ロボットひなた
1
マンションのその部屋は、清潔感が溢れている。一人暮らしではただでさえ広すぎる作りは、3部屋の内、主人がいないときの部屋は広々としすぎて寒さすら感じさせた。
と思っていたのは、自分だけで、当のマンションの主人はそんなことはまったく気にしていなかったようだ。
目の前にいる、セーラー服を着ている人間型ロボットを見て、大葉由美は、それを創った男が自分と付き合っている相手だと思うと嫌な気持ちになった。
まったく、男という奴は何を考えているのかよく分からない。このマンションが清潔なのも、毎日コンビニの弁当で生きていく必要がないのも、みんなわたしのおかげなのに。
まあ、今はこんな馬鹿の考え分かりたくもないが。
そう思うが、目の前にいる彼と人間型ロボットからは目を離せない。
大葉由美は今年十九才、身長は162センチ、体重47キロ、スリーサイズは上から83・61・85。これはちょっと自慢できる。髪は首に掛かる寸前のショート、少し目つきと性格がきついのを我慢できれば、こんな女と付き合える奴は幸せ者に違いない。
今の服装はオレンジのワンピースで、腰の所できゅっと締まっている。わたしのお気に入りで、スタイルをいっそうよく見せてくれた。彼も前に着たときはベタ褒めだった。
そう、誰がどう考えても、こんなにかわいくて、その上尽くしてくれる女の子がいつも近くにいたら人生幸せに決まっている。
なのに、なのに、である。
その、同い年の幸せ者はそんな彼女の前で人間型ロボットを創って喜んでいるのだ。
大体、自分の彼氏だから今まで言いたくなかったが、こいつの頭は少しばかりおかしいのかもしれない。おかしくなくても間違いなくネジは緩んでいる。それもかなり激しく。
確かに、今地球で一番IQが高いのは認めよう。今世界の企業が彼の発明に一喜一憂しているという現実も認めよう。彼がその知識の鱗片をちらつかせれば、世界の主だった企業は何でもする。彼の知識は莫大な金を動かすのだ。たった19才にして、こんなマンションを現金一括で買えるのは、こいつくらいだ。今、世界の経済は少なからず彼の行動に左右されている。
それは事実なのだし、彼を越える人間は当分現れないというのも事実だろう。
しかしっ!。
だからといってこんなことやっていいわけがない。
彼女として、いや、女として許せるわけがない。
彼女を前にして、自分が創った女の子型のロボットに夢中になるなんて、人間としてやっていいことではない。まして、そのロボットに彼女のセーラー服を着せていいわけがない。
セーラー服を持ってこいというから持ってきてみれば、ロボットに着せて喜んでいる。何よりむかつくのは、ロボットなのに、見た目はどう見ても普通の女の子という所だ。
どこから見ても、動きの不自然さどころか肌に硬さや隙間すらない。言われなければ女の子だと勘違いしてしまう。
今にも怒鳴りだしそうな大葉由美の視線の先には、人間型ロボットと戯れる男が一人。
ぼさぼさの髪に剃り忘れているひげ、あんまり体力はありそうじゃない体。身長は由美よりも二センチ高いだけだ。
世界一の天才、遠藤一八だった。
当の本人、遠藤一八は、自分で創ったロボットに夢中になっていた。ロボットはあまりにも完璧にできている。
さすがに、天才が構想だけでも半年、創るのに一ヶ月間もかけただけある。
絨毯の床にあぐらをかいて座っている一八は、姿勢よく立っているロボットの顔を見上げている。ロボットは一八の顔を見返していて、見つめ合っているようにも見えた。
「こっち向いて」
ロボットの腰を掴んで、頭のてっぺんからつま先までをゆっくりと見ていく。
「変態!」
吐き捨てるような彼女の声は、とりあえず無視した。
「どっから見ても人間だもんな」
「ありがとうございます。マイスター」
軽くお辞儀をするロボット。その顔に浮かんだ笑みは、どこから見てもはにかんでいる少女のもの。
人型ロボットは、見た目はまったく人間と同じで、話しても触っても、抱いたって区別なんてつかない。肌は柔らかくて、弾力もある。
髪は腰まであるロングで、スタイルは由美とほぼ同じ。ただ、性格は正反対に創られている。ぜんぜんきつくない。それに合わせるように、顔はいつだってこの世には何の問題も無いとでもいうように落ち着いていた。
完全に、どこをどうとっても理想のかわいい人間の女の子だ。世の中の男のために存在していると言って、過言ではない。変な趣味の人間は除くが。
「お前ほんとかわいいよな」
「ありがとうございます。マイスター」
またはにかむ。
「あっ、名前は『ひなた』だからな」
「インプットしておきます」
今度は真剣な顔になった。ロボットが名前を覚えるのにそこまで真剣になる必要があるのかはわからないが、一生懸命に憶えている。
「名前は?」
ひなたは真剣な表情のままじっと一八の顔を見たあと、おそるおそる口を開く。
「ひなたです」
「完璧だねー」
「あんた達バカでしょ」
「さすが俺が創っただけあるよな」
「光栄です。マイスター」
心底嬉しそうな声。
無視された由美の声。
由美の額に、青筋が浮かんでいたが、天才も、天才が創ったロボットも気づいていなかった。
ソファーに座って、組んでいる足の上に肘を立て、頬杖をついている由美はじっと目の前の二人を見ている。
だから、頭にくるのよ。
ロボットもアホ一八も。
由美は立ち上がると、二人を睨み付けたままに、近づいていく。
まだ、二人は気づいていない。
人型ロボットを創ったのが悪いって言ってるわけじゃないのよ。ただね、その性格を彼女と正反対に創るってのはどういう了見なんだろう? スタイルや身長はほとんど同じなのに、性格だけ違うというのはどういうことだ。誰か的確な説明ができるだろうか。その説明がわたしが怒らないようなものだったら、わたしがかわりにセーラー服を着て誘惑してあげてもいい。
でも、そんな説明できっこない。
人間、好きなロボットを作れるのなら、誰もが好みの形のロボットを創るだろう。なら、一八の好きな女の子は、このひなたというロボットだというのだろうか。
付き合っているわたしではなくて、このロボットが一八の理想なのだったら、わたしの存在はいったい何なのだろう。
そんなことを考えて近づいていくと、足音なのか気配なのか殺気なのかは分からないが、一八とロボットひなたが同時に振り向いた。
「どうだい、この子を見てどう思う? 俺の最高傑作だからな」
由美の怒りにはまったく気づいていない口調。まるで一緒に喜んでくれるのが当たり前という感じだった。
「すごいぞ、こいつの中には新しく開発した新システムが積んであるんだ」
「どんな?」
聞き返す由美の声には露骨に棘があったが、一八は気づいていない。聞かれて、かえって嬉しそうですらある。この鈍さも、ただ者ではない。
