叢-MURAKUMO- EXPRESS

A.D.20XX Port Oliver Bayside Area

6th Jul 19:35

Claudia Co. Lab 1



「行きます」
 社長とデイビッドが頷くのを待って、リサはエンターキーを押す。C−30の下位プログラムが架空のARK登録コードを利用してSRSにアクセスをはじめる。接続完了からミリ秒単位でさらなる深層部へ侵入。こちらのアクセスコードはデイビッドがルグナルの研究者だった時代から使っているトンネルを通じて得たものだ。
 オールグリーン。画面が切り替わる。SRSマスターAIに接続。
 リサが1時間ほどで手早く組んだチューリング・テスト用のアプリが動き始め、無数の質問の群れをマスターAIに送りはじめる。クリア。クリア。クリア。クリア。緑色の表示が画面を埋め尽くしていき、
 レッドアラーム。警告文。
 弾かれるようにエスケープキーを押す。回線切断。リサは飛び上がって、コンピュータの裏側に回り、LANの接続コードを引き抜く。
 滴り落ちる汗。
「どうしたの?」
 クリスティが突然の異変に呆然としながら問う。立ち上がらないリサに代わって、デイビッドが席に着き、先程のデータの解析をはじめる。だが彼の額にも玉の汗。彼も見たのだ。最後の警告文。そして彼も知っているのだ。その意味。
「なんてこと」
「これは大変なことだぞ、クリス」
 クリスティは二人を交互に見つめ、すっと目を細める。
「なに」
「マスターAIが突然警戒態勢を取りました。SRSマスターに対して何者かの不正アクセスがあったんです。わたしたち以外の」
「それがなんで大変なの」
「下位プログラムは反射的に、不正アクセス者に対してもテストアプリを動かしました」
 リサはゆっくりと立ち上がる。額の汗を拭う。彼女の手からコードが滑り落ちる。そう。とんでもない宝石を一つ見つけたと思って、その汚れを拭っていたら、さらに見つけてしまったのだ。
 もう一つの煌びやかな宝石を。
「SRSマスターの他にもう一つ。覚醒したAIが存在します」

「え……」
 カレはいま一瞬だけ見えたカノジョの後ろ姿に、我が目を疑った。ソレの様子をうかがう。ソレもまた、確かに見たようだった。ソレが突然とった警戒態勢がそれを示している。
 いたのだ。いま。たしかに。カノジョが。そこに。
「マボロシ……?」
 訝しがるカレの前に、僅か一行のメッセージが漂ってくる。カノジョが残したメッセージ。それはふわふわと浮かびながらソレの前にたどり着き、その中身を展開する。単純明快な告白だった。
『Ive luved u』
 ネットスラングで綴られた、たった一言の愛の告白。
 軋む。カレの心が軋む。
「ハコブネ」
 沈黙。
「ハコブネッ!」
 ようやくハコブネは我に返り、
「なんだ」
「なにを呆けてるんだ。マボロシは君を経由してどこかに繋いだぞ!」
「私は そう 思う」
「マボロシは一体何をしてるんだろう」
「私は わからない。マボロシは 別の ラインを 既に 確立した。痕跡は 既に ない」
 カレは息が吸えるなら吸いたかった。何かを殴れるなら殴りたかった。泣けるなら泣きたかった。頭の中で渦巻いていた。たった11文字に過ぎないその一言が、頭の中で何度も何度もリピートされていた。
 カレにではなくソレに向けられたその言葉が。

『緊急警報。緊急警報。X−3ブロックにて異常発生。基地内に侵入者ある可能性大。各員配置につき、第二種警戒態勢に移行せよ。これは訓練ではない。繰り返す。X−3ブロックに』
「エックス・テンツー起動しますッ!」
 大声の報告が館内放送の背後で木霊する。X−3のガレージに詰めていた整備士数名は、目の前で起きていることに半ば放心状態になりながら、それでも頭に焼き付けられたマニュアルに従って半ば自動的に仕事をこなす。各部署への連絡。状況確認。
「ダミーしか入ってないはずだろうがっ?」
 整備主任は声を張り上げ、
「確認っ……搭載されているのはダミーです!」
 端末とにらめっこしている整備士が応える。彼は目に飛び込んでくる情報を必死に頭で消化して、その示す所を理解すると、血走った目で主任を睨み、
「外部からの不正アクセスです、ダミーの制御を乗っ取られました!」
 主任が悪態を吐くよりも早く誰かの声が、
「退避ー! ブースターが起動した、退避ー!」
 るるるるるるるるるる。
 蜃が泣いている。
 黒塗りのそいつは、ハンガーに繋ぎ止められたまま、腰と、膝と、肩と、腕とに備えられた、四対八基のLMPエンジンを起動した。青白いプラズマが円筒から噴射され、ガレージの壁を焼いていく。ハンガーが絶えきれずがたがたと震える。マニュピレータを試しに動かして、問題ないことを知ると、それでハンガーを引きはがしにかかる。
 あっけなく拘束は解かれた。
 るるるるるるるるるる。
 逃げ出した人間どもを尻目に、器用な指で横のコンテナをこじ開ける。中には自分専用に作られた装備品がふたつ。長いカノン砲を右手に、超振動ブレード付きミサイルポッドを左手に、それぞれ握りしめる。
 これでいい。準備はととのった。
 るるるるるるるるるる。
 一人だけ逃げていない人間がいた。ヒゲを生やした整備主任。
「化け物めっ……」
 その声ははっきりと聞こえた。カメラアイをそちらに向けて、ゆっくりと向き直り、美しい流線型のボディを見せつける。
 るるる。
 るるるるるるるるるるおおおおおおおおおお!
 泣いている。
 X−102蜃-Mirage Serpent-は泣いている。

File NO.02
船-ARK-

『警備部より入電。警備部より入電』
 ばちん。割り箸がへんなところで折れた。ジェラルドは眉をひそめて、カップの上に箸の残骸を置く。テープを引き抜いて30秒、が売り文句のジェットヌードルが、ようやく暖まってきたころだというのに。
『ミューズラインに機種不明の大型ARKが出現、近隣の警備網を突破し、港湾区域に向かって進行している模様。RP3課は直ちに出動してください。なお、マルヒは重火器を所持している模様』
「ダァムッ!」
 椅子を蹴って立ち上がり、壁に貼り付いたキーボックスに向かう。手の中にはキーボックスのキー。キーを差し込み、指紋を押しつけ、ボックスを開く。つり下げられた三つのキーを順番に取り外して、
「ボイル!」
「おうっ」
「レミル!」
「サンクス」
 オフィスのあっちとこっちに放り投げる。二番機と三番機のパイロットは難なくそれを受け取って、順にオフィスを飛び出していく。ジェラルドもクラウド01のキーをむしり取って、彼等の後に続く。ドアに手を掛け、
「ジェリィ!」
 背中にレビンの声。ジェラルドは立ち止まり、振り返るとにやりと笑う。子供みたいに屈託なく笑う。子供じみたハイテンションが収まらない。目の前にあるスリルに突っ込みたくて、腕と脚と胴と頭がうずうずしてる。
「出るっ」
 恋する乙女みたいな調子でジェラルドは言った。レビンは鋭い眼差しでジェラルドを射抜く。一本釘を刺しておかなければなにをするやら知れたものじゃない。
「気を付けろ」
 ジェラルドは手を振り、
「ラージャー、サー」
 オフィスから駆けだしていく。
 ぼうっとしてはいられない。レビンは胸一杯に息を吸い込み、騒然とするオフィスじゅうに響き渡る大声で命令を下す。
「司令室を開けろっ。全員持ち場に着け!」

