THE SUN WILL RISE AGAIN
十二月。
十五才。中学三年生。受験生。
「別になにがやりたいってわけじゃないのよね」
昼休み。友達の一人がそう呟くのを、彼女は何となく聞いていた。
今はそんな会話に入る気にもならない。
二ヶ月前なら少しは違ったんだろうけど、あれがあってからは、どうでもよくなってしまった。
それに、近頃の同学年はいつもこんな会話ばかりしている。もう耳にたこができるくらい聞いたパターンなのだ。
「そうよねぇ」
「だって、高校はいかなきゃならないだろうけど、なんでそこの高校を選んだのかって聞かれたらなんて答える?」
「なんとなく、かな」
「それ以外に言いようがないわよねぇ」
「私なら、こう答えるわね」
そう言ったのは、クラスでも一番勉強ができる子だった。
「私の偏差値ですれすれ入れるところがそこだったから。ってね」
それを聞き、周りがどっと笑った。
また、そんなことを言ってる。
この子はいつも、こういう真実っぽいことを自分だけがわかっているように言うから、あんまり好きになれない。
そんなことは言わなくてもみんな分かっているのだ。言わないのは、言葉にする方法が分からないだけ。
でも、まあ、今回の言葉は割りと的を射て聞こえた。
もしかしたら、そういう否定的な意見が聞きたかったのかもしれない。
そうなのだ。
私達には将来に対して、明確な計画や確かな夢があるわけじゃない。
今はまだ、ただ、周りに流されて、なあなあに一生懸命な努力を積み重ねているだけなのだから。
この先、自分がどう進んでいくのかなんて、私達には分からない。
二ヶ月前も、受験がある二ヶ月後もきっとわかっていないだろう。
半年の人生
八月。
午前、四時。
明るいのに、空を見回しても太陽の姿はどこにもない。
肌に触れる空気は、ひんやりしていて気持ちがよかった。
遠くの空は雲があるわけではないのに青くない。
少し霧がかかったみたいに薄い水色をしていた。
彼女はそれをきれいだ、と思う。
すごく不安定な芸術だ。
準備はできているのに、まだ何も使われていないスケッチブックのような、真っ白な安定感のなさ。
すぐに形が変わることが、誰の目にも明らかなもの。
この先、間違いなく何かが始まり、誰も知らない形へ変化していく。
考えただけで、どきどきしてくる。
この感触は、今まで何度も感じてきた。
でも、飽きることはないだろう。
今も、全然飽きていない。
前にやったのはいつだっただろう?
三日前、一昨日?
そんなことを思いながら、彼女はいっぱいに開けた窓の前に立って、肌に感じる空気を感じた。
部屋の生暖かい空気と、新鮮で気持ちのいい空気がいっせいに入れ替わる。
「これだから徹夜は止められないのよね」
先月一五才になった彼女には、まだ将来に対する明確な計画も、確かな夢もない。
でも、たった二つだけど間違いのないことがある。
それは、今の自分は大変だってことと、それを悪くないって感じてること。
去年の終わりあたりから、受験を控えた彼女達に、学校でも家でも皆が口うるさいことを言うようになった。
最初は、まあ、こちらのことを思っていってくれているのだからと納得していた。が、なんにでも限界はある。
そして、限界なんて、すぐに来るものだ。思い出しただけで、もうんざりしてきた。
パターンは三つ。
一つは勉強の進み具合。これにはなんと答えようと、もっとがんばりなさいというような内容の答えが返ってくる。
そうでなければ志望校ついて。これもどこに行きたいと言おうが、もう少し考えてみなさいといわれる。
最後の三つ目。このパターンが一番少ないのだが、健康について聞かれる。
『体を壊したらなんにもならないんだからね』という優しい言葉。
際限なく勉強をがんばって、できる限り志望校を考え、体を壊さないようにしなさい。
被害妄想っぽいが、まとめるとこういうことになる。
ほんとに受験生ってのは、みんなこんななんだろうか?