「ライブラシステムって言うんだけどな、これはすごいぞ主人の状態に対してだな、内蔵のコンピュータが」
「それはいいから」
遮られて、初めて一八の顔に寂しそうな表情が浮かぶが、すぐに消えた。やっと由美の怒りに気づいたようだ。すぐに何かを言おうとするが、それよりも速く由美が口を開ける。
「最高傑作はいいんだけど、どうしてそんなもん創ったのよ」
まだまだ、棘を含んだ口調で、今度は睨みながらだ。一八は平気なのに、ひなたはが一八の背中に隠れようとする。
その行動が、また、神経を逆なでした。
別に、わたしだけの背中というわけじゃないからいいんだけど。目の前でそれをやられると腹が立つ。
今日はとことん問いつめてやる。そうじゃないと気が済まない。
「何で創ったか聞いてるの」
さらに、睨んで言う。一八の目から、決して逸らさない。 これだけ睨まれたら、さすがに少しは怒られていると思うはずだ。
甘かった。
「いや、一ヶ月前に寝ようかと思って布団に入ったときに何となくひらめいてさ」
天才という人種をなめていた。
答えとしては合っているが、若干訊いている意味と違っている。ここは、粘るしかない。わたしだって中学生の頃からこいつとつるんでいるのだ。ここで退いてはいけないことぐらい分かる。ここで退いたらこちらの負けだ。
「ひらめくのは勝手だけど、何もひらめきを形にすることはないでしょうが」
「せっかくの大発明だぞ。もったいないだろうが」
「こんな女の子型ロボットの何処が大発明なのよ。ひらめきを形って言うよりはただ欲望を形にしただけじゃないの」
「そんなことないぞ」
「ほんとに?」
「ああ」
「ぜんぜん?」
「間違いない」
「まったく?」
「もちろん」
「嘘ついたら二度とキスしてあげないわよ」
「少しだけあったかも」
「死んでエジソンに詫びなさい!」
「なんでエジソンなんだ」
「ベルでもドクター中松でもいいわよ!」
「できればドクター中松がいい」
襲いかかる由美に一八は捕まり、首を絞められた。ひなたは、オロオロと二人を交互に見て、口をぱくぱくさせている。
五分ほどが過ぎ、ようやく解放された一八は、首をさすって調子を確かめた。死にかけたが問題はなさそうだ。
「何で俺はお前に殺されなきゃならないんだ」
「欲望を満たすために女の子型のロボット創る奴なんて最低だからよ!」
「少しだろう」
「少しでも同じよ!」
由美の声は、どんどん大きくなっていく。近所から苦情がきそうだ。
「頼むからそんなに怒るなよ」
「怒ってないわよ!」
「いや怒ってるって」
「わたしのどこが怒ってるって言うのよ!」
「その声が怒ってるんだ」
「ただ声が大きいだけでしょうが!」
「声が大きい原因は怒ってるからだろう」
「ただ純粋に大きいだけ、怒ってる分けないでしょ!」
「ひなた、解析お願い」
ひなたは必死で一八の背中に隠れようとするが、無理矢理前に押し出される。
由美は、少しだけ、頭痛を感じた。
仲のいいことで。
「身代わりにでもするって言うの!」
「解析だと言っただろう」
「間違いありません。アドレナリンの量が通常データより1.5倍になっています。また、血圧は通常値よりも……」
「訊いてないわよ!」
「いや、怒ってないって言うから証明をな」
「怒ってるわよ、見りゃわかるでしょうが!」
「そう、怒鳴るなよ」
「怒鳴ってないでしょ、少し声が大きいだけ!」
「解析を」
「通常よりも69.36デシベル大きな……」
「解析するな!」
「お前が聞き分けないから」
「あんたたちがむちゃくちゃなの!」
「俺と由美の解析と比較を……」
「しなくていい!」
「だって、お前が……」
「もう帰る!」
ひったくるように鞄を握ると、由美は大股で出口に向かう。
後ろで一八の声がするが、無視した。
天才という奴は、やっぱりよく分からない。
2
一八とひなたは、呆然と由美の出ていったドアを見ている。
二人とも口を少しだけ開けたままで、ぴくりとも動かない。
少しして、先に復活したのはなんとひなただった。ロボットもなかなか侮れない。
「マイスター、怒られてしまいました。わたし何か間違っていたでしょぅか?」
言葉使いは丁寧で、怯えるような表情、震える語尾、どこから見ても気の弱い女の子。手を胸の前で握り合わせたりしている。
やっと我に返った一八はひなたを見る。
「やっぱり、俺が創っただけあるよ、お前は」
「それより由美さんが出てかれましたのが、後を追わなくてもよろしいのでしょうか?」
「由美さんじゃなくてマスターだよ」
「マスターで登録ですか?」
「そう、マスター」
「了解しました。で、マスターを追いかけなくてよろしいのでしょうか?」
「……」
長い沈黙が流れる。
「あの、早くいたしませんと」
「……」
また、長い沈黙。
「もう間に合わないと思いますが」
「しょうがない、じゃあ諦めよう。そのうち帰ってくるさ」
「マイスター、わざと時間を潰しませんでしたか、今」
「……いや」
「解析します」
「しなくていいよ」
「過去の例から見ても、マイスターがこのような態度をとる場合は何かをごまかそうとしています」
「俺、すごいものを創ったんじゃないのか?」
「それほどではありません」
「なんか由美に似てきた気がする」
「気のせいです。きっと」
「いやその自分を曲げない辺りが、すごく由美に似ているような」
「創ったのはあなたです」
「ごもっともです」
3
「まったく頭にくるぅ!」
暗い夜道を一人早足で歩きながら、大葉由美は怒鳴った。
辺りの建物に反響して、声が後を引く。
そのまま、ゴミ袋や空き缶を蹴りながら、近くにある公園まで行って、砂場で昼間に子供が作った砂山を蹴って壊した後、ベンチに座った。
そのまま十分ほど、声も出さず、じっと前に広がる暗闇を見続けた。
だんだん、落ち着いてくる。
正確に物事が把握できてくると、今度は悲しくなってきた。
やっぱり一八は理解できない。
あんなロボットを創って喜んでいるなんてわたしへの当てつけに違いないんだ。
確かにわたしの性格は少しきついし、言うことはちゃんと言って、言わなくても良いことまで言うこともある。
とてもじゃないがロボットひなたみたいに女の子らしくしおらしくはできない。怯えたり、胸の前で手を合わせ、オロオロなんてしたことがない。
でも、それだって、わたしにこういう風にしてくれと頼んでくれればいいじゃないか。わたしだって頼まれたら少しは努力するのだ。一八がそうしてほしいって言うのなら頑張るのに。
なのに、何も言わずにロボットを創って、はいおしまい。それではあまりにも悲しすぎないか。
わたしは一体、一八にとってどんな存在なのだろう。
大切な、世界でたった一人の彼女ではないのだろうか?
