ARMORED CORE PROJECT PHANTASMA
あれはもう、三年も昔のことになるだろうか――
わたしは、スミカ・ユーティライネンは、まだ十八歳の子供だったし、彼もまた一つ年下の若き少年に過ぎなかった。
彼は画家になることを夢見る少年で、わたしはレイヴンだった。わたしは彼の絵が好きだった。彼の絵には、とっくに滅びてしまった楽園のような地上世界が、色鮮やかに描かれていた。目の覚めるような青い空。心に優しく触れる暖かな緑。降り注ぐ光。
わたしは、彼の夢を叶えてあげたかった。
当時のわたしはまだまだ駆け出しで、修理費と弾薬費ばかりがかさんで、手取りが雀の涙になることも少なくなかった。それでもなんとか、彼が自分の仕事に没頭できるように、ギリギリの生活ができるだけのお金を稼ぐことはできていた。
美しい彼の絵を見ることが楽しかった。自分の絵にはしゃぐわたしを見て、彼もまた喜んでいた。二人で手を取り合い、寄り添い、夜が来れば抱き合って眠った。
貧しくても、幸せだった。
でも、彼が湯水のように使う高級な画材を揃えておくことは、わたしの稼ぎでは無理だった。必要な時に必要な画材が手に入らないと、彼は目に見えて不機嫌になった。わたし自身楽しみにしていた絵も、完成しなくなった。
彼は、手持ちの絵の具を駆使して、なんとか絵を完成させようとしていた。でもそこには、いつものような生き生きとした色合いは、もはやなかった。
このままでは彼の夢が潰れてしまう。貧困が彼の夢を潰してしまう。
わたしは、決断した。
新しい強化手術の実験台を探していたウェンズディ機関と呼ばれる秘密組織に取り入り、わたしは自ら進んで実験台になった。結果、わたしは力を手に入れた。その気になれば、アリーナのランク10位以内にも入れるほどの、力を。
これでもうお金で困ることはない。わたしは、彼の待つ我が家に駆け込んだ。
彼は一枚の絵を完成させて、わたしを待っていた。
――黒一色で描かれた不気味な絵を。
MISSION#02 純禾
「ウェンズディ機関……それが、わたしを捕まえてた秘密組織の名前よ」
ツヴァイトはトラックを運転しながら、助手席にのってるスミカの言葉を聞き流していた。
あの後……
スミカがどこかに連絡を取ったかと思うと、いきなり救助チームが砂漠の真ん中にやってきたのである。連中は、砂の中からヴィーダーを引っ張り出すと、このトラックの荷台に積み込んで、そのままあっというまに去っていった。
なんていう準備の良さだ。そうとう手際のいい組織が、スミカのバックについてるとみえる。
ますますやっかいなことになりそうな予感がするのである。
おまけにトラックを運転させられるはめにもなるし。
最初はスミカが運転すると言っていたのだが、丁重にお断りしたのである。やつの運転する乗り物には金輪際乗りたくない。まっぴらごめんである。
「でね、そいつらが研究していた、新型兵器の開発計画が、プロジェクト・ファンタズマ……ねえ、きいてる?」
「へえへえ、聞いてますよ」
「ウェンズディ機関は、お得意様だったんだけど……ちょっとやりくちについていけないから、奴らを潰そうとしてる別の組織に協力する契約しちゃったの。それがバレて、わたしまでファンタズマ計画の実験台にされそうになって。で、なんとか隙を見計らって、あなたたちに依頼のメールを出したってわけ」
「自業自得じゃねえか」
スミカがむっとしてツヴァイトを見る。ツヴァイトはしらんぷり。別に、間違ったことを言ったつもりはない。
「生きたまま人間を切り刻んで、喜んでるような連中よ? 人としてほっとけないでしょ」
「今日日どこでもやってることさ。ニーズがあるからそういう連中が増えてくる。ニーズは人類みんなの連帯責任、だ。文句言えた筋合いじゃねえよ」
「ああそう! そうですか! 達観してらっしゃるんですわね、ツヴァイト先生は!」
すっかりすねてしまったスミカが、ぷいと向こうを向く。いい年して、ガキみたいなすねかたしないでほしいもんである。ツヴァイトは溜息を吐きながら、アクセルを踏み込む。トラックは道なき道を疾走し、なにやら妙な区画に紛れ込んできた。
これは、大破壊以前の都市遺跡だろうか。石造りの壁や、土が剥き出しの悪路が、それなりに整然と並んでいる。一度ホウシァン・シティのアジア街に行ったことがあるが、インディアン・ストリートの埃っぽい街並みが、ちょうどこんな感じだった。
「そこっ! 左っ!」
横からスミカが怒鳴る。まだ機嫌がなおらないようだが、そのくせナビだけはするちゃっかり者である。
「アレの中に停めてね!?」
「おい……アレってなんだよアレって」
「アレはアレよっ! お城のことです! わかれそんくらい!」
……誰がわかるか。
まさか、正面に見えてきた大きな古城……石造りの旧跡が、目指す隠れ家だなどと。
こいつはすごい。
ツヴァイトは素直に舌を巻いた。
アーチ型になった城壁の門をくぐり抜け、城の中にトラックを乗り入れてみれば……そこは、古ぼけた外見からは想像もつかない、現代風の空間だった。
辺り一面に張り巡らされたクロムの内壁。いくつものリフトやキャットウォーク、作業用の小型MTが並び、厳重に電子ロックが施されているらしいドアもいくつかみえる。
ガレージ、である。それも、どこぞの大企業の基地か工場にあるような、大規模の。よくもまあ、旧跡をここまで見事に改装したもんである。
「……歴史的遺産を保存する、って考え方はないもんかねえ」
トラックから降りながら、ツヴァイトは呆れ半分感心半分に呟いた。
「ゴミのリサイクル、って考え方はあるのよ」
