「りんりん」
「黙れったら。下に文字があって、一語目はUnited。次はSから始まる単語で、三語目は最後が小文字のca。丁度その間が装甲ごと抉られてて」
「ACじゃないのかい……」
 と、ちょうどその時、TVのアリーナ・チャネルにACが映った。
「レイヴンだ」
 ベイズが唸る。
 レイヴンはRa:VEN、下層暴徒・即是・各種強奪者群Rabbles id est Various Extortioners' Nest。ミグラントの中でも特にたちが悪い。ACは彼らの武器であり、他の力ない者達にとっては恐るべき搾取者でもある。
 画面の中でACが跳んだ。ビルを蹴った。地上オーヴァグラウンドの美しい建造物が一蹴りで半壊し、代わりにACは反作用を受ける。メク全体を数倍の速度まで引き上げる、恐るべき加速作用だ。それだけの力積を浴びてもびくともしないのが、遺失技術の遺失技術たるところ。
 画面が光った。ぶっ放した。
「銃閃だあ」
 楽しそうにベイズが叫ぶ。ぼくは眼を細めた。撃たれたトラックが、列車が、作業メクが、灰燼に帰していく。見ちゃいられなかった。神経伝達の一つ一つに絡みついていた菌糸が、触手を引っ込めていく。
「消してくれよ」
「壊しろ、壊れるった、はっはあ」
  まだ歓声を挙げているベイズを無視して、トリッガァがチャネルを変えてくれる。毒にも薬にもならない音楽チャネル。あれほど愉快そうだったのに、ベイズは 文句一つ言わない。ぼくの予想では、たぶん彼も、本音では楽しんでなんかいなかったんだろう。思ったことを思ったように言えない、そのくせ喋りたがり、寂 しがり。
「ミグラントってよ」
 と、ベイズはビアに溺れながら言う。
「壊すだろ。亡骸を金にするだろ。だから火器管制機構FCSがもっぱら特別製なんだと。弾を当ててぶっ壊したとき、いくらになるか教えてくれるんだと」
「へえ」
「音がするとよ。ちゃりぃん、てよ」
  それっきり、ベイズは静かになった。静かに、構成体の残りを取り込んでいくだけだ。ぼくはベイズのそばに居てやった。彼がぼくと出会う前、どうであったの かは知らない。知りたいとも、知るべきだとも思わない。性格も合わない。互いにむかつくことばっかりだ。それでも一緒にいるのは、たぶん、こういうところ が一致するんだ。
「掘り出したACのような何かは」
 ぼくは誰にともなく呟いた。
「中に不自然な空間がある。胴体と、腕や脚のところにまで伸びてる。ちょうどACを、そのまま全長2m弱まで縮小スケールダウンしたような何かがすっぽり収まる形。あんなのはACにはないし、そもそも、乗るところがないんだ」
「自律機械……」
「違うと思う」
 首を捻るトリッガァに答えるうち、ぼくの中でわだかまってるだけだった考えが形になっていく。
「あそこには制御機械が入るんだ。メクを暴れさせないための何か。ACにはそれが欠けている」
「中空だっ」
 突如としてベイズがわめきだした。ぼくはもう、これ以上彼を制御したいと思わなかった。好きなだけ大声を挙げていりゃいい。
「中空だっ。からっぽだっ。がらんどうだっ」
 狂ったように。
「詰まってる……。ばあっ。あるはずの物を無くして、テクで埋めた。結果はどうだい……。答えろ。答えろよ、この野郎っ」
 その叫びは誰に向けた物だったのか。ぼくには分からないが、少なくとも、構造体のおかわりを頼んだのは確かだった。


      3

凝り性アーティスト
 と訳知りユーティライネンに言われたのは、きっと最大級の賛辞だったに違いない。
「トリッガァに聞いたよ。なんか、掘り当てたって……」
「それがどうしていけないのさ」
「褒めてるのよ。無知、無謀、無謬。とびっきりの不運とどうしようもない幸運。私んとこに持ってきたのは大正解」
 彼女の店は繁盛している。ぼくらと話す間にも、レジスタァには買い物客が行列を作っていく。彼らはユーティライネン超弩級商店ウルトラマーケットの固定客であり、とどのつまり間接的なぼくらの客でもある。この店に陳列されてる食料品やら修理部品やらは、先週あたりにぼくらが掘り出したものだ。
「発掘無しに世の中は成り立たない。故にRa:VENも企業コープスも躍起になって奪い合うのね」
 訳知りのマシンアームがキィを叩くと、レジスタァがチンと啼いた。客はたっぷり一週間分の量子連結素子ネクサスを抱えて去っていく。
「でも、中にゃあとんだ爆弾もあらぁ」
「爆弾……」
「文化的爆弾。技術的爆弾。情報的爆弾。ブゥゥゥム」
「ベイズ、あんた、まだ酔ってるのかい……」
 このところ何かから逃避するように酔いどれているベイズに、ぼくはほとほと困り果てている。仕事に出れば掘削機をひっくり返す。家に帰ればホーヴァのエンジンを吹っ飛ばす。真面目な話はことごとく茶化す、だ。
 行列が一通り片付いた辺りで、唐突にユーティライネンはレジスタァをひっくりかえし、その裏側のスイッチを押し込んだ。
「なに……」
「防諜アーマー。K粒子。不可視の物理的/電磁気的防壁」
「なんかおおごとみたいだね」
「おおごとは音もなく忍び寄ってくる。虎みたいなもんよ。だから恐ろしい。なのに分かってないのね、首もとまで牙が来てるってるのに」
 彼女が本気だと知って、ぼくの背筋には悪寒が走るようだった。変わらないのはベイズの浮かれた声だけだ。彼は知っていたのだろうか。あの黒いACもどきが、どれほどヤバい物であるか。
 ユーティライネンは規格外ディソーダーの高圧縮微細演算子を差し出し、
「あなたたちは物を手放す。私は金を手放す。それでおしまい、何も無し。物無し、後腐れ無し、記憶無しよ。つまり他言は厳禁ということ。いい……」
 ぼくは怯えたように肯定のジェスチャァを送るしかなかった。