わたしよりも、性格のいいあのロボットの方がいいというのだろうか?
由美は、じっと前に広がる暗闇から目を逸らさない。まるで、その暗闇の先には何もないとでも言うように何も見えない。
確か、昼間見た記憶ではこの先には花壇があったはずだが、今は見えない。
「こんなふうに一八の考えてることも見えないんだってば。お願いだからわたしの言うことを聞いてよ。聞くだけでもいいんだから」
少し大きめの声で呟いてみるが、暗闇の先には、やはり何も見えない。
「わたしは一八がだいす――」
突然、暗闇の中から、人影が近づいて来るのが見えた。
顔が赤くなって、火照ってくる。
わたしは今、すごく恥ずかしいことを聞かれるところだった。
人影は、どんどん由美に近づいてくる。人影の格好は真っ黒の上下着ていた。右手だけポケットに入っている。
だから、こんなに近くに来るまで影みたいに見えるんだ。
人影は由美の前まで来ると立ち止まって由美の顔を見た。変質者ような雰囲気はなかったが、思わず身構える。嫌な感じがする奴。
夜中に一人でいる女の子に近づいてくる奴はみんな要注意だ。
そう思った瞬間、人影の口が動いた。
「ねえ」
声と同時に右腕がポケットから出され、そこに握られた白いハンカチが由美の口と鼻を塞いだ。
一瞬抵抗するように由美の両手が動きかけたが、すぐに力無くたれてしまう。そして、意識が遠くなっていく。
目の前が真っ暗になって、人影もその奥の暗闇も見えなくなった。
4
「マスター?」
一八の部屋で、まだセーラー服姿のひなたが天井を見上げながら呟いた。
「なにか、変な感じがします」
「うん?」
机の上に広げたノートに、思案げにメモを取っていた一八が、振り向いてひなたをみる。ひなたはまだ天井を見上げたまま動かない。
「由美になんかあったか?」
「分かりません。なにか少しだけ感じが変わったような気がするのですが」
「どんな風に?」
机の上のノートを閉じて、ひなたに体を向ける。ひなたには主人の状態を常に把握できるよう、衛生を通して心拍数や血圧を読みとるシステムをつけてある。今現代にできる最高精度ものもを取り付けたから、精度には自信がある。
それが、少し感じが変わったというのは、どういうことだろう?
初めて主人を創って初めて使ったシステムだから、まだどういう風に働くのかは分かっていないが、怒らせた本人だけに気にはなる。怒りにまかせて何かに八つ当たりでもしているのなら止めにいく必要がある。
「突然精神的にものすごく安定してしまいました。」
「怒り疲れて眠ったってことはないか?」
「いえ、まだ家には辿り着いていません」
一瞬で、一八の顔が真剣になる。
「今どの辺にいるのか分かるか?」
「分かります。検索に入ります」
「頼む」
一八は立ち上がると、コードレスの受話器を手に取った。覚えている由美のアパートの番号をプッシュした後、耳に当てた。呼び出し音が響く。
機械的なその音は、嫌なくらい大きく聞こえた。
誰も電話には出ない。
由美は一人暮らしだ。出ないのならやはり帰っていないということになる。怒っているから電話に出ないということも考えられるが、由美の性格はある程度までに怒りが達すると、逆に冷静になるはずだから、今電話を掛けたら出るはずだ。
一分近く待ったが、やはりでない。
「ちくしょう」
呼び出し音に向かって呟くと、呼び出しを中止した。
今、世界一の天才が、一分間呼び出している間に出した結論は最低のものだった。愚痴の一つも呟きたくなる。
家にいないということは、どこか家に帰る途中だったということで、その途中で突然精神的に安定してしまうということは、何かの理由で意識を失ったということだ。
「マイスター、時速50キロくらいで移動中です」
間違いない。
「誘拐された」
ぼそりと、呟く。
「マイスター?」
まだ把握できていないひなたに向って、慎重に言葉を選んで教える。上手く教えておかなくてはならない。ひなたにはこれから、由美を助けに行ってもらわなくてはならないのだ。
「俺のせいで、由美が誘拐された」
「マイスターの責任ですか?」
ひなたの表情に困惑が浮かぶ。浮かぶが、どうかして理解しようと真剣な目で一八の言葉を待っている。
「犯人はどこかの過激な企業に間違いない。俺の頭脳と由美を交換したいんだろう」
「頭脳とマスターの無事を交換ですか?」
「お前を作れるような技術があれば一瞬で何億って金が動くんだよ。由美と交換でそういう技術を奪いたいんだろう」
ひなたは、ゆっくりと頷いてから、一八の顔を見る。
「では、交換するまでの安全は確保できているのですね」
「とりあえずはな」
それは間違いない。ここで由美に傷一つでもつけたら、発明を賞金に世界中に手配をかけられる可能性だってあるのだ。誰だって、賞金首にはなりたくない。
「マスターはそれまでにわたしが助け出します」
一八は、ひなたの顔をじっと見てから、一度大きく頷いた。
「頼む」
「イエス、マイスター。わたしはその為に存在しています」
セーラー服のスカートを翻して、一八に背を向けると、玄関で黒のパンプスを履いてひなたは外に出ていく。
