第七話「アイザック・シティ」
 
 
朝日、始まりの太陽。
閉ざされた闇の幕を切り開く曙。
何十億年と続いている世界の日の出。
差し始める柔らかな光に照らし出され、不規則に崩れた旧世界の建造物が朝露に濡れた艶やかな黒い影絵を浮き上がらせている。地面に溜まった水が朝日の光を受けて、倒れたビル達に光の網を被せている。建造物は囓られたウエハースのようにあちこちが欠けていた。揺らめく光の愛撫を受けた崩れかかったコンクリート達の無作為な主張。剥き出しになっている少ない地面には落ちた灰色の欠片達が横たわっていた。
――――朝――――希望の今日、始まりの朝だというのに―――――
辛うじて原形を留めている二つの凝固泥の塔が、止まったドミノのように互いにもたれ合い、支え合いながら建っているのが見えた。昇る日を背負う二つの影法師が絶望の淵で破滅を目前として、無意味な世界と別れを告げ、決して別れぬ互いの愛を確かめながら寄り添う男と女のように見えた。
 
昔大きな戦争があったそうだ。
途方もなく大きな組織同士が、積み重なったささやかな不満を増幅させ、失われた技術を駆使して地上のあらゆる全てを破壊した。破壊と混沌の後、人類は自らが犯した罪の後の光景を見て地に潜った。
彼らは地上を捨てたのだ。
繁栄の誇りを失い、恥も尊厳も捨てて突きつけられた傷に目を背けたのだ。
天から追放された人間は、その始まりと同じくして苦渋に満ちた地上からも追放されたのだ。
傷痕・倒れたビル・舞い上がる埃・大破壊の末路。
流れ続けたエゴの川は破局の海原へと行き着いたのだった。
劣壊し、風化したビルディングの隙間を這うように、飛び跳ねながら戦士達は進んでいた。
「………すごい………こんな規模の遺跡を見るのは初めてだ………」
テラテラと輝く黒のシルエットが少しずつ本来の色合いを取り戻していくのを観ながら彼は呟いた。行く手の少し先には暗い青を基調としたカワサキの狭霧と藍の体に黒と銀の縞模様の腕の付いたアーマード・コアが見える。
ジェームスの機体『陽炎』。
隠密行動や奇襲作戦を考慮して生産されたムラクモ・ミレニアムの最高速・最軽量のアーマードコア。軽量のマグネシウム合金を融接することで重量を減らし、空気抵抗を少なくし、機体の重量は実に重量高速の不知火の半分程度に収まらせてある。空中性能の高さは飛び抜けており、崩れた瓦礫を飛び越えるときの上昇の速さからも明らかだった。三次元高速戦闘を得意とする体に大きな負担をかける機体である。
『崩れているとはいえ、これだけの規模の旧都市は存在しませんね』
『昔、ここは世界の経済の中心となっていた国家の首都だったそうだ。その下にアイザック・シティがあるとは…………何とも因果なものだな』
ダーク・ブルーのACに乗っている男が言った。
『ああ……郊外にある………と、言っても100q以上離れているけどな……
HLLV(大重量物用垂直離陸式ロケット)の発着場のあの湖も、元は大破壊に使われた衛星兵器の開けたもんだという話があったな?』
一番前を進んでいる陽炎からの通信が入った。
『そうだ、宇宙から大質量の爆弾か何かを落としてここらの一帯は壊滅したと言われている。そのときの衝撃波で都市のほとんどが崩れてしまったそうだ』
『何でも降るはずのない雪までも降ったと言う記録もある。その時点でここで生活するには地下に潜るくらいしか無かったんだろうな』
彼らの話していることはウィルの知らないことばかりだった。
おそらくウィルの世代の人間はよほどの知識人でなければこの様な経緯は知らないであろう。今の若い世代を育てた大人たちは大破壊のことを得てして話そうとはしない。それはもう過ぎ去ったことで、恥ずべき事だと思っているからだ。
だが、だからこそ今の世代は昔の戦争の破滅を次の世界へと伝えるべきなのだが………人々の心はあまりに貧しく、腐敗した世界の今を生きることで精一杯だった。
 
