第三話「出撃」
 
「何だ……、お前達か……。」
白く照らす灯りに、絶えることのない人の流れの中、真っ直ぐにこちらに歩み寄ってきたウィルとジェームスに気付いたカワサキは、二人の顔を今一度見直すため縁無しの眼鏡を掛け直した。
「よぅ、カワサキ。お前のAC好きも相変わらずだな。」
「勘違いするなジェームス。俺はただ戦場でやばい思いをしたくないだけだ。」
ジェームスとカワサキは互いに口数の少ない会話を始めた。本当に理解し会える二人だからこそ多くの言葉を必要としないのだ。何十人もの人々が騒ただしく交錯する中で、その広い空間を占めている鋼の軍神達が勝利を予知しているかのように堂々と人の手に其の身をゆだねていた。その一角、カワサキとジェームスが談判をしている背後の「11」と番号の振られた区域に、夜の海原を彷彿とさせる青の機体と暗闇を怒りで照らし出す、揺らぐ事のない激しい火炎のような赤と臙脂色に塗り分けられた対照的な二体のアーマード・コアが立ち並んでいた。
………「狭霧」と「不知火」………。
全てを包み込み、万物の祖たる闇へと消し去るような葵色をした「狭霧」はムラクモにはなくてはならない主力のACとしてあらゆる前線で活躍している汎用型アマード・コアである。標準コアを機軸に軽装のパーツで構成されており、高度な技術と体力を要する 三次元高速戦闘が可能なアーマード・コアだ。また機体の至る所に武装を装備するターレット・ポイントが設置されており、拠点防衛・敵地制圧・後方支援……等をこなすことが出来る万能型ACであった。この機体の所有者は部隊長のニック・カワサキで、彼の性格からか至る所まで整備・調整が完璧に施されている。
深い……どこまでも深く澄み渡った青とも藍ともつかぬこの巨兵はウィルにとって安心して支援を任せられる機体であった。
「ウィル!!何をしている!?はやく『不知火』の整備を済ませろ!!」
「あと10分で出撃だぞ!!」
「は、はい!!!」
カワサキの突然の怒声にウィルは自分が今一番しなくてはならないことを思い出した。
……そうだった……待たせて悪かったな……。
……早くお前の調整をしてやるよ……不知火……。
目をやった青年の瞳に映る彼の愛機は、普遍に移り変わること無く激しく燃える炎を思わせる鎧を身にまとい、如何なる場合でも崩れることのない姿勢を保つ巨人であった。その巨人の姿は青年の心の奥底に隠された強い意志と堅い決意、
そしてその中に入り交じる生まれ始めている狂気の心を表しているように見えた。
………「不知火」………
本来選ばれた精鋭のみに操縦を許可されるこの機体は「陽炎」と呼ばれるムラクモが誇る最軽量、超高速のアマード・コアに重武装を施した改良型である。
高機動・高火力の陽炎の弱点である極限にまで薄められた装甲を補うため、体中に設置されたターレット・ポイントに追加装甲としてリアクティヴ・アーマーを装備し、増大した重量に伴う機動力の低下を高出力の強化型ジェネレーターでカバーをすることでほぼ陽炎と変わらぬ機動力を維持することに成功した。不知火は、高火力・高機動に加え、さらに重装甲をも実現したムラクモの最高傑作とも言える機体である。コストが高く、量産もされていないこのACは、本来ストラグル24支部などという辺境の施設などにはあるはずなど無い代物であったが、その任務の役割の危険さと異例の若さでアーマード・コアに乗るに値する技術を身につけたウィルの将来性を見込んでストラグル本部から特例的に配置されていた。
「全く、何であんな奴にこれほど高性能な機体を回すのだ!?
