The Reality Dream

6月中旬。
太陽はその暖かみを遺憾なく、いや、充分過ぎる程地上に送り届け、街行く人達の服装もそろそろ薄着になっている。連日の猛暑からどことなく疲れた様子がうかがえる。
そんな中、街中に響き渡る蝉の鳴き声に負けない位大きな音を立てている建物があった。
某国、某首都、某地区の…某下町に音の発生源はあった。
先程から長時間に渡って騒音が出ている。金属で金属を叩く、そんな耳障りな音である。
工場だ。かなり黒ずんだ屋根に看板があり、「加藤整備工場」と何とか読める字が書いてあった。もちろん手書きでは無いのだが長年の風雨に耐えてきたためかかなり読みにくくなっている。
その建物の中をのぞくと部品やジャンクパーツ、コードなどが乱雑に置かれている。また、車のボディーも幾つか置かれている。
工場自体が古い建物の為太陽光があまり入らずやや不気味、そんな場所だ。だがぼろい外見の割に敷地は広く元はそれなりに従業員や仕事、つまりは大きな工場だった事が伺える。

工場の暗がりの中に動く人影が見える。暗いのだがそのシルエットから女性ということが解る。
上下のつなぎを着た女性が車のエンジン部分を解体している最中だった。
20前後、茶色の髪を後ろで縛り、やや大きな縁なし眼鏡をかけている。首にタオルを巻いて時折、額の汗を拭いている。彼女の着ているつなぎはそこかしこに油の染み等が付いて、よく使い込まれた感があり、手にはめている軍手も黒ずんでいた。
今、その手がスパナやドライバーなどの工具を忙しく使っている。それに比例しエンジンもどんどん分解されていく。
速い。
そこに金属音以外の音が飛び込んだ。50代くらいの典型的な中年太りのオヤジが出した声だった。
帽子を逆にかぶり、オーバーオールを身につけている。こちらもよく使い込んだ、と言うかここまで来ると汚れている、と表記した方が的確だ。丸い顔に口ひげを生やしているのでその風貌はスーパーマリオによく似ていた。
「おい!そうデカイ音出さなくっても解体ぐらいできるだろ!」
「………」
彼女は聞こえないのか無視しているのか、全く意に解さず作業を続ける。
「おぉーい!」
再度かけれた呼そのびかけに始めて彼女が振り返り、後ろで縛られた髪が僅かに軌跡を描いた。
「解ってますよぉ。でも今日中なんでしょ、この仕事。急がなくていいんですか?」
「急ぐのと音は関係無いぞ。だいたい…」
更にオヤジは言葉を出そうとするが再開された音にかき消される。
「…!!……!○×◇!!!」
何か怒っているが、彼女は全く気にしない。
完全に無視を決め込んだ彼女は自分の作業に再び没頭する。
「まったく…なんで今時2ストなんか………。普通に4ストにすれば早く済むのになぁ」
ぶつぶつ言いながら手際よく分解を進めていく。
一週間前、急遽運び込まれた車の修理をしているのだが、かなり昔のジムニで部品など殆ど残っていなかった。それで取り寄せたのは良いのだが届いたのが昨日でそれから徹夜で彼女は作業をしている。
作業をしながらも頭では全く別の事を考えていた。
そもそも自分はなぜ町工場で油まみれになりながら作業しているんだろう…。
別に大学へ行って合コンしたりカラオケ行ったりしていても良い訳だ。他にもいっぱい選択肢は有ったのにそのなかでかなり辛い分類に入る「町工場で自動車整備」なんて選択肢をとったのか…。
「はぁ…」
ため息。
中学時代の友人は大学に行き連日合コンだの何だので忙しくも楽しく過ごしているのに…。
少し、難しい事を考えようと思った。ここ最近、毎日のように考えている事だ。
彼女の父親もまた整備士だった。小さい頃か父の背中を見て育っていたし、格好いいとも思った。
しかし、しかしである。
父は父。自分は自分。格好いいと思っても自分が整備士にならなければならない理由は何処にもない。少なくとも彼女自身には思いつかない。子供頃の思いは所詮幻想。成長するに従って見えてくる「現実」に壊されていく。子供の頃の夢を実現するには強力な意志と恵まれた環境が必要だ。
彼女の小さい頃の夢は「宇宙」へ行く…。誰よりも高く、遠くへ行ってみたい。誰も見たことの無い世界を見てみたい。
「誰よりも高く遠くへ、か…」
今考えると自分でも恥ずかしくなるような夢だ。
思わず苦笑する。
子供だな、と思う。
「おーい、それ終わったらこっちも手伝ってくれ。三日前に入ったインプ、全然手が着いてないんだ。水平対向エンジンなんぞつんどるから手間がかかってしょうがない………スバルもつまらんモノ作ってくれるなぁ」
再びオヤジの声で作業(&思考)が中止される。
「もー、そんな事言ってると首都高辺りで走ってる皆さんに怒られますよ。特にインプレッサ使っている人。それより、今一生懸命やってるんですから邪魔しないで下さい。両方出来なかったら今度こそ倒産ですよ」
ここの経営状況は結構、一杯一杯の様だ。
さらに何か言っているオヤジを今度こそ完全無視を決め込んで、中断されていた作業を再開した。
「プラグがヘタッてる…、こんなになるまでほっといて……。うわぁ、カーボンたまり過ぎ…」
文句を言いながらも次々と作業が進んでいく。
作業をしているといつも昔の事を考えてしまう。
そもそも中学生の時は普通のOLを目指していたハズだ。少なくとも当時は自動車整備関係に進む気持ちは無かった。
ここ暫く自分の中で考えていた事だ。いままで何となく過ごしてきた。工業系の高校に進学したのも「家から一番近いから」と言う理由だし…。今思えば工業系の高校に行った時点でOLは無理になっていたのだ。
いつからだろう、自分でも不思議なくらいに全てが「どうでもいい事」になったのは………。
毎日学校へ行く、友達との会話、部活、それら全てがすごくつまらなく感じた。父が死んだ時からだと思う。もうよく覚えていないが驚くほどつまらない事だった。その時、泣きじゃくる自分ともう一人、「人って簡単に死んじゃうんだな」と思う冷静な自分が居た。その後から気が付けば全てがどうでも良くなっていた。今考えれば自動車整備関係の道に進んだのは「どうでもいい自分」にピリオドを打つため、死んだ父に近づきたかったのかもしれない。
父が整備関係だから自分も整備関係…。非常に安直だ。もっと言えば単純だ。
結局、父と同じ道を歩んでいる。
「あたしってバカだなぁ」
思ったことが口をついて出た。そしてその言葉をオヤジが聞きつけたらしい。
「なんだ、今頃気づいたのか」
「あー、従業員にそんなこと言ったぁ。あたしがやめたらこの工場潰れますよぉ」
「自分で言ったんだろうが。さっきから笑ったり暗い顔したり…今日変だぞ」
「多分、大丈夫です。それより…これエンジン焼き付いてますよぉ…。おじさーん、昨日送られてきたピストンリングとピストン、あとシリンダー取って下さいよ」
「はいはい。なぁ、前から聞きたかった事、聞いてもいいか?」
オヤジが段ボールからピストンやらシリンダー等を取り出しながら言った。大量に箱が有る中迷わず取り出した所を見ると汚いが整頓は出来ているというヤツだろう。第三者から見ると全く解らないが…。
「何ですか?スリーサイズとかなら教えませんよ。アレってセクハラですよ」
視線はエンジンに向けられたまま彼女が答えた。
「だれもきかねぇよ、そんなモン」
「あぁー、失礼ですね。あたし結構イイ線いってるんですからね。で、前から聞きたかった事って何です?」
「うむ、どーも俺がこの工場で一番偉いということをお前は感じていないんじゃ無いか、という疑問だ」
腕を組んでゆっくりと答える。
「一番ってあたしとおじさんしか居ないじゃないですか」
しれっと彼女が答えた。言葉に迷い等は微塵も感じられない。確かにこの工場は社長兼工場長と社員一名の零細企業(工場)だ。
その言葉に間違いは無い。
「痛い所をつくな、コレでも昔は結構従業員がいたんだぞ。で、思ってないだろ?」
「思ってませんよ」
「おい………」
さらりと言った彼女に返す言葉が見つからないのかそのまま固まる。
「だからっておじさんは無いだろ。工場長とか社長とかもっと、こう………」
「社長ってがらじゃないですよ。社長さんって言うのは金ぴかの指輪とか付けて金の入れ歯してて葉巻くわえてるんですよ。しらないんですか?あたしもいつかは、高そうな机の上に足を載せたいですぅ」
目をキラキラさせて、小躍りをする。仮に社長になったとしても彼女は入れ歯もしたいのだろうか?そこまで含めて社長になりたいかは大いに疑問ではある。
「お前、それはいくらなんでも古いだろう…。だいたいこの不景気にそんな社長いるかっつーの」
「あうぅ〜。おじさんは今の一瞬であたしの人生をダメにしましたぁ」
キラキラから瞳がうるうるに変わっていく。そして手を胸の位置に持っていき左右に振って駄々っ子のぽーずをとった。そんな彼女にオヤジが「さて仕事仕事」等と言いつつ、とっとと逃げていった。このポーズを取ると大抵無理な相談が来る事が彼女がこの工場に来てから半年の経験でよく解っていた。
「あーあ、せっかく社長になりたかったのにぃ〜」
ものすごく残念そうに呟いた。本気で社長になって高級机に脚をのせたかったようだ。しかし、この工場にはスチール製の事務机が二つあるだけだ。
「………」
可笑しい、と自分でも思う。さっきまですごく難しい、暗いこと考えていたのに今はこんなに笑って、こんなに楽しい。


