そこは暗かった。
深く、深く、他に何もない、純粋の闇。
何の混ざり物も存在しない、完全な黒。
その中で泣いている、小さな青い髪の女の子―――
(ああ、あれはわたしだ)
ユーミルは漠然と、そう思った。
「何で、泣いてるの?」
彼女はそっと、過去の自分に声をかける。
青い髪の小さな女の子は、泣きはらした赤い目でゆっくりとユーミルを見上げた。
「みんな…死んじゃった」
「ここは大丈夫だよ。ついててくれる人が居るから…」
ユーミルは優しく、そう言った。
「ほんとに?」
「ほんとに」
ユーミルはそっと、昔の自分に応えた。
「だから、わたしは大丈夫」
遠くから、呼んでいる声がした。
第5話「病院にて」
「あ、姉ちゃん!」
最初にユーミルの視界に飛び込んできたのは、彼女を覗き込んでいたリットの顔だった。
どうやらここは病院らしい。
「おっちゃん、姉ちゃんが目覚ましたぜ!」
「何っ!」
ものすごい勢いで扉を開け、病室に飛び込んできたのはガルド。
そしてもう一人、意外な人物がいた。
「大丈夫かい?ユーミル」
「え…?ビリー!?」
さすがにユーミルも驚く。
彼が来ているとは思いもしなかったからだ。
「ビリーも来てくれたの?」
「君をあの仕事に向かわせたのは僕だからね」
「うちの姉ちゃんは大丈夫だ、って言ってるのに、それでもいいからとか言って見舞いに来てたんだぜ」
リットがからかうように言うが、
「なあ、姉ちゃん大丈夫かな!?と、そればっかりを聞いていた君に言われたくはないね」
ビリーがあっさりと切り返す。
その時だった。
「馬鹿野郎!何で俺を呼ばずに一人で出た!?しかもサーチャーなんかで!」
ガルドがいきなり怒鳴ったのは。
「そ…それは…」
たちまちしゅんとなるユーミル。
「ガルド、出かけてたし…邪魔しちゃ悪いかな、って…」
「変な気遣いやがって…」
「それに、サーチャーだと、出費があんまりかからないし…」
サーチャーは実弾武器を一切装備していない為、弾薬費が一切かからない。それが、ユーミルが一番戦闘力が低いサーチャーをよく使う理由だった。
「………」
ユーミルが報酬のほとんどを孤児院に寄付しているのを知っているガルドは、何も言えなくなってしまった。
「でもさ…姉ちゃんが死んだら、寄付なんか出来なくなるじゃん」
そう言ったのはリットだった。
「だからさ…もっと自分を大切にしてくれよ」
「リット……ごめん、心配させて」
さすがにリットはガルドより付き合いが長いだけはある。
ユーミルは素直に謝った。
「今後は、サーチャーは使うな。お前はバスターで出ろ」
ガルドがそう言い放った。
「え?」
「どうせサーチャーは大破したんだ。バスターを使うしかないだろう」
「うん…分かった…」
ユーミルはうなだれながらも、了解した。
インフィニティア・バスターは一対多数の戦闘を想定された重装高火力ACだ。
その戦闘力は、サーチャーの比ではない。
しかし難点があった。
ほとんどの武器が実弾兵器だという事である。
そのため弾薬費が大量にかかってしまうのだ。
その時、ビリーが口を挟んだ。
「寄付?どういう事だい?」
「姉ちゃんは報酬のほとんどを孤児院に寄付してるんだよ」
リットが答える。
「……そうか、分かった。ならば今後、その孤児院は僕が面倒を見よう」
ビリーは突然そう言った。
普段の彼を知るものなら、自分の正気を疑うだろう。
彼が何の得にもならない事をやろうとするなど。
「でも…なんでそこまで…」
ユーミルが不思議そうに尋ねる。しかし、ビリーが口を開くよりもガルドの方が早かった。
「冗談じゃねえ。これ以上ユーミルに危ない橋を渡らせられるか」
そう言ってガルドはビリーに詰め寄った。
「君には関係ないだろう」
「あるな。ユーミルは俺の相棒だ」
またしても二人の間に不穏な空気が流れる。
「いくら個室だからって病院で喧嘩すんなよ…これでも大人?」
リットの呟きは無視された。
「いいか、教えてやる。こいつを襲ったのは、あのヴェルフだったんだぞ!」
ガルドが出したその名前に、ビリーが顔色を変える。
「ヴェルフ…だって?」
リットも知っていたらしく、かなり驚いているようだ。
「専属になった途端にこれだ。危険過ぎる」
「奴がユーミルを狙ったというのか…」
ビリーも深刻な表情になっていた。
「ねえ、ヴェルフって誰?」
ずどどどっ!!
