モニターには荒涼とした大地が延々と映っていた。地平線まで一点のくもりもなく、赤い砂と、何も生み出すことのない不妊の大地。昔は大地は女性名詞だったそうだ。人間にさまざまな恩恵を与えてくれる母なる大地。だが今となっては、そんな時代のことを知っている奴なんていやしない。いまや「大地」は中性名詞、「床」を意味する俗語になってしまっている。いや、もしかするとそんな時代のことを知っているやつがいるのかもしれない。200年以上の長生きじいさんかばあさん。しかも三度の戦争と百年以上の混乱の時代を生き延びた筋金入りのじいさんかばあさん。そんなやつが本当にいるのか? いや、もしかするといるのかもしれない――なんといっても、人類はまだしぶとく生き延びているのだから。それだけでも奇跡だといえた。それほどの混乱と破壊の時代だったのだ。

 それなら、そんな人間がいてもおかしくはないかもな、とアンディは思った。
人類史上、三度目の奇跡。一度目は人類の誕生。二度目は人類の生存。そして三度目が――化け物じいさんかばあさんの生存。
アンディはひとり、コックピットのなかで皮肉な微笑を浮かべた。よく口にされるレイヴンの警句を思い出したからだ。
一つ、自分で目にしたことのないものは信用するな。二つ、自分で目にしたものも信用するな。
奇跡の考察はお預けだ。自分の信じられる奇跡は別の三つだ。自分の腕、自分の悪運、そして自分が駆るAC『ピークオッド』だけだ。

 エレベータが地上に到達し、停止した。軽い衝撃。レーダで周辺をサーチ&スキャン。 これといった反応はなかった。目標地点まではおおよそ30マイルといったところだった。ぎりぎり哨戒区域の外、といった位置だろう。だからといって安心はできなかった。
 アンディはミッション前に入手しておいた目標周辺の地図を確認した。三時方向、ここから5マイル先に旧地上都市の廃墟が残っているはずだ。カメラアイをその方向に向け、モニターの倍率を拡大する。確認。距離もおおよそ地図通りだった。

 情報屋のネタは間違ってなかったというわけだ。高い金を払ってクズ情報をつかまされたことは何度かあったが、今回はまあマトモな地図だった。とはいえ、ちくしょう、たかが地図ごときに800コームとはな。人類が地下に生活に生活の基盤を移した今、いくら地上の地図が貴重だからって、ボるのもたいがいにしろよ、クソッ。しかも観光案内つきときた。『当サンドール・シティは砂漠のオアシスの村としてとして始まり……』その地図には簡単な都市紹介が書いてあった。『……現在では重要な交易都市として、流通、情報の中心地として発展しております。観光名所としても知られ、オアシスの湖には多くの野鳥が訪れ、その種類もさまざま……』アンディはまたしても、あのごく薄い皮肉な笑みを浮かべた。『枯れ果てて、巨大な棺おけ兼墓標になったオアシスの廃墟を訪れるのは、今では屍肉をついばむワタリガラスただ一羽だけとなりました』彼は心の中で、その観光案内をしめくくった。訪れるのはただひとり、アンディという名のレイヴン一人だ。

