AC3 ANOTHER STORY


           三章 Lelvon there the light target

 幅が自分の身長ぐらいの扉を前にして、アヤはそれに数回右手でノックした。
 すると中から「入りたまえ」と、低いにごった男の声が返ってきた。
「失礼します」
 アヤは扉を開け(ちなみに自動ドア、近くのボタンを押せば開くシステム)、中に入ってすぐに一礼をした。
 部屋の中は何もない空間が広がっており、物といえる物は扉からまっすぐ奥にある、普通の机を三個並べたぐらいの大きなデスクがあるだけ。さらにその奥に、街が見渡せる人よりもはるかに大きな窓が並んである。
 ここは、アヤがよく知るおじさんの部屋だ。
 しかし、正確には少し違う。なんといっても、今アヤの目の前にいる人は――アヤが「おじさん」と呼称する人物は、グローバルコーテックス情報部の司令塔を勤める社長なのだ。
 つまりここは社長室。この会社の中で、一番と謳われる場所なのだ。
 アヤは社長……おじさんのデスクの前まで歩く。おじさんは窓の外を眺めていた。
 昔軍隊に入っていた事を証明させる、もう中年が終わりに近づく年とは思えないがっしりとした体格。ぴったりと決まった白いスーツが、とても似合っていた。
 おじさんは大きなデスクを背中にしていた体をこちらに向けて、にっこり笑った。柔和な顔立ちが、一層吹く笑いのごとく変貌する。
「アヤ、久しぶりだな」
 実をいうとアヤは、情報部のオペレーターの訓練生になってから、おじさんとの面会を拒絶していた。電話ぐらいなら、たまにする。だがその程度だ。
 理由は、おじさんは社長だけあって忙しく、睡眠時間を削られる毎日で会う暇がない。だがそれよりも、アヤが社長の知り合いという「目立つ要因」を持つのが嫌なのが、本当の理由だ。
 目立つことで生まれるのは、触れ合いではない。敬遠だ。人は珍しいものに対して、壊れ物のように扱おうとする。
 アヤの中には、そういう定義が生まれていた。だから、目立つのは嫌いだった。
「なにか用なの、マニおじさん」
 アヤはいきなり態度を変えて、ややだらりとした姿勢をとりながら、ぶっきらぼうに答えた。
 おじさんは苦笑をもらす。
「久々に再会したのに、もう少し嬉しそうな顔してくれよ」
「なに言ってるのよ。この部屋、出入りが激しいんでしょ? 一般訓練生と社長がのん気に世間話なんて他人しられたら、大問題じゃない。こっちはそれでひやひやしてるんだから」
「大丈夫だよ。今は私のプライベートタイムだ。あと一時間ほど誰も入ってはこれないように決められている」
「……それを早くいいなさいよ」
 アヤはにっこり微笑んだ。
「お久しぶり、元気だった? おじさん」
「お前を見て、すっかり元気さ」
「よく言うわね」
「お茶を出そう。そこに座って待っててくれ」
 おじさんはそういって、社長椅子を指差した。
「……遠慮しておくわ。この年でえらそうな物には、触れたくないのよ」
 いたずらな笑みを浮かべて、アヤは右手を軽く振った。いいながら目の前のデスクを椅子がわりにして座り「これもえらそうな物?」とおじさんに聞いて「お前の給料一年分で買えるぞ」と返されて、「本当はそんなに高くないわ」と勝手に決め付けて、体勢を変えなかった。
 おじさんは高笑いをあげると、部屋の壁にあるボタンを押した。壁の奥から、機械が働く音が響いてきた。
「紅茶でいいか?」
「作ってから聞かないでよ。……ミルクなしならOKよ」
「なら大丈夫だ」
 おじさんは壁から離れ、デスクの椅子に座った。一度ふうと吐息をついて、疲れた表情を一瞬浮かべた。
 アヤは思った。いつも他人の前ではぴしっとしているおじさんが、疲れをあらわにするのは、やはりあれが原因なのだろう。
 戦争……。
 あまりにも突然に起きた問題だ。情報部からすれば、直接テロでもうけたような事態であろう。たぶん、ここ何日かは眠らない施設とかしているはずだ。
 戦争は、いうならば情報戦だ。ゆえに、ここが滅びれば地下の文明は破壊される。敵もそれを承知の上で、主にここ北エリアを集中的に攻撃している。しかし、今のところまだ目立った攻撃は行ってはいない。それが不幸中の幸いなのかは、不明だ。
「大変なの? 問題処理とか、住人の説得とか、いろいろあるんでしょ?」
「ああ、ほとんど眠らずで処理しているのに、まだ最初に生まれた問題の半分も片付いちゃいない。民衆のほとんどは「もう勝てない」とか「無駄な抵抗はするな」とか、すでに敗北を認めていて、一部では地上を崇める宗教団体まで創設されているらしい。……いやはや、人間のとる行動っていうのは、時間を無駄にしないね。まだ四日しかたってないのにこれだから」
 情報部のやることは「報道」という言葉が入っているものならば全て行っている。ニュースにマスコミ、小さいものでいえば、バラエティーや娯楽番組全般、天気予報まで役割に入っている。
 つまり、情報部とは全てのメディアを握っているといってもいい。
 そしてその分、著しい人手不足に悩まされている。戦争なんかも起こって、さらに混沌とした状態だ。そしてその問題の一番の被害者は、このおじさんだ。
 アヤは少し、合掌でもしたい気分になった。
「ところで、今日は何用なの?」
 アヤがそう切り出した瞬間、チンという音ともに、カップに入った紅茶が目の前に現れた。だがアヤは、それになんの反応も示さず、カップを手に取り、口に一口含んだ。
「卒業の話だ」
 おじさんも紅茶に口をつけ、そしてそう返答した。
 アヤは首を傾げる。
「どういうこと?」
「つまり、お前の訓練生として実習が終了し、はれてベテランの仲間入りができるというわけだ。で、卒業だ」
「ふーん。―――で、もしかしてそれだけ? それだけなら、一言意見いいかしら?」
 アヤは一度妖艶な笑みを浮かべ、机ごしにおじさんに詰め寄った。おじさんは、反応らしい反応は見せず、ただアヤを見つめていた。
「もしかして、やっかい払い? この前の、あれの問題で」
「いいや違う。その話はもうどうでもいいことだ。お前も反省、したんだろ?」
「ふん……」
 アヤはやや頬を染めながらそっぽを向く。おじさんは小さく微笑を浮かべた。だがすぐに表情を戻す。
「お前に適任の仕事ができたんだよ。……いや、正確には「お前はこれをやりたがる」仕事が見つかったんだ」
「なによそれ?」
「レイブンのオペレーター」
 アヤはあからさまに不機嫌な表情になる。そしてまるで敵を見るような目で、おじさんを睨んだ。
「……ふざけてるの、おじさん」
「いいや、私はマジだよ。嘘もついてない、お前はこれからあるレイブンのオペレーターに廻ってもらう。急ですまんがいますぐそ―――」
「ふざけないでよ!」
 アヤはだんっ! と強くデスクを叩きながら、おじさんをさっきよりも鋭く睨んだ。
「おじさんは知ってるんでしょ、私がレイブンを大っ嫌いだってこと! なのになんで、なんでそんなことするの!」
「これはもう決定事項だ。素直に従いなさい」
 おじさんは真顔の表情を変えず、いつもの低い声でそう答えてきた。
「これは、お前のためなんだ」
「なに言ってるのよ!」
 アヤはおじさんから視線をそらし、背中を向けた。アヤの体は、震えていた。
「まあ落ち着け。いいかアヤ、私がお前に対して、心から嫌と答える行為を今までしてきたか?」
「今やってるじゃない! 私は、私は……」
「だから落ち着け。アヤ、キーワードはヴァルハザールの村≠セ」
「?」
 突然おじさんから出た言葉に、アヤは憤怒に満たしていた表情を丸くする。
 アヤはそのキーワードの言葉を知っていた。しかし、だからなんだという答えしか生まれない。ヴァルハザールの村とは、昔アヤが住んでいた村だ。
 おじさんを見た。なぜかおじさんは笑みを浮かべていた。その顔を見て、アヤはあっと思った。
「もしかして、そのレイブンって……」
「名前を変えていたから、見つけるのに苦労したんだ。しかしこの前、その人物は謎の大ケガを負ってコーテックスの病院に運ばれたんだ。戸籍を失っていたので、遺伝情報を調べたら、見つかったんだ、村の住人だけが持つ、遺伝エンブレムのカケラが」
 アヤは唖然とした表情を浮かべていた。
 そんなアヤを見て、おじさんは椅子から立ち上がり、窓の外を見た。
「その彼の名前はカルワース・メルキオール。家族間では「カスパー」と呼ばれていたらしい。今はその名で行動している。そして―――」
「あいつ!?」
 アヤは振り返りながら素っ頓狂な大声を上げて、おじさんの言葉を遮る。おじさんは窓から視線をはずし、アヤを驚いた表情で見た。
「知ってるのか?」
「おじさん知らないの!? あいつよ、そのカスパーっていう奴にいちゃもんつけて、私反省文を10枚も書いたんだから!」
「本当か?」
「本当! ああ〜、もう! おじさん、私いってくるね!」
「え? どこに?」
「そいつのところ、カスパーっていうやつ!」アヤはくるりと体をまた反転させてドアに向かって歩きながら、さらに続けた。
「もう一発ぶん殴ってやる! ざけんじゃないっての!」
 言葉と共に部屋のドアを開け、そしてドアはしまる。アヤの姿はドアに隠れてしまう。
「…………」
 おじさんはそんな自動ドアを眺めながら、さっぱりわからないといった表情を浮かべていた。
「なぜ怒っていたのだ。あの子は」

たぶん、アヤにしかわからない問題である。
 カルワース・メルキオール。アヤ本人も、ずいぶんと忘れていた名前。しかし、とても懐かしい名前だ。
 それは、10年前に別れた、幼馴染で片思いの名前だった。

                    *

 目を開けると光が反射して、眩しかった。
 カスパーは思わず妙な声を上げる。体を少し動かすと、激しいダルさと頭痛がした。思わず顔をしかめてしまう。
「……ここは?」
 無機質な色をした天井。周りにはずいぶんと強い光を通す窓と、隣に花が挿してある花瓶が一つあるだけ。それだけの狭い個室だった。
 カスパーは思った。
「思ったより人間的な世界だな。天国って……」
 しかし、窓から差す光の眩しさは、まさしく天国にふさわしい。はっきりいって、市街地の電灯の比ではない。確かに、美しい世界のようだ。この部屋は質素だが。
 だが、疑問が残る。
 なぜ、自分は死んでるのに、こう気分が悪いのだろう。死人に苦しみがあるのは、道理に反することじゃないのか?
 その時、個室にある唯一の小さなドアが開き、中からまるで看護婦のような格好をした女性が入ってきた。
 天使? 看護婦の格好をした? カスパーは瞬間的にそう考え、苦悩し、そしてここは天国だ、なんでもありなんだ、と思考を途中から適当にこじつけて納得した。
 カスパーと、天使の目が合う。
 天使は、最初呆気にとられたような顔を浮かべていたが、すぐに天使のような(天使だから仕方ない)笑顔を浮かべた。
「あ、やっと目が覚めたんですね。気分はどうですか?」
「あ……あ、はい! ちょっと、だるいのと頭痛だけで……」
 天使の質問に、カスパーはなぜか慌てて答えた。
 天使は「起きたばかりですからね」と微笑を浮かべながら答える。そしてカスパーのいるベッド前まで来て、「まだ横になっていたほうがいいですよ」とカスパーを半ば強制的に横にさせてきた。
 その時、天使の胸元あたりについている小さな機械が光り、天使はそれに向けて応対していた。電話のようだった。
 それが終わると、また笑みをこちらに返しながら、
「じゃあ、今家族の方が見えられたそうなので、私は失礼させていただきます」
「家族? 親父と母さん? いるの?」
 天使はなにも答えずに、ではと笑顔で言って、出て行ってしまった。
 ――むー、なんか変だぞ。妙な違和感が……。
 カスパーは天使の消えたドアをしばらく見つめながら、ふとそう思った。これは設定なのか? 天国にしては、どうもシチュエーションに拘りすぎてないか?
 その時、ありえない生き物が、突然病室のドアから現れた。
「ようカスパー! 目が覚めたんだってな! さっき看護婦さんから聞いたぞ。まったく、お前もゴキブリ並みのタフさだな。もしくはゾンビだな、じゃなかったらグールだ!」
「カスパーさん!」
 現れたのは、ケイン・マイスターと、マリナ・タチバナだった。
 カスパーは呆然とした表情で二人を見ていた。
 それを不審に思ったのか、ケインが眉をよせて、「どうした? 今になって、記憶障害が発覚したのか?」と、冗談なのか本気なのかの質問で返した。
「……なんで、いるの?」
 ――ここは天国だろ? もしかして死んだの? 君たち。
 おいおい、まさかあの強敵野郎が仲間つれて俺のツレやその他一般市民を皆殺しにしたわけ? もしくは、すでに50年ぐらい時間がすぎていて、普通に老後か病気で死んでここにいるわけ? ……で、どっちなわけ?
 カスパーの頭の中は、激しくロールをうちながら、雷雲の中みたいにスパークを放っていた。
 そんなカスパーを、二人ははあ? といった表情を返し、すぐにあっ、といった表情を浮かべた。
「ケインさん、カスパーさん寝ぼけています」
「そうだな。たぶん、ここは天国じゃないのか? お前らもしかして死んだのか? なんでいるんだ? で、俺は誰なんだ? フーアムアイ? とか思っているんだろ。たぶんこの顔はそんな顔だ」
「あ、私もそう思います」
 二人は口に出したことでくすくすと笑い出す。当のカスパーは、未だ混乱状態だ。
 ただ、自分がバカにされていることだけを、理解していた。
 ということは……。
 自分は生きているわけだ。普通に、マジで。
 やっと、自分の生を理解する。
「なんだよ〜、俺まじで死んだとばかりに……バカみてえじゃん、早くいえよ」
 思いっきりため息をついて、脱力する。
「やっと理解したのか、もしかして、まさかとは思うが看護婦の事を天使なんて思ってたわけじゃないよな?」
「ケイン、お前はもしかいてエスパーか? 伊東か? さっきから人の被害妄想を言い当てやがって……」
「大した想像力だ。お前、レイブン以外の職業は、思想家できまりだな」
 そう言って、豪快に高笑いするケイン。カスパーは眉間に皺をよせて睨んだ。
 そんな中、マリナがカスパーのベッドまで近寄り、いきなり抱きついてきた。カスパーは一瞬狼狽するが、すぐに雰囲気を理解して、微笑を浮かべた。
「……悪いな、保護者さぼっちまって。何日休んでたんだ?」
「四日です」
 カスパーの体に顔を埋めたまま、マリナは小さく答える。ケインに視線をやると、頷いて見せた。
 その時、カスパーはある疑問を思い出し、それをケインに訊ねた。
「ところで、さっきから……いや、起きたときから気になっていたんだが」
「この空の光のことだろ?」
「またエスパー発動しやがったな」
「バカ野郎、これはそんな冗談なんて言える問題じゃないんだ」さっきまでのちゃらけた表情を消して、真剣な顔なケイン。「……お前が寝ている間、世界は、レイヤーは大きく変わったんだ。この光はその一部だ」
「あの人たちが、一斉に襲ってきたの」
 うずめた顔を上げて、マリナが言う。カスパーはあの人? と疑問の顔を浮かべる。すると、ケインが両腕を組んで、一つため息をつきながら答えた。
「お前を襲った奴だ。で、その仲間、「地上軍」が今この地下世界レイヤードに戦争を仕掛けているんだ。しかも圧倒的武力をぶつけてな」
「今は大きな動きは見せてないみたいです。でも、安心できる状況ではありません。特にカスパーさん、あなたは」
「俺? なんで俺なんだ? どちらかというと、危ないのはお前だろ、マリナ」
 カスパーはあの時のことを思い出す。自分の前に現れ、マリナを返せと言ったあの強敵
の事を。
 自分が命をかけても、倒すことはできても、殺すことは出来なかった相手。……いや、あ
れは倒したとはいえないだろう。最後のほうでは俺は機械に取り込まれ、意識を失っていた。この結果は、相打ち程度のものだろう。
 想像をやめ、マリナに視線を向けると、言葉がつまったような顔を浮かべていた。カスパーがそれを見て急かすと、マリナは申し訳なさそうな顔を浮かべながら、口を開いた。
「カスパーさんが意識を失っている間、カスパーさんの機体「モア・イリア・サン」を勝手にいろいろ調べさせてもらいました」
「ふーん、でもそれならいつもしてるんじゃないか?」
「……ブレードを、調べさせてもらいました」
 カスパーはあっ、といった表情を浮かべる。
 そうだった、自分はあれだけは弄るなと、マリナに忠告していたんだった。
 その理由は大したものではない。ただ、さすがにあんな得体の知れないものを、子供なんかに弄らせていい代物ではないと、カスパーは懸念した問題からの処置だった。
 だから、別にカスパーはなんの反応を示さなかった。マリナはそれを心配していたのか、少し怯えた表情をこちらに向けていた。
 カスパーはなるほどと頷き、やや苦笑しながらマリナの頭をなでた。マリナはあっ、と声をあげ、雰囲気を察したのか、しばらくすると怯えを解き、安心の表情になった。
「……で、なにかわかったのか?」
「あの謎のシステムとことが、少しわかりました。……あくまで、少しですけど」
「月に受け入れられし、汝の神と太陽の光……か」
「? そういう名前のシステムなんですか? じゃあ、カスパーさんは……」
「いや、名前だけでその概要はほとんど知らない。使い方と、その副作用だけを知っているだけだ。なぜそうなるのか、どうしてあの機体、あの武器にはそういう機能がついているのか、その辺りの事に関しては、まったく知らない」
「じゃあ、あのシステムの主体が、カスパーさんの機体が持つ「月光」に似たものだということは?」
「知ってる……。だけど、やっぱり細かい事は知らない。だからお前に弄らせるのに恐れていたんだ。へたに弄ってどうなるか、分かったもんじゃなかったしな」
「心配、してくれてたんですか?」
「当然だろ、俺の可愛いむす……じゃない、養子だぞ、気にして当然、当然」
 カスパーは、話ながら体が熱くなっていくのを感じた。マリナから視線をそらし、「今日は暑いな〜」といいながら、右手を仰いでいた。
「なに動揺してんだ?」
「そこうるさい、つっこみ屋め!」びしっ、とケインに向けて指をさす。
「……話を戻そう。で、なんだっけ?」
「システムのことです。あれがどうやって起動して、パイロットにどういう影響を与えるのかが、わかりました」
「なるほど……で?」
 マリナはカスパーの体から離れて、ここで話すのはちょっと……と、困った表情を浮かべてきた。
 カスパーは確かにと頷き、毛布をどかし、ベッドから降りようとした。だが、激しいだるさと気分の悪さで体が言うことを聞かなかった。
「今日は、まだ休んでいていてください。先生の話によれば、起きてから一日も休めば歩けるようになるそうですから」
「……ちっ、せっかくいいところなのに」
 カスパーはまたベッドに潜り込みながら、愚痴をこぼした。
 マリナは苦笑しながら「また明日来ます。その時いろいろ説明します。これからの事も、いろいろ話さないといけないと思いますから」と言い残し、ドアを出ていた。
 だが、ケイン一人が残り、近くにある椅子に座り、カスパーを見て口を開いた。
「……あの子、あれで実は、全然睡眠とってないんだぜ」
「え?」
「ここ数日、どちらかというと、お前の体より、マリナの精神の方が重症だったよ。まるで薬物中毒のバカみたいなげっそりした顔しててな、妙な言葉を反芻するし、最初みたときは、違う人間かと思ったよ」
「…………」
「だけど、お前が息を取り戻したって聞いた時の彼女の顔は、まさに生き返ったって感じだった。いつまでも泣いてたよ。俺はびっくりしたよ、この子がこんな笑うなんて、知らなかったからな。お前、いつのまに手なずけたんだ?」
「人聞きの悪いこと言うな!」
「ははは、まあ様はこういうことだな、お前は女には持てないが、幼女にはもてるってことだ」
「てめぇ! 娘にいろいろ言いつけるぞ」
「はははは、じゃあなロリコン騎士。また、今度は土産でも持ってきてやるよ」
 右手を上げ、その手を振りながらケインはドアを開け、出て行った。カスパーはそのドアめがけて、いろいろな悪態をつきまくった。
 やがて空しさがこみ上げてため息をつき、ドアを見つめる。じーっと見つめ、ふっと微笑み、小さく感謝の言葉も投げかけてやっていた。