助手席から降りてきたスミカが、いつの間にか隣で笑っている。さっきまでぶうたれてたのはどうしたんだか。
「下に見せたい物があるの。ついてきて」
言われるままに、ツヴァイトはスミカの後に続く。エレベーターに乗り込み、下向きの気持ち悪い加速度を感じながら、ツヴァイトは辺りに油断なく目を配っていた。エレベーターの内装や、コンソールの配置などに特徴がある。さっきのガレージにあったMTも……
「ファンタズマ計画のことは、まだよくわかってないんだけど」
不意にスミカがこちらに視線を送った。ツヴァイトは何か見とがめられたような気分になって、どきりとする。
「新種の強化人間技術を応用した新兵器システムらしいの。そういうのがほっとけないっていう企業は、たくさんあるわけ」
「それがあんたのバックってわけだ」
スミカは最後のセリフを横から奪われて、にこりとした。
抗菌コートの内装。そして、ちょっと位置が低すぎるコンソール。そう、ツヴァイトには低すぎるが、スミカには丁度いいくらいの高さ。ガレージにあったのは、流線型をモチーフにした外見のMT。
きれい好きで、背が低くて、流れを好む民族のためにつくられた技術だ。
エレベーターが止まった。ドアが開いていく。
真っ暗で、上よりもさらに広そうな空間が広がっている。スミカはエレベーターの灯りを頼りに、壁のスイッチに歩み寄る。
「これがわたしのAC」
天井灯が白く輝く。
「コーラルスターよ」
そしてツヴァイトは息を飲んだ。
そこに、一機のACが立っていた。細身の体に、流線型の装甲板。どれもこれも一般には出回っていないパーツばかり。
「おいおいこりゃあ……有明かっ?」
「有明」。ムラクモの虎の子である。市販のレイヴンズネスト規格とは全く異なる、ムラクモ独自の規格に基づいたACで、当然、ムラクモの防衛部隊くらいでしかお目にかかることはないはずの機体だ。
しかも有明は、シリーズ機体である「陽炎」「不知火」「狭霧」その他のベースとなる基本形だけあって、特に情報の漏洩には気を遣われているはず。
要するに、まっとうな手段でレイヴンの手に渡るような代物ではないのである。
「ずいぶんいい玩具だな」
「まーあねー。とにかく、これでわかったでしょ。わたしのバック」
わからいでか。
ムラクモ・ミレニアム社。現状で唯一、世界最大勢力を誇るクローム社に相対しうる、世界第二位の巨大企業複合体だ。
あの、日本人向けのエレベーターやMTも、全てムラクモ製ってわけだ。
「報酬はムラクモが保証するわ。だから、わたしに手を貸して。わたしは絶対に、ウェンズディ機関を潰して、ファンタズマ計画を止めたいのよ」
なるほど、確かにムラクモなら報酬は保証されている。少々の危険を覚悟ででも、受ける価値のある依頼といえる。
しかし。
それよりも、ツヴァイトはさっきからずっと、聞きたくて仕方がないことがあったのだ。
「そのまえに、一つ聞いていいかな」
「なに?」
「……こいつは、なんだってこんな色をしてんだ?」
コーラルスターと名付けられた「有明」の装甲板。真っ白な灯りに照らされたその色は。
ド派手な蛍光ピンク。
スミカは目をぱちくりさせて、さもそれが当然といわんばかりにズバリ答えた。
「女の子だから」
「実家に帰らせていただきます!」
スミカみたいなセリフを叫んだのはツヴァイトである。エレベーターで上に上るや否や、つかつかとヴィーダーの方へ歩き出す。必死に腕にすがりつくスミカをずりずり引きずりながら。
「あーんちょっとおー! もう少し話きいてよー!」
「うるせえきいてられるか! 何が女の子だからだふざけんなっ!」
「ピンクはコーラルの色なのよ! テレビでやってるでしょ珊瑚の少女コーラルライン! 変身してドリルで戦う魔法少女なんだから! いまはやりなのよちょーかっこいいのよそんなことも知らないのうっわーやっだーおっくれってるゥー?」
「意味わかんねえよ!? だいたいあんな色の機体で出撃してみろ、百キロ先からでもあっというまに見つかるだろうが!」
「それはまあ、おいといて」
「置くな!」
「なによなによっ! いいじゃない色くらい、趣味なんだから!」
ちぇっ、とツヴァイトは舌打ちを一つ。
いきなりスミカを腕から剥がし、その胸ぐらをひっつかんだ。真剣で鋭い、ツヴァイトの視線。さっきまでとはうってかわって、低く押し殺した声でツヴァイトは言った。
「じゃあ、オレはおまえの趣味で、命を危険にさらすってのか?」
スミカが息を詰まらせた。瞬間、その目に怯えたような、後悔の色が走る。
もうこれ以上言う必要はなさそうだった。ツヴァイトはスミカの胸ぐらから手を放した。数歩たたらを踏んでスミカは立ち尽くし、悔しそうに俯いた。
……ちょっと、きつく言い過ぎたかな。
後悔がツヴァイトの頭を駆けめぐる。どうも苦手である。こうやって涙目になってただ俯いている女の子というのは。間違ったことは何一つ言っていないつもりなのだが、なぜか、自分が悪いことをしたような気分にさせられる。
「色のことは、その……」
スミカがようやく顔をあげ、ぽつりと呟いた。
「でも、報酬はちゃんと払うから……お願い、わたしには、あなた以外に頼る人が……」
他に頼る人がいない、か。
それは確かにそうだろう。有明を回されるほどムラクモに深く取り入ったレイヴンなんていうのは、ネストからみればネストを仲介しない直接契約を結びかねない厄介者、他のレイヴンからすれば妬みの的だ。かといってムラクモは、レイヴンなど使い捨ての便利なコマくらいにしか思っていないだろうし。
孤立無援。辛い立場だろうとは思う。
だが、それなら、ツヴァイトは一体誰を頼るというのだ?
