AC3 ANOTHER STORY


               二章 マリナと敵(1)

 しばらくしーんとしていた女子ロッカールームは、仕事を終えた女性人の登場で、突然大雨でも降ったみたいに騒がしくなった。
 そんな中、入り口から離れた位置のロッカーを利用するアヤ・レイヤニックは、汗で湿った制服を脱いでいる最中だった。
 ボタンの多い制服は、脱ぐのにいささか手間がかかる。当時初めてこの制服を着たとき、あまりの気苦しさにボタンを引き千切って前を開いた改造制服しようと思ったアヤだが、「なめてるのか、君は」とあっさり担当の主任に見つかり、怒られてしまった。
 ――そんなに怒らなくてもいいのにね。
 アヤの職業は、オペレーターである。といっても、訓練生だが。
 そしてここは北エリアにある市街地「エレノア」の中に立つグローバルコーテックスの情報支部、の中にある女性オペレーター用のロッカールームだ。
「アヤ〜、アヤ〜」
 やっとボタンが取り終わり、上着を脱いでいると、聞き覚えのある声が聞こえてきた。
 視線を向けると案の定、それは同期の訓練生のミーナ・イージスだった。右手を上げて振りながら小走り近寄ってくる。
 アヤは少し嫌な予感を感じた。
「どうしたのミーナ? お金なら貸さないわよ」
「そうじゃないって、もう〜いつ私があなたからお金なんか強要したの?」
「……毎日してる気がするのは私の気のせい?」
 やや眉を引くつかせながら、アヤは言う。しかしそれを無視してミーナは言いたい事を話
し出した。
「今さ、レイブン試験やってるんだよ。どうせだから見に行かない?」
「はあ? 見に行くって、レイブン試験って確か、西エリアの街でやってなかった? 遠すぎるでしょ、それに危ないじゃない」
「だから、明日観光用の往復地下鉄が出るんだって、ほらこの前完成したやつ。あれなら安全に半日で行けるよ。ねぇ〜行こうよアヤ〜。私たちも、ここを出たらレイブン専用のオペレーターなるかもしれないじゃない」
「分かった! 分かったから、手ひっぱるな!」
「え? じゃあいっしょに行ってくれるの?」
「行かないとだめなんでしょうが……」
「わーい、アヤ大好き。じゃあ、明日の朝迎えに来るね」
 一度抱きしめ用件を伝え終わると、ミーナは飛んでいくような勢いで出て行った。
 アヤはその場でため息を一つついた。
 アヤははっきりいって、レイブンなんかに興味はなかった。様はただの戦闘集団でしょ? という解釈をしているからだ。
 戦場に立って、悪いやつを倒したりするけど、かわりに関係ない人も巻き込む戦争屋。話によれば、そんな事まったく気にせず、依頼金だけを貰って喜んでる奴もいるそうじゃないか。
 そんな奴らに、態々会いに行きたくない。
 だけど、ミーナのお願いしているのを無碍に断ることもできない。あんな感じだけど、ミーナはここでの生活で唯一の友人、親友なのだ。アヤが仕事で困っている時も、笑いながらだが助けてくれた。迷いも打ち明けあう仲、そんな彼女の願いなのだ。断るわけにはいかない。
 やっと上着と下のスカートを脱いで、私服に着替え終わり、アヤはロッカーの扉を閉めた。
「ま、むかついたらレイブンの一人をぶん殴ればすむことか」
 他の同僚にお疲れ様〜と社交辞令してアヤはロッカールームをあとにした。

                    *

 狭いコックピット内にギリギリでマリナを詰めて、カスパーは自宅へ向かった。
 OBを使えば100kmの距離も、10分でついた。到着すると、ACをホーム横の専用格納庫に預け、マリナをコックピットから抱えて降ろそうとしたが、拒否られた。
「子供扱いは、好きじゃないです」
 だそうだ。
 だがしかし、ACからの乗り降りは床との高低がかなりあるので、初めての奴からはけっこう危ない……と思っていたが、マリナは余裕で躊躇いなどもなく降りていた。
 ACに慣れている……。
 カスパーの中に、嫌な想像が浮かんだ。
 しかし顔には出さず、思った事を思考の片隅に置く。こっちだとマリナをホーム内へ案内した。
 カスパーの家は、外から見たら無骨なでっかいコンテナを二個並べて立てた、といった感じだ。
 しかし、中に入ればそれなりに華やか。大きなリビングが広がっており、周りは清潔な白い壁で統一されていて、中央にソファー、テーブル、テレビ等の電化製品がある。天井の丸い照明が、全体に明るい光を送っていた。
「……少し、意外です」
「あ? なんか言ったか?」
「あ、でもよく見れば少し埃がありますね。安心しました」
 マリナは嬉しそうに笑う。カスパーは釈然としない面持ちでそんなマリナを見つめていた。
「俺着替えてくるから、その辺で寛いでいてくれ」
 マリナはこくりと頷いた。自分の持った荷物をソファーの上に置いている。ちなみに今のマリナは作業着姿ではなく、ケインの娘シンファから借りた可愛らしい水色のワンピースを着込んでいる。
 マリナの頷きを確認して、カスパーは自室に向かい、AC用のパイロットスーツを脱ぐ。適当なTシャツとズボンに急いで着替える。
 小走りでリビングへ向かった。リビングに入り、おまたせの意をこめて手を上げたが、あたりを見渡した瞬間目が点になった。
 マリナがいない……。
 少し焦る。トイレか、と思い向かったがいない。風呂か、と思ったが、リビングからかなり近いシャワールームは、誰かが入っていれば水音が丸聞こえになるはずなのだ。よって白。
「いったいどこ行きやがったあいつ!」
 ややイライラをこめて愚痴る。だがその刹那、ある可能性が浮かんだ。
 カスパーは出口に向かって駆け出し、隣の格納庫へ向かった。格納庫の人用の扉を見ると、中途半端に開いた状態だった。
 格納庫に入ると、ACの前にマリナはいた。小さい頭を限界まであげて見上げていた。
 カスパーは小走りで駆け寄る。そこでやっとマリナはカスパーの存在に気づき、カスパーの表情を見て顔を沈ませていた。
「ちゃんと部屋の中にいろよ。びっくりするだろ」
「ごめんなさい。……この子を最初に見たときから、いつかじっくり眺めてみたいと思っていたから」
 マリナは改めて首を上げてACを見た。カスパーもそれにつられ、上に視線をやる。
 存在感のはっきりしたフォルム。重厚とはいえないが、それでも力強さはありありと伝わり、カスパーに対し信頼感を強くはなっていた。
 久々にカスパーは、自分の愛機に魅了された。
「……そんなにACが気になるか」
 見上げたまま、カスパーは独り言みたいにつぶやいた。
「……確かに、AC自体にも気になっているんですが、一番気になるのは……」
 マリナは視線を右側に向けた。そして右腕を上げ、指を指した。
「あれは、月光……ですよね?」
「よく知ってるな。その通りだ」
「そう、ですか…………でも」
 マリナは何か言いたげに、両手をもじもじさせていた。カスパーは少し不審に思い、少女をせかした。マリナはやや躊躇いみたいな仕草をこめて、小さな声で呟いた。
「なんか、前にみたのとは、違う気が……」
「え?」
 カスパーは動揺した。
 心臓の鼓動がはんぱじゃないほど鳴っていた。そして、無意識のうちに腰にさげた物を手に取ろうとしている自分に、カスパーははっと気づく。慌てて、動転している意識を冷静にしようとした。
 何をしている! 子供が言うことだぞ。
 必死で内心に自制の言葉を叩きかける。
「これは、たしか……あれ?」
 汗が腕から滲み出る。
「よく思い出せない」
 手が震える。
「あ! 確かタイ―――」
 刹那、
 カスパーは少女の肩を掴み、強引に引き寄せ、格納庫にある小さなコンテナの壁に打ちつけた。マリナは呻き声をあげるが、カスパーはお構いなしに少女の両腕を左手で掴み、右手に持った拳銃を少女の眉間にこすりつけた。
「お前は知ってるんだろ! 記憶喪失なんて嘘なんだろ! そうだろ、絶対そうなんだろ! 俺をだますつもりで近づいたな! 少女を装って、近づいたな!」
「え、え? なに? や、やめ、て……」
「全てを吐け! 俺を騙そうなんて、そうはいかないぞ。これを奪う気だろ? そして俺をついでで殺すんだ。父さんや母さん、クレスを殺したみたいに。そうだろ! 深紅の少女、幻影の天使!」
「や、めて、助けて、おね、がい……」
 恐怖ですでに顔を涙でいっぱいにするマリナ。体ははっきりと分かるくらいに震わせていた。カスパーが銃口を眉間にこつこつ当てるたびに、おばけにびっくりさせられたみたいに体を反応させていた。
 カスパーの方は、正気というものがすでに抜けていた。目を見開き、血走らせ、本物の敵に出会ったといった感じで、全殺気を少女に向けていた。
「さあどうするんだ深紅の少女! 幻影の天使でも呼ぶのか? 俺はかまわない。俺のイリアでキサマごと蹴散らしてやる。さあどっちだ! すべてを話すか、俺と戦うか!」
「なに、言ってるの……わかんない……私はただ、しし初期のタイプとのかか形に、に、似てるとおも……」
 恐怖の中、マリナは必死で言葉を紡いだ。
「……初期タイプ?」
 マリナの言葉に、カスパーは一瞬正気を取り戻した。機体についたブレードをみて、初期タイプのブレードの形に似ている、と答えたのは、自分があってきた人達の中にも、それなりにいたことを思い出したのだ。
 そして、ふと少女の濡れた足元を見て、瞬間心が冷める気配を感じた。
 カスパーは慌てて銃口を逸らし、少女の両手を掴んだ左手を解いた。マリナはぐったりした感じで、その場に座り込んだ。ぐちゃっという音がした。
「わ、悪い……俺、勘違いしちまって……」
 激しい自己嫌悪に囚われる。
 自分で自分をぶん殴りたかった。どうせなら、マリナに殺す勢いで殴って欲しかった。こんな少女を、思い上がりで失禁するまでに追い込んで。それで勘違いという結果。まじで死にたい気分にかられた。
「…………」
 しかしマリナは、顔を俯かせて、何も言わなかった。べそをかいた声を、たまに上げるだけ。そのまま虚無感に近い重い空気が流れた。
 カスパーには、それがたえられなかった。
「……お、俺、着替えとってくるから!」
 逃げ出すように、やや足をもつれさせながら扉に向かって走り出そうとしたが、
「待って!」
 小さいが力強い声に呼び止められる。それに従い、カスパーは妙な体勢で止まった。
 しばらくの沈黙。その間にカスパーは体勢を普通にし、戸惑った表情でマリナを見た。マリナはまだ俯いたままだ。だが、やがて小さくこう告げた。
「……シャワー、貸してくれればいいから」
 感情のない声。まるで初めてあったときと同じ……。
 マリナはゆっくりと立ち上がり、はっきりとした足取りでカスパーの方に――出口の方に向けて歩き出した。
 しかし、顔は俯かせたままだった。マリナはそのままカスパーの脇をすり抜けていった。
 カスパーは何も言えずに、振り向きもできずに、その場で固まっていた。
 後ろの方で、ガチャンと扉が閉まる音がした。

