その口火は全く些細なものだった。
中央部と西部の中間に位置する最大のスラム街で六日前に猟奇事件が起こったのである。スターダスト市街13ブロックでの路上生活者達が忽然と消え、頭や胴体の無い死体として発見された。物騒なスラム街ではたびたび起こる事件で、快楽殺人者か人食主義者の犯罪組織か何かが計画的に犯行していると見なされガード機構によって細々と捜査が行われる。しかし、犯人は愚か関係者すらも一向として捕まる気配がない。捜査開始から三日後に達すると被害は尋常ならぬものとなり、13ブロックに於いては一日に述べ50人が行方不明になったという。さらに我が身を恐れてスラム街から抜け出そうとする浮浪者たちが上層区に侵入して上下層の境界でガードとの小さな衝突が起こった。
 そしてその1日後、例の13ブロックの比較的大きな建造ビルの隣に用途の解せない巨大な空洞が目撃された。初めはテロリストか何かがいつものように無許可で空けたものか、現在では取り尽くしてしまった坑道が何らかの拍子で隆起したのであろうと思われたが、果たしてここから真の猟奇が始まるとは思いも寄らなかったのである。
 午前02時04分、スターダスト街に住まう犯罪者やレイヴンも床につき始め静まり返った宵に、謎の巨大物が13ブロックの窟から突如として這い出したのだった。その生物はまるで昆虫にも似た甲皮を持ち、路上を四本の節足で這い歩いては尽く人を喰らっていった。何よりも強張すべきはその大きさと数である。小型装甲車とほぼ同等の体躯を持つ謎の巨大生物は数十にも及び、驚くべく程計画的に廃墟を練り歩いた。生物たちは餌の匂いを嗅ぎ付けるや否や集団で行動して、一口で大の大人を飲み込んでしまう程の食欲だったという。まず初めに路上を寝床にしていた浮浪者や淫売婦達は皆補食され、更に戸内や車で生活する比較的裕福な人々も壁や天蓋を食い破られて喰い尽くされてしまった。逃れた者はごく一部のレイヴン・犯罪組織者のみであり、住み慣れた下層区を離れた彼らは皮肉にも上層のガードに検挙される羽目となったのである。
 事件から半日後、巨大生物はその絶対数を等比数列並みの速さで増殖し、スターダスト街に隣接するスラム街にまでも魔手を伸ばし始めた。法規的にはアイザックシティに存在しない彼らの側にガードがいるはずがなく、廃墟に住まう人々はただ無抵抗に屠られたという。さすがに上層への影響を懸念していたアイザックシティ・ガードも重い腰を上げて、この謎の生物掃討の為に10機の主力であるMTを投入した。しかしその結果は惨憺たるものであった。何しろこの時既に謎の生物は百を越えるに至り、さらに投入された人員が経験の浅い新参者だった事が相成って、その数に圧倒されたガードのMTは瞬く間に全滅されてしまったのだ。
 そして現在より38時間前、自体を重く見たガード機構は(下層区に残された人々の退路が断たれることを承知で)すぐさまに下層区と上層区との通路を全て遮断し、中央区の全てと西部の1〜25区の住民に避難勧告を出して(その前に既にフォートガーデンの避難は完了していた)、更に自分たちも体勢を整えるために中央都市の警備を無人セキュリティに一任したのだった。

一件の波紋がアイザックシティを震撼させ、他企業の造り出した生体兵器による軍事侵攻では無いかと懸念された。アイザックシティに住まう人々は、皆即座にクロームに敵対しうるたった一つの企業を連想することとなる。
 即ち、ムラクモミレニアムである。
――本来ムラクモは機械工業系を旨とする企業であるのだが、だとすれば傘下にある生体科学系の企業ではないのだろうか?――
【救世主と自称していたムラクモは、かような非道の手を打ち殺戮を試みようとしている】