「悪いな」
ツヴァイトは正直なところを口にした。
「あのスティンガーとかいうのが出てきたら、次は勝つ自信がねえんだ。もっと腕のいいレイヴンを見つけてくれ」
それが、本音だった。
一回目だからこそ通じた奇策もあった。スティンガーの腕と、ヴィクセンの性能に、二度と勝つ自信は、正直な所全くないのだった。
ツヴァイトは溜息を吐いて、トラックの荷台のハッチに手を掛けた。さっさと中のヴィーダーを引きずり出して、最初の救出の報酬だけ頂戴して、アイザックに帰るつもりだった。
これ以上ここにいると、情が移ってしまいそうだった。
「ツヴァイト!」
スミカが悲鳴にも似た叫び声をあげる。
「いま、この瞬間も……やつらの実験台になって、苦しんでる人たちがいる。痛みに泣いている人がいるのよ! それを……助けようとは思わないの!?」
ツヴァイトは一瞬ためらい、そしてハッチを引っ張った。
「不器用なんでね」
ハッチは開かない。ずいぶん固く閉められているようだ。今度は両手で取っ手を握り、力一杯に引っ張る。
「他人のことまで……頭がまわら……」
開かない。さらに片足を支柱に引っかけ、腿の力を総動員して渾身の力で取っ手を引っ張る。
「ねぇぇぇぇ……なぁぁっ!?」
……やっぱり開かない。
「なんじゃこりゃあっ! 一体どんだけ固いんだこのハッチはっ!」
「ふ……ふっふっふっふっふ……」
不気味な笑い声が聞こえる。もちろんスミカの笑い声。嫌な予感が背筋を走る。いつぞやにシャトルのコックピットでスミカ自身がそうしたように、今度はツヴァイトがぎぎーと首の筋肉を鳴らしながら振り返った。
「ふっ……ふはははははっ!」
スミカが高く掲げた右手に、燦然と煌めくリモコンスイッチ。
「たぁぁぁわけものめえぇぇぇっ! トラックの荷台は完! 全! にロックさせてもらったわぁッ!」
さっきまで涙目だったと思ったら! まるで悪の大魔王みたいなセリフを叫びながら胸を張る。
「てめえッ! なにしやがる!」
「ほーっほっほっほ! 依頼を受けてくれるまでACは返しませーん!」
「ふっ、ふざけんなよ貸せそのリモコン!」
つかみかかろうとしたツヴァイトをひょいとかわし、スミカはにやりと不適に笑う。そしてシャツの胸元をはだけて、胸の谷間にそのリモコンを挟み込んだ。そのまま再び胸元を閉じる。
「あっ!」
「さーあ奪えるもんなら奪ってみなさい! ほぉーれほれほれ服でもひっぺがしてみますかぁ〜やっだーすっけべーへんたいー色欲魔ー」
「こ、こンの野郎ッ……!」
ツヴァイトの握り拳がぷるぷる震える。ツヴァイトの性格を見抜いた見事な戦術である。ツヴァイトは純情である。純情オヤジである。間違っても女の子の服をむりやりひっぺがしたりおしたおしたりなどというハレンチな行為はできない男なのである。なんせついこの間だって15歳の女の子に見事にぼったくられたばかりなのである。
「さぁーってと! 車、出してくるね!」
「……ああ?」
もう怒っていいんだか呆れていいんだかもわからなくなったツヴァイトに、
「買い物、行くの。二人分の食糧、買ってこなきゃ」
スミカは、にっこり微笑んだ。
「ねっ!」
きゅいぃイイイイん。
最初は一体なんなのか分からなかったその音が、壊れかけた「陽炎」の駆動音なのだということに気付いたのは、奴の機影を見てからだった。
アイザック・シティ直上、旧世代市街地ジリエラ・ビル屋上。あの夜、オレは、けったくその悪い依頼を受けて、そこにいた。
アイザック直上の旧世代市街地は、大破壊以前に作られた古いものだ。大破壊から50年、ずっと放置されていたために、ビルというビルは全て朽ち果て、無惨な姿で永遠の眠りについている。コンクリートとクロムの外壁に這い回る緑の蔦が、まるで優しく包み込む毛布のようだった。
その中にあって、今なお朽ちていない超巨大ビルがあった。三つの超高層ビルが、お互いを通路を支柱によって支え合っている構造。考え得るもっとも頑丈なその構造のおかげで、大破壊の脅威を辛うじてくぐり抜け、いまなお往時の隆盛を偲ばせる姿を保っている。
それが、ジリエラ・ビルだった。
あの夜、オレは、そこにいた。
危険な場所だった。いかに頑丈な建物とはいえ、50年雨風に晒され、メンテナンスの一つも受けていないジリエラ・ビルは、いつ崩れてもおかしくない状態だった。重量級のヴィーダーがその上で暴れ回るには、いささか心もとない足場といえた。
崩れれば、上空300mの屋上から、地上までまっさかさまだ。身震いがした。
だがやらねばならない。
オレは、奴を止めねばならないのだ。
「陽炎」が、Cビルに立つこちらの様子をうかがいながら、AビルからBビルに飛び移った。ちょうど正三角形を描く位置にそびえる三つのビルだ。この移動に、位置取りのうえでの意味はほとんどない。まるで、300mの奈落を飛び越えることを、楽しんでいるかのよう。
やはり、狂っているのか。
プラス――次世代レベル強化人間の、暴走した実験台を抹殺する。それが今回の依頼だった。依頼主はムラクモ。報酬は格安。まっとうな依頼じゃない。
それでもオレは、受けざるを得なかった。
ムラクモの依頼文にあった実験台の名前は、オレのよく知っている名前だったからだ。
レイヴン・ヴェントゲーエン。
本名を、クロード・クラインという。
オレの弟だった。
「クロード!」
きゅいぃイイイイん。
オレの叫びに、答えたのは不気味な駆動音だけ。
レーダーに反応。
「正気に戻れ! クロードッ!」
なんて虚しい叫びだったんだろう。それは、悲鳴にも似て――
陽炎が、オレに
「ツヴァイトっ!」
それてツヴァイトは我に返った。
爽やかな音楽と、水着を着た女の子。そういう、ビールのプロモーション・ホロが投影される、スーパーマーケットの一角。気が付いたら、ツヴァイトは冷蔵庫とにらめっこしていたのだった。
「ねえ、聞いてる? トマト缶、取ってきてってば」
隣には、ピンク髪の女、スミカ。彼女が押してるカートの中には、あれやこれやの食料品がどっさり積まれている。
ツヴァイトは溜息を吐いた。なんでまた、唐突にあんな嫌な思い出がフラッシュバックしたのやら。
だが傍目には、ただぼーっと突っ立っていたようにしか見えなかったらしい。通り過ぎていくおばちゃんたちの視線が熱い。いや痛い。なんだかにやにや笑われてるような気がする。
どうやら、ショッピングを楽しむ女と、むりやりつき合わされてる退屈そうな男。そういうほほえましいカップルの姿に見えているようである。
「……勘弁してくれ」
「なに?」
「いや。トマトだな?」
肩をすくめてツヴァイトは缶詰コーナーに向かう。その背中にスミカの大声が届いた。
「カットのほうねー!」
わかった、わかったからそんなに大声出さないでくれ。なんとなく縮こまりながら、ツヴァイトはこそこそとカットトマトの水煮缶を取ってきた。