世界に一人くらい、『受験って楽しいな』なんてと思っている人がいると、救われる気もするのだが。
それはそれ、である。
冷たい空気を大きく吸い込んで、吐き出した。
「まあ、嫌なことばっかじゃないんだけどねぇー」
一つだけある、受験生の特権。
それが、この朝の雰囲気。
これがなかったら、こんな生活には耐えれないと思う。
別にいつも本当に勉強をやる必要はないのだが、どうしてもテキストを進めてしまう。
不思議なことに、勉強をするということなら、大人は怖いくらいに寛大になれるようだった。
初めて徹夜をしたのは一月ほど前で、まだ夏が始まったばかりの頃。
数学で、どうしても解けなかった方程式の解を、ついに導き出したのが五時五分前。
ぼーっとする頭と、だるい体に無理をいってカーテンを開け、薄くもやのかかった外を目にした瞬間、軽い頭痛におそわれた。
後悔が体中からあふれ出てくる。
なんで徹夜なんかしたんだろう?
あんなに必死になって解いた方程式に、いったいどんな意味があるというのか?
後二時間もしたらまた学校に行かなきゃならないっ!
脱力感。立っているのも嫌になってくる。
とりあえず、空気でも入れ換えて寝よう。
一秒だって多く寝ていたい。
そう思って窓を開けた瞬間、世界が変わった。
ひんやりとした朝の空気に触れると、ぼーっとしていた頭の中の霧が、吹き飛ばされた。
口から入ってくる空気は、寝ようとする体の細胞を、一つ一つを叩き起こしていく。
体中が急激に覚醒していく感覚。
誰かに伝えたいような、不思議な高揚感。
その時、遠くの山の間から太陽がほんの少し顔を出した。
まだ全体を表していない太陽だがその光は目に染みる。
太陽が姿を現す瞬間だ。
のどが少しだけ渇いて、唾を飲み込んだ。
頭の中が真っ白になってしまった。
まるで光で漂白したみたい。
一秒だって多く寝ておいた方がいいと分かっているけど、どうしても窓から離れる気持ちにはなれなかった。
五分ほどしてからベッドに横になったが、目をつむっても眠れそうにない。
この朝の時間は、私しか知らない私だけの時間。
ベッドの上で、一人、笑みを浮かべた。
結局、その日はとうとう眠らないまま七時になり、朝食を食べて学校に行った。
その日一日はさんざんで、授業中に居眠りはするし頭は働かないし、どうしようもない一日になってしまった。
でも、悪い気分ではなかった。
遊園地や水族館等、他の人が作った面白さではなく、自分にしか分からない、まるで、自分の中から湧き出してきた面白さ。
秘密の隠れ家を造った子供みたいにときめく心。
その日から、時々徹夜をしては朝の空間を楽しむことを始めた。
一度、根冷まし時計で四時半に起きて同じことをやったが、それはあまり気持ちよくなかった。
徹夜をして、その後にある朝の感触だから、いいのだ、そう分かってきた。
九月。少しだけ、夏の終わりを感じ始めた頃。
数少ない自由が、壊される時がやってきた。
「ねぇねぇ、たまに朝早くにパジャマのまま窓のとこに立ってるでしょ」
笑顔でそう言う同級生の声は、まったく普通だった。
当たり前だが、彼女をどうにかしようという響きなんてないし、傷つけてやろうと言うわけでもない。
ただ、知ってたから言っただけの言葉。
「うちの弟が新聞配達やっててさ、たまに見るんだって。ほら、野球部で丸坊主にしてる、この前私の家で見たでしょ」
「ああ、あの子ね」
一応返事は返すが、気持ちは、それどころではなかった。
不思議な恥ずかしさがどこからかあふれ出てきて、一秒でも早くこの場をはなれたかった。
心臓の音が大きく響いて、顔がほてってしまうのを止められない。
悪いことをしたのを見つかってしまったような、ずっと誰にも言わなかった秘密がばれてしまったような気持ち。
その日から、徹夜をしたいとは思わなくなってしまった。
一度、無理して徹夜をして窓を開けたが、もう面白くも何ともなかった。
秘密の隠れ家は誰も知らないから面白いのだ。
誰かが知っていたら、秘密でもないし、隠れ家でもない。ただの家だ。
そんなの、テレビの中の悲劇と一緒。
現実じゃない。なんにも面白いことなんてない。
これから、あと5ヶ月、なにを考えながら勉強して、進路を考えていくのだろう?