 フットペダルを押しこみ、ブースト加速。とりあえずは、夜になるまではその廃墟に身を隠す。そして同時に情報収集だ。今回のミッションは、単純なサーチ&デストロイミッション。傭兵斡旋組織『グローバルコーテックス』から回された、正式な依頼だ。依頼主はコーラルメカニカ社のMr.ジョンソン(これが女だとMs.ジェーン)。破壊対象はアーキテクス社の地上物資集積プラント(もっとも、本当に物資集積プラントかどうかは怪しいものだ。もしかすると科学兵器工場かもしれないし、鉱物採掘現場かもしれない)。まあ、たとえそれがなんであっても破壊することに変わりはない。めぼしい地上建造物に攻撃を加え、防衛戦力を叩く。報酬は必要経費込みで33000コ―ム。プラスして敵防衛車両の破壊手当て。敵戦力は不明だが、恐らくはMT数機と推定される。制限時間は依頼受理から288時間以内――つまり明日の正午まで。中堅どころの――総合的なミッション成功率が、おおよそ70%後半で、しかもなお生存している――レイヴンであるアンディにとっては、そう難しい仕事ではなかった。レイヴンの基本中の基本である破壊工作だ。依頼内容のシンプルさが芸術的ですらある。コーラルメカニカ社は全企業中第二位の勢力を持つクレスト社傘下の重化学工業メーカーだったし、アーキテクス社は、これまた全企業中トップのミラージュ社傘下の工業メーカーだ。要約。「クレスト社は業界第二位の地位に甘んじたくはないので、ついてはトップ企業ミラージュ社を蹴落とすために、あのクソ企業の手駒をひとつつぶしてくれ」と、こういうわけだ。実に論理的。すばらしいね、とアンディは思う。

 敵勢力については、アンディはたいした心配はしていなかった。彼は前もってその情報を入手しようとはしたが、詳しいことは分からなかった。さすがにまがりなりにも一企業の機密情報を個人で調べるのには限界がある。とはいえ、地上物資集積プラントは確かに重要拠点ではあるけれども、なにせ所有社がアーキテクス社だ。多くの傘下企業を抱えるミラージュ・グループのなかでは、アーキテクス社の規模は下から数えた方が早い。コーラルメカニカ社の提示した基本報酬も、決して高いとは言えない。自社勢力を投入するまでもないと踏んだのだろう。事実、コーラルメカニカ社から支援戦力の提案はなかった。そこらへんの事情を考えると、敵勢力はせいぜいが戦闘用MT10機かそこら。それ以上ということはあるまい。プラス戦車とか戦闘ヘリとかの支援車両といったところか。チョロイ仕事だよ、とアンディは思った。まあ鼻歌が自然と出てしまうというほどでもなかったが。

 目標地点に到着した。長い間風雨にさらされた鉄とコンクリートとアスファルトの残骸が広がっている。廃墟だな、とアンディは思った。まさに廃墟。完璧に廃墟。これ以上はないぐらいにすばらしい廃墟。かつては緑が縁どり、満々と水をたたえてていただろう湖も、今では巨大な穴ぼこと化していた。中央の官庁街から伸びるメイン・ストリートには、赤茶けた、生命を拒むような色をした砂塵が舞うだけだった。生命の感触はどこにも見当たらなかった。確かに、空気までもが死んでいる。この廃墟の写真を権威ある辞書か何かにのせて、『廃墟都市』の項をつくってもいいぐらいだ。

 サーチ。ここにも機械的な反応はなかった。すべての情報が、ここは失われた過去の残骸に過ぎないと断定していた。生命反応なし。熱源反応なし。音声反応もなし。外部音声をオンにして、外の世界の音を拾う。聞こえてくるのは、ノイズとして音声反応からは除外される、ビル風の音だけだった。ビルとビルあいだを吹き抜ける、低い地鳴りのような風の音。断末魔のうめき声みたいだな、とアンディは思った。人間は死に至ろうとするとき、恐怖で絶叫したりして死んだりはしないものだ。ホロTVでやってるようなあんな人間の死にざま、叫んだり、何か言い残したりして死ぬ、あんなのはみんな嘘っぱちだ、とアンディは思った。死んでいくやつは大抵、自分に何が起こったかも分からずに、ただこのビル風みたいな低いうなり声をひねり出して死ぬもんだ。俺が見た人間は少なくともみんなそうだった。誰かに殺されたやつも、俺が殺したやつも。ただ不思議だったのは、どてっ腹に穴があいて、肺なんて消し飛んじまったやつも同じ声をあげることだ。声なんて絶対出ないはずなのに。それともあの音は、のどから出してるんじゃないのかもしれないな。のどとは別の器官、人間には、まだ発見されてないそのための器官が別にあるのかもしれない。死ぬ間際だけに音を出すような器官が。そして、ちくしょう、多分それは俺にもあるんだろう。