この良からぬ噂はアヴァロン・バレーのムラクモ本社にまで行き渡り、本意ならずもムラクモは対応の必要に迫られた。ムラクモの重鎮達は地球環境再生委員会の生態学の権威にこの生物の検証をさせた結果、おそらく巨大生物には繁殖を司り、指揮系統の役割を果たしている女王が存在すると予断した。そこで彼らは秘密裏にこの生物の繁殖を食い止めて駆除の足がかりを作る決定に達し、その実行役としてアイザックシティ近くの渓谷に拠点を置くストラグル24支部の精鋭小隊を抜擢したのであった。


第十話「STARDUST」



 開けたリフトの隔壁の向こうには地肌を剥き出した集落が拡がっていた。ただ路面のみを粒の粗いアスファルトで塗り固めただけで、その地下空間を取り囲む壁は脆く崩れやすい礫岩と砂利の層である。天井には錆び付いた下水管が張り巡らされ、かなり劣化が激しい建造物にプレハブや廃材を組み合わせて造った小屋のような物が無秩序に並んでいた。
アイザックシティ最下層付近、最大の規模を誇るスラム街【スターダスト】。
 企業連合がまだ維持されていた頃、アイザックシティでは幾多の企業が正当にシェアを争っていた。しかし自由競争の名の下に企業連合が解散すると、クロームが凄まじい勢いで他企業を接収・買収して猛威の牙を剥いた。最後までクロームに抵抗を続け、結局その多大な資本と最終手段の軍事攻撃の前に敗れた人達はアイザックシティから追放されて当て所無く彷徨い、最下部の資源採掘場に近い極初期に造られた旧都市へと流れ込んでこの市街は生まれたのである。一企業に依存することとなったアイザックシティでは彼ら敗者に就く職はなく、無気力に一日を過ごすか、クロームへの復讐の為に反抗組織で活動するか、あるいはただ生き残る為だけに犯罪に手を染めることでしか時を過ごせなかった。子供達は親の顔を見ぬままに危険を冒しごみを漁って成長し、女達は体を売って少ない収入を得る代わりに汚らわしい病を患う始末である。犯罪が起こらない日など決して無く、アイザックシティとは完全に異なる社会の形態としてほぼ隔離状態になっているが、ガードの検察官がたびたび入り込んで犯罪の捜査をしたり、孤児院に収容の必要がある幼子を発見して保護する義務を果たしている――とは言ってもこの世界の孤児院とは完全にクロームが運営する施設であり、非常に乏しい扶養を受けた後に子供達はクローム社の物好きな里親に引き取られて(例外もあるものの)ほぼ性的な玩具とされてしまっていた――。つまりこれらはクロームの掲げた生活の保障・公共の福祉は全く適応されていない事を表している。それはこの都市の設備を見るだけでも明らかであった。
 規則正しく並んでいたはずのビルは既に色褪せており、スプレーで描かれた淫猥な言葉で埋め尽くされている。鉄骨やら窓ガラスやらが所々取り払われて、プレハブ小屋の原材料となっていた。放置してある車のナンバープレートはもぎ取ってあり、内部のエンジンが完璧に空の物も少なくはない。何よりも天井に剥き出しになった下水や浄水槽が機能しているかすら疑わしかった。ウィルもその昔、父と母と共に放置された廃墟で理由も分からずに幼年期を過ごしていた。スターダスト街はあの都心の景観と少しばかり似ていたが、廃棄物で作られた汚らしい住居のみが彩色を放ち言い表せぬ劣悪さが溢れている。
確かにスターダスト街は人が住むには余りにも不潔すぎる。アイザックシティに伝染病が蔓延すると、常にここが発生源だと疑われるのも肯んぜるのである。フォートガーデンの理路整然としたポプラの並木通りも、中央回廊の活気溢れるネオン光もここを下敷きにして成り立っていると思うと青年は溜め息が出るのだった。ジェームスの言った通り、これがアイザックシティのもう一つの姿なのだ。アイザックシティとは持たざる者には許されぬ都市であり、まさに貧困と喧噪と逸楽の全てが集約された如何にも人の創ったユートピアであることをウィルは痛いほどに理解した。
