ARMORED CORE EPISODE 7

ムーンライト・セレナーデ

 男は、慌てて車に飛び乗った。
 何の変哲もない、藍色の車である。安物というわけではないが、この地下駐車場の中にあっては妙に安っぽく見える。それもそのはずである。周囲にあるのは、一台が100万コーム近い超高級車ばかりなのだ。彼が20万コーム一括払いで買ったこの愛車が、安く見えるのも無理はない。
 だが今は、そんなことはそれこそどうでも良かった。車は値段ではない。走ればいい。走らなければならないのだ。男は乱暴にアクセルを踏んだ。危うく車がエンストを起こしかける。黒い煙を吐き出して、車は動き始めた。スピードの出しすぎだ。駐車場の中だというのに、スピードメーターは高速道路並の数値をはじき出している。もし事故でも起こしたら? 男には、そんな細かいことを気にしている余裕がなかった。
 死ぬ。走らなければならない。走らなければ、死んでしまう。殺されてしまう。男は必死だった。そして恨んだ。上司と、会社と、この世界と、50年前に起きた大戦争と、そして彼自身を。彼をこんな目に遭わせた、全てのものを恨んでいた。
 車はあっという間に駐車場を突っ切って、外へと飛び出した。外は暗い。当然である。ここは地下に建設された都市なのだから。しかも今は、「夜」の時間帯だ。人々に擬似の暦を与え、時間感覚を麻痺させないために作られた「夜」である。地下都市の天井に備え付けられた電灯は、ほとんどがその明かりを消していた。
 闇に覆われた道路に、車は乗った。この道路は都市の中で最も主要な道路である。いわば幹線道路というやつだ。道なりに進めば、地下都市の外へ出ることもできる。汚染され、人が住めなくなった地上へである。しかし、背に腹は代えられない。彼の居場所は、外にしか残っていなかった。どこか別の地下都市まで逃げて、ひっそりと隠れ住むしかないのである。
 車の遙か後方で、重い金属音が響いた。
 ――来た!
 男は、自分の足に全体重を乗せた。ありったけの力で、アクセルを踏みつける。車は一層速さを増した。しかし、後ろの金属音はどんどん大きくなっていく。近づいているのだ。彼を追ってきているのである。彼を、殺すために。
 バックミラーに、小さな光が映った。男は目を見開くと、ハンドルを左に切る。
 ガキュンッ!
 いつ聞いても嫌な音だ。何かが、ついさっきまで車がいた辺りのアスファルトを削り取った。ちくしょう、まさか都市の中で発砲するとは! 彼は唇を噛んだ。警察――「ガード」が来る前に片を付けるってことか!
 彼はそのまま、交差点を左へ曲がった。信号などこの際無視である。どうせ、他に車などいはしない。この道の先にも、地上への出口はある。
 道の両側には、高層ビル群が建ち並んでいる。どれもこれも、名の知られた大企業のものばかりである。窓の灯りもちらほら見える。残業に勤しむ、仕事熱心なサラリーマンたち。ご苦労なことだ。男も、ついさっきまでは彼らの仲間だった。仕事の分野は違えども、自分の所属する会社の利益のため、必死に働いていたのだ。それが今はどうだ。彼はいらなくなったのだ。男は思った。最悪のリストラだ。
 その時だった。突然、前方のビルの影から巨人が一人、姿を現した! いや、それは巨人ではない。戦闘用の巨大ロボット。ACと呼ばれる汎用兵器である。紫色の機体が、車のヘッドライトを受けて照り輝く。その手に持ったハンドガンは、紛れもなく彼の方を向いていた!
 ――回り込まれた!
 男はアクセルから足を放すと、一瞬だけブレーキをかけ、すぐさまアクセルに足を戻した。その間にハンドルは左に目一杯切られている。後輪がけたたましい音を立てて地を滑り、車は180度回転した。そのままアクセルを踏みつけ、全速力でACから逃げる。
 ガシュッ。
 紫色のACが、一歩足を踏み出した。そしてもう一歩。そのたびに低い音が響き渡る。音の間隔は、少しずつ狭くなっていった。音そのものも、少しずつ大きくなっていった。近づいている。男は後ろを振り返る気も、バックミラーを確認する気も起こらなかった。怖い。怖い。助けてくれ、死にたくない! 男の全身から冷たい汗が噴き出した。音が大きくなっていく。男の息づかいが荒くなった。音が大きくなっていく。男の口から叫び声が飛び出した。
 銃声が響く! 男はハンドルを右へ左へと忙しく操作した。車もそれにつられて道路を蛇行運転する。後ろから飛んできた数発の弾丸は、全てアスファルトをえぐるだけに終わった。男は知っている。どんな動きをする目標が、一番狙いにくいかを。それは皮肉にも、彼が今まで手こずってきた動きに他ならなかった。
 しかしそれでも、弾丸は執拗に車を狙い続けた。男は気付いていた。だんだんと、狙いが正確になってきている。自分の動きに、相手が慣れてきている。さすがにいい腕をしていやがる。男は奥歯をかみしめた。
 バシュッ!
 突然、車が大きく傾いた! 後ろの方でギャリギャリと嫌な音がする。弾丸がタイヤをかすめたのだ! 男は必死にハンドルを操作した。しかし車は全く言うことを聞こうとはしなかった。そのままの勢いで、車は道ばたの街路樹に突っ込んだ。反動で男は頭をしたたかに打ち付けた。しかしぼうっとしている暇はない。アクセルを踏む。反応は……ない。完全にダメだ。男はなんとか歪まずに保っていた助手席のドアを蹴り開けると、外へ飛び出した。
 しかし、もはや全ては手遅れだった。男を待ちかまえていたのは、ほんの一メートル先にある、ACの銃口だった。
 男は紫のACを見上げた。巨大なロボットは身動き一つせず、そこに佇んでいた。男はゆっくりとその場に尻餅をついた。
 その時、彼の中で何かが途切れた。男は突然けたけたと笑い出すと、やがて大声で騒ぎ立てた。
「レイヴンだな……お前はレイヴンだろう!?」
 ACは微動だにしなかった。
「俺も昔はそうだった……ネストはもう抜けちまったがな。
 わかるだろ? 企業からオファーがかかったのさ。俺はその話に飛びついた。当たり前だよな!? 企業のエージェントになるんだ。明日の飯もどうなるかわからねぇようなならず者じゃねぇ! 普通の暮らしができる。人並みに暮らせるって、そう思ったんだよ!」
 ACは微動だにしなかった。
「だが俺はいらなくなった。お前がいるからだッ! 噂は聞いてる。アリーナの2位なんだってな? さぞかしいい腕してるんだろうよ!
 気を付けろ、レイヴン。奴らはお前を狙ってる。俺の代わりに今度はお前を食い物にするつもりなんだッ! そしていつか、お前も捨てられるんだ! 俺みたいにな!
 ……ふ……ふはっ、くあっははははははっ!」
 ACが、動いた。
 