「ミスタ・アフレック? 定時連絡はどうしました?」不意に通信機のスピーカーから女の声がした。アンディはぎょっとして、一瞬誰の声だか分からなかった。
「ミスタ・アフレック? 何か問題でも?」女の声は繰り返して言った。
 アンディは定時連絡のことをすっかり忘れていた。もっとも、向こうはアンディの動きを逐一トレースしてチェックしているのだ。問題があればすぐに分かる。
「ああ、悪い。すっかり忘れてたよ、マリー」アンディは答えた。

 この声の主は、傭兵斡旋組織『グローバルコーテックス』所属のオペレーター、マリア・ホーソンだった。特にアンディ専属のオペレーターというわけではないが、コーテックス斡旋の任務には、任務補佐兼お目付け役として、必ず一人のレイヴンに一人のオペレーターが着くことになっている。とはいえ、互いが見知らぬ仲では満足にその役目も果たせないので、大抵は顔見知り(いや、顔は見たことがないわけだから、正確には「声知り」というべきだろうか?)のオペレーターが何人かできることになる。このマリア・ホーソンもそんな「顔見知り」の一人だった。過去に一緒にミッションをこなしたことも何度かある。彼女は、アンディの基準からすれば、かなり優秀だと言えた。もっとも、性格のほうには多少の問題があったが。

「こちらでは予定通り、あなたが廃墟都市地帯に到着したことを確認しています。そちらで何か問題でも発生しましたか?」
「いや、別に問題はないよ。ただ湖のビーチで、オールヌードで寝そべってる女を発見してね。ちょっと観察してたんだ」
「それは貴重な発見というべきですね、ミスタ・アフレック」彼女の声には冷たい響きが混じっていた。「どうせなら、ACから降りてデートにでも誘ったらどうです?今ならまだ作戦開始まで時間がありますよ。サンドール・シティは緑も豊かで、散歩するには絶好のロケーションです。森林浴でもしながら女の子と二人で歩けるなんて、これから先もう二度とないチャンスでしょう」

 ほらきた、これだ。アンディは苦笑いを浮かべた。俺と彼女の会話は、大体こんな調子なんだ。こっちが軽く冗談を言えば、向こうは鉄の冗談で返す。いろんな意味で食えない女だった。
 とはいえ、彼女の声はアンディにとってありがたかった。危うく俺までこの廃墟の風景に溶け込むところだったぜ、まったく。見渡す限りの鈍色の風景。やっぱりこんなのはごめんだ、とアンディは思った。とりあえず今この街には、アンディとマリーの声がいる。今は総人口一人と半分の都市。ゼロじゃない。そう思うといくらかましな気分にはなれた。

「いや、そいつは遠慮しとくとしよう。どうせ散歩するなら、俺はあんたと一緒の方がいいな」
「あなたが生きて帰って、わたしが暇な時ならいつでも」とマリーは答えた。
「その返事は二ヶ月前にきいたよ。いつ暇になるんだ?」
「あなたが任務に失敗して死亡すれば、わたしの仕事は一つ減ることになりますね。そうすれば少しは暇になるかも知れません」
「ひどい言い草だな」
「事実を言ったまでですよ、ミスタ・アフレック。必要なのは事実のみです。実際わたしは多忙なんですから」彼女は深くため息をついた。女がなにかをあきらめるときにつく、独特の深いため息だった。どうやら、休暇がないというのは本当のようだ。
「なるほど。同情するぜ、マリー」アンディは低く呟いた。彼女もまた、一人の企業サラリーマンなのだ。
「同意を得られたところで、事実の報告をしていただきましょうか。現在の状況は?」
「特に問題はなし。予定通り、目標から25マイル地点の都市廃墟に到着。現在潜伏できるポイントを探してる最中だ。周辺に目立った反応はなしだ。快適な散歩を楽しんでる」
「それは結構。そのままミッションを続行してください。ただし、定時連絡は怠らないように。次の連絡時間は二時間後です」
「了解。二時間後が待ち遠しいよ」
「では、くれぐれも忘れないように。地道なアプローチが、女を口説くテクニックですよ、ミスタ・アフレック」
「知ってるさ」とアンディは言った。