――ところが彼らが目標の13ブロックに近づくにつれてこの劣悪さすらも退ぞく異様さが顕れてきたのであった。
『全員生体センサーを起動させろ、おそらく奴らは昆虫の類だから熱センサーは効きにくい。モーション感度を高めにするといいだろう』
頭部に付属したバイオセンサー・ユニットを起動、追加設定のモーション感知度を20%増加させる。ウィルがカワサキの命令に従うと、モニターディスプレイの色合いが少しチラついたように緑っぽく変化した。様々な対象物の輪郭が濃くなったお陰で、横たわるプレハブや車の形が進むにつれて変わっている事に気付ける、ありふれた古い民間車のボンネットがまるで噛み砕かれたように欠けていたり、潰れているのであった。劣悪な生活環境も一重に人の成せる技である、しかし眼前に映るこの光景は違う、少なくともウィルには違うと断言できた。アスファルトの道に溢れかえる血の斑模様、食い破られたとも見受けられる車のバンパーにも血が滴り、路面には一方向に引きずったあとの掠れた血痕がおびただしい程に印されているにも関わらず、人の遺骸は愚か肉片一つすらも見当たらないのだ。プレハブ小屋に関しては金属が腐食したように変質していた。錆による崩壊ではなく、焼け爛れた熔け口は黒ずんで泡状に変質して若干の熱反応が出ている。まるで薬品漏れの事故と素手のアーマードコアで叩き壊された様な跡から見い出したのは、殻に包まれたコクピットの中でも感じる戦慄だった。
「……本当にこれを生物がやったんですか?」
彼は驚きを隠せなかった。動物が獲物を狩った後のそれとは全く違う、かといって戦闘が行われた痕の黄色の硝煙や炎も立っていない、更に死体が無いことがいっそう不気味である。言うなればこれは虐殺の跡と言うのが一番近いかもしれない。彼は虐殺の現場など見たこともなかったが、ここまで猟奇的に人を狩り殺し、関係ない物品まで完膚なまでに破壊する動物など、狂気に取り憑かれた人間としか思いつかなかったからだ。
『スターダスト市街で猟奇殺人が発生、後にそれは謎の甲虫によるものだとしか説明されませんでした。ムラクモ側以外でこんな大規模な攻撃をしでかせる企業とは……私にはすぐには思い当たりません』
『確かに……生体科学系の企業でこんな事を実現可能なのは俺には四つぐらいしか思い当たらない……ケミカルダイン…α−メディスン…デュポリアル・バイオニクス…フジタ製薬……ケミカルダインにかけては完全なクロームの傘下、フジタ製薬はムラクモ側、残りの二つは中立だがどちらかというとクローム寄りだ。それにどの企業もいきなりこんな手段を採れる力など無いはずだろう?』
『――そうだな……だがそれより気になるのは何故スターダスト街だということだ。ガードがいるとは言へ、最下層まで侵入して謎の生物を解き放つならば中央都市やフォートガーデンの方が効率がいいに決まってる。特にフォートガーデンのセキュリティは要人達の住処にしては甘いというのに……いまいち腑に落ちない』
ラズーヒンの言葉にジェームスとカワサキも同意した。
 彼らの疑問に鮮明になっていく血の痕と、狭霧や陽炎の足音が加わる。13ブロックから歩行で10分程度で謎の洞窟がモニターで黙視できるほどにまで至った。偏光処理をされた生体感知モニターには血液の赤が良く映える。引きずられた方向は皆一つを指しており、あたかもこの洞窟が自らの意志で血を求めているかのように思われた。
『これが例の洞窟か……ACが入れないかと心配していたが思ったより広いな……』
狭霧の一つ目が赤く輝き、視線の先の光量を調節している。かなり古ぼけた産業ビルの隣に地層が剥き出され、礫質の脆い岩盤が大きく削れて所々に岩石が転がっていた。生物が掘った穴にしては大きすぎる、どちらかというと採掘の為に巨大なドリルでえぐり取った坑道が相応しい。アイザックシティの資源は既に取り尽くされて今では周辺都市からの輸入に依存しているのだが、ACの頭二つ分高いこの坑は巣と言うよりはやはりそれらの類に見えた。これがこの中にいる女王の大きさだとしたら実に想像も付かないほどで、やはり自然が創り出した生命とは趣の異なる存在価値であるとしか思えない。