                     *

 真っ暗な空間だ。
 しかしよく見れば、うっすらと本棚みたいなものが点々とあるのが分かる。それをみて、ここが人の住むただの一室だということが分かった。
 部屋の中央のあたりに人がいた。しかし、あまりの暗さで顔はまったく分からない。男物のスーツ姿がうっすら確認できた。たぶん男だ。
 男は椅子に座り、体をそれに預けていた。そのままじーっと正面を見つめている。
 ピピと音が鳴る。すると、突然男が見つめている目前がぼわっと光だした。その光により、男の姿がはっきりとわかった。やはり男で鋭い目つき、なかなかの筋肉質なのか、かなり肩幅が広い。
 男は光を見て、にやりっと笑った。
「こんばんは……いや、今の時間だと、おはようですかな?」
 男は光に向かって喋っていた。口調から今回が初めての会話でないことが分かる。
 光が揺れる。やや点滅もした。
『我々に朝も夜もない。それより何の用だカイン?』
 光から変声させられたような声が漏れる。しかも何人かが同時に喋ってるみたいに、声の調子がバラバラだ。
「報告です。今日、レイブン試験途中、憑依者と思われる奴が現れました。これは貴方達の差し金ですか?」
『いや違うな。我々の部隊は動いてはいない。地上の連中かもしれない。管理者が老衰状態に陥っているから、隙をみて降りてきたのかもしれない。そいつは、どうしたんだ?』
「ロイヤルミストが倒しました。完全体ではなかったようで、なんとかですが倒せました」
『パイロットは?』
「機体の回収班によると、消えていたそうです。まあ、ただの人間に彼らを視認することは不可能ですけど」
『管理者の状態は?』
「マザーは……もって、三ヶ月……」
『地上との戦争も、時間の問題だな』
 光からため息みたいな息遣いが漏れた。
「それより、今日は面白いものをみたんです」
『なんだそれは?』
「月光をみたんです。珍しいでしょ?」
『なにを言うと思ったら、月光なんぞお前でも持ってるではないか』
「そうですね、ただの月光、ならね」
 部屋の空気が変わった。
『……どういう意味だ?』
「月の光は、地上でしか作れません。月は天井ではなく、天に昇るものですからね。しかし、我々はここ地下世界レイヤーで無贓品的月光を無理して作っている……」
『その月光が、地上のオリジナルの月光だと、お前は言いたいのか?』
「使い手はうまく隠していましたが、あれはまさしく月光=タイプGSですね。いやいや、自分の目を疑いましたよ。でもあれは、地上の天然により精製されたGSそのものですね」
『その使い手の名は?』
「カスパー・メルキオール、と名乗っておりました。憑依者がでたのは、たぶん彼のせいかと、俺はふんでいるんですが……」
『……わかった。こちらで調査団を用意させる』
「事は一刻を争うかもしれません。なるべくお早めに」
『キサマに言われずとも、逃がしはしない』
 しゅん、と光は一瞬にして消えた。また暗黒の空間が部屋内に広がる。
 男はそれを確認し終わると椅子から立ち上がり、右に向かって歩き出した。しばらく歩くと、外がよく見渡せる窓が確認できた。
 窓の外はやや光が灯っていた。夜の店が活動しているのだろう。男は無表情のまま、その点々とした光を見つめて、
「ドブのような色だな……」
 と呟き、小さく笑っていた。

                    *

 ジャーっとシャワーの音がはっきりとリビング内に聞こえてくる。当のカスパーには、その音が自分を狙うマシンガンの音のように聞こえた。
 あのあと、ホームに戻ったカスパーは、シャワーの音を聞いてマリナが入ってることを確認した。だから、気休め程度の気持ちで、シャワールームの近くに、こそっとバスタオルと着替えを置いたのだ。なんだか情けない男まるだしの行動だが、それも仕方ないんだと、それだけ酷いことしたんだと、カスパーは自虐的な思いにふけっていた。
 カスパーは今ソファーの上に座り、上体をやや俯かせて、落ち込んでますよ、の体勢をとっていた。目の前にテレビがあるが、今はまったく見る気がおきない。
「……とにかく、謝らないと」
 しかし、なんて言っていいのかわからない。うまい言葉が見つからない。カスパーはそんな自分がほんと嫌になってきて、くそ〜と呻き声をあげながら、自分の頭を何発か殴った。
 その時、シャワーの音が止まった。
 カスパーは焦った。やばい、まだ謝罪の言葉がみつかってねーよ! シャワールームの滑り扉が開けられる音が響く。カスパーの今の聴覚は、戦闘中の時並みの集中力と、聴力を引き出していた。マリナが体についた水滴を拭いている音まで鮮明に聞こえていた(けしてやましい気持ちではない)。
 (どうすれば、どうすればいい!?)
 もうあと数十秒でマリナは来る。考えてる時間なんてもうない。
 そして、最終的に決まったカスパーの行動は―――。

「……なにやってるんですか?」
 まだ濡れた髪をバスタオルで拭きながらリビングに入ったマリナは、その光景に一瞬ぎょっとした。しかしすぐに、訝しげな視線をそれに向ける。
 それはテーブルの上に両足を組んで座っていた、つまり正座である。
 なぜか、瞬間思いいたった行動が、テーブルの上で正座。
 カスパー本人も、なぜこんな事しているのか不思議だった。
「犬とかがよくやる、そう、反省みたいなやつ……だ」
「バカにしてるんですか?」
 マリナの目つきが変わった。
「ち、違う、違うぞ! それは違うぞ! あ〜俺もわかんねーんだよ。どうしたらいいのかよ! はじめてなんだよこんな失敗!」
 カスパーはやけになったみたいに、誰かに向かって溜まっていたものを吐き出した。そのままテーブルの上に立ち上がり、意味不明にその場で暴れる。
 マリナは呆けた顔で、そんなカスパーを見つめていた。そして、
「……ぷっ、あはははははははは〜〜!」
 腹を抱えて笑いだした。
 突然笑い出したマリナに、正気を失ってテーブルの上で暴れていたカスパーは、ぴたっと動きを止めて、唖然とした顔で、笑い続けるマリナを見ていた。


 やっと落ち着いた両者は、ソファーに向かう合うように座った。
 しばらく沈黙が続いたが、マリナが「あ、タオル、ありがとうございました。でも着替えはちゃんと用意してたんで」と切り出して、そして少し頬を赤らめた。
 あ、ああ、とカスパーは曖昧に頷いた。
「風呂入ったから、喉渇いてないか? なんか出すよ」
 気分ばらしにそう言う。やはりまだ、面と向かって顔見ることはできないでいた。マリナが頷く前にカスパーは立ち上がり、グラスと適当な飲み物を用意し始めた。
 用意し終わり、マリナの前と、自分側にジュースの入ったグラスを置く。マリナは嬉しそうに礼を言った。
「……はじめから、分かってました」
 カスパーはジュースに手をつけようとしていた手を止めた。
「え?」
「ただ、良心が動いて、気が変わったみたいな感じで、私を引き取ったわけじゃないって事」
「…………」
 カスパーの顔に、もう動揺や慌てたような顔はなかった。少女の話に真剣に耳を向ける体勢に入っていた。
「最初は、なにかあるな、ていうくらいで。些細な問題を残して引き取ってくれたと思ってたんです。でも……今日された事で、私に対する問題は、まったく些細じゃないことが分かりました」
 カスパーは胸を押さえる。少し痛みを感じた気がした。
「カスパーさん言いましたよね。お前は深紅の少女なんだろ、幻影の天使でも呼ぶのか、って……」
「ああ」
「正直に言います。信じてくれないかもしれませんが……私は、その二つの言葉の意味をまったく知らないし、聞いたこともありません。なんなんですか? それ」
「知らないなら、知らないほうがいい」
「……そうですか。――じゃあ、これだけは教えてください」
 深呼吸。
「カスパーさん、私の事嫌いですか?」
 予想外の事を言われ、カスパーは一瞬戸惑ってしまった。
「なんでそんなことを……」
「だって……もしかしたら、私は貴方の家族を殺したのかもしれないんでしょ? ただ、私が記憶喪失で忘れてるだけで、実は本当の正体はカスパーさんの言う―――」
「やめろ!」
 外に響くほどの声量で、カスパーは叫んだ。
 マリナは悲鳴に似た声を小さく上げた。
「そんな事気にしてなんになる。記憶喪失だから今の処は安全、だけど記憶が戻れば危険だって、毎日俺に恐怖に打ち震えろって言いたいのか? 思い上がるのもいいかげんにしろ」
「そうじゃない。私が言いたいのは―――」
「お前は何にも知らないただの女の子だ!」
 カスパーの怒声に、マリナは遮られた言葉を止めた。
「……それでいいじゃねーか。少なくとも、俺はそれでいい」
 やや照れくさそうに、カスパーはそう告げた。マリナは俯いて、しばらくすると体を震わせだした。ポタっと音がした。
 泣いて、いるのか……。
「最後に言っておくが、俺は別にお前の事を嫌いじゃないぞ。素直だし、礼儀正しいし、可愛いし、とても十歳ぐらいには見えないしな」
「はい……」
「お前が大人だったら、今頃俺が犯してる最中だったかもしれないぞ」
「はい……」
 少女は俯いたままだった。
 ん〜、と眉を狭めながら、カスパーは頭を軽く掻いた。
 しばらく思案して、カスパーは立ち上がり、少女の横に向かった。そして、軽くマリナの頭を右手で押さえ、
「記憶が戻るまで、ずっとここに居てもいいから、そう泣くな」
 あまり似合わない優しい声で、カスパーはそう呟いた。
 すると少女は、まるでなにかが吹っ切れたみたいに、大声で泣き出した。予想外の事だったのか、カスパーはええ? と声を上げて戸惑った。
 カスパーはどうすればとおろおろしていると、
 がばっ!
 マリナが突然抱きついてきた。
「えくっ、怖かった……ひく、怖かったよ……また、またどっかいっちゃうのか、おもっ……えあああああぁ〜!」
「…………」
 マリナは泣きながら、無意識で言っているのか、昔あったと思われる出来事を口走っていた。その言葉からカスパーは、少女の過去になにか辛いことがあったことを察した。
 カスパーは自分がやった事が引き金になったのかと、ふと思った。そう思うと、また罪悪感がこみ上げてきた。
 マリナはまだ泣き続けていた。カスパーは彼女を引き剥がしたりはせず、ただ軽く頭を撫でてあげた。
 だがその時、
「子供扱いは、好きじゃないです」
 撫でている手を両手で掴まれ、涙声でマリナにそう叱られた。
 この時のカスパーは、ただ苦笑するしかできなかった。


               二章 マリナと敵(2)

「それにしても、驚いたな……」
 カスパーは感慨深げに自分の愛機「モア・イリア・サン」を眺めていた。
「損傷した部分は滑らかに溶接が行われている。内部電子機構も正確な組み合わせで個々部分のアドバンテージをフルに活動できるポジションの状態になっている。……俺の整備より丁寧で正確だ」
 足間接、ブースター、その他いろいろな部分を見ながら、カスパーはおお〜や、なるほどそうか、などと呟きながら、ACの周囲をうろうろしていた。
「完璧じゃん」
 その時、コックピットの中から小さな顔が覗いた。
「感動ばっかりしてないで、手伝ったらどうなんですか?」
 マリナは不機嫌な顔を浮かべながら言った。
 カスパーはぴたっと足を止めて、マリナを見た。
「そう言われてもな。もう俺がすることはないに等しい……」
「なに言ってるんですか。まだ腕部の制御装置にムラがあるし、コアのOBシステムも、無茶な使い方のせいで噴射口が溶けちゃっているんですよ。やることはいっぱいあるじゃないですか」
「そ、そういう細かい所はいつもケインに任せているんだよな。地味で慎重な作業って、苦手なんだよ、俺」
 カスパーは頭をぽりぽりと掻きながら、申し訳なさそうな表情を浮かべた。
 マリナはため息をついて、じゃあOBの噴射口の中に塵とかがあるから、取っといてください、とカスパーに指示した。
 カスパーは素直に指示に応じた。

 マリナは、どうやら昔ACの整備か、開発に携わっていたようだ。
 しかし年齢の問題が説明つかなかったので、カスパーは疑問に思った。もしかしてあのナリでかなり高齢とか? と思ったが、年齢を聞くと、一三歳だとあっさり事実をつきつけられた。
 これを真実としたら、答えは一つしかなかった。
 マリナは天才だ。
 そして今日からマリナは、自分のACの専属整備士として活動することが決まった。というより、自分からそう進言してきた。
 カスパーは喜んでそれに応じた。これでマリナを預かる価値がだいぶあがったというものだ。
 しかし、こういう事実がわかったせいで、さらにこの少女が何者なのか疑問がたくさん生まれた。これは本格的にやばい状況に巻き込まれているな、とカスパーは懸念の思いを常に抱くようになっていた。