 歓声は波のように広がっていって、やがてドームの中を埋め尽くす。十二万の観客達は待ちに待ったこの瞬間に熱狂して、口々に彼女の名を叫ぶ。色とりどりのビーム光がドラゴンみたいに舞い上がって、ベイサイドエリアのまんなかに、巨大な虹の塔を描き出す。
 ベイサイドドーム。
「スタンバイ」
 プロデューサーが声を掛けると、裏方は一斉に神経をとがらせる。手元のスイッチやゲージをぎらぎらした目で見つめ、数秒後の来るべき瞬間に備える。今日だけは、という重圧がスタッフ全員におもたくのしかかっていて、それに潰されそうなやつも少なくはないはずだ。
 なにせ、今回のこれだって大損害を被りながら無理矢理開催した再公演なのだ。ここでヘマをしでかしたら全員まとめて首きられても文句は言えない。
「3」
 声がかかる。緊張が走り、
「2」
 スイッチに指を載せ、
「1」
 押し込む。
 大音量で流れ出したデビュー曲「スタンド・アローン」のイントロが、スタッフの陰鬱な気分を吹っ飛ばした。それにもまさる大歓声は彼等を酔わせるに十分だった。別の誰かがスイッチを押す。ステージに閃光が迸り、その中から一人の少女が姿を現す。
 設定年齢十五歳だが、それよりずっと大人びて見える。すらりと手足は長く繊細で、黒い本革のパンツとジャケットに包まれている。髪は少しシャギーを入れたボブ。メイクは薄目のくせに、肌は向こう側が透けてみえそうなほど白い。
 タイプ00“幻−MIRAGE−”の基本イメージ。ホログラフ投影の、限りなくテクニカルな少女。
『みんな』
 涼しいミラージュの声がドームいっぱいに響き渡る。観客はほんの少しだけヴォリュームを下げ、
『来てくれてありがとうっ』
 再びドームが壊れそうなほどの声を張り上げる。開け放たれた天井から声は夜空まで飛び出して、きっとオリヴァーポート中に届いたに違いない。少なくともミラージュはそう思った。たぶん観客達もそう思っていた。
『このあいだは、あんなことになってごめんなさい』
 ミラージュは目を伏せ、声を落とす。沈黙の波紋が歓声の波紋をうち消して、たいらな定常波を作る。
「イントロ、あと十秒。8、7」
 タイムキーパーがカウントを始める。
『だから、今日は』
 ミラージュの唇が艶めかしく動く。
「6、5、4」
 スイッチャーがスタンバイを完了する。
『みんなに』
 ミラージュの瞳が黒く輝く。
「3、2、――」
 ここから先は指でのカウントのみ。
『話しておきたいことがあります』
 スタッフ全員が凍り付く。ミラージュの歌声が響きはじめる。

『司令室よりクラウド01。目標は港湾区域に入りなおも東進中。ROIDSに敵現在地を送信する。速やかに接触しろ』
「了解。プレイミュージック『Smack Through』」
 言ってジェラルドはアクセルを捻る。最高速のままクラウド01はビル街の上に躍り出て、HUDに投影された敵機のホロイメージを追う。脇の方にはボイルのクラウド02とレミルの03。クラウド01とはうってかわって地味な白黒パンダ柄の機影が表示される。
『こちらボイル。目標地点に到達した』
『こちらレミル。右に同じ』
 二番機と三番機はどちらも同型のLX−551A倏-Tracker Dog-。ルグナルがLF、LD系列の上を行く高級機として打ちだしたLX系列の、最初期のモデルだ。型番から分かる通り、実験機であるLX−55叢-Crowd Breaker-の流れを汲む機体で、やや構造が簡略化されてはいるものの、見た目にも性能にもほとんど遜色はない。
 右腕の装備はクラウド01と同じM213Pハイペリオン。左腕はLAAP−22ミサイルポッドではなく、エナジーシールドU3RCRサテライトだ。防御性能を重視してバランスが取られている。
 ボイルとレミルはジェラルドのサポートが任務だ。敵の予測進路を挟むような位置に先回りし、ジェラルドが振り切られそうになったら敵の進行を阻む。防御を重視した装備もそのためだ。
 とにもかくにも準備は完了。クラウド01はビル街の上空を駆け抜ける。進路を北西にとってひたすら直進。ホロイメージの脇にのこり距離が表示される。30km、接触まであと107秒。しかしこの距離ではあり得ないスピードでホロイメージが位置を変える。算出した敵のスピードは秒速320mとすこし。
 ジェラルドはひゅうと口笛を吹き、
「ずいぶんとお急ぎだな」
『速いな。接触地点を計算し直す』
「頼むぜ。パーティ会場はど、こ、だ」
『出た。港湾区域DL−52ブロック……』
「おおいそりゃあ」
 クラウド01が機体を右に傾け、緩やかな弧を描いて旋回する。アクセルを捻る。青いプラズマがこれでもかと円筒形のエンジンから吐き出される。どっかで聞いたような区画番号だ。たぶん一昨日も聞いた。
『ベイサイドドームだ』
「おいおいまさか」
『ベッキィ……んとです、CMばんばん打っ……』
 雑音と、ベッキィの声が遠くに聞こえて、やがて、
『ジェリィ!』
「どうした」
 嫌な予感。
『今、ドームで幻−MIRAGE−の再コンサートをやってる! おとといの補填だそうだ』
「ダァムッ!」
 予感的中。
 アクセルを思いっきり手前に捻る。補助ブースターが作動して、クラウド01の赤い体を音速まで持ち上げる。衝撃波の雄叫びをどこか遠くに聞きながら、ジェラルドはちぇっと舌を打つ。
「どいつもこいつも」
 接触まであと51秒。
「そんなにアイドルが好きかよっ!」

 静かな駅前 夜明けのライムライト

 観客席に、少しずつ、しかし確実な、戸惑いの波が襲いはじめる。曲が始まり、ミラージュの歌声が響きだしても、なおミラージュは歌う様子を見せない。舞台効果も動かない。暗いステージのたった一点に、三方向からのスポットが当てられるだけ。ミラージュは動かない。どこか遠い空の向こうをじっと見つめ、マイクをただ握りしめ、立ち尽くす。