そのときふと、自分が何をしようとして冷蔵庫の前に立っていたのかを思い出した。ビールを買おうと思ってたんだ。見れば、ちょうどスミカが冷蔵庫の前あたりで、牛乳のパックを手に取っているところだ。
「おい、ビシャモン・ドライの青も入れといてくれよ」
ビシャモン・ドライは、緑のほうが苦い奴で、青のほうがすっきりした奴だ。ツヴァイトはどうも、いかにもビールビールした苦い奴は苦手なのである。
その時だった。
スミカが弾かれたように顔を持ち上げた。そして冷蔵庫に並ぶビシャモン・ドライの青と緑を見つめ――
そして、何も取らずに逃げるように肉売り場へ向かう。
「ああ?」
取り残されたツヴァイトは頭を掻きながら、自分で冷蔵庫に歩み寄り、ビシャモン・ドライ青のロング缶をつまみ上げる。
「なんだよ……取ってくれたっていいじゃねえの」
うずたかく積み上げられたキャベツの山を一つ一つ手に取り、熱心に品定めをする。いちばん中身が詰まっていて新鮮そうなのをようやく探し当てると、それを脇に抱えた籠に入れ――
そこではたとスティンガーは気付いた。
「……何をしているんだ、俺は?」
「買い物でしょ」
隣のエリィが、鼻にひっかけたミニグラスをいじくりながら、ジャガイモをまじまじ見つめ、スティンガーの持っている籠に放り込む。
例によって居眠りしていたところをたたき起こされ、まだ意識もはっきりしないうちに連れ出され……気が付いたらスーパーマーケットで買い物の手伝いをしているのだった。
血の臭いがぷんぷんする怪しげな男と、化学薬品の臭いを放つ怪しげな女。奇妙なカップルがここにも一組。通り過ぎるおばちゃんたちの視線が熱い。いや痛い。
スティンガーは、スーパーマーケットなどという場所が苦手である。むやみに人がたくさん集まるし、子供や女性ばかりでどうにも場違いに思えてならない。こういう場所に来ると、周囲の視線が気になって仕方がないのである。それはとてもとても面倒なことだ。
案外、小心者なスティンガーだった。
「どーせあなた、ほっといたらロクなもの食べないでしょ。あなたの体調管理もわたしの仕事ですから。責任持って手料理つくらせていただきます」
「このあいだ、おまえのカレーを食べて死にかけた」
「あっ……あれは、その、ちょーっとカレー粉と赤リンを取り違えただけじゃないですか!」
それはちょっとの取り違いなのか。スティンガーは大きく溜息を吐いた。
「過ぎたことをとやかく言うなんて男らしくないですよ。そもそも女の子が手料理つくってあげてるんだからウソでも喜びにむせび泣くのが男の義務ってもんです。たとえその結果死に至ろうとも!」
無茶苦茶な理屈である。そんな面倒な義務があってたまるか。
と、その時。
一人の男が、棚の向こうから姿を現した。男はエリィの隣まで歩み寄ると、棚に並んだジャガイモをまじまじと見つめた。かと思うと、やおら顔を持ち上げ、声を張り上げ、
「おぉいスミカー! ジャガイモ二種類あんだけどー?」
スティンガーとエリィは二人揃って凍り付いた。
どこかで聞き覚えのある声。
スーパーのどこかから、高い女の声がそれに応える。
「メークのほうー! はやくもってきてー!」
やっぱり。
男は、ジャガイモがいっぱいに詰まったビニール袋を持って、棚の向こうに消えていく。男の姿がすっかり見えなくなってから、スティンガーはぽつりと呟いた。
「……聞いたか」
「はい……」
「奴だな」
「たぶん……」
「今の男の声にも聞き覚えがある」
「だいたい想像つきます……」
間違いない。
スミカ・ユーティライネン。もとはウェンズディ機関に所属していた強化人間のレイヴンで、機関を裏切り、実験台にされた女。昨日脱走したばかりの女。
そしてもう一人。ついさっきまで、エリィの隣にいたあの男。
スミカの脱走を手助けした、レイヴン。
スティンガーの愛機ヴィクセンを、再起不能になるまでたたき壊してくれた、あのレイヴンだ。
スティンガーは手にした籠をそっと床に置くと、慎重に棚の影から向こうの様子をうかがった。並んで歩いている男女が見える。一人は派手なピンク色の髪をした女――スミカ。そしてもう一人の背の高い男が、さっきのレイヴン。
スティンガーは懐に手を入れる。指先に銃把の固い感触がある。
「うわあ、ほんとにスミカだ……何してるのよこんなところで」
くっついてきたエリィが、スティンガーと同じようにそっと様子をうかがっている。
「買い物、だな」
スティンガーは鼻息を吹いた。
「おい、本部に連絡しろ」
「しますけど……わたしたちはどうするんです?」
スティンガーは顔を引っ込めると、ひょいと肩をすくめた。
「仕事は、他人に任せるより、自分でやったほうが面倒がなくていい」
懐から電話を取り出していたエリィが、目をしばたたかせた。
「そう思わないか?」
ARMORED CORE PROJECT PHANTASMA
MISSION#02 "Sumika Juutilainen"
車を降りたツヴァイトは、誰かの視線を感じて、ふと後ろを振り返った。
ここはもう安全な古城の中。後ろに見えるのは閉まっていく城の門――にみせかけた最新式のシャッターと、それに狭められていく外の風景だけだ。朽ちかけた石造りの街並みが、夕日を浴びて、赤く揺らいでいる。
不気味で、切ない風景。まるで亡霊たちの住む、幻の街だ。遥か遠い昔に死んでしまった街。
そこに、生きている人間の気配はない。
「気のせいかな……」
ツヴァイトが呟くと、同じく車を降りたスミカが買い物袋をひょいと持ち上げた。見かけによらずけっこうな力持ちだ。
「何が?」
「いや……別に」
ツヴァイトの目の前でシャッターが完全に閉じた。それと同時に、城内の照明が一斉に灯る。あのまま置きっぱなしにしてあったトラックも、無事のようだ。もちろんその中ではヴィーダーが静かに眠っている。
「んじゃ、ばんごはん作ってくるから。ちょっと待ってて。仕事の話は、食事のあとにしましょ」
「おい、オレはまだ引き受けるなんて言ってねえぞ」
「さぁーて腕によりを掛けますかねー!」
「人の話を聞いてくれ……頼むから……」
小躍りしながら、スミカは奥の居住スペースに引っ込んだ。あれでもうすこしかわいげがあれば、いい嫁さんにもなれるというものだが。ツヴァイトは細く長く息を吐いた。どうもああいうタイプは苦手である。何をするにもとにかく振り回されてしまう。
しかし、それはともかく。
改めて、ツヴァイトはこの改造された古城の様子を見渡した。さすがにムラクモがバックについているだけのことはあって、そこらの中小企業がやるような安普請とは格が違う。そのまま軍事基地として転用が可能なレベルの、作り込まれた代物である。
おそらくは、遠からぬ将来、ここを基地に使う予定があるに違いない。スミカはそれに間借りさせてもらっているに過ぎないのだ。
――なぜ?