こんな馬鹿馬鹿しいことをするならば弾薬や予備の部品を確実に供給した方がましではないか。………いったい本部は何を考えているのだ!?」
「まあ、そう怒るなカワサキ。あいつのやる仕事はあの若さではとてもきついし、奴は良くやっているよ……。これぐらい大目に見てもいいんじゃないか?」
ウィルのことが気に食わずにぼやいたカワサキをジェームスがなだめた。
そんな言葉など耳には入らずウィルは不知火の体内で機体の調整をしていた。
「……出力調整クリア、冷却液循環良し、シリンダー・グリス塗布済み、火制管理システム良好、関節駆動誤差0.13%、弾薬供給OK、ターレット・ボルトも緩んでないな………。」
一通りの確認を終えてウィルはコクピットシートに身を埋めた。モニター・ディスプレイには白く照らし出された光の中に何十体と立ち並ぶ心を持たぬ兵士達がウィルと同じ視線で立ち並んでいる。それは、人間等には決して眺めることの出来ない光景であった。
………お前はいつもこんな風に世界を見ているんだな、不知火。
お前達と比べたら人間はなんてひ弱で小さな生き物なのだろう………。
普段とは違う世界を見ているウィルには、汗だくになって動き回る人々といつまでも闇に心を支配されている自分自身の姿が、酷く不格好で滑稽な物に見えた。
ウィルは小さな溜め息を一つ吐き、アーマード・コアの整備を完了させた。
……これが僕の乗る力の巨人、アーマード・コア。僕は記憶の中に出てくる怪物とほぼ同じ姿をした僕だけの人形を、自分から望んで手に入れた。こんな僕を父さんと母さんはあの頃のように笑って迎えてくれるだろうか?いや、あの二人はきっとこの行いを許さないだろう。憎しみを血でかき消すなんて事を……。
……神様、もしもあなたがこんな腐敗した世界にも尚、いらっしゃるなら……
どうか僕に力をください。例えそれに伴う罰則がどんなに辛く苦難に満ちていても構いません。僕にこの世界と僕の弱さを変えられる力をください………。
………そうだ、僕はただ何もせずに立ちつくしていたあの時の僕とは違う、僕は僕の中にある闇に対抗できる力を手に入れたんだ。全ては僕の理想と復讐、そして心の解放のために僕は戦う、僕は強くなる。そのためにはあの汚れた血の赤をなぎ払えるほどの力を持った深紅の炎の力を持つお前が必要なんだ………お前が必要なんだよ………頼むぞ、僕の不知火………。
 
「いかがですか?二人とも。」無表情な顔をした男が、これも又無表情な口調で歩きながら青年達に話しかけてきた。ウィルは鉄人の胸部から抜け出し、無言のまま其の男、ラズーヒンの方を見た。
「皆さん、もう準備はよろしいですね?」
「………。」
その答えとしてウィルとカワサキはただラズーヒンの取り殺されるような眼に決意の視線を向けた。
「……そうですか……。では、これより第11機械化特殊部隊はリーグル海域における砲台施設奪回の任務に出撃します。」
「……了解。」
「……了解しました。」
……そう言いきると、青年と二人の中年達は踵を返し早足で活気づいたこの空間を離れていった。彼らは今、爆音と硝煙の匂いが立ちこめる無情なる死の世界へ向けて歩き出している。三者三様の決意とそれぞれの思いを胸に、まさにこの男達の戦いが始まろうとしていた。
 
『ウィル、カワサキ。無線は聞こえますね。』
不知火のコアの中で待機していたウィルに、ラズーヒンの声が入ってくる。
『たった今我々はリーグル海域に入りました。』
『このまま約10分で私達の占拠する砲台施設が見えてくるはずです。』
『作戦の展開はきちんと頭に入っていますね?一応現地で最終確認をしますが二人とも自分の役割を良く思い出してください。』
ウィル達は今、「砲台施設奪回」の任務に向けてザレム渓谷から北方のリーグル海域へと移動している最中である。暗く狭い密閉された空間の中で、青年は恐怖を忘れるほどにその神経を研ぎ澄ませていた。ホバー推進型輸送車「砂塵」の内部、整備用簡易ガレージは全く無音の静寂を保っていた。モニター越しに辺りを見回しても、整備用のマニュピレイターと隣に立っている狭霧以外見る物も特にない。11機械化特殊部隊の脚であり頭であるこの砂塵は高性能な状況解析装置と指揮通信設備が揃っており、またアーマードコアを4体まで収納可能なスペースをもったストラグル24支部が誇る最も高性能で高価な品物であった。最前線では敵の新型兵器やトラップなどが多数に配置してあるのでどのAC部隊もこの砂塵の支援が必要不可欠である。
『ラズーヒン、無線の周波数を変更していいか?』
不意にカワサキの言葉が無為自然に創り出された沈黙を破った。
『別に構いませんが、どうしてです?』
『俺とお前の周波数を同じにして、もしも敵に無線が解読されたら敵に俺の意図がばれてしまう。俺の位置と作戦内容がばれるとやりずらくなるからな。』
カワサキは淡々と説明した。この男はなんと用心深いのだろうか、確かにこの作戦の鍵はカワサキにあるが、万一場所が知られないようにウィルが働きかけるようになっていし、おそらく敵にカワサキの存在を知られても、彼の技量なら物ともせずにやり遂げるに違いない。だが彼は、カワサキは敢えてさらにもう一つの保険をかけたのだった。この貪欲なまでの用意周到さが彼をこれ程の男に仕立て上げたに違いない。11機械化特殊部隊の殿を務め、ストラグル24支部でのエースパイロットという地位に。
『そうですね、そう言うことなら周波数を変えてください。』