                    *

 エレノアから西エリアの街まで往復するといわれる車両は、あのブラックテイルだった。
 アヤは驚いた。まさかこれが民間用として使われていたとは。
 しかしミーナに聞くと、これはブラックテイルWと仮名されてはいるが、実際は民営が勝手にモデルを似せて作っただけの紛い物らしい。
 しかし、それでも各種の防衛装置、厚い装甲、時速600キロを超えるスピードは、本物を凌ぐ性能といえよう。民間の技術も発達したものだ。
 朝の九時半出発のテイルに乗り込んだアヤたちは、まったく揺られることなく、安全にわずか数時間で、西エリアにある二つの市街地の内一つ、マイロスに辿り着いた。
「ついた〜〜」
「ついたわね」
 テイルから大勢の人が降りる中、アヤとミーナはホーム上でそう呟いた。
「……で、まずどこいくの?」
「えとねー、まずは……ホテル探し!」
「は? なんで? まさか予約とか取ってないわけ?」
「違うのー。エリア外からの予約はご法度です、って言われたのー。だから今から夜までに探さないとだめなの」
 ミーナは困った顔を浮かべながら言う。アヤははぁーと嘆息を漏らした。
 ――だから他の街なんか行きたくないのよ……。
 内心で愚痴をこぼしながら、アヤは笑顔を浮かべ、じゃあホテル探しでもしようか、とミーナを促した。
 アヤがさっさと歩きだすとミーナは大きな返事をし、トコトコとついてきた。


「カスパー・メルキオール様ですね。会場の中からすぐ右に曲がった五番ゲートの中で待機していてください」
 レイブン会場前に立つ女性受付人はそう告げた。カスパーはこくり頷き、ACに乗り込んで五番ゲートに向かった。
 ゲートの中に入ると、数十の数のACが、ずらーっと左右に並んでおいてあった。そのずっと先にまたゲートの扉がある。
 どうやらここは格納庫のようだ。待機する時間の間、整備なりなんなりしてろ、と言うことらしい。
 その時、天井から女の音声が聞こえてきた。
『試験時間の報告です。今から四〇分後にレイブン本試験が始まります。受験生たちはその間待機をよろしくお願いします』
「四〇分後か……。整備なんてしてる暇はないな」
「カスパーさん、大丈夫ですよ」狭いコックピットの後ろの隙間からマリナが顔を覗かせる。「整備は万全です。いつもよりも調子がいいはずですよ」
「なんか傷つくな。そのセリフ」
 カスパーはACを空いた格納に収め、ACから降りた。マリナも続く。
 ACから降りてみれば、見知った人間の姿がちらほら目に入った。しかし、ずいぶん少なくなっている。あの予選でだいぶ削られたのだろう。だてにレイブン試験ではない、ということだ。
 その時、ある人物が目に入った。
「デュラン!」
 反対側の格納の二個隣りに、不安げな表情のデュラン・マスターの姿があった。カスパーが声をかけると、かなりびびった顔でこちらを見てきた。
 カスパーはマリナに待つようにと言い、デュランに駆け寄った。
「なんだ。予選通ったんだ」
「ああ、かなりぎりぎり、だったけどな……」
 声がかなり憔悴している。緊張しているのだろう。カスパーは思わず苦笑いが浮かんだ。
「なに弱気になってるんだ。あんた実戦に慣れてなくてうまく動けなかっただけかもしれないじゃないか。予選をあがったんだ。実力は十分にあるってことなんじゃ、ないのかな」
 カスパーはデュランの背中をバン! と叩いた。手が痛くなった。
 さすが体格がでぶっぽいだけあって、筋肉の蓄え方が違う。鉄板でも叩いたような感触に、カスパーは妙な声を漏らした。
 それを見て、デュランがやっと笑った。
「確かに、お前の言うとおりだ。予選が終わってからも練習もしたし、腕が全然悪いなんて思っちゃいない。相手が誰であろうと負けるわけないよな」
「相手? ……もしかして、本試験って、受験生同士でのタイマン勝負とか?」
「知らなかったのか? 最後に……。ああ、お前は途中で帰ったんだったな」
 デュランは簡潔に説明した。本試験は、試験側が用意した相手と戦って、勝てば晴れてレイブン、というシステムらしい。相手はレイブンかもしれないし、MT部隊かもしれない。
 レイブンを相手にするのは、けっこう厳しいところだ。
「なるほど、わかったよ」
「それより、お前のACの横にいる子供は誰だ?」
「ああ、俺の養子orメカニックだ。腕はいいぞ」
「想像がつかんな。ただのフェチじゃないだろうな」
「あの世に送るぞ、てめぇ……」
 どうどう、とデュランは微笑を浮かべながら両手をあおいだ。
 二人はそのまま話を弾ませていた。途中、マリナが待ちくたびれて、会話に参加した。マリナを見てデュランが「うちの弟の娘に似ている」と納得するように呟いた。
 カスパーはえ? とかなり驚いた顔をした。マリナはなんともいえない表情を浮かべていた。
 そうしてる間に、待機時間はあっさり終わってしまった。

                    *

「ホテル見つかってよかったね、アヤ」
「なにげにけっこう苦労したけどね」
 エレノアの町並みと違い、ここの土地間隔はだいぶずれていて、ホテルらしいホテルを探すのがかなり大変だった。やはり戦場にされる街は、裕福になることはないのだろう。といっても、コーテックス本社付近は豪華そうであるが……。
 きっと犯罪も多いはずだ。でかい建物を建てるときには、かなりの度胸と金と権力を得ていないと、あっさり暴落してしまうのだろう。
 二人は今ホテルを発見して、そこで一夜をすごして、レイブン試験会場に向かっている最中だ。
 試験会場は街の中心にあるのでかなりわかりやすい。タクシーを使えば、ホテルから十分でついた。
 今日が最終試験だけあって、一目みようと思う観客が会場前にたくさんいた。
「人がいっぱいいるね」
「暇人どもでしょ。レイブンなんか期待するやつなんて、武器商人ぐらいなもんよ」
 アヤは皮肉の意を込めて、口調を強くして言った。
 ミーナはアヤを不思議なものを見るような顔で見つめながら言う。
「前から思っていたけど、なんでアヤはレイブンが嫌いなの?」
「自分勝手で力振りかざすから嫌い」
「そういうレイブンって、実際はあんまりいないよ。フリーのAC乗りだけだよ、だいたいは」
「人殺しの集団なんかに、興味なんか出るわけないでしょ。……もういいでしょ、さっさと入りましょミーナ」
 アヤは一人勝手に会場内に入っていった。慌ててミーナはそれについて来る。
 その時会場の空に、数機の輸送ヘリが飛んでいる姿が目に入った。


 ゴゴゴと地震のような音を立てながら、大きなゲートの扉が開いた。
『受験生はACに乗り込み、ディスプレイに表示された番号の場所に向かってください』
 ゲートを通過すると、強制的にCPUにデータが送られてきた。
「DF―21……」
 カスパーは番号を確認すると、ゲート内を見渡した。ゲートの中は予選の時のように荒野型のフィールドで、違うのは所々に英数字が空中に設けられているだけだった。英数字の近辺には、前にみた転送装置があった。
 カスパーの番号は、入り口から右側のちょっと奥のほうにあった。ブーストを吹かし、急いでその場所に向かった。
 その時、人の叫び声の様なものが耳に入った。なんだ? と思ったが、すぐに思い出し理解する。レイブン本試験のときだけ、暇なギャラリーと、武器商人などが見物来ることがあるのだ。こちらから観客の姿を見ることはできないが、たぶん100人はいるだろう。
 観客の叫び声をシカトし、カスパーはこれから始まる戦闘に集中しようとした。すでに対戦相手は装置の中で待ちわびているらしい。
 数回深呼吸する。
「……よし」
 ACを歩かせ、転送装置に入る。
 一瞬にして、風景が少し変わった。やや赤黒い空間だった。
 そして、目の前に対戦相手、ACの姿が目に入った。

                    *

 アヤ達が観客席についた時には、すでに試験は始まっていた。
 席につき、正面を見れば、数十の映像モニターが空中に映し出されている。画面の中には、さまざまACたちが、めまぐるしく動き回っていた。
 と、一番右端っこの画面が真っ黒になった。どうやら勝負がついたらしく、「LOSE」という文字が大きく浮かんでいる。受験生側が負けたようだ。
 数分もしないうちに、画面は次々と真っ暗になっていた。……と、一つだけ[win]の文字があった。勝者の名前はデュラン・マスター。相手はMTの熟練部隊だったらしい。
 どうやら対戦相手運みたいものがあるようだ。この勝者はたぶん運がいいほうだろう。
 ということは、他のやられた受験生たちは、対戦相手運に恵まれなかったのだろうか? アヤはまだ映っている映像を一つ一つ確認した。
 見覚えのあるACを発見した。あれは確か、Bランクあたりをうろついていたベテランレイブンのはずだ。動きを見ても、無駄を一切感じさせない感じだ。
 これは一番最悪のブラックカードだと、アヤは思った。
 しかし、それに対する受験生のほうも、まったく負けてなどはいなかった。
 黒と銀をうまくまぜたような色の機体。敵レイブンの攻撃を紙一重で左右にかわしている。レイブンが多弾頭ミサイルを発射したが、予測していたかのようにOBでS字を書くようにかわしていた。
 そのまま相手に接近、左手のブレードを振り上げる。レイブンはバックブースターで回避したが、かなり焦っていたのか、意味もなくジャンプをしてしまった。大きな隙、受験生がそれを逃すはずがない。相手にブーストで接近しながら、マシンガンを乱射する。レイブンの持っていたライフルが破壊された。
 そして、
 空中で交差。
 瞬間、レイブンのACの頭部が弾けるように吹っ飛んだ。さらに左腕、右腕、両足が綺麗な青い線にあてられ、順番に切断された。
「え?」
 各パーツは、まるでおもちゃのようにあたりに散らばった
 受験生側が、完璧な勝利を掴んだ。画面に「win」の文字が浮かんだ。
 名前が表示される。カスパー・メルキオールと。
「アヤ、どうしたの?」
「……え?」
 アヤはその時、立ち上がり、口を開けて画面に集中していたことに始めて気がついた。慌てて椅子に座り込んだ。
 ミーナが隣でくすくすと笑っていた。アヤは恥ずかしさで体が熱くなっていくのを感じた。
 画面に映るACが、こちらを見た。
 アヤは恥ずかしさをすでに忘れ、そのACを鋭い双眸で睨んだ。
 ――こいつは、ズルをした……。


               二章 マリナと敵(3)

 目の前に、さっきまで相手にしていたACが、いつのまにか五体バラバラになって倒れていた。そのコックピットの中から、唖然とした表情で敵パイロットが顔を覗かせている。
 カスパーは驚いた。
 いったい、自分は今何をやったのだろうか。
 OBを使い、敵に接近したところまでは覚えている。そしてマシンガンで敵の主要武器を破壊した。
 しかし、その先自分は何をした?
 ……なぜか、記憶が曖昧だった。ブレードを振ったのはかすかに覚えていたが、なぜ敵は五体バラバラなのだろうか。いくらなんでも、一振りでバラバラになるわけがない。
 ……知らない間に切っていた、意識を失っていたのか?
 そう思った瞬間、カスパーの脳裏にある疑念が浮かんだ。
 ……まさか、あれが発動したのか? ……しかし、意識を失うような副作用はあれにはないはずだ。なかった……はずだ。
 ということは……なんだ?
 カスパーはコックピットの中でしばらく考えたが、明確な答えは浮かんでこなかった。