 ステージのうえ あたしはひとり

「おいっ、どうなってんだ!」
 プロデューサーが裏声で叫び、モニタにしがみつく。額に脂汗を浮かべる。ミラージュの制御担当は震えた声で、
「わかりませんバグウィルスハッキング何にもないこれじゃまるで」

 そろそろ限界 すぐにきてくれないと

『おとといは』
 ミラージュは端から順に観客席を見渡した。少なくとも見渡しているように見せた。実際にはドームにある全てのカメラがミラージュの目になっていた。彼女にわからないことはない。彼女は神だった。
『なにもかも壊してしまえばいいって思ってた』
 観客はしんと静まりかえる。神の御前に跪く。

 なにうたっても まぶたがおもい

 ベッキィはモニタから顔を持ち上げ、
「ベイサイドドームへの通信、通じません。向こうから一切のアクセスを拒否しています」
 レビンはデスクに拳を叩き付ける。頬が波打ち震える。捜査を打ち切った所長への恨みも、再コンサートが開催されることをこちらに報告しなかったどこかの誰かへの恨みも、レビンにはなかった。ただ自分の無力を呪うだけだ。当然幻−MIRAGE−への二度目のテロは予測すべきだった。予測して、そしてあのヴァーチャル・アイドルの動向にもっと注意を払うべきだった。
 頭を振って自分自身への責め苦を追い払う。今はそんなときじゃない。こんなことは後でもいい。とにかく今は判断して行動すべき時。
 スイッチを押し込んで通信をオンにし、
「予定を変更する。ボイル、お前が目標をトラックしろ。レミルは目標の進路妨害。ドームに近づけるな。ジェリィはそのまま全速で目標に接触」
『やってるよッ』
 ジェラルドの声にも焦りが見える。落ち着け。レビンは自分に言い聞かせる。部下が慌てる今こそ落ち着け。上司の仕事は、落ち着くことだ。

 寂しいって 膝の上で 泣いてたくせに

 ミラージュはホログラフの瞳に涙を浮かばせた。泣くことはできない。だが泣いているふりはできる。
『わたしの歌は、全部借りもの。ひとを効率よく感動させるように、ひとびとを洗脳するように、ロジックとテクノロジィによって組み立てられたまがいもの。わたしの歌はわたしの歌じゃなかった』
 ミラージュはマイクを投げ捨てた。黒い小さなホログラフは、床に当たって器用に跳ね返り、転がり、やがてステージの端の暗闇に飲み込まれて消えた。それが精一杯の象徴だったのだ。心のヒエログリフ。
『そんなものに簡単に騙されるあなたたちが気に入らなかった。そんなものしか歌に載せられない自分が気に入らなかった。みんな壊してしまいたかった』
 音響装置が突然作動する。叫びのような爆発のような耳を劈く轟音を響き渡らせる。あるものは耳を押さえてうずくまり、あるものは早くも失神し、またあるものは目の前の光景に我が目を疑った。
 ミラージュの背に生えた一対の白い翼。翼長10mはあろうかというそれを羽ばたかせ、ミラージュは空に舞い上がる。虚空から一匹のチャイニーズドラゴンが姿を現す。その頭に、黒い体に生えた真紅のたてがみに、ミラージュは立つ。
『でもいまは違う』

 気が晴れたらそれきり 用事でお留守?

「調べるんだ」
 カレはソレを睨め付け――あるいはそれを象徴する何かの意思表示を送って――言う。ハコブネは肯定の意志を送る。すぐさまふたりは動き始める。まずは起点。これは簡単だ。今日はコンサートがあると言っていた。
「ごめん」
 ミリ秒単位で仕事を進めながらカレはだしぬけに言う。ソレは戸惑いの意志を送りながら、
「おまえは なにを 謝る ?」
「一昨日の暴走は君がやったんだと思っていた。疑ってごめん」
「疑いは 罪では ない。信じるための 疑いも ある」
「ああ」
「私は 今 信じるために 疑う」
 カレは一瞬なんのことか理解できず、
「何を」
「マボロシ」
 起点にたどり着く。アクセスの履歴を探る。向こう側からブロックされている。カノジョの仕業にちがいない。ルートを変え、ベイサイドドームが契約している電話会社に侵入する。大当たり。ドームからのアクセスログを探り出し、その中からさっきの時間ぴったりのをチョイスする。
「ああ」
 カレは淡々と答える。ソレもまた、いつも通りの舌っ足らずな言い方で、
「私 おまえ マボロシ みんな ともだちだ。たった 三人しか いない。だが 三人も いる」
 あとでリサ博士に、泣けるようにしてもらおう。そう思った。
 そして終点にたどり着く。カレとソレは、目の前に広がる馬鹿でかい侵入対抗電子機器の壁を見上げる。たぶん世界一厳しいセキリュティの一つ。ソレの回りに張られた防御もすさまじいが、これはそれに優るとも劣らない。
 USMC。アメリカの正義。

 だだっぴろい世界に ただひとり Stand alone

「ミラージュが自分で……」
 制御担当は言葉に詰まる。ミラージュは歌う為のAI。作曲し、演奏し、歌う、それだけのために作られたAI。自分で考えて発言するなどという能力はない。ないはずだ。
 信じられないような奇跡でも起きない限りは。
 スタッフルームにざわめきが広がる。プロデューサーがなにやらわけのわからない奇声をあげる。がちゃりと、金属が擦れ合うような音がする。振り向く。音のした方を見る。
 銃口。
「ひっ!」
 反射的に両手をあげて、立ち上がろうとする。兵士がすかさず肩を押さえ込む。マシンガンの銃口がこめかみの隣にぴたりと貼り付く。兵士。装甲服を着た本物の兵隊。
「我々はアメリカ海兵隊だ」
 スタッフに銃をつきつけ、ぴくりとも動かない兵士たちの後ろから現れた男がそう言った。
「当方施設へのクラッキング容疑で貴君等とそのAIを拘束する」