男3人のずっこけた音がした。
「そうだな…ユーミルがそんな事知ってるわけねえな…」
達観したような表情のガルドに、思わずいじけるユーミル。
「な…なによなによ〜…だって知らないんだからしょうがないじゃない」
「姉ちゃん…レイヴンじゃない俺やビリーも知ってるのに…」
リットもさすがに呆れたような顔をしている。
一人笑っているのは、ビリーだ。
「いやいや、確かに。君らしいといえば君らしい」
何がそんなにおかしいのだろう?
「それって誉めてるの?」
「ああ、そうだよ」
「……ふ〜ん」
いじけるのをやめ、にこにこするユーミルだが…どう考えても、誉め言葉にはなっていない。
「レイヴン、ヴェルフ。
暗殺の依頼のみをこなす事で有名な、恐るべきレイヴンだ。
常に仮面を纏っており、その姿を見たものはいないらしい。
乗っているACは漆黒のAC、ヴェルフェラプタ―。
ヴェルフに狙われたものは必ず消されるとすら噂されている」
そしてにこりともせずに、ビリーはそう言った。
「まあ、とにかくやばい奴って事だ。関わらないですむならその方が良い」
ガルドがそう付け加えた。
それは暗に、これ以上ビリーに関わるとまた狙われる、と言っているのだ。
ビリーもそれに気付いたが、事実なので黙っている。
しかしユーミルは、そのことに気付いているのかいないのか、いつもの気楽な表情であっさりとこう言った。
「じゃあさ、また狙ってくるんだよね?」
「まあ、このままだとな」
何が言いたいのか分からず、ガルドは怪訝そうな表情を浮かべる。
「じゃあ…今回の借りは返せるって事でしょ?」
『何っ!?』
ガルドとビリーの声がハモった。
「だってさ、サーチャーの修理費はもらわないといけないし、あんな卑怯な手でやられたままで黙ってろなんて言わないよね?取り合えず、リベンジしなきゃ♪」
「姉ちゃん…やっぱりバカ?」
ぼそりと呟くリット。
それを聞き逃さなかったユーミルが問答無用でリットの頭をはたく。
「誰がバカよ〜!」
「姉ちゃんだよ!次は殺されるかもしれないってのに!」
「だいじょーぶ、わたしは蒼のユーミルだもん。今度会ったら、ヴェルフだかヴェルフェラプタ―だか知らないけど、あんな卑怯者吹っ飛ばしてあげるわ!」
「………」
ガルドは何か言おうとしていたのだが、ユーミルが腕を振り回して力説しているので、口を挟めずなかなか言えないでいる。
これを計算づくでやっているとしたら、ユーミルはすごい奴なのだが―――
天然なのですごくない。
「確かに…君なら、ヴェルフにも勝てるかもしれないな」
ビリーがそう言ったので、ますます調子に乗るユーミル。
「でしょ?あんな奴、バスターに乗れば楽勝っしょ〜!」
「おい…煽ってどうする…」
ガルドの呟きは、当然ながら誰にも聞こえない。聞こえたからといってどうにかなるものではないが。
「しかし、まずは怪我を治すことが先だ。いいね?」
ビリーが言い聞かせるように言う。
「うん、分かった。待ってなさいよヴェルフ〜!!」
事態がどんどん厄介な方向に流れていくのを見ながら、どうにも出来ないガルド。
「おいおい…どうなるってんだ、一体…」
取り合えず、静かになったのは1分後。
看護婦さんの、「病院で騒がないで下さい」の一言だった。