 夜が訪れた。太陽が西へと沈み、寒々とした月の光が陽の光に取って代わる。赤茶けた不妊の大地には黒い青みががったヴェールがかぶさり、地平線が遥か彼方へと消え去っていった。夜は神秘的だった。アンディは何度か地上の夜を体験したことはあったが、この偉大な地球と太陽と月の日課には未だに驚きを隠しえなかった。あらゆるものがたった数十分のうちに変化していく。しかもそれには目的なんてものは存在しないのだ。アンディは特にそのことに関して驚嘆の念を隠せなかった。何の目的も意図もなく、ただ循環として世界が変容していくその光景。ここには自由がある、とアンディは思う。どんなものにも邪魔されることのない、本当の意味での自由だ。それこそ、目的や意図からも解放された自由。しかもその自由は美しい。彼の頭上に冷たく輝く月の光一つをとってみても、あの孤高の美しさをネオン・サインで表現することは誰にもできないだろう。彼はこういう感情を抱いたことは一度もなかった。そう、初めて本物の「夜」というのを体験するまでは。それは畏敬と呼ばれる感情だった。人間が、人間以外のものに抱く畏敬の念。すべてが人間の手によって作られた積層都市『レイヤード』では、決して抱くことのない感情だった。

 定時連絡の時間だった。いつまでも夜の光景に見とれているわけにはいかない。アンディは通信機のスイッチを入れ、オペレーター専用回線をコールした。
「今度は時間通りですね。ミスタ・アフレック」さっきとまったく変わらない調子でマリーは答えた。「それで、状況は?」
「レーダーにアーキテクス社所属と思われる敵影を数機確認した。施設付近の定時警戒ってとこだろう。都市廃墟にも見回りに来たけどな、こことは反対側の西ブロックの方だった。発見はされてない。向こうもさっさと帰っちまった」
「機種は何でした?」
「戦闘ヘリと、哨戒用ヘリだろうな。全部で3機。マヌケなやつらだ」
「結構です。特に問題はないようですね。それでは……」
「なあ、ちょっといいか?」
「なんです?」
「いや、別に大したことじゃないんだがね」アンディは歯切れが悪く言った。彼にしては珍しい、奥歯にものの挟まったような喋り方だ。「あんたは自由ってことを考えたことがあるか?」
「なんですって? ミスタ・アフレック?」
 アンディはすぐにこの話をしたことを後悔した。作戦行動直前に、俺は一体何を言ってるんだ?「いや、すまない。別に何でもない。忘れてくれ」
「どうも妙ですね、ミスタ・アフレック。何か問題でも?」
 問題も大問題さ、とアンディは思った。この俺ともあろう者が、よりによって自由なんてものを考えてる。まったく馬鹿馬鹿しいにもほどがある。なんだって、俺は?
「いや、さっきちょっと気の利いたジョークを思いついて、あんたに聞かせてその鉄みたいな面を歪ませてやろうと思ったんだがね」彼の声はまたいつもの調子に戻っていた。のらくらとした、やる気なさげで皮肉っぽい、いつものレイヴンの声に。「あんたの氷柱みたいな声をきいて、度忘れしちまったよ」
「それは結構なことです」マリーは皮肉っぽく言った。「下らないことを考えてる暇があるなら、ミッション遂行のことを考えておいて下さい」
「オーケイ。前向きに努力しよう」
「そうだったらどんなにいいことか」
 一瞬の間を置いて、途端に彼女の声が鋭くなった。「では、時間です。ミッションを開始してください。これからは無駄口はなしで」
「オーケイ、マリー。ミッションを開始する。サポートはまかせた。頼りにしてるぜ」