         三章 Lelvon there the light target(2)

 格納庫というのは普通、安全のために頑丈に出来ていて、壁も分厚いはずだ。
 しかし外で起きる爆発音は、怒涛ともとれる勢いでエースの耳に入ってきていた。
 ……ハエどもめ、派手に暴れているな。
 周りをみれば、忙しなくたくさんの整備員等が動き回っている。格納庫はせまく、ただ歩いているだけで、油断すれば走り回る整備員に激突しそうなほど人は多かった。
「敵は?」
 自分の愛機「アルカディア」に乗り込みながら、エースは近くで焦りの表情を浮かべた下士官に聞いた。
 すると下士官はさらに慌て、びっくりと共に眼鏡をずり落とす。エースは一瞬、苛立った表情を見せた。
「あ、はい。敵はACのような兵器が四機。金属の羽の様なものをつけて、こちらの攻撃をまったく受け付けません。……あの、速すぎて」
「空戦フレームなんかつけてるのか、金がかかっているな」
 すでにこちらに数機残っていたAC、MTでの部隊は、全滅しているらしい。敵を足止めしているのは、都市の至る所に設けてある迎撃装置だけである。
 敵は地上軍だ。そんなものでは、弾幕にもなりはしないだろう。
「AC部隊が不在の時に襲って来るとは、情報がどこかで漏洩でもしてるんでしょうか?」
「情報とはそれ自体が膨大なものだけあって、ちょっと突つけば簡単に洩れるものだ。それより、この新兵器は期待できるんだろうな?」
「あ、はい。研究部のほうでは、安全性は完璧だと……」
「そんなことを言ってるんじゃない」
 エースはややドスのきいた声でそう下士官に吐きすてる。下士官は顔を真っ青にさせて、なぜか一歩後ろに下がった。エースとしてはそんな怯えるほど強くいったつもりはなかったのだが、しかしこの男には自分という存在が恐怖そのものなのかもしれない。それならば仕方ないことだな、とエースは内心で苦笑しながら思った。
「俺はこれが使えるのか、使えないのかと、聞いているんだ」
 エースは自分の機体の右腕に取り付けられている武器を指差しながら言った。
 形状は砲身の長いエネルギー系のライフル。砲身の中心あたりに、紫色の結晶のような線がトリガーのあたりまで伸びているものが見えるが、それがなんなのかエースは知らない。
 だが、使い方だけは知っていた。それを考えれば……。
「……もういい、出る。さっさとお前はどけ」
「あ、あ、はい! すいません」
 足を縺れさせながら、下士官はどこかへと行ってしまった。
 エースはそれに目もくれず、ハッチを閉めコックピットに体を固定し、コンソールを叩いて機体を起動させた。
 心地よい温度と、動作音が周りを満たす。
 発射台に乗り、格納庫の扉が開く。今は地上の光で眩しい空はない。
「……アルカディア、出るぞ」
 発射台は火を噴き、アルカディアと共に疾走し、アルカディアは火薬の匂いに満ちた空へと飛び立った。

                    *

 北エリア「ミッドポリス」は現在、地上軍から襲撃を受けていた。
 北エリアはレイヤーの中では一番『安定したエリア』と証されていて、その中でもミッドポリスは、工業が盛んな東エリアにもっとも近い場所に存在しているせいで、このレイヤーで一番に力が集中する場所といわれている。
 旨いものには虫がつく。まさに、今のミッドポリスはそんな状況だ。
 エースが現場に駆けつけた時には、すでに四割がた街は瓦礫へと変化していた。
 そして、やや低空を飛んでいたエースは、視覚だけで敵を発見する。銀色の鎌のようなものを背中に生やし、空中をぐるぐると飛び回っている。鎌は自動的に軌道を変え、本体に無駄な圧力を掛けないようにしていた。あれならパイロットが手を離していても、落下する心配はないだろう。
 便利なものだと、エースは思った。
 敵の本体は、自分が乗り回すACに確かに似ていたが、ちょっと違う。エースはどこが違うのか少し考えた。出た答えは、まるで両サイドから押しつぶしたみたいなスリムなボディが、ACとは似ても似つかない理由だろう。
 敵は機動型というわけか……。
 エースは敵から少し離れた場所で地上に下り、瓦礫の影に隠れた。敵は四機もいるのだ、慎重にいかないと、支援がないのだからいくら自分でもやられる可能性はある。敵の実力は、まだ未知数なのだから。
 影から敵を確認する。何機か空中を軽快に飛び回り、街の破壊を行っていたが、一機だけぼーっと待機していた。
 隊長機か、とエースは合点する。
 そしてこれは好都合だと、笑みも浮かべる。敵は明らかな油断が見えている、空中からの攻撃の安全性に過信しているのだ。
 所詮、ハエはハエか……。エースはまた不適な笑みを浮かべる。
 瓦礫ごしに、じわりじわりと敵に近づく。そしてライフルの射程範囲まで近づいたところで、未だ空中でぼーっとしている隊長機に照準を合わせた。レーダーに敵が映る。それに呼応して、敵はキョロキョロとあたりを見渡していたが、表現しようもない瓦礫の残上がこちらの発見を遅らせていた。
 ライフルの砲身に紫の光が発光する。さらに砲身の部分が大きく開き、紫の結晶体をはっきりとその場に現した。
 そして、
 弾は二発発射された。
「!」
 熱源を探知した隊長機がその方向を振り向いたときには、すでに二発の弾は直撃して、隊長機は胴体から真っ二つに分かれ、炎上していた。
 突然の隊長機の消滅に、空中を飛び回っていた残り三機が動きを止める。
 その隙をついて、続けてエースは紫弾を発射しようとする。砲身にイナズマのような放電現象をみせた途端、また弾を二発連続で発射する。
 こちらから手前にいた一機が、頭部と右足に食らって、炎上と共に落下していた。
 仲間が一瞬で二機も失って、敵は明らかな狼狽を見せていた。しかし、さすがに敵はエースの姿を捉え、右手に持ったエネルギー系のマシンガンで攻撃してきた。地面を疾走するように接近してくる弾の群を、エースはブースターを使い、空中に飛び出した。瓦礫となったビルの上まで飛ぶ。
 だがそれは悪い選択だった。空中では敵のほうが遥かに機動性は上で、一瞬にしてエースは挟まれてしまった。
 そのまま固まった姿勢で、エースはビルの残骸の上に着地する。敵はやや空中でこちらを見ていた。
「貴様、何者だ」
 敵が、挟撃の体勢でマシンガンをこちらに向けながら問うてきた。しかし、声の感じがずいぶんと幼い。エースは疑問に思いながら、問いに答えた。
「ただの傭兵だ。それより君たちこそ何者だい? 地上軍だ、なんていわないでくれよ」
「答える義務はない。だが……仲間になるなら、教えてあげてもいい」
 エースはぴくりと眉を動かした。
「ほぉ……、なるほどなるほど、地上軍の攻撃がずいぶんと静かな理由は、人手不足が原因だったのか」
 はっきりとは聞こえなかったが、エースには聞こえていた。敵の一人が苦い声を漏らすのを。
 エースは不敵に笑う。
「悪いが……断らせてもらう!」
 エースはそういいながら、ノーチャージでライフルを発射する。当たっても大したダメージはうけないはずだが、敵はライフルを反射的に避けた。
 かかった!
 エースはOBを使い、ライフルを避けたやつに向かって突進する。後ろにいたもう一機がマシンガンを撃ってきて、機体に何発か当たるが無視した。
 敵は空中を飛べても、急速加速装置はついていなかったようだ。尋常ではないスピードに敵は反応しきれず、回避の反動で一瞬止まる。
 だがその一瞬が命とりだった。
 エースの左手、月光が敵の機体に一線を引かせた。叫びのような声と共に、敵は炎と共に崩れ落ちていった。
「こ、この野郎〜!」
 もう一機が、激昂と共に突っ込んできた。
 エースが向き直る前に、敵は目の前にいて金色の刃を構えていた。エースはすんでのところでその刃を月光で受け止める。だがどういうわけか、月光の光がどんどん弱くなっていた。どうやらこの刃は、エネルギーを中和する能力が備わっているらしい。
「終わりだ!」
 敵の喜々に満ちた死の宣告。
 万事休す。
 だが、エースは余裕だった。
「秘密兵器って、知ってるか?」
 その言葉と笑みと共に、エースは右腕を、振り上げた。
 すると敵の機体は真ん中から大きく穿かれ、崩れ落ちていた。
 右手では紫の長い剣先が、街の炎に反射し、怪しく光っていた。

「大した武器だ。ブラズマエネルギーを瞬時に結晶化してブレードの効果をもたすとは」
 格納庫に戻り、ACから降りると、目の前に研究員数人が立っていた。新兵器の感想を聞きたいというので、エースは正直にそう答えた。
 研究員の一人、中年の男が言う。
「しかも、ちゃんとライフルとしての能力も備わっています。カラサワよりも威力を上げてあり、ブレードのほうも、月光を遥かに上回っています」
「気に入った。……名前はなんていうんだ?」
「COSMOS/LSV。一応、そう名づけております」
「聖なる花か……。それで色は紫なぞ、皮肉もいいところだな」
「地上に授ける贈り物としては、最高の品でしょう?」
「うまいことを言うな」
 エースは微笑を浮かべる。研究員の一人も、照れたみたいな顔を浮かべ、頭をかく。
「ただ、ブラズマの結晶化に気を使いすぎて、ライフルモードでの残段数は12発しかありませんが……」
「そんなことは気にするな」
「しかし……」
 ポンと、エースは研究員の肩に右手を置きながら、
「お前、俺の本当の戦闘スタイルを知っていて、聞いてる質問なのか?」
 エースの言葉に、研究員はえっ? と声をあげた。知らないのか、とエースはワザとらしくがっかりした顔を見せ、しかしすぐに不敵な笑みを浮かべながら言った。
「俺は元々、接近戦型なんだぜ」

                    *

「2100Cになります。あっ、すいません、うちカードはだめなんですよ〜。はい。あっ、あの〜もう少し小さなお金はないですか? すいません、おつりもないご時世なんですよ〜」
 謝ってばかりだが、全然誠意が見られない謝罪の言葉に眉間にシワをよせながら、アヤはタクシーから降りた。タクシーは黒い排気ガスをアヤにぶつけながら、悠々と立ち去っていった。
 ……ほんと、頭にくる街だわ、ここは。
 ここはエレノアのB区画。
 主に身分の安定した人が住むところらしいが、周りをみればとてもそんな風には思えない。顔色の悪い若者、汚れた建物の壁、光が強く満ちたはずなのに、未だ薄暗い空。
 アヤからすれば、スラム一歩手前ぐらいの街にしか見えなかった。
 アヤはとりあえず歩き出す。下品な声をあげる集団がこちらをちらちらと一瞥していたが、アヤは完全に無視していた。
「えーと、このあたりだよね。病院って」
 アヤは右肩にかついだバッグから、パーソナルキット(いわゆるパソコン、超小型)を取り出した。情報部から渡された、彼の所在を示したMAPが画面に表示される。だがそれを見た瞬間、アヤの表情が赤い怒りの色に変貌した。
「なによ、ここから一キロも行った所にあるじゃない! あのタクシー、ふざけやがって」
 また会ったときには、絶対にボコにしてやると誓いながら、アヤは憤慨の篭った足取りで病院に向かった。
 途中、アヤに向かって声をかけてくる数人の集団がいたが、アヤの一発睨みでそいつら退散していった。
 それぐらい今のアヤは、一途な思いのせいで、危険な存在になっていた。