 
 がちゃっ。
 金属音が小さく響いた。外から誰かが鍵を開けたのだ。さっきからずっとパソコンと向き合っていた少女は、弾かれたかのように椅子から立ち上がった。右手にある本棚。左手にあるシステムラック。どれも彼女の趣味である。飾り気はない。しかし、手入れは病的なまでに行き届いている。塵も埃も小さな汚れに至るまでも、この部屋のどこにも残ってはいなかった。それを改めて確認すると、彼女は満足した。
 待てよ。彼女の、一つに纏めた長い金髪が揺らいだ。一房だけ混ざった黒髪が頬を撫でる。うつむいた彼女の目に映ったのは、自分が着ているタートルネックのセーターと、藍色のデニムパンツだけだった。もしかしたら、鍵を開けたのは彼ではないかもしれない。彼女の心に、急に不安が押し寄せた。なんとなく苦しさを覚え、胸を両手で押さえる。そのまま彼女は元の椅子に座り込んだ。
 ドアが開く。彼女は目を閉じた。見たくない。見るのが怖い。そう思った。しかし次の瞬間、全ては吹き飛んだ。
「ただいま、アヤメ」
 彼女は……アヤメは、はっと目を開けた。白が最初に目に入った。次に銀が目に入った。ぼやける焦点を合わせると、ドアを開けて狭い部屋に入ってくる一人の男がそこにいた。アジア系の顔つき。見ようによって美しくも醜くもある銀色の髪。全身を包む真っ白なロングコート。アヤメは立ち上がり、彼に駆け寄った。
 アヤメは渾身の力を込めて、彼の腕にしがみついた。何も言わず、ただ彼の胸に顔を埋める。確かに言葉はない。しかし、これで十分だった。これがアヤメの意志表現であることを、彼も知っているのだから。
 彼は残された方の腕で、アヤメの髪を撫でた。そしてもう一度、やさしく語りかけた。
「ただいま」
 それと、ほぼ同時だった。彼の後ろにあるドアから、もう一人の男が顔を出したのは。
「ツカサ君、帰ってきたんで……おや」
 アヤメはその声に驚き、慌てて彼の腕から離れた。その代わりに彼の影に隠れる。ツカサと呼ばれた男は振り返ると、無粋な男に向かって忌々しげに吐き捨てた。
「何の用だ、コバヤシ」
「いや、失敬。お邪魔でしたかな」
 コバヤシは微笑みを返すと、家の主の許しも得ずにずかずかと部屋に入り込んだ。もちろん二人ともいい顔はしないが、あえて追い出すということもない。彼が敵ではないことを知っているからである。
 ネズミ色のあまりセンスの良くないスーツに身を包んだ真面目そうな男。コバヤシの外見には、その程度の特徴しかなかった。知らない者がみれば、どこぞの企業戦士かと思うだろう。彼の地味さが、あえて作られた物であることを知る人間は、ほとんどいない。
「何の用だ」
「まあ、そう邪険になさらずに。見てください、これを」
 コバヤシはブリーフケースの中から一冊の雑誌を取りだした。他愛もない、どこにでもあるゴシップ誌である。「キャメロット」といえば、業界では一、二のシェアを誇る有名雑誌だ。もっとも、普段なら到底彼らの興味を引く物ではない。しかし今回だけは例外だった。表紙には、一番大きな字でこう穿たれていたのだ。
「新人レイヴン宝条司、驚異の快進撃! キャメロットだけの密着レポート!
 ……ふふふ、なかなか刺激的な見出しじゃないですか」
「アリーナ管理委員会じゃあそんな雑誌が流行ってるのか」
「ああ、いえ。これはあくまで個人的な趣味でして」
 コバヤシは雑誌を差し出した。しかし、男が……司が受け取ろうとしないのをみると、残念そうにそれを元のブリーフケースへと収めた。その間に司はきびすを返すと、さっき入ってきたばかりのドアに手をかけた。
「司くん」
 司の足が止まった。
「アリーナの1位は強敵ですよ。あなたが思っている以上に」
 司は肩越しに振り返り、コバヤシに冷たい視線を投げかけた。そこに含まれるのは侮蔑か嘲笑か、あるいはもっと複雑な感情なのか。彼がふと横に目を遣ると、アヤメが心配そうな瞳で彼を見つめていた。
「大丈夫だ、アヤメ。俺は負けない」
 アヤメの頭をそっと撫でると、司は微笑んで見せた。しかし彼女の表情は変わらなかった。うつむいて、ただじっとしているだけである。
「ACを片づけてくるよ。すぐに戻るから」
 彼の声は優しかった。しかし、不十分だった。アヤメの心の隙間を埋めるには。
 司が出ていったあと、残された二人はしばらく無言で立ちつくしていた。静寂が支配する時間。それをうち破ったのは、コバヤシの方だった。
「アヤメさん。どうやら」
 コバヤシは眼鏡のずれを直した。
「あなたの気持ちも、私と同じのようですね」
 
 ピピッ。
 暗い廃工場の中に、響き渡る電子音。司は手元の液晶盤を確認した。どうやら、燃料は全て抜き取れたようである。彼の愛機からパイプを抜き取り、燃料タンクの蓋を閉じる。彼の手入れは適切で、正確だった。
 あとは、機体全体に埃よけのビニールシートを被せれば終わりである。司は脇に畳んでおいてあるシートに歩み寄った。
 そういえば。彼の脳裏に過去の光景が浮かんだ。忌まわしい過去。忘れたい過去。捨て去ってしまいたい過去。でも捨てられない過去。親父も昔、同じことをしていた。
 宝条司。彼の父親は機械工だった。それほど腕がいいというわけではない。かといって勤勉で努力家、というわけでもない。言ってみれば二流だった。母親はその助手をしていた。二人がどうやって出会ったのか、彼は知らない。もう調べようもないし、別段知りたいとも思わない。どうせ、ろくでもないことなんだろうから。
 ただ、人から多少のことを聞いたことはある。彼の両親はかつて、不良グループの一員だったらしい。不良グループなんていうと可愛らしく聞こえるが、中身は下手なテロリストよりタチが悪い。窃盗、恐喝を手始めに、強盗、強姦、果ては殺人に至るまで……悪名は止まることを知らない。
 司の銀色の髪も両親が常用していた麻薬の影響だと、医者から聞かされた。彼は両親を恨んだ。奴らさえまともな人間であれば。ガードの厄介になるような人間でなければ。彼が孤児院に送りつけられることもなかったのだ。あの地獄のような孤児院に。
 そう……司は生きながらにして地獄を見た。そう思った。収容されている孤児から、生傷が絶えることはなかった。孤児院を管理している連中――「先生」と呼ばれていたが――の乱暴に、少しでも刃向かおうものなら、柱に縛り付けてしまうのである。餓死するまで。年頃の少女達はほとんどが「先生」の玩具にされていたし、少年達は悲鳴を上げるサンドバッグにされた。
 そこで彼は、一人の少女と出会った。金髪で、虚ろな目をした少女。歳は彼より2つほど下だった。そして奇妙だったのは、一言もしゃべろうとしないことだった。
 彼も噂は聞いていた。なんでも、両親を目の前で惨殺されたショックで、失語症になったらしい。そのあまりの異様さに、誰一人として彼女の友人になろうという者はいなかった。「先生」たちも、彼女にだけは手を出そうとはしなかった。彼女は孤独だった。
 でも司だけは知っていた。彼女がただでさえ少ない自分の食事を残し、それを柱に縛り付けられ、明日にも飢え死にするかもしれないという子供に与えていたことを。そしてその子供が死んだとき、ただ一人物陰に隠れて密かに涙を流していたことを。司はそれを見て思った。自分が彼女を守ろう。彼女が他の何かを守るように、自分は彼女を守ろうと。
 それがアヤメである。
 そして三年前。彼はついに行動に出た。丁度大企業同士の抗争が激化していた頃である。彼は混乱に乗じて、アヤメとともに孤児院を脱走した。廃棄されていたロボット……MTを自ら修理し、傭兵の真似事をして生計を立てた。ACを買えるほど金が貯まって、正式に傭兵組織「レイヴンズネスト」に登録されたのは、つい一年前のことである。
 レイヴンズネストに登録された傭兵は、「レイヴン」と呼ばれる。そのレイヴン達が自分の腕前を競い合う闘技場が存在する。バトルアリーナである。アリーナを管理しているのはレイヴンズネストと、第三者のアリーナ管理委員会と呼ばれる組織だ。
 アリーナ管理委員の中でも比較的有力な位置にいるコバヤシに、実力を認められたのは幸運だった。司はアリーナという手軽な金儲けの手段を手に入れたのである。生活はぐんと楽になった。住処にしている廃工場に、アヤメがくつろげるスペースを作ってやることもできた。そうだ。彼は信じている。幸せな生活をしていれば……幸せを感じ続けていれば、アヤメはきっと良くなる。きっとショックから立ち直ることができる。そう信じていた。
 嫌な過去を振り払うかのように、司は頭を振った。そのまま床においてあるシートに手を伸ばす。その時、なにかが視界の端で蠢いた。顔を上げ、そっちに目を向ける。それは灰色のスーツに身を包んだ、コバヤシの姿だった。
「では、わたしはそろそろ失礼します」
 司は変な顔をした。彼は本当に、あの下らないゴシップ誌を見せに来ただけだったのか。だとすれば、アリーナ管理委員というのは、そうとう暇な職業のようである。
「そうそう、あなたに依頼が来ていたみたいですよ。
 受けてみてはどうです? まだ次のアリーナ戦までには間がありますし」
 司が肩をすくめると、コバヤシは少し微笑んだ。そしてそのまま後ろを向くと、固い靴音を響かせながら廃工場を去っていった。
 