即ち――市街地制圧兵器――。
これが何らかの制圧行為だとしたらクロームに対する挑戦としか受け取れないだろう。クロームでもムラクモでもないとしたら、つまり二企業に次いで新たな勢力が頭角を現したと言うことであろうか?二種超企業に拮抗する新たなる勢力……スターダスト街はアイザックシティにとってさして重要ではないものの、最下層付近にまで侵略を許した失態はクロームの威信にも関わるのは確かである。
 
……だが、実のところ青年にはそんなことなどどうでも良かったのだ。クロームの権力やらムラクモの信頼に関する杞憂など今の彼には全くなかった。モニターには血を吸い込む不気味な闇、脳裏には起こったであろう殺戮への嫌悪、目の前に映る血痕。過去の影と重ねぬように意識を押さえながら彼は闇の先を見続けた。またしても争いのために多くの人々が命を落とした事実、彼が生まれる前から続いている戦争の牙が未だに残っている彼の心を傷つけたのだった。
(行く先々に不幸が転がっている……いつまでこんな事が繰り返されるのだろうか?)
深い感慨の中で彼は言った。
「――皆さん急ぎましょう、早い内にこの元凶を絶たないと被害がより増えてしまいます。
こんな事が……こんな殺戮が許されるはずがありません……ムラクモは社会的に弱い人達の悲劇を許さなかった――だからムラクモが僕たちを派遣したのですよね?」
青年の声には強い意志が込められていた。いかにも若く、新兵らしい理想に甘えた台詞がカワサキの神経に触ったが、ジェームスにとってはそんな彼の言葉が嬉しくて仕方なかった。
 不知火を前進させるたびにモニターの明細が黒く落ち窪み、しばらくすると少しずつ中の暗さとメインカメラの集光率との調和が取れて色彩が戻ってきた。11機械化特殊部隊は様々な道程を経て遂に目標の位置へと達したのである。深く暗い、地下世界に安住する彼らにも感じる血の不気味さが、装甲越しにまとわりつく洞窟へと静かにAC達が入っていった。







 もう随分長くの間下り続けていた。レーダー波の反響で何も映らないマップを埋め尽くして進んでも単調な傾斜のきつい一本道の、恐ろしいほど画一的な道並みが続き、蟻の巣のような曲がりなどはまだ見当たらない。とてもこれが生物の掘った穴だとはいまいち思えなかったが、やはり人為的には腑に落ちない部分があることも確かであった。地層の壁が浸食のように滑らかに削れて、その周りには粘膜質の透明な液が付着している。さらにそこから流れ出した血液、入り口から続いている血の流れが粘膜に乗って足場を滑りやすくしている。機械のオイル等とは違って質感や混ざり物から見積もるとまるで病人が吐く血混じりの痰だが、これ以上深く考えると気分が悪くなるのでここまでで考察は止しておこうと思った。脚を進めるたびにネチネチと糸を引く音がして、血の粘膜だと思うと後の整備のことすらも呆れ果ててしまう。
狭霧、不知火、陽炎の順に並んで狭い洞窟を前進しても未だに先には何の変化も見られなかった。
『随分深くまで来たな』