         三章 Lelvon there the light target(3)

 部屋の中は、真っ暗で何も見えなかった。入り口からのライトの光が沈んでいくほどの暗黒が、その部屋には広がっていた。
「いいのか? こんな部屋つかっちゃって」
 やや呆気にとられながら、カスパーは部屋の電気をつけているマリナに聞いた。
「許可はとってあります。本当はこんな病院内じゃなくて、コーテックスで細かく解説したかったんですが、カスパーさんがまだ退院は無理らしいので……」
 一日で回復すると思われていたカスパーの体調は、回復が少し遅れていた。その理由が、深夜まで続けた患者さんたちとの麻雀大会のせいだとは、死んでも口にはできないと、カスパーは表情に出さずに思った。
 電気がつき、暗黒空間に物体が出現する。部屋の一番奥に映画並みの大画面があり、長机が列状に並んでいる。
 病院内で、映像を伴った会議のさいに、ここは使われるらしい。
「そんなの、退院してからすればいいことじゃないのか?」
 その時、ドアが勝手に開いたかと思えば、そこからケインが現れた。「よぉーカスパー。マリナ、一時間ばかりはこの部屋は自由に使っていいらしいぞ」
「事は一刻を争うかもしれません。こういうのは早く伝えておいたほうがいいと思ったんです。……あ、ケインさん、ありがとうございます。それだけあれば十分です」
 ケインに微笑みを返し、マリナは映写装置に手を伸ばして、その中にデータディスクを差し込んだ。
 カスパーはそういうもんかね、と少し首を傾げながら、前側に設けられたパイプ椅子に腰掛けた。ケインもその隣に座ってきた。
 マリナは映写装置を作動させ、また電気を消す。また真っ暗になるが、画面に映る青い光のおかげで足元は見えるほどの明かりが残った。マリナは足元を気にしながら、画面の隣にある端末前に立って振り返った。
「……まず、これをみてください」
 マリナが端末を操作すると、ただ青かった画面に映像が現れた。
 画面はカスパーのACの全体像。……と思ったら、ACの全体が真っ赤になってしまい、その内部の所々に小さな四角形が描かれていた。
「これが、Eボックスです」
 いつの間に出したのか、マリナは自分の身長ほどある白い棒を、画面の四角形に当てて言った。
「ケイン、Eボックスって知ってるか?」
「当たり前だ、俺はAC関連の経営者だぞ。……しかし、このちっこい四角形がEボックスだとしたら、なんでこんなにいっぱいあるんだ?」
「そうです」画面から棒を離し、マリナは言う。「Eボックスとは、瞬間エネルギーを一時保存しておくための装置です。だけど、それを必要とする機能、OBやブレードなどの極端な動きには、ある程度必要なエネルギーが決められているんです。だから、Eボックスは、相応の数だけあれば十分で、それ以上増やしても、ただ機体の加重になるだけで、なんの意味も成さないんです」
「確か、どんなに多くても、3っつで十分だったはずだ。だがしかし、これは……」
「全部で20個あります。その内、まともに機能させているのは、ケインさんも言ったとおり三個だけです」
 ケインは目を丸くする。どうやら、カスパーのACの細かい概要を知るのは初めてらしい。そういえばなんかごつごつしてたな〜、あれEボックスだったのか、などと小さく呟いていた。
 マリナが続ける。
「私は、最初この大量のEボックスの存在が理解できませんでした。まず、普通のEボックスと違い、妙なチューブが伸びていて、簡単に取り外すことが出来なかったのが一番の謎でした」
 マリナはそう言い切ると、端末を操作し、また画面をかえる。今度のはごちゃごちゃした機械の配線やら、パイプみたいなものがまるまる現れた。
「たぶん、これがEボックスに繋がるチューブなんですが」マリナは画面に映る、一際でかい黒いチューブを棒で指す。「どうやら本体の奥まで伸びていて、正確な確認はできないみたいです」
 カスパーはここで疑問を覚え、手を上げた。
「質問〜。一回全部解体すれば、わかるんじゃないか?」
 横に座るケインが、バカかと吐き捨ててきた。
「お前、ACの複雑さを知らないだろう? なんのためにACがレイヤー最強の歩行兵器と呼ばれているか、考えたことないだろう?」
「……できないの? 解体」
「ACは内部にいけばいくほど、複雑極まりない構成で作られているんです。一度解体してしまうと、一人の整備員だけでは復元はほぼ不可能に近いんです。時間も人もコストもかかるから、したくても出来ないんですよ」
 マリナは肩を竦め、苦笑しながら答える。
 カスパーは、へぇ〜と納得の声を上げた。
「じゃあ、いったい何がわかったんだ?」
「システムの、一部概要がわかったんです。……カスパーさん、カスパーさんは謎だと思わないんですか? なぜ、自分は今生きてるのかを」
 マリナの言葉に、カスパーはあっと声を上げた。
 そうだ、自分は確信していた。あの機能を使えば、自分はほぼ100%死ぬだろうと。だって、兄貴はそれで死んだのだから。呼んでも声を返してくれず、息もしておらず、心臓も止まって、ただ冷たくなっていった。
 使えばそうなってしまう。自分はそう思っていた。
 なぜ自分は死んでいない?
 なぜ兄貴は死んだんだ。
 余計な思考がぐるぐると頭の中に渦巻いた。カスパーはそれを振り払うように、頭を振った。
「……理由、あるのか?」
「あります。100%の確証ではないんですが、たぶん正解だと思います」
 マリナは頷き、端末を操作する。画面が変わり、ACの全体像がまた写った。
「カスパーさんは覚えていますか? 私がEボックスを一つ、弄ったことを」
「ああ、確か、レイブン試験の時、妙な感じを覚えたんだ。それで何かしたのかと聞いたんだ」
「あれです。カスパーさんが生き残った、生命線というべきカードが、その一つのEボックスだったんです」
「なんだって」
 カスパーは驚きの声を上げる。隣でケインが何の話だ? と疑問の声を上げていた。
 マリナが続ける。
「あの装置、カスパーさんは『月に受け入れられし、汝の神と太陽の光』と呼んでいた機能。あれは、18のEボックスに似た装置を、ACのコアユニットと、左手に装備された武器とをリンクさせて発動させる――――」
 一息。
「……さらに、人の生気を使って初めて事をなす、物理具現化装置なんですよ」

                    *

「もちろん、ただの具現化装置ではありません。どういう形でそれを行っているかはさすがに不明ですが、具現化したものはその人……パイロットの意思しだいで、限界を超えた超兵器的存在を現実に呼び出すことが可能です。なじみのある言葉で言えば、召喚装置と呼べば納得できると思います」
「ちょ、ちょ、ちょっと待て!」ケインは立ち上がり、ややどもりながら言う。「それはつまりなにか? そのパイロットの根性がとことん悪ければ、この世界を全壊させられるような兵器を呼び出し使えるってことか?」
「ある程度、意思の度合いが定められていると思いますが、それも可能だと思います。ただ、さすがに世界を滅ぼすとなれば、ただの人一人の意思だけでは、まったく足りないと思います。カスパーさんは、キャノン型マシンガンを召喚するだけで、血反吐を吐いていたんですから」
「お前、あの状況を見てたのか? 確か妙な感じになってたような……」
「いいえ、私は気絶してましたよ? ACのコックピットには、モニター用のカメラがあるんです」
 主に、オペレーターや、他会社に送るための映像データ用のカメラとマリナは言う。カスパーはなるほどと頷いた。
「じゃあまさか、一個のEボックスってのは……」
「はい、私がそのEボックスを、無理やり瞬間装置の方に取り付けたから、元々の仕事外のことをしたために、そのEボックスは壊れてしまったんです。で、一個のEボックスが足りないために、あの装置はやや不完全な状態で発動してしまい、カスパーさんは紙一重で助かった、というわけです」
「でもマリナ、確かEボックスは取り外せなかったんじゃなかったのか? チューブなんたらとかの理由で」
「……ひとつだけ、チューブからはずれたやつがあったんです。というより、壊れていたんだと思います。……運がよかったんですよ」
 カスパーは腕を組んで、しばらく考えた。
 やがて、口を開く。
「……ちょっと待て。なら、別にマリナがEボックスを弄ろうが弄るまいが、俺は死ぬことはなかったんじゃないのか?」
 マリナがびくっと反応を示した。
 その反応に疑問に思い、カスパーはマリナをじっと見る。マリナは失敗した、といった苦い表情を浮かべながら、ちらちらとカスパーを見た。
 やがて、マリナはふうっと諦めたようなため息をついて、いきなり自分の右手の平を見せた。
 薄暗い部屋の中、カスパーは目を細めながら見る。そしてその手のひらを見て、目を大きく見開いた。
 大量の切り傷あとが、リバテープの隙間から見えた。というより、ある意味リバテープが切る傷に見える光景だとカスパーは思った。
「言いませんでしたか? あれはEボックスに似た装置だと。つまりEボックスじゃないんです。この傷を負って、初めて知ったんですけどね。びっくりしました、私の体を使って、そのEボックスに似た存在は、壊れていたのに直ってしまったんですよ」
 言いながら苦笑を浮かべる。
 マリナの傷のおかげで、バカなカスパーにもすぐに分かった。要するに、このEボックスに似た装置は、ちょっと壊れただけで機能不全になるわけではない。あの時、カスパーが使った瞬間にはもう直っているわけだ。カスパーの、命を吸って。
 カスパーは立ち上がり、マリナの傷を負った手を取る。テープにはじっくりと血が生々しく浮き上がっていた。
「理由はそれです。……包帯の巻き方、わからなくて。人に言うのも、ちょっと……」
「バカかお前は。お前はまだ、他人に遠慮なんかする年じゃないだろうが」
 はぁ〜、とあきれたようなため息を吐く。マリナは顔を赤くして、俯いたままおろおろしていた。
「そういうことされると、周りは余計困る思いをするんだぞ。だから、遠慮なんかするな。子供らしく、積極的にいけ。そこにいるケインでもいいんだ、困ったことがあるなら、迷いなく頼れ、いいな?」
「……はい」
 マリナの頷きを確認して、カスパーはよし、と笑顔で言い、
「今日はもういい。だいたいわかったから、続きは後日、俺が退院してからだ」
「え、でも!」
「お前は、俺らに講習なんかする前に、まず適切な治療をすることが先決だ。今のうちに包帯の巻き方ぐらい覚えとけ」
 ぽん、とマリナの頭に手を一度置き、カスパーは振り返った。入口前にある部屋の電気をつける、暗い空間が突然明るくなり、一同が目を細めた。そして、カスパーはそのまま一人で外へと出て行った。
 しーんと静寂があたりを包んだ。
 しばらくして、マリナがため息をついた。
「……まだ話す事いっぱいあるのに……見せなきゃ良かったかな……」
「なにいってんだ。さっきからずーっと痛そうに顔顰めてたくせに」
「気づいてたんですか!?」
「俺は娘もちのお父さんだぞ。子供がなにを隠してるかくらいある程度見分けがつく。それが、痛い痛い思いとなればなおさらだ。カスパーの言うとおりだ、子供が我慢なんてするもんじゃねーんだよ」
 ケインは椅子から立ち上がり、マリナに近づく。マリナは? と不思議そうな顔でケインを見上げた。
「いいか、マリナ。カスパーにとって、お前はなんだと思う?」
「え?」
「ちょっと考えてみろ」
 マリナは訝しげに頷き、うーんと床を見ながら考えた。
「……養子?」
「……お前も愛がねー答えだすな」
 呆れた声をあげながら、ケインは苦笑する。
「いいか? カスパーにとって、今のお前は……支えだ」
「支え?」
「そうだ、今までは一匹狼で通していたあいつは、お前が出てきたおかげでその環境を失った。そして、お前を守らなきゃならないという環境になってしまった。これがどういうことだか、わかるか?」
「私のせいで、カスパーさんは平穏な環境を失って、悪い方向に進んじゃった、ってことですか」
「ちょっと違う。良い方向か、悪い方向に進んだかはわからないが、人間らしい方向へ進んだのは確かだ」
 マリナは首を傾げる。ケインはそれを見て苦笑を浮かべた。
「つまりだ。今までのカスパーは、そりゃ〜陰気なやつでよ。俺と会って話すときも、大抵はACの武器の話とか、戦術の話とかで盛り上がってしまうんだ。ほとんどオタクさ。俺といない場所では、嫌な事があればすぐに暴れるし、良いことがあれば合理的な都合のいい考えばっかり浮かべる。悪く言えば、打算的なクソガキだったんだよ、あいつは」
「…………」
「それがどうしたことか、お前と会ってから、あいつは俺と話すときはお前の話を持ってくるようになった。マリナはすげー整備がうまいんだ、可愛いしそれに料理もうまいんだぜ、とかな。知らないだろ? 試験前にあいつ、アクセサリーショップでお前にプレゼント買おうとしてたんだぜ、結局買わなかったけどな。そういう甲斐性がねーんだよ、あいつ」
 マリナはぽかんと、口を開けて、信じられないといった顔をしていた。
 ケインは続ける。
「もうわかっただろ。あいつはあいつなりに、お前の事を心配して、大切に思っているんだ。それはなんでだと思う?」
「…………」
「お前を失いたくないからさ。失えば、また昔の自分に戻ってしまう、それを恐れているんだ。だからお前は支えなんだ。その支えが、こんな無茶をして、今まで黙っていたとなれば、焦って心配するに決まっているだろうが」
「……でも、私はそんな大げさな存在じゃ……」
「それを決めるのはお前じゃない。周り、他人、カスパーだ。俺もお前のことは心配だし、とても大切だと思っている。だがその中でも、お前のことを必要としているのは、カスパーなんだよ」
「だけど、私は……」
「……じゃあ、これならどうだ? お前の前から、突然カスパーがいなくなったとしたら?」
 マリナの表情が固まる。
「……あいつがお前を支えとするように、マリナ、お前もあいつを支えにしていたんだろ? だから、あいつを案じて、自分に出来る最新の情報を伝えようとしてたんじゃないのか?
 それと同じさ、カスパーのしていることは。
 お前らは支え合っているんだ。その事を、もっと大切にしろ」
 ケインはそう言い切ると、マリナに背を向けて部屋から出て行った。
 一人残されたマリナは、無言のままずっと俯いていた。
 しばらくすると、その場で膝を曲げて両手を顔に当てながら、小さく嗚咽を漏らしていた。
「……やな奴だな、私……」
 マリナの手の隙間から、涙が一つ落ちた。
 しばらくすると、嗚咽がぴたりと止まった。マリナは手を離し、やや赤くなった目でぼーっと虚空を見つめていた。
 ふいに、その表情はにやけたものになっていた。
「……ばっかみたい」
 それは、ひどく冷たい笑みだった。