当然の疑問がついてまわる。
たかがレイヴンに提供する隠れ家としては、この古城はあまりに破格である。
ムラクモほどの企業ともなれば、ウェンズディ機関とかいったか、あの程度の研究組織、正面から踏みつぶすことも容易いはずである。わざわざ内部に囚われているスミカなどを抱き込んで、攪乱なり情報収集なりをする意味があるだろうか。確かに、スミカが裏切ったことで、今後予想されるムラクモによる侵攻は多いに助けられるだろうが。
クロームとのパワーバランスを気に掛けているのだろうか。大がかりな作戦を展開すれば、その隙をクロームにつかれる恐れもある。だからおおっぴらに動けないということか。
あるいは。
他に何か、ウェンズディ機関への侵攻作戦――あるいはウェンズディ機関そのものを、公表できない事情があるのか。
それはわからない。わからないが――
一つだけ、確かなことがある。
「今考えたってどうしようもねえよなあ……」
がっくりツヴァイトは肩を落とした。
「んーんー、んんっんーんんー」
鼻歌うたいつつスミカはエプロンを身につける。ついいましがた、買ってきたばかりのものである。ここには調理場はあってもエプロンはない。娯楽室はあってもテレビはない。缶詰レーションはあっても生野菜はないのである。これだから軍事施設というやつは困る。
買い物袋の中から、とりあえず今日使わない物だけ取りだして、冷蔵庫に放り込む。他の食品を一つ一つ確かめながら、今晩のメニューと、料理の手順に思いを馳せる。包丁、まな板、鍋、ボウルにザルと、あれこれ用意していくうちに、スミカは昔を思い出す。
昔。まだスミカが、ウェンズディ機関と関わっていなかった頃。
よくこうして料理をしたものだった。
彼のために。
ふと、スミカの手が止まる。
「んふっふふーん! ふふんふーんーんー!」
そして、やけくそ気味に鼻歌が大きくなった。
吹き飛ばしてしまいたかった。どうせ、今思い出したってなんにもならないことだ。そう思った。
そうやって自分の心を無理に押さえつけていたことが、隙を産んだのだろうか。
スミカは、背後から口を塞がれるまで、忍び寄っていたなにものかに気付かなかった。
かちゃり。
居住スペースに向かいかけていたツヴァイトは、弾かれたように顔を上げた。
チェンバーに弾丸が装填される音!
思うが早いか、床を蹴って横に飛ぶ。ついさっきまでツヴァイトのいた空間を、音速の鉛玉が裂いていく。クロム貼りの内壁にこだまする銃声。残響が大きすぎてどこから撃たれたのか特定できない!
ツヴァイトは転がりながら、ヴィーダーを積んだトラックの影に隠れ込んだ。すぐさま懐から銃を取り出す。安全装置を解除する。
敵にここがばれたか。やっぱりさっき感じた視線は気のせいじゃなかったというわけか。
慎重に顔を覗かせ、敵の姿を探す。この広いガレージは、金属製のキャットウォークが、壁の中程のところにぐるりと張り巡らせてある。だがあそこを歩けば大きな足音がしてしかるべきだ。
なら……いくつかある作業用MTの影。あるいはこのトラックの裏側にいるのか。
冷や汗が、ツヴァイトの額を流れ落ちる。
ゆっくりツヴァイトはしゃがみ込んだ。トラックの車体の下から、向こう側の様子をうかがう。タイヤが六輪。特に人の足のようなものは見あたらない。となればやはりMTの影にいるのか。
と、その時。
ツヴァイトの手に、何か黒いものが落ちてきた。
影。
その瞬間、ツヴァイトは床を蹴って飛び退いた。真上からうち下ろされた銃弾が、床のクロムに穴を穿つ。転がって、起きあがりざまにツヴァイトが反撃。銃口の狙いは、トラックの荷台の上。
荷台の上の人影が、舌打ちをしながら飛び降りる。ツヴァイトの放った銃弾は虚しく空を切り裂いて壁に食い込むのみ。人影は落ちながらもツヴァイトに向かって連射する。着地の隙をつかせないつもりだ。ツヴァイトも負けじと横っ飛びしながら、適当な狙いで数発引き金を引いた。
壁。床。トラックのサイドミラー。けたたましい音を立て、プラスティック製の鏡が割れて飛び散る。
そして二人は凍り付いた。
互いの銃口が、真っ正面から互いに狙いをつけている。しかもこの距離。お互いに、指先の動きを見てから回避しても、ギリギリ銃弾が避けられるかもしれない距離。撃てば倒せるかもしれない。だが、避けられ、逆にその隙をつかれる恐れも多分にある。そんな距離。
うかつに動くわけにはいかない。ツヴァイトはじっと人影を見つめた。
銀色の髪をした、長身の男。射抜くような切れ長の目をしている。そして全身から放つ、隠しようのない殺気――血の臭いは、ツヴァイトの鼻をしたたかにつく。ツヴァイトは腹の底から込み上げるものを感じた。
同族嫌悪。
ツヴァイトは直感した。この男は自分と同種の人間。人の屍肉を喰らうレイヴン。
奴だ。
「スティンガーとか言ったな」
ツヴァイトは、膝立ちのしせいから、そっと立ちあがった。同時に、奴も崩れた体勢をゆっくり立て直している。
「なぜ、俺だとわかった?」
奴は――スティンガーは、不思議そうに眉をひそめた。
「雰囲気でね。いかにも突き刺しそうな空気してるよ、あんた」
スティンガーが口の端から笑みを漏らす。
お互いに体勢を立て直し、今度は互いの隙をうかがう段階に移行する。むやみに動くのは不利。とはいえ、いつまでも固まっているわけにもいかない。なんとか隙を見つけて先手を取りたい。
「面白いことを言う奴だ。名前は?」
一瞬ためらってから、ツヴァイトは口を開く。
「ツヴァイト」
「そうか」
スティンガーは何の感慨も籠もらない口調で、淡々と言った。その右手の銃は、ぴくりとも動かず、ツヴァイトの脳天を捉えている。
「感謝するがいい」
「……あ?」
スティンガーが肩をすくめ――
「面倒だが、墓標くらいは立てておいてやる」
「そいつは――」
その瞬間、スティンガーの銃口がわずかにぶれた。
――今!