 ACのシステムを戦闘モードに移行する旨を、AIが告げた。ヘッドセット・ディスプレイのメインモニターをノクトビジョンに変更する。世界は途端に明るい緑一色へと変色した。F.C.S.を起動。ACのそれぞれの武装照準が不吉な模様となってモニターに表示される。極限まで絞られたジェネレーターの甲高いタービン音がコクピット内にこだまし、複雑な情報を処理するヴェトロニクスの作動音と重奏を始める。暗闇のなか、AC『ピークオッド』は立ちあがった。ダークブルーの夜間迷彩に塗装された機体は、無音の廃墟を静かにすべり抜けていく。
「戦闘モードに移行完了。都市の外縁部に到着した。これから予定通り、目標への破壊活動を開始する。いつものパターンでよろしく」
「了解しました。こちらから確認する限りでは、問題はありません。幸運を」
 アンディは力強くフットペダルを押しこんだ。ブーストをふかして加速する。彼の駆るACは高速戦闘を得意とする高機動タイプの人型ACだ。敵に発見される前に奇襲し、殲滅する。彼がこのタイプのACを選んだのは簡単な理由からだった。高機動ACは回避能力が高く、攻撃が命中しにくい。命中弾が少なければ被害も少ない。被害が少ないなら、修理代もかからない。つまり安上がり。ただそれだけの理由だった。特にこういったサーチ&デストロイミッションでは、そのスピードをいかした奇襲戦法がものをいう。
「兵は神速を尊ぶってやつだ」アンディは一人コクピットのなかでにやりとした。

 レーダーに敵影を捕らえた。先ほどの哨戒任務に当たっていたヘリ3機だ。向こうはまだアンディのACの接近に気づいてはいない。彼は冷静に右肩に装備した連装ミサイルの照準を3機のヘリに合わせる。0.5秒でロック完了。
「ゴッド・ブレス・ユー」とアンディはつぶやいた。
 ミサイル発射。レーダー上のミサイルを表す光点がすばらしいスピードで目標3機に向かって突進する。モニター上では3発のミサイルは白い美しい軌跡を描きながらすっ飛んでいった。ヘリのレーダーがミサイルの接近を感知した。ヘリは慌てて回避行動をとる。だが時すでに遅し。ミサイルはヘリにチャフを蒔く間も与えなかった。着弾。爆発。レーダー上の3機のヘリの反応は一瞬にして消え去った。
「敵航空勢力3機の撃墜を確認。いい調子です」とマリーが言った。
「あたりまえさ。さあ、パーティーを始めようか」
 さあて、戦闘開始だ。アンディは唇を舌で湿らせた。これで目標施設に襲撃の報告が飛び込むことだろう。だが彼としては、敵に充分な迎撃体制をとらせる猶予を与えてやるつもりは毛頭ない。ヘリ撃墜と同時に、ACの特殊機構のオーバード・ブーストを発動。機体が急加速する。機体はは通常のブースト移動の倍以上のスピードをたたき出す。もちろん、パイロットにかかるGも倍だ。