「アヤメ」
 ACの片づけを終えて部屋に戻るなり、司は彼女の名を呼んだ。アヤメはいつも通りパソコンの前の椅子に腰掛け、キーボードを一心不乱に叩いていた。しかし司の存在に気付くと、慌てて振り返り、手を伸ばした。
 腕を掴めるところまで来い、という合図である。なぜかはわからないが、アヤメは言葉を使う代わりに相手の腕にしがみつこうとする癖がある。一見すると意味がないように見える行動だが、不思議と気持ちが伝わってくるのである。
 彼女の望み通り、司は直ぐそばまで歩み寄った。すぐさまその腕をアヤメがつかみ取る。
「依頼が来てるのか?」
 アヤメはうつむいた。彼女の感情が、腕を通して司に流れてくる。わかっていた。いつもこうなのだ。押しつぶされそうな不安。アヤメからは、いつもそんな気持ちが伝わってくるのだ。
「大丈夫だ。俺は負けない。ちゃんと帰ってくる。
 今までだってそうだっただろ?」
 納得したようにはとても見えなかったが、少なくとも理解はしたようである。アヤメは片方だけ腕を放し、それでキーボードを操作した。レイヴンにしか持ち得ない、特殊なメールアドレス。そこには一通の依頼分が転がり込んでいた。
 司はアヤメの体を抱くようにしながら画面を覗き込んだ。依頼主は、彼のスポンサー企業。アリーナに出場するレイヴンは、大抵企業をスポンサーに付けている。賞金とは別に弾薬費、燃料費、修理費などをスポンサーが負担してくれるのである。もちろん、レイヴンが活躍すれば企業にとっては大きな宣伝になるし、同時に頼りになる準エージェントも手にはいる、というわけだ。
 依頼内容は、ごくありふれたものである。敵対企業の武装勢力がある地点に地下基地を建設しているので、それを妨害、破壊するというもの。武装勢力を撃墜すれば、その分特別報酬が加算される。基本報酬も悪くない。
 それほど難しい仕事ではない。アヤメを安心させようと、司は精一杯に微笑んで見せた。
「明日、もう一度行って来るよ。
 ……そんな顔するなよ。お前を残していなくなったりはしない。絶対に」
 表情を曇らせたままのアヤメの頬を、司はそっと撫でた。彼女の手が、司の手の上に重ねられる。伝わってくる柔らかな温もり。刺すような冷たい感情。不安。司は少し悲しくなって、目を閉じた。
 
 
 どうしてこんなことになってしまったのだろう。
 男は引き金を引いた。手にした大きな銃らしきものから、爆発にも近い風――空気の弾丸が飛び出す。目の前にいる男は、一瞬にして吹き飛び、壁に叩き付けられた。そのまま地面に落ち、ぴくりとも動かなくなる。
 ガストライフル。その名の通り、空気に大きな圧力をかけて、発射する兵器である。威力の弱い物は暴動鎮圧に使用される程度だが、リミッターさえはずせばこの通りだ。大きさの割に軽く、エネルギーパックだけで弾丸も必要ない。便利ではあるが、発射時の轟音と頻発する暴発事故が悩みの種である。もっとも、事故の方は正しい取り扱いさえすれば全く問題ないのだが。
 男は辺りを見回した。オフィスビルの通路とおぼしき光景。ただ、至る所に血が飛び散り、いくつもの死体が転がっているところが、普通のビルとは異なっていた。鼻を突く硝煙の臭い。動く物は自分以外になにもない。もう敵は周囲には残っていないらしい。男は後ろを振り返り、手で合図を送った。
 彼のすぐ後ろにあったドアから、二人の女性が姿を現した。一人はおそらく20代後半か、30代の。もう一人は、片手で歳を数えられるくらいの。彼が愛する二人の女性。妻と娘だった。
「逃げよう」
 彼は出し抜けに、妻に言った。彼女は少し驚き、戸惑った。恐る恐る口を開く。
「一体どこへ……」
「わからない。でも、何処へ行ったってここより危険なことはないさ」
 娘の前に、彼はかがみ込んだ。熊のぬいぐるみをしっかりと抱いて、不安げな瞳でこっちを見つめる娘。彼は微笑んだ。それはいつも、アニメを見てはしゃぐ娘に投げかけていた笑みだった。
「パパ……」
「大丈夫だよ。パパとママががなんとかするから」
 娘は熊のぬいぐるみを投げ捨てた。自由になった両手で、父親の腕にしがみつく。彼女の癖だった。父は微笑みを絶やさず、娘の頭を優しく撫でた。彼女の表情は変わらなかった。少しだけ、父の瞳に悲しげな色が浮かんだ。
「そんな顔をしないで。アヤメを残して、いなくなったりするもんか。絶対だ」
 父は立ち上がった。懐から小さな黒い物を取り出し、彼の妻に手渡す。プラスチック製で、重みはほとんどない。彼女は自分の手に目を遣った。奇妙な形の、拳銃だろうか。前に一度見たことがある。磁気ニードラー。金属製の針を、磁力で加速して射出する兵器だ。反動はほとんどなく、銃器の扱いに慣れていない者でも比較的扱いやすい。
「僕が道を開く。君は、それでアヤメを護ってくれ」
 母は少し、不安を顔に浮かべた。でも……やるしかないのだ。自分が生き残る為に、夫が生き残る為に、そして何より、娘が生き残るために。母は決意した。ニードラーを右手にしっかりと持ち、残った手で娘の手を引く。そして彼女はうなずいた。
「行こう。時間がないもの」
「北棟にしよう。あっちはまだ手が回ってないだろうし、車もある」
 三人は、慎重に走り出した。北棟へ行くには、右の通路からが一番早い。無機質の床と靴底がふれあい、甲高い音が響く。やがて三人はT字路にさしかかった。右へ曲がれば、北棟へゲートは目前である。さっきから追っ手は誰一人いない。やはり、こちらにはまだ手が回っていないのだろう。三人から安堵の笑みが零れた。父は、逃げ延びられそうだという安堵。母は、銃を使わずに済んだという安堵。そして娘は、どうやらもう走らずに済みそうだという安堵である。
 一行を先導していた父親が、まず最初に角を曲がった。そしてそのまま凍り付く。彼は鬼のような形相で振り向くと、二人の女性に向かってありったけの声で叫んだ。
「来るなっ!!」
 ドシュッ!
 鈍い音。彼の右足から血と肉片が飛び散った。痛みに一瞬の叫びを上げながらも、必死に右足を引きずって、角のこちら側へ逃げてくる。
「こちらW22。生存者を発見した。男が一人。ガストライフル所持。他にもいるようだ」
『了解。至急応援に向かう』
 知らない男の声が、曲がり角の向こうの方から聞こえてくる。なんてことだ。もう、ここも安全ではなかったのだ。父は、両目に涙を一杯にためている娘を抱きかかえた。しゃべるわけにはいかない。声を出せば、追っ手にばれてしまう。彼らに娘がいるということが。本当は、最後に言葉をかけたかった。
 横に目をやった。妻もまた、決意に満ちた表情で彼女の娘を見つめていた。声はださない。彼女もわかっているのだ。そうだろう。彼女は自分より頭がいいのだから……父は自分の妻とうなずきあうと、足下にあるエアダクトを慎重に開いた。そしてその中に自分の娘を入れた。
「……う……」
 娘はかすかに、うなり声をあげた。今にも泣き出しそうだ。彼は慌てることもなく両手の人差し指で、口の前にバツを作った。しゃべってはいけない。父の真剣な瞳に、彼女の涙が止まった。彼は微笑み、右足の痛みをこらえて立ち上がった。
 今度は、入れ替わりに母親が娘の前に顔を見せた。そっと娘の頬を撫でると、反対側の頬に軽くキスをする。別れの挨拶は、それだけだった。母はエアダクトの蓋を閉じた。蓋は格子状になっていて、外からでは滅多なことでは見つからないだろう。
 母も、立ち上がった。
 娘には、もはや何も見ることはできなかった。聞こえてくるのは音だけ。彼女はそのつぶらな瞳を閉じた。
 カッ、カッ、カッ……
 カチャッ。
「ここの職員だな?」
 カツッ。カツッ。
「僕たちは忘れないぞ。この裏切りを」
 ガチャッ。
「そういうことは、社長に言ってくれ」
 サッ。カサッ。
「わたしたちは、いつも一緒にいるわ」
「愛しているよ、アヤメ」
 カチッ。
 どぱぁっ!!
 ……………
 ……………
 カッカッカッカッカッ。
「……こりゃ酷い……聞こえるか? こちら西口通路……まるでジャムだよ……ああ、男と女。夫婦か恋人だろ。手を繋いだままだ……ん?」
 カッ、カッ。
「……いや……妙な血痕が……これは……通風口か。まさか……」
 ガチッ、ガチッ。
 ガチャン。シュ…ゴトッ。
 光が戻った。アヤメは震えていた。両手で耳を塞いで。小さな瞳を必死に見開いて。恐怖に歯をがちがちと鳴らして。アヤメはただ、震えていた。何も、何もしゃべらずに。だって、そうじゃないか。しゃべっちゃダメだって、パパが――
 
 ――パパが――
 
 
 