                    *

 アヤは観客席会場を出て、廊下を歩いていた。
 足取りはかなり速い。慌てて後ろからミーナが追いかけてきているのが見えた。
 アヤは厳しい目つきで前を見ている。そしてミーナは、やっとアヤの隣に追いついた。やや息を荒くしながら言う。
「どこいくのアヤぁ〜?」
「決まってるでしょ。試験を仕切る本部、試験管理部よ」
「なんでそんな所行くの?」
 アヤは早足を緩めながら、横にいるミーナに振り返って言う。
「さっきの奴、見たでしょ。あれはACの動きを完全に逸脱したレスポンスだった。ズルしてたのよ。あれを合格なんてさせたら、大変なことになるわ」
 アヤは知っていた。ブレードというものは、かなりデリケートな構成で出来ていて、さっきのACみたいに連続した攻撃を行えば、ブレードが手からはずれ、機体はエンストをおこし、ヘタをすれば、オーバヒートして内部パーツを焼いてしまうことを。
 それに、あのブレードは月光だった。月光は絶大な威力のかわりに、高重量を担っている。だとすれば、余計に多用するのは危険になる。二撃目の攻撃で、腕がいかれ、爆発を起こすはずだ。
 だがあの機体はそれを成し遂げた。理由は……100%明確である。
 しばらくすると、やや大きめな扉を構えた、試験管理部の部屋が見えてきた。
 アヤは扉を少し勢いよく開けた。
「失礼します。先ほどの試験の試合、不正を発見しましたのですが……」
 部屋の中には三人の男が座っていて、二人の秘書風の女性が直立していた。全員かなり驚いた顔を浮かべながら、アヤを見つめている。
 アヤは深呼吸をして、はっきりと口を開いた。
「受験生の中に、強化人間がいます。確か、グローバルコーテックス社は、強化人間を断固として拒否していたはずです。……いえ、少し違いますね。新人レイブンの強化人間の存在を嫌っていたんでしたね」
 部屋の中にいた三人の男の内一人が立ち上がり、アヤの前に立った。
「あなたは? それと、失礼ですが職業の方は?」
「ここに友達と見学に来たアヤ・レイヤニックというものです。職業は、コーテックスのオペレーター志望の訓練生をやっているものです」
 男はアヤを調べるようにしばらく眺めてきた。
「ふむ……嘘はついていないみたいですね。向こうの部屋で、詳しくお話を聞きましょう。後ろの方は、そのお友達ですか?」
 言われて後ろを見ると、ミーナが戸惑った表情で扉の外に立ち尽くしていた。アヤが首で促すと、申し訳なさそうに中に入ってきた。
 男がこちらへ、と手で促す。スタスタと前を歩き出した。
 だが、途中でいきなり振り返る。
「ああ、申し遅れました。私は今年のレイブン試験の試験官を任された、エースというものです」

 フィールドの歪みが終わると、若い女性の声が耳に入った。
『合格者四名。ミリタリー・エルク様、デュラン・マスター様、カスパー・メルキオール様。キトウ・アキラ様は、ACを格納庫に預け、試験管理部に向かってください』
 ……四名合格したのか、確か二十人はいたはずなのだが、五分の一しか合格していないのか。デュランは合格したのか、運に見舞われたんだな、たぶん。他の二人はどんな奴らだったんだろう?
 カスパーはACを格納庫に歩かせながら、勝手なことを考えていた。
「おめでとうございます。カスパーさん」
 格納庫に置き、ACから降りると、マリナが笑顔で迎えてくれた。
「見てたのか?」
「そりゃあ見ますよ。カスパーさんかっこよかったですよ」
 嘘偽りない素直な感想を述べる。カスパーはなんともいえない表情になった。
「なんか照れるな」
 こんな風に、戦いに対してほめられたのは、初めてだった。思わず頭を掻いた。
「あ、それより。少し気になることがあるんだが……」
「? どうかしたんですか?」
 しばらくの間。カスパーは言葉を整理していた。
 そして口を開く。
「お前さ、整備でなんか大きくいじったりしてなかったか。さっきの戦闘でイリア、妙な反応を見せたんだが……」
 やや不明瞭な言い方だが、カスパーにはあの状況をこう言うしかなかった。
 マリナはうーんと視線を上空に向けて考えるそぶりをする。
「一つだけ、エネルギーボックスのリミッターを解除しましたけど」
「リミッター? Eボックス?」
「はい、このイリアという機体。いろんなところに意味もなく放置されているエネルギーボックスが各場所にあったんです。Eボックスっていうのは、瞬間的に発動するエネルギーをためておく場所、装置なんです。たとえば、ブレードを振ったり、OBなどに使われたりします」
「全部解除しなかったのか?」
「……Eボックスは、全てジェネレータと直列でつながっています。そして、瞬間的に発動するというのは、機関内部へ多大な温度上昇を与えるはめになるんです。だから、ジェネレータの容量範囲外のEボックスの使用は、自殺行為なんです。ラジエータなどで、少しは補えますが、あんまりやりすぎるとジェネレータ自体がショートする恐れがあるんです。……ちなみに、機体の中にあったEボックスは、全部で20個ありました。発動しているのはその内の三個だけです」
「三個だって!? なんでそれだけしか発動してないんだ? っていうか、残りのやつ取れ
なかったのか? 動いてないならいらないだろう」
「それが……なんだか変な所がややこしくて。はずれないんですよ、ちょっと。
 機能はしていないんですが、どこかの機関と繋がっているみたいなんです。だから、その……」
 マリナは困った顔を浮かべる。えーと、と言いながら、片手で頭を抱えていた。説明する
のが困難な問題らしい。
 カスパーはとりあえず納得した。判らない事だらけだが、そんな事はこの機体に乗った時からすでに知っていたことだ。
 カスパーはマリナにもういいと告げて、もう少しここで待つように告げた。マリナの頷きを確認し、カスパーは足を放送でいわれた試験管理部に向かわせた。
 ……分からない事には慣れている。だから、確かめるんだ。レイブンになれば、それが叶うかもしれない。だから、レイブンになるんだ。
 昔誓った言葉を内心で呟く。
 願いはやっと、叶えられたんだ。

                    *

 アヤは目の前のエースという男が言う言葉が、理解できなかった。
 アヤは今、試験管理部にある客室のような部屋の中で、エースと対峙する形でソファーに座っている。目の前のテーブルには飲み物があるが、アヤはまったく手をつけていない。そんな気分ではなかった。
「じゃあ、誤認だというのですか? あなたは」
 エースは大きく首肯する。
「はい、彼は強化人間ではありません。こちらでもモニターしていた事ですし、確信しています。そもそも強化人間の存在は、最初の適性検査で全て確認ずみなのですから」
「モニターを見ていたのでしょう? ならあの驚異的レスポンスはどう説明するんですか? あんな動きのACなど、私は見たことはありませんって……」
 アヤが公言していると、エースは突然くっくっと笑いだしていた。アヤは思わず眉をゆがめた。
「……なにが、可笑しいんですか?」
「くっくっと……いえね、こう話していてわかりましたが、疑問に思いましてね。どうしてそんなに強化人間を嫌っているのかと」
「強化システムはまだ未完成だと聞いています。精神が不安定だと。そんな危ない奴らを野放しにするのを、私は許せないだけです」
「……なにか、あったのですか? よければ話してみては?」
「他人に話すようなことではありません。話しをはぐらかさないで下さい」
 アヤは思った。こいつの事は、絶対好きにはなれないだろうと。
 アヤはエースを殊更に睨んだ。予想通り、エースは笑みを持って、こちらの意思を流した。むかつく……なんなんだこの男は?
 しばらく沈黙が続いた。
 そして、エースはふむ、と唸り、両手を組んでなにかを考えるそぶりをしだした。アヤはだまって次の言葉を待つ。数秒ほどで、エースは口を開いた。
「ではこうしましょう。さきほど本試験が終わり、合格したものがもうすぐここ試験管理部に来ます。その中にあなたがいう違反者もいるでしょう。だから、直接お話してみては?」
 アヤはしばらく考えて、こくりと頷いた。エースはにこりと笑い、ソファーから立ち上がった。アヤは初めて飲み物を口に入れて、続いて立ち上がった。
「ここで待たれますか? それとも外で?」
「ここで待つわ。ミーナをここにつれてきてくれない?」
 険悪な話になるかもしれないとあとで気づいたので、ミーナは外で待つように言っておいたのだ。
 エースは快く頷いた。客室を出て、すぐにミーナを呼びに行った。
 それから数十分後、アヤは合格者たちと対面した。


               二章 マリナと敵(4)

 壊れたビル、建物、人の死骸。そんなものがそこら中に散乱している。あたりに満ちた濁った空気は、死という言葉を感じずにはいられない。
 ほぼ何もないに等しい、荒れ果てた大地。
 そこに一機のACの姿があり、大地を疾走していた。
 フロート型の、どす黒い感じに装飾された機体。その姿からは力強さのほかに、あきらかな殺意、悪意がにじみ出ていた。右腕の白いプラズマライフルが、唯一の救いの光のように見えた。
 ふと、ACの動きが止まった。
 首を回転させ、あたりを360度見渡していた。しかし、平面に近い世界が見えるだけで、周りには何もない。
 パイロットが疑問の声をあげる。
「……場所が間違っていたか?」
 フロートACの搭乗者はそう呟き、MAPを確認した。すると突然、大人びた女性の声がコックピット内に響き渡った。
『反応は小さくだがあるぞ。わずかだが、物理的な力も感じられる』
「それは確かなのか、ワルチャー。とすると、クイーンは活動しているのか。やばくないか?」
『クイーンの力の反応ではない。これは…………少し調べてみる。エグザイル、貴様はもう少しそのあたりを探してみろ』
「了解」
 機械的な返事をして、ACのパイロット、エグザイルは再度機体を発進させた。
 しばらく走ること数分……エグザイルは妙なものを発見した。
 大きなコンテナを二つ繋げたような建物だ。ぱっと見た感じ、外壁をきれいに掃除されたあとがある。誰かが住んでいる、もしくは住んでいたことは、間違いなかった。
 コックピット内に、奇怪じみた笑い声が響いた。
「見つけたぞ。ワルチャー」
『こちらも確認した。そこから、強い反応を感じるぞ』
 エグザイルは機体のブーストを解き、ゆっくりコンテナの建物に向かって歩かせた。
 残り数百ヤード。がその時、
『! 待てエグザイル』
 制止の声が届く前に、エグザイルはすでに何かに衝突していた。
 機体が激しく振動して、表面装甲が捻じ曲がるように剥離していく。
 慌てて機体を後退させた。機体の横半分が、火花と煙を発生させていた。
「……バリア?」
『重力型のカオスシールドだ。むやみに近づくと、圧壊するぞ』
「ずいぶんと凝った仕掛けだな。クイーンがこんな事をやるとは思えない、これは……誰か匿っているな」
『敵は複数いるかもしれない。中からは生態反応はないが、油断はできない。どうする?』
 ワルチャーに言われ、エグザイルはふむと一度唸った。
 しばらくの沈黙。
「……最近完成したという、あの兵器を試してみてはどうだろう?」
『エクタールレーザーか? しかしあれは射程補足などの準備に時間がかかるぞ。バリアだけを破壊するとなると、威力の修正にも手間を要する』
「小一時間程度なんだろう? 俺の勘だと、敵は留守のようだ。何度か出入りも行われているみたいだし、焦る必要もない」
『なるほど』
 ワルチャーから微笑が漏れた。
「俺はしばらく遠くで待機している。とりあえず準備だけでもやってくれ」
『了解』
 通信が終わると、エグザイルはACを発進させ、近くにあるビルの残骸の隙間に入り込んだ。

                    *

 格納庫を歩きながら、カスパーは舌打ちを何度も打っていた。
 外から見てもカスパーはイライラしている事が分かった。眉間には皺がより、なんとなくだが血管も浮き出てきそうな、熱の上がりようだった。
 そして、なにより一番気になったのが、右頬にできた大きな腫れ。
 カスパーのACの前で待っていたマリナは、その姿を見て疑問の表情を浮かべた。気になり、カスパーに小走りで駆け寄った。
「どうしたんですか? 怖い顔して。それにその怪我は?」
 カスパーは表情を緩め、歩みを止めた。
「レイブン、合格したんじゃないんですか?」
「……ああ、合格はしたよ。ライセンスも貰った。……だが、それに文句を言う妙なヒステリー女がいたんだよ」
「ヒステリー、おんな?」