「ありがとよっ!」
ツヴァイトが飛び込む。
すぐさま反応したスティンガーが銃弾を放つ。しかしわずかに狙いがずれ、ツヴァイトの服の裾を貫くに終わる。
計算通り。ツヴァイトは飛びながらトリガーを――
そのとき。
スティンガーの左手が、服の裾から隠しナイフを抜き取った。
「あーんもうっ!」
せっかく広げた食材もほったらかして、スミカは地下ガレージに向かう。その途中でエプロンを脱ぎ捨て、手近なMTの腕に引っかけておく。ド派手な蛍光ピンクのふりふりレースエプロンがひらひら揺れた。
「コマンド! ハッチ開放!」
スミカが放った特別な周波数の声は、コーラルスターの内部システムを起動する。コーラルスターのコックピット・ハッチが開き、取っ手のついたワイヤーが垂らされる。スミカはそれにしがみつき、一気にコックピットの中まで巻き上げられた。
シートに腰を落ち着けたかとおもうと、スミカの指がすぐさまコンソールの上を踊る。長年繰り替えし続けてきたからこそできる、人間離れしたスピードの起動作業。全ての手順が一分の狂いもなく正確にこなされていく。
【メインシステム・戦闘モード起動します】
オーケイ。
スミカは目を閉じ、操縦桿を両手で握った。フットペダルの遊びの感触。瞼を通して伝わってくるモニタの光。低いジェネレーターの唸り声。全てを肌で捉える。自分自身の感覚を開放する。
ACの外装へ、自分自身の皮膚感覚を、
「ダイブ!」
――ミスった。
ツヴァイトはうずくまり、呻きながら左腕を押さえた。スティンガーの投げナイフに切り裂かれた二の腕が、じくじくと嫌な痛みのパルスを放っている。
脂汗をかきながら見上げれば、にやりと笑ってこちらを見下ろすスティンガーの顔。肩をすくめた時の僅かな銃身のぶれ……あれも計算のうちか。全ては、左の隠しナイフの間合いにこちらを引き寄せるためのワナだったというわけだ。
まんまと一杯食わされた。まったく情けない話だ。
かちゃり。
音を立てて、スティンガーの銃口がツヴァイトの頭を捉える。
まずい。この距離ではとても避けられないし、自分の銃は下に降ろしたまま。
万事休すか。
スティンガーが引き金に指をかけ――
と、そのとき。
二人のすぐ横の床が突然真っ二つに裂けたかとおもうと、その下にぽっかり口を開けた穴の底から、リニアレールリフトに載った、巨大な人影が飛び出した。
「な……?」
スティンガーが絶句するのも無理はない。
ド派手な蛍光ピンクのアーマード・コア。
コーラルスター。
「スミカ!」
とツヴァイトが叫んだ瞬間。
『ツヴァイトあぶない!』
びったん。
コーラルスターの巨大な張り手が、まるで虫でも潰すみたいにツヴァイトの鼻先に振り下ろされた。
スティンガーは舌を打ちながら、すんでのところで転がって避ける。そのままコーラルスター目がけて銃の引き金を引くが、たかが拳銃程度で傷が付くほどACは柔らかくない。
もうひとつ舌打ちをすると、スティンガーはガレージから飛び出していった。
その間ツヴァイトは固まりっぱなしである。
「い……」
ようやく我に返ると、ツヴァイトはコーラルスターのカメラアイ目がけて指を突きつけ、
「いま鼻にかすったぞてめえ!!」
『いやぁー、ごめんごめん。でもあぶなかったから』
「こっちのほうが危ないわ! オレを殺す気か!」
『それはともかくっ! 敵のMT部隊が近付いてるみたいなの。逃げなきゃヤバいわ!』
ツヴァイトは立ち上がり、ジャケットを脱ぐと、シャツの裾を破って腕の傷口を縛る。古式ゆかしい応急処置だか、なにもしないよりはまだましだろう。
しかもこんなときにMT部隊の襲撃とは。ツヴァイトは肩をすくめて、
「オレもヴィーダーで出る。トラックを開けてくれ」
スミカは言われて初めて、ブラとおっぱいの間に挟みっぱなしになっていたリモコンのことを思い出した。シャツの上から、胸元の固い感触をそっと撫でる。
スミカはにやりと悪戯っぽく笑った。
「服、脱がしてみる?」
『自分で脱げ、自分で』
冷たい言葉。スミカはぷくっとほっぺた膨らませ、
「女の子は、脱がせてくれなきゃヤなの!」
「スティンガーっ!」
後ろから呼び止める声。スティンガーは、近くに止めておいた車を目前にして立ち止まった。
振り返れば、見慣れた顔。赤毛のメカニック、エリィ。
「あと二分でオーガーとジャヴェリンの部隊が到着します。さっ、わたしたちは逃げましょ!」
早口でまくし立てると、スミカは先に運転席に乗り込んだ。やけに急ぐその様子が、なにかスティンガーの意識に引っ掛かる。スティンガーはゆっくりと助手席に乗り込み、エリィが慌てて車を発進させるのを待ってから、低い声をひねり出した。
「……今まで、どこに行っていた?」
「あなたが心配だから、のぞきに行ってたんですよ。行き違いになっちゃったみたいですけど」
エリィは即答する。その声に澱みはない。
しかし――
「あと一歩のところで、スミカが救援に現れた」
「あら。じゃあ結局成果なしですか」
「ACでな」
エリィがちらりとこちらに視線を向ける。スティンガーは真正面をむいたまま、フロントガラスに反射する半透明の写像でそれを確認する。微かなアクション。それが産んだ、隙。その微かな隙間に、突き刺せるだろうか。意識を鋭く研ぎ澄ます。
「AC?」
少し遅れて問い返すエリィに、スティンガーは静かに答える。
「ACだ。スミカはツヴァイトを助けるのに、わざわざACを持ち出してきた」
「ツヴァイトって?」
「あのレイヴンの名だ」
「なんか、聞いたことありますね。アイザックのほうでは名前の知られたやつじゃないですか?」
二度目のアクション。こんどは視線ではなく、論理のアクションだ。
明らかだ。エリィは、こちらの思考の矛先を逸らそうとしている。
スティンガーは、それっきり押し黙った。
車は、朽ちかけた古代の都市遺跡の道なき道を、疾走した。
索敵索敵。素敵な索敵。
ヴィーダーを立ちあがらせるや否や、ツヴァイトは頭部コンピュータに索敵を命じた。ヴィーダーが装備している頭部は、高性能な電子戦向き装備である。おかげで一般的なAC用頭部パーツにくらべて、ずいぶんと頭でっかちなフォルムになってしまっているが。
弱電波クラックレーダーには、まだ反応がない。頭部のそれは、ACの戦闘距離における解像度に特化しているため、索敵範囲はあまり広くないのだ。仕方なく、ゲートを開いて表に出て、二連カメラアイによるレーザー三辺測量で敵の位置を測量する。