同時に、電話の呼び出し音が鳴り響いた。受話器を手に取った一八は、ゆっくり耳に当てる。
「遠藤一八か?」
野太い男の声。一八の記憶にある声ではない。
「彼女の名前、なんていったかな? 預かってるぞ」
「さっさと用件を言えよ」
「理解が早いな、さすが天才」
「由美に少しでも傷つけて見ろ、世界中で賞金首にしてやるからな」
「それはお前次第だろう? 天才さん」
臆した様子のない相手の声は、一八から表情を奪い去った。
手強い。手慣れてやがる。
5
受話器を置いた一八は、ひなたが出ていった後の玄関に目をやった。
犯人からの要求は明日の朝また電話するから、それまでに金になる技術を三つ用意しておけということだった。要求通りにするのなら由美はその後で解放する。
一八の感じた感想は、信用できない、だ。
一八がどんなに自分の社会的な地位をちらつかせても、自分の危険性を強調しても決して動揺を見せない。常に余裕を持って自分の優位性を譲らない話し方。こういう自体になれている。プロかもしれない。
少なくとも、衝動でその場しのぎの金を稼ごうという考え方じゃない。長い間計画を立てて、慎重に行動している感じを受けた。
こんなことになるんなら、由美にライブラシステムのことを話しておくべきだった。あのシステムさえあれば、由美のことはひなたが守ってくれる。しかし、知らないと、由美の性格では少し辛いかもしれない。ライブラシステムが作動しなければ、ひなたはただの女の子と同じだ。
「なんとかしてやるからな」
どうやったら由美を無事に助けられるのだろうか? 天才だとちやほやされてきたが、確実な方法は思い浮かんでこない。
要求通り従ったとしても、由美が本当に解放されるという保証はどこにもない。相手はもう今の時点で犯罪者なのだ。これであっさり手を引くなんて考えは甘い。解放しないで次の要求があるかもしれないし、そのまま殺して死体を隠してしまう可能性もある。
そんなこと、絶対にさせない。
あんまり人をなめてもらっては困る。
世の中、敵に回してはいけない人間だっているのだ。
「たかが誘拐犯の分際でふざけやがって」
俺の知識にどれだけの価値がある思い知らせてやる。それは誘拐犯が気軽に誘拐できる程度の物とは価値が違うのだ。
それを俺と俺の創ったひなたの力で、証明してやる。
6
一八が頭を悩ませ、ひなたは道に迷って途方に暮れている頃、由美はすでに誘拐犯のアジトに連れ込まれ、両手両足を縛られてソファーの上に転がされていた。
呼吸は穏やかで、落ち着いていた。横になって、ソファーに顔を押しつけている。
右手が動くが、縛られているため左手が邪魔になって少ししか動かせない。
「んっうぅ」
由美は小さく喘ぐと、ゆっくりと目を開き始めた。
完全に開ききってから、まだ焦点が合っていないのか、数回瞬きした後、寝転がったままで少し頭を振ってみる。
すると、少しづつ事態が把握できてきた。
一八が変なロボット創っていて、怒ったわたしはマンションを飛び出して、公園に行ってベンチに座って、で、その後
変な人影に捕まった!
一瞬で、意識が完全にはっきりした。同時に起きあがって自分の体を見てみる。服に乱れはないし、縛られている手首と足首以外はどこも痛くないから怪我もしていない。
「目が覚めたか?」
突然、ソファーの後ろから声がした。背もたれで死角になっている辺りだ。
急いで、体の向きを変える。そこには、十人近い男女がいた。椅子に座っている者、立っている者、テーブルの上に直接座っている者、スーツを着ている者もあればジーンズにTシャツの者もいる。格好もやっていることにも統一性はない。
ただ、部屋の隅にはいくつものモニターや黒い箱、何に使うか分からない機械が山積みになっていた。
こいつらが誘拐犯であることは、間違いない。まさかすでに助け出された後だということはないだろう。それだったら両手と両足は縛られていないはずだし。
しっかりと数えると、全員で男が7人女が2人だった。
由美に声を掛けたのは貫禄がある少し白髪の混ざった五十位の男だった。
見た感じはこいつがリーダーに見える。
「おとなしくしていれば何もしない。安心してほしい」
由美は男を見て、それからもう一部屋中を見回した。そして、自分をなぜ誘拐したのかを考えてみる。
それは、あまり考えたくないことだが、間違いないだろう。目的は一八だ。
自分に誘拐する価値はない。価値があるのは、一八の方だ。自分が誘拐されたのは、一八を脅すのに利用するために違いない。
さんざん怒鳴って部屋を飛び出した後に誘拐されて心配をかけるとは。
なんか、自分かがすごく嫌になるが、ここでくじけたってどうにもならない。やれることをやるしかないのだから。
あまり、一八に迷惑は掛けられない。
リーダーらしき男と目を合わせた。男も由美を見返してくる。
「こんなことしたって無駄よ」
「無駄?」
「一八はわたしのためなんかに言うことを聞いたりしないわ」
「やってみなきゃ分からないだろう」
男は自信を持って答えている。何か策があるのだろうか? これが今誘拐をしている真っ最中の人間の態度だろうか? 少し落ち着きすぎてはしないだろうか?