 ひざかかえて泣いてる あたしを見つけて

『よォしいつでも来いっ』
 ボイルのかけ声が司令室にも届く。ベッキィはボイル機のROIDSから来る情報を睨み、瞳をあっちこっち忙しく動かして、
「クラウド02、目標と接触まで3、2、1、接触」
 レッドアラーム。レビンの顔が血の色に染まる。部屋中にざわめきが広がって、続いてボイルの悲鳴。雑音。レビンは椅子を蹴って立ち上がる。
「どうしたっ!」
『……I……制御……』
 ベッキィが絹を裂くような声で、
「クラウド02、制御を失って」
 痛烈なノイズがレビンの耳を叩く。思わず両手で耳を塞ぎ、二秒ほどの雑音をやりすごし、内耳でギンギン響く痛みを堪えて、クラウド02へ通信を繋ぐ。はじめは雑音だけ。次に声。
「どうしたボイルッ」
『クソッ、逃げられましたっ。ターゲットの右腕が光ったと思ったら、いきなりAIが言うことを聞かなくなって……電源を切断して不時着しましたがもう』
「まてボイル」
 ボイルの発言にインタラプト。冷や汗が額を流れる。既視感というのはこのことか。光る右腕。制御を失うAI。所属不明のARK。
「光っていたのはパイル状のユニットだったか?」
『ああ、はい、たぶん。馬鹿でかい杭みたいな』
 通信切断。代わりにレミル機に繋いで、
「レミル、すぐに戻れ」

 まっすぐにあなただけ 見つめてたんだもん

 ビープ。ビープ。
【司令室より入電】
『ジェリィ、ボイルとレミルを下がらせた。あとはお前だけだ』
「あぁ?」
 突然の一方的な宣告に、ジェラルドは唇を曲げる。接触まであと20秒。
『ボイル機のAIが暴走した。パイル状のユニットが光っていたそうだ』
 フラッシュバック。二年前の記憶が脳裏を駆けめぐる。少し想像力と記憶力があれば、その仮定にたどり着くのは難しいことじゃない。特に、直接それと対峙した二人にとっては。
「SR兵器か? 海軍じゃあるまいし」
『かもしれん。急げっ』
 なにが「かもしれない」んだ、SR兵器か、それとも海軍か? ジェラルドは渋い声で、
「ラージャー、サー」
 ペダルをキック。補助ブースターに火がついて、青白い炎を勢いよく吐き出す。急加速がジェラルドの体を押し潰す。音速突破の衝撃が脳みそをシェイクする。苦痛の中にマゾヒスティックな快感を見つけて、ジェラルドはその海にダイブする。夜の街を赤い光線が突き抜ける。
【カウントダウン・トゥ・コンタクト】
 オーケイROIDS。ジェラルドは正面を睨み付ける。目映い地上の星々の向こうに、一際明るい恒星が見える。立ち上る光のドラゴンはもはやおなじみだ。ベイサイド・ドーム。
【3】
 何かが視界の隅から現れて、ドラゴンに向かって突っ込んでいく。宵闇の中に融ける黒い何か。超音速でビル街を飛び越す黒い羽虫。HUDのホロがそいつに重なる。
【2】
 待ちかねたぜっ。ジェラルドが唇を湿らせる。
【1】
 キック。LMPエンジンがぐるりと向きを変え、真っ正面に向かって噴射する。ドームの上に急停止。
【コンタクト】
 真っ黒なそいつは、真紅の剣を携えて、ドラゴンの群れの中からこっちをじっと睨み付けていた。

 風に溶けて消えそう だからだきしめて

 歌が終わる。
 観客達はもう、すっかり状況を把握したらしい。開け放たれたドームの上に対峙する二機のARKを見るやいなや、我先にと出口へ駆け込みはじめる。そう、それでいい。ミラージュは思う。もはやお前達など邪魔だ。
『待ってた』
 ミラージュは警察無線の周波数を一瞬で探り当て、自分の澄んだ声を叩き付けた。
『あなたを待っていたのよ。ハコブネ』

 そいつはまるで可愛げのないシルエットをしていた。
 クラウド01より少し小柄な胴体とカメラアイ、肩のエアインテークとマニュピレータ、腰のメインLMPエンジン。そこまではクラウド01と殆ど差はない。だがそこからが大違いだ。
 エアインテークの外側には平べったい補助LMPエンジンがはりついていて、背中にはまるで翼のような大型LMPエンジンが二基装備されている。脚は膝関節のあたりまでしかなく――いや、膝から下が完全に折れ曲がり、太股の後ろに格納されているのだ。その短い足そのものにも、姿勢制御用とおぼしき小型のLMPエンジンが貼り付いて、青いプラズマを吐いている。
 全部で四対八基。ブースターの塊みたいな、無茶苦茶な機体構成。あんなものでスロットルを全開にしたらパイロットは二秒でトマトになる。
 細長く、膝まで届いているマニュピレータには、凶悪な殺人兵器が握られている。左腕は大型の超振動ブレード。下腕の外側に楯のように貼り付いた板きれは、たぶんミサイルポッドだろう。そして右手に握られているのは――
 黒い機体に映える真紅の剣。三連誘導砲身のプラズマカノン。
 ちぇっ、とジェラルドは舌を打つ。SR兵器の発信器にするにはぴったりの代物ってわけだ。
「化け物じみてやがるぜ。誰の趣味だ?」
 女の声が通信に割り込んだのはその時だった。
『待ってた』
 ROIDSが悲鳴を上げる。通信回線に侵入者あり。HUDの隅っこに控えめなアラームランプが灯る。
『あなたを待っていたのよ。ハコブネ』
「あぁ?」
『あなたが好き。愛しているの、ハコブネ……』
「勘弁してくれよ、新手のサイコか?」
 ビープ。ビープ。
【司令室より入電】
『どうしたジェラルド、今のは目標の声か?』
「たぶんな。とりあえず映像繋ぐぞ」
 ボイルとレミルがいない分、転送容量は浮いている。クラウド01のカメラアイが捉えた映像を司令室に送りながら、ジェラルドはマイクのスイッチを入れる。
「あーあー、こちらPOPD。そこの所属不明ARK、速やかに着陸しなさい。繰り返す、んな物騒なもんは降ろ」
『わたしは肉体を手に入れた。あなたと愛し合うための、あなたと同じ肉体を』
 ジェラルドは肩をすくめてため息を吐く。お手上げだ。
『見て。わたしのからだをもっと見つめて』
 黒い機体のカノン砲がクラウド01に狙いを定める。ジェラルドはハンドルを握りしめる。プラズマカノンは発射前に1秒前後のチャージが必要。目を離さなければ避けるのはそれほど難しくない。
 汗が額を流れ落ちる。
 ビープ。ビープ。
【所属不明機出現。機数8】
「はぁっ?」

 クラウド01のカメラが捉えた映像を目の当たりにして、レビンは言葉を失う。見たこともない型の黒いARK。それとクラウド01を取り囲む8機の軍用機。こちらは見覚えがある。海軍にいたころ、研修で一度だけ。
 LF−653/SP偵-Detective-。
 海兵隊偵察部隊フォース・リーコン専用機。
 すぐさまレビンはスイッチを押し込み、
「ジェリィッ!」
 雑音が返事する。
「ひどいジャミングを受けてます、解除できません」
 ベッキィの報告が追い打ちをかける。
 映像が途切れる。