「お父さん似ね」

ふと思い出した。小学校に上がる頃母親に言われた言葉だった。たしか、「えー、あたしお母さんに似てると思う。女だし」と答えた。
「ううん、お父さんに似てる。その太い眉毛とか機械いじりが好きな所と、ね」
そういって母は微笑んだ。
「他には?他には?」
聞き返した。何となく嬉しかったからだ。父に似ている、それだけで嬉しかった。
「うーん…小さな事にこだわらない事かな」
一緒に居た父はただ苦笑しただけだった。
今思えば確かに小さいことにはあまり拘った事が無い気がする。
拘らないから考えは深刻でもあんまり気にしない、表に出ない。だから工場長ともコントみたいな事が出来る。
「やっぱりお父さん似、かぁ…。そう言えばお父さんの子供の頃の夢も宇宙へ行く、だったなぁ」
とことん一緒らしい。
なら、それもいいんじゃない?
自分に言う、もう一人の何処か冷めた自分に。
「おい、ジムニ出来たか?」
オヤジ(工場長)の声だ。
「まだですよ。今全部交換が終わった所なんですから」
「早くしろぉー。もうすぐ引き取りに来るからな」
「はーい」
彼女の元気な声が夏の空に響いた。
その声に迷いは感じられない、透き通った声だ。

−FIN−