 づっつつつっっっつつっっつつつつつつっつつっっっっっつつつっつっっっつ。
  そこ/ここは四六時中そんな感じだ。彼/彼女/それ/あれはうんざりしながら永遠の怠惰を生きている。結婚は人生の墓場。有頂天は転落の門。何しろ随分長 くここにいるものだから、どれほど最初熱狂したかも忘れて、3万回以上も見返した映画をまた見るように生きるしかなくなる。
「キャッロりぃ〜ん」
 彼/彼女/それはACの精細三点測量カメラを覗き込みながら相棒を呼んだ。
「はい、主任」
「大ニュース大ニュースっ。見つけちゃったよボクちん」
「例のAD世紀の……」
「ところが、それだけじゃないんだなぁ」
 彼/彼女/それに笑うという感情はない/ないはず/ないかもしれない。長い時を経て、どうしようもない退屈の果てに、ひょっとしたらあれもまた変わっていくのかもしれない。そう思えたきっかけ、彼/彼女/それが発見したのは、そういうものだ。
「訳知り顔の亡霊ファンタズマさぁ」
 づっつっっつつっつっつつつっっっっっつっっっつつつっつつっっつつつっつ。


      4

 発掘ポイントは長持ちしない。というのも、穴掘りストーンファングはみんな、良い獲物を探して日夜目を腫らしているからで、ぼくらが見つけたところも、翌朝には同業者で溢れかえり、地面が見えないほどだ。
「なぁんでぇ、こん畜生。どっから湧いた……」
「邪険にするなよぅ、ベイズよぅ」
 ばかでかい掘削刃ドーザァブレードを構えて掘る気満々の発掘屋が馴れ馴れしく言う。ゴサクとかなんとか言う奴だ。何度かトリッガァの店で見かけた顔ではあるけれど。
「蛇の道は蛇、困ったときはお互い様、魚心あらば水心」
「手前で言うなぃ」
「まあ、まあ、ベイズ」
 ぼくは暴れ出しそうになるベイズの掘削アームを素早く抑え込んだ。腹は立つけれど、自分らだけで占領しようというわけじゃなし。確かにお互い様でもあることだし。
 どっかで穴掘りが歌っている。
 ――ひとぉつ掘ったら
   夕餉が食える
 そのうち調子っぱずれな旋律に便乗する歌声が集まりだし、
 ――ふたぁつ掘ったら
   ウォッカが飲める
   みいっつ掘ったら
   女が抱ける
 いつの間にか大合唱となったそれを、ベイズは不機嫌に聞いている。だが彼の掘削メクがリズムに乗せて土を掻くのを見ると、さほど不機嫌でもないのかも。
「ACだあっ」
  掘りに掘って昼が過ぎた頃、浮かれた声が無差別発信された。大勢の穴掘りがこぞって見に行くと、確かに、上半身の半ばまで土に埋まったACが穴の底にい る。金星を上げた当人の無邪気な喜びようが印象的だ。たいがいの野次馬は嫉妬や賞賛の唸り声をあげるが、ベイズは冷淡に一瞥したのみ。
「ただのACじゃねえか」
「でもひと月分の稼ぎだよ」
「そんなら、ひと月稼ぎゃいい。なんてこともねえや」
「あんた、何、探してんだい……」
 ぼくは兼ねてからの疑問を、とうとう口にした。
「何って……」
ACぶき素子くいものを掘りたいんじゃないんだろ……。そんな感じだよ、あんた」
「お前には話さん」
「どうして……」
「知らない方がいい、小僧。お前にはその権利も義務もない」
 頭に来た。
「偉そうにっ。あんた、そうして何もかも隠してさ、自分一人で合点して、神様ネスト超人ドミナントにでもなったつもりかい……。権利、義務、そんなもんがなきゃ、あんたの事情に触れられないのかい。ぼくら、相棒じゃないのかよ、糞爺っ……」
 ぼくは何を口走ってるんだろうか。戻って自分の作業に没頭するベイズは困惑しているように見える。思ったことを思ったように言えない。ベイズのことをそう表現したけど、人のことを言えた義理なのか。ぼくときたらどうだ。思っていることを思ったように思えない。
 ぼくも自分の仕事に戻った。
 それからずっと無言だったが、だからといって作業に支障を来すことはなかった。