 ライセンスを手渡される瞬間だった。いきなりそのライセンスを横から奪う手。
 カスパーは一瞬呆気にとられ、その手の先を見た。
 一人の若い女性が、憮然とした表情でカスパーを睨んでいた。彼女の右手には、カスパーが貰うべきライセンスが照明のライトに反射して、煌々と光っていた。
 カスパーは試験官に問い詰めようとした。が、すぐに若い女性がしゃべりだし、行動が遮られた。
「あなたにこれを貰う権利はないわよ」
「はぁ? ……どういうことだ試験官!」カスパーはライセンスを渡した試験官をきっと睨み付けた。「なんだこの女は!」
「違反者に、レイブンになってもらうわけにはいかないわ」
「違反? 誰がいつ違反なんかしたんだ! おい、エース!」
 カスパーは試験官の一人のエースに顔を向ける。エースはなぜか、くすくすと微笑を浮かべて何もいわない。カスパーはその反応に、さらに怒りを募らせた。
 女性が続ける。
「……しらじらしい。自分がしたことも理解できてないの? 強化人間っていうのは、自覚意識が欠如しているのかしら?」
「強化人間だぁ? お前なにをわけのわか…………まさか、俺がその強化人間だって言いたいのか? それで、強化人間はレイブンにはなれないなんて言ってるのか?」
 カスパーの言葉に、女は妖艶な笑みを浮かべた。
「よく、分かってるじゃない。安心したわ、考える能力はあるみたいで――」
 刹那、
 カスパーは女性の胸倉を掴み、女性を持ち上げる勢いで上に上げた。
「勘違いもはなはだしいな。てめぇ、いったい誰なんだ? 試験官なんかじゃないのは明確だよな」
「……観客の一人よ。……この手、どけなさいよ、訴えるわよ」
 明らかに見下した態度。
 カスパーの額に筋が入った。
「てめぇ!」
「はいはい、そこまででお願いしますよ。お二人さん」
 いつのまにか二人の間近まできていたエースが、女の持つライセンスを流れるような動きで奪い取っていた。女はあっ、と間の抜けた声を出していた。
「面白い余興はこの辺で終了です。いやいや〜楽しかったですよ、アヤさん」
「はっ? よ、余興?」
 アヤと呼ばれた女は、まったく理解できないといった声を漏らした。
 エースは手に持ったライセンスをカスパーに渡すと、アヤを正面から見据えた。その表情には不敵な印象が満ちていた。それを悟ったのか、アヤは怯んだ様に一歩下がった。
「はい、余興です。バカな観客がバカな行動をする模様を皆で眺めるという。今のシーン、全てテレビで流させていただきました。いや〜、リアリティー抜群で最高でしたよ、アヤさん」
 アヤはテレビという言葉を聞いて、途端に顔を青ざめさせた。
 カスパーはわけがわからず、その模様を困惑した顔で眺めていた。
 そんな二人を無視して、エースは続ける。
「アヤさん、コーテックスの社員なら、うちをあまり舐めないで戴きたい。強化人間かそうでないかなど、そんなもん、ここの設備を使えば赤子でも発見できるんですよ。あなたが我々に言ったことは、我々の事を覚せい剤片手に持っている奴を「一般市民」と判断した能無し野郎どもと言ってるのと、変わりないことなんですよ」
「そんなことは!」
「言っているんです。というより、コーテックスがそう判断しました。……というわけで、あなたには罪を与えます。あちらは首にはしないといっておりますが、反省はしてもらわないと、示しがつきませんから」
 アヤは膝を折り、床に座り込んでいた。静寂の部屋の中に、アヤの言葉にならない声が響いた。
 カスパーはやっと状況を完璧に理解した。
 前にも、確かこんな事件があった。大した証拠もなく、一人のレイブンを「反則をした!」と罵った奴がいた。そいつは場内で暴れたため、すぐに捕まった。そしてそいつを事情徴収して、なぜそんな事をやったのかを問い詰めた結果、出た理由は……。
 レイブン嫌いという被害妄想から生まれた些細な事実だった。
 つまり、このアヤという女性は、心底レイブンという種を嫌っているのだ。
 カスパーはもうすでに、アヤに対しての怒りはなくなっていた。
 カスパーは手に持ったライセンスは少し見つめて、アヤをみた。
「レイブン、嫌いなのか?」
 アヤははっとなり、口を少しあけるが、すぐに表情を吊り上げて、睨むような顔をこちらに向けるてきた。
「……なによ、同情しようとしているの」
「いや違う。ただ、闇雲にレイブンを否定する行為はどうかと思っただけだ」
「あんたに、何がわかるのよ!」
「わかるさ! ……同じ、人間だからな」
 アヤの表情が変わる。まるで初めて聞く言葉、予想外の台詞を吐かれた時の様な顔をしていた。
 カスパーはアヤのすぐ横まで歩いて近づく。耳元に直接伝えるかのように、言葉を続けた。
「レイブンだって人間だ。そしてレイブンってのは、ただの職業だ。ACに乗って、それで破壊を行うという。
 破壊は非道にも正義にもなる行為だ。大抵は非道のほうだがな。
 しかし、破壊は絶対誰かがやらないといけないものだ。そうしないと、世界のバランスは保っていられない。それぐらいは、わかるだろ?
 あんたの否定すべき点はレイブンじゃない。あんたに恐怖か憤りを与えた、この世界にいる何人かの害虫どもだ。……文句を垂れるなら、そいつらだけに言え」
 言いたい事を全て言い終わると、カスパーは入り口に向かって歩いた。
 一度ちらっと後ろを見たが、アヤは顔を俯かせて黙っていた。
 すぐに顔を前に向けたその時、
 後ろから物音。
 そして、何かが弾ける音がした。
 カスパーの顔面に強烈な衝撃がきた。
「レイブンなんて、レイブンなんて……大っ嫌い!」
 アヤが妙なことをつげて、遠くへ去っていく音がしたが、カスパーは顔面のあまりの痛さに悶絶していて、それどころではなかった。

                    *

「……で、それがその時のケガですか? ずいぶん腫れてますね」
「たぶん、思いっきりぐーで殴ったはずだ。それぐらいの衝撃だった」
 苦虫を噛み潰したような顔をしながら、カスパーはマリナの脇を通り抜け、自分の愛機に向かった。
 ちょうどコックピットに乗り込んだ時、マリナが少し大きな声で口を開いた。
「カスパーさん!」
 顰めたツラを向けると、マリナは一度うっと呻いた。
「ん? なんだ」
「あ、あの、カスパーさんは、レイブンが嫌いなんですか?」
 コックピットから出した顔を、さらに歪める。
「……なんで?」
「だって……嫌いでもないのに、嫌いな人の気持ちを語るなんて、変だと思ったから。カスパーさんは、そんな無責任な発言しない人だと思っているから」
「買いかぶりすぎだって」
「だけど……だけど、やっぱり変ですよ」
「受け売りの言葉を吐いただけだよ。それより早く乗れマリナ」
 マリナはまだ釈然としない表情を浮かべていた。カスパーは気にした様子もなく、マリナを手招きする。
「帰るぞ。今日からコーテックスが用意してくれる特注の部屋での生活だ。なかなかお湯にならないシャワーともおさらばだぞ」
 笑顔で答えた。
 マリナは観念したみたいな表情で、嘆息をひとつ漏らす。苦笑を浮かべ、飛ぶような軽やかな動きでコックピットに乗り込んだ。
「荷物運ばないといけないから、一旦前の家に帰るぞ」
「はい、わかりました」
 ACを機動させ、カスパーはレイブン会場をあとにした。

                    *

『――……え…………エグザイル……おいエグザイル!』
 ややヒステリーが篭った女性の声に、パチっと目を開く。
「……なんだ?」
『キサマ、こっちが準備で要しているのに一人で熟睡か? 任務中だぞ』
「まだ体が慣れていないんだ、許してくれ。……ところで、準備は終わったのか?」
『全て完了した。お前の合図しだいでいつでも発射可能だ。そちらの状況は?』
 ちょっと待てと告げ、エグザイルはビルの残骸から飛び出し、目標の詳細を確認した。風景はいたって変化はない。寒々とした風が、砂塵を巻き上げていて、目標の建物を丸ごと隠していた。
「いたって変化は見られない。まだ中は留守のようだ」
『どうする?』
「……かまわない。発射してくれ。帰ってきた時に待ち伏せでもしていた方が、仕事としては好都合だ」
『わかった。では、少し離れていろ。衝撃波には気をつけろよ』
「了解だ」
 エグザイルはまたビルの陰に隠れた。
 しばらくして、空に大きな光が点滅し始めた。一瞬、それは七色が折り重なったように見え、恐ろしいほど綺麗だった。
 数秒がたって、
 その光がどんどん大きくなり、七色は一色に変わり、
 刹那、
 発射。
 そして着弾。
 耳が壊れるほどの轟音と共に、巨大な白い光があたりを包んだ。


               二章 マリナと敵(5)

 街のゲートを潜り、外にでると、カスパーはあたりを見渡した。
 街の外には、誰かが勝手に立てた住居などが所々に存在している。しかし、どの家も適当に作られた不規則なもので、はたから見ても住みやすそうな建物とは思えないものばかりだ。
 ここに住んでいるのは、全て住民権がないものばかりだ。だいたいは借金に追い回されて払えなくなり、自己破産してしまったものがほとんどらしいのだが、細かい事はカスパーもしらない。
 第二のスラム。街の外は、はっきりいって安全からずいぶん離れている。特にここ西エリアは、争いの耐えない区域だ。いつ流れ弾が飛んできて、跡形もなく吹っ飛んでもおかしくない。
 ……ここに住む者たちは、常にその恐怖で打ち震えていることだろう。自業自得が起こした始末ではあるが、やはり残酷ではある。
 ブーストを始動させ、ACを少し走らせると、すぐに残骸だらけの荒野が広がりだす。
「そういえば、なんでカスパーさんは、街の中で暮らさないんですか?」
 街を出て数秒ほどたった時、マリナがふとそう質問してきた。
「俺は元々あの街の人間じゃないんだ。少し前までは、小さな村に住んでいたんだ。……もうなくなっているがな」
「レイブンですか?」
「幻影の天使だ」
 マリナが言葉を詰まらせる。後ろに座るマリナから、言って後悔したという気配を深く感じた。
 カスパーは苦笑する。
「だから、お前は違うんだろ? いや、違うんだ。だからお前がその事で苦しんだり、悩んだりする必要なんてない。わかったか? わかったら返事しろ」
「……はい」
 マリナは最後に小さく、ありがとうございますと付け足した。
 カスパーは妙な照れくささ感じ、微笑を浮かべた。
 その時だった。
 自宅の方角。そのあたりの空が一瞬光り、一筋の線が見えた気がした。
 カスパーは疑問の表情を浮かべた。
 が次の瞬間、耳をつんざく轟音がAC内にも響き渡り、
 そして、遠くで大爆発が起こった。
「!!」
 あまりの出来事にカスパーはACに急ブレーキをかけた。後ろできゃあと声が聞こえたが、今のカスパーはそれどころではなかった。
 凄まじい衝撃波が襲い掛かってきたのだ。機体の体制維持がままならず、イリアは地面にブレードをぶっ刺した状態で、ずるずる後退していた。
 機体が揺れる。マリナが恐怖の声をあげた。
 数秒がすぎたとき、やっと衝撃波が治まった。最初ブレードを刺した位置から、百ヤードも押し込まれていた。地面が軟かったせいもあるが、しかしそう遠くないあの距離からでこの影響力には目もみるものがある。
「なんだったんだ? 今のは」
 カスパーは頭を抱えた。モニターから機体の状態を確認すると、衝撃波で飛んできたさまざまな破片が激突して、小さな損傷が所々に目立っていた。
 自宅の方角を見た。砂煙が天高くあがり、まったくなにも見えない。
 カスパーは妙な胸騒ぎを覚える。
 敵……しかも、かなり強大な敵だ。
 根拠のない推論だが、気味が悪いほど現実感があった。AC乗りとして、戦場をかけた感覚が、明瞭に伝えているのだ。
 冷や汗が流れる。
「なにが起こっているんでしょう?」
「……わからない。とにかく、現場にいってみよう」
 カスパーはACを発進させた。OBを起動させる。機体は勢いよく爆炎が立つ場所へと進んだ。
 目的地に近づくほどに、嫌な胸騒ぎは強くなる一方だった。