 すさまじい重圧でシートに貼り付けにされながらも、アンディはレーダーから入る情報からは意識をそらさない。
 目標施設周辺までの到達時間はおおよそ180秒。敵がMTや戦闘ヘリを出撃させる時間があるかどうかは微妙なところだ。まずは敵の整備ハンガーを叩く。彼はそう目算をつけた。だが、敵施設の詳細な位置関係までは不明だった。結局のところ、目視で確認してから攻撃を加えるより他はない。
 目標施設を視認。センサーに反応があった。レーダースクリーン上に、敵機を示すマーカーが次々と表示されていく。
「敵勢力主力部隊をレーダーに捕らえた。詳細を教えてくれ」
「了解しました」アンディの問いかけに、マリーは数秒の間を空けて答える。「戦闘型MTが12機、戦闘ヘリが9機、支援車両が6車、総数27です」
「予想よりだいぶ多いな。これに加えて、基地本体からの増援が?」
「いえ、どうもそうではなさそうです」
「どういうことだ?」
「哨戒に当たっていたにしては数が多すぎます。恐らくは、すでに出撃を終えていたものと思われます」
「なんだと? まさか、襲撃の情報が漏れているとでも?」
「恐らくは。しかし任務の中止は認められません。予測の範囲内です」彼女の声にはなんの抑揚も聞き取れなかった。動揺もなければ焦燥もない。考えられうる最悪の事態というのにだ。アンディは一瞬、もしかすると俺は石に話し掛けているのかもしれないな、とすら思った。世にも珍しい、女の声で喋りかけてくる灰色の石。
「くそったれが!」彼は知っている限りの悪態を心の中でつぶやいた。マリーにも、神にも、空に浮かぶ月にも、ありとあらゆるものに呪いの言葉を吐きかけた。「コーラルメカニカのクソ野郎どもめ!」
「悪態は結構、接敵までもう間も無くです。繰り返しますが、任務の中止、および変更は認められません」
「くそ、何度も言うな!」彼は叫んだ。「分かってる。これより、敵勢力の排除を開始する! これでいいか?」
「結構です。では、幸運を」とマリーは言った。何の抑揚もなく。
 アンディはもう一度悪態をついた。これでも足りないぐらいだった。幸運なんてもの、この状況で、一体どこを探したらあるというのだろう?

 ミサイル接近。コクピットにアラームが鳴り響く。クールになれ、とアンディは自分に言い聞かせた。レイヴンに一番必要なもの、それは信念でも技術でも、ましてや勇気でもない。それは悪運だ。それがないやつは大抵、すぐにおっ死ぬ。だが俺はここまで生きてきた。散々人は殺してきたが、まだ生きのびている。当面のところ、死ぬつもりなんてさらさらない。
 アラームの音が一層甲高くなる。無意識的にスティクを操作し、フットペダルを深く踏みこむ。
 そうだ、俺がここまで生きて来れたのは、ひとえに自分の悪運のおかげだ。今回もそれを信じようじゃないか。今よりどうしようもない状況ってのがなかったわけでもない。こめかみの3ミリ横を、銃弾がかすっていったことだってあった。
 レーダー上ではほとんどミサイルの信号がアンディのACに重なった。フルスロットル。機体が悲鳴を上げ、低く振動する。ミサイルはACが一秒前にいたところに着弾した。爆発。深く地面がえぐれた。破片が機体を叩く渇いた音がコクピットの中まで聞こえてきた。
 オーケイ、お前等は俺を殺そうとしている。なら、俺だってお前達を殺しても恨みっこなしだ。命の等価交換、命の経済競争といこうじゃないか。アンディはレイヴンの格言を思い出した。

 死に近づいたとき、お前は今までのどの瞬間よりも、生に近い。

 アンディはスティックのトリガーに指をかけた。


 

 ひどいものだった。左腕部アクチュエーター全壊、マニュピレータも何本かイカれている。右腕は肘から先が吹き飛び、AMSは被弾して砲身の欠片すらない。足回りには構造中枢へのダメージはなかったが、所々装甲が完全に剥ぎ取られていて、内部中枢が露出している。至るところで制御系の伝達回路が寸断され、盛大な火花を撒き散らしていた。まるでカーニバルの派手で巨大な人形みたいだった。
 だがそんななか、奇跡のように、あるいは気の利いた冗談のように、頭部ユニットだけはなんら致命的な損傷は受けていなかった。メインカメラといくつかのセンサー類の全ては、まだ正常に機能している。