      5

 世界は死に腐り、二度戻らない。ぼくらは生きる。地を這い、地を掘り、地に潜り。暖かな揺籠クレイドルはもはや無く、築き上げた蜂巣ビーハイブは砕け散り、ぼくらはここに立つしかない。
 なのに、そいつは襲来した。
 爆発。
「現実だあっ」
 遠くで喚く穴掘りの声。
「現実が襲ってきたぁっ」
 白光。轟音。夕闇の空、切り裂き奔る曳光弾。発掘に窪んだ谷間を黒い巨体が駆け抜ける。掘削メクを、掘削刃を、とどのつまりは穴掘りを、塵屑のように蹴散らし飛んでくる。
 Ra:VEN。
「CQ、CQ、こちらピンチベック。発掘作業員諸君おつとめご苦労。ずいぶん調子良さそうだねぇ」
 ぼくが辛うじて掘削孔から外を覗き見ると、黒いACは発掘品満載のトレイラァを見つめてうっとりしている。
「何の用……」
 震える声で訊ねた穴掘りが2ミリ秒ほど間を開けて吹っ飛んだ。
「この野郎っ」
 別の穴掘りが掘削刃ドーザァで殴りかかる。横手から突っこんだのに、気が付けばACは背後。悲鳴は挙がらない。挙げる暇もない。静かなもんだ。砕け、ばらばらになり、もう直らない。
 それが調子者のゴサクなのは死んでから気づいた。
「やめてくれぇっ。何が欲しい、発掘品か……。場所ショバか……」
「うん、あと、それから」
 Ra:VENは言って、命乞いする穴掘りを商品スクラップに変えた。
「お前ら全員」
 ちゃりぃん。

 発掘孔を地下で結ぶ横穴は、忙しく働き回った穴掘りたちに踏み固められて、一日でおあつらえ向きの通路になる。ぼくは走る。狭苦しい穴が、岩壁が、さっきまでぼくを支えていた猫走りキャットウォークが、背後に凋んで消えていく。
「何してる……」
 ベイズの声は変信抑制短波デリンジャァ・キャンセルド・ショートに乗っている。穴掘りはよく使うが、間違ってもACに短波無線機なんて積んではいまい。ひそひそ話。
「ほっとけないよ」
「何する気……」
「誰かの掘り当てたACがある」
 自分がなんでこんなこと言ってるのか分からない。分からないが、よく分かる。ぼくは本気だ。
「ばあっ。いいか、お前には2つの選択肢がある。一つ、逃げ出して我が家行き。二つ、分解されて食品売り場行き」
「三つ、こいつで戦うんだ」
 と言うからには、ぼくは既に横穴を抜けて、別の縦穴の底に辿り着いている。ACは足首まで掘り起こされ、丹念に土を除かれて、充電までされている。状態のいい発掘品は鶴首クレインで吊り上げたりせず、その場で充電して自力で外に出させるものだ。
「くそったれっ」
 ベイズが叫んだ。
「くそったれの、唐変木の、向こう見ずっ」
「ベイズ、あんた、自分のこと言ってるみたいだよ」
「分かってらぁ」
 ぼくはACに近づき、乗り移った。古い型の四層投影操作盤クアトロ・コンソール。起動準備は手間取って遅々として進まない。振動が伝わる。上でRa:VENが暴れている。ここも見つかるかもしれない。
「やい小僧。一つ訊かせろ。お前、なぜ、そうしたい……」
「赦せない。ぼくらは塵屑みたいなものだけど、塵屑なりに自分の生き場を作ってる。それをあんな暴れるしか知らない奴に」
『ぶちこわしにされてたまるかっ』
 ぼくの声に重ねるようにベイズは言い、一人でケラケラ笑う。ぼくはちっとも面白くない――いや。そうでもない。ちょっと面白い。
「ヘイ、ヘイ、ヘイ坊主。そんなんじゃだめだ。一度副回路サブシステム上でコア動力ジェネ駆動系フレームを同期してから主回路メインシステム戦闘コンバットモード、起動エンゲージだ」
「何……」
「いいからやれやい」
 言われたとおりした。一発で動力ジェネに火が点いた。慌てて冷却器ラジを動作させる。
「すごいや」
「いいぜや、小僧。筋がいい。認めるぜ、お前の力を。今、この瞬間から」
 ぼくの制御が操作盤コンソールを奔る。
「お前はAC使いレイヴンだっ」