                    *

 衝撃波から守る盾にしていたはずのビルの残骸は、エグザイルの機体を残してほぼ跡形もなく消し飛んでいた。
 砂煙があがり、あたりの視界はゼロだ。ほとんど砂漠に近い土地であんな爆発を起こしたのだ。無理もない話だ。
「……やりすぎだ。ワルチャー」
 レーダーに多少のエラーが発生していた。ビービーとうるさい警告音を発している。煩わしさを顔に出しながら、エグザイルはコンソールを叩いた。
『試作段階の代物だ。調節をもう少し深くすべきだったな』
「バリアだけじゃなく、家自体を吹っ飛ばすのは厄介だぞ。もう少し慎重にやれ」
 数十秒が過ぎたころ、やっと砂煙が収まり、視界がなんとか確認できるくらいにまで回復した。
 目標物を見た。二重コンテナの建物には、表面に多少の削れた跡があったが、内部には大した影響を及ぼしていないようだ。中では多少の地震がおこったような状態になっていたはずだ。
 しかし、さすがにバリアは完全に壊れてしまったようだ。周囲の砂塵といっしょに、まるでイナズマように漏電を発生させていた。まだ近づくのは危険であろう。
「……大したバリアだな。あの一撃をもらって、守り主はちゃんと守って消滅とは。UGの連中にもこんな技術があったんだな」
『確かに。……クイーンが多少手を加えたのかもしれないな』
「ありえる話だ」
 エグザイルはくすっと微笑を浮かべた。
 その時、モニターから索敵音―――レーダーが反応を示した。
 ワルチャーが早速反応を示す。
『! エグザイル! クイーンだ、クイーンが近くにいるぞ! 間違いない』
「やっと竿に獲物がかかったか」
 レーダーを見る。赤い点がだんだんとこちらに近づいてくるのがわかった。
 すうっと呼吸を深く吸い、吐いた。
「……ACを一機、捕捉した」

 砂塵の嵐のおかげで、あたりの視界はゼロに近かった。
 奥ほうから、何か崩れるようなゴゴっという音がしきりに鳴っている。磁場があれているのか、計器の調子が悪い。カスパーはコンソールを叩きながら、内心で疑問の言葉を連呼した。
 ――どういうことだ? どうやったら、こんなことが起きる?
 カスパーは現場に近づけば近づくほど、手が振るえ、全身に冷や汗が流れている気がしていた。
 気のせいだ、とカスパーは頭をふる。しかし目の前の現状を確認すれば、それは事実だと如実に伝えてくる。はっきりとそれが確認できたのだ。
 敵は、巨大だ、と。
 後ろでは、マリナが何もいわず、ガタガタと震えていた。
 その時、レーダーが反応。ACを一機捕捉した。
「逃げてください! カスパーさん」
 突然さっきまで黙っていたマリナが、精一杯といわんばかりの大声でそう叫んだ。
 カスパーはちらっとマリナを一瞥する。
「……なにがあるのか。わかるのか、マリナ」
「逃げてください! カスパーさん!」
 こちらの質問には答えず、マリナはもう一度同じ言葉を叫んだ。今度のは少し涙声になっていた。
 カスパーはごくりと唾を飲み込んだ。
 すると、レーダーが高速移動物体接近の警報を鳴らした。
 カスパーが、マリナが悲鳴に似た声を一瞬あげた。
 だが、カスパーは少し違った。すぐに薄く強がりじみた微笑を浮かべる。
「……マリナ、悪い。逃げるのはちょっと無理っぽいぜ」
 カスパーはコンソールを叩いた。
 すると、カスパーの席、マリナの後部席の脇から、ゴム製のベルトのようなものが現れ、二人を固定した。
『通常モードを変換し、戦闘モードに切り替えます』
 カスパーの愛機『モア・イリア・サン』の薄い瞳が、真っ赤に光った。
 そして、数秒ほどで噴煙の中から一機のフロート型のACが、OBを解除しながら現れた。少し滑るような形で、ACは止まった。
 そして、獣のような赤い双眸で、こちらを睨んできた。

                    *

 正面に地上軍の汎用兵器であるACが立っていた。こちらを警戒しているのか、隙のない間合いを置き、身構えていた。
「ワルチャー、クイーンはどこにいる?」
『コックピットの中だ』
 この答えに、エグザイルは疑問の声を上げた。
「しかし、反応が薄いぞ。あのとてつもない威圧感がまるでない」
『こちらに落下したとき、停止状態になっているんだ。まあ、いわゆる一時的な記憶喪失だ』
「それは好都合だな。相手にクイーンも混ざっていれば、さすがに分が悪かったんだ。敵が一匹の鉄の犬っころぐらいなら、軽くひねるだけでなんとかなる」
『だが、油断はするなよ』
「わかっている。……最初は本気で、いかせてもらうさ」

 カスパーは右手のマシンガンを敵に向けた。そして口を開いた。
「……さっきの爆発は、お前の仕業か?」
「そうだ」
 低い、少し枯れたような声が聞こえた。変声しているかどうかは、カスパーにはわからない。
 だが、声を聞いただけで、そいつの器、能力が手に取るように伝わってきた。
「誰だお前たちは?」
「地上からの使者さ」
 カスパーは疑問の声を上げた。
 ――地上? 地上ってなんだ?
 相手はこちらの考えを察したのか、薄い笑い声をあげて、
「そのうちわかる。いや、もうすぐだ」
 笑い声と共に、そう答えた。
 その薄気味悪さを与える笑い声に、カスパーは悪寒のようなものを背筋に感じた。
 だが、急に笑い声が止まった。
「そちらばかり質問は、少し無礼であろう。こっちも用件を述べていいか」
 カスパーは無言の返事。かわりに右手に持ったマシンガンを軋ませた。
「クイーンを返してもらおうか」
「クイーン?」
「貴様が今、そこで保護している子供だ」
 敵がこちらのコックピットを指差しながら、言った。
 カスパーは驚愕する。同時に、後ろで悲鳴が一瞬あがった。
 カスパーはやや震えた声で答える。
「……この子をどうするつもりだ」
「だから言っただろう。返してもらうと」
「この子はお前たちのなんだ?」
「それは貴様には関係ない。……ふむ、お前、びびっているな、震えているのだろう? ―――そうだな、さっさと返してくれれば、このまま見逃してあげてもいいぞ」
 挑発。
 そして、これは嘘だ。
 敵は自分を遥か高み、俯瞰の位置から見下している事にカスパーは気づいた。やや全身から怒りが募った。
 そして、言った。
「……断る!」
 カスパーは構えたマシンガンをいきなり発砲した。
 だが敵はまるで予測していたかのように、軽く右にかわしていた。
「……それは、残念だな。俺は平和主義者なんだが……仕方ないな」
「最初っからそのつもりのくせに、なにを寝言ほざいているんだよ!」
「命は大切にすべきだぞ」
「どうせあとで攻撃しかけるつもりのくせに、見え透いた嘘をついてんじゃねぇ!」
 カスパーはブーストをふかし、敵へむけてジグザグに動きながら接近した。
 敵も身構えてた。カスパーは途中でOBを起動させる。機体は瞬間的な勢いで敵との距離をゼロにした。
 ブレードを一閃させた。
 敵もブレードをだしてきた。月光だった。
 二つの青い刃が重なり、周囲に影響をあたえるほどの強音をたてる。火花が二機を見えなくするほど大量に飛び散っていた。
 力はほぼ互角―――いや、違った。
 じわじわとカスパーの方が押されていた。敵はこちらを真っ二つにしようと、さらに力を強めてくる。
 カスパーはEXのマスターブースターを起動させた。一瞬にして態勢が逆に変わると思っていたが、敵はまた予測していたかのように、ブレードを下げて今度は左によける。カスパーはバランスを崩しそうになるが、持ち前の資質でなんとか隙なく相手との距離をおいた。
「なかなかの手だれだな。面白いぞ」
 余裕の笑い声が、敵から漏れた。
 カスパーは反吐を吐き捨てたい気分になった。
「強化人間か……。どうりで自信過剰なわけだ」
「それは違う。我々をあんな自爆者と同じにしないでくれ」
「? なにわけのわからんことをほざいている」
 カスパーは身構える。
 だが敵は腕をだらしなくさげ、まったくの無防備状態だった。
「お前の心理を、少し推理してみようか」
 カスパーは攻撃をしかけようと、マシンガンを敵に向けるが、敵からの妙な気迫、威圧感みたいなものが、そうさせなかった。
「お前のいう強化人間という人種なら、お前はなんとか勝てると踏んでいる、そうだろ?」
 膠着状態が続くなか、敵は一方的に話しだした。
「だが、今のうちに真実を伝えておこう。先の一戦でお前はこちらの実力のだいたいを把握したつもりでいるが、それは間違いだ」
「なに」
「俺はまだ、40%も力を出してはいない。わかるか? 本気の半分も出しちゃいないのさ」
「自惚れもそこまでくると笑えるな」
 カスパーは動く。敵に向けてマシンガンを放ちながら接近。マシンガンはまったく見当違いの方向へと飛んでいた。敵はそれを理解しているのか、ぴくりとも反応を示さない。
「お前本当にそう思っているのか? だとしたら間抜けなバカだな」
「はったりはそれぐらいにしとけ!」
 ブレードが届くぐらいの距離のところで、カスパーは跳躍し、瞬時にOBを展開する。相手の後方に回り、放物線を書くように敵に接近しながら、空中に右手に持ったマシンガンを投げると、腰に手を回し、あるものを手にとり、それを投げた。
 AC用の設置爆弾だった。
 敵のまわりに、数個の爆弾が置かれる。
 瞬間、それは激しい音と、熱を噴出して爆発した。
 だがカスパーの動きは止まらない。落下してきたマシンガンを掴み、爆炎の中にでたらめにマシンガンを叩き込んだ。爆弾の爆発音と木霊して、耳に響くような轟音が鳴り響いた。
「……やったか?」
 初撃から数秒ほど過ぎてやっとマシンガンを止める。右腕を下げた。
 炎の中からは、まだ反応はなかった。いや、もう反応はありえない状況になっているのかもしれない。カスパーの中に、そんな期待じみた願いがあった。
 だが、それは真っ二つにされて裏切られた。
 OBの音。
 と、気づいたときには、敵は目の前にいた。
「!」
「……少しびっくりだ。だが、つめがまだ甘い」
 瞬時に後退、しようとしたが間に合わず、敵の月光が右腕を深く食らう。
 右腕が、宙を飛んだ。
 カスパーは唖然としていた。後方で吹っ飛ばされた右腕が重量まかせに落下した音が響いた。その音でカスパーは明瞭な現実感を抱いた。
 負ける……。
 ACでの戦闘で負けるということは……死。
 ゆっくりと一歩を踏みしめながら、カスパーは後退していた。その行動を見て、敵は微笑じみた笑いを浮かべた。
「か、カスパーさん、逃げて、逃げて、逃げてください」
 マリナが泣きながらいう。すでにマリナも敗北を理解しているのだ。
 そのマリナの言葉に、カスパーは敗北感をさらに募らせた。
 ……最初っから、全速力で逃げていればよかったのだろうか?
 しかし、機体の性能はたぶんあちらが上だろう。逃げてもすぐに追いつかれる。街までいけば、自警団がなんとかしてくれるかもしれないが、いかんせん遠すぎだ。
 最初っから、選択肢がないわけか……。
「カスパーさ〜ん……」
 ……これはもう、あれだすしか、ないな。
「マリナ」
 カスパーは聞こえるか聞こえないかほどの声量で、名を呼んだ。
「自爆して、いいか?」
 マリナから、えっ? と疑問の声が漏れた。

 もう腹をくくるしか、方法はない。
 なにがどうなろうと、カスパーの頭の中には、もうなにもなかった。
 捨てる覚悟が、これには必要だったのだ。


               二章 マリナと敵(6)

(……カスパー、お前だけでも、生き残るんだ……)
 兄貴のかすれたような声。
(これから、俺は全てをかけてお前を守る。たぶん、俺はそれで死ぬと思うが、お前は生き残るはずだ。だから……)
(嫌だよ! 兄ちゃん! そんなこと言わないで!)
 僕は声を張り上げて叫んだ。
(精一杯、生きるんだぞ。――ああ、それと幸せにもなれ。好きな人を探せ、守りたい人を見つけるんだ。それが……幸せへの近道だ)
 兄貴の言葉は、僕の耳にほとんど入ってこなかった。そんな言葉なんて聞きたくなかった。
 目の前にあの白い悪魔がせまっていた。大きな体をこちらに向けて、悠然とした態度で立っている。
 こちらに右手を向けてきた。その先から、赤く点滅する光が、だんだんと広がっていっている。その光景は嫌になるくらいに綺麗だが、今の僕にとってみれば、兄貴を奪う凶悪な魔物の瞳に見えた。
(もう、時間みたいだ。じゃあな、カスパー。運がよければ、また会おうな)
 兄貴は笑っていた。
 そして、
 音もなく、その存在は消滅していた。