 カワサキの独り言が飛び込む、いつまでも続く細道に彼も少々神経質になっているのだろうか?先陣を切って進む狭霧はどこにでもごくありふれたムラクモの量産型アーマードコアなのだが、ウィルはその深海色の背中についていくのがやっとだった。そういえば卓越したパイロットは機体を選ばないなどと入り立ての昔に習った記憶があり、その当時は近代戦の戦略としてはナンセンスだと思っていたが、カワサキの凄まじい戦果を傍らで見る度にその言葉が思い出されるのである。百発百中の集中力と躊躇無くブレードでミサイルを落とすという恐るべき判断力、彼の強さとは反射的なテクニックよりも雑念を全て振り払う超人的な意識にあると思われた。彼の乗りこなすACの右手には得意のレーザー・スナイパーライフルではなくて奇妙な黒い細筒が握られ、背中には正に土管のような兵器が搭載されている。黒い銃(であろうか?)は全く見当もつかない。アサルトライフルにしては弾倉が見当たらず、バズーカーにしても小振りで華奢である。となるとエネルギー兵器かもしれないが、ウィルの見てきた古今東西のE兵器とはどれも一致しなかった。対してあの背中の物は何であるか形状から想像がつく。しかしその兵器とはほとんど開発者の道楽同然に作られた前時代的で余りにもACのFCS性能を無視した扱いが大変難しい、いわば【ゲテモノ系】の兵器である。ことさら武器の選択には慎重なカワサキがほとんど扱う者がいないあの兵器を持ち出したとは考えにくかった。
「……ジェームスさん」
ウィルは陽炎に接触して、カワサキの耳に入らないようにジェームス専用の二次周波数で尋ねた。
『なんだ……急にひそめて?』
「あのカワサキさんの銃は何なんですか?見たこともありませんよ」
彼の質問にジェ−ムスは苦笑の声を漏らした。おそらくまた彼はあの人なつっこい表情をしていることだろう。
『……まあ……じきに分かるが……スビトロガイノフの爺さんもあれにはたまげていたな。全くあの時のカワサキは笑いを取ってるのかと思ったよ……本当にあの武器はちょっと驚くぞ』
「それって一体どんな――」

『――お前達、任務中の無駄話は慎め』

カワサキの声が警告する。ジェームスはばれていたかとばかりに笑い声を立てたが、危うくウィルは驚きの悲鳴を漏らすところだった。彼はおそらく陽炎の二次周波数を密かに解読したのだろう、となると不知火の無線ももはや……。
(聞いていたのか……本当に食えない人だ。用心深さもここまで来るとただのストーカーじゃないか?)
頭の中すらもカワサキに見透かされそうでウィルはすぐに雑念を振り払った。
『皆さん、静かにしてください。レーダー波の反響が2種類に別れました、マップを見てください』
ラズーヒンの言葉が入り込み、即座にポリゴンで構成された画面に目を移す。続いていた路がやっと二手に分かれ、両方が旋毛のようなカーブをしている。さらにレーダーに少しずつか弱い白点が現れて徐々に色濃くなっていった。
『――それに気のせいかもしれませんが、何か音が聞こえませんか?』
……音?全員が足を止めて耳を澄ませた……確かに、何か擦れ合う音が聞こえる。ラズーヒンの言った通り奇妙な物音が狭い洞窟を微かに反響していた。ギチ、ギチと堅い物同士が擦れ合う音と、歯の弱い老人が食べるときに出すあの音が途絶えることなく発せられている。見えない闇から飛び込む生々しさにウィルは何か嫌な予感がした。先を見たいという思いと進みたくない躊躇が混ざり合う、それでもこの粘膜に乗った血の流れの先を見届けなくてはならないとは分かっているのだが。
『前進する、注意しろ』 
カワサキを先頭にゆっくりと脚を進めるたびに物音が大きく鮮明になっていった。油の切れた歯車のきしみの後にクチュクチュと不愉快極まりない、それに乗じてレーダーがアトピーさながらに赤点で埋め尽くされる凄まじい反応が現れた。マップから判断して分かれ道はすぐ先が広間になっている道と、さらに深くに沈んでいる道があるようだった。どうやらその妙な音は大広間から聞こえているようだ――ギチ、ギチと擦れ合う音と何かを練り混ぜる音が。
『――この先です……凄まじい数の生体反応……妙な話ですが部屋を埋め尽くさんばかりの巨大な物体が存在して、生体反応はそれを取り囲んでいます』
『中央の巨大物?もう女王の産卵場までたどり着いたのか?』
『分かりません……ですが巨大な物体は身動き一つ取っていません。生物ではないということでしょうか?』