      6

「はい、もう一匹――」
 黒いACが次の穴掘りを撃つ直前、ぼくは孔から飛び出した。地を蹴る。加速。見様見真似。そのまま矢のように突進する。制御、防御、何にもなし。ぼくは敵を蹴り倒す。
 敵がぶっ飛び、火花が飛んだ。
「小僧っ。いけるぞぉっ」
「なんだあっ」
 ベイズの歓声にRa:VENの絶叫。敵は絶叫しながら撃ちまくった。輝くパルスが放物線を描いて乱射され、そのほとんどが夜空に消えていく。ぼくはぼくで跳び蹴りの勢いを殺しきれず、つんのめって体勢を立て直すのに難儀していたが、その胸に流れ弾の一つが炸裂した。
 爆発。熱。まるで魂が焼け付くよう。
「あ、やっぱいけねえや」
「他に言うこと、ないの……」
「山ほどあらぁ。足を止めんな。動け動けっ」
 アドバイスを受けてぼくは必死に体を動かす。凸凹だらけの地面を蹴って、右へ左へ切り返す。ぼくの脳みそはGに揺れ、たまらぬ吐き気が込み上げてくる。それでも目だけは動かさない。敵は次々撃ってくる。憎しみを込めて。パルスに乗せて。
「ひとまずそれでいい。動いてりゃ滅多に当たらんのがAC戦だ」
「それで……」
「そりゃあ、そろそろ誘導弾ミサが来らあ」
 来た。直線に飛んでくるだけのパルスとは違う。明確な意志を持って絡め取りに来る無数の蜘蛛糸。ぼくは慌てて加速を試みるが、ベイズは静かに落ち着けと言う。
「避け方は、左に動く。慣性を付けすぎんな。引きつけて、引きつけて――過加速ハイブーストっ」
 ぼくは光になった。
 さっきまでの居場所にぼくはなく、ぼくのいない場所にぼくはいる。誘導弾ミサは惑って落ちる。敵が驚く。それが分かる。次はこっちだ。地面を蹴って跳び上がり、手近な岩壁に近寄って、
 思い切り壁蹴りドライヴ
 ぼくは3ミリ秒で敵に肉薄。二度目のキックを、今度は敵のコアのど真ん中に狙い定めて叩き込んだ。
 敵が倒れる。ぼくは着地する。倒れながらパルス曳光弾が撃たれ、ぼくは避けるためにまた距離を取る。
「まあまあだ。接近と離脱ヒット・アンド・アウェイ。分かってるな」
「ねえ、なんか、武器ないの……」
「こまけえこたぁいいんだよ」
「こまかくないよっ」
「いいか、AC使いレイヴンはACについちゃあ色んな文句を言うもんだ。熱が籠もって良くないだの、二丁銃が駄目だの、動作が遅いだのな。中にゃあ、見た目が綺麗すぎて良くねえ、なんて贅沢もんもいる。だがそいつはみんな歴史の変遷ってもんだ。いつか言ったろ、層状レイヤード教訓――」
 言うまでもないことだが、ベイズが高説を垂れている間も、ぼくは必死に敵の攻撃を避けている。
「時代時代に、AC使いレイヴンはそれぞれの戦術テク戦略アセンを磨いてきた。だからお前も自分の戦術テクで戦え。体当たりしか武器がないなら、ないなりにるのがAC使いレイヴンってもんだ」
 そうか。
 ぼくの心が、すっと静かになっていく。
 切り返しのGにも慣れて、ぼくの意識は戦場に染み渡っているようだ。ACの装甲はぼくの肌。ACの腕はぼくの腕。武装した核アーマードコアはぼくのコア
「ちくしょおっ」
 敵が焦りの言葉を口にする。
「どうなってんだ。話が違うっ」
 敵の攻撃をひたすら避けながら、ぼくは好機を待つ。静観スキャンモード。
 右手には突き出した岩山が二つ三つ。あれは壁の代わりになる。左手には組み上げられた作業用足場。これも同様。中央には何もないが、たぶん過加速ブーストで代用できる。
「そうだ。それでいいんだ。こまけぇことは後でいいから――」
 風が抜ける。
 音が潰える。
 宵闇に、微かな煌めきが一つ、二つ――
 三つ。
 誘導弾ミサ乱射。ぼくは動く。右へ。岩山。すぐさま壁蹴りドライヴ。白い蜘蛛糸の中を突っ切るように駆け抜けて過加速ブースト二つ、稲妻になる。壁蹴りドライヴ、足場を、岩山を、大地を、そして過加速ブースト
「ぶっとばせっ。小僧ぉっ」
 そのまま突撃チャージ
「主任、ちゃんと援護しろよおっ」
 それがRa:VENの最期の言葉。
 ぼくの一撃が、黒いACを粉砕した。

 戦いを終えたぼくが、敵の残骸のそばでぐったりしていると、ベイズの掘削メクが無限軌道キャタピラを鳴らして近づいてくる。
「ベイズ、あんた、嘘吐いてたな……」
「何が……」
「市庁舎の組立をしてたなんて嘘っぱちだ。本当は、ACに乗ってたんだろう」
 詰め寄られて、ベイズは決まり悪そうに、
「ACに乗って、組立をしてたのよ」
「馬っ鹿言えぇ」
 ベイズは、いつものようにケラケラと笑った。
 今度ばかりは、ぼくも一緒になって、同じように笑った。


      7

 よく働く蜂の巣教会ビーハイブの 教義によると、“大きな26人の青緑”がパンケーキを食べようとして一斉に蜂蜜を垂らしたとき、皿からたくさんの蜜が零れ落ち、そこに生えた黴の中からこ の世界が生まれたのだという。黴たちには、零れた蜂蜜を拾い集めて元の皿に戻す使命が与えられている。沢山の蜜を回収した黴だけが、死後にパンケーキの大 陸と蜂蜜の海をエンジョイできる、と。
 故に働き蜂ワーカァは、甘い素子くいものを死にもの狂いで掻き集め、女王蜂クイーンに献上する。
「満足、誰も彼も満足。下の信者、上の信者、教祖、後ろの誰か」
 教会の表にホーヴァを停めたベイズは、まるで汚物を触ろうとするかのようだ。小型メクの信者が6本ある腕をキチキチ言わせて、満足げな顔で教会から出て行く。すれ違うときの挨拶がとても気さくだ。
「安らぎの家へようこそ。心に救済、世に平穏のあらんことを」
 たっぷり30秒は待って、ぼくはぼやいた。
「変なの。なんなんだい、これ……」
 信者がすっかり遠ざかるまで文句を言わなかったのは、トラブルを避けたかったのだ。教会の中には、さっきのと同じような手合いがひしめき合っていて、今にも門から溢れ出しそうなほど。ぼくは、これほど多くの人数がおかしな教義に嵌っているのが不思議でならない。
「宗教、教会、この世のカリスマ。救済の自己防衛性」
「何って……」
「カタルシス。信じりゃ安心。手前だけは救われる」
 ぼくは納得して、ベイズと一緒に教会の門を潜った。聖堂にはびっしりと働き蜂たちが詰めていて、奥には女王蜂が鎮座している。むにゃむにゃと何事かをみんなして読み上げ、最後に声を合わせて、
『世に平穏のあらんことを』
 それで集会はお開きのようだった。ぼくらは信者を掻き分けるようにして女王蜂に近寄る。女王蜂のカメラアイがチキチキいいながらベイズを一瞥し、次にはぼくをじっと見る。
「ようようよう、女王さま、蜂さま、こんちは。奥の人に会いてえ」
「まあ、不躾なお方。何者じゃ……」
「おれっちは、お友だちよ、奥のお方の。ベイズと言ってくれ」
「伝えました、そこでお待ち。のう、そちらのそなた。もっと近う、吾に近う」
 と、マシンアームで手招きするのはぼくだ。ぼくはぞっとして、身動き一つできない。なにしろ女王蜂の声色は、恋する乙女のそれだったのだ。
 女王蜂はほほと笑い、
「照れておるかや、可愛らしきこと。そなたは真白じゃ。世俗の毒に冒されぬ白。吾には解る。そなたならキングにもなれよう」
「ええと、あの、そのう。ぼくは、その、現実主義者リアリストなもんで」
「痴れ者っ。真の現実を知らぬ者奴っ。去るがよい、俗物。吾がまなこが曇っておったわ」
 いきなり怒鳴られたが、何を怒られているのかさっぱり解らない。ベイズに助けを求めても、ケラケラ笑っているばかり。やがて女王蜂は、唐突に、手のひらを返すように言った。
「お入り。奥のお方がお会いになります」