『目標地点到達まで後30秒。AC投下のカウントダウンを開始します』
 無人輸送機のコンピューターが報告する。いよいよだ。司は操縦桿に手をかけた。外の様子は見えないが、今いる場所は広大な針葉樹林の上空である。この森に、ターゲットとなる地下基地が建設されているらしい。宵闇に紛れて進入し、破壊する。それが任務だ。
 しかし森というのも不思議な存在である。この汚染された地上では、水は全て強烈な酸性雨として降り注ぐ。普通の樹ならとても生息できる状況ではないのだ。しかし、森は存在している。適応してしまったのである。少々の酸性雨では、びくともしないような抵抗力を、森は手に入れたのだ。大破壊からたったの53年だが、そんな短い期間でも生物は進化できるのだ。
『10秒』
 司の全身を、緊張という名の電流が駆け回った。今まで何度も死地に赴いてきたが、この緊張感を忘れることは一度たりともなかった。それはまだ自分が未熟ということなのか? それとも、忘れてしまった人間の方が狂人なのか。
『……3・2・1・投下』
 がぱんっ。
 足下の床が、音を立てて開いた。爽快感とも恐怖とも思える奇妙な感覚が司を襲う。自由落下特有の感覚。彼の愛機『ミーティアライト』は、その名の通り流星のごとく眼下の森へと落下していく。ある程度落ちてから、司はブースターの起動スイッチを押した。ACの背面に備え付けられたブースターが火を噴き、落下の勢いを殺す。
 ドズッ!
 重苦しい音と砂煙を立てて、ミーティアライトは大地へと降り立った。紫色のボディが月の光を浴びて燦然と輝く。
 狼の目が、戦いを予感してぎらぎらと光を放った。
 
「来たぞ! 情報通りだ!」
 地下基地の一角、いくつもの機動兵器が立ち並ぶ格納庫へと、男が一人駆け込んだ。既に格納庫の中で作業をしていた人々が、一斉に彼の方へ振り返る。その中の一人が口の端を吊り上げる。風体からすると、この一団のリーダーらしい。
「馬鹿な奴だぜ。待ち伏せされているとも知らずに……
 相手はアリーナの2位らしいが、大したことはねぇ! なんたってこっちにはマスターランカーが付いてるんだからな!
 気合い入れろよ、落とした奴は特別ボーナスだ!」
 一同から鬨の声が上がる。そろって自分の愛機に乗り込む男達。中には、どうせボーナスが入っても周りからたかられるだけだと高をくくった、冷めた連中もいたが。
 異様な熱気に包まれる格納庫の隅に、派手な真紅の塗装のACが一機、佇んでいた。人間型2足の、ごく一般的な機体構成である。その傍らには、壁に背を預け、周囲の様子をつまらなそうに眺めている女。彼女は肺にため込んでいた息を吐き出すと、おもむろに自分の愛機のコックピットへ向かった。
 
 上空から落ちるときに見た光景を、司は思い起こした。ここのすぐ北に、木の生える間隔が妙に広い場所がある。どうしてそんな場所が存在するのか……もっとも高い可能性は、重機が活動しやすいように、何者かが樹を間引いたということだ。おそらくは、ターゲットの武装集団が。
 司は操縦桿を動かした。狭い木々の間を、ミーティアライトは器用にくぐり抜ける。何も撃ち合いだけがレイヴンの仕事ではない。巨大な兵器であるACを、いかに見つからないように移動させるか。それもレイヴンにとっては重要な技能である。
 やがて視界が開けた。やはり、樹が間引かれた跡がある。司は外部カメラで地面の様子を拡大した。巨大な足跡、車輪の痕跡。熊や鹿でないのは確かだ。全長7、8メートルにもなろうかという熊がいるのなら、それこそ例のゴシップ誌が飛びついてくるだろう。
 ここから先は、何が起きてもおかしくない。司はもう一度機体の確認をした。右手のハンドガン、肩に背負った爆雷投射機。左手の甲に備え付けられたレーザーブレード。各部駆動系。ジェネレーター出力。どこにも問題はない。よし。司は気合いを入れ直した。
 慎重に、ミーティアライトは歩みを進めた。地面の足跡を伝い、まばらな木々に隠れながら地下基地への入り口を探す。そう広いスペースがあるわけではない。探すことそのものはそれほど難しくないだろうが――
 背筋を駆け抜ける悪寒!
 司は乱暴に操縦桿をなぎ倒した。ミーティアライトの巨体が振り向きもせずに横に飛ぶ。ついさっきまでミーティアライトがいた地点で巻き起こる爆発! スピードを殺さないように移動しながら回転する。背後には、一機のヘリコプター。さっきの爆発は奴が放ったミサイルだろう。
[敵機確認。カルナック・オプトエレクトロニクス・システムズ製、戦闘ヘリ『ボーラ』、機数3。及びMT『ハルバード』、機数4。戦闘リグ『ハチェット』、機数3]
 たいそうな部隊編成である。司は顔をしかめた。見つかった、というよりは待ち伏せられていたという感がある。もしや情報が漏れていたのか……まあいい。どうせ破壊しなければならないのだ。早いか遅いか、それだけである。
 空を飛んでいるのは中型のヘリコプター。ミサイルは一機に2つずつ装備されている。機関砲も付いている。そして、まるで大砲に足が生えたかのような形のMT。地面すれすれを高速でホバー移動する特異な戦闘機、「戦闘リグ」は、これまた大砲とエンジン以外はコックピットしかないような作りである。
 カルナックといえば、オプトエレクトロニクスの分野ではそれなりのシェアをもつ企業。元はパソコン用のモニターが主な製品だったが、最近では光学兵器で有名だ。ということは、あの大砲は強力な光学兵器である可能性が高い。
 ……ならば、敵の取る戦法は……
 ミーティアライトが地を蹴った。そのままブースターを吹かして空中に飛び上がる。鋭い音を立てながら、足下を過ぎ去っていく光線。レーザーが大気を電離させ、プラズマ化させる為に生じる輝きである。
 それを見るが早いか、司はもう一度操縦桿をひねった。空中で進路を変え、ミーティアライトは水平移動を始める。また、その背をかすめるレーザー光。やはりそうか。複数で手分けして、徐々にこちらを追い込んでいくつもりなのである。レーザーの貫通性と弾速を考て、こちらが防戦一方になると踏んだわけだ。
 ……だが、甘い!
 ミーティアライトのブースターが、全力で火を噴き出した! 目指す先は、地上のMT一機! 完全に衝突するコースだ!
 MTは慌てて後ろに下がる。それが司のもくろみ通りであるともしらずに。MTの目前に降り立ったミーティアライトは、レーザーブレードでMTから大砲を切り離した!
 衝撃で地面に倒れ込むMT。ミーティアライトが振り向く。敵は誰一人としてレーザーを放とうとはしない。当然である。貫通性のあるレーザーをこの状態で撃てば、仲間も巻き込むことになるのである。いつまでも戸惑っていることはないだろうが、司にとっては一瞬で十分だった。
 ダンッ!
 ハンドガンの弾丸が手近にいた戦闘リグに食い込んだ。ダメージはそれほどでもないが、衝撃で一瞬動きが止まる。そして次の瞬間には、リグは光の刃によって真っ二つにされていた。
 これで2機!
 そこを狙って飛来するミサイル! どうやら、最初にふっきれたのはヘリのパイロットのようである。だが、甘い。二機のヘリがホバリングしながらミサイルと機関砲を乱射している。ミーティアライトは前にステップしてヘリの真下に潜り込んだ。地を蹴り、空中へ飛び上がる。そして……不意に肩の爆雷を放った!
 この兵器は、本来放射状に爆雷を撒き散らすためのものである。しかし今回は違った。斜方に撃ち出された爆雷は、落下を始める前にヘリに命中した。巻き起こる爆発。まとまっていた2機が2機とも、煙を吹き出しながら大地へ落ちていく。
 4機!
 そのまま大地に着地して、ミーティアライトはブースターで地を滑った。例の光線が周囲の樹をなぎ倒しながら迫ってくる。わずかにコアにかするが、リフレック塗料に弾かれ、何処かへと消えていった。それを皮切りにMTと戦闘リグが一斉にレーザー砲を構える。ミーティアライトの周囲は360度、全て囲まれている。
 ……馬鹿な奴らだ。司は一人、ほくそ笑んだ。操縦桿を握る手を止める。もちろん彼の愛機も動きを止め、森の中で静止した。司の額に汗が浮かんだ。タイミングを間違えれば、それは自分の死を意味する。
 キュイィィィンッ!
 金属を掻きむしったような不快な高音。全部で6本の光線が、一点に収束した! 丁度、ついさっきまでミーティアライトが立ちつくしていた地点に。
 おそらくパイロット達は、自分の目を疑っただろう。紫色の巨人は、空中に飛び上がってレーザーをかわしていたのだ。
 レーザーは、当然だが光である。その速度は光速に等しい。それを避けるためには、もちろん目標も光速で移動しなければならないのだ。発射された後で回避する為には。
 つまり、ミーティアライトは発射の直前に、既に回避行動を始めていたのである。言うのは簡単だが、少しでもタイミングが早いと照準が機体の動きをとらえてしまう。それでは何の意味もないのである。
 いつ発射されるとも知れない敵の攻撃のタイミングを、正確に知ることは……事実上、不可能。
「勘が当たったな」
 司の言葉と、全く同時だった。外れたレーザーに貫かれて、敵のMT3機と戦闘リグ1機が爆炎を吹き出したのは。
 ミーティアライトはそのまま上昇する。目の前にはヘリが一機。慌てて機関砲を撃ってくるが、それも司の勢いを殺すことはできなかった。左腕がきらめき、光の刃がヘリを断ち切る。ヘリは空中で爆発し、辺りに光と残骸を撒き散らした。
 これで、9機。
 司はモニターで真下に目を遣った。明らかに動きが鈍くなったリグが1機。レーザーの発射には膨大なエネルギーが必要である。おそらく、さっきの攻撃でチャージして置いた電力を使い切ったのだろう。もはや、第二射はない。
 ガシュッ!
 ミーティアライトのハンドガンが火を噴いた。真上からの弾丸が、リグを地面に押しつける。もう一発。当たり所が悪かったのだろうか。リグは噴煙を吹き始めた。そして
 ザンッ!
 真下に向かって突き出されたレーザーブレードが、その機体を貫いていた。特異な高速戦闘機は、完全に動かなくなった。
 勝った。司は惚けたような顔で遠くを見つめた。また、勝った。自分は強い。そう思う。これだけの戦力を相手取って自分は傷一つ負っていない。これなら。自分なら。アリーナのトップにだろうと、負けるわけがない。司は勝者になるのだ。そうすれば、きっと生活はもっと楽になる。アヤメを、喜ばせることができるのだ。
 司は頭を振った。今はまだ、ミッションの途中だ。任務なんて、彼にとっては遊びのようなものだったが……それでも、油断は禁物だ。何があるか、わからないのだから。
 