ラズーヒンが納得した様子でいった。
『………あの、ラズーヒンさん。ちょっといいですか?』
破られた沈黙に乗じてウィルは一つの頼み事をしようとした。
『なんですかウィル?』
『は、はい。あの、外の景色を見せていただけないでしょうか?』
これから戦いが始まる、緊迫する出撃を前にして、ウィルは不意に青空が見たくなった。
『また空を見るんですね、いいですよ。こちらのメインカメラの映像をモニターに転送します。』
ラズーヒンがそう言った数秒後、不知火の内部に画面を介して一面の空と海の青が映し出された。その青は狭霧に塗り立てているような深い青ではなく、遙か彼方まで澄み渡っており、沈んでいた青年の心を軽くするのであった。
ウィルは空を見るのが好きだった。10年前、アイザックシティの外れの廃墟で、あの頃のウィルは暗い灯りの中にうっすらと浮かぶコンクリートの空しか知らなかった。そのせいか彼の青空に対する思いは、見るたびに新たな感動とこの星の美しさを感じさせる唯一無二の機会であった。
……そう言えば昔、父さんに外の世界はどうなっているのか良く聞いていったっけな………。
余り思い出すことのないはずの暖かい家族の記憶が彼の胸をかすめた。
………あの頃は青い空なんて本当にあるのか信じられなかったけど、世界にはこんな綺麗な空があったんですね、父さん……。
しかし、その澄み渡った空に鳥は飛ばず、空色を吸収して美しく輝く海には魚一匹見あたらなかった。旧世界に果てることなく繰り広げられた環境汚染とさながら兵器実験場のように振る舞われた超兵器が、生態系を崩し、地球上のオゾン層を生命が生きていけ無いほどに薄めてしまっていた。
もしもウィルが何らかの紫外線防護対策を採らずに外へ出たら、たちまちの内に彼の皮膚は紫外線で爛れてしまうだろう。この空に映る強烈な青は直に降り注ぐ太陽光の所為であろうか?これ程までに世界は美しいのに、此処にもまた静寂の死が広がっていた。
………僕は空が好きだ。空には争いも憎しみもお互いを隔てる壁もない。もしも人が空の見える世界で生きることが出来たら、きっと争いや差別はなくなるのに。だから父さんと母さんは地球環境再生委員会に所属していたんだと思う。こんなに美しい世界があるのに僕たちは何もまとわずには暗い地の底から出ることが出来ない。この世の全ての人々が自分たちのいる世界が素晴らしい物だと気づいたなら、争いや憎しみは途絶えるに違いない。今、僕等を援助しているあの企業は、それを可能にするだけの理念と支持、そして力がある。僕たちはあんな暗くて狭い場所にいてはいけないんだ。己の欲のみを追求するクロームに、いつまでも世界を委ねているわけにはいかない…………。
深く澄み渡る青空に見とれている青年の思いとは裏腹に、
ウィル達が乗っている砂塵は移動を停止した。
『皆さん、砲台施設に到着しました。これより作戦の最終説明をします。』
どんなときでも乱れることのないラズーヒンの口調と共に、不知火のモニターに映し出されていた空は、コンピューターによってモデリングされた砲台施設の見取り図に移し替えられた。
『私達が奪回する5番目の砲台施設は全部で四門の遠距離用砲台と約七機の無人機で構成されています。』
モニターディスプレイに簡略化された四門の砲台と、無人機が表示される。
『私達は今、施設の詮索範囲外に待機しています。砲身の向いている向きはムラクモ本社があるアヴァロンバレー、即ち北を向いています。そこへ私達が南方より北上して進撃し、この施設を背後から撃ちます。まさか敵も本丸があるアイザックシティ側から私達が来るとは思いませんからね。敵の砲台が私達の接近に気付き180°向きを変え、さらに至近距離用の弾丸に装填し直すには、最低でも四分はかかるものと思われます。』
『カワサキはAポイントで待機。狙撃の準備が整い次第作戦を実行してください。』
『了解。』
全く無駄のないテキパキとしたラズーヒンの口調は、戦場ではとても頼り強く感じられた。
『ウィルはカワサキの任務に支障が出ないように無人機を撃破し、敵の注意を惹き付けておいてください。』
敵の注意を惹き付ける、其れは即ち火線の飛び交う中、たった一人で囮になることである。重装甲、高機動の不知火だからこそ実現可能な作戦内容であったが、危険極まりないことには違いなかった。
『ウィル、聞こえてますか?』
自らに課せられた使命の重さに戸惑っていたウィルに、オペレーターが念押しの一声を浴びせた。
『ハ、ハイ。敵の注意を惹き付けるんですよね?』
力の入らない返事にカワサキは静かに苛立ちの溜め息をついた。
『そうです、だけど決して無理はしないでください。いいですか砲台の準備が整うまでの四分間だけです。いくら不知火といえども砲台の連続的な攻撃にはそれ程長くは絶えられません。もし無人機を仕留め損ねて四分が経過しても構わずに撤退してください。……いいですね、必ずですよ……。』
『……了解。』
『では、作戦開始。ガレージを解放します。』
作戦の開始と共に砂塵のガレージの壁が倒れ、暗く、何もない部屋に強すぎる太陽の光が射し込んでくる。二体のアーマード・コアが装甲車からむき出しの状態になった。
『敵の適索範囲ぎりぎりまで歩行で近づいてください。』
『了解。』
『……了解。』
美しく照らし出される地上の上で。海よりも深い青と炎のように紅い二体のACが、ゆっくりと浅瀬の中を進み始めた。