 奥のお方とやらは、口と頭のよく動く男だった。ベイズは彼を地球守り殺しアースセイバァ・キラァと気軽に呼び捨てる。お友だちというのは、まんざら嘘でもないらしい。
「地球守り、おいらの要求はな、一つだぜ。教えてくれや、企業の動きについて、知ってる限りを」
「本当に本物の馬鹿野郎だね、お前さんは。大人しくしてりゃ死ぬまで生きれるもんを」
「協力しねえなら、働き蜂どもにお前の正体をばらしたっていい」
 地球守りは呆れたように溜息の音を出した。
「戦闘と信仰のコツを知ってるか……」
「いや」
「先 手を打つ。嘘だと思うなら、ベイズ、試しに話してみるがいいさ、あんたが言おうとしてることをよ。どんなに尤もらしく学をひけらかしたって、信者どもの誰 一人、通じやしないよ。なぜなら、一度信じちまったからな。信じ込んでた時間の長さ、注ぎ込んだエネルギィと手間暇。そいつが信者にゃ何よりの宝物なの さ」
 彼の口ぶりは、まるで何十年も帰ってない故郷を懐かしむ老人のようだ。
「昔、地球回帰信仰アースライズを立ち上げた時は、AC一機分の稼ぎがせいぜいだった。そんときの経験が生きてるよ。今は、もっと上手くやれてる」
 どうしようもなく切なく苦しい感傷。どんなに懐かしんだって戻らない物はあるのだと、腹の底から解ってる男だけが醸し出せる懐古主義の臭いがする。
「それが、よりにもよって、あんたに絡まれるとはな。なあ、あんた、どうも、こりゃ大変だぜ……。企業コープスが夕べから滅茶苦茶に動き回ってる。あんたら、一体何をやらかした……」
「Ra:VENを殺した」
凝り性アーティスト
 ほら、やっぱり賛辞だ。ぼくは言い訳がましく補足する。
「向こうから襲ってきたんだ」
「ったりめえのこんこんちきだぜ、お若いの。だがそれだって、滅っ茶苦茶の糞味噌なことにゃ変わりねえ。なあ、ベイズ。旦那にゃ感謝してる。俺らが共食いインタネから分離パージできたのは、あんたのお陰さ。訳知りもね。だから知ってることは教える。金も少しは融通しよう。だが、俺を巻き込まんでくれ」
「する気はねえが、なるのは仕方ねえ」
「そんなら俺は孔に籠もるよ。形はいいんだ、どうだって。楽して女侍らして生きてけりゃあ、さ。訳知りみたいなザマは御免だ」
「何……」
「知らないのかい……」
「何を……」
「それで合点だ、呑気に構えてると思ったよ。なあ旦那、よっく聞け」
 そのときぼくは、遅ればせながら気づいた。地球守りがずっと邪険に見えたのは、単に彼が焦っていて――というより、怯えていたせいなんだ、と。
「ユーティライネンは死んだ。主任がったんだ」


      8

 ――気をつけろ、訳知りスミカ亡霊ファンタズマを持ち出してたはずなんだ。敵はそれ以上なんだぜ。
 地球守りアースセイバァのアドヴァイスが頭の中でぐるぐる回るようだ。ぼくには何のことか解らない。隠匿された真実、思わせぶりな用語ターム、疑わしい実在。
 教会の地下ガレージに降りたベイズは、黄色い四脚型ACの手直しに余念がない。嫌がる教祖様をこれでもかとどやしつけて、半ば強奪気味に贈呈された教会ビーハイブの虎の子だ。武器を取りつけ、実弾を篭め、その間ベイズは一言も漏らさない。
「ねえ、ベイズ。何のことだい……。亡霊ファンタズマ……。共食いインタネ……。主任……」
 やはり何も言わない。ぼくはだんだん焦れてきて、
「またぼくを怒らせる気か……。それで戦う気なんだろ……。誰と……」
分離パージはな、おれっちがやらかした。派手な仕事ビズだったよ。超・派手」
 ようやく出てきた彼の答えは、答えと呼べるものでもない。いつもの衒学癖だと気づいて、ぼくは黙る。面倒だからではなく、それが一番てっとりばやく情報を引き出す方法だと知っているのだ。
共食いインターネサインには全てが記録セーブされてる。地面の下に層を作って眠る、今は亡きものども、だ。おれは何人かをそこから分離パージした。純禾スミカユーティライネン、地球守りアースセイバァ弱虫モリカドル、その他30人ばかし。自由を対価に、おれは真実が知りたかった」
 ACのコアのそばに登って、ベイズはこっちを見下ろす。
「知って、知った、おれは、逃げて、怖いんだよ――」
 その瞬間、ベイズのボディが唐突に張力テンションを失って、糸の切れた人形のように転がり落ちた。ぼくの足下へ。ぼくはそちらには目もくれない。こんなのただの形骸だ。ベイズは今、ACの中にいる。
「ユーティライネンは死んだ。弱虫モリカドルも。主任は、あの手この手で分離パージ組を殺す気だ。奴らは真実を知る者を赦さない。だから、だからよ」
 それは、今まで聞いた中で、一番冷たくて暖かい声だったんだ。
「コンビは解消だ、相棒」
 ACが天井を突き破って飛び出した。