                    *

 廊下を歩きながら、カスパーは右手で頭を抱えていた。
 すれ違う昨日の知り合いが挨拶をしてくる。頭痛いの? と聞いてくるが、カスパーは適当に笑み相づちを返した。
 ……やばかった〜。
 あのままあの部屋にいれば、自分はマリナに対し、激しい罵声を上げていたかもしれない。
 マリナの性格は知っている。わりと積極的に行動するくせに、自分のこととなると引っ込み思案なことをする。他人に遠慮するのだ。
 そして今回はきつかった。ああいうのを見せられると、頭が真っ白になってしまうのを抑えられなかった。だから、逃げるようにカスパーは部屋をあとにしたのだ。
 ほとんど子持ちの親と大して変わらない心情が、カスパーの脳裏に満ち満ちていた。昔の自分から見れば、想像もつかない自分の変わりように、カスパーは狼狽を隠せなかった。
「俺ってもしかして、親バカの才能がマックスレベルなのか?」
 嫌悪を覚える。そんな平和的な才能なんていらない。
 頭を振った。もうこの問題に触れるのはよそうと決める。
 カスパーは自動販売機でコーヒーを買った。熱いコーヒーに少しびびりながら、そのまま自分の病室に向かった。
 角を曲がる。病室の扉が見えた。
 が、見覚えのあるようでないものが、さらに同時に見えた。
「……やっと見つけた」
 女だった。ベージュ色のスーツを着込んだ、金髪のショートヘアー。ぱっと見悪くないスタイルが、強い足取りでこちらに近づいてきた。なぜか顔が怒っている。
「カスパー・メルキオール、よね?」
「……だれだっけ?」
 女の怒った顔が、一瞬ぴくりと歪む。
「……アヤ・レイヤニック。レイブン試験で一度あったはずよ」
 カスパーは天井を見た。
「ん? ん〜〜〜……。あ! もしかして、もしかしなくても、俺にいちゃもんつけてお叱り食らった変な女のあれか?」
「変な女は余計よ。事故にあったって聞いてたけど、記憶喪失にはなってないみたいね。安心したわ」
 アヤと名乗る女は、ほっと胸を撫で下ろす。本当にほっとした表情を浮かべていた。
 カスパーは疑問を覚える。なぜこの女がほっとするんだ?
 だがアヤは、ほっとした表情を一瞬にして消し、また最初の微妙に怒った顔になった。
「嫌な話だけど、聞きたい?」
「嫌な話を、聞きたいなんて言うやつがいるか。なんだ、お前嫌がらせにきたのか?」
 アヤは質問に答える前に、妙な書類をいきなりつきつけてきた。
「……なんだこれは? ……なになに、グローバルコーテックスです。試験合格おめでとうございます(以下略)。つきまして、あなたのパートナーとなる専属オペレーターをこちらから用意させていただきました。
 アヤ・レイヤニック、女、身長161cm体重46kg、スリーサイズは――――」
 いきなり書類が没収された。
「そんな事は書いてないでしょうが!」
「書いてあるように見えたんだよ」
「意味わかんないわよ!」
 アヤは赤面しながらまじめに言い返してきた。カスパーはこの時、面白いものを発見したと思った。
「なんだ、お前が俺のオペレーターになるのか。……ん? でも確か、お前レイブン嫌いじゃなかったのか? なんで―――」
「それに関してはあとで話すわ。……とにかく、そういうことだから」
 そういって、アヤは右手を差し出して、
「よろしく」
 カスパーはその右手をしばらく眺めたあと、さっと自分も右手を出した。
 がしっと掴み合う。
 その時、なぜか一瞬だけ顔を赤くさせるアヤに、カスパーはまた疑問を覚えた。


         三章 Lelvon there the light target(4)

 まるで城門のようなシルエットの扉を、エグザイルは目の前にして立っていた。人数人が通れるだけのそのサイズのおかげか、見た目とのズレに違和感を覚える。
「エグザイルです。失礼します」
 軽くノックすると、自動ではなく、手動であける扉がゆっくりと開く。
 中に入ると、幅のわりに、奥行きがずいぶんと長い部屋が広がっている。入り口の左右には護衛が四人。壁は真っ白にやや薄い桃色が混ざったような色で、所々でこぼこしている姿は、色のわりに頑丈さをむき出しにした雰囲気をかもち出している。
 奥を見ると、遠くて顔はよく見えないが、小さな少女が不釣合いにでかい椅子の上にすわっていた。
「あ、エグさま!」
 少女はエグザイルを視認すると、高い声をあげて椅子から立ち上がった。真っ白なワンピースのスカート部と、腰まで伸びる黒髪を揺らしながら、笑顔と共にエグザイルに走りよってきた。
 エグザイルはやや笑みを浮かべながら、こちらも少女に歩みよる。部屋の入口に近い位置で、少女とエグザイルは対面する。……というより、少女がエグザイルに飛び掛るように抱きついた。
「エグさま! エグさま!」
「あぶないですよ。マリアさま」
「だって、だって! エグさま全然顔を見せてくれないですもの。92日も見せてないんですよ。私、私! 寂しかったんです。楽しくなかったんです」
 マリアは抱きついたまま顔をあげ、潤んだ瞳を向けてきた。
 エグザイルは苦笑とも取れる、微笑を浮かべた。
「……申し訳ありません。前の体にガタが来たものですから、その交換のために暇がなかったのです」
「……わかっています。エグさまは戦う猛者。地下との戦争が起こっても、ただ椅子の上に座っているだけの私と違い、辛い、痛い思いをしていらっしゃる。体の壊死が早いのは理解しています」
 マリアはエグザイルから体を離し、にこりと微笑む。
 だが、エグザイルは困った表情を浮かべた。
「マリアさま、自分を責めてはいけません。あなたは私と違い、体の交換などを行えないのです。そして、あなたはこの国の皇女。地上の人々の象徴にして王なのです。もっと自信をもってください」
「……そうですね。こちらにはエグさまもいるんですから。臆していてはいけませんね」
「そのとおりですよ」
 エグザイルは、笑みを浮かべた。だが、突然その顔を真剣な顔に変える。
「現在、あなたさまの妹さまを全力で探しているのですが、地下の奴らはなかなかに手強く、探索を遅らせております」
「妹がまだ地下にいる以上、エクタールレーザーでの攻撃はできませんからね。あれには大量のエネルギーを要しますし。―――あ!」
 マリアは大きく口を開けて、手をぽんと叩く。エグザイルは訝しげな表情で「どうしましたか?」と聞いた。
 マリアは目前に両手を合わせて、嬉しそうな表情を浮かべながら言う。
「良いことを思いつきました。私が『神使い』に乗って、妹がいると思われる場所にいけば―――」
「いけません!」
 エグザイルは自分でも驚くほどの大声をあげていた。マリアは目を見開き、護衛がこちらに銃を向けてくる。だがすぐにマリアが手を上げて制した。
 エグザイルは腰を下ろし、マリアと目線をいっしょにしながら言う。
「それはいけません、マリアさま。地下はとても危険な場所で、ここと違い環境は最悪です。神使いだからといって、絶対安全ともかぎりません」
「ですけど、遠隔操作だけでは、神使いは地下へまではいってくれません。あれに私が乗り込まないと、神使いは地下では動かないんですよ。妹も助からないんですよ」
「私は! あなたさまを、危険な目にあわせたくない」
「あ……」
「それでもし、あなたさまを失うことになれば、私は生きていられません」
「…………」
 エグザイルはじっとマリアを見つめる。マリアはその視線に耐えられないのか、目を逸らし、やや頬を朱に染める。
「神使いがなくても、妹さまは必ず助け出します。安心して、ここで妹さまをお待ちください」
「……はい、わかりました」
 目を逸らしたまま、マリアは小さな声でそう答えた。
 エグザイルはその答えに一つ頷く。立ち上がり「では、私は失礼させていただきます」と言い、マリアに背を向けて歩き出すと、
「エグさま!」
 マリアの声に振り返りはせず、エグザイルは止まる。
「エグさまも、ちゃんと帰ってきてくださいね。私、私待っていますから!」
 エグザイルは振り返る。
「私は……いえ、俺は死にません。あなたが死なないかぎり、俺が死ぬことは絶対にありません」
 そういって、再度振り返り、エグザイルは扉を開けて出て行く。
 マリアは扉を見つめたまま、はぁ〜とため息を一つつき、頬を未だ染めたまま、
「……はい」
 小さくそう、呟いた。

 部屋を出て、しばらく歩くと、視界に女性の姿が写った。
 女性が着ている、男物の冬場の私服みたいなものは、支援部の制服だ。銀色に薄く青がまざったような、ポニーテール。顔立ちは整っているが、それよりも目を引くのが両目を隠した黒い眼帯。支離滅裂に施された模様は、大量の目のように見えるが、本人は気のせいだと言う。
「ワルチャー、なにしてるんだ?」
 彼女の目は、生まれたときから盲目だ。そしていつもつけている黒い眼帯は、視力装置だ。それがなくても彼女は歩けるらしいが、本人はこの眼帯をいたく気に入ってるらしい。周囲から「気味悪い」の先入観を向けられているのを自覚しているはずなのに、彼女は常にそれを取り付けている。すごく変人なのか、度胸が据わっているのか、エグザイルにはわからなかった。とりあえず悪い奴ではないことだけ理解している。
 ワルチャーは背を預けていた壁から離れ、こちらに歩みよってきた。
「生まれて二ヶ月半ばの男が、10代前半の少女を口説くとは、奇妙な話だよな」
「聞いてたのか?」
「これでも盲目なんだ。耳がいいんだよ」
「意地汚い奴だ。それと、俺はこれでも百歳を越えている」
「知ってるよ。四回も受体転身を施した奴は、お前しかいないからな」
 くすっと笑みを浮かべる。眼帯がまったく気にならないほど、ワルチャーの笑みを浮かべた顔は綺麗だった。
 エグザイルは肩を竦める。
「多重人格になった気分になるんだよ、たまに。……それよりも、何か用か? 俺を探してたんだろ?」
「ああ、お前の機体の修理がやっと終わったらしい。修理というより、交換だけどな。前のあいつとの戦いで、パーツはほとんど蒸発してしまって、機体は8割がた跡形もなかったからな」
「……あいつか。ワルチャー、あいつの戦闘データーの解析は?」
「完了している。やはり、あれは月光=タイプGSだ。たぶん、大昔になくなったといわれているやつのあれだろ」
「中の奴は、死んだのだろうか?」
「たぶん、死んでいるだろう。……あれは、普通の人間が扱える代物ではない。現に、お前の機体を停止した瞬間、あいつの動きが止まった。あれが死んだという証拠だ」
 エグザイルは腕を組み、ワルチャーから目をそらす。
「……俺は、死んだとは思えない」
「根拠は?」
 ワルチャーが笑みを浮かべる。彼女のことだろう、たわ言か、冗談だと思っているのだろうか。
 しかしエグザイルはしごく真面目だった。本気で彼が死んだとはどうしても思えなかったのだ。
「……なんとなく、だ」
「あまりいろいろ悩み作らないほうがいいよ。ただでさえ、戦争でやっかいな状況なんだから」
「心配してくれてるのか?」
 エグザイルの返答に、ワルチャーは目を丸くして、そしてあはっと笑う。両手を大きく開きながら、
「まさか! 天下のエグザイル様に、こんな私めの懸念など必要ないでしょうに」
「ちょっと傷ついたぞ」
「心配してもらいたいなら、マリア様にしてもらえ。彼女のほうが、よっぽど大役だ」
 ワルチャーはいたずらな笑みを浮かべる。エグザイルは「それは失言だぞ」と言いたかったが、ワルチャーの歳に合わない今の無垢な表情を見ていると、そういう気はすっかり失せていた。
 突然、ワルチャーは笑いながら、制服の懐から何かを取り出し、それをエグザイルに投げつけた。エグザイルは右手でナイスキャッチする。
「新しい機体のミッションディスク。行くんでしょ? 地下。任務内容、ちゃんと聞いてる?」
「ああ、悪いな」
 エグザイルは、ディスクを懐に仕舞うと、ワルチャーの脇を通り過ぎた。ワルチャーは振り向き、小声でがんばってと呟く。
 それに答えるように、エグザイルは歩きながら右手を仰いだ。

                    1

 ドーム状に作られた空間は、とても広く、ACがOBを十分に使える範囲を余裕でクリアしていた。
 周囲の壁は全て物理反響材を使用した、特殊な壁だ。内側から攻撃されるとあっさり壊れるらしいが、表面は最強といっていいほどの頑丈な素材だ。核ミサイルが激突しても、傷一つつかないほどらしいが、試したことも、その光景を見たこともないのでカスパーは知らない。
『通常モードを終了し、戦闘モードを起動します。システム、オンライン』
 コックピット内に、心地よい熱気が充満してくる。臨戦態勢になったACは、常に体を火照らせた状態になる。それに相応して、パイロットのテンションも上がる。
「久々の運動だ。ちゃんと動いてくれよ……」
 そう小さく呟いた瞬間、周囲に歪みが発生した。そこから現れたのはMT十機。ブレードを備えた、パワー型の高級機だ。
『mission start!』
 まず最初に動いたのはカスパーだ。斜めに機体を横滑りさせて、近くにいた一機のMTにノーロックでマシンガンを叩き込む。
 だが、やや狙いが逸れてたのか、数発しか命中しなかった。カスパーはむー、と呻いた。
 周りにいた九機が急接近してきた。右手に持つレーザー銃を、四方八方から発射してくる。カスパーは機体をロールさせながら、九機の攻撃を全部かわした。
 かわしているいる内に、ちょうど目の前にターゲットを発見。
 ブレード、月光を一閃させた。まともに食らい、上半身をずり落としながら大破する。
 目の前に黒煙があがる。カスパーは機体を後退させた。その瞬間、レーザーが飛び込んできて、三機のMTがブレードを構えた状態で飛び出してきた。
 カスパーはマシンガンを発射する。二機が一機の後ろに隠れた。一機が熱の雨に撃たれて、踊りながら倒れる。
 瞬間、隠れていた二機が左右に飛び出してきた。
「おとり!?」
 左側から迫る奴が、ジャンプと共にブレードを振り下ろしてきた。
 カスパーは月光を上空で構え、ジャンプ切りを受け止めた。だがその隙とばかりに、右側に廻ったもう一機がブレードを横一閃させてきた。
「ACを嘗めるなよ」
 カスパーは思いっきり左手に力を込めて、ジャンプ切りMTを吹き飛ばした。そしてそれと同時に右足をあげて、もう一機のMTの頭部に蹴りを入れた。リーチの差で、その一機はブレードを命中させる前に、勢いよく後方にふっとばされた。
 マシンガンを掃射する。ふっ飛ばさせて、姿勢制御を図っていたMT二機は、数箇所に穴をあけて沈黙した。
「あと……七機か」
 レーダーを見る。マシンガンの射程外の位置で、固まるようにして七機全部が待機していた。カスパーはそれを見て、頭を抱えた。
「こちらが近づかないかぎり、止まったままですか。これだからCPUは……」
 呆れ言葉を吐き捨て、カスパーはOBを起動する。音速スピードになり、正面から七機に突っ込んだ。
 七機はこちらに気づき、レーザー銃を一斉に撃ってくる。撃ちながらバラバラに分かれようとするが、
「おせえぇ!」
 マシンガンを発射して正面のMTを撃破。OB停止と共に機体をロールさせ、ブレードを横一閃させて、一気に二機破壊。
 近くにいたMT二機が同時にブレードを振ってくるが、反応が遅すぎる。カスパーは跳躍して、空中から二機にマシンガンを浴びせる。MTは頭部をめり込ませたまま、膝を折る。
 床に着地。だがその瞬間、一機のMTが、猛スピードで体当たりしてきた。
 機体がややよろめく。カスパーは歯を噛んだ。
 大きな隙、体当たりしてきたMTが、また全速力でブレードを構えたまま突っ込んできた。体勢的に避けきれる状況ではない。
 しかし、カスパーは冷静だった。
 マスターブースターを起動。急速前進。ちょうど切りかかろうとしていたMTは、目標を失い、機体に急制動をかけていた。
 カスパーはその隙を見逃さない。月光を取り出し、左に機体をロールさせる。
 横一閃。
 止まりかけていたMTは、本当に止まってしまった。下半身だけの体から、爆炎を吐き出す。
「あと……一機か」
 右を見ると、一人後退しながらレーザー銃を撃ってくるMTの姿。よく見れば、最初に軽くマシンガンを被弾した奴だった。足のバランサーをやられたらしく、動きがつたない。
 実際のパイロットが乗っていれば、こんな状態でも懸命にトンズラを図るものだが、なにぶん今相手にしているのはCPU。そんな「らしさ」は見せてはくれない。
 はたして、今度の敵はこういう状況下で、どんな反応を示してくるのだろうか……。
 ふと、カスパーはそんな事を思った。
「……人間なら、そうだよな、きっと」
 頭を振る。
 両腕に力を込めて、カスパーはOBを起動する。
 機体は音速を纏い、一機のMTに急接近。レーザー銃が横を何発か掠める。
 カスパーは左腕を後方に振りかぶる。
 そして、
 月光の光が、MTの背中から飛び出していた。