終わりの世界、アイザック・シティ地上部。人が生きている気配など全くない。
 
無音の世界にはアーマード・コア達のブースターを吹かす音が良く響いた。その3機のACの一番後ろ、一際目立つ赤と朱のアーマードコアに乗っているウィルの目に「ある物」が映った。欠けたり散らばったりしている高層建築の頂に、銀の皿のような物が疎らに散らばっている。磨き立てのような真新しい艶を持ち、その全てが一つの方向に、登り始めた太陽の方を向いている。
まるで向日葵の様に健気に、一心にその皿の底を向けていたのだった。
「ジェームスさん。あれは何ですか?」
前を進んでいる藍色の機体の顔に当たる部分にあるアイセンサーがこちらを向いた。
『どうした、ウィル?』
「ほら、あれですよ。あのビルのてっぺんに付いているヤツです………あそこにも」
彼はモニターの画像を指し示した。
『ああ、集光装置だな』
「集光装置?」
『そうだ、あのパラボナで外からの太陽の光を集めて、紫外線を弱めてから光ファイバーケーブルで送るんだ』
「光を集めてどうするんですか?」
『何て事はない。ただの照明だよ。あのパラボナの一つ一つが様々な家庭に繋がっているんだ。電気代の節約にもなるし、何でも自然の光は美容や健康にも効果があるって言って最近急に普及してきたんだ』
『最もまだ高級品だから全ての家庭が繋いでいるという訳ではないけどな』
この話にラズーヒンが入ってきた。
『元々これは産業用の装置だったそうです。郊外のレクテナ・システムや空港、原子加速発電ドームに混じって企業用の直径2qを越す集光パラボナもありますよ』
 
アイザック・シティの郊外にはこの都市に関連する様々な大型施設がある。
ウィルもここに来る途中で砂塵からレクテナ・システムと言う施設を見た。
垂直に立っている鉄骨に何か金属の網のような物がかかっており、その下に様々な抵抗器があった。【静止衛星軌道上の発電衛星から太陽電池パドルで発電し、マイクロ・ウェーブ波に変換してから地球へと送信する。そのマイクロ・ウェーブを捉えて再び電気に戻すのがレクテナ・システムと呼ばれる施設の役目である】と言うことを昔ナーヴ【現在で言うインターネットのような物。全ての人間がID登録され、全世界が繋がっている。この世界では水や電気のように当たり前の生活必需品なのだ】で読んだことを覚えていた。
「産業用ですか……」
青年達は続けた。
『そうです、大きな工場の照明はそれだけでも大変な費用ですからね。ですが何よりも一番重要なのが食料を作るバイオ・プランターへの照明です』
『やはり光合成を効率よくさせてコストの安くて美味しい食料を作るには太陽の光が不可欠なのです』
『その集光装置を市販用に縮小させたのがあの装置だと言うことです』
ラズーヒンの説明を聞いた後、青年は再び銀の皿に目を向けた。
何もなく、ただ埃と砂利が舞い上がっているこの廃都にも確かに人が存在しているという証を知り、青年は少しホッとした。
このパラボナの向こうには人々の家がある。
部屋を照らし、家族の営みを支えている。
敵の本拠地ではあるがやはりこの都市にも多くの人間が生活しているのだ。
この前のMT乗りのようにクロームの人間は皆が悪だと思っていては、この戦争は解決しないのだ。
「このパラボナナの向こうに人の営みの灯があると思うと……なんだか落ち着きますね」
ウィルは少し微笑んで言った。久しぶりに人間の生活の暖かさに触れた気がした。
彼の緩やかな安楽にカワサキが応えた。
『いや、そうとも限らない。ここ最近では光ファイバーケーブルの配線を無許可で分岐させ、それを自分の物にしたり、その接続権を闇市に売り出す輩が急増しているからな』
『―――もうすぐ南区の廃棄物運般エレベーターに着くぞ』
………全く……この男は……………
ウィルは黙ってカワサキの狭霧へと目を向けのだった。
 