                    *

 状況が似ているせいか、まるで走馬灯のように昔のことを思い出した。
 兄貴が死んだ時の事、幻影の天使に襲われた日……。
 思い出したくなくても、思い出してしまう。それだけ印象強いあの記憶。
 親が死んで、友達が死んで、村が焼かれて、全てが焼かれた。
 そして、兄貴が笑いながら死んだ。
 あの時の俺は、なぜ兄貴が笑っていたのか、まったくわからなかった。頭がおかしくなってしまって、顔の筋肉が痙攣でもしたんじゃないかと、思っていた。
 だけど、今それが違うと気づいた。
 問題は、体験してみて、やっと理解できたのだ。
 俺は後ろですすり泣く少女を横目で見た。
 マリナを守りたい。
 ほんの数日の付き合いでしかない、ただの頭のいい少女だったが、とてもいい子。
 よく笑い、よくしゃべり、よく可愛らしい笑顔を見せてくれる。
 守ってやる価値は、十分にあるだろう。
 命をかけてでも、守る価値はある。
 兄貴はけして、笑ったりはしないだろう。俺の見つけた守るものを。
 断言できる。
 だから、俺はあれを使う。
(立場が、逆になっちまったな)
 あの時、兄貴が使ったように、あれを発動する。
『月に受け入れられし、汝の神と太陽の光』
 わけのわからない名前だ。だが、カスパーは昔よく聞かされた。このモア・イリア・サンの潜在能力の名前らしい。あまりに覚えにくい名前なので、今まですっかり忘れていた。
 いざ使うときが来ると、まるで記憶中枢にあるスイッチでも押したみたいに、その名前は頭に浮かんだ。

                    *

 カスパーの言った意味が、マリナにはわからなかった。
 自爆……?
 その行動になんの意味があるのだろう、とマリナは思ったのだ。一機のACが自爆なんてしたぐらいで、あの敵のACはびくともしない。まず、その前に破壊されてしまうし、もし爆発しても、ちょっと逃げればほとんど無傷で済んでしまう。
 だがカスパーのいった自爆という意味は、マリナが考えている様な事ではなかった。マリナはコックピットの突然の変化を見て気づいた。
 操縦席の周りの機器、左右に天井に正面から、ブーメランのような形をした黒々しい物体が、ゆっくりと多数現れたのだ。
 マリナはその物体に見覚えがあった。それは、
「Eボックス!」
 微妙に形状が変わっていたが、まぎれもなくそれは瞬間エネルギーをためておくために使用するEボックスだった。
 ぎぎぎ、と耳が痛くなるような擬音を出しながら、Eボックスはゆっくりとその体を覗かせていた。
 数は、全部で17個あった。
 マリナははっとする。
「カスパーさん、なにをやっているんですか!」
 嫌な恐怖にとらわれて、椅子のベルトをはずしマリナは前座席に体を乗り出して、カスパーの名を呼んだ。カスパーはコンソールを叩きながら、なにも言わない。マリナは少し苛立ちをこめながら、再度カスパーの名を呼んだ。体を両手でゆすってもみた。
「マリナ」
 カスパーがやっと反応を示した。マリナは両手の動きを止める。
 カスパーは片目でこちらに目を合わせてきた。その瞳にマリナはびくっとした。
 恐ろしく余裕がなかったのだ。
 そして、
「少し、そこに座っていろ」
 どん、と突き飛ばされた。
 後部席まで飛ばされ、椅子に尻を乗せた瞬間固定装置が発動して、ベルトが伸びてマリナを拘束した。マリナはあっと声をあげる。
 マリナは前に座るカスパーを見た。
 その時、Eボックスの唸り声が止まった。
 瞬間、Eボックスから、まるで触手のようにくねりながら伸びるチューブが発射された。
 各Eボックスから一個ずつ発射されたそのチューブは、その全てがカスパーの体のいたるところに突き刺さった。
 カスパーが苦悶の声をあげた。
 マリナは悲鳴のような声を上げ、彼の名を呼んでいた。立ち上がろうとして、束縛されていることに気づく。ベルトにはロックがかかっていて、こちら側からは解くことが不可能だった。マリナは自分に似合わない、獣の様な声で叫んだ。
 チューブはカスパーの体を突き刺したまま、ぐねぐねとうねる。その姿は、まるでなにかを吸い出しているようだった。
「マリナ……」
 といったカスパーの声には、覇気がなかった。
 マリナははっとする。やはりこのチューブはなにかを吸い出していた。なにを吸っているのか、それはわからないが、けして悪いものを取り除いているとはまず思えない。
「カスパーさん! そのチューブを取ってください。よくわからないけど……それは、それは、早く取らないと危険なものです!」
 マリナははずしにかかろうと必死にもがくが、自分を固定するベルトはまったくびくともしない。
「よくわかってるなマリナ。えらいぞ……」
 カスパーの笑い声が響いた。
 かすれた声、力のない声、そして
 死を覚悟したような、笑い方……。
「カスパーさん! カスパーさん!」
 マリナはいつのまにか涙を流していた。なぜ自分は泣いているのか、さっぱりわからなかった。わからなかったからか、なぜか激しく憤りを感じた。
「……一分だ……」
 カスパーの声は、もうほとんど声になっていなかった。
「一分後に、お前のその拘束は解ける。たぶん、敵もやられてるはずだ、その辺は俺のがんばりしだいなんだけど。気合いれてかかるから、倒せるはずだ……」
 はぁ、はぁ、と荒い呼吸音が間に入っていた。
「終わったら、お前は街まで逃げろ。そして、ケインにでも頼んで保護してもらえ。あいつは悪いやつじゃないから、事情を話せば、飯と寝るとこぐらいは用意してくれる……はず」
「そんなことしなくても、カスパーさんが保護してくれるんでしょ! 記憶が戻るまで、いつまでも一緒にいていいって、いったじゃないですか! 約束、やぶるんですか!」
 マリナの言葉は、途中から裏声になっていた。
 カスパーはまいったな、と苦笑した。
 そして、
「悪い……約束は、ちょっと守れないっぽい」
 カスパーは笑っていた。
 なぜ笑うのか、今のマリナにはわからなかった。
 怒りが募る。
「バカにしているんですか……」
「……」
 言葉は返ってこなかった。
 ……もうだめだ。
 彼はここで死ぬ気だ。
 死を覚悟して、相手に飛び掛る気だ。
 私だけを残して、自分だけは何かをやり遂げて終わる。
 卑怯だ。
「……卑怯ですよ」
 言葉にもだしていた。涙も止まらない。
 カスパーはまた、悪いと答えた。
「運がよかったら、また会おうな、マリナ」
 この一言で、二人の今日の会話は終了した。

                    *

 エグザイルは訝しげにクイーンを匿うACを観察していた。
 最初の一戦で、こちらの勝利が明確になり、敵は逃げるように後退した。その行動にエグザイルは笑みを浮かべたが、そのあとの行動に妙な疑問を覚えた。
 突然、敵はぐったりするように座り込んだのだ。
 死を覚悟したのか、と最初は思ったが、あれほどの戦闘力をもった戦士が、負けるのが確定したぐらいで、降伏を認めるのはありえない話だった。するなら、最初っからすべきである。
 だから、エグザイルはしばらく観察していた。だがその時ワルチャーから通信が入った。
『エグザイル、敵の部隊がこちらに気づいたようだ。地形の突然の変化を察知されたのだろう。あと20分ほどでここに到着するぞ』
「……わかった。もう少し様子見しておこうと思ったが、仕方ないな。脱出路を確保しておいてくれ。……奴を殺す」
 エグザイルは、右手に持ったブラズマライフルを敵ACに向けた。
 ライフルがエネルギーを充填する。やや青に緑がかかった光を収縮しながら、広がるように大きくなる。
 そして、発射する瞬間、
 敵が、反応を示した。

 座りこんでいた姿勢から、いきなり跳ねるように立ち上がると、まるで長年の眠りから起き上がったみたいに身を後方にくねらせ、周囲に溢れる酸素を吸収するかのように、残った左手を大きく広げていた。
 エグザイルは思わず、発射に思いとどまってしまった。その異様な光景に、意識を奪われていた。
 しばらくすると、ACは仰け反らせた体を前屈みに倒す。
 そして、顔だけをあげた。
 エグザイルは、その敵ACの赤い瞳を見た。
 戦慄が走った。
 思わず、一歩後ろに下がっていた。その自分の行動に、驚愕する。
 恐怖している……この俺が?
 敵ACは、未だに顔だけを前かがみ姿勢でこちらに向けていた。
 ACが、睨んでいるのか? それとも相手パイロットが?
 妙な苛立ちを覚える。
「なめるなよ……」
 エグザイルはプラズマライフルを再度構えた。エネルギーを充填しながら、敵に照準を合わせる。
 すると、ACがまた反応を示した。
 だが、今度のはまさに、見て度肝が抜かれる思いだった。また、発射を中断してしまう。
 ACは前かがみ姿勢からやっと立ち上がると、いきなり激しくぐらぐら痙攣して、左側に傾きだす。まるで人間が懸命に気張っているような動きだった。
 そして、それはある意味当たりの例えだった。
 どしゅっ! といった感じの音ともに、なくなった右腕から新たな腕が生えてきたのだ。
「なんだと!?」
 エグザイルは叫んだ。まさに予想範疇を遥かに逸脱した現象だったからだ。
 ACは右腕の調子を確認するかのように、上下左右に動かされていた。
 しかし、その腕には手がなかった。手のかわりに、円状の砲身があった。それに色が黒と銀ではない。どちらかというと、赤と黒をまぜたような色合いなのだ。右腕だけ別の色、しかも赤と黒というのは、はたから見てかなり不気味に見えた。
 右腕がエグザイルに向けられた。右腕の姿がはっきりと捉えられる。
 ぱっと見、形状はガトリングガンに似ていたが、砲口の一つ一つが、異様に大きい。それに腕の中心あたりを見ると、エネルギー系武器などについている、チャージボックスが装着されていた。
 敵の右腕がチャージに入っていた。砲口がやや赤い光をともしだす。
 エグザイルはプラズマライフルを発射した。緑よりの青い光が、敵ACに向かった。
 敵のチャージも終わった。しかし、もうこちらのレーザーは敵の目の前だった。
「くたばれ!」
 エグザイルは吐き捨てるように叫んだ。
 だがその言葉の意味は、恐ろしいほどに呆気なく砕かれた。
 敵の右腕が弾を発射した。
 一発だけ。
 それだけで、こちらのレーザーは、ふっとかき消されてしまった。
「なに!」
 エグザイルは動揺した。いったいなにがどうなったのか、さっぱり理解できなかった。
 敵の右腕が、また動く。
 一発。
 エグザイルは、左に避けた。敵ACの一発はちょうどエグザイルがいた位置に着弾する。
 刹那、
 まるでAC用の爆弾でも爆発したみたいな、轟音と熱と衝撃波がそこに生まれた。
 紙一重で避けようとだけしたエグザイルの機体に、大量の砂塵が降りかかった。機体の半分が、砂に埋まってしまった。
 エグザイルは、数秒間、その状態で固まっていた。
「……いったい、なんだ今のは?」
 ブーストで砂山から脱出する。
 敵の武器がまた発射された。一発。
 今度は大きく、エグザイルは避けた。着弾地点から、約200ヤードほどの場所まで離れた。そして着弾地点を視界に捉え、よく観察した。
 百ヤードぐらいまで昇る砂塵。周囲に広がる衝撃波。今エグザイルがいる地点に人がいれば、跡形もなく消し飛んでいるに違いない波だった。
 エグザイルは、敵の右腕を再度確認した。
「……まさか、これを連射するのか……」
 正解だった。
 敵ACが今まで一発ずつ撃っていたのは、たぶん試し撃ちみたいなノリだったのだろう。
 だから、今度は来た。
 一発一発が、グレネードキャノン以上の威力がある、ガトリングガンの波が。
 殺意をまといながら、熱を放射しながら、
 まっすぐ、エグザイルめがけて飛んできた。
 秒間、数十発発射されるグレネードキャノンを、エグザイルは今日はじめてこの目で確認した。