 ぼくはずっとそこにへたり込んでいる。外界の何もかも遮断シャットアウトしたまま。だから当然のこと、働き蜂ワーカァたちが現れて壊れた天井の片付けをし始めたことも、後ろに地球守りアースセイバァが近づいてきたことにも気づかない。
「本当に行きやがった。しょうのねえやつ」
「ぼくは、ぼくらは、形骸なんだろうか」
 ぼくはもう動かないベイズのボディを抱いて言う。全身クロム貼りの外装、ところどころからはみ出す青と赤のチューブ、連結素子ネクサスは背中から差し込むタイプ。古いが手入れは行き届いている、ベイズの普段着。
 それを抱くぼくの機械腕マシンアームは震えている。アクチュエイタが悲鳴を挙げている。重すぎることにか。あるいは、腕の中にあるものの絶望的な軽さにか。
「ぼくは、世の中と折り合いをつけたかった。世の中は大きくて、凄くて、完璧で、そのうえ金持ちだったから。少々の乱暴、行きすぎた不条理、なるたけ我慢して、世の中、社会、人間関係、つまり」
 ぼくは叫んだ。
「ベイズ」
 ぼくは何を喚いているんだろう。
 ぼくは何を思っているんだろう。
 ぼくは何を、何にこんなに、押し潰されようとしているんだろう。
 前にも言った。ぼくはぼくが解らない。思ったことを思ったように思えない。
 それなのに今、確信がある。ぼくの中は、ぼくの心は、ぼくのコアは、あまりにも赤と黒。
「世の中が思ったようなものではなくて、どころか自分自身もそうではなくて」
 独り言のように言うのは地球守りアースセイバァだ。
「もっとくだらない、中身からっぽの、形骸みたいなもんだった、と。誰だってそう思う時はあらぁ。奴だってな。で、ホントのことを知りたがった」
「ベイズは何を知ったの……」
「そいつぁ本人から聞きな。俺が知ってるのは、俺の真実でしかない。俺が言うのもなんだが、真実ってのは手前で創るもんよ。それが、信仰に毒されないコツ」
「でも、ぼくは」
「なぁにをへどもどしてるんだね、若い衆っ」
 地球守りアースセイバァが一喝する。ぼくは思わず、後生大事に抱えていたベイズの形骸を取り落とした。
「奴さんはあんたをなんて呼んだ……。相棒、つうたんだぜ」
 ぼくは立ち上がった。
 ぼくは走った。表にホーヴァが停めてあるはずだ。自前のガレージに帰れば、ACだってある。ぼくは走った。
「信者が掻き集めた情報によると、主任は今、ちょうど市庁舎の近くに詰めてるそうだ」
 後ろから大声が聞こえた。その後、照れ隠しのように付け加えたことには、
「ま、俺は太ってるから行かないけどね」