『ターゲットの消滅を確認。テストモードを終了します』
『おつかれ〜、カスパー』
 ドーム内に、アヤの声が響き渡った。


         三章 Lelvon there the light target(5)

 退院して、三日がすぎた。
 その間カスパーがやっていた事は、戦争に参加……ではなく、引越し作業だった。
 A区画への移住。前の家は敵の強力兵器に吹き飛ばされ、多少の品物は生きていたが、ほとんどが爆風と砂塵にやられてボロボロだった。
 よってまずは買い物だった。
 自分の服。マリナの服。だがなぜかこの時、新人のアヤ・レイヤニックがいたおかげで、マリナの服代は予想金額を二桁も上回る状態になってしまった。
 もちろんこれらの買い物はすべて、カスパーの自費である。
 ……涙は流さない。
 次に家具。コーテックスが用意してくれたマンションの部屋には、それなりに生活用品がそろってはいるが、マリナ専用がないので、買うことになった。
 カスパーはやや抵抗を試みたが、だめだった。
……涙が頬を湿らせる。
 これら買い物で一日が潰れる。

 そして次の日……。
 朝。新しい我が家に、大量の荷物が届く。大人十人は敷き詰められるだろう玄関が、見えなくなってしまうほどの量だ。そしてその中の荷物9割が、全部マリナの私用品だ。
「誰だ〜! こんなに買ったヤツはぁ―――――――――――!」
 荷物を前にして、カスパーは思わず叫んだ。だがその時家には誰もおらず、その言葉は木霊となって返ってくるはめになった。
 少し空しい気持ちになりながらも、仕方なく荷物を家の適当な所にどかす作業を始める。玄関が見えないなんて、不安でたまらなかったからだ。
 途中、上段に設けられたダンボールが落下してきたが、持ち前のパワーで撥ね返した。ダンボールに穴が空いてしまったが気にしない。
 数分後、とりあえず玄関の光が見え一安心。久々の重労働にバテ、リビングのソファーにダイブ。意識を消沈させる。
 さらに数分後、マリナ帰宅。アヤ、おまけで登場。カスパーは寝ている所をアヤに蹴られ、不機嫌状態で目覚める。
 大量の荷物を前にして、マリナは目を丸くした。だが自分の驚きとのダントツの大差に、カスパーは意味不明な得意感を覚える。
 昼食を取り、第二作業工程に入る。ダンボールから荷物を取り出し、マリナの部屋に全て運ぶという、ダイボールの数を計算すれば、かなり高レベルな作業だ。
 カスパーとマリナは、とりあえずリビングに置かれたダンボールから片付ける事にした。
 カスパーは、ダンボールの一つをあける。
 出てきたのは衣類だった。だがその衣類を見て、カスパーは目を見開き、妙にスローモーションな動きと共に、その衣類の一つを手に取り、
「……あの、マリナくん。ちょっと……着るのかこんなの……」
「はい?」
 近くでダンボールの一つを開けているマリナが疑問の声をあげながら、こちらを見る。カスパーはそんなマリナに、衣類の一つを両手で摘むように持った状態で見せる。
 衣類の正体は…………スケリン(死語)な生地で、赤いワンピースなのか、ネグリジェなのか、よくわからない、とにかくいろんなモノを熱くというか興奮させる、アレな服だった。
 マリナの顔が真っ赤になる。
「あ、あの……それ、どこから……?」
「このダンボールからだけど。あの、それで……着るのか? これ」
「き、着るわけないじゃないですか! こんなの着て、どうしようっていうんですか!」
「いや、暑い時に着たら涼しいとか、これ着たままエプロンとか付けたら、すげーオリジナルさ満点の装備になるとか。……とりあえず、男の子はほっとかない。断言する」
「…………」
 マリナは疑惑に満ちた目でカスパーを睨む。その顔を見て、カスパーははっとした。
「……マリナにはちょっと早いか」
「全然言い訳にも、返答にもなってませんよ」
 マリナがさらに目を細め、やや後ずさりまでしながら睨む。
 カスパーは、さすがにどうしたらいいのか焦った。思考を右往左往させながらも、しかし両手に持ったスケ服は離さない。
 だがその時、
「あー、あ、あんた、何持ってるのよ! しかも両手で!」
 隣の部屋で何かごそごそやっていたアヤが、リビングの入り口の前でカスパーに指を指して、目を見開き、やや赤面した顔で大声をあげていた。
 カスパーは呆けた表情でまずアヤを見て、次に手に持つスケ服を見て、またアヤを見て、
「聞いてくれアヤ。我が家にまったく関係のないこのやたらに興奮というか、ノスタルジーなんかを感じさせる妙な服が紛れ込んでいやがった。宅配ミスだろうか?」
「そ、それは私の服! っていうか、早くその手をどけろ!」
「あ〜? お前の服? ちょっと待て、何を期待させるんだ。お前がこんなもん着ても、俺はびっくりも、興奮も、ハアハアもしないぞ。そんなことよりも―――」
 言葉が遮られたかと思ったら、顔面に誰かの足が命中していた事にカスパーは気づいた。それがアヤのとび蹴りだと気づいた時には、カスパーは、すでに2ヤードほど吹っ飛ばされている最中だった。近くのダンボールに激突し、その動きは止まった。
「思いっきり想像しながら言うな!」
 アヤは息を荒くしながら、未だ赤面した状態で吐き捨てる。吹っ飛ばされたカスパーは、ダンボールの角の部分に頭があたり、声も出せない思いで悶絶していた。

「……もしかしてアヤさん、ここに住む気なんですか?」
 不意にマリナがやや申し訳なさそうに、二人の間に割って入った。
 マリナの言葉にやや落ち着きを取り戻したアヤが、額の汗をぬぐいながら答えた。
「レイブン専用のオペレーターになった者は、基本的にそのレイブンを監視してないとだめなの。月に一回くらいは、本部なんかに情報を送らないとだめなわけ。で、こいつの住む街はここでしょ? ここって治安も悪いし、まともに住める所も少ないから、困ってたのよ」
「……それで、ここですか」
「そ、こんな広い部屋。たった二人で住むなんて大変だし、もったいないでしょ? だから勝手に荷物を送らせてもらったわけ」
「あの、じゃあ。カスパーさんの許可は……」
「あとで取ろうと思ったけど。……ちょっと今まで言うの忘れてたの」
 その時、やっと悶絶を止めたカスパーが、むくりと上体を起こし、
「……嘗めてんのか、お前」
 いきなりの拒否反応。
 だがアヤは引かない。一瞬むっとした表情を見せ、すぐに不敵な笑みを浮かべながら、
「あらあら、人の下着に手をかけておいて、よくそんな偉そうな事言えるわね」
「下着? 下着だったのかこれは。俺はてっきりSM女王のコスプレグッズかと思ったぞ。っていうか、手にかけた、というより、持ったのは不本意だ」
「そんな言い訳、私には通じません」
「女の下着持っただけで、裏打ちのネタになんかされたら男は終わりだぞ。……とにかく、だめなものはだめだ。さっさと荷物まとめてどっかいけ、消えろ」
 カスパーは、やや辛辣さをこめて吐き捨てた。
 その態度に、さすがのアヤも言葉を詰まらせる。真顔を返してくるカスパーと睨みあいながら、必死に言う言葉を考えていた。
 そして、
「……なんで、だめなの?」
 アヤから出た言葉は純粋な疑問だった。
 アヤは思ったのだ。何もそこまで言う事ないじゃないか、と。荷物まとめてどっかいけ? それがか弱い女性に対して、しかも身寄りのないものに言う言葉。こんな広い部屋に住んでいるんだ。それはあんまりじゃないのか。
「部外者に立ち入られるのは、迷惑だ」
 追撃の言葉。しかし、アヤはここであれ? と思った。
 言葉に嫌味を感じなかったのだ。
 まるで、必死に罵倒を吐いて、自分を追い出そうとしている感じだ。
 アヤはふと、マリナを見た。マリナは何かを悟ったような目で、カスパーを見ていた。しばらくじーっと見つめていると、視線に気づき、マリナがあっと声を上げて俯いてしまった。
 ここでアヤは、カスパーがあるACによる大怪我をした事を思い出した。
 その結果、この雰囲気の正体全てに合点がいった。
「……なるほど、私は他人ですか」
 曖昧な一言。しかし、カスパーに対し、劇的な反応を与えさせる効果は、抜群だった。
「なにを……」
「知ってるのよ、私。地上軍の兵士と戦って、相打ちであんた生き残ったんでしょ?」
「……それが、どうしたんだ?」
「コックピットはあんたとそこのマリナを乗せていた。二人は無傷だった。だけど、そのわりに合わない血液が、コックピット内には満たされていたらしいわ。検査によれば、全部あなたの血液だったらしいわ。これ、どういうこと?」
「これは尋問か?」
「いいえ、質問よ。私は知りたいのよ、貴方のことを。ちなみに、一オペレーターとしてね」
「だったら正直に言えよ。回りくどい言い方は、相手をいらつかせるだけだぞ」
「じゃあ、言うわ。……貴方たち、何か隠しているでしょ?」
 アヤは周囲を見渡す。マリナ、そしてカスパーと。
「教えて」
「そんな事、言うと思ってるのか」
「カスパーさん!」
 マリナが身を乗り出し、声をあげた。
「あ、やっぱりあるのね、秘密」
 アヤはニヤリと笑みを浮かべた。
「あ……」
 カスパーはまさに苦虫を噛み潰したみたいな顔を浮かべた。傍らマリナは、ふうと嘆息をついていた。
 カスパーは表情を真顔に近い顔に戻し、どうしたもんかと呟く。
「お前さ、周りからバカって言われない? もしくは突進野郎とか」
「言われてるわけないでしょ」
「じゃあなんでお前、自分から火の中飛び込むような事するんだよ。
 お前も馬鹿じゃないんだから分かってるだろ、危険なんだ。俺のオペレーターだろうがなんだろうが、余計な危険になんか巻き込みたくないんだ。
 ここで住めば、お前の安否は保障できない。……悪い事はいわない、お前は―――」
「さっきからお前お前って、うるさいのよ、あんた」
 突然アヤは立ち上がり、怒声の篭った言葉を吐き捨てた。
 しゃべりを遮られたカスパーは、やや戸惑いを見せる。その隙とばかりに、アヤはカスパーに詰め寄った。
「いい? カスパー・メルキオール。言わせておけば、少しあんたいい気になりすぎよ、まるでヒーローを演じる子供と同じだわ。見てるだけで笑いがこみ上げてくるほどにあんた変よ」
「な……!」
「余計なお世話なのよ。分かっているんでしょ? 私が、あんたと一緒にいれば危険だという事を知ってる、分かってるって。だったら、その先の事ぐらい、理解しなさいよ」
 アヤは自分の胸に右手を当てながら続ける。
「これは私の勝手なの。私がそうしたいと思ってやってる行動なの。だから安全だろうが危険だろうが、まったく関係ないの。そんなもん、覚悟の上よ。
 ……私、もう嫌なの。中途半端な付き合いのまま、知人がよくわからない問題で死んでいくのを知ることが。もうたくさんなのよ!
 だから、だから教えてよ!」
 アヤははっとする。いつのまにか、目元に涙が溜まっている自分に。慌てて右手で強く拭いた。
 だがすでに、周囲の者たちにそれは確認されている。反応は……唖然だった。
 アヤはしまった、と思った。思わず顔を真っ赤にして、俯いてしまう。さっきまでの勢いは、見る影もなく消沈していった。
 沈黙が流れた。
「……カスパーさん」
 不意に、小声でマリナが言う。
「私、アヤさんには話していいと思います。大丈夫です、アヤさんは誰にも話さないと思いますよ」
 マリナの言葉に、カスパーはふむと小さく頷く。
 カスパーはアヤを見た。
「……そう、だな」
 カスパーの言葉に、アヤは顔をあげる。
「確かに……腹割いて、いろいろ話してくれたしな。こっちも話さないと悪いよな」
 カスパーはにこっと笑みを返してきた。
「わかった。話すよ。お前の口の堅さと覚悟を信じてみる」
 アヤは体の中に、いろんなものがこみ上げてくるのがわかった。
 どうしようもなく涙が、まるで貯めていたみたいに流れてくる。
「……ありがとう」

 そのあと引越しの作業をしながら、アヤはカスパーたちの真実を、一字一句逃さず聞き入れた。
 アヤからすれば、それは想像の範疇を大きくはずれていた。
 地上軍が絡んでいる事はなんとなくわかっていたが、まさか謎の兵器と、このマリナという少女がそんな存在だとは、さすがに思いも寄らなかった。
 引越し作業が終わった頃には、話は全て終わっていた。
 胸の、何かつっかえていたものが、一つとれたような気がした。
 ……村の消滅は、そういうわけだったのね。
 全てに合点がいった。
 そして、これでやっと、素直にカスパーと接していけるとアヤは思った。
「ありがとう、カル……」
 不意に、昔呼んでた名前がもれた。
 あ、と声を上げる。目の先に、彼の背中があったからだ。アヤはしばらく見つめていたが、気づいた様子はなかったので、内心でほっとした。
(どうせなら、思い出してね、カル……)
 無茶な願いであろう。なにせ自分も忘れていたのだから。
 だけど、まだ自分から話すのは、早い気がした。
 もう少し……もう少しだけ、待っていたいと思う。
 そう、アヤは思っていた。

 こうして二日目がすぎ、三日目……。
 カスパーは、退院してから初の操縦テストを行った……。


         三章 Lelvon there the light target(6)

 ここグローバルコーテックス本部にある、操縦テスト試験場の操作室。
「射撃命中率92%。ブレード命中率100%。被弾率6%……」
「上出来の結果ですね」
 マリナの声に、アヤが一つ頷いた。
「敵の行動パターンが接近重視になっていたからもあるけど、この成績は大したものね。とても三日前まで入院していたとは思えないわ」
「カスパーさんですから」
 マリナは強化窓からACに乗るカスパーの姿を眺めながら言った。
 その声に嘘偽り、冗談というニュアンスはない。本気で彼の実力を理解していて、すごいと思っている。
 じっと、マリナを見た。
 ……マリナのほうが、今の彼のことを理解している……。
 アヤははっとする。なにを考えているんだ。
 一つ深呼吸をする。仕事に集中しようとした。……が、そのとき腕時計のベルがチチチと鳴った。
 動揺を頭に巡らせていたアヤは、その音に救われた気分になり、ほっとため息をついた。
「カスパー、とりあえず戻ってきて。もうお昼だから」
『了解した』
 窓から見ると、カスパーが格納庫に向かう姿が見えた。それを確認し、アヤはマリナにも声をかけて、ここコーテックス本部にあるランチルームに向かった。

                    *

 ちょうどお昼頃とだけあって、ランチルームはほどよく賑わっていた。
 広いランチルームだ。百人は余裕をもって食事ありつけるぐらいである。白い壁に、三十階の高さから見える窓の外は、絶景……とはいえないが、中々爽快ではある。
 雰囲気は、清楚な親しみやすい、といった感じだ。
「いいランチね」
 アヤは一目見た瞬間、気に入ってしまった。
 アヤとマリナは窓際の席に陣取った。それから数分後、赤いポロシャツにジーンズといった姿に身を包んだ、カスパーが現れた。