不気味でどこか儚い地上の廃墟を通って、三体のACは瓦礫の山に着いた。空き缶・屑鉄・家電製品・歯車・不必要な採掘資源・採掘機・旧式のMT。その全てが地上に突き出た大きな口の周りに連なっている。
「………これが南区の廃棄物運搬エレベーター」
青年は言った。ここにも確かに人が生きているという証がある、生きている生活の匂いが漂っている。だが、青年はあの銀の皿達を見たときのような暖かく、安楽に満ちた感情は沸き上がってこなかった。人が生きているという証。他者を喰らい汚物を垂れ流す。腐敗のエキスのもげるような匂い、堕落のヴィジョン。もはや価値がないと判断されたそのがらくた達は無責任に、当然の如くに廃墟の風景に山積みにされて溶け込んでいた。
『排泄物や生ゴミなどの有機廃棄物はバクテリアで分解して肥料にしてバイオ・プランターに送られる。今の世の中で汚染されていない土は貴重だからな』
『そしてアイザック・シティの再生不可能な無機物のゴミは地上までエレベーターで運ばれて放置される』
『………半永久的にここにあり続けるのだ』
カワサキが言った。目の前の現実を目の当たりにして、青年は応えたくなかった。
『………皆さんいいですね。中に入ってください』
ラズーヒンの指示に従い、山積みのゴミを飛び越え、三人は地上に出た大きな口の中に入った。アーマード・コアが三体、やっと収まるほどの広さだった。
『ウィル。エレベーターは動きますか?』
「ハイ、やってみます」
ウィルは左手を中心に手動モードを起動させた。コクピット内の照明が消え、内部の至る場所から、差し出した彼の左腕に赤いレーザーの光が照射される。モニターに不知火の左腕が大きく映し出され、彼が指を動かすと不知火は壁際にある昇降用スイッチを押した。ウィルの指と不知火のマニュピレーターがシンクロして一つになったのだ。
………だが、そのスイッチは応えず無反応にランプが消えていた。
「ダメです……電源がシャットダウンされています」
『分かりました。こちらで何とかしましょう。接続してください』
「了解」
彼が不知火を操作すると、鉄の掌から突き出た棘のような端子が現れ、それをスイッチの隣の穴に差し込んだ。
『ハッキング開始……しばらく待ってください』
モニターに様々な機械文字の記号が浮かび上がり、その全てが高性能コンピューターを持つ砂塵に送信された。30秒程間をおき、辺りに仄かな赤いランプが灯った。
『………ハッキング完了、電源ロックを解除しました。このエレベーターはフォートガーデンに直通しています。ウィル、スイッチを押してください』
ウィルは今一度左指を動かし、不知火を通じてボタンを押した。ピコンと言う音が鳴り、体に軽い浮遊間が訪れる。ローターの回転する軽快な音と共に戦士達は深い深い闇の中へと沈んでいった。
 
 
 
 
 
 
 
 
フォートガーデン。
アイザック・シティの選ばれた者だけが住むことを許される高級住宅街。天井からは既に高く昇った太陽の燦々とした光が溢れている。まさに光の庭である。降り注ぐ優しさが余すことなく整った全てを映し出した。整備された道路に高級車が放置され、天井にはモノレールが通るはずの線路がくっついている。照らされたポプラや楓の街路樹が整然と道に沿って一列に並んでいた。洒落た服を集めて飾ったブティック、誰もが一度は憧れる真っ白で清潔な住宅街、午後の一時を会話して、子供達がじゃれ合う公園。その全てが、見たこともないほどに美しく完璧であった。
『ここの公共照明はどうやらあの集光装置の一つから来ているようですね』
ラズーヒンが言った。クロームの重役達が生活しているというフォートガーデンには百年計画の理想の全てが積み込まれていた。これが初めの理想。疲れ果てた人々に再び夢を見せようとして企業連合が一世紀もの壮大な計画の元に作った新たなる新世界。だがそんなものは続かなかった。いや、初めから無かったのかも知れない。全ての人々がこの鏡の都市に住めるはずもなく、ほんの一部の持って生まれた者だけが許されるのだ。あの地上の、鉄の屑達の上に成り立つ理想の世界は、造花のような美しさであった。
 