もしかしたらこういう場面になれているのかもしれない。ということはプロの犯罪者なのかもしれない。
だとしたら、かなりやっかいだろう。わたしなんかは想像もしたことがない危険なことを何度も越えているのかもしれない。
そんな男を何とかできるだろうか。
それでも何とかして、ここを出ないといけない。一八のために。方法は、ないではない。
言いたく無いなあ。と思ったが、我慢するしかない。
「新しい女がいるのよ」
一瞬で、全員が由美に体を向けた。彼らにしてみれば、これは一大事だ。計画自体が破綻してしまう。
「嘘だろう?」
「嘘じゃないわ。フラれたからわたしは一人で公園にいたのよ」
その時、ピピッという音がして、モニターの一つが赤く点滅した。
「何か建物に侵入したようです」
スーツ姿の男がリーダーらしき男に向かって、モニターを見ながら言う。
「二人連れて見てこい」
男がそう言うと、スーツ姿が二人を連れて部屋から出ていった。やっぱりこいつがリーダーのようだ。
「くそ、いろいろ騒ぎやがる」吐き捨てるように呟いてから、由美に向き直った。
顔には、明らかにいらだちが浮かんでいる。さすがに、さっきの言葉は効いているようだ。
運がいい。今のが誰だか分からないが、タイミングがよかった。これならこのまま嘘で乗り切れるかもしれない。そうしたら、一八に怒ってあのロボットをやめさせよう。誘拐されたんだから少しくらい言うことも聞いてくれるだろう。
そうしたら一八と、また二人でいられる。
「一八は天才よ。わたしやあなた達とは、もう出来が違うのよ。まったく違う生き物だと考えた方がいいくらい。人間並みだと考えると大間違いよ」
男は黙って由美を見ている。
「その天才が彼女を一人で夜に散歩させると思う? その気になれば24時間衛星で護衛することだってSPつけることだってできるのよ」
「我々は実行する前に下調べは十分すぎるくらいした。その時はお前だけだった」
男の口調はまるで独り言のようだ。何かを考えながら話している。迷っているのだ。由美の言うことを信じ始めている。
「だから分かってないのよ。天才って言ってるでしょ。あいつわたしに隠れてその女と付き合ってたのよ。二股かけてたわけ」
事実に使いだけに、顔にも怒りが浮かんだ。真実味を帯びて、効果は期待できる。少し泣きそうになるが、何とか堪えた。
「いい?」
もう一度リーダーの男の目を見て、言い含めるようにゆっくりと口を開く。
「天才の一八が、一番近くにいる彼女にばれないよう細心の注意を払って行動したのよ。どんなことやっても確認なんてできないに決まってるじゃない」
リーダーはモニターを見ている女を呼び、「すぐ、確認しろ」と、ぶっきらぼうな口調で命令した。
動揺し始めている証拠だ。由美は内心自分に拍手喝采したい気分だっだが、それを必死で押し隠した。
リーダーは由美に向き直った。
「確認してみる。その新しい女の特徴を教えて貰おうか?」
「いいわよ。わたしに価値が無くなったら黙って逃がしてね。別にどこかに訴えたりはしないわよ。わたしも一八にはいきなり裏切れたわけだしね」
「約束しよう」
「女の特徴は、スタイルはわたしと同じ感じで、顔は少しおっとりしてる。髪は腰くらいまでの黒髪ね」
「分かったか?」
「今確認してます」
「その必要ははないぜ」
突然ドアが開くと、さっき見回りに行った男三人が帰ってきた。
その腕には、一人の少女が抱えられている。
由美は、リーダーから目をそらした。
抱えられている少女はひなただった。
さっきリーダーに話した特徴と完全に一致する。
どうにもならないじゃないのよぅ。
ひなたはそのまま由美の横に転がされた。
「お前の言うことが嘘か本当かは問題じゃなくなったな」
「そうね」
二人とも誘拐されてしまったのなら、わたしの嘘なんてどうでもよくなってしまう。
さて、これからどうしようか。
とりあえず、何でここまでこれたのかを、このロボットから聞くのが最初だろうか?
7
ひなたが目を覚ましたのは、それから一時間位経ってからだった。
由美と同じように両手両足を縛られて、隣りに寝転がっている。
「むにゃむにゃ」と訳の分からない寝言を言った後、瞼がゆっくりと上がった。その後、数回瞬きをする。
縛られている両手を器用に使って上体を起こし、由美と向かい合う。
「マイスター、おはようございます」
「それは一八のことでしょ。わたしは由美よ」
ひなたはさらに何度か瞬きをして、「すいません、少し寝ぼけてました。マスターですよね」と微笑んだ。
どうしてロボットが寝ぼけるんだか。天才の創るものはやはり凡人には理解しがたい。その上わたしのことをマスターと呼ぶようになっている。
「そんなことはどうでもいいからさ。何であんたがここに来れたのかを教えてくれる?」
「マスター、怒ってらっしゃいます?」
悲しそうな顔。今にも涙が流れそうに潤んでいる。
そりゃあ、彼氏を奪われそうになってるんだから怒っているに決まっている。が、それをこのロボットに言っても仕方がない。今、誘拐犯に囲まれているこの状態で泣かれても困る。
「怒ってないわよ。別に」
「本当ですか?」
「本当よ」
「わたしマスターに怒られるとすごく切なくなるんで、できるだけ優しくしていただけませんか?」
「奇抜なロボ……」
慌てて口を閉じる。誘拐犯の近くでそんなこと言ったら、ひなたはすぐに分解されてしまう。そんなことはさせられない。あくまで一八の意志で壊さないと、せっかく創った物を勝手に壊されたら一八だって悲しむ。
わたしがいないところでそうなるのは仕方がないが、わたしがついている以上は絶対にさせない。由美が一緒だったのに、なんて絶対思われたくない。
「わかった。優しくするよう努力するわ」
「ありがとうございます、マスター」
ひなたの顔に心底嬉しそうな笑みが浮かぶ。
「何でわたしがマスターなのよ。一八がマスターじゃないの?」
「由美さんがマスターです。間違いありません」
「一八が言ったの?」
「もちろんです。マスターの決定はマイスターでなければできないようになっています」
「ふーん」
頷いてみるが、変な感じがする。このロボットは何のために創ったのだろう? てっきり一八が自分の欲求を満たすためにでも創ったと思っていたが、マスターがわたしだということになると、話は別だ。
それじゃあ、ひなたはわたしの言うことを一番に聞くはずだ。