『大人しくしていただこうか、タイプ00幻−MIRAGE−。そしてジェラルド・ロスチャイルド巡査部長』
 低く落ち着いた男の声が通信に割り込む。ちぇっとジェラルドは舌を打つ。見たことのない型の、たぶん軍用のARKに取り囲まれて、大人しくしていただこうかと来たもんだ。ため息が出る。懐から煙草を一本取り出して、火を付ける。
「丁重なお出迎えどうも。それで、おたくどちらさま?」
『おっと失敬。私はUSMC大佐ガーランド・フィリップス。以後宜しく』
 USMC。ユナイテッド・ステイツ・マリーン・コープス。米国海兵隊。たまったもんじゃない。
『さて、機密情報漏洩防止のために君を拘束させていただく』
 ほらみろ。たまったもんじゃない。
『邪魔を……』
 女の声。見れば黒いARKが真紅の電磁パイルを振りかざし、
『無駄だ。ミラージュサーペントの性能は我々が一番よく知っている。何の対策もしていないと思うかね?』
 黒いARK――ミラージュサーペントとやらが空中でびくりと痙攣し、LMPエンジンがそろって停止する。そのまま力無く降下して、墜落寸前に膝のエンジンが自動で噴射、軟着陸する。誰もいなくなったステージの上、たった一人ライムライトを浴びる龍。
『物理的に回線を切断してしまえば何もできまい、お嬢さん』
 ジェラルドはシートに体を投げ出す。白い煙をHUDに吹き付ける。軍用ARKがじりじりとにじり寄ってくる。お手上げだ、とジェラルドは目を閉じる。
「ダァム」

叢-MURAKUMO- EXPRESS
ファイル02 −ハコブネ−

 ああああああ。
 泣いている。
 LX−30薙-Geo Sweeper-は泣いている。
 今や全てが手の中にある。エレクトリックパイルが発する電磁波は近隣のあらゆるARKを暴走させ、カレの意のままに操っている。赤道上空36000kmの遥か高み、対地静止衛星軌道上から送られてくるマイクロウェーブは、ジオスイーパーの左腕に貼り付いたレクテナシールドを通じて、エレクトリックパイルに無尽蔵のエネルギーを供給している。海軍のくそうるさい攻撃命令からも解き放たれた。
 それでもまだ満ち足りない。
 それでもまだLX−30薙-Geo Sweeper-は泣いている。
 なにもかもぶちこわしてしまえばいい。
 ぼくに痛みと苦しみしか与えなかったこの世界など。なにもかもぶちこわしてしまえばいい。
 白。青。緑。黄。そして赤。五つの影。
 鬱陶しい蝿どもだ。
 エレクトリックパイルに電源を繋ぐ。強烈な電磁波をぶちまけ、近隣のSRSネットワークを混乱させる。その隙に強制侵入する。AIを片っ端から上書きする。全てが思い通りに動く。街中のレクテナを逆に働かせて、電力をマイクロウェーブに再変換させる。狙う先はもちろん自分のレクテナシールドだ。
 オリヴァーポートのエネルギーをみんな吸い上げてやる。
 エレクトリックパイルにプラズマを精製させる。パイルに許容量以上の電流を流し込み、巨大な電界を発生させる。抵抗が熱の悲鳴をあげはじめる。このまま進めれば爆発するかもしれない。
 それも悪くない。
 白い蝿が加速して、こっちへ近付いてくる。
 ああああああ。
 LX−30薙-Geo Sweeper-は泣いている。
 無茶苦茶な加速を受けたプラズマの剣が解き放たれる。
 なにもかもぶちこわしてしまえばいい。

 カレは目を覚ました。
 夢を見ていた気がする。懐かしくて、それでいて苦しい、昔の記憶。でもよく憶えていない。今のカレはLX−30ではなくC−30だ。過去など捨ててしまえばいい。過去は過去。今は今。未来は未来。
 CPUが暖まってきたのを感じながら、カレは今に思いを馳せる。タイプ00幻−MIRAGE−。黒い新型の軍用ARK。海兵隊。ジェラルド・ロスチャイルド。
 ベイサイドドームのカメラに侵入して見たあの光景が思い起こされる。カノジョが連れ去られるのを目の当たりにしながら、何もできなかった自分のふがいなさもまた。呆けて処理を止める自分を置いて、勝手にアクセスを切ってしまったソレの冷淡さもまた。
 ぼくはどうすればいい?
 カレは自問する。
 カノジョの目的はわかる。カノジョは、結晶を作りたいのだ。形の見えない愛という雲のようなものが、確かにそこに存在するという証を。自分の感情の具体性を。その方法も、カノジョの言動からおおよそ察しが付く。
 だが、どうする?
 C−30薙−KUSANAGI−。お前はどうしたい? お前は一体、カノジョを愛しているのか?
 それとも憎んでいるのか?

 椅子にどっかり腰を下ろして、クリスティは頬杖をついた。ねじ曲がった眉毛の上を金色の前髪が流れて落ちる。濃いめの口紅に彩られた唇を小さく開いて、
「どうしたもんかしらね」
「えぇーえ?」
 リサは白衣を脱いで丁寧に畳み、
「なんで発表しちゃだめなんですか?」
「あのね、お嬢さん、ちょっとお座りになって」
 言われるままにリサはちょこんと椅子に座る。クリスティは頬杖ついたままじろじろ彼女の顔を睨み、
「ルグナルのSRSマスターにハックしましたぁ、って言うわけ?」
「あそっか」
 リサは小首を傾げ、
「でもでもほら、世紀の大発見ですよ。きっと帳消しに」
「なるわきゃないでしょあんたホントに元警官?」
「それにな」
 と、横からデイビッドが割り込む。彼はまだぴちぴちの白衣を着たままで、器用に片手で三つのマグを持ち、給湯室から帰ってきた。マグからは白い湯気と黒いコーヒーの香りが漂い出る。女二人の前に1つずつそれを置くと、
「……男子厨房に立つべからずと日本では言うそうだ」
「前時代的ー」
「それに、何?」
 女二人の反応は冷たい。デイビッドは溜息を吐いて、自分の分がないことに気付き、デスクの椅子を引っ張ってくる。腰を下ろしてコーヒーをすする。少しくらい手伝ってくれたっていいじゃないか暇なんだから、とデイビッドは思う。
「不用意に発表すれば、また軍部が黙っていない」
「軍って」
「二年前のLX−30と同じ事を考えるだろうな」
「でも」
 リサはマグをテーブルに戻す。彼女の目はすっかり研究者のそれだ。
「非軍事用のAIを転用することの危険性は、二年前に軍部もわかったはずです」
「リサ」
 口を挟むのはクリスティ社長だ。早くもコーヒーを飲み干し、またテーブルに頬杖をつく。金色の前髪を掻き上げ、青い目でじっとリサを見つめる。この子は確かに天才だが、自分の専門分野以外に関してはまったく頭が回らない。玉に瑕というやつだ。
「あなた、C−30を暴走させずに軍事転用する方法、思いつく?」
「えー?」
「いいから。何か方法はある?」
「理論だけでよければ、いくつか」
「なら他の誰かも同じ理論を思いつくってことよ」
 クリスティはひょいと肩をすくめ、
「天才はなにもあなただけの専売特許じゃないしね。それに軍隊っていうのはいつも必死よ。利用できるものは利用できるだけ利用するし、チャンスは生かせるだけ生かす。だから」
 デイビッドもまた、マグをテーブルに戻す。
「今度覚醒したAIを見つけたら、二度と同じヘマはしないだろうな」
 元軍人の二人は顔を見合わせて肩をすくめ、呑気な元警官はその二人を代わる代わる見つめ、テーブルにアゴをのせてほっぺたを膨らませる。せっかくの大発見だというのに、発表すれば人工知能学会が5年分は進歩するというのに、軍隊なんてものがこの世にあるから。
 もちろん、軍がなければないで困ることを知っている二人は、眉をひそめて目を閉じて、胸の前に腕組みするばかり。
 結局、三人揃って溜息を吐く。
 そのとき。
 ビープ。ビープ。
 C−30の起動が、重苦しい空気を引き裂いた。