 
 ぴっ。
 小さな電子音。アヤメはパソコンの画面に目を遣った。第一波は、彼に全滅させられたらしい。もっともこれは、あくまでオードブルでしかない。メインディッシュはずっと先である。
 ただ、その前にやることがある。ネットワークへと接続し、適当なポイントにアクセスする。数度の移動を繰り返して、画面に表示される小さなウィンドウ。向こうのホストは、IDとパスワードの入力を求めている。慌てず騒がず、アヤメはあるソフトを実行した。彼女のオリジナルソフトだが……一般には、「ディクショナリ」と呼ばれる種類のソフトである。
 とりあえず、IDの欄に文字を入力する。
[Iris]
 そして、ここからが「ディクショナリ」の本領発揮である。低い音が響く。CPUの加速器が、高速で回転しはじめたのだ。きりきりと、心地よいリズムがしばらく伝わってくる。やがて、電子音とともに、画面に文字が表示された。
[OK,your access was accepted.]
 よし。とりあえず、アカウントは手に入ったようである。すぐさまアヤメはもう一つのソフトを動かした。これは、「スカウト」というタイプのものだ。数秒で、「スカウト」が結果を報告する。結果は……「アラーム」及び「トラッカー」と連動した「ウォッチドッグ」……それと、「リジェネレイト」が単独で常駐しているようである。しかし「ウォッチドッグ」の方は、「スカウト」に連動させた「アイスピック」で既に破壊済みだ。今頃、必死で「リジェネレイト」が修復しているだろう。
 それは、少しまずい。アヤメはさらに「メルト」というソフトを動かした。目標は、もちろん「リジェネレイト」。全ての修復を終える前には、「リジェネレイト」は完全にとけてしまっているだろう。
 これで、一通り準備は終わりである。堂々とデータセクションにアクセスし、そのデータに目を通す。目的の物は、すぐに見つかった。護衛として雇ったレイヴンの記録である。すぐさまアヤメはプログラムを動かした。「デリート」である。
 彼女の「デリート」は特別製である。「サーチ」と連動していて、関連するデータを自動的に全て破壊してくれる。楽なものだ。この企業のデータから、ある一人のレイヴンに関係する部分が消え去った。これであの赤いACに乗るレイヴンは、この企業とは何の関係もない、ということになった。
 あとは。アヤメはアクセスをカットした。レイヴンズネストのデータも処理しなければならない。まあ、あちらはもっと楽だ。昔は異常にガードが固かったが、三年前に一度消滅して、再び結成されたネストはボロボロである。一応名前だけは以前のネットワークから受け継いでいるが、以前とは違って重い上にハッキングのし放題。おかげで企業は重要な依頼をネストに流さなくなった。それはそうだ。敵企業を襲撃する、なんて情報が公衆の目に晒されたら、それこそ何の意味もない。
 今度は、レイヴンズ・ネストとつながりの強いアクセスポイントに接続する。ネストへの門には、データロックがかけられている。専用のデータキーがなければ入ることはできないのだ。しかしこんなもの、アヤメの手に掛かれば子供だましのようなものだった。
 走らせるプログラムは、「マスターキー」。データキーとは、時々刻々と一定のプログラムに沿って変化するパスワードのことだ。正規のユーザーは、それに対応したパスワードを出力する、鍵となるプログラムを渡され、それによって内部へアクセスすることができるのである。「マスターキー」とは、そのパスワード設定プログラムを解析し、独自にキープログラムを作りだすプログラムのことである。
 難解な「データキー」にはさすがに対応できないが……今回は心配する必要すらもなかったようだ。あっさりと、レイヴン専用ネットワーク、通称「ナーヴ」へと侵入できた。本来なら、ここで「スカウト」なりなんなりを使って周囲を調査し、保安プログラム……俗にICEと呼ばれる物を発見、消去するのだが……ここではそれすらも必要ない。簡単な「ディスガイズ」のプログラムを走らせ、まるで自分がスーパーユーザーであるかのように振る舞う。
 思った通り、「ウォッチドッグ」も「アラーム」も反応しない。なんとも不用心なネットワーク警備である。もう少しくらい力を入れても罰は当たらないと思うのだが。
 ともかく、目的の物を消去しなくてはならない。膨大なレイヴンのデータの中から、一人のレイヴンの物を探し出す。簡単なことだった。彼女は有名人だから……しかし今回は全部消去してしまうわけにはいかない。出撃記録のうち、一番新しい物……今日、出撃したという記録を消去する。これで彼女は、今日は家でのんびりしていたことになった。
 さて。アヤメにできるのはここまでである。少なくとも、ハッカー「アイリス」としてできることはもうない。あとは、コバヤシの方が上手くやってくれれば……
 アヤメは接続を切ると、しばらくパソコンの画面を眺めていた。いつも見慣れたトップウィンドウ。なんということはない。ただの青緑色をした画面だ。しかし今は、なんだかそこに司の顔が浮かんでくるようだった。アヤメは瞬きをした。司の顔は消えた。嫌な感じだ。謝ったら、彼は許してくれるだろうか。謝る? どうやって?
 電源を切る。これ以上画面を見ていたくなかった。なんだかとても眠たかった。でも、眠りたくないような気がした。だって、今ここには司がいない。護ってくれる人がいない。
 司がいると、安心できる。司が頭を撫でてくれると、嬉しくなる。
 司がいないと、不安になる。司が仕事に行くと、悲しくなる。
 それは司が好きだから? 司は、好き。
 一人だと生きていけないけど、二人なら生きていける。
 一人だと怖いけど、二人だと楽しい。
 でも、司じゃなきゃ嫌。だって司はきらきらしてる。司がきらきらするから、自分もきらきらする。でもときどき司はきらきらじゃなくなる。司はぎらぎらになる。ぎらぎらな司は、なんだか怖い……
 眠ろう。アヤメはそう思った。大丈夫。司は、きっときらきらで帰ってくる。アヤメは何もない空中を、腕でつかもうとした。何もつかめなかった。司が帰ってきたら、司のきらきらがつかめるんだ。アヤメは幸せになった。司はどこにいたって、アヤメを護ってくれる。だって司はきらきらしてるんだから。
 