「北のほうに、3機……機種は……なんだろな、ありゃ。とにかく二脚型」
そしてヴィーダーが頭を巡らせる。
「西からも3機。逆関節タイプ。でかいシールドを前面に貼り付けてる」
ツヴァイトは知らないが、前者がオーガー、後者がジャヴェリンという名のMTである。
オーガーは目の覚めるような青の装甲板が印象的で、ジャヴェリンは前面に貼り付けた大型シールドの緑の塗装が良く映える。
距離はおよそ2キロ。あと1分で戦闘距離にエンゲージ、というところか。
『全部で6機? 厄介ねえ』
ヴィーダーの後ろに続いて、コーラルスターが城から出てくる。ツヴァイトはひょいと肩をすくめると、
「おまけに挟み撃ちって風体だぜ」
『どうするの?』
「背後を取られないように、お互い背中合わせで両面の敵と戦う」
敵は2タイプ。ツヴァイトは頭の中でざっと計算を巡らせる。おそらく動きが早いであろう二脚型のオーガーは、同じく動きの早いコーラルスター向き。逆に動作が緩慢だが防御力の高いジャヴェリンは、高火力のヴィーダー向きだ。
「よし。青いのは任せた。緑のはオレがやる」
フラッシュバック。
スミカの脳裏を駆けめぐる記憶の残滓。まるで亡霊のような後悔と憎悪が、スミカの意識を支配していく。青。緑。鮮烈なカラー。
『1、2の3で同時に行くぞ。いいな』
記憶の外から声がする。スミカは両目を見開いて、自分の両目と一体化したコーラルスターのカメラアイを凝らして、迫り来る敵の集団を見つめる。
灰色の塊。それが敵。
『スミカ? おい、聞いてんのか』
「わからない」
気が付けば、スミカはぽつりと呟いていた。
『……あ?』
「どっち」
わからないのだ。
「どっちが、青いの?」
記憶の外からまた声がする。
『何言ってんだ。見りゃわかるだろうが』
またそうやって、同じ事を言う。
あの時と同じ事を。
「どうして」
聞きたいのはこっちのほうだった。
「どうしてこんなことに……」
わたしにすがりついて泣く彼の姿は、哀れを通り越して、醜くさえ思えた。彼の涙が服に染み込んで、わたしの胸や腹を濡らしているのも、今はただ気持ちが悪いだけだった。どうしてこんな気持ちになったんだろうか。わずか一ヶ月ほど会わなかっただけなのに、それで気持ちが醒めてしまったというのだろうか。
違う。
違うはずだ。
「ぼくは」
彼はしゃくりあげながら、声をひねり出した。
「ぼくは、何も要らなかったのに」
どうして?
「ぼくの絵を見て……喜ぶ、君の笑顔が……それさえあれば、何も……」
うそつき。
いつだって苛立っていたじゃない。絵の具が足りないって。油が切れたって。下書き用の鉛筆もパンも、もう残っていないって。
どうして?
「見てくれよ、わかるだろう?」
彼は半狂乱になりながら、自分の描いた絵を指さした。黒と灰色だけで描かれた、不気味で汚らしい絵だった。そこには何のおもしろみも魅力もなかった。のたうち回る線は、デッサンも崩れ、構図も失敗していて、人らしきものの表情にも覇気がなかった。
ただ、べたべたと塗りたくられた、真っ黒な絵の具があるだけだった。
「あんなに鮮やかなんだ。青と緑が美しく調和してるんだ。今までで一番うまく描けたんだ! なのに……それなのに……」
再びわたしの胸の中に顔を埋めた彼を、わたしはそっと撫でた。
「わからないなんて……よりによって君が……君がわからないなんて……」
わたしの目は、手術で強化されたわたしの目は、その時すでに輝きを失っていただろうか。
「ぼくにはもう……描く意味もない……」
どうして?
わたしは、あなたのためにこんな体になったのに。
あなたのために、奴らに体を捧げたのに。
なのに、どうして?
「どうしてそんなことを言うの?」
「ん……」
スミカは小さく呻き、そして、
「んが―――――――!!」
ツヴァイトは思わず耳を塞いだ。通信機のスピーカーから響いてくるスミカの大声が、コックピットの中をビリビリ震わせている。
『あーもう腹立つ! むかつく! 青だか緑だかしらんが片っ端からぶっつぶしてやるわカーカカカカカカカ!』
「ああ!? おいちょっまっ」
やけくそ気味に叫ぶやいなや、ツヴァイトをほったらかして飛び出すコーラルスター。そのド派手な蛍光ピンクの機体が、真っ正面からMT部隊に突っ込んでいく。軽量級ならではの目にも留まらぬ速さで、あっというまに戦闘距離にエンゲージ。一人でどんぱちやらかしはじめる。
作戦もなにもあったもんじゃない。人がせっかく頭を捻って役割分担を考えたというのに。
「……オレはもうしらねぇぞ」
『フハーハハハ死ねェーい!』
そうこうしている間にも、コーラルスターはぴょんぴょん身軽に飛び回りながら、手にしたハンドガンで正確に敵の装甲を撃ち抜いていく。操縦技術は間違いなく一流。ツヴァイトも舌を巻く程だ。しかし――
挟み撃ちは挟み撃ち。コーラルスターを後ろから狙っているMTが一機。
――ほっとくわけにはいかないか。
ツヴァイトは大きく溜息吐くと、狙いを定めてトリガーを引いた。
わたしがある日、仕事を終えて家に帰ると――
彼の姿は、もうどこにもなかった。
彼の荷物と、彼の作品と、彼の画材道具と、そして彼自身。わたしたちの――いや、その瞬間からわたしの家となったその場所から、それらがきれいに消え去っていた。
結局、彼の求めた物は、わたしではなかった。
彼はわたしを愛したいのではなかった。
彼はただ、自分を認めてくれる人間が欲しかっただけ。
わたしに愛されたかっただけなのだ。
彼が出ていったことを知ったその瞬間、わたしの中で冷めかけていた彼への気持ちが、音を立てて凍てついた。彼を愛おしいと思う気持ちも、彼の役に立ちたいという気持ちも、彼の将来を案じる気持ちも――全てが冷たい氷の塊の中に封じ込められた。
それでも、人の心というのは、部屋を掃除するようにはきれいにならない。
たとえくすぶっていた火が完全に消えたとしても、凍り付いた残りカスだけが、ずっとわたしの中に居座り続けていた。
今も。そしてたぶん、これからも。
わたしは、幸せではなかった。
幸せになるために強化手術を受けたはずなのに、なぜか、幸せではなかった。
自分の手に余る力を求めた、代償がこれだろうか。人は、自分の手で掴めるものしか掴んではならないのだろうか。神さまか、あるいは悪魔に、救いを求めてはならないのだろうか。