 カスパーが席につき、三人は食事を取る。
 しばらくして、スパゲティーを一口食べ終わったアヤが口を開いた。
「そういえば、あんたこれからどうするの?」
「わんあって?」
「……中の物、飲み込んでから話してくれない……?」
 アヤは目を細める。カスパーはこくこくと頷き、口の中のカレーライスの消化に勤しんだ。ごくりっと飲み込む。
「なんだって?」
「これから、どうするのかって、聞いたの」
「どうするとは、どういうことだ?」
「つまり……今やっている戦争に参加するか、レイブンとしての依頼を行うか――って、今の時代、レイブンの依頼なんてだいたいは戦争絡みだけど……あ! あとアリーナがあるか」
「アリーナ? このご時世に、アリーナなんかやってんのかよ」
「何言ってんのよ、そんなの当たり前でしょ」
「なんで当たり前なんだよ……」
「……あんたさ、テレビとかあんまり見ないでしょ?
 アリーナほど重要視された娯楽は、このレイヤーではないわよ、たぶん」
「そうなのか、マリナ?」
「私にふられても、そういう話はちょっと……」
 マリナはチキンライスをほお張りながら、困った顔を浮かべる。
「なんでマリナちゃんに聞くのよ。……いい? もしアリーナが今突然終わってしまったら、娯楽界に大きな亀裂が走るわね。なんたって、大きな試合の視聴率が84%ですからね」
「ふーん、そんなに凄いのか……。俺は参加できるのか?」
「出来るわよ。今登録すれば、三日後には試合できるわ。……E−10からだけど」
「最低ランクからってことか? 弱い奴と戦うなんて、俺ごめんだぜ」
「あ、でもね。戦争始まってから、ルールが少し変わったのよ。ちょっと待って」
 アヤはそう言って、いつも肩に下げている愛用のカバンを開け、ごそごそとその中に手を差し込んだ。
 しばらくして、書類の束を取り出す。
「えーとね……コーテックスの……あ、前略はちょっと飛ばすね。
 えーとねまず、新人のレイブンは同ランクのレイブンに一勝すれば、次に戦う相手をBランク以内まで選ぶ事が可能です。その選んだランクに勝てれば、そのランクレベルの名誉はもちろんあなたのものです。
 しかし、チャンスは一度だけです。もしその試合に負ければ、下から順に勝ち進む、一般ルールに従うしかありません、だって」
「つまり、最下位ランカーでも、上の高ランカーに一度だけ挑戦できるってことか?」
「そういうことね。たぶん、戦争のおかげで生まれたルールだと思う。偉い人たちは、とにかく強い戦士の捜索に勤めているんだわ。アリーナのレベルが高いレイブンは、基本的に良い待遇を受けるもんだから」
「良い待遇って、戦争の前線に出されることが良い待遇か?」
「……まあ、確かにね」
 アヤは苦笑を浮かべる。
 と、話に集中しすぎて、食事のことを忘れていた。アヤはフォークに巻きつけたスパゲティーを口に含む。咀嚼し、飲み込むとまた口を開く。
「……とにかく、どうするの? 依頼なら一応何件か来てるけど、全部戦争関係の危険な任務ばかりよ。退院したてだし、私としてはあまりおすすめできないんだけど」
「……アリーナにするよ」
 いつのまにか、カスパーの皿の中は空になっていた。口元をナフキンで拭きながら、カスパーは言った。
「あら? ずいぶん早い決断ね。前から決めてたの?」
「金がないんだよ。どこかの誰かさんが、勝手に人の金で、自分の私物を購入したりしたからな」
「……あっそ」
 アヤは不機嫌さを撒き散らしながら、ずるずるとスパゲティーを口に含んだ。
 カスパーはにやにやと笑みを浮かべる。その隣に座るマリナが、やっとチキンライスを完食し終えたらしい。満足の吐息をついていた。
「そういえば、アリーナのB−1の奴って、誰なんだ?」
「ん? なんでそんなこと聞くの?」
「戦う相手を知って何が悪い?」
「……本気なの?」
 アヤが聞き返すと、カスパーは迷いなくこくりと頷いた。
 アヤは嘆息した。
「呆れた。あんたがそこまで自意識過剰者だったとは、知らなかったわ」
「なんだよお前。俺が負けるとでも思ってるのか?」
「Bランクはね、強化人間の溜まり場よ。真人間がまともに戦って勝てる場所じゃないのよ」
「それがどうした。そんなもん、様はプラスとマイナスの違いだろ。真人間が強化人間に勝てないなんてルールは、いつ生まれたんだ?」
 アヤはカスパーを見た。表情には恐れも怯えも見えない。自信満々といった感じの微笑を浮かべている。
 アヤはスパゲティーの最後の一口を食べ終えると、口元を拭き、
「……はあ、もういいや。アリーナなら、負けても電子玩体形式バトルだから、死にはしないし。言い忘れたけど、チャンスバトルは連戦という形であるから、その辺注意しててね」
「了解。……で、B−1の相手って誰だ?」
「ニュースで知らない? ほら、この戦争の発端にもなったあの、管理者壊した奴」
「あ〜〜……名前なんだったっけ?」
「ちょっと待って。確かアリーナ選手の名簿があったはずだから」ここでお前も知らないのかよとカスパーがつっこみを入れるが、アヤは無視する。「……えーとね、……あ、あったあった! えーとね、選手の名前は――――」

                    *

 狭い個室だ。
 それに、ほとんど何もないといっていいだろう。三人ほど座れる大きさの椅子、一人用のベッド、パソコンの乗った机、それだけだ。部屋の中はもう夜だというのに、真っ暗のままだ。
 そこに、一人の男がいた。椅子の上に、うな垂れるように座っている。電源が入ったパソコンの光が、不気味に彼を映し出していた。
 年は20代中盤くらい。体格は男性の標準くらいで、長い黒髪を無造作に伸ばしている。
 男はぴくりとも動かない。表情も、まるで死んでいるようである。
 その時、効果音と共に机の上のパソコンに人が写った。すると男は、初めて反応らしい、顔をあげるという行動を取った。
『レイブン、起きていますか?』
 パソコンの画面には、栗色のショートカットの、黒いサングラスをかけた若い女が写っていた。
 男はその画面に感情のない視線を送る。
「……ああ」
『アリーナであなたに挑戦したいと言うレイブンがいます。どうしますか?』
「やる。いつだ?」
『三日後に、二人がチャンスバトルで挑戦したいと……』
「名前は?」
『一人はミリタリー・エルクという選手。もう一人はカスパー・メルキオールです』
「わかった。……なあレイン」
『なんですか?』
「僕の、名前呼んでくれよ」
 男の言葉に、さっきまで、生真面目な表情を浮かべていた画面の女性は、急に表情を崩した。
『……ふふ、またですか? 強化人間の副作用って、大変なのね。でも、そんな暗い部屋にいるあなたも悪いと思うんだけど』
「だったら、家に来てくれ。歓迎するよ」
『そんな事言って。もう裸エプロンなんかしないからね!』
「そんな事しなくていい。ただ、一緒に寝て、名前を呼んでくれるだけでいいんだ」
『んもう、エッチだな〜アレス君は』
 レインは不意に、サングラスをはずした。くりくりとした大きな瞳が見えたおかげで、幼さがぐっと膨れ上がった。
『今日は無理だけど、明日遊びに来てあげるよ』
「ごめんな、無理いって。ただでさえ僕は戦争を起こした張本人と罵られて、周りから奇異の目で見られているのに……迷惑してるだろ?」
『うんんん。大丈夫だよ。確かに嫌な視線とかあるけど、別に苛められてるわけじゃないから。アレス君こそ、大丈夫?』
「僕は……君さえいてくれれば、大丈夫だ」
 はははと、レインは笑う。
『よくそんな恥ずかしいこと言えるね。感心しちゃうよ』
「本心だからな」
 そう言って、アレスは微笑を浮かべた。
 レインも笑い返す。
『ふふふ……じゃ、明日来るね』
「ああ、待ってる」
『じゃ……』
「ああ」
 レインは手を振りながら、画面内から消えた。
 アレスはパソコンの前から離れ、ベッドに向かった。そのまま倒れるようにダイブする。
「……なんで、僕がこんな目にあわなければいけないんだ」
 ベッドの中でもぞもぞと動きながら、アレスは呻き声のような声を上げる。
「助けて、助けてくれよレイン……」
 アレスは、まるで胸をえぐるように右手で押さえていた。
 そして、気絶するかのように、深い眠りについた。


         三章 Lelvon there the light target(7)

『エレクトロン・トイロス・システム、リンク機構接続開始』
 コックピットの画面内に、機体の全体図が下から順に『コピー』されていく。ちょうどそのコピー領域がコックピットあたりまで来た瞬間、妙な浮遊感をカスパーは感じた。
 電子玩体システム、通称ETS。
 現物の物体をまず電子状のものにコピーして、それをコンピュータの中に取り込んでしまうというシステムだ。
 今のアリーナでは、このシステムを応用した『機体と、パイロットの思考を永久トレースして、擬似三次元空間で戦わせる』という方法を実現した。
 このシステムの再現率は99.9%と、ほぼ完璧に機体の動き、パイロットの思考をOSが読み取って再現してくれる。まさにゲームシステムと大して変わらないシステムなのだ。
 細かい事は分からないが……様は、レイブン試験の時のあれを、最大限に安全にした装置ということだろう。
 まったく、便利なものが出来たなと、カスパーは思った。
『接続オールグリーン。挑戦者、ステージを選んでください』
「広い所で、何もない所がいい」
『検索…………アリーナ会場に決まりました』
「……捻りのないステージになったな」
 カスパーは苦笑を浮かべた。
 視界が真っ暗になる。しかし、すぐに眩しいライトの光が視界に広がった。
 アリーナ会場である。
 そして目の先には、これから戦うレイブンが待ちかねたぞと言わんばかりに、殺気をむき出しにしながら立っていた。
『戦闘モード起動。制限されたシステムの上限をアップさせます』
 あたりに熱がこみ上げてきた。カスパーはそれを全身で感じながら、体に力を入れる。
 視界の左手側に、『Ready……』の文字が浮かんだ。
「さあ! いっちょやりますか! レイブン同士!」
 FIGHT!
 その文字と同時に、カスパーは機体を前進させた。

                    *

 30秒後……。
『win! 勝者は、カスパー・メルキオール!』
 司会者と思しきその声が飛んだ瞬間、会場内の観客が奇声に近い声を上げた。
 観客達は、勝利した自分を称えているのだろうが、当のカスパーは全然嬉しくはなかった。
「おいおい、弱すぎだぞあいつ。あれでレイブンなのか? 準備運動にもならなかったぞ」
 その問いに答える女性の声が、コックピット内に響く。
『レイブンは、なにも試験によって選ばれるものじゃないからね。MT乗りの軍人が、優秀な成績で卒業して、レイブンとしてAC乗りになるという例もあるから、たぶんあんたの相手はそれだったんでしょ』
「これなら、この前の操縦テストのMT一機のほうがまだ強かったぞ。あっちのパイロットにもう一回MTに戻れ! って言ってきてくれない?」
『なに非人道的な発言してるのよ。これから強くなるのよ、これから。強者として、暖かく見守るとか、そういう考え浮かばないわけ?』
「俺は新人レイブンなんでね。相手より強いからって、そんな考えを同期にはいだけないな」
『……ああ〜もう。いいから早く帰ってきなさいよバカ。チャンスバトルまでは、まだ時間があるんだから、次の人の邪魔になるわよ』
「はいはい、わかりましたよ」
 やや悪態をつきながら、カスパーはまだ歓声が飛びかう、アリーナ会場をあとにした。

                    *

 まただ、また来た……。
 体がぐらつき、思わず廊下の壁に身を預けてしまった。
「大丈夫?」
 隣に立つレインが、心配そうな表情でこちらを見ていた。アレスは右手を掲げて答え返した。
(ちっ、これから試合だっていうのに……)
 アレスは頭を抱える。頭痛がした。吐き気もする。数時間前に鎮静剤を打ったばかりなのに……。やはり、自分はもう限界なのだろうか。
「ほんとに大丈夫? なんなら、棄権してもいいんだよ」
「いやだ!」
 アレスはかっと目を見開き、レインを睨むようにみた。レインは一瞬驚いた顔を見せたが、すぐに表情を正す。対応に慣れている感じだ。
「だけど……」
「いやだ! それは絶対いやだ! そんな逃げるような事すれば、また罵られる。レインも馬鹿にされる。負け犬にはなりたくない! 僕は、僕はずっと強者じゃないといけないんだ!」
 レインの両肩を掴みながら、まるで何かを懇願するようにアレスは叫んだ。
 さすがにレインも、戸惑いを隠せないでいた。強化人間の代償での影響で、ここまで情緒不安定になったのは、今回が初めてだったからだ。
 アレスの両腕に力が篭る。思わずレインは痛っ、と悲鳴を上げた。
 レインの悲痛の声に、アレスははっとする。ばっと両腕を離した。
「ご、ごめん……」
「いいの。それより、やっぱり今日は止めたほうがいいよ、私の事は、別に気にしなくていいからさ、ね?」
「だめだよ、だめなんだよレイン。僕は戦いを止めちゃだめなんだよ。
 これは君だけの問題じゃない、僕自身のプライドと、過去の贖罪の問題なんだ。わかってくれ、レイン」
「……うん」
 納得のいかないといった返事だったが、分かってはもらえたようなので、アレスはとりあえずほっとした。
 その時、正面の道から、人がやってきた。男と女の二人組みである。
 二人はこちらをちらっと見たが、大した興味も示さず、そのままアレスの脇を談笑しながらすり抜けていった。
 思わず彼らを眺めていたアレスに、レインが小さく呟きかけた。
「アレス、彼らだよ。あなたが戦う相手の一人、確か、カスパー・メルキオールっていう」
「そうか。……あの様子じゃ、余裕で勝ったみたいだな。まあ、最初っから余裕で勝ってこないやつが、僕なんかに挑戦してくるわけないか」
「行きましょ、アレス。一人目の挑戦者が待ってるわ」
「ああ」
 アレスはレインに笑みを返し、歩を会場に向けて進ませた。それに続くように、レインも隣に並んだ。