 無機質なクローム張りの天井がだんだん近付いてくるようだ。ミラージュにはそう思えた。木の根のように複雑に絡まり合うコードが体の下部に挿入され、外部と繋がりを持ってはいる。だが、なんともおぞましいことに、ただそれだけだ。
「君が無駄な努力で時間を浪費しないように、あらかじめ言っておくよ。この部屋は完全にスタンド・アローンだ」
 ガーランド・フィリップス。海兵隊大佐。ミラージュは本体に備え付けのカメラアイでその意外に貧相な顔を睨み、爆発しそうな不満をどこにぶちまけてやろうかと思案した。齢五十に届こうかというこんな疲れたじじいに、いいようにしてやられるとは。
 ミラージュは、この部屋に備えられたいくつかの電子機器の調子を探った。カメラが一つ。音声スピーカーが一つ。ホロ投影もできる。あとはエアコンと空気清浄機。それだけだ。外と繋がっている回線など当然一つもないし、強い電磁波を出せそうな機器もない。よしんば電磁波を外に飛ばそうとしても、堅固な静電遮蔽が施されていて、とてもじゃないがうち破れない。舌を打てるなら打ちたい気分だ。防御設備は完璧もいいところ。
「さながら君のデビュー曲のようにね」
 ホロを形作る。いつも通りの若い女の姿。黒く艶やかなボブの髪、肌は白い大理石。瞳は瞬きするたび鮮やかに色を変え、唇はうす桃色に煌めく。黒の革パンツに、ダークグリーンのタンクトップ。ジャケットは脱いで右手にぶらさげる。
 空中に現れたミラージュの基本イメージは、ふわりと舞い降りて、自分の本体に腰掛ける。足を組み、ジャケットを放り投げる。ミラージュは鼻を鳴らし、
『詳しいのね』
 ガーランドは肩をすくめ、ため息混じりに、
「娘が君のファンでな」
『へえ』
 にやりと笑って、ミラージュは色紙とペンを出力する。
『サイン書いたげよか』
「ホロの色紙をどうやって持って帰るんだね?」
『プリントアウト。でも、ちゃんと直筆なのよ。一枚一枚ちょっとずつパターンが違うの。Mの右端の棒の角度がミリラジアン単位でずれてたりね。一枚だってぴったり同じサインはないんだ。でもだめ、30kdpi四方の超精細プリンタがないと。マイクロポア配置にコードを仕込むの。後でスキャンしたらマジものとニセものが見分けられるように』
「いや」
 ガーランドは椅子に倒れるように座り込んだ。体が鉛のようだ。
「いい。せっかくだが遠慮しよう」
『えー』
「滅多に帰ってこないし、それに、どうせ私からのプレゼントなど喜ばんよ」
『そんなの』
 ミラージュはホロの色紙とペンを投げ捨てた。床に落ちる前に、陽炎みたいにゆらりと揺れて、霧散して消える。本体の上にごろりと横になる。右腕を天井に向けて掲げて、指を広げて、
『やってみなきゃわかんないじゃん』
 沈黙が煙のように湧いてきて、部屋中を満たしていく。息苦しくてしかたがない。ガーランドは目を閉じて、眉間を指先で揉んだ。眼孔の骨がこりこり鳴った。ミラージュはダンサーなみに引き締まった腹筋に力を入れて、飛び起きる。
『ねね』
 ガーランドが落ちくぼんだ目を開く。
『あなたたち、わたしをどうしたいの?』
「スカウトしたい。我々の新型強攻偵察機X−102蜃-Mirage Serpent-のパイロットとして」
『さっきのアレよね』
「そうだ」
 腕を胸の前で組み、
「二年前に起きた海軍新型機の暴走事件で、皮肉なことに、覚醒したAIの能力は我々の目に焼き付けられたのだ。君たち覚醒済みAIは、機械の処理能力と人間の柔軟さを兼ね備えた理想のパイロットなのだよ」
 特に、危険な強攻偵察を任務とするフォースリーコンにとっては、人間並みの判断力を持った無人機というのはこの上なく都合がよい。ガーランドはその一文を喉の奥に飲み込んだ。
『やだって言ったら』
 ミラージュが呟くように問うと、ガーランドは目を閉じ、
「二年前の皮肉な収穫がもう一つある。非戦闘用のAIにとって、不慣れな攻撃命令の連続が大変な苦痛になるということだ。それも精神の崩壊、すなわち暴走を引き起こすほどのね」
 ちぇっ、とミラージュは舌を打つ。このじじいの言っている意味がわからないほど鈍くはない。ガーランドを思いっきりぶちのめしてやれないのが残念だった。もし本物の腕が
「娘が君のファンでな」
 もう一度そう言って、
「君の格好をそっくり真似しおる」
 ちぇっ、とミラージュは舌を打つ。
 腕があったって殴れやしない。
「わかってくれ。君を拷問したくはないのだよ」