わたしを危険から守るため……ではないだろう。たった三人掛かりで捕まってしまうような奴じゃわたしを守ることなんてできない。
現に今も一緒に捕まってしまっている。
「で、そろそろ本題に入ってくれないか?」
横で声がした。あの、リーダーの男だ。
「あんた、ひなたって言ったっけ?」ひなたをじろじろと見る。
由美が男を睨む。
ひなたは由美の方に体を寄せて来た。怯えているようだ。
「べつに獲って食うつもりはないよ。ただ、何でここまで来れたのかを、教えて貰いたいんだ」
男の顔が真剣になる。心臓が縮むような目つきだった。ひなたが由美にしがみつく。
仕方なく、由美が二人の間に体を入れた。いくらロボットだと分かっていても、見ているとどうしても助けずにはいられない。このロボットはか弱すぎる。わたしと正反対だ。
「そんなに睨まなくても話すわよ」ひなたの肩に手を置き、「さ、隠したってどうせ無駄よ。言ってもいいわ」
ひなたは一度由美の顔を見て、その後で男を見た。おそるおそる口を開き始める。
「わたし、衛星を使ってずっと追尾していたんで分かるんです」
「この場所のことは他の誰かに話してるのか?」
「いえ、追尾しながらここまで移動してきたので、まわたししか知りません」
男はひなたから目を外し、数秒間で部屋の中を見回した。部屋の中には6人いた。三人は見回りに出ている。
「お前ら、この場所がばれているかもしれん。移動するぞ」
誘拐犯達は荷物をまとめ始めた。
なかなかよく考えている。この場合、普通はひなたが嘘をついていると考える。
やはり、手強い。
由美はまだしがみついているひなたを強引に引き離し、自分の正面に向かせた。
部屋の中はあわただしく、一時的ではあるが二人は放って置かれている。何か話すなら今しかない。
聞きたいことはたくさんあるのだ。
まさか、本当にこの場所のことを誰にも言っていないということはないだろうが、よくよくこのロボットを見ていると本当に言っていない気もしてくる。
「ねえ、本当にこの場所を誰にも言っていないの?」
「言っていません。間違いないです」
はっきり言ってれる。しかも少し自信を持ったりしている。
「言ってた方がよかったのよ」
「そうなんですか? マイスターはわたしが助けるって言ったら許してくれましたよ」
「助けたんだ」
「……」長い沈黙。「あの……」
「なに、なんかいい案でもあるの?」
「無いです。謝らせてもらおうかと思ったんですけど」
「じゃあ、謝って」
「すいませんでした」
本気で深々と頭を下げるひなたを見ながら、由美は頭を抱えたくなった。両手さえ自由なら間違いなく抱えている。少し素直すぎやしないか? 勘違いとか寝ぼけたりする機能を付けるくらいならもう少しましな機能を付ければよかったのに。
自分だけでも大変なのに、その上こいつまで守らなければいけないとは、考えただけで頭が痛くなる。
「一八、どうしたらいいと思う?」
「わたし、がんばります」
「頑張らなくていいからじっとしてなさい」
「だってマイスター助けていいって」
「わたしがいいって言うまででいいからじっとしているのよ」
「はぁい」
少しすねたように、上目使いで由美を見る。緊張感というものが掛けている。
なんか、本当に頭が痛くなってきた。
8
朝、8時40分。
遠藤一八の家で電話の呼び出し音が鳴った。
電話の前で待ちかまえていた一八は、ワンコール目が終わる前に、受話器を取って耳に当てる。
「ひなたか?」
「残念だが違うよ」
一八の表情が強張る。昨夜、由美を誘拐したという電話と同じ声だった。
「そのひなたって子も一緒にいる。安心しろ、二人だから倍を要求したりはしないよ」
「当たり前だ」
吐き捨てるように言う。やっぱり、由美とひなたの相性はいまいちだ。捕まったということはシステムが作動していないということになる。
「では、本題に入ろう」
「ああ、こっちは要求通り三つまとめた」
「では、それを持って、10時に向かいのビルの308号室に来い」
「そこで由美とひなたは返してくれるんだろうな。後日なんてのはよせよ」
「そんなことはしないよ。では、10時に」
「分かった」
受話器を置くと、向かいのビルの三階辺りを見てみた。
何の変哲もないコンクリートの壁が見える。
その時、小さな音がした。
ドアをノックするよりは少しだけ大きいくらいの音。
一八はゆっくりと、玄関のドアに目をやる。
いきなり、ものすごい音がした。
ドアが蹴り破られる。
一八がみがまえるより速く、一人の男が部屋に押し入ってきた。一瞬で一八を腹這いに押し倒して背中に馬乗りになると、右腕をねじ上げた。
「騒ぐな、発明はどこだ?」
男は言うだけ言って、さらに一八の腕をねじ上げた。激痛が肩から腕にかけて走り、思わず呻く。
「言え、三つの発明はどこにある?」
さらに腕をねじ上げる。これ以上されたら腕が二度と使えなくなるかもしれない。
「言え!」
痛みで声が出ず、何とかと左手で机の上を指さした。すぐにねじ上げられていた手は解放される。
同時に、口に布が当てられ、意識が遠くなっていった。
9
約一時間後、意識を取り戻した一八は、まだぼーっとする頭で、周りを見回した。目の前にいるのはひなたと由美のだ。
3人は部屋の隅に並べるように座らされている。絨毯が敷かれてはいたが、ヒヤッとして気持ちが悪い。
広い部屋で6人の人間がいた。一人はドアを見ていて、五人がテーブルの上に紙をひろげて何か討論している。
要するに、こいつ等に捕まってしまったわけだ。その上、由美やひなたと交換するはずだった発明も奪われてしまった。
普通なら最悪の状態だな。
突然、怒りが込み上げてきた。こっちは昨日寝ないで新しく三つも考えたのに、約束破るとはどういうことだ。
「一八、大丈夫?」
由美が心配そうに一八の顔をのぞき込む。
「とくに問題はないよ」ねじ上げられていた腕の痛みもすでに退いている。「由美は大丈夫か? なんかされたのならいってくれ。敵をとってやるから」
「大丈夫。少し床が冷たいだけ」
「ひなたは?」
「大丈夫です。どこにも異常はないです。でも女の子なんで座ってて腰が冷えるのは嫌です」
「どんなプログラムしてるのよ」
「できるだけ人間に近づけようかと思って」
「さっきは寝ぼけてたわよ」
「あれは苦労した」
「そんな苦労しないでよ」
「がんばったのに」
「せっかくつけてもらったのに」
「かってにしなさい」
仲良く落ち込む二人から、目を外し、誘拐犯6人に目をやる。テーブルに向かっている五人はものすごい勢いで話し合っていた。