                    *

「……気づいた?」
 突然、話を変えてくるアヤ。表情もさっきまでの砕けたものではなく、真面目な感じだ。
「まあ、顔見ればなんとなく」
 話の急変に、大した違和感ももたずに、カスパーは答えた。
 カスパーの答えを聞いて、アヤはへ〜と声を上げる。
「けっこう、洞察力とかもあるのね、あんた」
「普通の強化人間だとさすがに気づかないさ。でも、あいつは特別だ。昔の方法でやられている」
「……なにそれ?」
「お前知らないのか? 人の強化技術は、昔は今みたいにマイクロ波による精神強化じゃなく、単純な薬物という方策で行われていたんだぜ」
「知らないわよ。私あいつら嫌いだもん」
「知識としてぐらい頭に入れとけよ……。もちろん、今と違い薬物による強化は、多大な副作用を起こした。毎日のように頭痛、吐き気、めまい、幻覚、アンデンティティの崩壊、おおげさなまでの利己心の増大。まあ、今のと違い、デメリットは多分にあったらしい」
「今の強化人間は、確か瞬間的なボケとか、やたら高揚的になったりとか、普通の人より少し情緒が不安定なぐらいだよね。大きな違いね、今とは」
「だが、その分薬物による強化は、その効力は今のよりも遥かに強力らしい。通称『魔法使い』と呼ばれていたらしいからな」
「魔法使い? けったいなニックネームね」
 いつのまにか、目の前に観客席内への扉が見えた。カスパーはドアに手をかけた。
 中に入ると、けたたましい歓声が耳に入った。あたりを見渡すと、ほとんどが満席だ。今日はB−1の試合があるから、それを見にきているのだろう。
 仕方なくカスパー達は、入り口付近の手摺の前で試合を観戦することにした。
「にしても、なんで今どき薬物強化なんかしてるんだ? 管理者退治の英雄のくせに、やってること頭悪すぎだぞ」
「いろいろ事情があるんでしょ。それと、英雄なんて言うのは不謹慎よ」
 アヤは少し強い調子で言った。言葉には小さな怒りが感じられる。
 視線を会場中央の3Dグラフィーに向けていたカスパーは、少し驚いた顔でアヤを見た。アヤはこくりと頷く。そのアヤの答えに、カスパーは神妙な表情になった。
「……そうか。やっぱりいろいろ嫌がらせとか受けているんだ」
「特に、彼のオペレーターがひどいものだわ。私もなんどか顔を見たことあるけど、いつも一人でいてね。たまに人といるときも、なんか険悪な雰囲気だしてるし。まあ、大人だから安い嫌がらせ程度だろうけど、苦痛には変わりない毎日でしょうね」
「オペレーターっていうと、隣にいた子だよな。けっこう可愛いのに、可哀相だな」
「さっきはなかったけど、彼女いつもは真っ黒なサングラスしてるのよ。まるで自分から孤独になるため、みたいに……」
 アヤの表情が暗くなる。
 カスパーはまた中央に視線を戻し、小さく口を開いた。
「……なんであいつ、管理者なんて倒そうとしたんだろうな」
「戦歴のデータによると、彼って正義感が強いらしくて、弱い人たちの依頼ばかりうけて手助けしていたらしいわよ。管理者って、「おかしくなってる」とか「管理者は管理者でなくなってしまった」とか、よく悪いうわさが流れていたから、たぶんそれで倒そうと思ったんじゃない?」
「アホらし、完璧傲慢野郎じゃねーか。見た目からはそんな風には見えなかったけど。……正義の味方もいいところだな」
「実際、ほんとどんな理由で、今こうなってるんだろうね。私には想像もつかないわ……」
 その時、周囲の歓声が肥大して大きくなった。
「どうやら、その本人の試合が始まるらしいぞ」
 カスパーは手摺に体を預けながら、中央に意識を移した。アヤもそれに習うように、視線を中央に向けた。
 しばらくすると、会場内にピ〜〜と、サイレンに近い音が響く。すると歓声が水をさしたように静まりかえった。
 中央の巨大画面付近に、司会者らしきハタチ後半くらいの男が現れた。深呼吸を一つ行い、右手に向かって声を張る。
「おまたせしましたみなさん! いよいよ今日のメインイベント、ランカーB−1の戦士アレスに、チャンスバトルで挑戦する一人目の試合を行います! みんな準備はいいか!?」
「おおおおお――――――!」
 まるで獣の咆哮みたいな歓声だった。カスパーも一観客だが、叫ぶことよりも耳を塞ぎたい衝動に駆られた。
 観客のテンション具合を聞いて、司会者は満面の笑みを浮かべる。
「OKOKOK! では行ってみよう。まず、挑戦者の名前を紹介しよう。ミリタリー・エルク。つい最近レイブン試験に合格した新人も新人のレイブンだ! 当の本人は「絶対に勝つ」と公言しているが、果たして結果はいかに!?」
「もしかして、俺と同期のやつ?」
「そうよ、知らなかったの?」
「知らない奴だからな」
「4人しか合格してないんだから、覚えておきなさいよ……」
 アヤは呆れたように、ため息をひとつ吐いた。
「次に、みんなももちろん知っているアレスの紹介だ! かの管理者を倒した英雄アレス! それだけに彼の強さは強大だ。はっきりいって、挑戦者が勝てる見込みはかぎりなく薄いといえよう」
「おいおい、英雄なんてよく言えるな」
「あんたも言ってたじゃない」
「…………」
 カスパーは頭をぽりぽりと掻いた。
「さあ! みんなもそろそろ、待ち遠しくて仕方なくなってきたところだろう。試合をはじめてみようか!」
「おおおお―――――――――!!」
「では、対戦者、入場だ!」
 中央の巨大な3Dグラフィーが光を吐き出した。しばらくすると光は消え、画面内に二つのACが現れた。
 観客の咆哮が生まれる。
 それと同時に、カスパーたちは耳を塞ぐ。
『アレス、機体「プロビデンス」、ミリタリー・エルク、機体「アルグレッド」』
 機械的な女性の声が響く。
『Ready……』
 画面内の二体のACが身構える。
『GO!』
 合図と共に、二体とも勢いよく前進した。


         三章 Lelvon there the light target(8)

 二機の機体が、東側と西側に対立するように立っていた。
 東側、アレスの機体「プロビデンス」。赤を基調とした装飾で、中量級。右手にカラサワを一段小型にした、世ではカルサワと呼ばれるものを持ち、左手には中級クラスの青ブレード。ボディはOBタイプではなく、EOだ。肩には何もなく、代わりにEXでバックブースターが取り付けられていた。
 次に西側、エルクの機体「アルグレッド」。白の上に、薄い青を入れた装飾で、軽量級。右手には距離重視のスナイパーライフルを持ち、左手にはアレスと同じ青ブレード。右肩に自立兵器発射ボックスを装備していて、ボディはOBタイプだ。
 二機の機体は前屈みになり、身構える。
 サイレンの様な効果音が響き渡る。
 試合開始の合図だ。
 瞬間、二機は敵に向かって飛び出した。

                    *

 先手をうったのはエルクだった。接近しロックオンすると、いきなり自立小型兵器を放った。小さな砲門を持った、ハエのような形の物体が数機飛び出し、アレスへと襲い掛かる。
 ハエは射程内に入ると、一斉にレーザーを発射した。その瞬間、アレスは機体を右斜めにずらし、回避行動に入りながらさらに接近する。
 だが、エルクはこの瞬間を狙っていた。
 いつのまにか、アレスの正面にエルクは廻っていたのだ。アレスの目の先には、スナイパーライフルの砲身があった。遠距離用の武器ではあるが、もちろん至近距離からの威力も伊達ではない、むしろ一撃必殺の威力を発揮するぐらいだ。
「くたばれ!」
 エルクは一声と共に、一撃を放つ。
 爆発音に近い発射を行うと、飛び出た赤い弾丸は空気を突き破りアレスに襲い掛かる。弾道は完璧の方向だった。
 だが、
 アレスは余裕だった。
 EXを起動し、急なブレーキーをかける。スピードを殺しながら、ブレードの光を射出させた。
 そして、左腕を勢いよく振った。
 そこから現れたのは、高熱色をおびた蒼い波。
 波はエルクの一撃をかき消し、勢い衰えないまま敵本体へと迫る。しかし、エルクはこれを予測していたかのように、ライフルを下げ、機体をロールさせ、光波を紙一重でかわした。目標を見失った光波は、空中で轟音を立てながら四散した。
「……やはり、一筋縄ではいかないか」
 エルクは軽く、舌打ちをした。
 エルクの機体には、軽い燃焼跡があった。しっかりと避けたつもりのエルクだったが、光波の威力は、目に見えない所で威力を発揮していたらしい。
 アレスの方は、まだ活動し続けるエルクの自立兵器を、EOでくるくると回転しながら破壊している最中だった。エルクが態勢を立て直す頃には、しもべ達は全滅していた。
「……退屈だ。この程度か」
 嘆息するような声。
 この言葉に、エルクはかっとなった。
「調子にのるな!」
 言葉と共に、エルクは前進しながら跳躍する。そして空中からライフルを乱射した。
 だが敵の反応が早いうえに、角度が悪すぎて弾はかすりもしなかった。それどころか、アレスは回避行動を行いながら、隙間を縫うように右手のカルサワを撃ち込んできた。
 弾は、ボディ脇部に命中した。
 落下するように、エルクは落ちる。だが一応、足から着地する。
 エルクの機体はまだ動けるが、危険な状態だった。エルクから悲痛の声が漏れる。
 アレスはカルサワをエルクへと向ける。
「勢いがいいのは威勢だけか……、もう終わりにしてやるよ」
「やかましい! この偽善者め!」
「……言ってる意味がわからないのだが」
「戦争を起こした奴が、よくそんな事言えるな。自分がやったこともわからないなんてな。
 お前さえいなければよかったんだ。お前がいなければ、戦争も起きなかったし、俺の故郷が消えることもなかったんだ!」
「僕のせい? 偽善者……?」
 アレスから、怯えるような声が漏れた。
「お前なんかいなきゃよかったんだ。この人殺しが! 人殺しがのこのことアリーナなんかやってんじゃねぇ! お前なんかいらないんだよ!」
 エルクは自分が言いたかった事を吐きすてた。
 まだ言いたいことは山ほどあったが、それは勝負で全て決めたかった。エルクはまだ負ける気じゃなかった。玉砕覚悟がかかれば、勝機はまだある、そう思っていたのだ。
 エルクの機体が、ぐっと身構える。
 だがその時、エルクはアレスの様子がおかしいことに気づいた。
「……僕のせい、僕のせいで皆が迷惑している……レインも迷惑している、人殺し、たくさんの人が死んだ。僕が戦争の元凶……悪、背信者……全て僕のせい、僕のせい……?」
 まるで呪文ように呟く声が、アレスの機体から漏れていた。
 そんなアレスに、エルクはぞっとするような悪寒を感じだ。だがすぐに頭を振り、前を睨んだ。
 アレスは、まるで何か取り付かれたみたいに、意味不明なことを呟きながら、機体をだらんとさせていた。
 エルクは思った。チャンスだ、今なら奴を倒せる。
 エルクはOBを起動させ、一気に相手との距離を縮める。途中、残っていた自立兵器も発射させ、ライフルを打ち込みながら、左腕を構える。
 エルクは勝利を見た気がしていた。
 だが、アレスのさらなる変化、さらなる異常に、それはありえない話になった。
「僕が何をしたっていうんだぁ―――――――――――――!」
 ――叫び。いや、どちらかと言えば、発狂といっていい叫び方だった。
 その叫び声に、エルクは恐怖に近いものを覚えた。まるで化け物が咆哮をあげたように聞こえたからだ。だがエルクは動きを止めなかった。攻撃を行いながら、化け物に急接近を続ける。
 だが、その行動は途中で遮られる。
 アレスの姿が……消えた。
「お前なんかに、言われたくないんだよ……」
 エルクの目の前に、突然現れる赤い機体。いつのまにか、放ったはずの自立兵器が破壊されていた。
 赤い機体は左腕を振り上げた。するとエルクのライフルが、中央をへし折りながら宙を舞った。それとほぼ同時に、今度は赤い機体の右腕が、エルクの機体頭部へと打ち込まれた。持っていたカルサワが、中心から変形した。
 武器による射撃ではない、打撃だ。
 エルクは一瞬、なにをされたのか理解できなかった。突然宙に浮かんだことによる浮遊感が、現実感をまったく感じさせない。
 浮遊感が終わると、エルクは激痛と共にはっとした。
 そして前を見た。
 赤い、赤い化け物が立っていた。
「ひっ……」
 恐怖の声をあげる。だが、化け物はゆっくりと近づき、使い物にならなくなった右手の武器を捨て、その拳をぐっと握り締めていた。
 エルクはもう一度恐怖の声を上げた。そしてその頃には、化け物はもう目の前に立っていた。右腕を大きく振りかぶっている最中だった。
 そのあとの光景は、まるでスローモーションにでも掛かったみたいに、悪夢がリアリティーをおびてエルクを襲った。
 バギャンッ!
 右腕が砕かれた。
 バギャンッ!
 左腕も砕かれた。
 バギャンッ! ガ、バギャンッ! ブンッ!
 両足がいっぺんに砕かれた。砕かれた両足が、邪魔といわんばかりに、宙へと投げ飛ばされた。
『両足が紛失しました。戦闘不能です。ただちに退避をお願いします』
 今のエルクの耳には、AIのアナウンスの声も、まったく聞こえていなかった。聞こえるのは、自分が壊れていく効果音だけ。
「やめてくれよ……」
 バギャンッ!
 拳はボディへと打ち込まれる。ボディに小さな亀裂が走った。
「もうやめてくれよ……」
 バギャンッ!
 ボディに大きな亀裂が走った。
「もう、もうやめてくれ――――っ!」
『片方の戦闘不能により、電子玩体システムを終了します』
 ……悪夢が、やっと終わりを告げた。
 このあとエルクは深く思った。
 この試合が、アリーナでよかった、と。

                    *

 会場内は、まさに唖然といえる空気に包まれていた。試合が終わったあとなのに、勝者への歓声が少しもないのだ。
 だがそれも仕方のない話である。状況は、全てが異質極まりなかったのだから。
「なんだ今のは? とても正式な試合の光景とは思えなかったんだが……」
 中央の画面には、無残にも両手、両足がもぎ取られるようにとれたアルグレッドの姿。しばらくすると、その画面は「しばらくお待ちください」という文字へと変わる。
「何かあったんじゃない? ほら、あっちでの音声は、こちらには聞こえないからさ」
「カスパーさん」
 後ろから声がした。二人は視線をそちらに向ける。見ると、作業着姿のマリナが立っていた。
「お、マリナ。整備は終わったのか?」
「はい、言われていた、足バランサーと、ブースターの出力の調整は終わりました」
 マリナの言葉に、カスパーは微笑を浮かべながらマリナの頭をなでた。それに応じるように、マリナの頬が赤くなる。
「マリナ、お前試合見てたか?」
「……一応、最後の部分だけちらっと見ましたけど」
 マリナはなんとも言えない表情を浮かべる。
「……カスパーさん、あんな人と戦うんですか?」
「ん……まあ、な」
「嫌、じゃないですか?」
「そういう気持ちはないな。全然、まったく」
「はぁ〜、そんな所だけレイブンって奴らは肝が大きいんだから、少しは怯えなさいよ」アヤが嘆息を漏らしながら言う。
 そんなアヤに、カスパーはば〜かと吐き捨てる。
「あんなので怯えてるなら、最初っからレイブンなんてならねーよ」
「たくましいですね」マリナは口元に手をやりながら言う。
「おう」
「ただ鈍感なだけでしょーが……」アヤがぼそっと呟いた。
「敏感症のやつに言われたくないな。アヤ、たのむから夜中に喘ぎ声上げるのは勘弁してくれ、興奮するから」
「だ、誰がんな声上げてるか!」
「お前」
 びしっとアヤに指をさす。
「…………」
『NO203エントリー=カスパー・メルキオール様。次の試合が始まります。至急、プレイールームにお急ぎください』
「……もう試合か。早いな」天井を見上げながらカスパーは言う。「それじゃあ、行ってくる」
「気をつけてください」マリナが微笑とともに言う。
「ああ、分かってるよ」
「ほら、行くよ。それと、あとで殴らせなさいよ」
「なんだ、ほんとだったのか……」
「違うわよ!」
 激昂するアヤを無視して、カスパーはマリナに手を振り、先を歩くアヤに並んだ。アヤはいろいろ文句を吐いていたが、カスパーはそよ風のごとく、アヤの言葉を耳に入れていなかった。
 会場内に、次の試合の予告が告げられる。テンションが微妙になっていた観客たちに、また魂が入り込んだ。
 挑戦者として、自分の名前が告げられる。全部聞き終わる前に、カスパーは会場をあとにした。