 輸送ヘリに宙吊りにされたACのコクピットのなかで、アンディはぼんやりと朝日を眺めていた。出撃時と変わらない律儀さで映像を送ってくる頭部カメラで、東から昇ってくる太陽のパノラマを捉える。生まれてはじめて見る地上の夜明け。ディスプレイはほの暗い、だが鮮やかな赤一色に染め抜かれていた。彼方の山並みは大きな影を落し、その空との輪郭ははうすくぼやけている。空はかすかな紫から赤へとグラデーションを描いていた。朝日を背に、鳥たちが完璧なVの字形を描いて羽ばたいていた。外部音声をONにする。聞こえてくるのは唸り声を上げるうるさいヘリのローター音だけだった。アンディはコンソールを調査して、音声フィルターをかけてローターの音をカットした。世界が静寂に包まれ、静寂をバックにした静かな風の音だけが聞こえてくる。それは朝日の音だった。


 その瞬間、空はアンディだけのものだった。


 今日も生き延びる事ができた。アンディは狭いコクピットのなかで静かに目をつむった。体はまだ戦闘の余韻から抜けきってはいなかった。四肢はまだ熱く、小刻みに震えてすらいる。からだの奥にはまだ恍惚があった。ただ単純に、生き延びる事ができたという原初の快楽。それだけは誰にも否定することはできない。戦闘中に感じる圧倒的な死への恐怖と、生き延びるためのかすかな、しかし力強い意志。敵MTを撃破したときに、確かに感じる生命の優越感。そう、その瞬間にこそ、とアンディは心の中で呟いた。その瞬間にこそ、すべてがある。別に危険が好きだというわけではない。死にたいという欲求なんて、微塵もない。だが、間一髪というところで飛来するミサイルをかわしたとき、殺意に満ちた弾幕をかいくぐって、敵MTにレーザーブレードを叩きこんだとき、そんな瞬間に感じる生命の高揚感は否定しきれるものじゃない。彼にとって、死に近接することは、同時に生へと近接することだった。生きているという感覚。それは自由であるという感覚だった。

 アンディは小さく身じろぎをした。うすく目を開けて、自分の手の平をみつめ、外部モニターの向こうの、切り取られた朝日を眺める。名状し難い何かのために、彼は唇の端を吊り上げ、微笑した。