夜、テキストを開いてノートにメモを取りながら、そんなことを考えた。
彼女の頭の中で、なにかが答える。
きっと楽しいことが見つかるわよ。
いいえ、きっとなんにもないわ。もう見つからないわよ。
相反する二つの意見。
「見つからないわ」
声にして出すと、もう勉強する気分じゃなくなってしまった。
あの朝の感触が、こんなにも自分を支えていたなんて、思ってもいなかった。
そして、それを失っても、勉強をやめることはできなかった。
愚痴りながら、文句を言いながら、続けてしまう努力。
一番辛いのは、そういうことができるという自分かもしれない。
二月。
受験が終わった。
彼女は、九月から一度しか徹夜をしていなかった。
一生懸命勉強して、疲れたら眠ってしまう。
気合いをいれ、身体に活を入れてまで、起きていたりはしない。
受験前、今の学力なら志望校には入れることが解っていたから、そんなに無理をする気にはならなかった。
友人達は最後の追い込みとばかりに必死になっていたが、最初、彼女はそれほどではなかった。
そんなことしなくても、合格するのだから。
友人の、家に帰ってからも毎日何時間も勉強して、学校でも単語帳をはなさないって言う話を遠くで聞いていた。
おかしな事だが、そんな話を毎日聞いて、よくやれるな、と思っていると、自分もやらなければならない気がしてきた。
結局、そんな必要ないのに、休み時間には単語帳を見て夜も遅くまで勉強していた。
周りがやっていると、やらなければならない気がしてくる。
それは、流されているんだろうか?
それでも、それなりに成績は上がっていくのは、不思議な気分だった。
やる気はなくても、それなりにやっていれば、成果はでるってことだ。
志望校の目標を高く設定して、今必死になっている人の中にも、彼女よりも成績を上げている人もいればそうでない人もいる。
話を聞いている限り全然やっていないのに、あっさり彼女を抜いていった人もいた。
世の中は、努力とか一生懸命ってものに対して意外と理不尽にできていると感じてしまう。
そして、受験の結果が出て、志望校に合格した。
滑り止めを含め全部で三つの高校に合格していた。
大喜びな両親は、親戚に電話を始めた。選ばれる立場から一気に選ぶ立場になった。というよう内容のことを何度も繰り返していた。
合格を知って最初に思ったことは、もう、頑張らなくてもいいんだということ。
親の会話を聞きいていると、受験が終わってからはもう勉強なんてしていないのに、なぜか、ものすごく疲れた気がした。
「わたし、部屋で休むから」
親は、次の親戚に電話をかけるべく、短縮ボタンを押しながら、彼女を見もしないで、「ゆっくりしてなさいね」と言った。
声は、思ったよりずっと優しかった。
目を覚ますと、もう夜中だった。
時計を見る。
「……二時四十分。寝たのが、三時だから……」
十一時間四十分。
我ながらよく寝れらるものだ。
カーテンを開けて、結露で水滴のたまった窓を、何気なく開けてみる。
冬の空気は冷たくて、部屋の温度を一気に下げた。
寒さで、身体がふるえる。
我慢して、空を見てみた。
そこには、今まで見たことがないような、空があった。
真っ黒な空に、星が散らばっている。
きれいだった。
また、見てみたい。
そう思った。
身体の奥の方で何かが動く。
これは、前に感じたことのある感触だ。
不思議なくらい目が冴えて、やる気が出てきた。
そして、気づいた。
こういうものがあった方が、生きていくのは楽しい。
そういうことなんだろう。
−Fin−