プロローグ「血と闇の巨人」





遮られた現在の意識、白く眩い光が突然僕を襲う、僕は時を越えてあの場所へと戻る。

いつものことだが、やはりその向こうに見える光景は決まっていた。

コンクリートの地面、太いパイプと鉄の空、たくさんの家々やビルが並ぶ退廃的な景色がスライドのように連続的に映し出される。そこに人形を持った子供が一人で何となく上の空の様子で遊んでいる。

あの子は…?

ウィル・フィーゲル…?

つまり過去の僕?

僕は子供の頃の記憶を断片的な映像でよく思い出す。

ぼやけた強烈な光と共にそれはまるで禁断症状時に起こる

フラッシュ・バックのように繰り返されるのであった。

あの懐かしくもおぞましい景観を……。

静まりかえった空間、暗く冷たい青い灯り、何もない誰もいない、まるで時が止まったとも思えるような静寂がそこにはあった……。

アイザックシティの外れに放置された名もない都市。かつてたくさんの人が住んでいたことを物語る

無秩序に伸びたビルが、見る者を圧倒する異様な光景を生み出していた。

「ビーバイブ計画」に基づいて作られたこの都市は既に最下層の資源を取り尽くし、

やがては当然如くに放棄されたと父さんが言っていた。それもだいぶ前のことだったようらしく、

もはや残っているのは錆びたパイプと亀裂の入ったコンクリートの崩壊寸前の実体感と、

そして廃墟と化した建造物が作り出す孤独と終焉のイメージだけであった。

あの時、名前すら忘れられた大都市に、僕には兄弟・親友・友達……と呼べる人達などもちろんいなく、他人と呼べる人間すらもいなかった、父と母というたった二人の肉親を除いて。

僕達が孤独を感じずに生きていくのに、その都市はあまりに広く自由すぎたのだった。

……ウィル、よく聞くんだ、人は一人では生きられない、いや、生きてはいけないのだよ。

お前は一人じゃない、父さんと母さんがいつも側に居る……。

父と一緒にいるとき、よくこんな言葉を父から聞いていた。

分かっているよ、僕は一人じゃない、父さんと母さんが居る。

その瓦礫の町の嫌と言うほどの虚無な自由のなかで僕はいつも一人で人形遊びをしていた。

合成樹脂の肉体、道化とも呼べるほどにけば立たしく飾りたてられた服、

人間とは違う大きな青のガラスの瞳には、この町と僕はどのように映っていたのだろうか?

人の形をしたこの物体の皮膚は驚くほど冷たくて堅かった。

でもだからこそ同時に僕はいつも父と母の大きな存在に気づいていた。

柔らかい肌、優しい目、そう、人の温もりと暖かいまなざしを……。

映像は進み、地面に人形を叩きつけている僕が見える。

どうしてあんな事を…………?

人形に対する言いようもない恐怖感?

偽りの肉体への羨望と侮蔑心?



なぜかあの時の僕はよく人形や物を壊してバラバラにしていた。

壊さないように……壊さないように……と思いながら人形で遊ぶのだが、やがてのどの渇きに似た   耐え難い衝動がこみ上げ、そして僕は僕の知らないうちに、人形を引き裂き、バラバラにしてしまう。

二度と戻せなくなるまで壊し、やがて自分がしたことに気づく。

いや、気づいているのに僕は止めなかった、止める事ができなかったのかもしれない。

どうして僕はいつもこうなんだろう?

二度と戻らないのを分かっているくせに……分かっているのにどうして…?

僕は泣きながら家に帰り、母に泣きついた。

母さんはいつも優しい声で「大丈夫よ。」と言ってくれてた。

あぁ、なんて優しい声なのだろう、ずっとこの声が聞きたかった。

母さんの優しい顔を見るたびに僕は安心し泣きやんでいた。もしかしたら僕は母に慰めてもらうため、あの優しい顔と声のためにあんな事をしていたのかもしれない。

だけどそのときの母の顔は、ちょっぴり悲しそうだった。

……どうして……どうして悲しい顔をするの……母さん?

僕の父と母は、何かを隠していた。

研究と調査の日々、誰もいない都市、クローム、ムラクモ……よく分からない謎が多すぎた。

父と母はよく堅くてごつごつとした椅子に僕を座らせ、

僕の体の具合を調べては難しそうな顔で何かを話していた。

………あなた、またウィルが人形を…………。

………分かっている、少なからずの影響が出ることは………。

なに?影響って何?クロームって何?どうしてこんなところにいるの?