      9

「ワン・トゥ、ワン・トゥトゥッ」
 主任はご機嫌だ。
「所長さんのパーリィは牢ン中っ。囚人バンドが大喚きっ」
 陽気な古代の歌を口ずさみながら、その手は淀みなく基準違反武装オーヴァード・ウェポンをセットアップしていく。あれがどれほどの武器かを知る者は一人としてあるまい。このマッシロナセカイホール・ニュウ・ワールドを生きる後胤アナザァエイジたちの中には。
 かつて朱鷺アイビス分離パージを試みたとき、彼/彼女/それ/あれの尖兵たる白きACが用いた大砲だ。
「主任……。どこへ行ったのですか、主任……」
「はぁ〜いっ。こっこだよぉ〜ん、キャッロりぃ〜ん」
 高精密市庁舎は、全長300mに及ぶ巨大な集積回路の集合体だ。その演算能力は、市長を騙すためのいくつかの虚偽記載ダミーパラメータを含むとはいえ、カタログスペック上では共食いインターネサインの端末一つ分にすら匹敵する。
 そして、実際に共食いわたしの端末として十全に機能しているのだ。
 故に、主任の位置と意図ははっきりと認識できた。市庁舎の塔の中程、大きく張り出した足場の上でACに片膝をつかせ、大砲に電力をチャージさせながら、狙いを定めるのはシティの第二居住区。
「何をなさるのです……」
「あ、ごっめーんっ、言ってなかったっけ……。第二居住区セカンドの7番から13番ブロック、吹っ飛ばすからっ」
「困った方ですね」
 キャロル・ドーリィは溜息交じりに言う。
「そういうことは、きちんと報告していただかないと」
「いっやあ、うっかりうっかり。なんかね、そのへんに分離パージ組が住んでんのよ、5人ばかし。めんどくさいから街ごとぶっ殺そうと思ってさぁ。俺は面倒が嫌いなんだ。てねっ。ナハハハハっ」
「その区画には、他にシティ住民が9000人ほど住んでいますが……」
「へぇー、そうなんだ。さっすがキャロりん、物知りぃ」
 ACの頭をリズムに乗せて上下させながら、
「で、それが何か問題……」
「いえ、別段。電力、そちらに回しますね」
「やったあ。ありがと。できる女。愛してるっ。今度デートしない……」
「一度脳みその分解掃除をされたほうがよろしいかと。それでは、また」
 今度は主任が溜息を吐く番だ。溜息――彼/彼女には必要のない行動、呼吸。後胤アナザァエイジたちはそんなことをしない。彼らは彼らとして新たな文化、コミュニケーションの形式を形作った。しかし彼/彼女/あれ/それ/わたしは、こんな小さな習慣についてさえ、今なお在りし日の幻想から逃れられない。
 ならば我々は老害以外の何物でもないのではないか。
「ちぇっ、つれないの。曲変えよっと」
 ぶつくさ言って、主任は音楽を切り替える。今度はさっきの曲より数百年下って、第一層時代に流行った歌。
「アァイムシンカァ、トゥ・トゥ、トゥ・トゥトゥ。電力満タンまでもう少しぃ」
 主任のカメラアイが音を立てて収束する。長距離射撃モード。ACが持つ機能の全てを測量と射線軸合わせに注ぎ込む。
 それは、油断だ。
 そして彼は、ずっとその瞬間を狙っていた。

 稲妻。
 連続壁蹴りドライヴ。ビルの谷間、防壁、市庁舎、砕け、姿は目視不可能。黄色い何かが怒濤のように高精密市庁舎を駆け上り、一秒半で主任の背後に躍り出る。
「くたばれ糞野郎ォッ」
 ベイズの放った榴弾が、主任の背中に炸裂した。


      10

 あるとき、ぼくはふと立ち止まる。
 きみに言わなきゃいけないことがあったはずなのに、言葉は泡と消えて虚空に溶けた。
 それはかけがえのないものだったはずなのに、もうどこを探しても見つからなくて、何だったかすら判らない。

 そのたびに、立ち止まり、立ち止まり、ついにはすり足のまま、やっとここに立っていた。
 仮にそれが、必ずしも望んで辿り着いた場所ではなかったとしても。

 ぼくがそこに辿り着いたとき、全てはもう終わっていて、ベイズのACには駆けよるしかなかった。迷いなんてそっちのけ、焼けた装甲を引っぺがし、コネクタを探し、熔着してると知ると、引揚サルヴェイジを試みる。ありふれた諾/否塩基配列ロジカル・シークエンス超伝導量子干渉素子SQUID越しに接続リンクスを作る。だのにぼくは叫んだ。信音ピンは途切れ途切れしか届かず、時間切れタイムアウトの嵐がぼくを魂まで錆び付かせる。
「もう、やめ、な、もう、いい、て」
 声が聞こえた瞬間、ぼくを支配したのは驚きよりまず爆発するような希望だ。声が届くなら音信接続という手もある。三つばかり浮かんだ新たな手段を順繰りに試すぼくを慰めるように、ベイズは喋り続ける。
「ああ、いい、だ。終わっ、た、だ。終わ、てた、だ」
「何言って……」
 声はノイズまみれで弱々しいったらない。
「人間、じゃあ、ねえ」
 いつもの面白がる口調ながら、ベイズに笑いはなかった。
「人間、滅ん、だ。いつ……。知らん、ずっと、前。
 西暦、忘られ――
 粒子、ゆりかご、埋めて――
 闇、地下、呻く――
 火、星、燃え、潰え――
 層、線、静かに――
 繋がり、九つ、終の鴉、飛んだ――
 ひと、終わ、た」
 ぼくは叫び、咆え、泣き喚いて、四層投影操作盤クアトロ・コンソールを吹き散らす。無駄。無理。無茶。何もかも。ぼくはただ見るしかない。何もせず見るしかない。爛れたACのコアの奥、ベイズを乗せインストールている連結素子ネクサスを、ただ、気の触れたように。
「おれ、ら、ひと、じゃ、ねえ。共、食い、つく、た、ひと、もど、き」
「だからどうだって言うんだっ」
 ベイズは黙った。
「解っ たよ、あんたが何を知って、何に悩んで、酒に溺れて、逃げて、逃げて、ぼくからも逃げて、何をしようとしたか、やっと全部解ったよ。でもなんだって言う の。一体なにが違うっていうの。世の中がニセモノで、ぼくらもニセモノで、何もかもほんとはもう終わってたとしても、それがっ」
 今こそ判る。
「ぼくらのこの気持ちに何の関係があるっていうんだ!」
 ぼくが何を思っているのか。
「同僚、仲間、先輩、糞野郎、うざい奴、先生、飲んだくれ、兄さん、いつかぶん殴ってやる、師匠、親友、敵、目標、相方、友達――相棒」
 思ったことを思ったように思い続ける。
「死ぬな。ぼくはまだ、あんたを一度も唸らせてない」
 沈黙が、沈黙が、沈黙があった。ベイズの姿は見えない。なぜか見えない。
 やがて最後に聞こえたベイズの声は、とても流暢で気軽だった。
「ありがとう。ここまで来て良かったよ」
 ぼくは泣いた。