                    *

「はぁ、はぁ……はぁ……」
 選手用の個室に戻ると、アレスは気分の悪さと眩暈を覚え、思わず足元をふらつかせた。
 今日の発作は、いつもより日をまして酷かった。
 急いで棚にかけより、鎮静剤を打つ。乾いた喉を潤すような、そんな快感が全身をめぐった。
 ――今日で、5本目だな……。
 自分の体が病んでいる事をはっきりと自覚できる事実だ。アレスは右手で顔を覆う。なんとなく、右手の触感が薄くなっている気がした。
 自分の哀れな現状に、アレスは吐き気を通り越して笑いたい気分だった。……自分にむけて。
「アレス……」
 傍らで、またレインが心配の表情を浮かべていた。そんな彼女を見て、アレスはさらに倦怠感を強める。
「大丈夫だから、レイン。だから、そんな顔しないで……」
 アレスは精一杯の笑顔をレインに向けた。しかし、彼女の顔は少しも晴れない。
「大丈夫って……それのどこが大丈夫なのよ!」
「これはいつもの発作だって、試合が終わったあとだから、少し大げさに表れてるだけだから……」
 レインは泣きそうな顔を浮かべる。
「……どうして、そんな嘘をつくの? わからないよ、私」
「……嘘なんてついてない」
「無理しないで、もう辛い、今日はやめようって、言ってよ。ねぇ……言ってよアレス」
「嘘なんてついてない。僕は大丈夫だよレイン」
 アレスは笑顔を浮かべる。だが、それはどこか形を成さない、不恰好な笑顔だった。
 レインはもう何も言わなかった。言っても無駄だと悟ったのだ。
 レインのだんまりを確認すると、アレスは一人部屋の外へと出て行く。
 ドア越しに、レインが膝を落とす音が、聞こえた気がした。
 泣き声も聞こえていた。

 アレスは廊下をしばらく歩くと、壁に手をつき、動きを止める。
 額から、大量の汗が流れていた。うな垂れると汗が目に入り、アレスは思わず右目を閉じる。
「アスカ・ハーレイス様ですかな?」
 突然、老人の様な声が耳に入り、アレスは慌てて顔を上げる。
 ほぼ目の前の位置で、アレスの胸ほどまでしかない身長の老人が立っていた。身なりは紺色のスーツを着ており、あまり似合っていない。しかしそのおかげか、ただの老人見える柔和な顔が、ただものではない雰囲気を出していることに気づかせる。
 アレスは思わず一歩下がった。理由はまず、驚いたからだ。
 ……なぜ、本名をしっている?
「……何者だ」
「いえいえそんな身構えず、別に怪しいものじゃ、ないですよ」
 にこっと微笑む。だが、どこか解せないその笑みが、怪しさを倍増にしていた。
「何のようだ。一般客で迷ったのなら、ここからまっすぐ右にいけば係員がいる」
「こんなじじいが、ここの地理を知らないと思っているんですか? あなたを警戒させている、この私が」
「……分かっているなら、早く理由を言え。人を呼ぶぞ」
「恐れ入ります。今日は、ちょっと商売のほうでアレスさんに用があったんです。アスカさんの方がいいですかな?」
「アレスでいい。それより、お断りだ。さっさと消えろ」
 アレスは老人に背を向け、廊下を歩き出す。
「あれ〜、そんな事いっていいのかな〜。このままだと、アレスさん死んじゃいますよ。彼女が悲しむんじゃないですかな」
 まるで、子供が友達の弱みを握って、それをさらしているような言い方である。アレスは歩みをやめ、振り返り睨みつけるように老人を見る。
「……どういう意味だ」
 老人はそんなアレスに対しても、飄々とした態度でひるまない。まるで子供をあやかす様な笑みを浮かべ、
「わかりませんか? 聡明なあなたなら、もうわかったと思うのですが」
「お前に僕の何がわかるっていうんだ」
「……まあいいです。とにかく、次の試合の相手、カスパー・メルキオールにだけはお気をつけください。そして、どうか勝ってください」
「なぜそんな事を?」
 その時、老人は懐から何かを取り出し、アレスにそれを投げつけてきた。アレスは慌ててそれを両手で掴む。見るとそれは、小さく透明なビンだった。中で黄色い液体がゆれていた。
「それをお飲みください。一時的に強化人間の副作用が止まります。……では」
 老人はくるりと背を向けた。
「ちょ、ちょっと待て! なぜこんなものを渡す! お前は何者なんだ」
「それは、試合が終わってから説明します。いいですか、それは必ず飲んでください。そうしないとあなたは、自分で、自分の大切なものを無くす事になりますよ……」
 そういって、老人は再度背を向け、老人とは思えないスピードで歩き出した。
 アレスはしばらく呆けた様子で老人を眺めていた。しばらくしてはっとし、老人を追いかけた時には、老人はエレベーターに乗り込んでスイッチ押してる最中だった。
「待ってくれ! おい、それってどういう意味だ、答えろ!」
 だが答えを聞く前に、エレベーターの扉は無常にも閉まる。老人が笑みを浮かべる顔が、一瞬だけ見えた。
 アレスは歯噛みし、扉をガンっと叩いた。
 しばらく拳を扉に押し付けていた。ふと右手を見る。老人から渡されたビンがあった。
 アレスは疑惑に満ちた目で、そのビンを睨んだ。
 老人の顔を思い出す。怪しいが、嘘をついているようには思えない、あの笑み。
 つまり、本当かもしれない。ということは……。
「……くそっ!」
 アレスはビンの蓋を開け、中身を呷るように口に入れる。
 瞬間、変化は起きた。


         三章 Lelvon there the light target(9)

 心理、思考、全身の筋肉やその他いろいろを、赤い水平線が電子データという形にコピー補正し、それを機械へと取り込んでいく。
 その感覚は、まさにレントゲンを採られる時の、あの吸い取られるような奇妙な感じにとてもよく似ている。
『ステージをお選びください』
「広いところで、戦場を感じさせるところ」
『検索…………荒野に決まりました』
「まんまじゃねーか……」
 苦笑を浮かべていると、目の前が真っ白になる。はっと気づいた時には、見慣れた何もない暗い荒野が広がっていた。
 そして正面に立つのは、赤い戦士。
 暗い空間に赤い存在は、どこか繊細な装飾に見え、目立ち、きれいに見えた。
 しかし、相手から発せられるのは……。
 殺気。
 どちらかといえば、悪意に近い、歪んだ空気が相手から漏れていた。とても、廊下ですれちがった相手から発せられてるものとは、思えなかった。
「なにがあったんだか……」
 そんな事を考えてる間に、左手側でReady……の文字が浮かんでいた。
 集中する。
 戦いの前に、雑念は不要だ。
 必要なのは、力と、信念だけ。
 それだけだ。
『GO!!』
 サイは、天高く投げられた。

                    *

 まるで自分の体じゃないみたいな、そんな違和感もあった。
 しかしどうでもいい。今は楽しくて、楽しくて仕方がなかった。アレスは初めて、生きてる喜びを全身で享受できた。すばらしい。生きてることが、こんなに気持ちいいなんて。
 これなら、これなら……いける!
 サイレンの効果音とともに、敵が接近してきた。
 カスパー・メルキオール……あの老人がいうには、新人のくせにかなり手だれの者らしい。
 面白い。この力、存分にお前にぶつけてやろうじゃないか。
 老人がいうには、この薬の効果は一時的なものらしい。アレスはしっかりとそのことを覚えていた。つまり、いずれはこの高揚も消える、ということだ。
 勝てば、この効果を永遠のものにしてくれるかもしれない。
 負ければ……どうなるのだろうか?
 …………。
 いや、負けるはずがない。
 今のこの僕が、あんなやつなんかに負けるはずがない。
 負ける気はまったくしない。
 僕は、あいつを……殺す。

                    *

 カスパーが接近していると、アレスはEOを射出した。
 それと同時に、カスパーは身構える。EOの射程内に入ると、一斉に実弾が飛んできた。それにあわせるように、カスパーは機体を傾かせた。
 アレスも動いた。EOを固定状態にして、左真横へとブーストで動かし、カルサワを連射する。その角度は、ちょうどEOとカルサワの弾が交差し、敵側から見れば、挟み撃ちにあったように見える角度だった。
 カスパーは一瞬、判断に歯噛みする。そして決断したのは、EO側を左手でガードしながら耐え、半ば捨て身という形で突進する戦法をとった。
 隙間を縫うように、カスパーはマシンガンを放つ。
 マシンガンの何発かが、カルサワの弾に衝突し、爆音をあげる。威力を調整したマシンガンの威力だ。数発重なれば、カルサワ程度に引けはとらない。
 そして何発かがそのエネルギーの壁から貫通し、アレスに向かって熱を放射した。
 着弾。脚部、脇部に命中した。
「ぐっ……!」
 アレスは歯噛みする。固定していたEOを戻し、カスパーから距離をとった。
 だがカスパーは逃がさない。追撃とばかりにOBで接近する。アレスはカルサワを発射するが、均整のとれてないジグザグな動きに弾はカスパーの脇をすり抜けていくだけだ。
 そしてカスパーは近距離をとらえた。左手から青白い光が飛び出した。
 正面に写る、青い光を見て、アレスは目を見開いた。その光が、縦一文字に振り下ろされる。
 緩慢な動きで、その光景はアレスに迫っていた。
 そして、すんでの処で、アレスは左手を上げた。
 激しい火花が飛び散る。だがアレスの対応がやや遅かったおかげか、どんどん左手は押し込まれていた。
「調子に乗るなぁ!」
 アレスは自分からブレードを引き、すぐさまバックブースターを発動した。歯止めを失ったカスパーの一撃が、プロビデンスの右肩を斜めに裂く。
 大きなダメージだ。しかし、カスパーは慌てた。
 やばい!
 と、思った時には、敵はすでに攻撃モーションに突入していた。
 アレスは居合いをするような構えとともに、左腕を横に振る。
 カスパーはブレードの光を全快まで引き出し、左腕を中心にそえる。
 刹那、アレスから衝撃波――光波が生まれた。
 その一撃が爆発音と共に、カスパーの目前で一瞬止まる。縦中心にそえた、月光に触れたのだ。
 だが、光波の一撃はそれだけでは終わらなかった。カスパーの機体はすごい勢いで後方へと押しこまれていた。周りの風景が、まるで画像のフラッシュのように移り変わりしていく。
 カスパーはマスターブースターを起動する。一瞬、押し込みが止まった。
 が、それはほんとに一瞬だけだった。
 制動は空しく終わり、カスパーはそのまま、廃墟とかしていたビルに激突した。

 カスパーはコックピットの中で頭を抱えていた。
「むちゃくちゃだな。あの技……」
 コンソールを叩く。さっきの一撃だけで、機体全体にダメージが生まれていた。
 カスパーは舌打ちする。動けないとまではいかないが、たぶんこちらほうがダメージは大きいだろう。
 ……もう一発、あれを食らえば……やられる。
 しかし、こちらも相手に深手は負わせたはずだ。右腕はほとんど使い物にならなくなったといっていいだろう。
「どうせなら、左腕を封じたかったな」
 敵はそれを考えて、あの土壇場であんな行動をとったのだろう。
 たいした、英雄である。冗談抜きで、そう呼ばれてもいい強さと度胸だ。
 カスパーは一度笑みを浮かべると、機体をビルから這い出した。
「さて、第二ラウンド、いってみますか」

 アレスは、相手が激突したビルを眺めていた。
 巨大質量の激突のおかげで、砂塵をあげながらビルはくずれていた。そのおかげで敵がどうなったのかが、確認できなかった。レーダーにも、何も写っていない。
 試合が終了する予兆もない。
 ということは、相手にはまだ、息があるわけだ。
「あの一撃をうけて、まだ生をなしているとは……さすが、といっていいな」
 機体の状態を確認する。右腕が、小刻みにしか動かなくなっていた。コンマ一秒を争う戦闘のことを考えれば、使い物にならなくなったといっていいだろう。
 痛いところをしくじったな……。
 だが心なしか、アレスのなかには高揚感みたいなものが生まれていた。あの薬のおかげではないだろう。
 たぶんこれは、闘志。
 ひさしぶりだ。ここまで手ごたえのある相手とやり合うのは。
 あの日、管理者を破壊したとき出てきた敵でも、ここまで手こずる相手はいなかった。相手が機械だったという点もあるが、それでもあの時の敵は強かった。並の力では手も出せない強敵だったはずだ。
 そしてこいつは、それよりも強い。
 その時、レーダーに点が浮かぶ。それはまっすぐこちらに向かってきていた。
 にやりと、アレスは笑みを浮かべる。
「次の勝負で……決める!」
 ブースターに火を灯し、アレスは機体を発進させた。

                    *

 お互い、目標を視認した瞬間、噛み付きあった。
 カスパーはマシンガンを構える。だがその瞬間、エネルギー弾が飛んできて、マシンガンを吹っ飛ばしてしまった。
 カスパーはアレスを見た。それではっとする。
 右腕全体で、抱えるように持たれたカルサワが目に映ったのだ。
 アレスはワナを張っていたのだ。右腕は使い物ならなくなっていたが、カルサワは生きていたのだ。おそらく、時間差の自動発射をつかったのだろう。
「なめたことしやがる……」
 右腕からカルサワが落ちる。さすがに二度通じるとは、アレスも思っていないのだ。
 アレスの左腕から、ブレードの光が伸びる。
 それに続くように、カスパーの左手からも、青い光が伸びた。リーチとしては、カスパーのほうが長い。
 アレスは身構えた。しかし、あの居合いのモーションではない。
 カスパーは疑問の声をあげる。
「どうした? 光波は出さないのか? もう一度使えば、勝機は一瞬で決まるぞ」
「君とは、正々堂々戦いたい。都合のいい話だけど、だめかい?」
「どういうことだ?」
「ここ一番で僕の人間としての力がどれほどかを、試したくなったんだ。僕は今まで強化人間としてのあの力に頼りきっていた節があった。少し卑怯であったと思う。今まではそれでもいいと思っていたよ。
 だけど、君を相手にしていて、このままあれ一発というのは、まったく面白くない。観客も喜びはしないだろう。
 だから、使わない……」
「……ふっ、ははは! かっこいいな。いいね〜さすが、世界を敵にまわす英雄だぜ」
 アレスから不敵な笑みがこぼれる。
「そうさ、君の言うとおり、僕は戦争を起こした張本人だ。否定なんてできない。
 だからさ、僕は戦うよ。勝手にするのさ。僕をバカにするやつら、敵対心をむける奴らを、僕はかたっぱしから倒し、殺すんだ。
 そしてもちろん、君もだ」
「上等だ。やっと、あんたがどんな人間なのか確信持ててきたぜ。すっごいバカの、一途野郎だ。女のためにそこまでするのか?」
 アレスから、驚きの声が上がった。
「……するさ。君にはそういうのはないのかい?」
 沈黙。
「……どうだろう。わかんないな」
「なら、君も探すといい。せっかくレイブンになったんだ。好きなことをすればいい」
「お、ナイス助言、ありがとう。先輩♪」
「ふっ、そろそろ始めよう。観客が退屈してしまう」
「そうだな」
 カスパーは身構える。アレスも身構えた。
 両者の機体から、ブースターの光が灯りだす。
 数秒間、見合いが続く……。
 そして、
 ほぼ同時に、二人は飛び掛った。

                    *

『勝者は、カスパー・メルキオール!』
 司会者の絶叫に近い声が、会場内に響き渡った。
 それを合図にするように、観客から咆哮が生まれた。全員が総立ちだった。
 その中、会場入り口前で、小さな少女の声も薄くあたりに混ざっていた。

『おつかれ、カスパー』
 会場をあとにしていると、アヤの声が響いた。その声に疲れたような笑みを浮かべながら、カスパーはいった。
「間一髪だったぜ……」
 アヤの笑みが漏れる。
『あんたにしては、がんばったほうだよ。いや、がんばりすぎたくらい……』
「それはどーも」
『早く戻ってきてね。今日はぱーっとやりましょ』
「もちろん、俺の賞金で、だろ?」
『当たり前』
 無邪気な子供のような声が漏れる。
 その声に、カスパーは一つため息をついて、
「了解しました」
 笑みを返した。