外はどうなっているの?外には青い空なんて本当にあるの?

あの時の僕は「なぜ?」とか「どうして?」と父と母によく聞いていた。

その度に決まって父さんは難しい顔をし、母さんはとても悲しい顔になった。

僕はそんな二人の顔を見るのがとても辛くて怖かったので、

いつしかそれらのことを胸にしまい、心に留めておくようになった。

僕が黙っていればいいんだ……と。

そんな疑問と沈黙の月日がしばらく過ぎた後、あれは突然に、何の予兆もなく来た。

そう、「あれ」が……。

突然の轟音、狂ったように揺れる偽りの大地、崩れゆく建造物、今まで止まっていた刻の流れを取り戻すかのようにこの死んだ町は急激な破局へと向かっていた。

突然の破壊をもたらした赤と黒の怪物は僕たちの幻想の町を本来待ち受けているはずの現実に目覚めさせようとするかのように出現したのだった。血よりも赤く汚れた赤、闇よりも黒く不気味でおぞましい黒、腕に見える暗示的なHのマーク、その巨体の向こうには何かおぞましい、絶対的な何かがあった。

鉄の巨人の腕は僕達のこれまでの全てを否定するかのように頑丈なはずであった家の壁を容易く貫き、 その大きな巨体を露わにした。怪物は僕の背丈くらいの手で父と母を鷲掴みにし、

そして…………………そして……………。



いやだ!もうたくさんだ!!いったい何度見せれば気が済むんだ!?思い出したくなんかないのに……。



しかし、あの映像は今までよりさらに鮮烈さを増して、最も眩しく蘇り、                 より強い勢いで再生されるのであった。

腕を捻る、脚をちぎる、躰を引き裂く、骨を砕き、肉をむしり取る。首を捻る、頭をひらく……脳を取り出す。五臓を引き裂き、六腑をほじくり返すという最も醜く、ある意味完成された破壊、突然の殺戮、肉体の崩壊、精神の崩壊、自我の破壊、無意味な殺戮。

……殺戮/破壊……破壊、破戒、破解、破界、破塊…………………。

怪物は文字通り父と母の身体をバラバラに解体していった、何度も、何度でも。

僕はこの最も鮮烈で、吐き気のする瞬間をいつまでフラッシュ・バックしなくてはならないのか?

それはまるで子供が自分の好奇心を満たすかのようにさえも見えた、

人はどうしてこんなにも脆く弱いのかを知らべているかのように……。

そして僕はあろう事に、そんな化け物の無邪気で邪悪な姿を人形で遊ぶ自分の姿と重ねていたのだった。

あの乾いた衝動に耐えきれず、僕は鉄の人形となり自分が最も愛しているはずのかけがえのない

たった二人の人間を疲れるまで遊び壊す。例えそれが二度と戻らないと分かっていても……………。

僕は自分自身が最低最悪の化け物になっている姿を垣間見ていた。いつ終わるとも知れぬ破壊と殺戮の後、その巨人は血より赤い赤と、闇に勝る暗黒の黒に取って付けたような真新しい鮮血の紅を全身に浴びて

満足そうに去っていった。父と母の脳を共に連れ去って………。



……ウィル、よく聞くんだ、人は一人では生きられない、いや、生きてはいけないのだよ。

お前は一人じゃない、父さんと母さんがいつも側に居る……。



……大丈夫よ、ウィル、お母さんがいるわ、安心して……。



いつも聞いていた父と母の言葉が僕の頭を駆けめぐった。僕は全てを見ていた、あの殺戮の全てを。

しかしながら僕は、ウィル・フィーゲルは動くことはもちろん、目をそらすことすらできなかった。

弱い、僕は弱い。

何一つできなかった、いや、何かをしようと思う事すらできなかった。

怖い、僕は怖い。

頭の中で何度となく蘇るあの怪物が、奴の腕のHが暗示する、逃れられない「絶対的な死」が。

僕は弱い、僕は怖い、だから僕は強くならなければならない。

この悪夢の記憶から逃れられる程に、あの怪物をうち倒せるくらいに………。