 
(すぐに、歓迎が始まるな)
 司はモニター越しに、通路の奥を見つめた。見つけた地下への入り口に入って、まだ数分である。ここまでいくつかの分かれ道があったものの、建設途中だったり電源が落ちていたりして、実質、道はこれ一本である。
 敵も馬鹿ではない。上の部隊が全滅したことくらい気付いているだろう。戦闘は避けられないだろうが、無駄な戦闘は御免だった。今回は強力な時限式爆弾を持ってきている。これを深層部に仕掛けて、基地ごと連中を生き埋めにしてやるつもりだ。
 暗い通路を、さらにミーティアライトは進んだ。やがて分かれ道に出る。十字路で、右は建設途中で行き止まり、左はエレベーター。正面の道はダウンスロープになっている。何分照明が乏しいので、遠くまでは見渡せないが。
 さて、どっちに行ったものか。エレベーターの方は、位置から言ってガレージに通じている可能性が高い。外に出撃する場合、一番早く出られる方法が必要だからである。スロープはおそらく、通常の車両が中まで入り込むためのものだろう。多くの車両が動くなら、エレベーターよりスロープの方が都合がいい。
 それなら……進む先はエレベーターだ。襲撃部隊がいたということは、少なくとも防衛システムは完成しているということである。ならば人間がいるのはこっちだ。人がいない場所で爆弾を破裂させても、単に工事を遅らせることにしかならない。いや、下手をすると工事の手伝いになってしまうかもしれない。
 司は愛機をエレベーターの前に進ませると、腕の制御を戦闘モードからマニュピレートモードに切り替える。戦闘時には引き金を引くとか、ブレードを振るとかいう行動をあらかじめプログラムしておいて、それをボタン一つで発動させるのだが、このモードは違う。両側にある特殊なレバーで、指の一本一本に至るまで細かく操作することができるのだ。
 もちろん、エレベーターのボタンを押すのである。エレベーターがうなりを上げ始めた。すぐに戦闘モードに戻し、警戒する。エレベーターが到着した瞬間に劣化ウラン弾――いや、ここの連中ならレーザーか――がお出迎え、という可能性もあるのだ。
 扉が開く。光線が飛んでくる様子は……ない。妙な話だ。ここまで静かだと逆に気味が悪い。おそらくは――この下に戦力を一点集中させているのだろう。丁度いい。司は不適な笑みを浮かべた。探し出して潰す手間が省けるというものだ。
 迷うことなくミーティアライトはエレベーターへと足を踏み入れた。マニュピレーターを巧みに操作し、下向きの三角形が描かれたボタンを押す。巻き上げ機のエンジン音だろう。再び、低いうなりが辺りを満たした。
 がくんっ。
 鈍い衝撃が、いきなり司を襲った。すうっと、体中から血の気が失せていくのがわかる。ついさっきも経験したばかりだ。この奇妙な感覚。まさか、これは。
 ――自由落下!
 
『作業完了です!』
 部下の声が、電波を介して彼に届く。彼は自分のMTのコックピットで、口の端を吊り上げた。彼の名はシュルツェ=ミュラー。カルナック社が極秘に組織した武装集団『ドラング』のリーダーである。現在はこの地下基地の建設を任されている。
 シュルツェは操縦桿の調子を確認した。どうせ使うことはないだろうが、念のためである。それにしても、今日の襲撃はシュルツェにとっては丁度いい刺激だった。彼の本業はテロリストである。それも、何の政治信念もない……要するに、ただ破壊に魅せられた者がその欲求を満たすためだけの、最低の集団に所属していたのだ。最高に心地よい空間だった。そこでは生きることと殺すことが等価だった。
 そこでの戦果を買われて企業にスカウトされたが、それからは退屈な毎日の繰り返しだ。殺すことも、壊すこともない。あるのは創ることである。基地。組織。未来の破壊を思うとそれもなかなか刺激的だが、時間がかかりすぎていけない。このままでは、手当たり次第に暴れてしまいそうだった。
 だから、丁度良かったのだ。しかも相手はアリーナ2位のレイヴン。レイヴンと言えば、テロリストにとっては天敵……いや、宿命のライバルである。殺しがいがあるというものだ。とはいえ、シュルツェは自ら手を下すタイプの破壊狂ではなかった。むしろ罠と謀略に喜びを見いだすタイプなのである。
 今回もそう。奴はまず間違いなくエレベーターに乗る。そして乗った直後に、あらかじめ待機していた部下がワイヤーケーブルを断ち切るのだ。十数秒のスカイダイビング。数百メートル落下して、ACはぐちゃぐちゃだ。中のレイヴンの血が、狭いコックピットの中に真紅の芸術作品を描き出すのだ!
 シュルツェは目を見開いた。広大な空間……彼と彼の部下が乗るMT十数機が待機するガレージである。その壁に、エレベーターの出口がある。鉛色の飾り気のないシャッター。その向こうで轟音が響いた。
 確認するまでもない。エレベーターが墜落したのだ。ぐちゃぐちゃだ。真っ赤だ。そうだ、きっとレイヴンは千切れて、捻れて、すりつぶされて、きっとブルーベリーのジャムみたいになってるんだ。最高だ! やった!
「よし、中を確認するぞ。シャッターを開けるのを手伝え」
 少なくともシュルツェの声から内面の狂気をはかり知ることは不可能だった。狂気はプライベート。これは仕事だ。とはいえ、完全に狂気を隠すことは、彼にもできない。周囲の者がそれに気付かないだけだ。
 他の誰でもない自分自身で死体を確認しようとする態度。仕事熱心なわけではない。
 シュルツェと他の部下二人が乗る汎用二足MT『グレイヴ』が、エレベーターのドアへと近づいた。作業に役立つレーザーブレードを装備しているのは、この三機のグレイヴだけである。他の取り巻きが乗っているハルバードという名のMTは完全な戦闘用で、こういう作業には向かない。
 三機の内の二機は青の塗装。もう一機は白の塗装である。白いMTが隊長機、つまりはシュルツェのものだ。白いグレイヴはエレベーターの正面へ、残りの二機は両脇へ分かれる。
 まず、シュルツェの機体がドアの中心部にレーザーブレードで切り込みを入れた。上から下へと、ゆっくり慎重に。下手に刺激して、切り取ったシャッター部分がこっちに倒れ込んできても面白くない。完全に切り離してから、シュルツェは通信を送った。
「やれ」
 ボシュッ!
 響く低い爆音。横の二機がセットした炸薬に火がついたのである。衝撃で切り取られたシャッターが倒れ込む。がらがらと派手な音を立てて、金属の板が白いグレイヴの足下に倒れ込んだ。
 その向こうには、見るも無惨に潰れた、エレベーターのゴンドラ部分。もちろんドアも完全に使い物にならないが、それほど大きな問題はない。潰れたゴンドラの上からレーザーブレードで小さく穴を開けるだけで、内部の確認くらいはできる。
 シュルツェは操縦桿を奥へ倒した。それに素早く反応したグレイヴが、潰れたゴンドラをよじ登る。その上に乗るまでに、それほど時間はかからなかった。さぁて。あとは、ここにブレードで穴を開け、中で潰れているトマトの姿を確認するだけだ。シュルツェは眉をひそめた。彼はまだ何もしていないのに、そこには大きな穴が一つ、開いている。
 ――と、その時。
 ザンッ!!
 シュルツェの意識は、突然闇の中に消え去っていった。
 
 その場の誰もが我が目を疑った。無理もないだろう。いきなり上空から降ってきた紫色のACが、白いグレイヴを一刀両断にしたのだから!
 そう……司とミーティアライトは、既にゴンドラの外へと逃げ出していたのだ。ワイヤーを切られた。そう感じた次の瞬間、天井をレーザーブレードで破り、外へと飛び出したのである。そのまま突き出た資材の上にうまくバランスをとって飛び乗り、真下に敵が現れるのを待ち続けていたのだ。
 そして今、彼の前にいるのは……驚きで動きを止めた、十数機のMT部隊。言い換えれば……格好の標的たちだ。
 紫色の流星が、血を求めて走った。
 
『レ……レイヴン! 聞こえるかッ!?』
 焦った男の声。止めてくれ、そんな大声で話すのは。スピーカーがおかしくなったらどうしてくれる。弁償してくれるのか? 無理だろう。どうせ死ぬんだから。
 彼女は何も答えなかった。向こうの男はかまわずにまくし立てる。
『応答しろっ!……くそっ、俺達じゃ手に負えない!
 頼む、救援を……うっ、うわぁぁぁっ!?』
 ざぁっ……
 通信機が吐き出す音は、ノイズだけとなった。
 やれやれ。全く、元気のいい坊やである。もうこれで、MTだの何だのを30機近く葬っていることになる。しかも傷一つ負ってはいない……こっちの面々が頼りないこともあるが、それ以上に坊やの実力のたまものだった。
 ……とはいえ、まだまだ。
 彼女はいくつかボタンを操作した。狭い部屋――コックピットに、ほのかな灯りがいくつか点る。低い駆動音。計器類が放つ電子音。起動する。彼女の乗る、真紅の巨人――ACが。
 本番、行こうか。彼女の黒い髪が揺れた。なかなか、楽しい仕事になりそうだ。
 