「無事で何よりでした。ミスタ・アフレック」通信機の向こうでマリーが言った。
 アンディは答えず、パイロット・スーツのポケットから煙草を取り出して火をつけた。深く息を吸い、ゆっくりと煙を吐き出す。生きもののようにゆらめく紫煙が、複雑な紋様を描いて狭いコクピットに満ちた。
「ミスタ・アフレック? 返事をしてください」
 アンディは答えなかった。黙ったまま、肺いっぱいに煙を流し込む。彼は軽い酸欠を楽しんだ。
「ミスタ・アフレック? なにか問題でも?」
 アンディは例の皮肉な笑みを浮かべ、もう一度煙草の煙を深く吸いこんだ。煙草に灯る見慣れた赤い火の色ですら、今は鮮やかに感じられた。
「ミスタ・アフレック、いい加減返事をして下さい」マリーはもう一度、根気強く繰り返した。その声音に焦りや狼狽はまったくなかった。
「――なんだい、マリー?」
「聞こえていたならさっさと返事をして下さい」マリーは鋭く言った。「もう少しで、死亡者リストの入力画面を呼び出すところでした」
「そいつはすまなかった。それで?」
「状況の報告をお願いします」
「状況の報告ね。わかった」アンディは数秒間、モニターの向こうの朝日をもう一度眺めた。段々と太陽の光は明るさを増している。モニターは自動的に大光量に対する補正をかけようとしたが、アンディは手動でそれをカットした。「――鳥がVの字形を描いて飛んでる。見事な形だよ」
 一瞬の沈黙。「わたしをからかっているんですか?」
「ビンゴ。よくわかったな」とアンディは言った。
「いい加減にして下さい。わたしの忍耐にも限度があります。状況の報告を」
 アンディは再び黙りこんだ。そうだ、この感覚を彼女は知らない。この感覚を知らない人間には、何を言っても分かってもらえないのだ。世界が、完璧な調和を保っているその瞬間の感覚を。
「俺が報告することなんて、何かあるのか? あんたは全部モニターしていたんだろ?」「それはそうですが、報告書として提出する際の、あなたの証言が必要なんです。それぐらいはご承知のはずでしょう?」
「つまり、規則ってやつか」アンディは苦々しくつぶやいた。
「そういうことです」
「規則なんてクソ食らえ、だ。あんたが適当にでっちあげといてくれよ」彼は気のない風にそう答えた。「任務失敗の報告書だし、気が乗らないね」
「それは違いますよ、ミスタ・アフレック」
「なんだって?」
「任務失敗ではない、ということです」
「言ってる意味がよく分からないんだが。俺は結局、逃げてきたんだぜ?」
「コーラルメカニカ社からコーテックスに報告がありました。要約しますと、今回のミッションの真の目的は、目標施設の破壊ではなく、防衛戦力の調査だったようですね。コーラルメカニカ社の依頼内容に記載されていた情報は、どうや虚偽の報告だったようです」「……くそったれのスーツ野郎どもめ」アンディは叫んだ。「今度会ったら、金玉を引き千切って口の中に詰めてやる!」
「不信に思って調査したところ、ついさっき報告があったというわけです。余りに情報と食い違っていましたから」マリーはアンディの悪態に何の感想も述べなかった。「向こうの思惑としては、あなたを差し向けておいて正確な防衛戦力を調査し、しかるのちに自社の戦力で襲撃を行うつもりだったのでしょう。あなたが施設まで破壊してしまえばそれでよし、もし失敗してあなたが撃破されても、正確な戦力の情報が手に入った上に、敵の数を減らす事もできる、と。そういった目論見だったのでしょう」
「なるほど、企業野郎が考えそうな事だ。俺が死んでれば、報酬を払う必要もないわけだ」
「その通りです。まさか生きて帰って来るとは思わなかったのでしょう。実際、わたしも驚いています。あれだけの戦力に対して、その八割を無力化した上、無事に撤退したのですから。施設への攻撃を行えなかったとはいえ、素晴らしい働きだと言えます」
「で、向こうは何て言ってきているんだ?」
「違約金の支払いを申し出ています。金額は10000コーム。悪くない金額です。ただ、先ほどの件については、当然ですが『手違いがあったようだ』としか。敵勢力の破壊手当ても含んで、報酬は全額支払うとのことです」
「ということは、だ」アンディは皮肉な調子で言った。「今頃はコーラルメカニカの輸送機が例の施設に向かってるってことだな?」
「その通りです。そうしない理由がどこにあります?」
「ふん、まあいいさ。俺はまだしぶとく生きている。それだけでいいさ。報告書のほうは、今は勘弁してくれ。脳味噌が麻痺しちまって、とてもそんな気分じゃないんだ。そうだな、帰って一眠りしたら、完璧な報告書をあんたに送る。それで勘弁してくれよ」
「……仕方ありませんね。それで手を打ちましょう」
「助かるよ、マリー。まかせといてくれ。俺の金玉がいかに縮み上がったかまで書いてある、詳細な報告書だ。楽しみにしておいてくれ」
「そうですね。それをコーラルメカニカ社に送るのも一興かもしれませんね」そう言って、マリーはくすりと笑った。
「いいね」と言って、アンディも笑った。

 
 アンディは二本目の煙草に火をつけた。モニターの向こうの太陽はもう完全に昇りきっていた。まぶしい光がアンディと、彼のACを照らしていた。鳥たちは視界から消え、地平線まで延々と赤褐色の大地が続いていた。空は確かにそこにあった。誰にも否定されない形で、空はただそれだけで満足していた。
 彼は企業の狡猾な罠をすりぬけたのだ。それも、自分自身の力で。そのことが何よりも満足だった。彼は自由だった。さっき目にした、Vの字形に飛んでいく鳥たちのように。

 アンディはもう一度、彼のものである大空を眺めた。そうだな、もう一度マリーを食事にでも誘ってみようかね、と彼は思った。


                                   終