「なにしてるんだろう?」
「俺の発明が本当に役に立つのか調べているんだろう」落ち込むのをやめた一八が、同じように五人を見て言う。「確かに発明ではあるが金が儲かる物だとは限らないからな」
「そうなの?」
何となく、新しい発明があれば、金額の差はあれ、それがどんなものでも儲かるような気がしていたが。
「新しい人工知能とかロボットとかなら儲かるだろうな。でも、十倍消える消しゴムの作り方じゃあ儲からない」
「なんで?」確かにロボットの作り方とは比べられないが、そんなものがあったら学生はみな買うだろう。「わたしなら買うわよ」
「作るのに一個で千円かかる」
由美は、五人の誘拐犯達から目を外し一八を見た。そこにはいたずらっ子のような笑みが浮かんでいる。世界一頭のいいいたずらっ子の。
「一個作るのに千円かかる十倍消える消しゴムだろ、書いた瞬間に液体になってボールペンと同じ効果が得られるシャープペンシルの芯」
「意味ないでしょ、それ」
「何を言うんだ。ものすごく難しかったぞ」
「そりゃそうでしょうね。で、もう一つはなに? 切れないカッターかテープみたいにくっつく糊?」
「いや。実は二つしか考えられなかった」
「じゃあ二つしかないの?」
そんなことがばれたら大変なことになる。ただでさえ、二つは意味のない発明なのだから。
「あることはあるんだ」少し肩を落として、ゆっくりと言葉を選びながら言う。「しっかりとしすぎて、ほんとに儲かるやつが」
「え?」
「急には考えられなかったから、一つだけ前に考えていた発明を入れたおいた」
「どんなの?」
「原子の周りには電子ってのが回っているんだけど、その回転力でエネルギーを作る機関を作る方法」
「それってすごいの?」
あまり、意味も理解できない。
「世界の常識が変わるかもしれない」
「うそ」
「今ある全てのエネルギーが必要なくなって、公害も地球への影響も何もないきれいなエネルギーが無限に手に入るようになる」
「すごい……のね」
「すごすぎた」
二人で、五人の誘拐犯を見る。まだ、言い合いは終わってない。テーブルをバンバン叩きながら言い合っている。まだ、気づいていない。気づいたら、もっと盛り上がるだろう。そして、それを世界の企業に売って、大金持ちになる。そんなことになったら大変だ。もう、絶対にこいつ等を捕まえられなくなる。なんだかんだいって、世の中金で動いているのだから。
「あいつ等にそれ理解できるの?」
「時間さえかければ」
「難しくないの?」
「簡単に書いたものがある」
「なんでそんなことしたのよ」
一八は、ドアを見張っている男に目を移しながら、独り言のように呟いた。声が小さくて、ほとんど聞こえなかったが、由美は、唇の動きから、何を言ったのかが分かった。確かにこう言っていた。
「恋人の命が掛かってたんだよ」
由美は黙って、一八の横顔を見続けた。瞬きも忘れて。
10
空が夕焼けに染まり始めた頃、テーブルを囲んで行われていた討論が終わった。そのころには見回りに行っていた3人の内2人も帰ってきて、7人で話し合っていた。
リーダーが静かになった部屋を、テーブルから一八達の居る隅に歩いてくる。3人の前まで来ると、首をならしながら肩を触り、一八を見下ろした。
3人は肩を寄せ合い、互いにもたれ合っている。
「さすが天才だ。こんなくだらない発明まで考えていたとは」
天才が考えた発明の確認を終えた男の顔は、少しやつれて見えた。五十才に近い体には過酷な時間だったであろう。
一八は縛られた両手足をそのまま、目だけを動かしてリーダーを見た。口に少しだけ笑みを浮かべているから、相手の神経を逆なでする。
「そんな難しくないさ。二つ考えるのに半日くらいだ。俺ならな」
「我々の要求は三つの発明を出せだったはずだが」
「ふざけるな。俺まで誘拐しておいて今更約束がどうこうなんて通用するわけあるか」
リーダーは大きく息を吸い、ゆっくりと全てを吐いた。
「その通りだな。一つで我慢しよう。これ1つでも大金持ちにはなれる」
何か言おうと身を乗り出す由美を一八が止めた。由美は不満げな目を一八に向ける。
「しょうがないさ、由美」優しく言い、リーダーに顔を向ける。「もちろんだ。世界中の企業が群がるさ」
「ああ」
「もう、俺達は用なしだろ。解放しろ」
「そうはいかない」
3人の顔を見回す。話の流れに不自然なところはなかった。由美はあまりに普通に言われたから、反応をとれなかった。
そうはいかない、とはどういう意味だろう。
よく考えなくても、答えは1つだ。
解放してくれない。
じゃあ、どうなるのだろう。
答えは1つだ。
不意に、悲しみでもあきらめでもなく、怒りが爆発しそうなくらい膨れ上がった。
人の命をなんだと思っている? そうはいかないの一言で諦めろとでも言うのかこいつは。
「約束が違うじゃないの!」リーダーにつかみかかりそうな勢いで体を立てる。立ち上がるとバランスを崩しそうなので、膝立ちになって思いっきり睨んだ。「一八はちゃんと発明を渡したでしょう!」
一歩由美から距離を離し、また首をならした。
「わかってる。が、そうもいかないんだ」
由美とは対照的な落ち着いた口調。いまさら何があっても変更はきかない声。
「そこの天才をこのまま帰したら、間違いなくあの発明よりもいいものを世界にばらまくだろう。そうしたら、こっちの発明はクズカゴ行きだ。金儲けはできない」少しだけ唇をゆがませて、一八を見る。「そうだろう?」
由美とひなたも一八の顔を見た。この一瞬で、全てが決まると、誰もが感じていた。一八の一言で、解放されるが、されないのかが決まる。されない場合は、間違いなく殺される。
「由美、大丈夫だよ」声は落ち着いていた。「ひなたが絶対に守ってくれるよ」
「全力で守ります。マスター」
いつもの絶対に人は守れそうにないかわいい声だったが、一八は真剣に頷いて見せた。
ひなたの顔に笑みが浮かぶ。
「たのむ」
瞬間、一八が縛られたままの両足を伸ばして、リーダーに掴みかかった。
勢いでリーダーが仰向けに倒れる。一八はその上に乗り、縛られたままの両手を何度も振り下ろす。
が、5回目を振り下ろそうとしたとき、リーダーの拳が一八の脇腹を直撃した。どむっという嫌な音がして、腕を振り上げたままの姿勢で横に倒れる。
何度かうめき声を上げながら、丸くなって、脇腹を押さえて小さく震えだした。
そこにテーブルを囲んでいた6人が駆け寄り一八を囲む。