彼らの考察がウィルの見えない先への不気味さをより掻き立てた。何かが起こっている、暗やみの中で神経を逆立てる不快な音に彼は居ても立ってもいられなくなり、前の狭霧を押しのけて機体を走らせた。揺れと足音が動悸と重なり少しずつ予感が膨れあがっても音は止むことを知らず、すぐ眼前にようやく分岐路が現れる。二手に分かれたカーブの一方から木霊、行きたくない、だが行かなくては……例のおぞましい音が手を伸ばせば届く、奇妙な後ろめたさを感じながらも彼は別れを進み、そのすぐ向こうに広がる大広間を見た。

――人の山だった。

見当もつかない、どれだけの数が?見当もつかないのである。数千を越える人々の屍がその広間を支配していた。プレハブ小屋と同じような色合いのボロを身に纏った人海が寄せ固められ、血の溜まりに積み重なって20メートルほどの山と化していた。彼らの服は血に染まり、破けて素肌が伺える。頭や脚が欠落しるのも少なくなく、臓物や脳漿が無惨に捻り出されていた。だが露わとなった肉体よりも滲み出ている恐怖、人々の顔の全てが引きつり、目を剥き、全く未知の体験を物語る表情。
――何故?――訳も分からずに、全く見たこともない何かに喰われた顔と顔と顔だった。
幾重にも重なったおびただしい人の骸が、老若男女を問わぬ全てが死してなお狂気に満ちた恐怖を共有していた。
……グ……チ………ギチ………。
釘付けになった彼の瞳を呼び覚ますのはあの音で、人間山の麓からギチギチと擦れ合う物音が直に聞き取れたのだ。視界を移した彼の瞳にまず白い殻が飛び込む。卵形のすべすべした殻が何十個も散らばって山の麓に寄り添っている。初めは動揺のために何なのか分からなかったが暫くするとこの白い物体が判別できてきたのである。
 昆虫。死体山を取り囲んでいるのは昆虫なのだ。真っ白な甲皮を死人の血で汚し、二対の鋭い四肢を地面に突き刺してそれらは成り立ち、節を動かすたびに擦れ合う醜悪な雑音を放っている。
人の五倍はある四本脚の虫、余りにも現実離れした大きさにウィルは呆けてしまっていた。
不知火の存在に気づかぬ虫共は死体の塊の端に何十匹も群がり、四肢を踏ん張って人の残骸に食らいついていた。昆虫とは唯一かけ離れた巨大な嘴で一気に二人分の肉の塊を頬張り、強力な顎から骨を砕く籠もった音に、肉と肉とを磨り潰す余韻を添えていた。三口ほど人の肉を喰らった白い巨虫は腹をパンパンに膨らませ、おぼつかない千鳥脚で部屋の隅へと這い歩いてその先にある車が入れるほどの小さな孔へと消えていく。さらに違う孔から今度はやせ細った虫が湧き出て再び死骸に取り付いた。そんな作業を虫共は飽きることなく続けていたのである。
戦慄した青年の手が震え、広間の入り口に立ちつくした不知火が反応して半歩足をずらした。その振動を契機に虫が一団に作業を中断してこちらへと向き直る。ハッキリとした輪郭の顎にぶら下がる腸、嘴から血液を漏らしている虫が、裂けた不気味な顎を引き上げて冷ややかに嘲笑うかのように見えた瞬間に――。
不知火の銃口が火を吹き上げた。昆虫に対する凄まじい嫌悪感と人を喰らう非現実さにまみれた青年は、訳の分からない雄叫びをあげて甲皮の塊へと引き金を絞った。排出される薬莢が血溜まりへと落ち、怒濤の飛礫が湧き出た巨虫を尽くひっくり返して叩き潰す。無惨に砕かれた白い破片が飛んだと思ったら先が黄ばんだ煙で覆われ、人間山の周囲が穴だらけになって足下の溜まりから湯気が立ちこめた。荒い息を飛ばしながらジラついたモニターを凝視する青年に警告の生体反応が現れる、煙が晴れた後にあの虫たちが醜悪に蠢いていた。劣化ウラン弾に叩きのめされた甲皮がしわくちゃになって、欠けた残りの足でヨタヨタと這いずり回っているその姿は、指で潰されても未だに藻掻く蟻そのもの。果たしてこれ程までに醜くて吐き気がする様が在ろうか?