しかし、そのタイルの歩道にも、街路樹の下のベンチにも、公園にも、何処にも人はいなかった。若い女性がいないブティックや子供達が遊んでいない公園はどこか孤独な雰囲気が漂っている。二対の無人のブランコが虚しく揺れて、きしんだ音を立てていた。
「――誰もいませんね」
『ああ、ここの避難勧告は真っ先に出されたんだ。ここにいる連中は重要人物ばかりだからな』
「フォートガーデンがこんなに素晴らしいとは思いませんでした。やっぱりアイザック・シティは世界で一番豊かな複合都市なんですね」
『……それは違うんだ』
ジェームスが悲しそうな声を出した。
『ここはいわばアイザック・シティの最上層だ。だいたいの都市は底に行くほど貧しくて、劣悪な環境になっている』
『このフォートガーデンから少し下に降りれば食えなくて泣いている子供達や病に苦しんでいる人達が住んでいる』
『しかもその人達の方がずっと多いんだ』
『よく地球の裏側では食べられない人達がいると言うが、ここでは床の下に食えない人達がいる……』
『特に最下層付近の、謎の生物が出没したスター・ダスト市街の有様はアイザック・シティで、いや世界で一番の非道さだろう』
『疲れ果てた老人達は路上で眠り、活力のある大人達は犯罪に手を染めたりテロリストの一員だったり、もしくはレイヴンだったりする。彼らは元々アイザック・シティにいたクロームの企業闘争に負けた他社の人間や難民達だからだ』
『若い少女は生活のために体を売り、幼い子供達は誘拐されたり、孤児院と言う名の人身売買所に入れられたりする。売られた子供達はクロームに務める人間の玩具になって弄ばれ、未熟児や売れ残った商品は薬漬けにされて人体実験場に運ばれる』
『空腹に耐えられず盗みを働いたり、肥料にするために集めた生ゴミを漁る人達はガードに捕まって酷い仕打ちを受けるそうだ………もしこの人達に安心して住める環境と一切れのパンがあればこんな事にはならないだろうに………』
『確かにアイザックシティは世界で一番栄えている都市だ。でも最近になり経済競争の空洞化が進んでいる。クロームの市場独占の所為だと言われている』
『アイザックシティは最も豊かで、最も貧しい、貧富の差が激しい都市なんだよ』
「………そんな………」
『これがクロームの一面でもある………だからこそ俺たちは、ムラクモは勝たなければならない。クロームの支配を解放し自由と空の見える社会のために、そう、お前のように戦おうという連中がいるんだよ』
…………自由と空の見える社会のため………
青年に前にジェームスに嘯いた言葉を思い出した。あれは嘘だった。本当は何のために戦っているのか?そんなものは分からない。だが、間違いなくウィルは自由と空の見える社会のために戦っているのではないのだ。自分はそんなに白くて綺麗な人間ではない、この前の砲台施設の任務で青年は自分の中にあるどす黒い本能を目の当たりにしていた。ウィルはジェームスの陽炎を見た。その右腕にはもはや旧式となったバズーカーが握られている。彼は戦闘の時にはいつもこのバズーカーを持って出撃していた。
「ジェームスさん………」
『どうした?』
「前々から思っていたんですが、どうしてそんな古い型のバズーカーを持っているんですか?陽炎にバズーカーを装備するなんて聞いたことがありませんよ」
軽量高速の陽炎は、やはりその機動力を十分に発揮するためにある程度の装備の制限が必要だった。実際彼の乗っている陽炎はその大口径のバズーカーで他の装備が出来ない状況だった。
『ああ、これか………』
言葉を切らせた彼が続ける。
『………これはトーマスが愛用していた物なんだ。あいつの亡骸はおそらく集中砲火を浴びて粉々になってしまっただろう』
『俺に残されたのはこのたった一丁の銃だけだった………』
『このバズーカーであいつは甘ったれた理想のために戦って、信じて、戦って………死んでしまった』
『だから俺はこの銃を使い続ける。これはあいつの、トーマスの理想と誇り、血と苦渋の分身だからだ』
『最も何回もガタの来たパーツを交換して元の部分はほとんど残っていないけどな。俺はこのバズーカーで何時までもトーマスと共に戦うんだ』
………ぼくは、なんと言うことを聞いてしまったのか………
青年は自分の行動を激しく後悔した。
「……すいません、ジェームスさん。いつも余計なことばかり………」
『いや、いいんだ。俺はそんなお前が好きだよ。純粋でまじめすぎるお前はやはりトーマスに似ている』
『お前が死んだら、俺はきっと………もう二度と……』
『………お前は俺が守ってやるよ、このバズーカーで……俺が……』
『いや、違う。俺と陽炎のトーマスと、でだ……』
ウィルの胸に熱い苦しみに似た何かががこみ上げてきた。彼のおかげなのだ、今の自分が十年前の闇に陥らず、こうして戦っていられるのは彼の支えがあるからなのだ。
「ジェームスさん………その、いつも本当に有り難うございます………貴方がいてくれたから………だから、僕はきっと………」
彼は言葉の続きが最後まで言えなかった。
〔……人は一人では生きられない、いや生きてはいけないのだよ、ウィル………〕
何度も何度も聞いていた父の言葉が駆けた。青年が孤独を感じることはたくさんある。でも彼は一人ではないのだ。見えない部分で支えている人がいるからこそ人は人の道を歩むことが出来る。誰も周りにいないのならば、おそらく人はでこぼこの茨の茂る獣の道へと迷ってしまうだろう。必要なのだ、人の心は必要なのだ。新たなる社会と自然との調和のために。
 
………人は一人では生きられない、いや、生きてはならないのだ………
 
 
 
 
 
 
 
 
 
〜作者から〜
今日はTO-RUです。ついにアイザック・シティに突入しました。自分の頭を最大限に絞ってこの都市を考えたのですが………まだまだ説明不足ですね。頭は余りいい方ではないので、すいません。何よりも今回も戦闘がありませんでした。無理に長くして戦闘を書こうとするとどうもだれてしまいます。これ以上は伸ばさない方が…………前の戦闘シーンが割と好評だっただけに……面倒男はもう少し待ってください!!このミッションは物語上の節目となっていますので。これを読んでくれている(いるかいないかは分からないけど)皆さん!もう少しお付き合い下さいませ。
 
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