リーダーはゆっくりと立ち上がると、血の滲んだ唇を拭ってから、一八を横目で見た。別に骨が折れたりはしていないはずだ。ただ、内蔵に響いて気持ち悪いのは確かだ。この際だから、ここで楽にしてやった方がいいかもしれない。
「殺せ」
一斉に、囲んでいた6人が動く。
「ダメっ!」
誰よりも早く、由美が叫んだ。こんな所で一八が死んだらダメに決まっている。
わたしには分かっていたのだ。
一八が自分を愛してくれていて、自分も一八を愛しているのは。少しだけ意地を張っていただけで、最初から理解していたのだ。
ひなたがどんなにかわいくて従順で理想的な女の子でも、結局一八は由美が好きなのだ。
一八は由美を愛しているのだから。愛に形なんて無い。だから、愛するのに理由なんて無い。かわいくても、理想の性格でも、だから愛を勝ち取れるとは限らないと、どんな女の子でも知っている。
わたしも、一八のことを愛しているから、こんな所では死なせたくない。。
由美の目から涙が溢れだして、頬を伝う。リーダーの上からずれて落ちていく一八の体が、スローモーションで脳裏を横切る。その時も、二度と見たくない光景だと思った。これから先は、一生見たくない光景だ。
「お願い、お願いだから、一八を助けて。誰でもいいの。わたしならどうなってもいいから」
頬を伝う涙が、絨毯に落ちて、しみを作った。
横で声が聞こえた。
「イエス、マスター。了解しました」
そして、一八を囲む6人の内1人が一瞬で吹き飛んで、壁に激突した。
吹き飛ばしたのはひなただ。セーラー服のスカートがゆっくりとゆれる。両手足を縛っていたロープはちぎれて床に落ちている。
それからのことは、由美はまるでビデオを早送りで見てるように感じた。
ひなたは拳を握り、近くにいる男の顎を殴りつける。顎は、ぐしゃっという音をして砕けた。そのまま、両手を使って立て続けに3人の顎を殴る。1人は女だったが、結果は同じだった。4人殴るのに、1秒ほどしか掛からない。
四人は、ほとんど同時に床に倒れて動かなくなる。
あっという間に、一八の周りで立っているのは1人だけになった。
「はあ!」
ひなたの声はかわいかった。いつもにぼけっとした声のままだ。しかし、同時にだされた上段蹴りはまともに顔に当たった。ゴキッという音がして、首が不自然な方向に曲がる。
その男が床に倒れるのがひどくゆっくりに見えた。男が床に倒れるより早く、ひなたはリーダーに向かって走る。
しかし、リーダーもただ者ではなかった。何とか、腰からナイフを取り出し、かまえる。
ひなたは速度を落とさずリーダーに向かい、そして、右足を動かした。キンッという音がして、リーダーの手からナイフが無くなる。それは真上に蹴り上げられていた。
誰にも、ひなたの右足は見えなかった。
もう一度今度は左足が振られ、リーダーの胸に当たる。一八の脇を殴ったときと同じような、しかし、ずっと大きな音がした。口から大量の血を吐き出して、リーダーは崩れ落ちる。
その時、ようやく後ろで顔を蹴られた男が床に倒れて、どさっという音がした。
リーダーの手を放れたナイフは宙を舞い、ひなたは右手でそれを手に取った。
「やあ!」
もう一度かわいい声がすると、右手を振った。放たれたナイフは見張りをしていた女の額に垂直に突き刺さる。
目を見開いたまま倒れていく女の後ろで、ドアが開いた。
ドアに向かって、ひなたが走る。
見回りの男が入って来た。そこに、ひなたのドロップキックがまともに決まる。
勢いをつけて閉じかけのドアに背中をぶつけた男が崩れ落ちた。
これで、誘拐犯9人は全員動けなくなった。
「マスター、助けを呼びますか?」
「いや、大丈夫だ」
脇腹を押さえ、ふらつきながらも、一八は立ち上がった。
11
結局、一八の脇腹は軽い捻挫ですんだ。
誘拐犯はあの後病院に送られ、とりあえず治療中だ。
そして由美は、ひなたと一緒にデパートの食品売場を歩いていた。
「マスター、わたし鯛のお刺身が食べたいです」
「あんた贅沢」
「じゃあ、鯛ナベがいいです」
「鯛が贅沢なの」
「鯛が好きなんですけど」
上目遣いで、目を潤ませながら由美の顔色をうかがっている。どうも、これをされると、小動物を連想させ頷きたくなってしまう。
「好きになさい」
「ありがとうございます」
「別にいいわよ。一八のお金だし」
「今日は鯛の刺身に鯛ナベに鯛ご飯」
「1つにしなさい」
「何でもいいって言ったじゃないですかぁ」
「言ってません」
「言ってますメモリーにはちゃんと残って……ません」
「それを言ってないっていうの」
「ただのど忘れかもしれないです」
「ロボットが器用なことしなくていいから、1つだけ選びなさい」
「はぁい」
真剣な顔で、鯛を選び始めるひなたを見ながら、由美はこのロボットの本当の力を思い出してみた。とてもそんな風には見えないが。
ライブラシステム。
それは、マスターの気分によって力を変化させる機能。マスターが元気であればロボットはマスターを頼る弱い存在でしかないが、マスターが弱っていくにしたがって、徐々に頼れる強い存在に変わっていく。
あの時、由美はずっと強がっていた。誘拐犯達からひなたを守らなくては鳴らなかったし、一八の彼女として取り乱したくはなかった。
だから、ひなたは強い由美にずっと頼って怯えていた。
最後の最後に、由美が全てをかなぐり捨てて一八の無事を願うまでは。
由美は、刺身を盛り合わせと達だけのものを並べて指さしているひなたの頭を撫でた。
えへっ、と笑う声がする。
ライブラシステム。
マスターが元気なときは、どんなことでもマスター言いなりになり、マスターだけのことを信じて従う。しかし、マスターが弱るにしたがって、マスターが頼れる存在に変わり逆に面倒を見てくれるシステム。
なんて都合のいい。
まるで男の欲望が丸出しになっているようだ。
でも、もう頭にはこない。
わたしと一八は愛し合っていて、ひなたが入る隙なんてどこにもないのだから。
愛には、明確な形なんて無い。
あるのは愛を知っている2人だけ。
「選んだら、今度は野菜よ。一八はほっとくと野菜なんて全然食べないんだから」
「まったくマイスターにも困ったものですね。好きなものばっかり食べようとするんですから」
「あんたもね」
「はい?」
首を傾げるひなたの手から、鯛の刺身を奪うと刺身の盛り合わせと交換して、野菜のコーナーに向かう。
「マスター、鯛がいいんですぅ」
「だめ」
終