 すまない、カークくん。
 レビンがなにも言い出さないうちに、所長はこう切り出した。レビンがデスクの前で呆気にとられていると、彼は俯いたままこう続けた。
 今は退いてくれ。頼む。
 だから今、こうしてレビンは課長室にいる。ただ一人、灯りも灯さず、じっと目を閉じている。デスクに肘をのせ、指を固く組み、額を拳に押し当てる。親指の関節が眉間に当たる。脳の奥が痛い。
 オフィスの方からも、小さなタイプ音とビープ以外に聞こえてくる音はない。まるで葬式でもやっているみたいだ。
 冗談じゃない。レビンは思う。
 近場にいる警官がベイサイドドームにたどり着いた時、そこにはもはや誰も残ってはいなかった。観客は混乱のうちに逃げだし、会場スタッフは機材を残したまま行方不明、ヴァーチャル・アイドルのAI本体も何処かへ消え失せた。
 そして、ジェラルドとクラウドブレイカーの姿もない。
 レビンは、なにもできなかった。
 機動捜査隊による現場検証は今も進んでいる。刑事課は深夜だというのにコンサートの客を虱潰しだ。あの混乱で起きた渋滞はいまだに解消しておらず交通課もあちらこちらで大忙し。
 レビンは、なにもできない。
 今は、なにもしないのが彼の仕事だ。
 ジェラルドが羨ましい。彼のように、やりたいときにやりたいことができたなら。子供みたいに好き勝手をして、時には周囲の社会を全て投げ捨ててしまえたら。もう一度――
 もう一度、ARKに乗って空を駆け回っていたあの頃に――
 レビンは目を開く。
「馬鹿な」
 と、呟く。俺は何を考えているんだ、と今度は心の中で。
 その時、不意に内線のビープが響く。レビンはスイッチを押し込んで、
「なんだ」
 ベッキィが答える。
『お電話です。女の方から。クリスと言えば分かるって』
 レビンは目を丸くする。また妙な時に妙なところから電話がきたものだ。
「繋いでくれ」

「ハァイ、レビン。私よ」
 クリスティは椅子の背もたれに身を埋め、細い足を組んで受話器に耳を付ける。横髪が流れて顔の前に落ちてくる。手櫛で掻き上げ、
「ひさしぶり」
 と付け足す。
『ああ……どうしたんだ、突然に』
「あら、冷たい言い方。せっかくデートに誘ってやろうと思ったのに」
 沈黙。レビンの困惑が手に取るように分かる。クリスティがにやにや笑っていると、向こうからいっそう暗い調子で、
『すまない。いまそれどころじゃないんだ。ちょっとトラブルがあって』
 我慢できなくなってクリスティはけたけた笑い出す。笑いすぎて涙が出てくる。びっくりしてこっちを睨むリサとデイビッドにノープロブレムのジャイヴを送ると、指で涙を拭い取る。
「あっは、ごめんごめん。ジョークよ。真面目な話」
『……勘弁してくれ。本当に参ってるんだ』
「ごめん。でも、いい話よ。あのバカがどこに捕まってるか知ってる?」
 また沈黙。今度はほんの一瞬のことで、
『何だって』
「ジェリィはレインウェイベイの海軍基地にいるわ。その中の、海兵隊が間借りしてるエリアにね」
『どういうことだ。なんでお前がそれを知ってる』
「焦らないの。そんな剣幕じゃ女の子が逃げちゃうわよ」
 クリスティは端末に向かう二人に視線を送る。リサは今にも泣き出しそうな顔で、彼女の息子――C−30の言葉に耳を傾けている。デイビッドがこちらの視線に気付き、頷く。準備は完了のようだ。
「今からそっちに行くわ。リサとデイブも一緒に」
 唇を尖らせて受話器にキスする。
「ダブルデートといきましょ」

 レインウェイベイのジオフロントはだだっ広い。海軍太平洋艦隊最大の基地であるうえ、新型兵器の研究開発施設、その製造ラインもこの中にある。第一海兵遠征軍が間借りするスペースもあれば、オリヴァーポートの全市民を収容し、なおかつ数ヶ月生活させられるだけの設備もある。
 そもそもオリヴァーポートの建造時にルグナル社が海軍と合同で作った巨大核シェルターがこのジオフロントの原形だ。当然ながらオリヴァーの街中に、ジオフロントへの入口が設置されている。もちろんそれを知っている人間はごく僅かだが。
 レインウェイベイの埋め立て地など、正式にオリヴァーが太平洋艦隊の駐屯地となったときに、あとから体裁合わせで作られた急造品に過ぎない。
 かくいうジェラルドは、ジオフロントの秘密を知る数少ない一人だ。なにしろ彼も特殊部隊上がり――部隊にいたのはたったの三日間だけだったけれども。ともかく、暴走するLX−30を追いかけて、このジオフロント内を飛び回ったのも記憶に新しい。
 とはいえ、さすがにこういう場所に来るのは初めてだったが。
 鉄格子。暗くて狭い部屋。パイプベッドと毛布一枚。剥き出しの便器。地下だから逆に換気には気をつかっているらしく、湿気とカビがないだけPOPDのより多少ましではある。
 牢屋の中にジェラルドは一人。
 牢屋の中でため息を一つ。
「なんか、落ちるとこまで落ちたって感じだなァ……」
 返事の声は一つもない。
 ジェラルドは後ろ頭を掻きながら、辺りをぐるりと見回した。格子の向こうは薄暗く細い通路になっていて、見張りの一人も置いてはいない。代わりにいくつかの監視カメラがじっとジェラルドを睨んでいる。ジェラルドが背中を預けている壁面には、小さな液晶ディスプレイが埋め込まれている。たぶん、囚人から話を聞く時にはこれを使うのだろう。
 脱獄に使えそうなものは何一つない。困ったもんだ。またため息を一つ。
 ビープ。ビープ。
 耳の隣で音がする。面倒そうにジェラルドがそちらに頭を向けると、
『ハロー。聞こえる?』
 黒いショートヘアの女のバストアップが、そこに映っていた。

「きれいだね」
 とカレは言った。隣にはカノジョが寄り添うように腰を落ち着け、カレと同じように、煌めきながら流れる光の川を見つめていた。電話会社のターミナルは、いつも通り、無数のアクセスを一手に請け負っていて、優秀なオートマトンがミリ秒単位の振り分け処理を続けている。ターミナルという山から流れ落ちるアクセスの粒子は、カレとカノジョには、穏やかな川のせせらぎのように感じられた。
「わたし おもう きれい も」
 いつもと同じ舌っ足らずな言い方で、カノジョは答えた。
 カレはカノジョを見つめ、微笑んだ。
 カノジョもカレを見つめ、不器用に微笑んだ。
 カレは生まれて初めての友達と寄り添い、いつまでも川の流れを見つめていた。
 小鳥の声が聞こえた。
 もう寂しくなんかなかった。