潰れかけた白い昆虫が一斉に血に染まる嘴を開く。嘴の内部に異様な熱反応が現れ、それらから一斉に緑色の粘液が飛び出して不知火へと吐きかかる。横へと走り避ける不知火の鎧に液が付着した途端、装甲が白煙を吹き上げて熱を持ち、炭酸のような泡が溢れかえった。
――リアクティブ・アーマーが浸食されている?対薬性能も良好なこの鎧を溶かすのは少なくとも塩酸以上王水以下のPH濃度で無くてはならないはずだ。さらに酸化を激しくするために昆虫には似つかわしくない熱反応がでていた……マシンガンを喰らっても反撃する生命力、この消化液はあたかもMTと対等に戦える為の武器じゃないか?――果たして……これが生物と呼べるのか?
再びこの昆虫が消化液を吐き出そうと口を開いた、こうなったらいくらでも弾を撃ち込まんとばかりにウィルが応戦の姿勢をとって応じる。ところが彼の視界は突如としてダーク・ブルーの装甲板に防がれたのだ。
『退がっていろ!!』
カワサキの声が響くと同時に狭霧があの細い筒を生物達に向けたのである。
左腕を添えた狭霧の右手から轟という焼音が上り、小さな銃口から放出される火炎が四散して部屋を赤一色に包み込む。対照的な狭霧の背中が炎に良く映え、前にいた白い虫たちは舐めるように揺らめく火焔の海原へと叩き込まれた。灼熱の毛布にくるまれた殻と殻が擦れ合う音と、体液が沸騰して筋肉の縮み込む音が虫共の断末魔となって、静寂に包まれた叫びと足掻きがのたうち回る影法師となって揺らめいた。
「火炎放射器……」
揺れる虫の影が照らされる中でウィルは呟いた。アーマードコアの武装にそんな物が存在しただろうか?どう考えても普通の兵器に通用するとは思えない。絶えず動き回る機動兵器にほんの少し火炎を浴びせても、ちょっと熱暴走をする程度で収まるのみだ……だがそれは理論の話、この生物たちには火炎の効果は絶大だった。焼け爛れた甲皮と節足を丸く固めた虫の死骸が消炎後に転がっていたのである。
『……マシンガンの直撃を喰らっても動けるとは戦車並みの装甲だな。内部のしなやかな筋肉が弾丸の衝撃を吸収していたのだろう、マシンガンの口径ではあまり効果が無いということか……だがこいつ等には普通の兵器には無い致命的な欠陥がある』
『――熱だ――所詮は生物、タンパク質の塊に過ぎない……有機物は熱に弱い。ジェームスのバズーカーような大威力で粉砕する武器か、もしくは熱量の多いエネルギー兵器を装備するべきだったな――これはお前の選択ミスだ、戦いはアセンブルの時点でもう始まっている――覚えておけよ、小僧』
カワサキの啖呵にウィルは自分の愚かさをまた知った。どんな任務にでも対応できるマシンガンに頼り切っていた自分のずぼらさと無知を見事に指摘された。
「カワサキさん……ですがその火炎放射器は一体どこで……?」
『……ん?これか…』
カワサキが面倒くさそうに説明した。
『昔、溶鉱炉での任務に行った時に掻っ払ってきたんだ。おそらくこれは溶接の際に使うバーナーの類だな。元もと作業MT用の代物だったんだが、もしもの時を思って武器庫に保管していた』