 
 ゴトンッ。
 爆発すらも起こらない。ミーティアライトの振るう光の刃に切り離された、MTの上半身が地に落ちる。これが最後の一機だった。
 司はまずレーダーを確認した。そしてモニターで周囲を見渡す。耳を澄まし、外部の音に神経を研ぎ澄ます。……ない。何もない。動くもの、つまり敵はもう存在しなかった。あるのはただ、さっきまで敵だったもの……累々と床に転がるMTの残骸のみである。
 どうやら、ここの戦力はこれで終わりらしい。もっとスマートに終わらせるつもりだったが、いつの間にか自分で全滅させてしまっていた。まあ、いいだろう。あとはこの爆弾を中枢部にセットして、地下基地を完全に壊滅させれば任務完了だ。
 中枢への道を探して、ミーティアライトは歩き出した。探すこと数分。全く、このガレージは広すぎる。探し当てた道はたったの一つ。おそらく、そこから中枢部へと行けるはずだ。
 その時、内蔵コンピューターが警告音をかき鳴らした。
[AC急速接近中]
「!?」
 司は慌ててレーダーに目をやった。確かに、凄まじいスピードで近づいてくる光点が一つ。どうやら、この通路の奥からのようだ。なるほど、最後の砦にレイヴンを雇っていたのか。用心深いことだ。だが……丁度いい。雑魚の相手ばかりで退屈していたところだ。同業者なら、アリーナ戦のいい練習相手になる。
 そんな司の甘い考えを、次のコンピューター・ヴォイスが消し去った。
[識別信号確認。マスターアリーナ所属AC『ペンユウ侃』]
「マスターランカーだとっ!?」
 思わず司の声が裏返る。まさか、よりにもよってマスターランカーなんてものを雇っているとは……
 司はアリーナの2位。それは確かだ。だが、ただ「アリーナ」とだけ言うと、参加に制限がない「ノーマルアリーナ」を指す。ノーマルアリーナには、予選を勝ち抜いた者なら誰でも参加することができるのである。他にも脚部のタイプによって制限を受けるアリーナ、ランキングを付けずにその都度ゲストを招待してエキシビション・マッチを行うアリーナなど、様々なアリーナが存在するのだ。
 その中で、最もレヴェルの高いアリーナがある。それが「マスターアリーナ」である。これには、いくら強いレイヴンでも無許可で参加することはできない。アリーナでの戦績だけでなく、こなした任務の質と量、その知名度などが考慮に入れられ、管理委員会で名実ともにトップクラスのレイヴンであると認められて初めて参加することができるのだ。つまり、他とは一線を画した強さの持ち主たちなのである。
 司の最終目標もそこにある。誰にも負けない強さ……どんな敵からでもアヤメを守れる強さ。自分なら、それを手に入れることができる。司はそう考えていた。
 彼の唇の端が、にぃっとつり上がる。全く、運がいい。マスターランカー『真紅の華』の噂は、彼も聞いている。一度挑戦してみたいと思っていたところだ。勝つ自信は、十分にあった。
 ミーティアライトは後ろにステップし、敵のAC……ペンユウがやってくるのを待った。正面から、正々堂々と勝たなければ意味がない。やがて通路の奥から、赤い悪魔が近づいてきた。中量級の2足AC。右腕にマシンガン、肩にミサイルを装備している。ごく一般的な機体構成。
 司は通信機のスイッチを入れた。
「マスターランカー、か」
 相手は何も答えない。ただ立ちつくし、こちらを睨み付けていた。威圧感。なるほど。これが貫禄というやつか。司は額に汗が流れていくのを感じた。
「どれほどのものか……試させてもらうぞ!」
 
 ミーティアライトが、ハンドガンを連射しながら右に飛ぶ。しかしこれは牽制の一撃。これが当たるほど甘くはない。予想通り、ペンユウは横に飛んで軽々と回避する。お返し、とばかりに飛んでくるマシンガンの弾丸。司は足下のペダルを踏みつけた。ブースターがこれでもかと火を噴き出し、ミーティアライトの巨体を空中へ飛び上がらせる。
 足下を空しく過ぎ去っていく無数の弾丸。回避は問題ない。だが、これだけでは終わらせない。そのままペンユウの真上まで飛び上がり、直下のペンユウに向かってハンドガンをうち下ろす!
 ダンッ!
 弾丸が真紅の装甲板をとらえた。ダメージそのものは少ないが、見た目より大きな衝撃がペンユウを襲う! 司はほくそ笑んだ。ブースターを止め、自由落下する。その勢いを利用してレーザーブレードを振り下ろした。
 空中からハンドガンを命中させて相手を地面に押しつけ、その隙に落下しながらのブレードをたたき込む。司の常套戦術である。これこそが、彼が連戦連勝する最大の理由なのである。今まで、この斬撃から逃れられた敵はいない。司は勝利を確信した。
 ……その次の瞬間!
 ギィィィィィイイィィィンッ!!
 激しい空気の震えが耳をつんざく! 二機の間に巨大な衝撃が走った。そして地に足をつけていないミーティアライトは、大きくはじき飛ばされ、床に叩き付けられる!
「……がッ……!」
 背中をしたたかに打ち付け、司は一瞬呼吸ができなくなった。なんとか空気を肺に入れ、機体を立ち上がらせる。額の汗がさっきより増えていた。わからなかった。一体、何が起こったのだ?
 答えは簡単なことだった。ペンユウが、レーザーブレードで切り返したのだ。光の刃同士がぶつかり合い、エネルギーを撒き散らしてはじけ飛んだのである。
 レーザーで、そんなことが可能なのか。不可能ではない。レーザーが目に見えるのは、その熱量によって空気がプラズマ化され、そのプラズマが光を反射するからである。なら、そのプラズマがレーザー光そのものを乱反射さるとどうなるのか……指向性を失ったレーザーは単なる光となり、持っていたエネルギーを周囲に無秩序にばらまくのだ。
 最も、ペンユウのパイロットの方もそんな理屈を知っていたわけではないだろう。ただ、これまでの経験から、レーザーブレード同士で弾き合わせることが可能だと知っていただけだ。そして司には、そんな経験はまだなかった。
「くそッ!」
 罵りながら司は操縦桿を倒した。ミーティアライトが全速力で走る。ハンドガンを連射し、わざと避けさせて相手を追い込んでいく。ペンユウの機動性は、中量級であるにもかかわらず、軽量・機動性重視のミーティアライトと大差ないレベルにある。しかも防御力の面では、下手な重量級よりは余程頑丈にできているらしい。しかし、追いつめてブレードを叩き込めば、いくら奴でも耐えきることはできないはず!
 散発的なペンユウの反撃を難なくかわし、ミーティアライトはついに敵を壁際に追いつめた。この好機を逃す手はない! 紫色の巨人がブースターを噴かす! 一気に間合いを詰め、光の刃ですくい上げるような一撃を放った!
 ペンユウの左腕が動く。
 イィィィィィィイインッ!!
 まただ! 今度はなんとか踏みとどまる。司はようやく理解した。まぶしいのをこらえてモニターを凝視する。光の刃と光の刃が、周囲に目映い輝きを撒き散らしながら、互いを喰い合っていた。なるほど。レーザーブレードで鍔迫り合いができるなどとは夢にも思わなかったが、現実に起こっているのだ。
 種さえわかれば話は早い。ミーティアライトは一瞬、ブレードを引き戻した。すぐさま衝撃が収まる。そして、間髪入れずに上から叩き降ろすようにブレードを振るう!
 必殺の一撃。そのはずだった。少なくとも、司はそう確信していた。ペンユウが、何気なく頭上にレーザーブレードを掲げるまでは。また、刃と刃がぶつかり合い、衝撃が波のように二機を襲う。
 司は驚きを隠せなかった。まるで、こっちの行動が全て筒抜けになっているようではないか。こんな速度で反応できるような敵は今までいなかった。なぜだ? なぜ読まれる? なぜ自分の行動は全て無駄に終わるのだ!?
 そのとき、ミーティアライトにかつてない衝撃が走った。響き渡る爆発音。慌ててモニターを確認する。ない。ハンドガンがなくなっている。ペンユウのマシンガン……その零距離射撃によって、ミーティアライトのハンドガンは撃ち落とされていた。
 まずい! 司の背筋を冷たいものが流れていった。すぐさま飛びすさり、再び間合いを取る。ハンドガンは完璧に破壊されていた。おそらく、本格的な修復をしないかぎり使い物にならないだろう。
 司は舌打ちをした。なんてことだ……まさか、彼が最後の手段を使う羽目になろうとは。マスターランカーを甘く見ていた報いだろうか。まあ、いい。どうせ勝つのは自分だ。
 司はおもむろに通信を送った。
「やってくれるじゃないか」
 その間に、少し複雑な操作をする。なにせ改造パーツである。上手く動くだろうか……それは、司自身のメカニックとしての腕前にかかっていた。
「だが、俺は負けない!」
 ミーティアライトが走る! ハンドガンを失い、残る平気はレーザーブレードと背中の爆雷のみ。だが爆雷の方は、相手の機動力を考えると当たりはしないだろう。実質、この光の剣だけが頼りだった。
 ペンユウが挨拶代わりにマシンガンを放つ。しかしそんなもの、ミーティアライトの機動力をもってすれば回避はたやすい。間合いを詰めると、またしても左手のレーザーブレードで斬りつける!
 4度目! 光が互いをはじき飛ばし、周囲に不快な音と閃光とエネルギーを撒き散らす。このまま左手の刃を振るっても、さっきのように防御されるだろう。ならば!
 斬りつける! 右腕に装備した、もう一本の光の刃で!
 さすがにこれは予想していなかったのか、ペンユウは慌てて後退した。その胸板を刃がかすめる。どうやら少し踏み込みが甘かったらしい。
 これこそ、司の奥の手の中の奥の手……かつて、中世の日本にいた戦士達は、両手に刀を持つことを「二刀流」と呼んだそうである。それにあやかって、というわけではないが、レーザーブレードでの戦闘を得意とする司にとって、これこそが最強の装備だった。右手の武器を破壊された時のための非常手段。すなわち、右腕用ブレードユニットである。
 もちろん改造パーツなので、動作に多少の不安があるのだが。
 ミーティアライトとペンユウは静かに対峙した。予想外の兵器相手に、下手に攻撃を仕掛けるのは危険だ、ということだろうか。もちろん司の方は、次の一撃でとどめを刺す気でいた。
 痺れを切らし、ミーティアライトが走る。もはやマシンガンは無駄と悟ったか、ペンユウは牽制も仕掛けてはこない。その分回避に専念するのだろう。
 そしてまずは右の刃。ペンユウは今までと同じく、レーザーブレードによって受け止める。これでいい。今度は踏み込みも完璧。そして今、ペンユウの脇腹はがら空きである。そこに左のブレードを叩き込めば、全てが終わる!
 司は狂気に取り憑かれた者の瞳で、モニターを凝視した。勝つ! 俺は勝つんだ! その目がそう語っていた。勝てる。マスターランカーに。最強のレイヴンの一人に、勝てる。そうだ。最強だ! 俺は誰よりも強い! 誰にも負けないんだッ!
 ブレードを、振るった。
 そして光は虚空を切り裂いた。
「……え?」
 彼がいぶかしがるよりも早く……
 ガギィィィィィィィンッ!!
 いまだかつて味わったことのないほどの衝撃が司を襲う! 体が大きく震え、体中をコックピットの内壁にぶつけた。痛み。それよりさきに、司は心の中で叫んだ。
 何故だ!?
 ペンユウはどこに行った!?
 ごとん。
 彼の問いに答えたのは、重い音だった。ようやく揺れが収まる。司はモニターで、音のした方を見やった。地面に転がっている、細いもの。紫の輝きが目に飛び込んでくる。どこかで見覚えがある。
 ――ミーティアライトの右腕。
「な……」
 ペンユウは、ミーティアライトの真後ろに回り込んでいた。左のブレードが襲いかかる瞬間、ブースターを噴かし、レーザーブレードの交わる点を支点として、宙返りしながらミーティアライトの頭上を飛び越えたのだ。そして、落下の勢いを利用し右腕を切り落とした。
 そして今。ペンユウのレーザーブレードが輝く。呆然とたたずむミーティアライトの左腕が、ボディから離れて床に転がった。
「何故だァァァアアアァァアァアァァアッ!?」
 狂ったように叫びながら、司は操縦桿をなぎ倒した。ミーティアライトはでたらめに辺りを駆け回る。何故だ。何故だ。何故負ける!? 負ける? 俺は負けるのか!? 負けたらどうなる。負けたら殺される。殺される! 死ぬ。死ぬ。死ぬ! 嫌だ、嫌だ、嫌だ嫌だ嫌嫌嫌嫌だァァァしにたくないィィィァアァアアァッ!!
 さんざん走り回った後で、ミーティアライトは先のMTの残骸につまづき、転んだ。ペンユウが一歩足を踏み出す。司の目に無惨なMTの姿が映った。ペンユウが一歩足を踏み出す。助けて。ペンユウが一歩足を踏み出す。死にたくないよ。ペンユウが一歩足を踏み出す。助けてよ……助けてよアヤメッ!
 司の足が、小さなスイッチに触れた。本人は気付いていない。通信機のスイッチが入ったことに。
「やめろ……来るな! こっち来んなよ! 嫌だ……死にたくねぇよ……暗い……怖いよ……助けて……誰か、誰か助けてよ!」
 ペンユウが一歩足を踏み出す。
「くるな……くるなくるなくるなくるなくるなぁぁぁああぁぁああぁあぁっ!!」
 動きが、止まった。
 司は目を見開いた。既に涙で一杯になっていた瞳で、その光景を凝視していた。
 ペンユウが、きびすを返したのだ。一歩。また一歩。赤い巨人は遠ざかっていく。姿が見えなくなって、やがて音も聞こえなくなって、そのうち司はわからなくなった。何もわからなかった。わかることはたった一つだけだった。それは、あの赤いACがここにはもういないということだけだった。
 行ってしまった。とどめを刺さずに。
 司はしばらく呆然としていた。それは一瞬のことだったのか。それとも永劫のごとく永い時間だったのか。今更確かめる術は残されていない。
 やがて、司は自分で自分を抱きしめた。熱い。体が熱かった。生きている。生き残った。やっとわかった。そんな気がした。生き残ること。それがどういうことなのか。護ること。それが本当はどういうことなのか。
 やっと、わかった。
 
