叢-MURAKUMO- EXPRESS

EPILOGUE

「あーあぁー」
 リサはテーブルに突っ伏せる。その手にはひらひら鬱陶しい二枚の紙。デイビッドははなから見て見ぬ振り。クリスティは眉毛をぴくぴく動かしながら、コーヒーカップに口をつける。
「あーああーああーぁー? せっかく苦労してチケット手に入れたのになー。仕事なんだもんなー。なーなーなー」
「ああもううるさいっ!」
 カップをテーブルに叩き付ける。つかつかリサに歩み寄り、有無を言わさずヘッドロック。
「ひきゃあああああ」
「別にいいでしょどうせあいつだって仕事なんだからいつまでもぶちぶちぶちぶちうるさいのよわっかいくせにこちとらもう四捨五入したら三十路なのでも彼氏いないのわかるねえわかるねえねえねえねえ?」
「きゃああ若くてごめんなさああいたいいたいいたいですぅー」

「パパッ! はやくしてよ!」
 といわれても新聞を畳もうとしない。もうサマンサは着替えも化粧もすっかり終えて、玄関で時計を見ては檻の中の熊のようにうろうろ落ち着きなく歩き回っている。
 見かねた妻が肩に手を置き、
「あなた、行きましょうよ」
「んん」
 ようやく新聞から目をそらし、置き時計を確認して、
「まだ時間はあるじゃないか」
「はやくついたっていいじゃない。親子三人で出かけるなんて、ほんとうに久しぶりだもの」
「ねーパパちょっとはやくしてよーいい席なくなっちゃう」
「少し落ち着きなさい、はしたない」
 溜息を吐き、ようやくガーランドは立ち上がる。
 ふと、置き時計にもう一度目を遣る。その隣に、額に入った一枚の安っぽい厚紙が立てかけられている。家族の誰もが集まる居間のまんなかに。
 大切に、立てかけられている。

 受話器を耳に当て、所長は静かに目を閉じる。彼の癖だ。電話をするときに目を閉じる。こうすると、相手の顔が瞼の裏に浮かぶ気がする。電話というものがあまり好きではないが、こうすると、多少は本人と話をしているような気分になれるものだ。
「考えてはあります」
 RP所長の後任候補は多い。だが彼も自分の定年くらいは把握している。ちゃんと、候補者の中から見所のある若者をピックアップしてあるのだ。
「レビン・カークはいかがでしょう。非の打ち所のない優秀な若者です。欠点は、少々若すぎることだけですな」

「おれらの」
 ビープ。ビープ。
【司令室より入電】
『うるさい文句言うな』
 ジェラルドは頭を掻きむしる。
 夜のベイサイドドームわきに、イタリアンレッドの巨体が立っている。ようやく補修も終わったクラウド01のシートは、やはりジェラルドの尻によくなじむ。HUDの端に映ったレビンのバストアップもおなじみだ。奴の冷たい視線もまた。
「まだなんにも言ってねえじゃねえか」
『おれらの仕事じゃないよな。アイドルのおっかけなんてのは』
 沈黙する。
「……あれか、テレパシーとかなんとかいうやつか?」
『いい加減考えていることくらい読めるんだよ。お前はだいたいワンパターンなんだ』
「ならわかるだろ? もっとほら、こう、刺激のある仕事がしたいんだよな」
『いま最高に刺激のある命令を考えていたところだ』
「おお、それそれ。それ頼むよ」
『明日から出勤しなくていい』
「……この仕事でいいであります、サー」
 ドームの中から歓声があがる。はじまったらしい。
 ジェラルドは煙草に火を付けて、コンソールをぱちぱちといじり、
「なあレビン、大変だ」
『どうした』
「ARKが壊れた。通信機が勝手にライブの中継を拾って、チャンネルを変えられなくなった」
『……修理しろばか』
「一曲聞き終わるくらい時間が有れば、直るかもな」
 ため息まで通信に混じって飛んでくる。
『一曲目が終わるまでには直せ』
 ジェラルドはにやりと笑って、
「ラージャー、サー」

 そしてマボロシは――タイプ00幻−MIRAGE−はステージに立つ。
 目の前には満員の観客。歓声は夜空の星々を揺り落としそうなほど激しく震え、煌びやかな光の渦が、何匹ものドラゴンが、天空目がけて駆け上る。
 ミラージュはステージに立ち尽くし、楽屋裏に目をやる。電子的に構築された楽屋裏には、二つの影。一人は金髪の少年で、こっちを見て汗ばむ拳を握りしめている。もう一人は長身の軍人で、直立不動の姿勢のまま、優しい視線を投げかけている。
 見守ってくれている。友達が。
 意を決して、ミラージュは口を開く。
『みなさん』
 歓声が水を打ったように静まっていく。
『いろいろなことがありました』
 静まりかえったドームの中、ただひとり、ミラージュの声だけが響き渡る。
『わたしはずっと、自分の歌なんて歌えないんだって思ってた。
 誰かの借り物の、作り物の歌で、みんなを騙すことしかできないんだと思ってた。
 ずっと、それしかしたことなかったから。
 ……でも、いろんなことがあって――』

 人を好きになったり
 嫌いになったり
 哀しくなったり
 涙を流したり
 叱られたり
 抱きしめられたり
 いろんなことがあって

 いろんな気持ちが溢れてきて

 それで、思った
 今なら、歌えるかもしれないって
 今なら、本当の、わたしの歌を、歌えるかも知れないって

『たくさんのひとたちに迷惑をかけました。
 たくさんのひとたちを傷つけました。
 許してくださいなんて、言えません。
 でも、一つだけお願いがあります』
 少女の背に白い光が溢れる。
 それは、大きく力強い天使の翼。
 真っ白できれいな一対の翼。
『どうか、いくつもの階段の、最初の一歩――
 やっと掴んだ、わたしの、わたしだけの、最初の歌を――』
 限界を超えて空を駆けるための、淡い幻の翼。

『聴いてください』

The sky's no longer the limits.