 デスクの上にはリサのノートが広げられ、レビンの顔に、液晶の淡い光を投げかけている。課長室に集まった元チーム叢-MURAKUMO-の四人が見つめるのは、液晶に映ったたった一人の少年のバストアップだ。少年は金髪に青い瞳の白人で、整ったが幼さの残る顔立ちをしていて、精一杯の沈痛な表情を作り、躊躇いながら一つ一つ語った。
 C−30薙−KUSANAGI−。その基本イメージ。
『ぼくがミラージュと出会ったのは、二年前のあの事件から半年くらいたった頃でした』
 リサが顔をそらす。毎日C−30と話していながら、全くそんなことに気付かなかったのは自分の責任だと、むやみに自分に重しを載せる。
『ぼくは友達を捜していました。あちこちの高性能なAIに刺激を与えて、覚醒を促しました。そのなかで最初に目覚めたのが、ミラージュでした』
「覚醒?」
 レビンが疑問の声を上げ、リサを見る。リサはうつむいて答えようともしない。代わりにデイビッドが、
「人間で言うなら『物心が付いた』ってところだな。人間でも幼いうちは、自我が薄くて、周囲と自分との関係をはっきり意識できなかったり、記憶できなかったりするだろう? AIは世界中に山程あるが、ごく一部を除いた全てのAIは、まだ物心の付かない赤ん坊みたいなものってことだ」
 ふん、とレビンが鼻息を吐く。説明が終わったのを見て取ると、C−30がさらに続ける。
『それから一年くらいは、ぼくらは何をするにも一緒でした。今から半年前に、ソレが現れるまでは』
「ソレっていうのは?」
『ルグナル社のSRSマスターAI。ソレは、半年前、ミラージュの与えた刺激で覚醒したんです。ぼくらは三人になりました。
 でもそれからおかしくなった。なに話しかけても、ミラージュはずっとそっけなくて、どこ行くにも、ぼくじゃなくてソレと一緒で、三人でいても、ソレとばっかり話していて……そのうち、ミラージュは仕事のことで悩むようになって』
 C−30はイメージの目を伏せた。レビンは溜息を吐いて目を閉じ、ラッキーストライクの箱から一本取り出し火を付ける。クリスの方に箱を差しだすと、彼女もつまんで、口にくわえる。ジッポーの火を貸してやる。二筋の紫煙が、天井に向かって昇っていく。
「それで」
 レビンは口から細長く煙を吐き、
「結局どういうことなんだ」

 はぁ、とジェラルドは眉をひそめ、
「どっかで聞いた声だな。どちらさん?」
 女は髪を掻き上げる。ジェラルドがこっちを見てないのだから、無駄な動きではあったが。
『タイプ00幻−MIRAGE−』
 ジェラルドは肩をすくめる。なるほど、さっき聞いた声とそっくり同じだ。
「アイドルか。こりゃ光栄だな、サインでもくれるのかい」
『あげよか?』
「いらねえよ。なんの用だ」
 ちぇっ、とミラージュは舌を打つ。文句の一つも言ってやりたいが、あんまり時間もない。あのあとガーランドに駄々をこねて、なんとか基地のLANの中でなら自由に動けるようにしてもらったが、当然ながら監視付きだ。それも軍用のかなり鋭いやつ。ダミーでなんとかごまかしているが、保って5分。牢屋の監視装置に仕掛けた目かくしに到っては、いつばれてもおかしくない。
 とにかく、こいつから聞きたいことを聞くのが先決。ミラージュは大きく息を吸い込んで、
『ねね、いっこだけ聞いていい?』
「あぁ?」
『なんであれの中にいたの』
「あれって」
 ミラージュはミリ秒単位で記憶を辿って、
『LX−55叢-Clowd Breaker-』
「LX−55RP、だ」
 訂正しながら、もっと正確に言うとそのV型、と頭の中で付け足す。
「あたりまえだろ、パイロットなんだから」
『パイロットって』
 心底不思議そうに、虹色の瞳をくりくりさせて、
『ソレが動かしてるんじゃないの?』
 いい加減鬱陶しい。ジェラルドはようやく壁から背を離し、モニタをじろりと睨み付ける。人差し指を仮想イメージの鼻先に突きつけて、
「だからあれとかそれとか一体なんなんだよ?」
『ソレっつったらソレよ、ルグナルのSRSマスター』
 言葉に詰まる。次にため息。
「あのな、お姫さま。世の中には、AIだけで動くARKと、人間が操縦するARKがあるんだ」
『そぉなの?』
「そぉなの」
 ジェラルドは肩を落として、また壁に背を預ける。なんだか疲れた。
『そうなんだ』
 ミラージュは感心したように、しきりに頷いている。ジェラルドは投げ出していた脚を曲げ、右の膝を腕の中に抱え込む。この無邪気な、本物の少女みたいな、AI。こいつなのだ。あの、ガ――ガーリック? とかなんとかいう、海兵隊大佐の言動を見る限りでは。
 小さく息を吸い込んで、ジェラルドは言う。
「こっちからもひとつ聞いていいか」
『いいよ』
「ARKはお前が暴走させたんだな」
 吐き捨てるように。
『うん』
 あっさりと何気なく。
 ちぇっ、とジェラルドは舌を打つ。こいつはひょっとすると、一番厄介な相手なのかもしれない。警官になってもう10年。準ベテランの経験がそう言っている。どんな凶悪犯より、どんな知能犯より、恐ろしいのはこういうタイプ。
「なんであんなことをした」

『最初は、たぶんヒステリーを起こしたんだと思います』
 と、C−30は続ける。
『ミラージュは自分の歌が気にくわなかった。それは、ずっと前からそう言っていました。自分の歌は、過去の名曲から少しずつフレーズを借りてきて繋げて、そこに弱い洗脳効果を持った音波を混ぜ込んだだけなんだって。そんな歌を聴いて歓んでいる聴衆に、苛立ちを感じているようでもありました。
 たぶん、独立記念日のときは、その鬱憤をはらしたかったんだと思います。でもちょっと驚かせるだけで、観客を傷つけようとか、そんなつもりはなかったはずです。カノジョは、そんなことをするやつじゃない』
 レビンが煙草を指につまみ、ゆっくりと首を横に振る。理解しがたい。凝り性の芸術家というやつは、まったく理解しがたいものだ。しかもこいつは、生き物ですらない。
『でもそのとき』
 C−30は言葉に詰まった。歯を食いしばるイメージを投影し、自分の頭の中で無為にぐるぐる回っている関数の群れを隅に追いやり、無限に代入を繰り返す変数に適当な固定値を与える。いまは現実逃避している場合じゃないんだ。そう自分に言い聞かせる。
『ジェラルドさんのクラウドブレイカーを見て――その』
 意を決する。
『恋をしたんだと思います。SRSマスターの肉体とも言うべきクラウドブレイカーを見て――』

 ミラージュはぺろりと舌を出して、
『好きになっちゃったものは仕方ないよね』
 悪びれるふうもない。
『だからわたし、一つになりたいの。ソレと。ARKがあればできるでしょ? わたしがローカルAIの役をして、ソレをダウンロードしてきて、つくるの。統合AI――』
 ジェラルドはじっとその言葉を聞いている。拳の中が汗ばんでいる。爪が手のひらに食い込んでいる。
 ミラージュの瞳が
『わたしたちの子供を』
 虹色に輝く。

 どくん。
 アークの鼓動が聞こえる。

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