      11

 ぼくは、《ウエソ》にとって疫病神らしい。ACが乗り付けるなり、車を身につけセットアップた客たちが蜘蛛の子のように散っていく。ぼくは膝を突いた。骨ケーブルを接続し、
「トリッガァ。ダブル」
「クレイモア……。ビーム……」
「違う。あんただよ」
 酒を拒絶する客に嫌味一つ言わず、トリッガァは話を聞いてくれた。ベイズが死んだこと。敵は主任ということ。滅びた人類のこと。共食いインターネサインのこと。分離パージのこと。そして何より、ぼくのこと。ぼくの言葉。ぼくと、ぼくの中にあるもの。
「解ったかい……」
「変なことを言う野郎だね。当のお前さんが何年もかけて解ったことを、この俺がすんなり解ると思うかね……。だが、ま、ひとまず解ったとしておこう、話に差し支えない程度には、な。で……」
「とぼけたって無駄だ。あんたがあいつの古い相棒なのは調べがついてる。ひょっとすると、分離パージだってあんたが手伝って――」
「誰……。誰なの、お父さん……」
  ACの足下から聞こえた生の声にぼくは愕然とする。見たことのないものがそこにいる。全体に白くぶよぶよとして、そのくせ中にはしっかりした骨格があるら しく、細い脚部で鉄骨パイプのように立っている。色とりどりのひらひらしたプラスティック布で体を覆っているのは醜いボディを隠すためか。センサ集合体クラスタからは何かのケーブルだろうか、糸のように細い茶色いものが何万本と生え、艶めきながらコアの真ん中あたりまで真っ直ぐに垂れ下がっている。
 丁度、そう――ACをそのまま2m弱まで縮小スケールダウンしたような。
「誰だい、それ……」
「誰なの……。これ、AC……」
 互いにとぼけた問を交わすが、答えを知るトリッガァは笑うばかりだ。白い奇妙なものは、ふわあ、と締まりのない音波を発しながらぼくの頭部を見上げている。
「フラン、俺の客だ。引っ込んでな」
「そうね、家の中は素晴らしく完璧に安全だもの。退屈で死んでしまわなければだけど」
「いずれ退屈なんてしてる暇もなくなるさ。そうなったとき、幸せに対する退屈の効能について、お前は真剣に考えることになるんだ」
「わあ。とっても素敵。その日が待ち遠しいわ」
  肩をすくめ――肩、確かにACなら肩にあたる場所だ――白いものは建物の中に戻っていく。ぼくはどうしてだろう、他の全てを忘れ、今はただ、カメラアイで 執拗に白いものの足取りを追っていた。その歩きはよちよちとして、なんとも頼りなく、だのにどうして、何百万年もそうしてるかのごとく自信に溢れて。
「ねえ、ACのひと」
 白いものが振り返ってセンサ集合体クラスタの小さな黒い二つの玉を――たぶんカメラアイを――ぼくに向ける。ぼくの視界いっぱいに彼女が広がる。ぼくは戸惑い、それでも視線は鋲で打ち留められたよう。
「格好いいですね」
「どうも」
 間の抜けた返事をして、しばらくぼくはぼうとしていた。衝撃が走った。確信があった。ぼくは今、とんでもないものを目撃したのだ。意識をトリッガァに向ける。彼は悪戯に笑っている。
「あれは何……」
「思った通りのものさ。あれは希望。今は亡き旧き人々の。俺らには絶望。あるいは、俺らにとっても希望かも」
「守らなきゃいけない」
 ぼくは静かに言った。
 トリッガァはたっぷり時間を掛けて考え込んで、やがて、白骨ケーブル越しに、固く確かな意志を送ってくる。
「お前が守ってくれるかい……」
「守ってみせる」
「オーケイ、AC乗りレイヴン、契約完了。なら、報酬を払わねばなるまい。さあ、答えな、くそったれの若鴉。何が望みなんだ、お前は……」
「ぼくを鍛えてくれ。ぼくは――」
 答えはとっくに決まっていた。
「ぼくは、奴を倒す」


      終幕

 あれから何年も経ち、古い知り合いは少なくなって、トリッガァもこの世にない。ACのパーツを一つ一つ取り替えていくように、ぼくの周りの世の中は、少しずつ形を変えていく。無くしたものの代わりに得た新たな仲間、亡くしたものの代わりに抱いた焼け付くような意志。
 かつてぼくを突き動かした目的ベイズと、新たにぼくを動かし始めた目的フランと。
 たくさんのものがぼくを支えてくれ、そしてぼくは、ここにいる。
「実験は失敗でした。貴方たちは、この荒れ果てた大地に眠る幾多の者たちと同じ。自らを滅ぼすと知りながら、それでも争うことを止められない、卑小で愚かな存在」
「俺はそうは思わん。戦いこそが人間の可能性なのかもしれん」
 言っているがいい。
 人を見くだし、自分だけが世の中を憂えていると錯覚し、この世の全てを手のひらに載せていると信じて揺るがないくそったれども。
 汚染された空に、機械仕掛けの天使が翼を開く。
 ぼくは地を這う人の姿で、自分の武器に力を篭める。

「お前が思っているより、世界はずっとからっぽだ」
 光となったACぼくの背中に、懐かしい声が聞こえた気がした。
「だから、満たしてみろよ。お前が満たしたいって思うもんで、よ」
 ベイズはきっと、笑っている。

――Continued on the Armoded Core V.