 
 
 司は後ろ手にドアを閉めた。その表情はいつになく沈んでいる。我が家に、アヤメの待つ住処に帰ってきたのに。アヤメは彼の様子がおかしいのをすぐに察知した。パソコンの前の椅子から立ち上がり、心配そうに司を見つめている。
 司はうつむいて、目を合わせようとはしなかった。そのまま奥に進んで、二階へ上がる階段を上ろうとした。その腕を、アヤメがつかんだ。
 気持ちが伝わってきた。アヤメの心が伝わってきた。司には、それが耐えられなかった。何も言うまい。そう思っていた。でも言わずにいられなかった。司は振り返り、暗く荒んだ瞳でアヤメを見つめた。
「お前がやったのか」
 司はアヤメの胸ぐらをひっつかんだ。そのまま乱暴にアヤメを押して、壁に叩き付ける。苦しそうにアヤメが呻いた。しかし彼女は抵抗しようとはしなかった。抵抗できる立場ではないことは、彼女が一番良く知っていたのだ。
「お前がやったんだな!? あれは全部お前なんだな!?
 敵に情報を流したのも! マスターランカーをけしかけたのも!!」
 ――そう――
 全てアヤメ……別名ハッカー『アイリス』の仕業だった。そもそも、今回の依頼自体が偽物……アヤメの手によって作られたものである。
 そもそも、同じ企業から立て続けに依頼が来た時点でおかしかったのだ。そしてさっき調べると……依頼主は、そんな依頼は知らないという。嘘をついているようには思えなかった。そんなことをすれば、司と依頼主の関係は完全に絶たれる。それは向こうにとっても都合が悪いはずだ。
 ならば。彼の知る限り、大企業やネストのデータまで簡単に改竄できるような腕のいいハッカーは、一人しかいない。
「なんでだよ……答えろよ、アヤメッ!」
 司はアヤメをつかんだ腕を振り回した。アヤメは目を閉じた。そしてじっと耐えた。悪いのはわかっていた。でも、彼女がしなければならなかった。わかってくれる。司はきっとわかってくれる。アヤメはそう信じていた。
 やがて疲れたのか、やりきれなくなったのか……司はうつむくと、アヤメから手を放した。背を向け、元のように階段に向かって歩き出した。無駄なのだ。今更アヤメに何をしたって……もはや戻ってはこない。ずたずたに引き裂かれた、彼のちっぽけなプライドは。
 司の足が、階段の最初の一段にかかった。
「……ツ……カ…サ……」
 司は顔を上げた。声は背中からかかった。振り返る? 怖かった。後ろを見るのが怖かった。それを見た瞬間、それを確認した瞬間、自分が不要になるような気がした。自分はどこにもいない、死者になるような気がした。
 それでも、振り返らないわけにはいかなかった。そして彼は見た。ゆっくりと開く。アヤメの口が、喉が、舌が、少しずつ、一つずつ、言葉を紡ぐのを。
「ツカ……サ……」
 聞こえた。はっきりと。アヤメがしゃべったのだ。
 
 司はアヤメを抱きしめた。自然と両目から涙がこぼれてきた。よりいっそう、司は腕に力を込めた。涙は止まらなかった。
「ごめん……ごめん、アヤメ……」
 かすれる声で、司はかろうじて言葉を紡ぎだした。今度は自分が話せなくなりそうだった。でもそれでもいいのかもしれない。そんな気がした。
「ありがとう……わかったから……
 ……俺、ちゃんと全部わかったから……」
 アヤメは嬉しそうに司の言葉を聞いていた。そしてその胸に顔をうずめ、小さく呟いた。
 司の言葉を真似して、「ごめん」と。そして「ありがとう」と。
 
 月光が、二人を包み込んで優しくきらめいた。

THE END.