               二章 マリナと敵(7)

 エグザイルは思った。巨大な戦艦を相手なんかしても、これほどの弾幕はたぶん体験できないであろうと。
 だいたい、普通のやつがこの状況に立ち会えば、コンマ一秒もたたずにバラバラになっている。大部隊が戦えば、一分でやはりバラバラになっているだろう。まあ、勝敗は微妙なところだが……。
 現在、敵の変貌から10秒が経過している。
 すでに敵のガトリングは数百発ほど発射しているが、残弾が切れる気配はない(もしかしたら無限にあるんじゃないかと思う)。エネルギー系だけあって、射程はけっこう広い。こちらの武器が、なんとか射程外から撃てるぐらいの距離だ。それよりも、この連射速度でこの威力は、まるで改造されたゲームの世界である。
 だが、エグザイルはなんとかかわしていた。
 ほとんど条件反射による回避行動だが、直撃は全部免れている(直撃なんてしたら、その時点で終了だが)。
 敵の放つ弾のせいで、視界はほとんどゼロに近い。ほぼ砂漠という場所的にも、こちらが圧倒的に不利だ。なんとか避けてはいるが、反撃の望みはかぎりなくゼロだ。避けながらプラズマライフルを撃っても、この弾幕のせいであっさりかき消されてしまう。
(なんとかしなければ……)
 このままでは、いくらこの機体が地上の兵器でも、エネルギーに限界がくる。あと20秒もノンストップで動き回れば、機体がオーバーヒートしてしまう。そうなれば、一瞬にして自分は砂漠の一部と化してしまうだろう。
 だが、エグザイルはあることを考えていた。
 ……この状況、展開がうますぎる。
 敵は完全な敗北を理解した上で、この「奥の手」ともいえる変貌を発動した。しかもその強さは明らかに超越している。この自分が手も足もでないほどのものだ。
 つまり、この強さにはなんらかのリスクがある。
 そのリスクとはなんなのか、情報不足でさすがに判らないが、長持ちする能力とは思えなかった。
(つまり、これは時間との勝負だ)
 少ない情報の中、エグザイルはそこまで敵の状況を分析していた。
 そしてその推理は、大半が正解していた。

                    *

 すでに時間は25秒ほど経過していた。
 後ろに座るマリナがやけに静かだ。一瞬気絶してしまったのかと気になって振り向いたが、ただ俯いた姿勢で黙っているだけだった。しかし、微かであるが、小さな声でなにかを呟いている気がしたが、今はそれどころではない。
 敵はこちらの弾を紙一重であるが全部かわしていた。カスパーは驚きをあらわにした。同時に焦りがこみ上げてくる。
 勝利の確信が、傾き始めていた。
 敵の強さは本物だ。やはり、『右腕だけ』発動しただけでは、到底倒せるものではなかった。
 ……やるしかないか。
 カスパーはコンソールを叩いた。
 すると、Eボックスがまた嫌な唸り声をあげた。
『レフトアーム、コアブースト、ターボブースター……ベヴァイゼン発動します』
 ディスプレイにそう表示された途端、全身内部に衝撃が来た。
 脳が揺れ、内臓が発熱するような感覚。目が激しくかすみ、目の前の敵ACの姿が複数に分裂する。
(ああ、くそっ!)
 気持ち悪かった。もう死にたい気分だった。
 腕に力が入らない。全身の血が全部ぬかれるみたいな倦怠感に襲われる。だるさ、なんてものではない。もうほとんど生気がなくなったような状態だ。
 そして、
 喉に、いやなものがこみ上げてきて
 カスパーはそれを無意識上で吐き出していた。
「!」
 水溜りが生まれそうなほどの吐血だった。いきなりのことに、カスパーは焦った。焦って、もうなにがなんだかわからなくなるほど混乱した。
 目の前が、血におぼれて何も見えなくなってしまっていた。
(やべぇ!)
 カスパーは急いでディスプレイを右手でふき取った。自分が吐血したことは、完全にあとまわしにしていた。どうでもいい、そんな感じである。
 今は、敵を倒すこと。
 それだけが、今のカスパーの命に代えてまでの目標だった。

 敵のデタラメに近い攻撃が突然終わった。
 エグザイルはにやりと笑みを浮かべた。やはり、自分との戦い以外に、相手はタイムリミットとも戦っていたのだ。
 エグザイルは機体を休め、まず敵の状況を観察し、行動を読んだ。
 敵は構えたガトリングを下げ、まるで停止したみたいに動かない。はっきりいって隙だらけだ。
 だが、焦りは禁物だ。へたに動けば、カウンターアタックなどが予測される。今は、機体のエネルギーチャージに努めるのが先決である。そう、エグザイルはあくまで慎重で、冷静だった。
 さっきまでの爆発の連続のせいか、突然の静寂はかなり不気味だった。
 だが、それもほとんど数秒の時間だ。
 敵が動いた。
 エグザイルは、もうどう反応したらいいのか、わからないでいた。
 敵のACがまたグラグラとゆれ、体を極端に左右に曲げだす。二度目の異様極まる光景だが、この奇抜な状況はどうあがこうと慣れるものではないだろう。
 そして、変化は一瞬で行われた。
 左腕が赤黒く変わった。コアが赤黒く変わった。気のせいか後ろのブーストが微妙に大きくなった気がした。
 敵が一歩を踏み出す。
 中量級の機体なのに、その一歩に対する威圧感と迫力は、重量級のパワーを圧倒していた。
 まるで巨人だ。赤き巨人。
 エグザイルは狼狽した。
 だが頭を大きくふり、敵ACを食い入るように睨んだ。
「いくら変化を遂げようとも、このエグザイルは止められんぞ!」
 エグザイルはプラズマライフルを発射した。同時に、肩に背負った両肩ミサイルも発射した。
 敵に緑の光線と、大量の小型ミサイルが飛来する。
 すると、敵は反応した。体を前傾姿勢に傾け、構える。
 左腕を大きく水平に振りかぶった。
 すると、エグザイルは見た。左腕についていた武器は、月光ではなかった。全体は極光に近い歪んだ色で、一回り大きくなっており、なぜか後方に槍のような筒がACの身長ぐらいに伸びていて、それがしきりにピストン運動みたいな動きを行っていた。
 そして、エグザイルはその武器を見たことがあった。
「月光=タイプGS……なぜ」
 なぜ地上の最強兵器がここにある? いや、それよりも、なぜあれが発動している? あ
れは凡人には扱えない代物なはずだ。ましてや、この地下の人間が持てるものではない。
 あんなものを使えば、死んでしまうぞ。
 そして、その次に来るのは、
 暴走。
 破壊。
「……まずい!」
 敵がブレードを振り下ろした。先端から青ではない、赤い刃が突出する。
 異常な長さだった。普通のブレードの10倍はある。
 そしてそこから、衝撃波が生まれる。赤き、光波が。
 すると、エグザイルが放った攻撃要因は、全てかき消されてしまった。
 そして、エグザイルの両腕が、吹っ飛んでいた。


 全ては一瞬だった。
 カスパーが放ったブレード光波は、二百ヤードにも広がる大波で、その飛行速度は人が視認できる速度ではない。
 しかも、その光波は途中で五つに分裂し、誘導能力も備えていた。
 そして、エグザイルの両腕を裂いていた。その周囲には、おおきな爪あとみたいな傷を、地面に残しながら、光波はその後方で爆発した。
 全ては一瞬。
 エグザイルの目の前に、カスパーのACが現れたのも一瞬。
 エグザイルの機体の頭部が吹っ飛んだのも一瞬。
 そして、エグザイルが完全敗北したのも、わずかコンマ数秒の出来事だった。
 全ては、カスパーのACのオーバーブースト。スピードを超えたスピード。空間跳躍がなせる技だった。

 だが、いざ止めを刺す時には、カスパーの意識はもうなかった。

                    *

 それからの展開は、あっさりしたものだった。
 エグザイルは完全に大破したACから脱出して、ワルチャーが用意したステルス機でどこかへと逃げた。その数分後、コーテックスの部隊が現れた。
 周囲の残上をみて、コーテックスの部隊は、しばし呆然とした。その中に一人が現状をこう表現した。
 巨大な化け物でも暴れたのか……?
 部隊はすぐに正気にもどり、砂漠に一機だけ残された、黒と銀のACをコーテックスは回収。近くで千切れた右腕も発見して回収。
 中にいた身元不明の小さな子供を保護。少し精神的におかしくなっているのか、妙な言葉をぶつぶつ呟いていたが、身体には異常がないのでとりあえず心療科へと移送。
 そして、中に入っていた血まみれのACパイロット。体に傷跡ひとつないのに、コックピット全体にばら撒かれるようについた血液は、医療班たちでも息を呑んだ。
 いったい、なにがおこったのか、と。
 思わず戦慄とともに、言葉が医療班数人から漏れた。
 パイロットは息をしていなかった。心臓も止まっていた。
 すぐに移送しながら蘇生術が施される。
 パイロットの心臓は止まったり動いたりと、医療班を冷や冷やさせた。長時間勝負は続いた。
 そして2時間がすぎたあたり、すでに市街地にある大型の病院について最新医療をうけているときに、パイロットはやっと意識を一瞬だけ取り戻した。
 そして、その一瞬の間に、パイロットはこう小さく呟いた。

 勝ったぜ、兄貴……。

 それだけをいって、パイロットは深い眠りについた。
 パイロットが次に目覚めたのは、それから四日後のことだった。

 パイロットが意識を失っている間、レイヤーは大きく変化していた。
 まず、管理者が破壊された。一人の急激な成長をとげた謎のレイブンが、一人果敢に管理者に挑み、見事それを成し遂げた。
 レイヤーの人々はその事実に大きく反応した。
 まず、自分たちは機械に管理されていたこと。自分たちが『空』と呼んでいた黒々しい天井には、さらに上があって、『地上』という世界が広がっていること。そこには、『光』というものがあり、本当の『空』と呼べるものがあること。
 この全てに、大きく反応を示した。
 レイヤーの人々の行動は早かった。急いで、緑と光にあふれる地上をみな目指した
 しかし、事はそう都合よくいかなかった。
 地上には、敵がいた。
 地上を目指した人々は、ことごとくその敵にやられた。
 レイブンも何機かいたのだが、そのほとんどがやられた。
 地上の敵は、強敵だった。レイヤーの技術をはるかに超越していたのだ。
 だが、レイヤーの人々は諦めていなかった。
 それほど、地上に皆行きたかったのだ。
 そしてレイヤーの人々は、まず平和的に和平の使者をおくった。
 共存しないかという案だった。このままでは地上と地下の争いになる、そうなれば両者は多大な被害を及ぼすだろう。生存活動に著しい問題が発生するかもしれない。それは、どちらも望まれるものではない。……レイヤーはそう提案と、未来案を告げた。
 だが、地上はそれを真っ二つに切った。
 そして、出てきた答えはこんなものだった。
「お前ら、ほんとに我々にまともに戦えると思っているのか?」
 送った使者は殺された。それどころか、敵はレイヤーに超兵器「エクタールレーザー」を発射して、南エリアを完膚なきまでに破壊した。
 和平の道は、完全に断たれた。
 地上側は、はなっから戦争を望んでいたのだ。
 レイヤーの人々は頭を抱えた。兵器の威力、敵が武装派の強敵だということに。
 勝てる見込みが、かぎりなく薄いことに。
 レイヤーの人々は、苦悩と恐怖に囚われた。

 だが、
 ある集団だけが、この地上側の行動に全面的に反発した。
 ACという機体を駆り、目標をかたっぱしから叩き潰す者たち。
 レイブンと呼ばれる者たちだけが。
 この戦争、地上と地下との天地大戦、通称「ジハード」に真っ向から勝負を挑んだ。
 まさしく、最高の獲物を見つけた狩猟犬のように。
 最高の笑顔を浮かべながら。
 レイブンたちは、多くの血を望んだ。