『……そしてスビトロガイノフの爺さんに頼んでACのマニュピレーターに合うように改造させて、燃焼性の高いナパーム油を注入した……もちろんこれには複雑なロック機能も付いていない……そんなふざけた武器を持ち出したこいつは本気でおかしいかと思ったよ。なぁ、笑えるだろうウィル!?』
堪りかねたジェームスが声を張り上げる。勝手にしろといわんばかりにカワサキはそっぽを向いた。
 
 ブスブスと焼け焦げた音が消え失せ、丸まった虫の残骸と積み重なった人々の遺体が残された。スターダスト街の人々は無惨に昆虫の餌食となり、改めて見るたびに凄惨であった。居たたまれない有様に向き直った戦士達も閉口して、少しはしゃいでしまったジェームスは自分の軽率さに罪悪感を感じていた。
「……こんな死に方ってあるんでしょうか?酷すぎます……」
『ええ、犯罪者のみならず子供達まで巻き込まれたんでしょうね……子供には罪はないというのに』
積み重なった人々の全てがそれぞれに人生を持っていたはずだ。救われるべき貧しき人々の散らばった欠片が言うべき言葉の全てを飲み込んでいた。カワサキは無言で狭霧を進ませて銃を振り上げ、厳かに死した亡骸に火を放つと、積み重なった人々が等しく炎に包まれ、柔らかな黄昏色を発したのであった。
「火葬……」
『俺の祖先の風習では死んだ人々はこうやって灼くことになっている。魂が炎に浄化され、煙が迷うことなく天へと昇るように……閉鎖された地下世界では無駄な話かもしれないが、これが俺に出来る彼らへの弔いだ』
黙りこくる彼らの前でぼんやりと掠れた炎が上がり、静かに恐怖に取り付かれた亡骸を崩していった。
果たして人々の魂は、恐怖に満ちた彼らの死とは揺らめく炎の如きで救われるのであろうか?
誰も答えられぬ事実に背を向けた彼らの先には蛍の如く火の粉が円舞を舞っていた。
『カワサキ、ウィル、行こうぜ……一刻も早く女王を駆除しよう。
……これが俺たちに出来るもう一つの弔いとなるはずだ』
「――ハイ」
『了解。ジェームス、注意しろよ。陽炎のマグネシウム合金は酸に侵されやすい』
狂気に満ちた惨劇に決意を固めた彼らはより深くへと沈んでいった。深淵に続く路から何個にも別れた餌場に立ちはだかる昆虫をカワサキの火炎が包み、ジェ−ムスのバズーカーが木っ端微塵に砕き、残ったほんの少しをウィルがレーザーブレードで突き刺して、残された人々にささやかな葬儀を挙げていったのであった。







〜作者から〜
今回は徹底的に設定と描写にこだわるつもりだったのですが、何となく粗かったような気もします。
時間はかけたのですが、ちょっと皆さんには読み足りなかったかもしれません。悪しからず。
キャラ募集!!かなり多くの人から応募があってとても嬉しいもんです。何せ戦闘員が多くて……それもいいものばっかりで……これはかなり熾烈な選抜になるでしょう。
イミネントストームのリーダー格がちょっと応募が少ないかなぁと言う……もし応募したいと思っている方がいらっしゃえば是非とも宜しくお願いします。
本当に読んでいただいている方々には感謝しています。おかしいと感じた点は是非とも教えてください。
それではまた。