そうなのかもしれない。少なくともそれは、わたしにとっての真実のように思えた。
わたしは組織を裏切ることを心に決めた。
パチパチと、焚き火の木切れが音を立てている。
オレンジ色の炎に照らされながら、ツヴァイトはごろりと横になった。
木々もまばらな森の中に隠した、ヴィーダーとコーラルスター。その足元で、キャンプをはる男と女。これがリゾートなら、女の子を抱き寄せたりして、いろいろ楽しむこともあるというものだが。
「これじゃまるっきり、落ち武者だもんなァ……」
また、ツヴァイトは溜息を吐いた。
さっきの戦闘で、ヴィーダーもコーラルスターもあっちこっちに被弾している。このまま動かすのは危険な状態だ。おまけに、あの古城はもう使えない。敵に位置を知られてしまったのだから、長居をするわけにはいかない。
だから、敵のMT部隊をなんとか全滅させたあと、這々の体で逃げてきたのである。スミカのバックについている組織との合流地点。ここで待っていれば、明日には補給と修理が受けられる。
ふと、ツヴァイトは、焚き火の向かい側で膝を抱えて座っている、スミカの顔を見やった。
MT相手に大暴れしたかと思いきや、さっきからすっかりしょげかえってしまって、ほとんど口をきこうともしない。火を焚いてからは、何かに取り憑かれたかのように、炎の揺らぎをじっと見つめている始末である。
ツヴァイトは頭を掻いた。どうも苦手だ。こういう空気は。
なにか話して景気をつけなきゃ。そんなふうに焦るから、ついどうでもいいことを聞いてしまう。
「あのよ」
「なに」
スミカはぽつりとそう返した。ますます空気が重い。
「なんでさっき、オレの話を聞かなかった? あれでも有効な戦術を考えたつもりじゃあるんだぜ」
スミカはちらりとツヴァイトを見ると、それっきり、再び火に視線を落とす。答えるつもりはないってことか。ツヴァイトは諦めて、そのまま眠ろうと目を閉じた。
「きれいだと思わない?」
片目を開けて、ツヴァイトはスミカを不思議そうに見やる。その瞳の中で、逆さまにひっくりかえった炎が揺れている。
「……あ?」
「火」
ツヴァイトは、起きあがった。なにかスミカが話したがっていることは、ツヴァイトにもわかった。寝たまま聞いていいような話でないことも。
「わたしね、色がわからないの」
「色?」
「色盲ってやつ。強化手術を受けたとき、副作用でそうなった。どんな色も、全部灰色か黒か白にしか見えないの」
そういえば、とツヴァイトは記憶を探る。いくつか思い当たるふしもある。あの時、それぞれの役割分担を敵の色で指定したから、スミカにはそれが理解できなかったというわけだ。
「唯一わかるのが、明るい赤系の色だけで……コーラルスターとか、この髪とかも、それで染めたんだ。ほらー、なんか鏡見た時にさ。だっさいじゃない? 灰色ばっかりだと。それでね」
と、スミカはにっこり笑ってみせる。無理して笑っているのが、ツヴァイトの目にも明らかだ。
だが、それを聞いてどうしろっていうんだ。ツヴァイトは真剣な顔をして話を聞きながら、何も声をかけられない自分を呪った。自分なんかに、そんな話をするスミカをも。
「強化人間……だったのか」
やっと声が出たとおもえば、こんな言葉。
「まあね。前に、画家志望の男の子と一緒に暮らしててさ。彼の趣味ってのが、これまたお金がかかるわけ。わたし、あんまり腕が良くなかったし、貧乏してたから……彼のためにと思って、つい」
「画家?」
「うん。だから、手術のせいでこんな体になって。彼の絵、好きだったんだけど、それも理解できなくなって。それが嫌だったんだろうね。彼、そのあとすぐに出て行っちゃった」
「勝手な男だ」
吐き捨てるように言ったツヴァイトに、
「そんな風に言わないで」
スミカの低い声が返ってきた。
「それでも、好きだったんだもん。その時は」
つくづく自分が嫌になる。
しばらく二人とも、押し黙っていた。ツヴァイトはもう何も言えなくなっていた。自分が口を開けば開くほど、スミカの傷口が開かれていくように思えたから。
だが、スミカが傷口を開きたがっているように見えるのは気のせいだろうか。血を流したがっているように見えるのは。そしてそれが事実だったとして、一体どうするべきなのだろう。傷口を開いて悪い血を流させてやるべきなのか。それとも優しく包帯を巻いて、全てを塗り込めて隠してしまうべきなのか。
悩むツヴァイトよりも先に口を開いたのは、スミカの方だった。
「やっぱり、だめなんだよ。人間の体は、無理矢理作り替えちゃいけない。そんなことしたって、不幸になるだけなんだ。人間は、自分の手でつかめるものをつかまなきゃいけない。自分の足で歩ける所を歩かなきゃいけない」
スミカはただじっと、炎を見つめている。
「神さまになろうなんて思っちゃいけない」
その指が白むほど、固く拳を握りしめて。
「だからわたしは組織を潰す。あんな組織、あんな技術、この世にあっちゃいけないんだわ」
ちぇ、とツヴァイトは舌打ちをした。
再びごろりと寝ころがる。地面に敷いた保温シートが、ごつごつした土の感触を和らげてくれる。寝返りを打ってスミカに背を向け、できるだけぶっきらぼうに聞こえるように、気を付けながら声を出した。
「15万だ!」
「え?」
驚いたスミカが、顔を持ち上げたような気配がした。
「手伝ってやるって言ってんだよ! 潰すんだろ、その、チューズデイ機関とかなんとかいうのを」
「ウェンズデイ」
言われてツヴァイトは顔をしかめる。どっちでもいいじゃないか。火曜日だろうが水曜日だろうが。
背中の方で、がさごそ音がする。スミカが近付いてくるのが、気配でわかる。なんとなく気恥ずかしくなって、狸寝入りを決め込んでいると、耳に暖かな吐息の感触が伝わってきた。
「ありがと、ツヴァイト」
耳元で小さくそう囁くと、無精ひげだらけのツヴァイトのほっぺたに、そっとキスをして、スミカは飛ぶように自分の保温シートに逃げ帰った。
ツヴァイトが寝返りのふりして、スミカの様子をうかがうと、すっかり毛布にくるまって芋虫みたいになったスミカが、こっちと同じく狸寝入りを決め込んでいる。
まだ唇の感触が残っているほっぺたを、人差し指でぽりぽり掻いて、ツヴァイトはひょいと肩をすくめた。
そして心で誰かに問いかける。
――ばかなこと、してると思うかい?
薪がはじけて、それに答えた。
to be continued.